2018.5.1

大林素子が告白、つんく♂プロデュース“デカモニ。”は「メンバーが集まらなかった」

プロゴルファーの丸山茂樹がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「五洋ホールディングス presents SUNDAY BACK NINE」。4月29日(日・祝)の放送は、女子バレーボール元日本代表の大林素子さんが登場。競技を始めたきっかけやバレー界のこと、そして現役引退後の活動などの話を伺いました。

大林素子さん(右)と、パーソナリティの丸山茂樹



丸山:まずは、大林さんのプロフィールから紹介しましょう。東京都出身。八王子実践高等学校では、春の高校バレーで準優勝。1985年、高校在学中に全日本代表に選出され、その翌年日立に入団。全日本のエースアタッカーとして、1988年ソウル大会、1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会の3大会連続でオリンピックに出場。1997年に現役を引退し、芸能界入り。以降は、スポーツキャスター、タレントとして活躍。舞台女優として数多くの作品に出演されています。舞台女優さんになったという情報は、失礼ながら僕も知りませんでした。

大林:そうですね、まだ日本のほとんどの人が知らないと思う(笑)。

◆痛感した世界の壁

丸山:バレーボールで世界的プレーヤーになって、オリンピックも3大会出場というのはすごいですよ。我々の世界は3年や5年で消えていく女性選手がいっぱいいるんです。あのハードなバレーボールで長く日本代表に残れた力はどこから出てきたんでしょう?

大林:競技によって選手寿命って違うと思うんです。バレーは比較的長くできるほうかなと。私が引退後にルールも変わって、ラリーポイント制やリベロ(守備専門の選手)制の導入もあって、いろんな負担が減ってスペシャリストが出られる競技になって選手寿命もすごく伸びているんです。

丸山:なるほど。

大林:私が現役の頃は、20~30代で「ピークが過ぎている」と言われる時代でしたけど、今は40代の選手もいるし、子どもを産んでからも復帰できるようなスポーツに変わってきています。

丸山:でもね、40代とかでチームにカムバックできても、(大林さんのように)日本代表として3大会オリンピックに出場するというのはなかなかいないんじゃないかと。

大林:その間ずっと一番だったからね~、私(笑)。

丸山:おっと、いきなり一発放り込んできましたね(笑)。

大林:私は左利きでライトでスーパーエースという立ち位置でした。野球で言うところの4番バッター的な感じですけど、1番・2番バッターのような役割もするタイプだったんですよ。何でもできちゃう(笑)。

丸山:出た、オールマイティプレーヤー。

大林:日本ではエースでしたけど、オリンピックなど海外では全然勝てないんですよ。3大会メダルなしでした。1個も獲れていないのであまり自慢できるものがないなって思っています。

丸山:いや、でも当時はそういう厳しさもあって、ルールもいろいろと変わって。柔道などいろんなスポーツで新ルールが導入されたり。

大林:(どの競技も)ルールに対応していくのは大変かなと思います。

◆ふたりの初めての出会い

丸山:僕が大学3年生でアジア大会に行ったときに初めて大林さんとお会いしたんですよ。

大林:ね、選手村でね。私、お会いした日のことを忘れませんよ~。

丸山:何か変なことでも言ったんじゃないかとものすごく心配なんですけど……。

大林:その頃、女子バレーはすごく人気があったから日本の選手村でもいろんな選手から「写真一緒に撮ってください」って言われてチヤホヤされていた。マルちゃんはそんな様子を見ていたのか、「大林さん、俺丸山って言うんだけど覚えておいて。俺、絶対ビッグになるから」って。

丸山:言っちゃいましたか(笑)!

大林:(そのときは)うわ~と思って(笑)。でもその数ヵ月後に本当に有名になったから、この人はそれだけのものを持っていて、すごいと思ったから忘れられないんですよ。

丸山:恥ずかしい。当時はちょっとイケイケだったもんですから(笑)。ところで、大林さんが子どもの頃なりたかったのは歌手だったと。

大林:アイドルになりたかったんです。キャンディーズやピンク・レディーに入りたいって。でも子どもの頃から大きくて、幼稚園で(他の子に比べて)頭1つ出ていたんですよ。小6のときには170cmあったので。ジャイアント素子とかデカ林と言われて、幼稚園の頃から言葉の暴力でイジメにあって気分的に引きこもっていたこともありました。

丸山:バレーは何歳から始めたんですか?

大林:中学1年からです。(漫画の)「アタックNo.1」を見て、「オリンピックに出て私をイジメていた奴らを見返してやる!」って。

丸山:バレー界では、国民的アイドル的な存在だったじゃないですか。大人気でしたから。

大林:自分の夢を叶えることができたら、もしかしたら歌手とか自分のやりたいことが将来できるんじゃないかという思いもありましたね。

◆念願叶って歌手デビュー!

丸山:歌手デビューはどんな感じだったんですか?

大林:引退後、まったく歌のオファーがなかったので「これはもう自分でやるしかない!」と。当時、つんく♂さんがミニモニ。を作ったんですよ。それで、大きい人だけのユニットがあってもいいんじゃないかということで、デカモニ。としてプロデュースしてもらったんです。

丸山:えっ、つんく♂さんプロデュース!?

大林:1枚しか出していない、幻のインディーズCDです。

丸山:メンバーは?

大林:デカモニ。もメンバー募集したんですけど、身長が175cm以上あって歌と踊りをやりたい女性が誰もいなくて……。

丸山:まさかのソロで!?

大林:中田久美さん(現バレーボール全日本女子監督)とか一応声をかけたんですけど、みんな「イヤだ」って。1人でデカモニ。として「大きな私の小さな恋」というすごく可愛い曲を歌っています。自分で動いたことによってやりたいことが叶ったのは嬉しかった。

丸山:夢を叶えてデビューしたというのはすごいことですよ。売れた、売れないは別として(笑)。

大林:つんく♂さんが私の心情を曲にしてくださって。

丸山:この曲はカラオケには入っているの?

大林:入っていないんですよ~。

丸山:入れてほしいですよね。

大林:あったら、歌いたいです! (曲を)出したことをみんな知らないから、第2弾をいつか誰か作ってくださるのを待っています。

◆夢を叶えるバイタリティとバレー界への思い

丸山:そのためにも、今は女優としても舞台に立っていると。

大林:ボイストレーニングをしたり、タップなどの稽古をしています。10年くらい前から年に3本ペースで舞台に出ています。これもオファーがまったくなかったので、友達の劇団に行って「どんな役でもいいから出させてもらえませんか?」と直談判して。

丸山:すごいバイタリティですね。

大林:オファーがないから、自分から営業しないと(苦笑)。

丸山:バレーでスーパースターになったのに、自分から営業をかけるというのは勇気がいるじゃないですか。

大林:メダリストでもないし、アスリートとしての勝ち組感はないんですよ。自分のプレーや選手としてやってきたことには自信やプライドはありましたけど、それって他のことをやるときには何の意味もないので邪魔しなかったんですよね。

丸山:メダルを獲れなかったことにコンプレックスなどを感じていますか?

大林:バレーでは東京オリンピック(1964年)からずっとメダルを獲っていたんですけど、私が出場したソウル大会から獲れていないんです。私がその時代を途切れさせてしまったという負い目はありますね。エースとして戦犯的なことも言われましたし。だから、今は解説者として選手を盛り上げたい。そこでバレー界に恩返ししたいという思いでやっています。

次回、5月6日(日)の放送も引き続き大林さんをゲストに迎え、お届けします。お楽しみに!

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【番組概要】
番組名:五洋ホールディングス presents SUNDAY BACK NINE
放送日時:毎週日曜 7:30~7:55
パーソナリティ:丸山茂樹
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/backnine/
番組Instagram:@sundaybacknine_tfm/

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