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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

色によって運勢が変わる?!昔から伝わる“ニキビ占い”


2017.4.27 (thu)

春は1年の中でも気持ちの良い季節。心も身体もやる気に満ち溢れるものの、実は「お肌」にとってはなかなか手ごわい季節でもあります。そう、春は「木の芽時(このめどき)」。ニキビができやすいのです。

遠い昔から、人間はニキビに悩まされてきました。江戸時代の人々は顔にデキモノができると、密陀僧(みつだそう)と呼ばれる薬を塗って対処していたそう。密陀僧に使われているのは、なんと母乳。母乳には殺菌作用があり、虫刺されや湿疹、ニキビに効くと信じられていたようです。

あまりにも邪魔な顔のニキビ。もしかして出来る場所によって意味があるのではと考えられるようになります。そうして生まれたのが「ニキビ占い」。「思い思われ振り振られ」……私たちも良く知っていますよね。キラワレモノのニキビに、少しでも意味を見出したかったのかもしれません。顔相(がんそう)と呼ばれる顔で相を視る学問では、ニキビもエネルギーバランスの崩れの一つとして、占う対象となっています。

しかも、赤ニキビや白ニキビといった、ニキビの種類によっても占い結果は違うそうです。例えば鼻に出来た白ニキビは金運がアップする象徴。でも、これが赤ニキビだとお金のトラブルが起きることを表わしています。額の真ん中に出来た白ニキビは、交渉事が上手くいくサイン。赤ニキビになると、交渉事はまとまらない……と、比較的白ニキビの方が、結果が良さそうです。

ちなみに、右目の横に出来た白ニキビは、運命の人に巡り合えるとってもラッキーなニキビだとか。例えラッキーでも、ニキビのある顔で恋をするのはあんまり気が進みませんね!

“みなしの”“あかよろし”の意味は?日本のトランプ、花札


2017.4.26 (wed)

日本版トランプである「花札」。あの任天堂が最初は花札屋だったことも、有名な話ですよね。「花札」という呼び名は総称で、任天堂は「大統領」と呼ばれるカードを販売していました。

明治時代、花札は飛ぶように売れました。その理由は、賭博師たちは一度使った花札を二度と使わなかったから。一度運を分けた札を使うのは好まれなかったのでしょうか、ともかく勝負の度に新しいものを使うので、花札はとても良く売れたのだそうです。

花札は、江戸時代、幕府に禁止されていました。それでももちろんお上(かみ)の目を盗んで行うわけですが、秘密の賭博場に案内してもらう時の合図が「鼻をこする」というものでした。花札だけに、鼻をこする。さらに、花札の販売所には天狗が描かれた看板が出ていたそう。確かに天狗は鼻が高いですもんね。

賭博のイメージが強い花札ですが、良く見てみると日本の季節の移ろいが描かれた情緒あふれるものです。5月は菖蒲、6月は牡丹。12ヶ月が花や動物で表されており、見ているだけで風情を感じます。

ちなみに花札に文字が書いてあるのは「赤タン」に書いてある2種類のみですが、みなさんはご存知ですか? ひとつは桜に描かれた「みよしの」。これは桜が美しい吉野の里のこと。もうひとつは「あかよろし」。旧字で書かれているため、「あのよろし」と間違って読んでしまう人もいるようです。「あかよろし」は「あきらかに良い、素晴らしい」という意味。何かと縁起がいいのも、花札の良いところです。

ついつい夢中になる、日本の伝統ゲーム。家族で一勝負、いかがですか?

日本人が“いただきます”を言うようになったのはいつから?


2017.4.25 (tue)

「いただきます」「ごちそうさま」。食事の時の、大事な挨拶。ついつい忘れてしまう時もありますが大事にしたい習慣ですよね。語源は諸説ありますが、「ご馳走様」は、食事を作った人があちこちに走り回って用意したことから、それに対するお礼の言葉だとも言われています。

なんだか歴史が深そうなこの言葉ですが、実はこうした挨拶が定着したのは明治以降、庶民が言うようになったのは昭和に入ってからとも言われています。学校教育のひとつとして、皆で声を合わせてするようになった食事の挨拶。戦時中には、いただきます、の前にこんな言葉が添えられていました。

「箸とらば 天土(あめつち)御世(みよ)の恩恵み(おんめぐみ)父母や師匠の恩を味わえ。いただきます」

戦後改革により、事前の長い言葉が削られ、「いただきます」だけが残りました。キリスト教には食前の祈りというものがあり、それをモデルに作られたのではとも言われています。

では江戸時代の人などは、食事の前後に何も挨拶をしなかったのでしょうか。実はこうした「食前・食後の言葉」を言っている人物が江戸にもいました。国学者の本居宣長(もとおり のりなが)です。食前には、こんな歌を詠っています。

たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の 恵えてこそ

「五穀や草木の恵みは、太陽のおかげです」という感謝の歌。

そして、食後の歌はこうです。

朝よいに 物(もの)食うごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを 思え世の人 

「食事をするたびに、豊かな自然と神の恵みに感謝しよう」という歌です。どちらも日本人らしい素敵な歌ですね。

大人になると、ついつい忘れてしまいがちな食事の挨拶。でも、しっかりと感謝しながら食べる食事は、きっといつもより美味しいはずです。

汚れは、繁盛の印?日本が誇る独自のアイテム、暖簾


2017.4.24 (mon)

街に出れば当たり前のように見かける「暖簾」。これは日本特有のもので、世界の人々は暖簾をいかにも日本らしいと喜び、お土産に買っていく方も多いようです。そんな暖簾の歴史は古く、平安時代から存在すると言われています。

もともとは風よけや光よけのために付けられた暖簾ですが、段々とその意味合いが「広告」へと変化していきました。真ん中に屋号やロゴが入るようになったのは鎌倉時代以降。江戸時代になり庶民が字を読めるようになると、商人の家を中心に広く使われるようになりました。

暖簾には、いくつかの種類があります。人の背丈ほどある長いものが標準サイズで「長暖簾(ながのれん)」。その半分のサイズが「半暖簾(はんのれん)」です。今お店などで見かけるサイズはこの半暖簾が一番多いかもしれません。さらに短めで、他の暖簾のように出したり締まったりせずつけっぱなしになっているのが「水引き暖簾(みずひきのれん)」。色にも意味があったようで、例えば藍色は呉服屋、赤茶色は料亭、白はお菓子や食べ物屋さん、などと使い分けれられていたそうです。

暖簾はそのお店の顔であり、象徴。「暖簾分け」「暖簾を守る」……こうした比喩で使われることが多いことからも、とても重要な存在だったことが分かります。そんな中、江戸っ子はその店が繁盛しているかどうかを、暖簾で見分けていました。どんな部分だか、わかりますか?

それは、暖簾の「汚れ」。当時飲食店ではおしぼりなどは出ません。お寿司などを素手でいただいて、お茶で手を軽く流し、最後にパパッと暖簾で手を拭いて店を出る……これが江戸っ子式。つまり、たくさんの人が手を拭いて汚れている暖簾を持つお店が、名店だったのです。

日本が誇るアイテム、暖簾。知れば知るほど、奥が深いですね。