久保田利伸さんがアメリカでの挑戦を語る(2018/03/24 放送)
先週に引き続き、今週も久保田利伸さんをお迎えしました。
静岡県出身の久保田さん。同世代の恵さんがフォークやニューミュージックを聴いていたという時代にソウルミュージックを追求するようになった理由は何だったんでしょうか?
「わからない…俺、この質問をずっと聞かれてるんだよ、30年間。特に静岡なんか大都会じゃないから、アメリカのブラックミュージック、ソウルミュージックがダイレクトにバンバン入ってくるってわけではないじゃない。俺たちが育ってた頃は。だから、ラジオから流れてくる音楽…アース・ウインド&ファイアの曲がヒットしたらたまにラジオから流れてくる、みたいな」
当時の久保田さんにとって、ソウルミュージックに関する唯一の情報源はラジオだったとか。ちょうどアース以外にもスティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンなどがヒットを飛ばし、ブラックミュージックがポップスとして受け入れられ始めた頃で、日本のラジオでも彼らの曲がかかるようになっていたようです。
「中学生になって初めてもらった自分だけの部屋の唯一の楽しみはラジオ。でも、それだけなんだよ。うちの親戚で誰かソウル好きがいるとかってわけじゃないし。唯一…うちの親父だ。親父が(ゴッドファーザー・オブ・ソウルこと)ジェイムス・ブラウンとおんなじ顔してるの。顔の話だけどね(笑)。未だに親父はジェイムス・ブラウンを知らないと思うよ」
そして、1986年に日本でデビューした久保田さん。90年代にはニューヨークに拠点を移し、全米でもデビューを果たします。
「日本だけにいるんじゃなくて、ニューヨークに行きてえと。しかも、ニューヨークに行って、自分が聴いてきた、自分に影響を与えてきた人たちと一緒にやりたいと。一緒のステージで、一緒の土壌でやってみたい、ってところまでいっちゃうんだよね」
そして、2000年代には、黒人のオーディエンスに向けてR&Bを歌うアメリカ・ツアーを実施しますが、これは久保田さんにとっても大きな挑戦だったようです。
「10年くらい前かな。アメリカのスタッフとか、歌うたいのプロの仲間とかもできていく中で、TOSHI、ちょっと一緒にツアーやろうぜって。この春のツアーは、アメリカのいろんな都市に行って、黒人しか住んでないところでやるからって。お前やりたいだろ?って」
歌の実力を認めてくれていることはわかっていたものの、さすがの久保田さんもこのツアーには勇気がいったとか。
「緊張するし、どういう空気になるんだろう?と思ったけどさ。しかも、アメリカのLAとかニューヨーク以外は、物凄く考え方が保守的なんだよね。なので、特にアジア人がR&B、ソウルミュージックを歌うって言ったら、受け入れにくい、っていうのはあるよね」
「そこに平気で飛び込んでいって、ソウルミュージック歌います!っていうことをやるわけだからさ。勇気は必要だったけど、これやんなきゃアメリカに来た意味ねえな、みたいな感じがしたんで、2,30都市ぐらいそんな街ばっかり行って…」。
そして、久保田さんは見事、黒人のオーディエンスに受け入れられたそうです。
静岡県出身の久保田さん。同世代の恵さんがフォークやニューミュージックを聴いていたという時代にソウルミュージックを追求するようになった理由は何だったんでしょうか?
「わからない…俺、この質問をずっと聞かれてるんだよ、30年間。特に静岡なんか大都会じゃないから、アメリカのブラックミュージック、ソウルミュージックがダイレクトにバンバン入ってくるってわけではないじゃない。俺たちが育ってた頃は。だから、ラジオから流れてくる音楽…アース・ウインド&ファイアの曲がヒットしたらたまにラジオから流れてくる、みたいな」
当時の久保田さんにとって、ソウルミュージックに関する唯一の情報源はラジオだったとか。ちょうどアース以外にもスティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンなどがヒットを飛ばし、ブラックミュージックがポップスとして受け入れられ始めた頃で、日本のラジオでも彼らの曲がかかるようになっていたようです。
「中学生になって初めてもらった自分だけの部屋の唯一の楽しみはラジオ。でも、それだけなんだよ。うちの親戚で誰かソウル好きがいるとかってわけじゃないし。唯一…うちの親父だ。親父が(ゴッドファーザー・オブ・ソウルこと)ジェイムス・ブラウンとおんなじ顔してるの。顔の話だけどね(笑)。未だに親父はジェイムス・ブラウンを知らないと思うよ」
そして、1986年に日本でデビューした久保田さん。90年代にはニューヨークに拠点を移し、全米でもデビューを果たします。
「日本だけにいるんじゃなくて、ニューヨークに行きてえと。しかも、ニューヨークに行って、自分が聴いてきた、自分に影響を与えてきた人たちと一緒にやりたいと。一緒のステージで、一緒の土壌でやってみたい、ってところまでいっちゃうんだよね」
そして、2000年代には、黒人のオーディエンスに向けてR&Bを歌うアメリカ・ツアーを実施しますが、これは久保田さんにとっても大きな挑戦だったようです。
「10年くらい前かな。アメリカのスタッフとか、歌うたいのプロの仲間とかもできていく中で、TOSHI、ちょっと一緒にツアーやろうぜって。この春のツアーは、アメリカのいろんな都市に行って、黒人しか住んでないところでやるからって。お前やりたいだろ?って」
歌の実力を認めてくれていることはわかっていたものの、さすがの久保田さんもこのツアーには勇気がいったとか。
「緊張するし、どういう空気になるんだろう?と思ったけどさ。しかも、アメリカのLAとかニューヨーク以外は、物凄く考え方が保守的なんだよね。なので、特にアジア人がR&B、ソウルミュージックを歌うって言ったら、受け入れにくい、っていうのはあるよね」
「そこに平気で飛び込んでいって、ソウルミュージック歌います!っていうことをやるわけだからさ。勇気は必要だったけど、これやんなきゃアメリカに来た意味ねえな、みたいな感じがしたんで、2,30都市ぐらいそんな街ばっかり行って…」。
そして、久保田さんは見事、黒人のオーディエンスに受け入れられたそうです。
「そこで結局、上手くやれたのね。上手く歌えた。それは自分で思うに、自分がどんだけソウルミュージックが好きで、どんだけソウルミュージックに感謝しているか、っていうことが伝わったんだと」
「どんだけ歌が上手く歌えたか、ってこと以上に、お客さんたちは『そうか、そんなに俺たちのことをよく知ってるんだ。そんなに俺たちの音楽を好きなんだ』って思ってるうちに、普通の音楽として聴き始めてくれるのね。だから、1曲目が終わる頃からどんどん空気が変わっていって、2曲目にみんな大騒ぎし始めてくれる」
「俺、答えはそこかなって思って。ソウルミュージックをどんだけリスペクトしてるか。どんだけ有り難いと思っているか。そこが単純に伝わったんじゃないかなって」。
3月28日にシングルとしては3年ぶりとなる「You Go Lady」をリリースする久保田さん。この曲について改めてこんなふうに語ってくれました。
「とりあえず無心で楽しんでくれればいいような曲で、俺の中では俺史上いちばんポップな曲。普通ポップな曲ってファンキーじゃないの。でも、この曲はポップ過ぎちゃってファンキーっていう感じが凄くする。男は楽しみ、女はムフフと笑いながら聴いて欲しいなっていう気がします」。
挑戦することは自分の性分なので、自分でちょっと抑えるぐらいがいいんじゃないか、という久保田さん。だから、挑戦自体は辛いことではなく、むしろ挑戦しないことの方が辛い、とおっしゃっていました。
「何に挑戦しようかな?って探すわけじゃないから、そこにあって魅力的なものにどうしても飛びついてしまうわけだから、それをガマンする方が辛いよ」。
「9個苦しいことがあったりとか、あんまり面白くないことがあっても、1個の成功とか、1個の山をふっと飛び越えるだけで、ぜんぶ苦しみを忘れられるじゃない?だから、いつもいつも挑戦じゃないことの方がいい気がするんだよね。挑戦ってやっぱり探すものじゃないような気もするし。何に挑戦したらいいかわからないうちは挑戦しなくてもいいような気がする」。
番組では、そんな久保田利伸さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージから「久保田利伸さんの色紙希望」と書いてご応募ください!