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高橋みなみさんが改めて振り返るAKB48時代  (2017/09/16 放送)

今週は、高橋みなみさんをお迎えしました。

昨年の4月にAKB48を卒業した高橋さん。「歌手になりたい」と思うようになったきっかけは、小学校4年生ぐらいの時にカラオケで友達に「上手いじゃん」と言われて嬉しかったことだそうですが、実はそれ以前からよくオーディションなどを受けていたとか。

「幼少期はまったく芸能界に興味はなかったですね。ただ、母がどうしても私を芸能界に入れたい、いわゆる芸能界ママだったんですよ(笑)。で、よくオーディションを受けさせられてまして…。もうちっちゃい時からですね。物心ついた時には知らない間に宣材写真とか撮られて送られてたんですけど、まぁ自分自身は興味がないので、オーディションもそんな意欲的に取り組んでないのでどんどん落ちました」

AKB48に入る前には『ホリプロタレントスカウトキャラバン』でファイナリストになったこともあるそうで、そこで声をかけられてAKB48のオーディションを受けることに。そして、応募総数およそ7,900人の中から見事、第1期メンバーの24人に選ばれますが、いきなり大ブレイクというわけにはいきませんでした。

「お客さんも最初はホントに7人とかだったので、客席よりもステージ上のメンバーの方が多いし、アンコールもマネージャーさんがかけてくれるし、なかなかのもんだったんですけど。でも、しんどいっていうよりは、ひとまずガムシャラにやらなきゃって。ただ、売れるかわからないグループによくそんなに命かけたなってみんな思ってましたね。でも、秋元康さんだけは、俺は売れると思ってるってずっと言ってました」

「RIVERっていう曲がオリコン1位になった時に、数字的に1位だったので、凄い!って。そこまでに4年ぐらいじゃないですかね。でも、4年で良かったなって思います。ホントに頑張ってどんなに実力があってもなかなか目が出ない人もいる中で、4年はラッキーだっていうふうに思いました」

「(辞めようとは)まったく思わなかったですね。年齢的にも14才で入ってたので、辞め時みたいなのがあんまりないんですよ。ハタチぐらいでAKBに入ったお姉さんたちは割と早い段階で辞めていく方が多かったですね。年齢的にも先が見えないから悔しいけど辞めるっていう」

現在は大きなグループから抜けた不安感があるとおっしゃっていた高橋さんですが、AKBの初期には不安などはあまり感じなかったようです。

「若かったんだと思います。あまりにも忙しすぎて、ひとまず明日ステージに立たなきゃみたいな。それが誤魔化してくれました」「不安じゃなかったです。だから4年たって売れた時に、うわーい!みたいな感じでした(笑)」

「1回、NHKの番組に呼ばれた時に、前までは、“秋葉原発アイドル、秋元康プロデュースAKB48”っていう呼び込みだったのが、『River』の後に“国民的アイドル”って呼び込みになったんですよ。言われ方変わった!と思って、それがちょっと震えましたね。みんなで袖にいながら、え、今、国民的アイドルって言われた?!前まで違ったよね、って言いながらウキウキして出ていったらやっぱり歓声も前と全然違ったりもしますし、環境ってこんなに変わるんだなとは思いましたね」


AKB48では、メンバー全員ではなくその都度選ばれた人たちだけが楽曲に参加することができますが、高橋さんはこの選抜制度の裏側についてこう話してくれました。

「インディーズで『桜の花びらたち』っていう曲をリリースした時はオーディションに受かった一期生全員で歌わせてもらったんですけど、メジャーデビューの『会いたかった』からチームKっていう二期生が入ってきたので、一期生、二期生で歌うと人数が多すぎるということで選抜メンバーというものが生まれて。そこから三期生も入ってきますし、どんどんどんどん選抜になっていって、弱冠みんなで歪んできて…選ばれる、選ばれない、みたいな」

「多少の変化が一番怖くて、当たり前に選抜に呼ばれるようになってきた時に2、3人だけ入れ替わった瞬間の絶望感とかあるんですよ。ガラッと変わるならしょうがないってなるんですけど、2、3人だけ変わった時に、なんで?って」

そんな中、じゃんけん大会といったイレギュラーなものを除いては、卒業するまでずっと選抜メンバーに入り続けた高橋さん。ただ「自信にはもちろんなりますし、ありがたさもあるんですけど、やっぱり選ばれる側は選ばれる側で立ち位置的な問題も出てくるんですよね」ということで、選抜メンバーには選抜メンバーの葛藤があったそうです。

「私、インディーズの『桜の花びらたち』はセンターで、『会いたかった』もサビとかはちょっとセンターに入れたんですが、徐々に徐々に前田敦子がセンターになっていくわけですね。で、私が徐々に下がっていって、3列目ぐらいになった時に、あれ、どうしよう?っていう葛藤…別に前田にぶつけてもしょうがないけど、どうやったらあそこに戻れるんだ?とか凄い考えちゃいましたね、一時期」

「距離が近い分、ファンの人にも言われるので。握手会とかで、次頑張ろうね、とか、下がっちゃって残念、とか言われた時に、はあぁ…っていうダメージは凄いです(笑)」


そして、選抜制度を発展させたのが、シングル曲の選抜メンバーをファン投票で決めるおなじみのAKB48選抜総選挙。高橋さんは一大イベントとなったこの総選挙についてこんなことを話してくれました。

「総選挙は今年で7回目とか8回目ぐらいなんですけど、ホントに1年に1回その時期が来ると、早く終わってくれないかな、もしくは、なくなんないかな、ってみんなボソボソと…」

「ただ、回を重ねてくると、お互いにいがみあってもしょうがない、みたいなことだったり、1年間の通信簿みたいな気持ちにもなってきたんですよね。1年どれだけ自分が頑張れたか、そしてファンの方に支持をして頂いたかっていうのが数字として出てしまうのは残酷だけども、誰も責めることはできないから、自分自身との戦いになってきました。誰に何かを言うとかじゃなくて…」


2009年にチームAのキャプテンに就任した高橋さんですが、ご自身の本『リーダー論』では「AKBの中で劣等生だった」とおっしゃっています。

「AKBに入った当初はダンスも劣等生で、いつも居残りメンバーで、高橋!前田!とか何人か呼ばれていつもヘトヘトになりながらやったりとか、けっこうおとぼけなところもあったりするので、まさか自分がキャプテンになったりとかするとは思ってなかったですね」

「もちろん自分で椅子取りゲームをしにいったっていうのはあるんですよ。前田敦子がセンターになった時に、自分の立ち位置が下がっていってこのままだと選抜から追い出されてしまうかもしれないって思った時に、やっぱり自分の立ち位置っていうキャラクターをはっきりさせないと必要とされないのかも知れないって」

「ともちんだったらちょっとギャルっぽくて普通のアイドルっぽくなかったり、小嶋さんだったり篠田さんもモデルっぽかったりとか。私、武器ない!って思った時に、あ!キャプテン空いてる!っていうのが一番大きかったです。この椅子に座れれば…っていうのがありました」


そんな高橋みなみさんは、9月26日に4年5ヶ月ぶりのニューシングル「孤独は傷つかない」をリリース。この曲は作詞を秋元康さん、作曲は織田哲郎さんが手掛けています。

「4年5ヶ月空いてしまいまして、2ndシングルどうしよう?ってなった時に、私、織田哲郎さんが大好きで、ぜひ作って頂けたらなぁ、なんて秋元さんに言ったら、俺知り合いだよ、なんて言ってくれて繋いでくださいましてこの楽曲が生まれました。ホントに大好きなロックな曲です」

来週も引き続き高橋みなみさんをお迎えします。お楽しみに!
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