宇陀時代の波を乗り越えてきた街
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宇陀時代の波を乗り越えてきた街

ON AIR REPORT

宇陀時代の波を乗り越えてきた街

日本仏教界を支えた寺

みずみずしい匂いに誘われるまま、新緑の道を行く。
やわらかい午後の日差しが、空高く伸びた木々の隙間からこぼれている。

街中とは2〜3℃違うだろうか。
ふと、ひんやりとした空気を感じ、指先にかけていた薄手のジャケットを羽織る。

「ハァ、ハァ、ハァ…」

木々の間を、奥へ奥へと続く石段。
いつもだったら、息を切らすのなんてまっぴら御免なのに…、
途中から…、なぜだか少し楽しくなってきた。

疲れたけれど、止まってしまったら「負け」な気がして、
一歩一歩、一段一段、踏みしめながら登っていく。
高校の、部活のトレーニングを思い出す。

さっき着たばかりのジャケットをまた脱いで、手にぐるぐると巻きつける。

「ハァ、ハァ、ハァ…」

てっぺんが見えた。
「あと五段…、三段…、一段…」

「しゃーーー!!!」

高校に戻ったように吠えたあと、
すぐさま両膝に手をつき、おじさんに戻った。

たまにこういうのも悪くない。

INFORMATION

豊かな自然に囲まれた奈良県宇陀市は、かつてヤマト王権の中心地であった桜井市や、いわずと知れた古都・奈良市に隣接する、歴史ある地域です。
市内には、伊勢へ向かう多くの人が通った「伊勢街道」や、城下町当時の薫りが漂う街並みなど、さまざまなものが残されています。
中でも代表的な史跡の一つが、奈良時代末期に創建された「室生寺」。空海や最澄に並ぶ、平安時代を代表する僧・修円によって開かれたこの寺は、各宗派の僧たちを迎え、修行道場として日本仏教界を支えました。
鎌倉時代になると、密教の色合いが強まり、空海が開いた「真言密教」を教える寺として、重要な役割を果たすように。そして、同じ真言密教の根本道場であった高野山が女人禁制だったのに対し、室生寺は女性も受け入れていたことから「女人高野」として、広く親しまれました。
どんな人でも暖かく受け入れるこの街も、奈良交通のバスは走る。

人々の足を守ったバス

バスの心地よい揺れに身を任せていると、いつもよみがえってくる。
忘れもしない、あれは小学3年生の夏休み。
生まれてはじめて、一人、バスに乗って出かけたあの日の記憶。

両親が忙しく、退屈していた私を、田舎で暮らす祖父母が呼んでくれた。
まだ10歳にもならない私にとって、それはまるで大冒険。

心配して見送りに来た両親をよそに、走って乗り込み、窓際の指定席に腰を下ろす。
いつもとは違う、少し高い位置からの眺めに、窓に張りつきながら見入っていた。

街を抜け、バスが高速道路に入った頃、
前の晩、楽しみでなかなか寝つけなかった私は、いつの間にか眠っていた。

目を覚まして外を見ると、知っている街ははるか遠く、
もうここがどこなのか、わからなくなっていた。

その瞬間、ワクワクは一転、急に心細さで一杯になった。

「ちゃんと…、着くのかな…」

私の心を映したかのように、空はグレーに染まっていた。

到着すると、そこにはのどかな田園風景が広がり、
今まで見たことがないほど広い空は、いつの間にか晴れ、綺麗な夕陽に照らされていた。

田んぼを吹き抜ける風に髪をなびかせ、あの日、私はちょっとだけ、大人になった。

INFORMATION

幾度となく繰り返される四季の移ろいの中、変わらぬ人の営みをずっと見守り続けてきた宇陀の街。
そんな宇陀にバスが走り始めたのは、今からちょうど100年前。大正6年、鉄道の駅と山間をつなぐ交通手段として運行を開始しました。当時は現在のバスの形ではなく、1日5往復の乗り合い自動車だったそうです。
太平洋戦争の最中には、資材や人材が不足する上、空襲警報がいつ発令されるかわからない状況でも運行を継続。戦後には、相変わらずの資材不足が続く中、当時の燃料であった木炭を自分たちの手で生産してまで人々の足を守ってきました。
現在、街ではさまざまな記念グッズが販売されており、この週末、家族や友だちと楽しめる「奈良のバス100周年記念フェスタ」も開催されています。
時代の波を力強く乗り越えてきたこの街も、奈良交通のバスは走る。

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