パラダイス山元さんが桑田さんから受けた神の啓示とは?(2016/10/01 放送)
今週は、パラダイス山元さんをお迎えしました。
ミュージシャン、公認サンタクロース、餃子職人…と多彩な肩書きを持っているパラダイスさんは、1962年札幌生まれ。2浪の後に日本大学の芸術学部美術学科に入り、卒業後は自動車メーカーのスバルにデザイナーとして入社します。
サラリーマン時代について「例えば『レガシィ』っていう文字だったりとか、いろんないい仕事させてもらったんですよ。凄く地道にやらせてもらってたのはラッキーでしたよね」とパラダイスさん。しかし、仕事はかなり大変だったそうで、キリのない仕事に追われて残業も多い中、平行して音楽活動も行っていたそうです。
で、その音楽活動というのが、日大時代から続けていた東京パノラママンボボーイズというバンド。メンバーはみんな趣味としてバンドをやっていて、「レコードを出すなんて夢にも思わなかった」そうですが、ライブ活動を行っているうちにレコード会社から声がかかるようになったそう。
時代はちょうどバンドブーム。最初の頃は何百万円で2年といった契約条件だったので「サラリーマンをやりながらデビューも…」という気持ちだったそうですが、9社目に来たレコード会社から一桁違う契約を提示されて、5年間勤めた会社を辞めることを決断したんだとか。
そして、東京パノラママンボボーイズの一員としてデビューしたパラダイスさん。しかし、活動は順風満帆というわけではなかったようで、ライブをやるだけで何百万の赤字になったりもしたとか。また、パラダイスさんの気持ちの中にも少し葛藤があったようです。
「せっかく自分で一生懸命、アッ!とかウッ!とか言って作ったCDなんですけど、自分で作って売り物になったCDってあんまり聴きたくないんですよね。わたし的にはあれで満足なんですけど、おんなじことを演奏し続けるとかっていうことが少し苦痛にもなってきて…」
そんな折、桑田佳祐さんの番組でそう言ったパラダイスさんに対して、桑田さんは静かに「いや、パラダイスさん、僕が『勝手にシンドバッド』を今までに何回歌ってると思ってるの?それからそれをいっぱい生で聞きたいっていうお客さんもいるよね?」と話したんだとか。
「ちょっと神の啓示を受けた感じで…。同じことを何回も楽しそうに、で、実際ホントに楽しくやるのがプロで、一回やって飽きちゃったらダメじゃんってダメ出しをね、天下の桑田さんに(笑)。まだ契約があと1年近く残ってた時だったと思うんですけど」
「確かに言われてみれば、それだけの体力で同じく演奏するってことが苦痛だなんて言っちゃホントはいけなかったはずなんだけど。でも、本気で本音を漏らしちゃったんですね。自分がこれを天職として延々続けていこうっていう時に迷いとしては何かちょっと吹っ切れたものがありました」
結局、東京パノラママンボボーイズはレコード会社との契約期間2年を経て解散。パラダイスさんはミュージシャンの仕事を続け、CM音楽なども手掛けたそう。まだバブルを引きずっていた時代には「アッ!ウッ!」といったマンボの掛け声を入れるだけで高額のギャラをもらえる美味しい仕事もあったとか。「打ち合わせからスタジオ出るまで5分かからなくて。それで翌週からガンガン流れ始めたりするような…」
ミュージシャン、公認サンタクロース、餃子職人…と多彩な肩書きを持っているパラダイスさんは、1962年札幌生まれ。2浪の後に日本大学の芸術学部美術学科に入り、卒業後は自動車メーカーのスバルにデザイナーとして入社します。
サラリーマン時代について「例えば『レガシィ』っていう文字だったりとか、いろんないい仕事させてもらったんですよ。凄く地道にやらせてもらってたのはラッキーでしたよね」とパラダイスさん。しかし、仕事はかなり大変だったそうで、キリのない仕事に追われて残業も多い中、平行して音楽活動も行っていたそうです。
で、その音楽活動というのが、日大時代から続けていた東京パノラママンボボーイズというバンド。メンバーはみんな趣味としてバンドをやっていて、「レコードを出すなんて夢にも思わなかった」そうですが、ライブ活動を行っているうちにレコード会社から声がかかるようになったそう。
時代はちょうどバンドブーム。最初の頃は何百万円で2年といった契約条件だったので「サラリーマンをやりながらデビューも…」という気持ちだったそうですが、9社目に来たレコード会社から一桁違う契約を提示されて、5年間勤めた会社を辞めることを決断したんだとか。
そして、東京パノラママンボボーイズの一員としてデビューしたパラダイスさん。しかし、活動は順風満帆というわけではなかったようで、ライブをやるだけで何百万の赤字になったりもしたとか。また、パラダイスさんの気持ちの中にも少し葛藤があったようです。
「せっかく自分で一生懸命、アッ!とかウッ!とか言って作ったCDなんですけど、自分で作って売り物になったCDってあんまり聴きたくないんですよね。わたし的にはあれで満足なんですけど、おんなじことを演奏し続けるとかっていうことが少し苦痛にもなってきて…」
そんな折、桑田佳祐さんの番組でそう言ったパラダイスさんに対して、桑田さんは静かに「いや、パラダイスさん、僕が『勝手にシンドバッド』を今までに何回歌ってると思ってるの?それからそれをいっぱい生で聞きたいっていうお客さんもいるよね?」と話したんだとか。
「ちょっと神の啓示を受けた感じで…。同じことを何回も楽しそうに、で、実際ホントに楽しくやるのがプロで、一回やって飽きちゃったらダメじゃんってダメ出しをね、天下の桑田さんに(笑)。まだ契約があと1年近く残ってた時だったと思うんですけど」
「確かに言われてみれば、それだけの体力で同じく演奏するってことが苦痛だなんて言っちゃホントはいけなかったはずなんだけど。でも、本気で本音を漏らしちゃったんですね。自分がこれを天職として延々続けていこうっていう時に迷いとしては何かちょっと吹っ切れたものがありました」
結局、東京パノラママンボボーイズはレコード会社との契約期間2年を経て解散。パラダイスさんはミュージシャンの仕事を続け、CM音楽なども手掛けたそう。まだバブルを引きずっていた時代には「アッ!ウッ!」といったマンボの掛け声を入れるだけで高額のギャラをもらえる美味しい仕事もあったとか。「打ち合わせからスタジオ出るまで5分かからなくて。それで翌週からガンガン流れ始めたりするような…」