ケミストリーが改めてデビュー当時を振り返る(2018/06/09 放送)
今週は、6月20日にニューシングル「Heaven Only Knows/13ヶ月」をリリースするCHEMISTRYの堂珍嘉邦さんと川畑要さんをお迎えしました。
テレビ番組『ASAYAN』で99年から開催された『男子ボーカリストオーディション』で選ばれてデビューしたケミストリー。川畑さんは東京、堂珍さんは広島出身で、オーディションの開始当初は19才だったお二人も今は39才になりました。
テレビ番組『ASAYAN』で99年から開催された『男子ボーカリストオーディション』で選ばれてデビューしたケミストリー。川畑さんは東京、堂珍さんは広島出身で、オーディションの開始当初は19才だったお二人も今は39才になりました。
「元々、大阪のオーディションなんです、僕ら。で、残った二人が結果、ケミストリーになったんですよ」と川畑さん。2万人から5人に絞られた中には、お二人のほか、現在は主にミュージカルなどで活躍する藤岡正明さん、EXILEのメンバーとしておなじみのATSUSHIさんとネスミスさんもいました。
川畑さん「いまだにこうやって音楽やれてるんで…」 堂珍さん「良かったよね。ドロップアウトしてる人がいないから」
お互いに対する最初の印象について、「受かった人だけに電話が来て、駅に行って誰がいるかわかるっていう時に話したんですよ。で、『いると思った』って言われて、『なんだこの人』と思って(笑)」というのは川畑さん。一方の堂珍さんは川畑さんのオーディション風景が印象に残っていたようで、「ヤンチャな感じのイメージでしたかね。ま、残りそうだなと思ってましたね」と話してくれました。
そして川畑さんは、残り4人になって堂珍さんとの組み合わせで仮デビュー曲を出した時に「なんかこれいけるな」という自信を感じたそうです。
そんなお二人が組んだケミストリーは、2001年の3月7日にシングル「PIECES OF A DREAM」でデビュー。「PIECES OF A DREAM」はミリオンセラーとなり、ファーストアルバム『The Way We Are』は300万枚を超えるセールスを記録します。
お二人はその時の心境についてこう話してくれました。
川畑さん「オーディション番組から出たので、言い方悪いですけど“一発屋”みたいな。1枚だけはテレビ見ててくれた人が応援として買ってくれても、2枚からは売れないとか、そうなったらどうしよう?そうはさせない、みたいな(笑)。2人とも気合は入っていたので、こうやって結果に繋がったってことは、やっぱり物凄く嬉しかったですけども、まだ実際に現実味がない部分がありました」
「300万枚って言われても100万枚って言われても数字しか見ることができないじゃないですか。枚数を目の前で見たわけじゃないですし。とにかく僕らは現場感というか、ライブにしてもまだ場数が少ない状態だったので」
堂珍さん「これが絵に描いたようなことかと。自分がお茶の間で、凄く人気がある人たちだったりとか、スターの方たちとかを見てて…で、自分たちもありがたいことにたくさんの人たちに歌を評価して頂いたり、楽曲を評価して頂いたりする中で、なんかちょっとこう“噛み締めた”というか。でも、そこにはもちろん落とし穴も絶対あると思いますし、いろんな人も寄ってくるでしょうし、なんか毎日が…お金とかっていうことじゃなくて…宝くじに当たったような感覚でした」
また、川畑さんはこんなこともおっしゃっていました。
「どこからがプロになったんだろう?っていう感覚は正直ありましたよね。デビューできたからって、その日からプロなのかって言われても、そうではないじゃないですか。そんなすぐには切り替えることはできなかったので、まだプロとかは考えずに、とにかく好きな歌をみんなに届けるために歌って歌って、そこで自分の歌声みたいなものも探して。で、俺ってこうなんだ!って自分で思えるものをずっと探してましたよね」
そんなケミストリーの初ライブは、なんと、日韓共催で行われた2002年のFIFAワールドカップでした。
堂珍さん「ライブ経験もないところで、いきなりスタジアムにぽーんと掘り出される感じっていうか…。どうやって盛り上げようとか、どうやってパフォーマンスしようとか、そういった中で、ライブを一生懸命、自分たちなりの距離感で、想いでやることしか もちろんできなかったですけど。ただ、スタジアムの観衆のみなさんはいろんな国の人がいて、暖かい拍手を頂いたりする中で、日韓の友情年っていうところでいうと、凄く役目も大きかったですし。あれは凄く素敵な思い出ですね。
そして、お二人はご自身にとっての“歌”についてこう話してくれました。