城彰二さんが20年前のFIFAワールドカップを振り返る!(2018/06/02 放送)
先週に引き続き、今週も元サッカー選手の城彰二さんをお迎えしました。
いよいよ6月14日に開幕する『2018 FIFA World Cup』。城さんは4年前のFIFAワールドカップの際、取材で訪れたブラジルでワールドカップの凄さを感じるこんな経験をしたそうです。
いよいよ6月14日に開幕する『2018 FIFA World Cup』。城さんは4年前のFIFAワールドカップの際、取材で訪れたブラジルでワールドカップの凄さを感じるこんな経験をしたそうです。
「たまたまレストランに入って。で、一人のブラジル人が僕のことに気づいたんですよ。あれ、城じゃないかと。その人がみんなに『あいつは98年のフランスワールドカップに出たんだ』って言ったら、50人ぐらいのお客さんが全員立って、スタンディングオベーションですよ。僕、それ見た時に凄いなと思って」
1993年に日本代表が土壇場でFIFAワールドカップ初出場を逃したいわゆる“ドーハの悲劇”。その時、高校生だったという城さんは、ワールドカップへの思いをこう話してくれました。
「高校生の時に見てて、まさかそこに自分が立つとは思ってもいなかったですし。ただ、(96年のアトランタ)オリンピックを経験して、ドーハで出れなかったのを次は絶対に行かなきゃいけない、っていう風潮もありましたから、そういったところでは、やっぱり自分がなんとかしたいな、っていう思いは凄く強かったですね」
ハリルホジッチ監督の電撃解任が大きな話題となった今回の日本代表。98年のフランス大会の前にも、アジア最終予選の途中で加茂周さんから岡田武史さんへ監督が交代しましたが、城さんはその時のことをこう振り返ってくれました。
「選手はやっぱり自分たちの責任だと。加茂さんの責任ではなくて、自分たちが結果を残せなかったっていう。自分たちがもっとやらなきゃな、っていうので、初めてチームが一つになったんですよ」「それで、なんとか加茂さんのためにも絶対に俺たちは獲らなきゃいけない、ってなったんです」
「岡田さんはコーチをやっていたので、やり方もわかってるし、選手をずっと見てきたので。ただ、岡田さんも最初は断ったらしいんですよ。いきなり監督やれって言われて、それは荷が重すぎて無理だ、って話をしたんですけど、結局、岡田さんも自分に責任を感じて、やっぱりここで決断してやるしかないと。もう自分しかいないんだ、っていうことで受けたらしいんですよね」
「いやぁ、でもビックリしましたね。ホントにそんなことが起きるのか!っていう。私たちにも(加茂さんが)解任されるミーティングの前まで全然わからなかったですから」
そんな98年の日本代表で本戦登録メンバーに残ることができた城さん。一方で、三浦知良さんや北澤豪さんが外れたことに日本中が驚きました。
「合宿の時に3名は外れるということが決まってたので、僕と“野人”岡野さん、あとは市川っていう若手が外れるだろうって僕たちも話してたんですよ。絶対にレギュラーじゃなかったので。それで『外れたメンバーは帰ってもいいし、帯同してもいいよ』って言われてたんです。だから『俺たちは帯同しようね。こんな経験ないよね』って話をしてたんですよ。それが、一転してエースだったカズさんと北澤さんが外れちゃったんで、僕たちがビックリです」
「逆に、僕もあの時21才、22才ですから、エースのものを受け止める器がまったくなくて。だから、ホントに重圧に潰されちゃったというか…。実は、試合前からずっと食事が食べられなくて、喉を通らなくて、3キロ、4キロ、どんどん痩せていくんですよ。そして、注射を打ったり点滴や栄養補給をしたり。いきなり夜中にばっと起きて嘔吐してみたりとか…」
FIFAワールドカップへの初出場が決まったアジア最終予選、インドネシア・ジョホールバルでのイラン戦で同点ゴールを決めた城さんですが、それでも本大会のメンバーに選ばれるとは思っていなかったとか。
「あれはたまたま僕が途中で入って同点ゴール、途中で岡野くんも代わってゴールでしたね。だから、僕たちの中では先発で出るとか、エースで戦うっていう気持ちはまったくなかったんです」「それが岡田さんが急遽、城をエースで行くと。僕は一切言われてないんですけども、メディアに発したということで、そっから苦悩の日々が続いて…」
そして迎えたFIFAワールドカップの本大会は、城さんにとって「今までに経験したことのない試合」だったそうです。
「あの当時もテレビや雑誌でしか見たことがない超一流選手…アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと戦うんですけども、彼らがホントに目の色を変えて真剣に戦ってくる姿って、ワールドカップで経験したのが初めてなんですよ。これは勝てないなと思いましたね」
「もっと彼らは力を抜いていろいろやってくるのかなと思ったんですけども、そうじゃなくて。彼らがホントの真剣勝負で来た時に、自分たちの力と闘争心が圧倒されてしまって。世界のトップ選手があんなに真剣に戦って、一生懸命やっているのに、自分たちはなんだったんだろう?と」
「だから、もっともっと自分たちもやらなきゃいけないっていう、そういう思いにさせられた大会でしたね。ホントにピッチに立たないとわからないことなんですよ、これ。だから僕は、3試合すべてに先発出場させてくれた岡田監督にホントに感謝しています」
そんなFIFAワールドカップを経験した城さんはその後、スペインリーグに挑戦します。
「スペインリーグは当時日本人が行ったことのない新しい環境で、しかも条件的には非常に悪かったんですよ。あの当時もらっていた給料の10分の1ぐらいで行かなきゃいけないと。それでも行かなきゃいけないと思いましたね。もう金じゃないと。とにかく、そこのリーグで経験を積める。スペインリーグだったんで、バルセロナ、あとはレアルマドリード、こういうチームとも対戦できるということでね」
「行ってみてやっぱり凄いなと思いました。だって練習から違うんですもん。もう練習から削り合いです。同じチームメイトが真剣勝負で。そっから違うんですよ。Jリーグの場合はやっぱり、怪我をさせてしまったらいけない、っていうのがありますし。でも、彼らはそういう考え方はないですね。じゃあ怪我をさせられそうになったらどう避けるか?とか。ここで勝ち抜いて初めて試合に出れるんだと。そういう厳しい環境でしたね」
そして、Jリーグ復帰を経て、31才の若さで引退を決断した城さん。その理由についてはこうおっしゃっていました。
「結局、自分の中の城彰二というサッカー選手の像が(現実と)かけ離れてしまったんですよね。細かいことを言うと、ジャンプしてヘディングするタイミングだとか。他の人にはたぶん飛んでるように見えますけども、自分の中で飛べてないな、とか。ちょっと10センチ下がってしまった、とか。足がボールに届くところがちょっと届かなくなったな、とか。ホントちょっとした誤差が納得いかなくなったんですね。だから、自分の理想としてるプレーができないんだったらもう辞める時期だなと思って、それで決断をしました」
Jリーグクラブの監督になれるS級ライセンスを取得している城さんですが、今後の挑戦について伺うと、日本サッカーの新たな時代を切り開いたパイオニアらしいこんな答えが返ってきました。
「監督も一度やりたいなと思ってますし、Jリーグのオファーも何度か頂いたりはしたんですけども、僕の目標はやっぱり、やったことのないことを切り崩したい、ということで、海外の監督をやりたいです」
間近に迫った『2018 FIFA World Cup』。日本がグループステージで対戦するコロンビアとポーランド、セネガルはいずれも「ホントに強いと思います」とのことですが、それでも城さんはこんな言葉で日本代表への期待を語ってくれました。
「まぁ、少ない期間ですけど、西野新監督になってみんなの力が合わさればね、なんかやってくれるんじゃないかな、っていう期待は持てますよね。もうホント祈るしかないですね。でも、選手はホントに100%、120%、日本のために、日の丸を背負って戦いますから。ぜひみなさんは応援して欲しいです!」
そして、城さんは最後にご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦とは結果ですね。挑戦しつつ結果が出ないと意味がないと僕は思ってるので。だから、日本のサッカー界を変えて、そしてホントに結果が出るような日本代表、日本のサッカーを盛り上げていきたいなと思います」「挑戦してるだけじゃダメです。挑戦して結果が伴わないと難しいです。結局、挑戦したくなくなりますから」
番組では、そんな城さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!この色紙を1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「城彰二さんの色紙希望」と書いてご応募ください。