画家のミヤザキケンスケさんが世界中で壁画を描くわけ(2018/06/30 放送)
先週に引き続き、今週も画家のミヤザキケンスケさんをお迎えしました。
大学院を卒業後、ストリートのアクションペインティング、ライブペイントに憧れて、イギリスのロンドンに渡ったミヤザキさん。2年間のロンドン滞在を終えた後は、アフリカのケニアを訪れて、スラム街で壁画を描いたそうです。
「ロンドンの2年間っていうのは自分のビザのリミットでもあって、帰る前に何かしたいっていう気持ちが強かったんですね。手ぶらで帰れないと思った時に、日本に帰ったら絶対できないことをしたいなと。で、自分の生活といちばん遠いところってどこだろう?と思ったら、たまたまテレビでアフリカのスラム街のことをやっていたんです」
「それまで旅行はいろいろと行ってたんです。でも、旅行って結局、行って外から見て帰ってくるだけなんですけど、そこに滞在して現地の人たちの生活に入りたかったんですよね。スラムとかの人たちと、旅行者ではなくて共に生活をしたいと。で、何か貢献しないと自分はいさせてもらえないから、壁画を描かせてください、で、その間ここに滞在させてくださいっていう形だったら、もしかしたらその生活に入れるんじゃないかなと思ったんです」
最初にケニアに行った時はどういう絵を描けばいいのかわからなかったというミヤザキさん。まずは巨大なドラゴンの絵を描いたそうですが、これが思わぬ反応を招いてしまったとか。
「日本だと『ドラゴンボール』とかがありますから子供の好きなものなんですけど、全然子どもたちが話しかけてこなくて、どうしてだろうな?と思ったら、ある日先生に呼ばれて、そのドラゴンが怖すぎて学校に来れなくて登校拒否してる子たちが出てきたと。で、お母さんが凄い怒ってる、みたいな」
「ドラゴンって空想のものじゃないですか。でも、アフリカではそういうのは知られてなくて、その代りにアナコンダみたいな本物のデッカイ蛇が家畜を丸呑みにしたりするらしいんですよ。だから、僕がそれを描いたと思って、物凄く嫌がられて。で、その絵を一回消したんですけど、考え方も違うし、まったく僕が思ってたものではないところだったので、ホントにいろんな気づきがありました」
そんなケニアでの体験はミヤザキさんにとって大きな転換期になったとか。
「1ヶ月いたんですけど、ドラゴンを3週間ぐらいかけて描いちゃったんですよ(笑)。それで、これじゃマズイと思って消したので、時間がまったくなくて、残りの1週間でライオンとかいろんなものを描いたんですけど、手が足りないので、いろんな人に手伝ってもらって描いたんですよね」
「で、みんなでなんとかギリギリ1週間で描いて、その時に描いたみんなが物凄く喜んでくれたんですよ。一緒に作ったっていう感じがあって。子供たちもそうですし、スラム街の大人たちも手伝ってくれたんですけど、それが僕としては今までに感じたことのない達成感というか。絵って孤独な作業で自分だけでやるものなんですけど、そこにみんなで喜べるものが作れたので」
その後帰国したミヤザキさんは、NHKの『熱中時間』という番組で、スタジオに置かれる壁画のように大きな絵を手がけることになりますが、それはこんな経緯だったそうです。
「その後に個展を開いたんですね。自分のロンドンでの2年間を全部詰めた。で、僕はそれで絵が売れるもんだと思ってたんですけど(笑)、まったく売れなくて、お金もなくなって、家もないし。で、途方に暮れてた時に、その個展に来てくれたテレビ関係の方がいらっしゃって、番組のセットをやらないかという話を頂きました」
ミヤザキさんは、ご自身の描きたい絵、描くべき絵は“Super Happy”だとおっしゃっていました。
「ロンドンの時に、“怒り”ではないと。描くなら“ハッピー”がいいなと思ったんですね。ただ、そのハッピーも中途半端なハッピーだったら意味ないんじゃないかなと思って。やっぱりハッピーを描くっていうと、なんか薄っぺらい、とかって思われちゃうところがあるので、やるならとことんやろうと思って。ネガティブな要素はもう一切入れないと。ホントに原色と元気が出る絵しか僕は描かないって決めて。僕の絵さえあればそこが華やかになるとか元気になるとか、そういう画家になろうと思ってます」
現在は1年に1カ国、世界中に壁画を残す『Over the wall』というプロジェクトを行っているミヤザキさん。そのきっかけは、東日本大震災の後、津波で被害を受けた岩手県大船渡の仮設店舗で営業しているお店から頼まれて、営業していることを気づいてもらうための看板を描いたことだったそうです。
「で、いろんな人たちが、これはなんだ、ということで集まられて、コミュニティというか人が集まるような場所になっていったんですね。絵って生活に必要じゃないものなんですけど、でもなんかできることがあるんじゃないかな、っていうところの一つのヒントといいますか。そこにあることで心が明るくなったり、前向きになったりっていうことが絵にはできるんじゃないかというふうに思ったんです」
「それから、日本以外でも、ここに明るい絵があったらいいじゃないかな、っていう場所に1つずつ残していこうということで、この『Over the wall』プロジェクトというものを始めました」
↓こちらは、ミヤザキさんが昨年、ウクライナで制作した壁画のポスター(画像をクリックで拡大)。
「ウクライナは数年前に内戦といいますか、ロシア側との戦争があってですね、その砲弾が打ち込まれたような壁にちょっと明るい絵を描こうということで。これは今までで一番大きな絵で、縦10メートル、横10メートルぐらいです」
「『てぶくろ』という絵本があるんですけど、実はそれがウクライナのお話で。いろんな動物がこの手袋に入って暖め合うっていうお話なんですけど、これはUNHCRっていう国連の難民を支援している団体と一緒にやったプロジェクトだったので、手袋の中にいろんな民族の人たちが一緒に入って暖め合うっていう絵にしたんです」
そして、今年は南米のエクアドルで壁画を描く予定だとか。
「女性の刑務所があるんですけど、刑務所の中に受刑者の子供を育てている保育施設がありまして、子供たちにはもちろん罪はないので、育っていく環境が壁の中だけだったらちょっとあれだなと思って、そこに明るい絵があったほうがいいんじゃないかということで、現地の法務省とやり取りをしながら絵を描かせていただこうと」
最後に、ご自身にとっての挑戦について「生活することのすべてだと思ってます」とミヤザキさん。「なんかこう上手く言えなかったんですけど、どうせ生きてるんだったらなんか挑戦してたいなって僕は思っていて、挑戦をしている時が生きてると思える瞬間なので、常に何かに挑戦してたいなと思います」と話してくれました。
番組では、そんなミヤザキケンスケさんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「ミヤザキケンスケさんの色紙希望」と書いてご応募ください!
大学院を卒業後、ストリートのアクションペインティング、ライブペイントに憧れて、イギリスのロンドンに渡ったミヤザキさん。2年間のロンドン滞在を終えた後は、アフリカのケニアを訪れて、スラム街で壁画を描いたそうです。
「ロンドンの2年間っていうのは自分のビザのリミットでもあって、帰る前に何かしたいっていう気持ちが強かったんですね。手ぶらで帰れないと思った時に、日本に帰ったら絶対できないことをしたいなと。で、自分の生活といちばん遠いところってどこだろう?と思ったら、たまたまテレビでアフリカのスラム街のことをやっていたんです」
「それまで旅行はいろいろと行ってたんです。でも、旅行って結局、行って外から見て帰ってくるだけなんですけど、そこに滞在して現地の人たちの生活に入りたかったんですよね。スラムとかの人たちと、旅行者ではなくて共に生活をしたいと。で、何か貢献しないと自分はいさせてもらえないから、壁画を描かせてください、で、その間ここに滞在させてくださいっていう形だったら、もしかしたらその生活に入れるんじゃないかなと思ったんです」
最初にケニアに行った時はどういう絵を描けばいいのかわからなかったというミヤザキさん。まずは巨大なドラゴンの絵を描いたそうですが、これが思わぬ反応を招いてしまったとか。
「日本だと『ドラゴンボール』とかがありますから子供の好きなものなんですけど、全然子どもたちが話しかけてこなくて、どうしてだろうな?と思ったら、ある日先生に呼ばれて、そのドラゴンが怖すぎて学校に来れなくて登校拒否してる子たちが出てきたと。で、お母さんが凄い怒ってる、みたいな」
「ドラゴンって空想のものじゃないですか。でも、アフリカではそういうのは知られてなくて、その代りにアナコンダみたいな本物のデッカイ蛇が家畜を丸呑みにしたりするらしいんですよ。だから、僕がそれを描いたと思って、物凄く嫌がられて。で、その絵を一回消したんですけど、考え方も違うし、まったく僕が思ってたものではないところだったので、ホントにいろんな気づきがありました」
そんなケニアでの体験はミヤザキさんにとって大きな転換期になったとか。
「1ヶ月いたんですけど、ドラゴンを3週間ぐらいかけて描いちゃったんですよ(笑)。それで、これじゃマズイと思って消したので、時間がまったくなくて、残りの1週間でライオンとかいろんなものを描いたんですけど、手が足りないので、いろんな人に手伝ってもらって描いたんですよね」
「で、みんなでなんとかギリギリ1週間で描いて、その時に描いたみんなが物凄く喜んでくれたんですよ。一緒に作ったっていう感じがあって。子供たちもそうですし、スラム街の大人たちも手伝ってくれたんですけど、それが僕としては今までに感じたことのない達成感というか。絵って孤独な作業で自分だけでやるものなんですけど、そこにみんなで喜べるものが作れたので」
その後帰国したミヤザキさんは、NHKの『熱中時間』という番組で、スタジオに置かれる壁画のように大きな絵を手がけることになりますが、それはこんな経緯だったそうです。
「その後に個展を開いたんですね。自分のロンドンでの2年間を全部詰めた。で、僕はそれで絵が売れるもんだと思ってたんですけど(笑)、まったく売れなくて、お金もなくなって、家もないし。で、途方に暮れてた時に、その個展に来てくれたテレビ関係の方がいらっしゃって、番組のセットをやらないかという話を頂きました」
ミヤザキさんは、ご自身の描きたい絵、描くべき絵は“Super Happy”だとおっしゃっていました。
「ロンドンの時に、“怒り”ではないと。描くなら“ハッピー”がいいなと思ったんですね。ただ、そのハッピーも中途半端なハッピーだったら意味ないんじゃないかなと思って。やっぱりハッピーを描くっていうと、なんか薄っぺらい、とかって思われちゃうところがあるので、やるならとことんやろうと思って。ネガティブな要素はもう一切入れないと。ホントに原色と元気が出る絵しか僕は描かないって決めて。僕の絵さえあればそこが華やかになるとか元気になるとか、そういう画家になろうと思ってます」
現在は1年に1カ国、世界中に壁画を残す『Over the wall』というプロジェクトを行っているミヤザキさん。そのきっかけは、東日本大震災の後、津波で被害を受けた岩手県大船渡の仮設店舗で営業しているお店から頼まれて、営業していることを気づいてもらうための看板を描いたことだったそうです。
「で、いろんな人たちが、これはなんだ、ということで集まられて、コミュニティというか人が集まるような場所になっていったんですね。絵って生活に必要じゃないものなんですけど、でもなんかできることがあるんじゃないかな、っていうところの一つのヒントといいますか。そこにあることで心が明るくなったり、前向きになったりっていうことが絵にはできるんじゃないかというふうに思ったんです」
「それから、日本以外でも、ここに明るい絵があったらいいじゃないかな、っていう場所に1つずつ残していこうということで、この『Over the wall』プロジェクトというものを始めました」
↓こちらは、ミヤザキさんが昨年、ウクライナで制作した壁画のポスター(画像をクリックで拡大)。
「ウクライナは数年前に内戦といいますか、ロシア側との戦争があってですね、その砲弾が打ち込まれたような壁にちょっと明るい絵を描こうということで。これは今までで一番大きな絵で、縦10メートル、横10メートルぐらいです」
「『てぶくろ』という絵本があるんですけど、実はそれがウクライナのお話で。いろんな動物がこの手袋に入って暖め合うっていうお話なんですけど、これはUNHCRっていう国連の難民を支援している団体と一緒にやったプロジェクトだったので、手袋の中にいろんな民族の人たちが一緒に入って暖め合うっていう絵にしたんです」
そして、今年は南米のエクアドルで壁画を描く予定だとか。
「女性の刑務所があるんですけど、刑務所の中に受刑者の子供を育てている保育施設がありまして、子供たちにはもちろん罪はないので、育っていく環境が壁の中だけだったらちょっとあれだなと思って、そこに明るい絵があったほうがいいんじゃないかということで、現地の法務省とやり取りをしながら絵を描かせていただこうと」
最後に、ご自身にとっての挑戦について「生活することのすべてだと思ってます」とミヤザキさん。「なんかこう上手く言えなかったんですけど、どうせ生きてるんだったらなんか挑戦してたいなって僕は思っていて、挑戦をしている時が生きてると思える瞬間なので、常に何かに挑戦してたいなと思います」と話してくれました。
番組では、そんなミヤザキケンスケさんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「ミヤザキケンスケさんの色紙希望」と書いてご応募ください!