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[No.7] パート5 「寅さんは人生の目的が無い。だから、みんな、ホッとするんですよ。」「他人のものは自分のもの。自分のものは、他人のもの。」
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/7/19 18:56
ゲスト:しまおまほ(コラムニスト)

「お腹減ってないっすかー?」

相手との対話が一段落つくころ、鈴木さんがよく発するこの言葉。
今回ももちろん出ました。ゲスト、しまおまほさんへの「お腹減ってない?」発言。
「たくさん喋るとお腹すくもんなぁ」と何気なく聞いていたものですが、ちょっと気づきました。
あ、これって、「そろそろこの辺で・・・」という合図とか「お疲れさま」とか、そういうことだけではなくて、「お腹減ってない?」って結局これも鈴木さん流の
相手との境界線をなくしてしまう作業の一つなんだな、と。

今回、「他人のものは自分のもの。自分のものは他人のもの」、そういう"境"が無い感じってみんなどこかで憧れてるんじゃないか、という話が出てきます。

ここでもやっぱり、「みんなで一緒に何かやっていたい」「もっと広がりたい」という鈴木さんの強い意識を感じます。
そんな鈴木さんは、今となっては当然のように使われているIDカードやドアに鍵をかけるということに
「そういうのって不要じゃない?」と感じているようです。

他者から遠慮とか緊張をほどいて色んなものを引き出そうとする人にとって、入ろうとするたびに許可証やIDを求められる現代特有の感覚はちょっと邪魔臭いように
感じるのかもしれません。

鈴木さんから「お腹減ってないっすかー?」と聞かれたゲストのしまおまほさんは、その途端に緊張感が
ほどけたような感じがしました。
「いつでも扉は開いてますよ。どうぞ。」というのと「飯、食っていきません?」というのは
鈴木さんにとって同義語なのかもしれません。

あるいは・・・
「飯、食っていきなよ」 → 鈴木さんとこでご馳走になる → 後に原稿依頼が来る
なんていう図式がちゃっかり出来上がっていたりして・・・?


[No.6] パート4 「ひとりで歌うとひとりじゃない気がした」「ジンジャー・ロジャーズが84歳と20歳をつなぐ。」
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/7/1 11:15
ゲスト:手嶌 葵(シンガー)

この回のゲストは手嶌葵さん。
その声は一見すると(一聴すると?)とてもか弱く、ささやくよう。
葵さんははまだデビューして二年目。
そんなゲストを相手に次々と質問する鈴木さんの喋りはちょっと”近所のオバちゃん風”で可笑しいです。

この回は、昔の歌や映画が好きな葵さんがゲストだけあって、ベット・ミドラーから
デボラ・カー、ジンジャー・ロジャーズ、
フレッド・アステアやオードリー・ヘプバーンの名前が次々と出てきます。
心なしか、聴いていてクラシカルな雰囲気を感じてしまう回。
私も映画が大好きなので、「私もその会話に混ぜて!」と思いながら聴いてました。

あ、そう言えば「人肉饅頭」の放送回(第7章)も会話に参加したかったです。
高校生の時にレンタルビデオ店でギョっとしつつ手にとったことのあるあの映画・・・
まさかあの映画と「アメリ」の買い付けをした方が同一人物とは・・・・衝撃でした。
叶井さん・・・ここにも「境界線はいらない」人がいましたね(笑)

話は逸れましたが、実は私、葵さんの歌声をライブで聴いたことがあります。
「テルーの唄」、そして「The Rose」も。
ステージに立つ彼女はラジオで聴く声と同様に、はかなげで守りたくなるような女性
でしたが、彼女の歌声はまっすぐで、
"伝わる声"だったのを覚えてます。それは、「印象に残る歌声だった」ということもあると思いますが、きっとそれ以上に彼女の
持っている「歌を大切にする気持ち」
だったんだと、話す声は小さいけど、
歌に対する気持ちは雄弁に語ってしまう葵さんを知ってそんな風に思いました。

[No.5] パート3 「自分がやっているのに自分がやっているんじゃない。プロデューサーという仕事。」
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/6/29 22:18
ゲスト:堀田百合子(堀田善衛氏の娘)

この回は、鈴木さんと堀田百合子さんの過ごした大学
時代、学生闘争が起きていた時代のお話。
そして鈴木さんのプロデューサーとしての資質が
培われ始めた(?)頃を垣間見ることのできるお話を聴くことができます。

大学生になった鈴木さんは仲間に誘われ、大学の自治会で広報局長になります。学生闘争と言っても、最初はまだ「のんびりしたものだった」という鈴木さん。
それもそのはず、鈴木さんが最初に関わったのも
学食のカレーが値上げになることを反対する「カレー
ライス値上げ反対闘争」。
鈴木さんと同じ大学で同じ時期に学生生活を送っていた堀田百合子さんも「知らない」というくらい、
それはのんびりとして地味な運動であったようです。
ですが、世の中は次第に安保闘争や米軍資金導入
反対、といったより大きな運動を生み出していきます。

「若い人たちの力がもしかして世の中を良い方向へ導くかもしれない」そんな空気感すらあった中、
鈴木さんが自身学生運動の渦中にいながら次第に感じるようになったのは「これはちょっとおかしい」という
違和感。
それは、自分の置かれた状況に対してどこか「俯瞰して見ている」という作業の入り口であり、
鈴木さんが堀田善衛氏の書き物に見る「対象に対する身の置き所」という自分ならではの「物事に対する
距離感」への意識が大きく芽生えた時期なのかも
しれません。

「カレーライス値上げ反対闘争」、それがプロデューサー・鈴木敏夫の出発点だったのか!? そして(過去の自分も含めた)鈴木さんの自己分析能力に改めて気づかされる回でした。

[No.4] パート2
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/6/21 22:55
「どこまでみんなの歌になるか」
「若い頃に抱いた夢や志をバカにしたくない」

ゲスト:田家秀樹(音楽評論家)
    藤巻直哉(ミュージシャン)

この回はちょっとリラックスした感じの音楽対談です。
あ、藤巻さんの「埋もれた過去」が分かったり、藤巻さんをからかって楽しそうにしている鈴木さんの姿が
よく分かる回でもあります。

この回での大きなトピックの一つが、「みんなの歌」。
子供からお年寄りまで、誰もが知っていて一緒に歌うことのできる「みんなの歌」です。
その「みんなの歌」が無くなっている、生まれにくい時代になっているというお話です。

田家さんがおっしゃるように、今の時代の音楽はとてもパーソナルに聴くものだったりして、「最も音楽を聴き易い」環境にあります。音楽機器だってコンパクトになって、電車でもどこでも一人で楽しむことができます。
そんな時代に「みんなの歌」が生まれにくいのは当然だし、例えば周りの人が自分と同じ曲を聴いてなくても
自分だけがこの曲を好んで聴いているという感覚はそれはそれで特別なものかもしれない。

「みんなが知っている歌というのが本当に必要なのか」

田家さんのこの疑問は実は私もちょっと同感だったりします。

ですが、鈴木さんが感じている「みんなの歌が無い寂しさ」はただ単に「時代を表す歌がない」とか
「みんなの歌を持っていた時代は良かった」とかそういうことでもないようです。
「みんなの歌が無い」時代とは、例えば、自分の周りにいる若い人たちの「人と一緒になって何かをすることが苦手」だとか、宮崎監督の信頼があるから自分は
どこまでも一生懸命になれる、そういった感覚を持っている人が少ないんじゃないかとか、
そういう状況を含んだ時代の一つの現れだと感じての「寂しさ」であるように思います。

「みんなが一緒になって同じ歌を歌っている楽しさ」を忘れたくない。鈴木さんの気持ちはそこにあるのだと思います。「一緒になって」、ということをとても大事にしている鈴木さんが「ジブリでみんなの歌を作りたい」と思うのは当然だろうし、れんが屋に集まる様々な人たちと鈴木さんがどうやって関係を広げてきたのか、それが分かるような気がしました。

[No.3] 『向こう側に人がいる。ラジオの夜。」
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/6/9 0:23
ゲスト:亀渕昭信さん(ポピュラー音楽研究家)

この回は、「ラジオについて」。

ゲストの亀渕さんは柔らかないい声の持ち主。鈴木さんも低く太い、いい声の持ち主です。
私の中では、密かに「いい声対談」!

実は、ビートルズの「プリーズ ・プリーズ・ ミー」が発売されるだいぶ前にこの曲をラジオで聴いていたという鈴木さん、そしてラジオ局でまさにそのレコードを回していたのが亀渕さんだった、という過去の繋がりがあったお二人。
ラジオの世界では先輩後輩、といった風情のトークがなかなか楽しいです。

「ラジオから聴こえてくるものって何だろう」、
「ラジオ放送でできることって何だろう」、
ラジオの良さ、そしてラジオの可能性について、
「こういうことがやってみたい」
「ああいうことができるんじゃないだろうか」、
亀渕さんはラジオで表現できることを
常に探っている方のようです。
そんな亀渕さんに鈴木さんも呼応します。
「ラジオって深い話ができる」「(ラジオは)僕にとって貴重な体験」、「ラジオってやりようはいくらでも
ある」、と。

お二人がこんな風に語るラジオ。ですが、途中で
鈴木さんと亀渕さんの間でこんなやり取りが・・・

「ラジオの危機ってあったんですか?」
「ずっと危機じゃないですか?」

テレビやインターネットなどのメディアの台頭と共にラジオは衰退の危機を迎えてしまった・・・

ラジオを聴き始めてまだまだ日が浅い私なので、
「ラジオの今後は・・」なんて語れる
ほど思い入れが無いと言えば無いです・・・
実際、ラジオがどのくらい危機なのかもよく分かってはいません。

ただ、長くラジオの仕事をされてきた亀渕さんの発言に私が強く共感したのが、

「人の声ってけっこうあったかい」
「テレビは3m、ラジオは30cm」

という距離感。
この距離感を心地よく感じるので、私は周りの人たちに「ラジオ、いいよ」と勧めるようになりました。
私が「ラジオっていうのはさー」なんて語れるようになる日がいつか来るのでしょうか。
そんな日が来てもラジオは相変わらず危機状態なのでしょうか・・・

ところで、しょっぱなから「僕、間違えて(メールに)『ジブリ泥まみれ』って書いちゃって」
なんて発言の亀渕さん。面白い方ですね。再び亀渕さんと鈴木さんの「いい声対談」を聴ける日を楽しみにしてます!





[No.2] 第二章 田中さんへ
投稿者:番組ディレクター 服部 / 男性 / 50代 / 東京都 投稿日:2009/6/7 19:39
鈴木さんと仕事をしていると、自分がいかに閉じてしまっているか?思い知ります。お気に入りの世界にいるのは楽だけど、田中さんのおっしゃるように、広がらない。予期せぬ化学変化が起こらない!そしていつのまにか心がやせている・・・?いまそんな人が少なくないですよね。
とにかくいろんな人と生で話すことから、いろんな予期しない何かが生まれてくることを、鈴木さんは伝えてくれています。
第二章のなかで田中さんが面白いと感じたこと、印象的なゲストのことなど、少しずつでいいので、ひとりずつ具体的にリスナーにお伝えいただけませんか?
[No.1] 【感想】
投稿者:田中亜希子 / 女性 / 30代 / 兵庫県 投稿日:2009/6/4 23:00
これって、なぜDVDなんだろう・・・
そう思いつつ、更に、CDプレーヤーを
起動してしまっていた私。
どこまでも「聴くだけ」の感覚でいた私ですが、半信半疑な気持ちで(今度こそ)DVDを
再生してみると、ちょっとばかり地味とも言える画面にあのいつもの「れんが屋トーク」が・・・
いつもと違うのは、自分の居場所が今まで
行ったことのない「れんが屋サイズ」のように感じられること。
そんな親密な空間で聴く数々のエピソードは、あたかも「自分だけが知りえた特別なエピソード」のような気がしてきます。

―第二章 境界線はいらない。―

きっと少なからず多くの人たちは自分の領分を固めながら、時にはその領分に守られながら他者と関わっているけれど、「ここからここまでが私の領分」と決めてしまうと
そこには境界線が生まれる。

ここで私が聴いたのは、鈴木敏夫さんが自分の仕事の領分を超えて時にラーメンをすすりつつ、ある時は一緒に歌を口ずさみながら
繰り広げる他者との対話。

鈴木さんの話には出し惜しみがない。
そして相手が自分より若かろうと年上だろうと、誰にでも「それはどうしてですか?」
「なぜそう思ったんですか?」とよく聞いている。
「なぜ?」「どうやって?」という質問は
ひょっとして話の間をもたせるための有効なフレーズであるかもしれないし、でも鈴木さんにとっては仕事柄とか年齢だとかそういうボーダーを超えるためのとても当たり前な
他者との関わり方なのかもしれない、という気がする。
あるいは、そういう心の開き方をしていると
いつの間にか自分の周りに多種多様な人たちが集まってくるのかもしれない。
例えば唯一無二の声をもった女性シンガーとか、(鈴木さん曰く)"蛇足の人生を送る"ミュージシャンとか、とか・・・
本当に様々。

自分の領分だけで話をするのでは何も広がらない。
「だって、そういうのってつまんないじゃないですか。」という声があの鈴木さんのガハハ笑いと共に聞えてきそうな「れんが屋トーク」でした。