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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

すす払いに松迎え…年末年始の準備をスタートする『事始め』


2017.12.12 (tue)

いよいよ年末。イルミネーションで華やかな一方、なんだか気が急く季節でもありますね。今日、12月13日は「正月事始め」。お正月の準備を始めましょう、という日です。

お正月にやってくる「歳神様」を迎えるため、年末の間に準備をしておくのが日本式。その準備をスタートするのが今日なのですが、いったいどんなことをすればいいのでしょうか。大きくわけて3つあります。

一つは「すす払い」。そう、大掃除です。現代では年末ギリギリに大掃除をする人も多いですが、江戸時代は江戸城がこの日にすす払いをすることから庶民もそれに倣っていました。現在でもお寺や神社ではすす払いの儀式が行われています。

もう一つは「松迎え」。すす払いが終わると、今度はお正月に飾る「松」の準備です。昔は門松の松は、一家の主や長男が山へ行って切ってきました。それを行うのが事始めの日。今はさすがに山に取りに行くことはありませんが、お店などに買いに行く日としては今日がベストです。

そして最後。「お歳暮」です。もともとお歳暮は、「お正月にご先祖さまにお供えしてください」という意味を込めた贈り物でした。いつの間にか日ごろお世話になっている人へのお礼の意味となりましたが、やはりお歳暮を贈るタイミングも、12月13日の事始めから、という場合が多いようです。

ついついバタバタしてしまう年末。はやめに準備をして、ゆったりとした気持ちで新年を迎えたいものですね。

大正時代の流行語大賞?天才学者が発言した『惚れ菌』とは


2017.12.11 (mon)

時代を映し出す「流行語」。時間が経って定着するものから、一時的に流行って廃れてしまうものまで様々。今日は、大正時代に流行し消えてしまった言葉についてご紹介します。

その言葉とは「惚れ菌」。惚れた腫れたの「惚れ」にばい菌の「菌」です。意味はそのまま、「相手を惚れさせる菌」。大正時代、あることをきっかけにこの言葉が流行しました。

発言したのは博物学者の南方熊楠。南方は天才学者として知られていて、奇人としても有名でした。昭和天皇に献上する粘菌の標本を、なんとキャラメルの箱に入れお渡ししたというエピソードを持つツワモノです。元から奇人だと言われていたため、お咎めはなかったそうですが常に周囲をハラハラさせる人物だったよう。

そんな南方がある日資金集めのために銀座で講演会を行います。その時のテーマが「女性が惚れる菌」。モテモテになるような惚れ菌についての講演をすると、「惚れ菌を作れるならいくらでも出す」という男性が続出したのだそう。そして、その男性の多くが代議士でした。

このことがきっかけになり「惚れ菌」という言葉が流行します。言葉そのものの意味以外にも、「女好きの代議士」という意味で使われていたよう。ですが天才学者だった南方熊楠でも、「惚れ菌」の開発は成功しませんでした。

時間が経ってから聞いてみるとなんだか滑稽な流行語。でもその当時は誰もが大真面目だったようですね。

頬にあてるのは『あなたが好き』…明治のハンカチ会話法


2017.12.7 (thu)

どの時代でも、そこに生きる人たちの悩みというものはあります。明治時代や大正時代には、新聞で「悩み相談」の欄もあり中には笑ってしまうものや思わず共感してしまうものも。今日はその中の一つをご紹介しましょう。

新聞に紹介された明治時代の人の悩み。それは「ハンカチで好きな人と会話する方法」です。一体なんのこと?と思いますが、当時は恋人同士がその思いをすべて口にすることははばかられる時代でした。ハンカチを使って、秘密のサインのやりとり。どうすれば相手に伝わるか、本気で悩んでいたのです。

その悩みに対する回答は、こんなアイデア。ハンカチを唇に当てひっぱるのは「あなたとお近づきになりたい」というサイン。ハンカチをたたむのは「話したいことがある」。落としてみせるのは「交際しませんか?」。両手でぐるぐるとまわすのは「それで構わない」。ハンカチをつかったアクションに、こんな意味を含ませ会話をするのはどうかと回答者は提案しています。

他にもサインは続きます。頬にあてるのは「あなたが好き」手に当てるのは「好きじゃない」。右の頬にあてるのは「はい」、左の頬は「いいえ」。そして肩にハンカチを引っかけて去るのは「あとからおいで」のサインです。スマホもパソコンもない時代。思い合う二人が人前で気持ちを伝え合うには、こうしたロマンチックな会話法が必要だったのかもしれませんね。

年配者があきれる?江戸時代のイマドキ女子たち


2017.12.6 (wed)

江戸時代は男性社会。特に武家では当然のように男性の力が強く、「女性には三従の教えが説かれた」と言われています。

三従の教えとは、幼いころはにしては父兄に従い、嫁いだあとは夫に従い、夫が亡くなったあとは子に従う、といもの。でも、実際江戸の女性がこんな風に生きていたかというと、そんなことはありません。

「女大学」という江戸の有名な女性の教訓書があります。三従の教えを基本とした、理想とする良妻賢母になるための本。当時の若い女性たちはこの女大学を知りながらも、「こんなことできるわけないじゃん!」と笑い飛ばしていたフシがあるようです。

例えば「世間娘気質」という享保2年に書かれた本。この本は様々な江戸の「娘たち」に焦点をあて、そのリアルな生き方を描いたものです。例えば、若く美しく、お金持ちの嫁をもらった男の話。周りがやっかむほどの女性でしたが、夜は乳母のそばにいないと眠れず、まるで赤ちゃんのよう。たくさんのお金を持ってきたのだから、我慢してくれと言われてしまうのです。「三従の教え」を守っているとは言い難いですね。この本の冒頭は「昔は律儀千万なるを人の娘気質と申し侍りき」という一文。「昔の女性は律儀だったのに」という若い女性への不満からスタートする「イマドキの女の子」を切り取った本だったようです。

また、滑稽本「浮世風呂」では「亭主にするなら色男より稼ぎ男がいい」と笑いながら話す女性たちや男風呂から聴こえてくる歌に張りあって大声で歌う女性の姿が描かれています。押しつけられるイメージをはねつけ、堂々と生きる江戸の女性。現代とそこまで変わらない様子が見てとれますね。