社会と繋がるライフワーク

野口健さん(アルピニスト)×藤巻亮太さん(ミュージシャン)

2018

10.12

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近年では、山の清掃活動や被災者支援など、様々な社会貢献活動に従事する野口さん。一方、藤巻さんは、先日、自身がオーガナイザーを務める、野外音楽フェス
「Mt.FUJIMAKI」を地元、山梨で初開催しました。

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もうゴミがない!富士山の清掃活動の今



藤巻
世界で一番高い山はエベレストで、健さんは、二度クリアされていて、登山家の方は、より難しいルートで誰も登ったことのない道をみたいになってくんですけどだけど、健さんは、そういう方向に行ってほしくないなと思うし、活動の中で自分の人生のテーマを見つけていらっしゃると思っていて。かつてエベレストにもゴミが多かった時代があったんですよね?

野口
70年代以降はゴミが多くて、70年代は欧米隊が置いていったゴミが多かったですね。80年代に日本隊がゴミデビュー。

藤巻
なるほど(笑)。笑ってはいけいなど、そういうことがあったんですね。

野口
90年代から徐々に減ってきて、2000年に入ってから、韓国中国隊のゴミデビュー。ゴミを拾っているといろんな国のゴミがあって、その国々の当時の環境意識に対する度合いがわかる。ヨーロッパだって60年代には環境への意識は低いからね。日本も80年代は今ほど環境問題に意識が高くなかったから。

藤巻
もうバブルで浮かれていた時代ですもんね。

野口
今、日本隊のゴミはほぼない。

藤巻
そういう自然環境に対する意識というのがゴミの年代でわかると。それで、当時、進んでいた欧米の登山隊の方に健さんがエベレストのベースキャンプで日本人のゴミに対する意識が低いから「エベレストをMt.FUJIみたいにしてはいけないよ!」って言われたんですよね?当時、トイレ問題もあってね。

野口
当時は山小屋のトイレがたまると、栓を抜くでしょ、タンクから流れてくるのは主に3点セットだよね。アレとアレとアレね。でもアレとアレは染み込むよね。そしたら紙が残っちゃうの。年間30数万人が登るわけ。それで、トイレットペーパーが流れてたまっていたのが、よく言われていた白い川。

藤巻
20年前の富士山には白い川があったと。

野口
白い川の犯人はトイレットペーパー。これは上空からも見えるんだね。あれ説明がなければ、雪だと思ってしまうくらい大規模。その噂を聞いてて、はじめて夏に行った時に、これが白い川かと言って、先端は干からびているから、さほど抵抗なくはがせるの。ちょっと臭いけどね。香ばしい感じのね。何人かで行ったから剥がして袋に入れていたら、上からばしゃばしゃフレッシュなものが流れてきて。

藤巻
えーー。

野口
おー、逃げろ!とか言って。これが強烈でしたよ。僕、富士山が汚いっていう印象を持っていなくて。

藤巻
当時90年くらいですか?

野口
当時、97年。僕ね、学生の頃、富士山によく登っていたの。冬しか行かないからゴミを見たことないので。

藤巻
冬はずっと凍っていますもんね。

野口
凍ってる。

藤巻
僕が対談させていただいた時に、そこから野口健さんが清掃活動を始めたんですよ。

野口
そうそうそうそう。

藤巻
そこから相当ゴミを拾って、今はほとんどなくなってる。

野口
最近ね、ゴミ拾いの清掃活動をやっているでしょ、かつては大きいタイヤトラックのタイヤとかあった。

藤巻
樹海にも凄かったんですよね。

野口
亮太さんとは、何回も一緒にゴミ拾っているよね。

藤巻
はい。やらせていただいています。

野口
当時、大きいゴミがいっぱいあったでしょ?

藤巻
はい。

野口
自動販売機とか、ナンバープレートを外したトラックがあったり、僕のHPとか講演会で流す紹介ビデオには、その時のを使っていて、僕がトラックを運んだとか、みんなそれを見て、「よし、俺も行くぞ!」と言って、参加してくれるわけ。でも、最近、参加してくれると、ゴミがなかなかなくなってきて、参加者は「ゴミがないぞ!」とか、怒る人がいてね、こまっちゃって。

藤巻
(笑)。本末転倒の話ですよね。

ふたり
(笑)。

野口
だから清掃キャンペーンをするのが、この18年で意外と難しくなってきて。

藤巻
裏を返すと大成功しているわけですもんね。

野口
そうなんだよね。なんでこんなに参加者に怒られるんだろう。みんな拾いたいんだよね。

藤巻
その後、今年、富士山は世界文化遺産になって5年が経つんですね。僕はその20年前、ゴミの山だった富士山から世界文化遺産になるまでに野口健さんの功績は大きいんじゃないかなと思ってるんですよね。

野口
いやいや。


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ローカルにコミットする


富士山の清掃活動をライフワークとされている野口さん。一方で藤巻さんも、富士山への愛はもちろん、近年では、生まれ育った故郷、山梨への思いが増しているようです。


藤巻
健さんもよく遊びに来てくれたんですけど、僕の実家が桃と葡萄農家で、弟が最近の農業を継いだんですよ。

野口
弟も思い切ったよね。

藤巻
そうなんですよ。よく決断したなと思うんですよね。

野口
お父さん嬉しいだろうね。

藤巻
父親は嬉しいですよ。 今、農業従事者の問題があって、平均年齢60代ですよね。最近実家に帰ると、家族も友達も地元の話をするようになるんですよね。そうすると農業から見えてくる、地方のあり方もあるし、例えば甲府みたいな街は、地方都市の代表で、甲府市は県庁所在地の中でも47都道府県で一番人口が少ないんですよ。

野口
そうだろうなぁ。夜、繁華街歩くと、自分の靴のカツカツという音しか聞こえなくて、ぞっとする時がある。

藤巻
甲府で甲府を盛り上げようと頑張っている方にお話を聞くと、郊外にモールができて人の動線が変わっちゃうじゃないですか。だけど、逆も裏を返すと、一番、衰退が進んでいるから、ある意味最先端をいってるって考えているんですね。

野口
開き直り?

藤巻
そう。ここは今から全部の都道府県が経験するであることを一番最初に経験している、だから、どうすればいいかというノウハウを一番最初に学べるのも僕たちだっていう風に、ポジティブに考えていらっしゃる方がいて、その考えがすばらしいですよね。だから、どうしたらいいのかと言えば、山梨で言ったらその地元のものを地元で食べたり飲んだり、山梨はワインも有名だし、桃、葡萄だけではなくて、野菜も美味しいんですよね。地産地消を増やしていって、そういう方の活動でここ何年かね、甲府に活気が戻ってきているんですって。

野口
あの甲府が?

藤巻
そう酷いこと言いますね(笑)。だからそれは地方の衰退に対する一個のモデルになりうるんですよね。そういう方の話を聞きながら、ローカルの問題はグローバルな問題と繋がっている。ローカルにコミットしてくと世界のことが見てくるんじゃないかな。よくフラクタル構造って言うんですけど、俯瞰でみても寄ってみても、結構。構図は一緒なんじゃないかな。やっぱり僕自身も地元にまずコミットしてことで、経済や文化の成り立ちを学ばしてもらって、それを発信することで、僕自身の40代の生き方が結構大事になってくるのではないかなと思っていて。


「Mt.FUJIMAKI」
2018年10 月7日(日)に山梨県・山中湖交流プラザ「きらら」にて開催。
【「Mt.FUJIMAKI」公式ホームページ】

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