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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

スキージャンプの歴史


2018.2.21 (wed)

ウインタースポーツで競う平和の祭典、冬季オリンピック。スケートにスキー、スノーボード……どの競技も本当に面白いですが、「スキージャンプ」を楽しみに見た人も多いのではないでしょうか。

冬季オリンピックが行われるようになったのは1924年。フランスのシャモニーという都市が開催地でした。この時日本は関東大震災の被害が大きかったことから、不参加。2回目の冬季オリンピックからの参加となります。スキージャンプは第一回大会から「ノーマルヒル」があり、今と同じようにその飛距離を争うものでした。

ですがその飛び方は、少し違います。前傾姿勢になり板をV字にするスタイルは、最近のもの。当時は、直立のままジャンプし、空中で手をぐるぐると回して飛距離をのばしました。記録は20メートルから30メートルほど。「手を一度回すと、記録が1メートルのびる」と言われていたそうです。

その後、手をぐるぐるとまわすスタイルは廃れ、今度は上に大きくあげてバンザイしたまま飛ぶ選手や、前に突き出して飛ぶ選手など色々な飛び方が登場。どんどんと記録はのびていき、ついに100メートルを超すように。昔と今では、こんなにも飛距離が違うのですね。

ちなみに、女子選手がスキージャンプの競技会に参加できるようになったのは、ここ20年くらいの出来事。それまでは危険を伴うスポーツであることから主催者側が行わなかったのだそう。スポーツも、時代と共に大きく変わっていくんですね。

俳句大喜利!前句付け


2018.2.20 (tue)

五・七・五のリズムで言葉を紡ぐ、川柳。はるか昔、日本では貴族などが嗜むものでしたが江戸時代には庶民の趣味の一つとなりました。そんな江戸っ子の川柳の楽しみ方として「前句付け」というものがあります。

前句付けは、最初に「七・七」のお題を出され、それに「前句」である五・七・五をつける、というもの。例えば、出題者がこんなお題を出したとします。
「切りたくもあり切りたくもなし」
回答者はこれに合う前句を一生懸命考え、発表するのです。これにはこんな前句がつけられました。
「盗人を捕らえてみれば 我が子なり 切りたくもあり切りたくもなし」
なるほど、意味がぴったりです。

大喜利のような「前句付け」は江戸庶民の間で大流行。お題を出して作品を募集すると、あちこちから数百点もの作品が応募されたそうです。一見風流な趣味のように感じますが、そこは江戸っ子。あっという間に「俳諧賭博」へと変わっていきます。そう、前句付けを賭け事にして楽しみだしたのです。

出題に対し優秀な句をつけたものに賞金を出したり、どれがあたるのか予測し、賭けをしたり。最終的には身を持ち崩す人たちも出てくる始末。この現象には松尾芭蕉のような俳人たちも呆れ、嘆いていたようです。こうして「前句付け」での賭博はきんしされることになったのでした。

ギャンブルにしてしまったのはともかく、なんだか楽しそうな江戸の遊び「前句付け」。友達と集まった時にやってみるのも面白いかもしれませんね。

前掛けの役割


2018.2.19 (mon)

江戸時代、士農工商で人々は階級がはっきり分かれていました。そして、身分や年齢に合わせて、着物や髪型にもしきたりがあり、制服のような役割をしていました。

中でも、町人の女性は、丸髷という髪型に着物を着て、前掛けをするというのが一般的。前掛けは、常に身につけており、今でいうエプロンのような役割だけではなく、いくつか理由があったそうです。

庶民にとって、着物はとても高価なもの。だいたいは古着を手に入れて、身につけていました。そして、何着も持っているというわけではありませんでした。そんな着物を汚さないために、前掛けは必需品だったんでしょうね。

さらに、今よりもずっと力仕事をしていた江戸時代。腰で止める「帆前掛け」の一番の目的は、腰を守るため。骨盤の位置を安定させるためのコルセット代わりになっていたんですね。他にも、重いものを肩に背負う際に挟んだり、火傷や怪我から守るため、二重につけたりもしていたそう。

実際、今になって、整体師が構造を見てみると、綿100%で織る平たくて太い前掛け紐は、しっかり丈夫な出来で、腰をしっかり締めるために確かに役立つとのこと。腰骨のすぐ上で締めるとおへその下にある丹田が締まるので力仕事によく、産後の女性は、腰骨から3〜4センチ下でグッと締めると、下半身が安定するそう。

前掛けは、力仕事を頑張っている証拠!今日も一日、おつかれさまです。

江戸のパスポート


2018.2.15 (thu)

寒い季節、どこか温泉にでも行こう。今の時代、旅行は日常のご褒美的な存在。ですが、江戸時代、旅行は人生において苦労と危険を伴う一大イベントでした。

自分の藩から違う藩へと出かけるのは、今で例えると、海外旅行へ行くような感覚。その証拠に、江戸時代の旅行には、パスポートのような役割をもつ証明書を持って出かけるという習慣ができました。その名も「往来手形」。

自分がどこの藩の人間で、どこのお寺の檀家なのか、そして、どんな目的で旅行に出かけているのかなど、詳しく書いたメモのようなものを持って旅へと出かけていたのです。

この往来手形を持っていれば、もし、旅先で大きな怪我や病気をしたときに、無事にふるさとの藩へと送り届けてもらえるという保証がありました。

ここには、当時の藩の領主が皆、「領民を保護する」ことを大きな使命と考えていたというのが理由にありました。 年貢が基本的な収入だったこともあり、「領民が安全に旅を終え、無事に帰って来て、またしっかり働いてほしい」という想いがあったから。

そしてさらに、庶民たちにも、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」の考えが普及したことにより、困った人は見捨てないという精神が根付いていたため、この制度がしっかりと確立していたのだとか。

「困ったときはお互い様」の江戸っ子魂は、旅の不安も解消してくれたんですね。