人との”繋がり”

西田尚美さん(女優)×本谷有希子さん(劇作家、小説家)

2018

11.16

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現在公開中の映画「生きてるだけで、愛。」の原作を手掛けた本谷さんと、この作品に重要な役で出演されている西田さん。作品のテーマにもなっているのが、自分という存在を誰かにわかってほしいという他者と繋がり。この”繋がり”を求める若者、寧子が、主人公になっています。

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自分を受け入れてくれる場所



西田
ラジオに出演させていただいたり、しゃべっていますけど、こういう仕事をしていなかったら、たぶんずっと喋らないで、誰にもあまり自分のことをわかってもらわないまま生活をしているタイプの人間な気がする。学生時代とかもバイトをしていて、人とどう接してしていいのかわからなくて、でも店長さんがすごく優しくて、話すのが苦手だけど一生懸命さが伝わって雇ってもらい、無理して話さなくていいよって言ってくれたんです。

本谷
そもそもコミュニケーションをとるのが得意ではない?

西田
苦手です。

本谷
私もなんだよなぁ。

西田
そんなことないでしょ?

本谷
ある時代までは人見知りという言葉で逃げていたんですけど、何歳からか自分で自分を人見知りって言ってることがダサいと感じて、言うのをやめたんですね。

西田
人見知りって言わなくなって人見知りもやめたの?

本谷
変わっていないんですけど、人見知りであることと、人見知りとわざわざ言う事は、全然違うことのような気がして、人見知りとわざわざ言うことに、甘えを感じたりするんですよね。ある年齢ならまだいいかもしれないけど、さすがに大人になって言っていたら、私はその人とは仲良くなれないと思って、自分はまずやめようと。

西田
私もいつからか言わなくなりました。学生の頃は言っていたような気はするけど。接してればわかるだろうから、言わなくていいよね。

本谷
眉間を見て話すと、人の目を見て話してるように見えるからいいよと教えてもらって。

西田
(笑)。

本谷
人の目が見られなかったんですよ。

西田
わかる!

本谷
いまだにドキドキするじゃないですか。人の目を見られないんですよって言っていたことも同様にすごいカッコ悪いなと思って。それも言わなくていいことだなと思って。眉間を見て話すといいよという話を聞いて、えーと思って。

西田
そうかも。最初は、演技する時も人の目を見るのが怖くて、でもどんどん怖くなってしまうから。

本谷
人見知りと言うのも嫌だし、同時にコミュニケーション能力という言葉も気持ち悪いし、能力とかつけるようなことじゃないし、コミュニケーション低いことも嫌、高ければ良しとされるのも嫌だし、コミュニケーションは、そういうものではないと思いながら、でも私の小説は、人と繋がることがどんな形であれ、結構題材に出てきていて。寧子は寧子で本当に人と繋がりたいという気持ちが強すぎて、その一瞬だけでも繋がれたらいいみたいな話だったりもして、書いていた時は、本当に人と繋がりたいと思っていたんだろうな。

西田
自分のことを肯定してくれるじゃないけど、どんな自分でも咎めるとか、そのまんま受け入れてくれる場所が欲しいと、私も思っている気がする。でもなかなかそれは、他人同士だったり、血が繋がっていても難しかったりもする。


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“生きづらさ”の意味


人と繋がることで得ることがある一方、本谷さんは繋がりすぎることにも疑問を感じているようです。

本谷
人がいると甘えてしまうこともあって、全責任が自分の方がよっぽど、生きやすいんじゃないかと思う時もあります。

西田
それは自分もそうだし、子供を見ているとすごい思う。仕事をしているから、時にシッターさんに預けたりするんだけど、私と一緒の時とシッターさんと一緒の時とかおばあちゃんと一緒の時は、全部態度が違っていて、やっぱり私の時にはわがままだし、傲慢だし、すごい憎たらしいこともバンバン言うけど、シッターさんの時は聞き分けがいい。おりこうさんですよって言われて、本当か?と思うんだけど、でも多分、無意識のうちにそういう自分を作って見せてるんだろうなぁ。

本谷
私の娘も3歳になって、人と同じ意見になったり、人と違うことがすごく嫌で、それが嫌だなとすごい思っていて。今普通に生きていったら絶対にそうなるじゃないですか。みんなと同じがいいって。だから、いつも、寝る前に「人と同じはつまらないよ」と言ってる。

西田
(笑)。

本谷
自分がそう生きてきたから。演劇を選んだのも、劇団を20歳で立ち上げたのも、まだ若い演出家はいなくて、隙間だと思ってやったりとかしていたし、演劇をやりながら小説を書くのも当時すごく珍しかったから、自分の生存戦略として、いない方いない方にきたから、当然マイノリティを当たり前のこととして選んで欲しいと思っている。保育園で、同じ画用紙に同じ大きさのカエルの絵を描いているのを見ると、怖くなって。

西田
すごいわかります。先生がそういう風に教えていることがある。そこで声をあげる子は、なかなかいないんだよね。そこで、「緑でなくてピンクで描きたい!」とか「この色でもいいですか?」という受け答えはなくて、言われたらそのまんまやるから、みんな似たような絵を描いて安心している。

本谷
そうじゃないといけないとう感じになるし、そうなると、違うことで悩む人もどんどん増えてくるんじゃないかなと思っていて。でも”生きづらさ”という言葉も、もはや私はすごい訝しんでいて、当時、私が書いた”生きづらさ”の言葉の質感と今言われている”生きづらさ”は、ちょっと違うニュアンスが入ってきている気がして、あの時の”生きづらさ”でもちょっと怪しかったけど、よりその言葉自体が疑うべき言葉なのかなって今は思いはじめていて、言葉はやっぱり生きているなと思いますね。


映画『生きてるだけで、愛。』は、新宿ピカデリー他全国で公開中です。

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