「岩崎恭子さんを超えたかった」3大会連続メダルの松田丈志さん語る(2016/11/12 放送)
今週は競泳のオリンピック・メダリスト、松田丈志さんをお迎えしました。
今夏のリオ・オリンピックに32才で出場した松田さんは、競泳の五輪選手としては過去最年長だったそう。2004年のアテネからリオまで4大会連続でオリンピックに出場してきましたが、今年9月に岩手で行われた国体を最後に引退。その後も忙しい日々を過ごしているそうですが、「明日キツい練習がないんだと思うと気が楽」なんだとか。
ここ数年は1日平均で13〜4キロ泳いでいたそうで、泳ぐということについてこんなこともおっしゃっていました。「僕らは泳ぐだけだったらそんなに疲れないです。追い込んだら当然疲れますけど」「小学生の時とかは学校に歩いていかなきゃいけないじゃないですか。あれ、泳いでいけたらいいのになぁって思ってましたからね。歩くのが辛くて」
松田さんは、北京とロンドン五輪の200mバタフライで銅、ロンドンでは400mメドレーリレーでも銀、そして今年のリオでは800mフリーリレーで銅と、3大会連続でメダルを獲得。今回は、スタジオにリオの銅メダルを持ってきてくれました。
今夏のリオ・オリンピックに32才で出場した松田さんは、競泳の五輪選手としては過去最年長だったそう。2004年のアテネからリオまで4大会連続でオリンピックに出場してきましたが、今年9月に岩手で行われた国体を最後に引退。その後も忙しい日々を過ごしているそうですが、「明日キツい練習がないんだと思うと気が楽」なんだとか。
ここ数年は1日平均で13〜4キロ泳いでいたそうで、泳ぐということについてこんなこともおっしゃっていました。「僕らは泳ぐだけだったらそんなに疲れないです。追い込んだら当然疲れますけど」「小学生の時とかは学校に歩いていかなきゃいけないじゃないですか。あれ、泳いでいけたらいいのになぁって思ってましたからね。歩くのが辛くて」
松田さんは、北京とロンドン五輪の200mバタフライで銅、ロンドンでは400mメドレーリレーでも銀、そして今年のリオでは800mフリーリレーで銅と、3大会連続でメダルを獲得。今回は、スタジオにリオの銅メダルを持ってきてくれました。
松田さんによると、オリンピックのメダルは大会ごとに違いがあるそうです。「僕は3大会のメダルを持ってますけど、今回が一番重たくて…。これ500グラムあるみたいで。なんかメダルの規定があって重さは500グラムまで、って決まってるみたいです。だから、これ以上大きくなることはないと思うんですけど」
「やっぱり一個一個プロセスが違うし、その時考えてたこととかも違うんで、やっぱり思い入れが一個一個あって。で、それを4つ体験できたっていうのは自分にとっても想い出ですよね」
しかし、そんな松田さんも初めてのオリンピックとなったアテネでは、同級生や先輩たちがメダルに湧く中、自分はメダルを獲ることができずに悔しい思いをしたそう。
「メダリストとメダリストじゃない選手の違いの付け方というか、それは本当に悔しかったんで、そっからはその悔しさがモチベーションになって北京でメダルを獲って。その時は映画の中に飛び込んでいったような感じですね。自分が夢の世界に入っていったような感じがしましたね」
そして、今年のリオでは、800mフリーリレーでアンカーを務めて銅メダル。日本にとって実に52年ぶりとなるこの種目でのメダルでしたが、松田さんは「可能性はある」と思っていたそう。「で、それは何%の確率かって事前に考えていた時に、ま、3割から5割だと大体思ってて。で、いかにその可能性を本番までに上げれるか、ってことを意識してやってましたね」
宮崎県出身の松田さんが水泳を始めたのは4才の時。お姉さんが通っていたスイミングクラブに見学に行くうちに自分でもやってみたくなったそうですが、プールよりも先に海や川で泳いでいたそうです。ちなみに、松田さんにはお兄さんもいるそうですが、「兄は行ったんですけど、1日で辞めたらしいです」とおっしゃっていました。
小学校1年生ぐらいから大会に出始め、2年生の時に九州大会、6年生になると全国大会に出ていたという松田さん。コーチの久世由美子さんとは28年間の水泳人生を共に歩んできたそう。
「(4才で)初めて行った日のことも覚えているんですけど、なんか怖そうなおばちゃんいるなと思ったらそれが久世コーチでしたね」「とにかく熱い指導をしてくれるコーチで、本当に一生懸命指導してくださるんで、子供心に、ああ自分も頑張らなきゃと思わせてくれるというか」
松田さんが初めてオリンピックを意識したのは、小学校2年生の時。バルセロナ・オリンピックで当時中学2年生だった岩崎恭子さんの金メダルを見た時だったそう。「自分がやってる水泳でこれだけ話題になって注目される世界があるんだな、っていうのをその時に初めて実感しましたね」
「オリンピックに出るぞ、よりも、僕は岩崎恭子さんを超えたかったんで。岩崎さんが中学校2年生で金を獲って話題になってたんで、それより上に行くには僕は次の小学校6年生で金を獲らないと勝てないというふうに思って。その次はもう高校生になっちゃうんで、それじゃあもう間に合わないって」