『あいのり』にも出演した画家ミヤザキケンスケさんの紆余曲折(2018/06/23 放送)
今週は、画家のミヤザキケンスケさんをお迎えしました。
ミザヤキさんは、絵画の中でも“壁画”を中心に活動中。壁画という表現については「いろんな紆余曲折があったんですけど、壁画というのは完全に自分の世界だけでもなく、現実世界とのちょうど狭間として表現場所だったので、そこがいちばん自分の表現したい場所だなということです」とおっしゃっていました。
ちなみに、「僕もすべてを見たわけではないですけども、独特の…なんていうんだろう、イラスト的でもあり、太陽があってロケットが飛んでて人がいて…とか、木の中にいろんなものがあったりとか。なんか“ミヤザキワールド”みたいな感じですよね」というのが、ミヤザキさんの壁画を見た恵さんの感動でした。
佐賀県出身で、今年で40才になるというミヤザキさん。お父様がサラリーマン、お母様が専業主婦という普通の家庭で育ち、画家を志して高校の芸術コースに進学したそうです。
「僕は4人兄弟の一番下でして、兄はスポーツができて、姉は勉強ができて、比べられたくない、っていうのもあってですね。まだみんながやってない世界で勝負したいっていうのもあって、そのとき僕が選んだのは絵だったんです」
「小学校の時は賞とかをいっぱいとってはいましたね。でも、のびのび描く絵は大好きだったんですけど、中学校になって、綺麗に描かなきゃいけないというか、上手に描かなきゃいけなくなって、ぜんぜん描けなくなって、美術で2とか取ってました(笑)。絵は好きだったんですけど、みんなに教えられてこの通りに描け、って言われるのはたぶんあんまり合ってなかったんですね」
例えば、小学校3年生の時には、ポスターコンクールで『知事賞』に輝いたとか。
「緑化月間推進ポスターみたいなやつで。これがべつに全然上手でもなかったんですけど、学校を1日休んで表彰を受けに行けたんですよ。進路を選ぶ時に『そう言えば昔、絵は好きで、賞とかもらってたな』みたいなので、凄く記憶に残ってたものですね」
そして、県内で唯一、芸術コースのある高校に入ったミヤザキさんですが、さらにその先に進むまでにはこんなこともあったそうです。
「高校時代に絵を描かなくて、あまり勉強もしなくて、じゃあ将来どうするの?っていうタイミングがあったんですけど、たまたま自分のいとこの家族が海外に住んでたんですね。それで、高校2年の時にベルギーにちょっと行かせて頂いて、そこでスケッチとかをした経験があったんです。2週間ぐらいだったんですけど、滞在してずっと絵を描いてたのが、自分の中は大きくてですね。本気で絵を勉強したいな、と思いました」
高校卒業後は筑波大学の芸術コースに入り、大学院まで進んだミヤザキさん。院生時代には、7人の男女がワゴン車で世界を回るテレビ番組『あいのり』にも出演しました。
「卒業してそのまま絵かきになれる人はホントに一握りで。僕は院まで行きましたから、このあと絵かきでやっていけるかっていうと、何か学生のうちにもっとできることがあるんじゃないか?っていうことで『あいのり』なんですけど。高校時代にベルギーに行ってたのもあって、やっぱり世界を見たいという気持ちが凄く強くて、いろんな国でいろんな経験をしたいなっていう時に『あ、こんな番組があるぞ』と。で、ハガキを書いてですね、出演したわけです」
ミヤザキさんによると、芸術系の大学生は、卒業後どうやって食べていくか、という話はあまりしないんだとか。
「これ、凄く不思議なんですけど、眼の前にある現実、あと、お金をどう得るかっていうことを考え出すと邪道…じゃないですけど、そういう空気があるんですよね。だから、そのために作ってんじゃねえぞっていうふうにやって、卒業した後にアルバイトしながら俺はこれでやる、って言うんですけど、やっぱり10年とやっていくとなかなかそこじゃ厳しくなってくるのが現実で…。どう稼いでいくか?と、どう作品作りをするか?っていうバランスがある程度必要な世界だなとは思います」
1年休学したこともあって、大学院終了時点で25才だったというミヤザキさん。周りが就職していくタイミングで、それを見たくないという気持ちもあって、ロンドンに行くことに。ちなみに、ミヤザキさんはパンクロックが大好きだそうで、今回の番組ではセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を選曲してくれました。
「2年間行くんですけど、これをやりたいというよりは、その時ちょうどアクションペインティング、ライブペイント、昔でいうグラフィティみたいな落書きをしたりとか、そういうストリートのムーブメントが好きだったんです。で、ロンドンはそういうのが盛んだったので、その中に入りたいっていうのはあったんですよね」
そして、アルバイトをしながらロンドンでストリートの現場に行って、言葉もわからない中で表現をしていたというミヤザキさんですが、やがてあることに気づいたそうです。
「僕もそういうのをカッコいいと思ってやってたんですけど、ストリートでやってる人たちって、想いがやっぱり全然違うんですよ。社会に対する怒りとか、そういうモチベーションで描かずにはいられないとか。そういうヤツらが、表現の武器はこれしかない!これで俺は自己証明していくんだ!っていう世界でやっているんです。でも、僕は日本の中で、裕福ではないですけど普通の家庭に育って、大学まで行って、大学院まで行って…で、ここに来ていると。全然違うんですよ」
「そこで、そんなに俺怒ってんのかな?と。そんなに怒れることあんのかな?ってことに気づいたんですよね。そこに質の違いというか、僕のやってることは真似事であって。ただのスタイルで。じゃあ、僕に何ができるんだろう?と思った時に、僕は“普通”で、怒りよりもみんなで楽しいことをしたいと。そういう気持ちの方が強いことに気づいて、それを自分の作品に入れていく方がいいんじゃないかなって思ったんです」
↓こちらは、ミヤザキさんがウクライナで子どもたちと描いた壁画
来週も引き続き、画家のミヤザキケンスケさんをお迎えします。お楽しみに!
ミザヤキさんは、絵画の中でも“壁画”を中心に活動中。壁画という表現については「いろんな紆余曲折があったんですけど、壁画というのは完全に自分の世界だけでもなく、現実世界とのちょうど狭間として表現場所だったので、そこがいちばん自分の表現したい場所だなということです」とおっしゃっていました。
ちなみに、「僕もすべてを見たわけではないですけども、独特の…なんていうんだろう、イラスト的でもあり、太陽があってロケットが飛んでて人がいて…とか、木の中にいろんなものがあったりとか。なんか“ミヤザキワールド”みたいな感じですよね」というのが、ミヤザキさんの壁画を見た恵さんの感動でした。
佐賀県出身で、今年で40才になるというミヤザキさん。お父様がサラリーマン、お母様が専業主婦という普通の家庭で育ち、画家を志して高校の芸術コースに進学したそうです。
「僕は4人兄弟の一番下でして、兄はスポーツができて、姉は勉強ができて、比べられたくない、っていうのもあってですね。まだみんながやってない世界で勝負したいっていうのもあって、そのとき僕が選んだのは絵だったんです」
「小学校の時は賞とかをいっぱいとってはいましたね。でも、のびのび描く絵は大好きだったんですけど、中学校になって、綺麗に描かなきゃいけないというか、上手に描かなきゃいけなくなって、ぜんぜん描けなくなって、美術で2とか取ってました(笑)。絵は好きだったんですけど、みんなに教えられてこの通りに描け、って言われるのはたぶんあんまり合ってなかったんですね」
例えば、小学校3年生の時には、ポスターコンクールで『知事賞』に輝いたとか。
「緑化月間推進ポスターみたいなやつで。これがべつに全然上手でもなかったんですけど、学校を1日休んで表彰を受けに行けたんですよ。進路を選ぶ時に『そう言えば昔、絵は好きで、賞とかもらってたな』みたいなので、凄く記憶に残ってたものですね」
そして、県内で唯一、芸術コースのある高校に入ったミヤザキさんですが、さらにその先に進むまでにはこんなこともあったそうです。
「高校時代に絵を描かなくて、あまり勉強もしなくて、じゃあ将来どうするの?っていうタイミングがあったんですけど、たまたま自分のいとこの家族が海外に住んでたんですね。それで、高校2年の時にベルギーにちょっと行かせて頂いて、そこでスケッチとかをした経験があったんです。2週間ぐらいだったんですけど、滞在してずっと絵を描いてたのが、自分の中は大きくてですね。本気で絵を勉強したいな、と思いました」
高校卒業後は筑波大学の芸術コースに入り、大学院まで進んだミヤザキさん。院生時代には、7人の男女がワゴン車で世界を回るテレビ番組『あいのり』にも出演しました。
「卒業してそのまま絵かきになれる人はホントに一握りで。僕は院まで行きましたから、このあと絵かきでやっていけるかっていうと、何か学生のうちにもっとできることがあるんじゃないか?っていうことで『あいのり』なんですけど。高校時代にベルギーに行ってたのもあって、やっぱり世界を見たいという気持ちが凄く強くて、いろんな国でいろんな経験をしたいなっていう時に『あ、こんな番組があるぞ』と。で、ハガキを書いてですね、出演したわけです」
ミヤザキさんによると、芸術系の大学生は、卒業後どうやって食べていくか、という話はあまりしないんだとか。
「これ、凄く不思議なんですけど、眼の前にある現実、あと、お金をどう得るかっていうことを考え出すと邪道…じゃないですけど、そういう空気があるんですよね。だから、そのために作ってんじゃねえぞっていうふうにやって、卒業した後にアルバイトしながら俺はこれでやる、って言うんですけど、やっぱり10年とやっていくとなかなかそこじゃ厳しくなってくるのが現実で…。どう稼いでいくか?と、どう作品作りをするか?っていうバランスがある程度必要な世界だなとは思います」
1年休学したこともあって、大学院終了時点で25才だったというミヤザキさん。周りが就職していくタイミングで、それを見たくないという気持ちもあって、ロンドンに行くことに。ちなみに、ミヤザキさんはパンクロックが大好きだそうで、今回の番組ではセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を選曲してくれました。
「2年間行くんですけど、これをやりたいというよりは、その時ちょうどアクションペインティング、ライブペイント、昔でいうグラフィティみたいな落書きをしたりとか、そういうストリートのムーブメントが好きだったんです。で、ロンドンはそういうのが盛んだったので、その中に入りたいっていうのはあったんですよね」
そして、アルバイトをしながらロンドンでストリートの現場に行って、言葉もわからない中で表現をしていたというミヤザキさんですが、やがてあることに気づいたそうです。
「僕もそういうのをカッコいいと思ってやってたんですけど、ストリートでやってる人たちって、想いがやっぱり全然違うんですよ。社会に対する怒りとか、そういうモチベーションで描かずにはいられないとか。そういうヤツらが、表現の武器はこれしかない!これで俺は自己証明していくんだ!っていう世界でやっているんです。でも、僕は日本の中で、裕福ではないですけど普通の家庭に育って、大学まで行って、大学院まで行って…で、ここに来ていると。全然違うんですよ」
「そこで、そんなに俺怒ってんのかな?と。そんなに怒れることあんのかな?ってことに気づいたんですよね。そこに質の違いというか、僕のやってることは真似事であって。ただのスタイルで。じゃあ、僕に何ができるんだろう?と思った時に、僕は“普通”で、怒りよりもみんなで楽しいことをしたいと。そういう気持ちの方が強いことに気づいて、それを自分の作品に入れていく方がいいんじゃないかなって思ったんです」
↓こちらは、ミヤザキさんがウクライナで子どもたちと描いた壁画
来週も引き続き、画家のミヤザキケンスケさんをお迎えします。お楽しみに!