取材日記

TOKYO FMが誇る報道スポーツチームが総力を挙げて取材します。
ラジオならではのハートフルなスポーツ報道をお送りします。

男気溢れるアルペン界のエース!

日本人が冬季オリンピックで始めてメダルを獲得した競技,
ご存知ですか?

正解は「アルペンスキー」!
元IOC副会長の猪谷千春さんが
1956年のコルティナダンペッツォオリンピックの
男子回転競技で銀メダルを獲得したのは有名な話で、
映画にもなっていますよね。

今日は、アルペンスキーの湯浅直樹選手をピックアップします!

まず「アルペンスキー」とは、「山を滑り降りる速さを競う」競技。
コースには「旗門」と呼ばれる2本1組の旗、
またはポールが並べられていて、
その旗門を順番に通過しながら滑り降ります。
旗門を通過できなかった場合は失格となり、
滑降、回転、大回転など様々な種目によって、
旗門の数、旗門のインターバル、コースの長さ、標高差が
大きく変わってきます。

そんな中、佐々木明選手、皆川賢太郎選手の影に隠れ、
バンクーバーの切符を惜しくも逃したあの第3の男が、
この4年間で大きな成長を見せ、エースの座に君臨しました。
湯浅直樹選手です!

中学生の時には陸上部に所属。
走り高跳びで全国3位に入るなど、
ずば抜けた身体能力を持つ湯浅選手。

2003年にはイタリア「マテオ・バウムガルテン賞」を受賞。
この賞は、世界各国から推薦された「レースの成績」と
「学問」に秀でたアルペン選手の中から毎年1人が選ばれるもので、
この時、100人を超えるイタリアの貴族の前で、
イタリア語と英語でスピーチを行ったそうです。
文武両道!!

2006年のトリノオリンピックで日本人として50年ぶりの7位入賞、
また2011年にはドイツで行われた世界選手権の回転競技で
日本人としては53年ぶりに6位入賞を果たしました。
オリンピックと世界選手権の両方で入賞を果たした日本人は、
猪谷さんと湯浅選手の2人だけなんですよね!

そんな湯浅選手が競技生活の中で常に抱えているのが
「腰のヘルニア」。
今年の3月までは全く歩けなかった、
1人でお風呂にも入れなかった腰の状態から
現在はスキーが滑れて練習も出来ている、というのは
奇跡的だとご本人も話しています。
そしてその状況の中で、ここ3シーズンは「自己ベストを更新」
し続けてきているのです!
身上は「死んでも攻める!」という湯浅選手に
オリンピックに向けての意気込みを伺いました。

「僕はしつこいタイプで諦めの悪い人間。
分が悪くなればなるほど、非常に燃える。
絶対に今の状況を打破してやる!覆してやる!
という気持ちになる。
「死んでも攻める!」という気持ちは
ずっと変わらずに持ち続けている。
この1本で自分が朽ち果てても悔いはないと思えるくらい
最高の1本を搾り出して、それが金メダルに繋がれば良い。
アルペンの歴史の中で金メダルはとっていない、
それは僕にとって良いことだった。
きっとその席は僕のために空いている、
その席は必ず僕が埋めると信じてやっている。
ぽっかり空いている世界一という席に僕が必ず座りたい!」

なんとも強気な姿勢が湯浅選手っぽい!

そんな湯浅選手は、多くの選手が海外のスキーを使用する中で
「国産のスキーを使用した日本人が世界一になる!」
というこだわりを明確な目標に掲げています。
そして、昨シーズンはワールドカップで、自身初となる表彰台に上がり
「国産のスキーで日本人がワールドカップの表彰台に上がる」という
日本のアルペン史上初となる快挙を成し遂げました!

その「国産のこだわり」については、こんな風に話しています。

「15年前に「ハート」というスキーに出会って、
始めの頃は何だそのスキー、そんなの履いているから
成績でないんだ、と凄くたたかれたが、
それが自分の努力やスキーの開発者の努力で
どんどん覆っているというのを実感する。
国産のスキー、日本人が日本人のために作ったスキーを
履くというのは自分の中でも凄く大きなこと。
きっと日本人が外国産のスキーを履いて優勝するよりも、
日本人が日本人のために作ったスキーを履いて
世界で一番になった方が。どのシチュエーションよりもカッコよい。
その仕事が出来るのはきっとこの世で僕しかいない。」

腰のヘルニアと上手く付き合いながらも
自己ベストを更新し続けている湯浅選手、
ソチでは、MADE IN JAPANのスキーで
さらなる記録の更新を期待したいですよね!

■柴田幸子
  • 19:09