NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest吉川美代子さん

吉川美代子さん

【2017年6月ご出演】

1954年生まれ、神奈川県出身。学生時代のある体験からアナウンサーを志望。
300倍という難関を突破して、TBSにアナウンサーとして入社。
様々な番組を手がけ、当時、女性として珍しい報道の分野で活躍。ニュース番組の
メインキャスターなどを務め、2014年に定年退職。その間、アナウンススクールの指導者等も務め、
この6月からは大学で教鞭をとるなど、その優れた実績を生かし、後輩の指導にあたっている。

吉川美代子 人を育てる

2017/06/24
今週も、フリーアナウンサー・キャスターの吉川美代子さんをお迎えして
お送りしました。

幼い頃からアナウンサーになることが夢だったという吉川さん。
大学卒業後の1977年にTBSに入社された吉川さんは、以降、多くの報道番組や
情報番組を手がけるなど女性アナウンサーとして幅広く第一線で活躍。
会社員としても局長、管理職の職務も勤め上げ、
長く後輩の育成に努め、2014年、勤務年数37年でTBSを定年退職されています。

そんな吉川さん、TBS在勤中にはアナウンス・スクールの校長も務め
最近では大学の客員教授にも就任されるなど、その優れた実績を生かし
引き続き後進の指導・育成にも力を入れていらっしゃいます。

現役時代、番組を通して多くの一流の方、一線で活躍されていた方への
インタビューを担当して来た吉川さん。その方々のお話を聞くにつれて
人としての魅力の大切さを学んだそうです。
時に笑顔だったり、時に短い言葉だったり、、。その方々の魅力を通して学ぶことから
吉川さん自身も成長をすることが出来ました。

先輩の言葉だったり、それが時に厳しいものでも、きちんと受け止めれば
しっかり自分の成長や勉強に繋がります。学ぶことの大切さを知ること、少しずつでも
階段を登るように、自分を高めて行く真摯な態度。年齢や役職、役割が違っても
そんな姿勢を姿勢を大切にして、常に勉強すること、吉川さんのお話と生きる姿勢に
私自身も多くのことを学ばせていただいた、4週間でした。
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吉川美代子 アナウンサー会社員

2017/06/17
今週も、フリーアナウンサー・キャスターの吉川美代子さんを
お迎えしてお送りしました。

1954年生まれ、神奈川県出身。幼い頃からアナウンサーになることが夢だった
という吉川さんは、早稲田大学教育学部を卒業後、1977年、TBSに入社。
以降、多くの報道番組や情報番組を手がけるなど女性アナウンサーとして
幅広く第一線で活躍されまた在勤中にはアナウンス・スクールの校長も歴任。
最近では大学の客員教授にも就任されるなど、その優れた実績を生かし
後進の指導・育成にも力を入れていらっしゃいます。

そんな吉川さんがTBSを退社されたのは、2014年。勤務年数37年。定年退職。
そうです。吉川さんはアナウンサーであり会社員でもあったわけです。

今朝は、その”アナウンサーという会社員”としてのお仕事や思いについての
お話をうかがいました。


アナウンサーの仕事は、イベントや記者会見の司会、泊まり勤務もあり、実は
吉川さんも定年直前まで泊まり勤務をされてたそうです。
管理職としては、泊まりのシフト作りや報道の方針と伝達、班員の番組を見ての
注意を行うことも多く、自分のことだけではなく部下の事を受け止め、
もし、誰かアナウンサーが持ち番組が少なくて悩んでいても、
誰かが応援していることを伝える等、心の状態をきちんと思いやって、
悩みを聞くなどの心配りを大事にされてたそうです。

そして、何よりも貴重な体験だったのは、様々な一流の方に出会えたこと。
どの分野でも一流の人は努力を表に出さず、嘘偽りのない一言に重みがあり
心に入ってくる言葉、心を持っている。そんな体験から、何事も最終的には、
人間力だと思うようになったそうです。

ちなみに、フリーアナウンサーへの転身については、ニュースのメインキャスターを
やっていたのでフリーになることに全く興味がなかったそうです。
若い頃は自分しか見てなかったがものの、管理職になると班や部下、社員など
組織を見、育てるという経験は自分の人生でとてもプラスになったので
今は、やめなくてよかったと思われていろそうです。

何事もキャリアを全うするということは素晴らしいことですね。
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吉川美代子 ニューキャスター志望

2017/06/10
今週も元TBSアナウンサーの吉川美代子さんをお迎えしてお届けしました。

さあ、300倍の難関を突破してアナウンサーになった吉川美代子さんですが、
当時は女性局員が極端に少なかった報道部を志望されます。
自分が書いたニュース原稿を女性アナウンサーに読ませたくない!などの
差別や意見があった時代。自分がこの世界で失敗すると、後に続く女性の
働く道が閉ざされるという責任感で、必死で仕事に向き合われたそうです。

そのかいあって、ついにニュース番組のキャスターに抜擢されますが、
そこでも女性への偏見や差別は大きく、1回1回の放送にまさに、命がけで
臨まれていたそうです。

今ではニュース番組の女性キャスターは決して珍しくはありませんが、
まさに吉川さんたち先人のお陰と改めて強く感じました。

私も心してニュースや報道に向かわないと、、と新鮮な気持ちにさせてくれた
吉川さんのエピソードでした。
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吉川美代子 アナウンサーへの憧れ

2017/06/03
吉川さんは1954年生まれ、神奈川県出身。
幼い頃からアナウンサーになることが夢だったという吉川さんは、
早稲田大学教育学部を卒業後、1977年、TBSにアナウンサーとして入社。
実は、この年はTBSが9年ぶりに女性アナウンサーを採用するということで
なんと300倍の倍率を突破しての採用となりました。

以降、多くの報道番組や情報番組を手がけるなど女性アナウンサーとして幅広く第一線で
活躍。在勤中にはアナウンス・スクールの校長も務め後進の育成・指導にも当たって
こられています。そして、2014年に定年退職され、現在はキャスター、フリーアナウンサー、
コメンテーターとして活躍されるほか、大学で教鞭も取られるなど、
精力的に活動されていらっしゃいます。

今朝は、そんな吉川さんの生い立ち、アナウンサーに憧れたきっかけなどを中心にお話を
うかがいました。その吉川さんのアナウンサーへの憧れのきっかけを作ったのがラジオ。
幼い頃からラジオから流れるアナウンサーの声やおしゃべりに憧れ、放送部にも所属。
様々な学校の催しや校内放送などでアナウンスを担当。年を経るにつれて
アナウンサーへの憧れが強くなっていったそうです。

そして就職活動、放送局のアナウンサーは女性にとっても人気が高く狭き門ですが、
吉川さんの時も、およそ300倍という競争率。その高倍率を突破してアナウンサーという
夢を実現されています。
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