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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

秋の風物詩!雑司が谷の伝統的おもちゃ・すすきみみずく


2017.10.17 (tue)

秋らしい風景、といえば何を思い出すでしょうか。モミジなどの紅葉。コスモスの花。そしてススキ野原。華やかさはありませんが、ススキが風にそよぐ姿は趣がありますよね。

秋の七草のひとつであるススキ。江戸時代には、あちこちで見ることができました。中でも広尾は広大なススキ野原で、あたり一面に広がっていたそうです。今ではオシャレで高級な住宅地ですが、当時は「広尾原」と呼ばれるススキの群生地。家族が草摘みを楽しむ場所として「江戸名所図解会」にも描かれています。

もうひとつ、東京にススキに縁の深い場所があります。それは、雑司が谷。雑司が谷には昔から伝わる「すすきみみずく」という郷土玩具があるのをご存知ですか?ススキの穂で作られた、可愛いミミズクの人形。このおもちゃには、こんな言い伝えが残されています。

江戸時代、おくめという名前の一人の少女がいました。父親を亡くし、母親と貧しい暮らしをしていたのですが、その母親も病気にかかってしまいます。薬も買えないおくめは鬼子母神に毎日毎日お参りをし、祈りました。するとお祈りをはじめて100日目、おくめの夢に蝶が現れこう言います。「ススキでミミズクを作り、参道で売ると良い」言われるままにするおくめ。すすきみみずくは飛ぶように売れ、そのお金で買った薬で母親はすっかり元気になったのだそうです。

この言い伝えがきっかけで、雑司が谷の鬼子母神堂では「すすきみみずく」が有名になりました。参道のお土産屋さんや縁日で売られ、今でも地元のキャラクターとして愛されています。伝統のおもちゃを伝えていくため、雑司が谷ではすすきみみずくの作り方を教える講習もあるのだとか。秋のすすきの楽しみ方も、色々あるんですね。

ジェネレーションギャップを乗り越える?山本五十六から学ぶ上司論!


2017.10.16 (mon)

社会で働いていればやらなければならない「部下や後輩の育成」。有能な人になってもらいたい反面、嫌われたくはない……ジェネレーションギャップもあり、頭を悩ませる人も多いのではないでしょうか。

上に立つ人間や教育に活かす名言として有名なのが山本五十六の言葉です。太平洋戦争の連合艦隊司令長官であった五十六の言葉は、彼の人生の詳細を知らない人でも聞いたことがあるはず。例えば、最も有名なのはこんなもの。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たずやっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

シンプルでありながら教育の本質をついたこの言葉。最初の一文だけは知っている、という人も多いのではないでしょうか。実はこの言葉、上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」という名言を五十六がアレンジしたもの。五十六自身も、先人の教えに励まされていたのですね。

ジェネレーションギャップに苦しむ上司の方々に、もう一つ五十六が残した大事な言葉をご紹介します。こんな名言です。

「実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。われわれ実年者が若かったときに同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。実年者は、若者が何をできるか、その可能性を発見してやってくれ。」

五十六の言葉に若者を責めるものはなく、年長者である自分たちがやり方を変えていこうというもの。やはり良い上司になるには、良い人間になることが必要なのですね。

大森貝塚を発見した明治のアメリカ人、エドワード・モースが見た日本


2017.10.12 (thu)

大森駅から徒歩5分ほどの場所にある「大森貝塚」。教科書などで一度は学んだことがあるのではないでしょうか。現在は「品川区立大森貝塚遺跡庭園」として国の史跡となっているこの場所。発見者はアメリカ人の学者、エドワード・モースです。

モースは明治10年に、日本にやってきました。そしてその2日後、大森貝塚を発見。「汽車の中から見て、すぐに貝塚だとわかった」のだそうです。文明開化直後、まだ江戸の名残があちこちに残る東京の街に、モースは大変な感銘を受けました。

「日本の人々は、私たちアメリカ人とやることがまるで逆である。」とモースは言います。「カンナは、押さずに引いて削る。船の帆柱は後ろ側にあり、船乗りは横から艪をこぐ。そして、馬を厩(うまや)に入れる時はお尻から入れるのだ」全てが母国と違う、まだ手つかずの日本に対し、驚きながらも「実に気持ちが良い」という感想を残しています。

そんなモースが驚いた出来事の一つ。それが、蒸気機関車に対する日本人の反応です。煙を吐きながら一生懸命に走る機関車に対し、日本人は「かわいそうに、さぞ熱かろう」といって、土手の上から水をかけてあげていたのです。蒸気機関車が最初に日本で走ったのは明治5年。もうすでに5年以上も走っているのに、それでもこんな行動をする日本人にモースは好感を持ったのでした。

机の上に置かれても、そのまま残っている小銭。子供がいたずらして破った障子の穴に、桜の形に切った紙を貼る美的センス。モースが残した記録には、現代の私たちがもう一度思い出したいおおらかな日本の心が描かれています。

和菓子?洋菓子?まさかのわさび醤油!江戸風カステラレシピ


2017.10.11 (wed)

コンビニやスーパーなどで簡単に手に入るお菓子、カステラ。現代の私たちにとってもなじみ深いものですが、ご存知のように歴史の古い食べ物でもあります。カステラが日本に入ってきたのは戦国時代。江戸時代には、すでに「かすていら」という名前で呼ばれていました。

もともとは洋菓子でありながら、長い間日本で愛されてきたため和菓子との融合も多く存在します。例えば人形焼やどら焼きのような、あんこと組み合わせたもの。大正時代に作られたカステラとあんこのサンドイッチ、シベリア。最初はサクサクした食感だったのが、しっとり好きの日本人に合わせて変化していきます。カステラは、もはや日本独自のお菓子なのです。

そんな中、最近ちょっと話題になっているのが「江戸時代のカステラレシピ」。長い間庶民のおやつであったカステラですが、スイーツではなく、「おかず」として食べられていた時代があったというのです。例えば、小さく切ったカステラに、わさび醤油をつけて食べる、まるで出し巻き卵のように、大根おろしを乗せて食べる、といったもの。さらにお吸い物の中に入れるなどのレシピもあったそう。かなり意外な食べ方です。

カステラは卵や小麦粉など、栄養価の高い材料で作られています。そのため結核が流行していた時代には栄養を摂るための大事な食べ物だったそう。消化も良く日持ちもするので、当時にとっては大変貴重。

おやつに、そしてごはんのおかずに。日本人にとってなくてはならない食べ物です。