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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

愛猫を抱えて花魁道中!遊女と猫のちょっと悲しい物語


2017.8.17 (thu)

人間にとってとても身近な存在である猫。大きな瞳でじっと見つめるその姿に、思わずキュンとしてしまいますよね。猫に魅了されたのは昔の人も同じ。今日は、ある一人の女性と一匹の猫のお話です。

主人公は、薄雲(うすぐも)という名前の遊女。当時大変に人気のあった遊女で、とても格式の高い「太夫(たゆう)」の位まで登りつめた女性でした。薄雲は、大の猫好きで有名。可愛がっていた三毛猫にちりめんの首輪に金の鈴をつけ、猫用の布団を作っていたとか。花魁道中も、猫を抱えながら行うほど。その様子に客たちは「猫になりたや、三毛猫に」とぼやいたそうです。

ところがある日、薄雲が可愛がっていたその猫が化け猫と間違えられ殺されてしまいます。嘆き、悲しむ薄雲。吉原では大きなお葬式を行い、近くの土手にお墓を作りました。

それでも悲しみは癒えません。周りの人々はなんとか薄雲を元気づけようと、高級な香木を取り寄せ、そこに猫の姿を彫ってプレゼントしました。とても喜んだ薄雲は、その香木を何よりも大切にし、常に持ち歩くように。もちろん、花魁道中の時には抱えて歩くようになったのです。

そんな彼女の様子が吉原で感動を呼び、同じような猫の彫り物が多く出回るようになりました。いつの間にか猫の彫り物を置いておくと縁起がいい、お客が入ると言われるように。そう、招き猫のはじまりです。

少し悲しい遊女と猫のお話。遊女という職業の女性にとって、猫の存在は何よりも癒される大切なものだったのでしょうね。

原価は〇〇円、実は一番高価?!1円玉のエトセトラ


2017.8.16 (wed)

「一円玉を笑うものは、一円玉に泣く」そんな言葉を一度は使ったことがあるのではないでしょうか。普段は地味な存在である一円玉に、今日は焦点をあててみます。

現在の一円玉が初めて登場したのは、昭和30年のこと。その前年に、硬貨のデザインが一般公募されました。採用されたのは、裏表それぞれ別の人物。表に描かれた植物の絵は架空のもので、モデルは特にないのだそうです。

これ以前にも作られていた一円玉はあったのですが、素材が真鍮によるものでした。ですが物価の高騰により一円玉を作る材料の価格の方が上回ってしまい、溶かして売る人が出てしまうことを恐れ通用禁止に。現在のアルミニウムによる一円玉が登場することになります。

こうした現象、実は今も似たようなことが起こっています。一枚の一円玉を作るのに、2円や3円、あるいはそれ以上のコストがかかっているそう。他の硬貨や紙幣も含めればもちろん赤字ではないのですが、一円玉に関しては作れば作るほど赤字になってしまいます。また、5円玉のコストも7円ほどと若干オーバー。普段お金を使う時にはその貨幣価値のことしか考えませんが、素材や製造コストなどを考慮すると小銭が最も高価なのかもしれませんね。

ちなみに、世界の中で「水に浮く硬貨」はいくつあると思いますか?答えは、ひとつ。日本の一円玉だけなんだそうです。アルミニウムの持つ膜が水をはじくため、表面張力が起きやすいのだとか。色々なエピソードを知ると、なんだか今までより大切に扱いたくなりますね。

文化人の高尚な趣味「掃苔」!江戸の墓マイラーたち


2017.8.15 (tue)

夏のお盆がやってきました。お盆はご先祖さまを供養し、亡くなった人に想いを馳せる期間。このタイミングでお墓参りに行く方も多いのではないでしょうか。最近ではご先祖のお墓のみならず、色々な偉人のお墓参りをする「墓マイラー」と呼ばれる人たちもいるそうです。

実はこの墓マイラー、現代だけでなく江戸の昔から存在しました。最も有名な墓マイラーは、エレキテルで有名な平賀源内。天才であり奇人でも知られる源内の趣味、それは「掃苔(そうたい)」と呼ばれるお墓参りだったのです。

「掃苔」。苔(こけ)を掃除する、と書く名の通り、お墓に行って苔を取るなどの掃除をすることを言います。自分が感銘を受けた人物のお墓に行き、墓掃除をすること。源内に限らず、江戸の文人にとってこの行為は大変高尚な行為でした。今でいう「意識の高い」人たちが行うものだったので「掃苔趣味」という少し皮肉った言葉もあったそうです。源内は掃苔趣味を持つ文人たちとサークルのようなものを作り、先人たちの生前の偉業について語り合っていたとか。

近代の有名な墓マイラーは、作家の永井荷風。浅草ロック座の常連として有名でありストリップの世界に心酔していた荷風ですが、晩年は掃苔趣味に明け暮れていました。特に三ノ輪にある浄閑寺(じょうかんじ)に通っては、お墓をお掃除していたそう。浄閑寺はいわゆる投げ込み寺で、江戸の遊女たちが多く眠る場所。ロック座を愛した荷風らしい場所ですね。

お墓の前で、風に吹かれながら過去を生きた先人に想いを馳せる時間。それはもしかしたら、自分自身との対話なのかもしれません。

虫の声は日本人にしか聞こえない?小泉八雲と虫


2017.8.14 (mon)

皆さんは、小泉八雲という名前を聞いて何を思い出しますか?ろくろ首や雪女などの怪談話。最も有名なのは、耳なし芳一かもしれませんね。ギリシャに生まれ、イギリスやアメリカなどに移り住み、最終的に日本人となることを選んだ八雲。彼は日本で出会ったその独特の文化を愛しました。

彼が愛した日本文化の一つ。それが、虫の声です。現代でもそうですが、当時虫の声を聴いて楽しむということはとても珍しい行為でした。日本に来たばかりの八雲はとても驚き、そして感動したと言います。彼が最初にそんな光景を目にしたのは、夏の縁日。その時の様子をこんな風に書き残しています。

「日本を訪ねたら、ぜひ一度はお寺の祭り、縁日に行ってみることだ。光りかがやく屋台を覗き込むと、中には、小さな木の籠が並び、中からはえも言われぬ甲高い鳴き声が聞こえてくる。屋台でいっせいに響いている鳴き声は、虫の声なのだ。不思議な光景で、外国人ならほとんどが誘い込まれてしまう」

これは八雲が書いた随筆「虫の音楽家」の冒頭部分。日本の虫を愛でる文化に感銘を受け、日本人と虫の歴史について研究を始めたのです。すると江戸時代よりずっと前から、虫は日本人にとってとても近い存在であり彼らが出す音を「虫の声」と呼んでいることが分かりました。

「音」ではなく「声」。「出す」ではなく「奏でる」。海外では敵でしかない虫をそんな風に生活に取りいれる日本人に、強く惹かれた八雲。「虫の音楽家」ではこんな一節を残しています。「われわれ西洋人はほんの一匹の蟋蟀(コオロギ)の鳴き声を聞いただけで、心の中にありったけの優しく繊細な空想をあふれさせることができる日本の人々に、何かを学ばねばならないのだ」

蝉の声に夏のはかなさを感じ、コオロギの声で秋の訪れを知る。一期一会の感情も、虫たちが教えてくれているのかもしれません。