今月ご乗船いただいているのは、イタリア料理「LA BETTOLA da Ochiai」のオーナー・シェフ 落合務さんです。

落合務さんは、日本におけるイタリア料理の先駆者。70年代後半からイタリアで料理の修業をされ、日本にイタリア料理を知らしめた第一人者です。

イタリアの旅をはじめ、各地で開催されるお料理教室の講師など、国内外を忙しく飛びまわっていらっしゃいます。

今月は落合務さんに旅のお話をうかがっていきます。


ー 同じ仕事の中で、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しずつ良くしていこうという気持ちがあるじゃないですか ー



干場「今日は落合さんに、クルーズについてうかがっていきたいと思います」

落合「船旅は良いですね、僕も大好きです。仕事で何度も乗せていただいているんですけど、調理場がすごく広いんですね。料理人も精鋭が揃っているので、一晩に840人というディナーを用意しないといけない、それが整然と出て行くんですよ。楽しいですよ〜(笑)」

干場「その楽しさはどこにあるんですか?」

落合「やはりお客様に喜んでもらえるように、こういう料理を出しましょうねと、皆でそうやって打ち合わせをしているんですよ。当日になると、それこそ時間が経つのはあっという間ですよ。そういう中で、最後出口でお客様をお見送りする時、「美味しかったです、また来たいです」というお言葉をいただくと、良かったなと思いますよ。やっぱり、次がないとあり得ない仕事ですから、この一回で終わりじゃないですからね」

干場「もう一回食べたいなと思わせるのは、すごい事ですよね」

落合「僕たちは、そんな変わった仕事はしてないんですよ。同じ仕事の中で、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しずつ良くしていこうという気持ちがあるじゃないですか」

干場「常に上昇志向なんですね」

落合「前は良かったよねと言われるのが一番辛いんですよ。数字の通り同じ事をやっていると、そうなっちゃうんですよ。お客さんって鋭いから、同じ仕事なんだけど、"昨日よりも今日の方が絶対美味く作るんだ!"という気持ちがないと、駄目ですよね」

干場「船では、どんな所に行かれたんですか?」

落合「マニラから横浜ですね。マニラまで飛行機で飛んで、マニラから台湾、神戸、横浜というのが自分の一番遠い船旅です。船旅はのんびりで良いですよね、移動距離があるんだけど、好きな所まで、港まで船が行ってくれるじゃないですか。あれが良いと思うんですよ。船だと荷物を部屋に置いて、港に着いたらバスでツアーして帰って来られる、それでご飯の心配もない、最高ですよね。こんな贅沢な旅はないですよね」

干場「落合さんにとって、旅とはどんなものですか?」

落合「出会いですよね。旅で色々な人に出会ったり、物に出会ったり、出来事に出会ったりしますよね。それを一つずつ、良い意味でも悪い意味でもクリアするわけじゃないですか。それは自分の成長につながりますよね。旅は成長ですね」

干場「良い言葉ですね。出会いであり成長であると」

落合「失敗しても、くよくよしないで、次に繋げていけばいいんですよ。前向きに行くのが一番いいですよね。ポジティブな生き方、これもイタリアで教わったんですよ。でも、日本に帰って来て、僕は胃潰瘍になっちゃいましたけどね(笑)」




「世界一周など、長期クルーズの船で働いている人は、年間どのくらい船の上にいるのでしょうか?休日などはどうなっているのでしょうか?」

保木「不思議ですよね、私も最初疑問を持ったんですよ。
基本的には4ヶ月働いて、2ヶ月休むというのが基本的なシフトですね。
2ヶ月の休みは陸に上がって、違う仕事をされている方もいるんですよ。

船の中って、限られた人数でお仕事をするじゃないですか。
どうしても、一人何役もこなすということが必須で、朝は朝の制服を着て、
ランチになると違う制服に着替えたり、皆さんあちこち回って働いているんですよ。

例えばお客様が下船している間に、少しお休みをいただいて街に出るとか、
そういうシフトは組んでくれるんですよ。

このあいだ、船に乗ってるシェフに聞いたのは、船乗り達の楽しみは、港に着いてフリーのwi-fiが使える時が楽しみと言ってました(笑)。
あのホスピタリティはすごいと思いますね、人の顔を覚えてますし、干場さんの顔を見ると、プールサイドでピニャコラーダ出てきましたよね(笑)。
それだけトレーニングされている従業員達が働いているんですよね」

今月ご乗船いただいているのは、イタリア料理「LA BETTOLA da Ochiai」のオーナー・シェフ 落合務さんです。

落合務さんは、日本におけるイタリア料理の先駆者。70年代後半からイタリアで料理の修業をされ、日本にイタリア料理を知らしめた第一人者です。

イタリアの旅をはじめ、各地で開催されるお料理教室の講師など、国内外を忙しく飛びまわっていらっしゃいます。

今月は落合務さんに旅のお話をうかがっていきます。


ー ティラミスブームの頃は、一日何個作っても間に合わないという時代がありました ー



干場「フレンチを学んできて、フランス料理と思っていた事が、イタリアという事で全然違うものですよね?」

落合「やってるうちに、これが洗練されてフランス料理になったんだなと思ったんですよ。これがフランスへ行って、洗練されて、フォン・ド・ヴォーやブイヨンのような出汁をとるようになったんだなと思いました。それはイタリアで料理を学んで初めて分かったことです。
フランス料理をやるにも、イタリア料理からやった方が良いなという感じですよね。帰って来て、そのままイタリア料理になっちゃいましたけどね」

干場「そういう経緯があったんですね」

落合「最初、僕はイタリアンを目指していなかったんですよ。僕が料理人になる頃は、イタリアンというカテゴリーがなかったんです。「西洋料理=フランス料理」でしたから、ロシア料理、トルコ料理、ドイツ料理、その他各国料理でしたからね」

干場「それが、時代が進んでいって、色々な国の料理になったんですね」

落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。当時、イタリア料理は誰も喜んで食べてくれなかったんです。スパゲティを出しても、硬い、芯がある!お金を出して芯のあるご飯を出すんじゃない!と、「アルデンテ」という言葉があっても、日本人はそれを好んで食べない時代です。
今はアルデンテじゃないと怒られる時代でしょ?当時は、アルデンテで怒られた(笑)。カルパッチョってあるじゃないですか?あれがお肉だって知ってました?」

干場「カルパッチョは、お魚じゃないんですか?」

落合「カルパッチョは肉なんですよ。魚なんてないんです。イタリアのカルパッチョは牛肉か子牛で、それをお客さんに出すとだいたい戻ってくるんですよね」

干場「それは、なぜですか?」

落合「焼いてくれって(笑)。しょうがないので、隣が和食の店だったので、鯛の下ろしたものをもらって来て、同じ様にカルパッチョにしたんですよ。それを、社長が信頼してるイタリア人に食べさせると、彼曰く「俺は好きじゃないけど、日本人だからいいんじゃないの、寿司もあるし」という言い方をしたんですよね」

干場「実は、魚のカルパッチョを作ったのは落合さんなんですか!?」

落合「実はそうですよ(笑)」

干場「えー!衝撃ですね!今、イタリアでは普通にカルパッチョが出てますよね」

落合「だから、逆輸入という事ですよね。1984、5年にバブルがきて「イタ飯」ブームと「ティラミス」ブームが来ましたね」

干場「ありましたね(笑)」

落合「ティラミスは作っていたんですけど、"こんな、生クリームを泡立てたみたいなもの、いらねーよ"という感じで、誰も食べなかったんですよ。ティラミスブームの頃は、一日何個作っても間に合わないという時代がありました(笑)」

干場「すごい面白いですね!落合さんは時代を作ってますね!」

落合「結果として見ると、そうなってきたんだなというのは面白いですよね」



「クルーズに、社交ダンスのような大人の趣味はあるのでしょうか?」

保木「例えば、「社交ダンス」をテーマにしているクルーズがあります。
それ以外にも、大人の方達が楽しまれる手芸教室だとか、絵を描くクラスもあります。
一日航海の日とかは、インストラクターの方について絵を描いたり出来るので、
絵はがきなんかも、自分で絵を描いて出されるのもいいかもしれないですね。

外国語の講座もあって、フランスに行く前はフランス語を教えてくれたり、
各寄港地に着く前の言葉などを教えてもらえるんですよ。

他にはエレクトーン、ゴルフ、テニス、インストラクターも乗っていて、レッスンもやっています。
ジムでは、ヨガやピラティスもありますね

あとは、ポーカーのやり方やブラックジャックのやり方を無料で教えてくれるんです。
そういうものを利用されると面白いですね、外国の方とコミュニケーションをとる機会にもなりますからね」


今月は、横浜に寄港したクルーズ客船「飛鳥供廚料テ發法▲螢好福爾粒Г気鵑鮠径圓靴童開収録の模様をお送りしています










今月ご乗船いただいているのは、イタリア料理「LA BETTOLA da Ochiai」のオーナー・シェフ 落合務さんです。

落合務さんは、日本におけるイタリア料理の先駆者。70年代後半からイタリアで料理の修業をされ、日本にイタリア料理を知らしめた第一人者です。

イタリアの旅をはじめ、各地で開催されるお料理教室の講師など、国内外を忙しく飛びまわっていらっしゃいます。

今月は落合務さんに旅のお話をうかがっていきます。


ー ご飯の時間になると、みんな横並びになっちゃうんですよ ー



干場「今日は、イタリアに3年間行かれた時のお話を伺いたいと思います」

落合「これもまた、皆さん泊まらないといけないですよ(笑)。社長はフランスに1ヶ月半行くのに、お金出してくれたんだけど、帰ったら「やっぱりすみません!僕、フランスに行きます」と、言っちゃおうと思ったんですよ(笑)。怒られると思っても、それはしょうがないなという感じで。それで、帰りに3日間イタリアに寄ったんですけど、フランスに比べて汚い街だなと思ったんですよ」

干場「フランスとローマ、当時はそんなに違ったんですか?」

落合「僕はすごく感じました。レストランに行ったんですけど、こんなの誰でも作れるだろうと思ったんですよ。「この盛りつけは何なんだ?」とか、「このサービスは何なんだ?」みたいな。これだったら、フランスにいれば良かったと思ったんですよね。それで、あまり良い印象がないまま帰ったんですよ。
日本に帰って来て、社長に「どうだった?」と聞かれて、「フランスはすごい良かったです。帰りにイタリア寄ったけど、大したことないですね」みたいな言い方をしたんですよ(笑)。そしたら社長が、俺はイタリア料理好きなんだよと言ったんですよね。僕にはイタリアって国が頭になかったから、わからなかったんですよ。それで、図書館に行って文献を見たら、フランス料理のもとはイタリアにあるという事が分かったんですよね」

干場「そうなんですか!原点はイタリア料理にあったんですね」

落合「その歴史を知らずにやっていたんですよ。あの変なイタリア料理はフランスの元なのかと(笑)、鴨のオレンジソース、ベシャメルソースとか、すべてイタリアからフランスに行ってるというのが分かったんです。それで、ちょっと興味を持って来たんですよ。
そうこうしているうちに、僕がフランスへ行きますという雰囲気を社長も感じていたみたいなんですよ。」

干場「また、感じちゃったんですね(笑)」

落合「社長に呼ばれて「おまえ、外国で勉強するのが夢なんだろ?イタリアに勉強に行ったらどうだ?」と言われたんですよ(笑)」

干場「それはまた、すごいチャンスですね!」

落合「それが1979年で、僕は最初ローマに行って、ローマからナポリ、沖にあるイスキアという島に行ったり、シチリア、そして上に登ってフィレンツェ、ミラノ、あちこち食べながら「仕事ない?給料無しで、仕事欲しい」という片言のイタリア語で回っていたんですよ(笑)。小さなホテルに泊まっていたんですけど、そこのウェイターと会話をするようになって、「コックになりたいんだけど、レストラン知らない?」という話になったんですよ。昔日本人が働いていた店を知っているというので、住所を書いてもらって行ったんです」

干場「本当に手探りですね(笑)」

落合「そこでご飯を食べて、このレストラン良いなと思いながら、主人に「私、日本人、お金いらない、ご飯だけ欲しい、仕事したい」という感じで言うと、明日から来いと言われたんですよ」

干場「それはラッキーですね〜(笑)」

落合「でも、それまでは12〜3軒巡ってるんですよ(笑)。イタリアは楽しかったですよ。料理の勉強に行ったんですけど、人間として勉強する事がありますね。まず、人間として平等みたいな考え方があるので、年齢じゃないんですよ。例えば、仕事してる時はシェフがトップですよね。だけど、ご飯の時間になると、みんな横並びになっちゃうんですよ。
シェフもファーストネームで呼び捨て、ご飯が出来ると、日本だと社長がつくまでは、僕らは座らないですよね。向こうは、ご飯が出来ると、洗い場のおじちゃんから食べるんですよ。それが、当たり前の事なんですよね」


「クルーズで一番楽しい時間はどんな時でしょうか?」

保木「私が一番好きな時間は、朝起きて、寝ぼけ眼でカーテンを開けた時に、
昨日とは違う世界が広がっているのがすごい好きですね。

私が魅せられた一番のきっかけは、昨日とは違う世界が広がっている事です。
起きる時間によって、朝焼けだったり、着いた港がすっごい綺麗な海の場所だったり、
工場地帯に着いたりと、色々違うんですけど、それはそれで色んな国の特徴があって好きですね。

あとは出航の時、今までその港にいたわけじゃないですか。
それを静かに岸壁を離れていく時に、港の人達が手を振ってくれたりする、あの時間が好きですね。
航跡を見ながら、今いた街を後にして次の街に向かうのが好きですね。

船の上のアクティビティを楽しむのも好きですけど、その2つは船の上で一番楽しい時間かな。
地球の上に一人だけいるような感覚になりますよね」


今月は、横浜に寄港したクルーズ客船「飛鳥供廚料テ發法▲螢好福爾粒Г気鵑鮠径圓靴童開収録の模様をお送りしています。







今月ご乗船いただくのは、イタリア料理「LA BETTOLA da Ochiai」のオーナー・シェフ 落合務さんです。

落合務さんは、日本におけるイタリア料理の先駆者。70年代後半からイタリアで料理の修業をされ、日本にイタリア料理を知らしめた第一人者です。

イタリアの旅をはじめ、各地で開催されるお料理教室の講師など、国内外を忙しく飛びまわっていらっしゃいます。

今月は4週にわたって、落合務さんに旅のお話をうかがっていきます。


ー 当時は情報が全然ない時代ですから、生意気にフランスに行ってみたいなと思ったわけですよ ー



干場「今日お会い出来るにあたって、落合さんが、何故食の世界に入ったのかを聞きたいと思っていました」

落合「それは語ったら長いですよ、皆さん泊まっていただかないといけないくらい長いです(笑)。最初は、父の知り合いが東京の日本橋で洋食屋をやっていたんです。そこに僕は入って、楽しかったですよ。出前持ちなどもやりましたね」

干場「それが、いくつくらいですか?」

落合「その時で17歳ですね。諸先輩方と話して「お前の話しているのは、この店じゃ駄目だろう」と言われたんですよ」

干場「それはどういう事を話されていたんですか?」

落合「僕がフランス料理をやりたいんだという話をすると、それはホテルに行かないと駄目だろうと、当時生意気だからフランス料理の本を買ってみたりするじゃないですか。それを先輩に見せると、こういうのはうちではやらないと言われたんですよね」

干場「落合さんがやりたい事は、ホテルに行かないと駄目だと?」

落合「やりたい事というか、カッコつけていただけなんですよね。昭和41年にホテルニューオータニに中途入社したんですよ。そこでずっと勉強して、「これだぜ!すげーな!」と思ったんですよ。1年、2年、3年とドキドキしながら働いていたんですよ。そうなると、生意気ですから22、3歳になると、「フランス人って、本当にこういう飯食ってんのかな?」と思うじゃないですか(笑)。当時は情報が全然ない時代ですから、生意気にフランスに行ってみたいなと思ったわけですよ。ある先輩がけっこうなお給料をいただいてて、「おまえ、フランスに行きたいんだろう?金貯めたくないのか?」と言われて、先輩の店ではホテルの倍出すから来ないかと言われて、ハイハイと行ったんですよ(笑)」

干場「それで、ホテルを辞めちゃったんですか!実際にお給料は良かったんですか?」

落合「ホテルのちょうど倍だったんですよ、すごく忙しいレストランでした。料理のランクはホテルより落ちますけど、お金が貯められました。2年くらい働いてるうちに、周りが辞めていっちゃって、2番目くらいになっていたんですよ。これじゃ、フランス行けないじゃんって(笑)。それで、東京でフランス人のシェフの店が2軒あったんですよ。内緒でそこに面接に行ったんですね。1軒は断られて、もう1軒は来ても良いという事になったんですよ」

干場「じゃあ、トントン拍子に上がっていってますね」

落合「やっぱり、上を目指したいじゃないですか。お店の支配人に、2ヶ月後に辞めさせていただく事になりましたと話したら、駄目だと言うんですよ。何故かというと、料理長が辞めると言うんですよ。僕は2番だったので、上のトップがやめると(笑)。それは僕のせいじゃないし、僕は僕の道を行きたかったですからね」

干場「それで、どうされたんですか?」

落合「総支配人が出て来て、悪い様にしないから今回は辞めないで、もうちょっと面倒見るからいろと言われたんですよ。その社長が僕を買って下さっていて、「おまえ、フランス行きたいんだろう?一回行ってこいよ」と、会社のお金で1ヶ月半行かせてもらったんですよ」

干場「1ヶ月半は、渡航費も滞在費もかかりますよね。時期はいつ頃だったんですか?」

落合「その方は、本当に大恩人ですね。6月の始めから、7月の半ばまで行ったんですよ」



「クルーズ中に体調を崩した時はどうすればいいですか?」

保木「医務室は船の中に用意がありますので、診察時間は決まっていても、
急患の場合など、お医者さんも一緒に船に乗っているので、ある意味安心だと思います。

陸の旅だと、夜中に何かあっても街のお医者さんを探すのも大変だし、言葉の問題もありますね。
旅って色々なリスクがあると思うんですね。
非日常の所に行くので、やはり旅行保険はおかけになってお出かけになった方がいいと思います。
お薬も取り出しやすい様に、手持ちのバッグの中にお持ちになった方がいいと思いますよ」


今月は、横浜に寄港したクルーズ客船「飛鳥供廚料テ發法▲螢好福爾粒Г気鵑鮠径圓靴童開収録の模様をお送りしています。