Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2015.04.26

「男気ある選手を目指しなさい!」:青山学院大学 陸上競技部 原晋監督
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、今年の「箱根駅伝」で、青山学院大学を総合優勝に導いた陸上競技部の原晋監督です。

●陸上競技との向き合い方


川田「原監督は、青山学院大学が本格的に駅伝の強化に乗り出すということで就任されたわけですが、その2004年当時、青山学院大学の陸上部はどんな状態だったんですか?」

原監督「『箱根駅伝に出たいか?』と尋ねたら、みんな手を挙げるんですよ。だけど、『これだけの条件をクリアしないと出られないよ、それをやる覚悟はあるか?』と聞くと、手が下がるわけですよ」

川田「出たい気持ちはあるけど、そこまで気持ちがついていっていない状態ですか。そういった中で、練習環境も今より悪かったと聞いています」

原監督「実は専用のグラウンドが無かったんですよ。要は野球部に、『野球場が無くて甲子園に出ろ』というようなものですかね。しかし、私はこれが無いから箱根駅伝に出られない、強くなれないとは言いませんでした」

川田「それを理由にしたくなかったということですね」

原監督「今、与えられた環境の中でどう頑張るか、それを選手と一緒に追求してきました。最初は試行錯誤の連続で、逃げるやつを捕まえて走らせたり、当時は怒鳴り散らしていましたよ(笑)」

川田「本当に大変な状況だったと思いますが、まずはどういった取り組みから始めたんですか?」

原監督「どの世界でも同じだと思うんですけど、核となる部分があると思うんですよね。陸上競技のキーとなるのは、生活態度なんですよね。要はシャツとパンツ、靴、裸一貫で長い距離を走っていくわけなんです。前日までお酒を飲んで、不規則な生活をしていたら、朝練習も集中で来ませんよね。規則正しい生活をして、夜10時門限、朝5時に起床、その繰り返しなんですよね」

川田「走りの練習方法ですとか、そういった事に力を入れるようになるまでに、時間がかかったという事ですか?」

原監督「規則正しい生活をして、陸上競技に向き合う気持ちを持たせる、そこからですね」

●キーワードは「男気」


川田「陸上競技部の監督に就任されて3年目、契約満了の年になりましたけど、この年に第二のターニングポイントを迎えます。チームが危機的状況だったと、どういう雰囲気だったんですか?」

原監督「就任してから3年目に、廃部の危機を迎えた事があったんですよ。規則正しい生活を徐々に整えつつあって、最後の契約満了の3年の時に、これなら箱根駅伝、予選会通過するぞ!という想いがあったんですけど、記録だけを先行して、あまり人物重視じゃなくスカウトしたんですよね。それで、部内の空気が一気に崩れて、『ルールを守らなくても、走ればいいんだろ』と、多くの部員が退部した時期がありました。そんなガタガタしてる状況ですから、予選会も結果が伴うわけないんですよね」

川田16位でしたね」

原監督「この結果を元に、大学から、あるいはOB、教職員から、「本当に原でいいのか?」というバッシングの嵐ですね。そんな時に、4年目のキャプテンのひやまという学生が「最後の一年、どんな事があっても原監督とやりたい!足が折れてもついていきますので、もう一年一緒にやってください!」という話が、学生からあったんですよね。そこに心打たれましたし、やってる事自体は間違っていないんだなと思えました。ただ、私に監督を続けさせてもらえるかどうか、これは私が決める事ではないのでね(笑)」

川田「そこから2009年の大会で33年ぶりの出場を果たしまして、さらに、最終的に総合優勝ですね。少しずつ夢に向かって近付き夢を叶えた。これからの原監督の夢はどういう所にあるんですか?

原監督「スポーツの世界は、強くならないと影響力は出ないと思います。今回、青山学院が優勝しました、皆さんは違った切り口で勝ったと思われていると思うんですよね。これからも勝ち続けて、ある意味、スポーツ会の常識を、切り口を変えた形で、世の中にメッセージを伝えいきたいと思います」

川田「来年の箱根駅伝、力強く、一言目標をいただきたいと思います」

原監督「キーワードは男気なんです。責任感を持つとか、やる気を出すとか、約束を守るとか、そういった男気って、色んなキーワード出て来ると思うんですよ。それを一つ一つクリアしていけば、結果として記録が出ると思います。「優勝!優勝!連覇!連覇!」という、肩に力が入った言葉じゃなくて、「男気ある選手を目指しなさい!」と、それが将来、陸上をやめた時も、サラリーマンとしても必ず成長する事だからと、そんな言葉をかけて魔法をかけています(笑)」


>>来週のゲストは、世界を舞台に活躍する“サムライギタリスト”で、ミュージシャンのMIYAVIさんです!

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2015.04.19

「箱根駅伝優勝へ導いた監督の手腕とは」:青山学院大学 陸上競技部 原晋監督
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、今年の「箱根駅伝」で、青山学院大学を総合優勝に導いた陸上競技部の原晋監督です。

●「217.1km / 10時間49分27秒」


川田「青山学院大学・陸上競技部、創部96年にして、初の総合優勝!「10時間49分27秒」という、これまでの大会記録を2分以上上回る驚異的なタイムでした。勝因はどこにあったと思われますか?」

原監督「今回の優勝だけで考えると、1区のスタートダッシュですね。15キロポイントで彼(久保田和馬選手)が出たんですね。ここのタイミングで、50%は往路優勝出来たかなという感覚はありましたね」

川田1区で、まだ15キロの段階で50%ですか!」

原監督「昨年の今時分、彼はリハビリ中でランニング出来ていない状況だったんです。あの舞台で走れる事だけでも、彼は喜びに感じていたと思います。
2区以降も「久保田がいけるなら、俺も走れるだろう」という、メッセージが伝えられる走りだったのではないかと思います」

川田1区での引っぱりがあって、新星"山の神"も生まれましたね。神野大地選手には、どこに適正を見出されたんですか?」

原監督「まず、彼は頑張り屋ですし、諦めない、粘り強く、チーム一番の努力家なんですよ。今年からキャプテンを務めていますけど、彼の頑張りがチームにいい影響を及ぼしているんですね」

川田「その頑張り、精神的なものが大事という事でしょうか?」

原監督「山って、走るのきついんですよね(笑)。そこでの踏ん張りは、最終的には精神力が必要で、プラスアルファの力が必要なんです」

川田「今回の大会でみんなを驚かせたのが、「ワクワク作戦」ですよね。見ていて、走っている選手がすごい笑顔なんですよね」

原監督「チームの状態が本当に良かったんですね。11月あたりに16人のメンバーを誰にしようか、10人の区間配置をするのも、往路も復路も裏返しにしても大丈夫じゃないかというくらい、選手層が良かったんですよ。私自身がワクワクしました。
見ている方にもワクワクしてもらおうという思いでした」

川田「この作戦は監督にとって成功しましたか?」

原監督「チャラけてましたか(笑)?陸上界に新しい風を吹き込む事が出来たという意味合いでは、OKとしてください(笑)」

●夢への片道切符


川田「見事、箱根駅伝総合優勝の夢を叶えた原監督ですが、そこに至るまでの第1のターニングポイントは、今から13年前にさかのぼるんですよね?」

原監督「監督就任に当たりまして、私の背中を押してくれた上司の言葉がありました。安定した中国電力を退職するにあたって、もし駄目だった時にどうしたらいいのか、すごく不安なんですよね。
私が保険をかけた部分があって、「出向で行く事は出来ませんか?」と、上司に相談をしたんです。すると、「お前ね、箱根駅伝ってそんなに簡単なものなの?退路を断って、初めて人生というのは結果が出るんだよ」と言われました。
その上司の言葉を胸に、退職して青山学院の方に3年という形で行きました。今振り返ってみると、恐ろしい決断ですね(笑)」

川田「もともと、中国電力の社員として働いていらっしゃったんですよね。そこで、伝説の営業マンと言われていたそうですが、どんな営業マンだったんですか?」

原監督「自称なんですけどね(笑)。最後の3年間は、電力会社からの新規事業の出向という形でした。5人から会社を立ち上げて、今では100人以上の会社になっています。そういった新規ビジネスも経験させてもらったんですね」

川田「その中で監督の依頼が来て、すぐに受けようと思えましたか?」

原監督「本当に私はダメダメだったんですね。中途半端な気持ちで中国電力の一期生として入って、これじゃマズいと思って夏合宿に行ったんですよ。そこで、これからという時にねん挫をしてしまいました。それが取り返しのつかない故障になってしまったんですね。
自分が強かったか弱かったか分からないまま、引退しちゃったんです」

川田「監督ご自身は、箱根駅伝に出られていないんですよね。そういった監督も、かなり異例ではあると思うのですが、監督就任を決めた時は奥様は反対されなかったのですか?」

原監督「今では一番の理解者ですけども、当時は喧嘩もしながら、機嫌をとりながら…当時、彼女もOLをしていました。大手企業の正社員に半分決まっていた状況だったんですよ。それも捨てさせて、私の夢についてきてくれることになったんです。
最後は、「今さら反対しても、変わらないでしょ?日本一になりなさいよ」と言われました(笑)」

川田「今回の優勝は、どう言われましたか?」

原監督「そうですね、「あなたも、わりとやるんだね」と(笑)。彼女無くして、今の青山学院大学陸上部はありませんね」


>>1のターニングポイントを経て、2004年、青山学院大学の監督に就任した原監督。
夢を叶えるスタートラインに立ちましたが、ここから、原監督に多くの試練が立ちふさがります。
来週は、試練を迎えた第2のターニングポイントについて、お話を伺っていきます。

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2015.04.12

「夢が叶う瞬間」:バトミントン 元オリンピック日本代表選手・潮田玲子
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続きバドミントンの元オリンピック日本代表選手・潮田玲子さんです。

潮田さんがこれまでに叶えてこられた夢は、2度のオリンピック出場です。
2008年の北京オリンピックには女子ダブルスで5位入賞。
4年後の2012年は、ミックスダブルスで見事ロンドンオリンピック出場の夢を叶えました。
その偉業を成し遂げた人生のターニングポイントをうかがっていきます。


●己の使命を見出す

川田「北京オリンピックで5位入賞を果たしましたけど、試合直後のインタビューでは「自分の夢は叶ったと思います」と仰っていた潮田さんですが、あの時の気持ちはどういったものだったのでしょうか?」

潮田「こう言わないと、自分の中で消化出来ないというのはありました。後々、心に残っているのは”メダルをとれなかった悔しさ”が残っています」

川田「その時は4年後の事も考えていましたか?」

潮田「この北京オリンピックで心砕けたという感じだったんですよ。結局、解散という道を選んで、引退しようかなと思っていました」

川田「オリンピックの後にやってくるのが第二のターニングポイント、これはどういった出来事ですか?」

潮田「解散が決まって、最後に二人で臨んだのがオリンピックの3ヶ月後、全日本総合選手権大会でした。危ない場面もありながら、なんとか決勝戦まで行けて、その時に末綱選手と前田選手は北京オリンピックでもベスト4に入っていて、この最高の舞台で、ライバルと戦えるというのも最後、結果にこだわらず、私たちらしいプレーをしようと、コートに入りました」

川田「2人で、そういうお話をされていたんですね」

潮田「2ゲーム目で負けている時に、アスリートにはゾーンがあると言われているんですけど、そのゾーンに入ったんですよ。いきなり静寂に包まれて、自分の鼓動とシャトルの音だけになって、そこから6得点連続で逆転勝ちをして優勝しました。
試合後に、オリンピックに出たとき以上に勇気をもらえたと言ってもらえて、まだ、やる意味があるのかなと思う事が出来ました。その結果がなかったら、私は引退を考えていたと思いますし、自分の競技生活に満足したんだろうと思います。まだやる事があるなと、そこから頑張ろうと思うようになりました」

●本当の心はどこにある?

川田「誰もが体験出来るわけではないゾーンを体験されて、後に池田信太郎さんとミックスダブルスのペアを組みました。今は現役を引退されて、キャスターとしても活躍されていますが、今の状況を、現役の頃は想像していましたか?」

潮田「北京オリンピックが終って、これからの人生を考えた時に、何がしたいかを考えました。伝える仕事もしたいなと思ったけど、それをやる為にも、もう一回苦労をして、自分が苦しんで、人間として厚みが出てから、こういう仕事をした方がいい。そう思って、北京が終ってからの4年は、ロンドンオリンピックを目指しながらやっていたけど、キャスターの仕事に対しても思い描いていた部分はあるのかもしれないですね」

川田「そのキャスターの仕事に向けての準備も、心の中にあったんですね。

潮田「北京オリンピックが終った時に恐くなったんですよ。自分が一番自信のあったバドミントンで生きて来たんですけど、それが無くなった時に何もする事がない、どうやって生きていこうと恐くなってしまいました。
アスリートのセカンドキャリアって、すごい大事な事だと思うんですよ。少しずつ年齢が上がっていくにつれて、必ずアスリートは終わりがきてしまいますから。その中で、考えていくのは大事な事です」

川田「アスリートから、そのまま指導者にいかれたり、まったく別のお仕事をされたり、色んな方がいらっしゃいますよね。今の潮田さんは楽しいですか?」

潮田「すべてが新鮮なので楽しいですね。オリンピックだったり、バドミントンほど情熱を捧げるものは、なかなか出て来ないじゃないですか。今の仕事に対しては楽しいと思う事も多いし、純粋に自分が日々成長していける中で、頑張っていかないといけないなと思える事が出来ました。自分が楽しいなと思える仕事に出会えたというのは良かったなと思います」

川田「今後のやってみたいこと、目標はなんですか?」

潮田「一番は、2020年東京オリンピックが開催されますし、その中で、自分が選手の頑張りを伝える立場でいたい。
自分がバドミントンに携わって来て、バドミントンの世界で成長させてもらったので、子供達に対して教えたり、普及活動をやっていきたいと思います」


>>来週のゲストは、今年の箱根駅伝で青山学院大学を優勝に導いた立役者、青山学院大学 陸上陸技部・原晋監督です。

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2015.04.05

記念すべき第一回目のゲストは「バトミントン 元オリンピック日本代表選手・潮田玲子」
今週から始まった『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!


パーソナリティを務めるのは川田裕美さんです!
川田「わたしも9年間お世話になった関西の放送局を離れ、この春からフリーアナウンサーとして新しいスタートをきりました。もしかすると、ここが私のターニングポイントかもしれません。
ゲストの方がシェアしてくださる言葉の種を、心にしっかりと根付かせていきたいと思っています。よろしくお願い致します!」


『Orico presents FIELD OF DREAMS』記念すべき最初のゲストは、現在はキャスターとしても活躍されている、バトミントンの元オリンピック日本代表選手・潮田玲子さんです!


●バドミントンを始めたきっかけ、小椋久美子さんとの出会いは?

川田「物心ついた時から、バドミントンには触れ合っていらっしゃったんですか?」

潮田「母が趣味でバドミントンをやっていたので、3歳くらいから体育館には連れていかれていたらしいんです。6歳の時に、お友達と一緒に地域のクラブチームに入部したんですよ。けっこう厳しいチームで、遊びというよりは本格的にスタートさせた感じですね」

川田「名門クラブと言われている所ですよね。当時、目標にされている事はありましたか?」

潮田「一つ上の学年にライバルの子がいて、ずっとその子に勝ちたいと思っていました。同じチームだったんですけど、いつも決勝戦でその子に負けていて、中学生までずっと勝てなかったんですよ」

川田「自分の身近にライバルがいてくれたから、というのはあったんですね。オリンピックに気持ちが向いていったのは、いつ頃からですか?」

潮田「私はすごく遅いと思いますよ。オリンピックを本格的に目指すようになったのは、三洋電機に入社してからなんですね。それまでは、オリンピックなんて遠い世界のものと思っていたので、全然イメージしていなかったですね」

川田「中学校に上がって、のちにダブルスを組む小椋さんとの出会いがあると思いますが、その時の印象、何か覚えていることはありますか?」

潮田「中学の時に全国優勝を成し遂げたんですね。その全国優勝というのを持って、強豪校に高校生で上がったけど、全然勝てなくなってしまったんです。そんな中で、小椋さんは2年生の時に個人戦でインターハイに出て、ベスト8に入っていたんですよ。小椋さんは当時、「バドミントンマガジン」という雑誌の載っていて、同じ歳でこんなに全国的に活躍している人がいるんだというのが印象的ですね」

川田「潮田さんの方から、最初は一方的に知っていたという事だったんですね」

潮田「後に分かったんですけど、小学生の時に「全国小学生大会」で対戦していたんです。その時は私が勝ったみたいなんですけど、その試合を全然覚えていなくて。石川県で冬場に開催されていて、すごく雪が降って試合中に停電してしまったんですよ。
その試合の事はすごく覚えているんですけど、対戦相手が小椋さんという事を全然覚えていなくて、彼女にとっては、私が簡単に勝ったみたいで、すごく衝撃的だったというのを後々聞いたんですよ。彼女は小学生の頃から、「潮田令子という、すごい強い子がいる」と思っていたんですね」

川田「小椋さんの中では、小学生の頃から「この子を超えないといけない!」と思ったのかもしれないですね。小椋さんに出会って、シングルからダブルスへ移行されたわけですけど、最初は順調にいきましたか?」

潮田「高校生まではシングルスプレイヤーだったので、ダブルスにピンと来なかったんです。高校でジュニア選抜の日本代表に小椋さんと選ばれて、海外の試合に参戦するようになっていきました。彼女と組むことによって、ダブルスって何て楽しいんだろうと思ったんですよ。
小椋さんが大阪の四天王寺高校にいて、三洋電機に練習に行っていて、高校三年生の時に三洋電機に行く事を決めていたんですね。彼女がずっと一緒にやろうよと、当時は文通でやり取りしていました(笑)。
「玲ちゃん一緒にオリンピック目指そうよ」と懸命に誘ってくれて、オリンピックを目指したいと思うようになったんですね」


●ターニングポイントは「アテネオリンピック」

川田「アテネオリンピック、ここが第一のターニングポイントとなるわけですね。どんな出来事がターニングポイントになったんですか?」

潮田「アテネオリンピックの選考レースに出たんですけど、バドミントンって一年間かけて世界ランキングを上げて、ベスト10に入れば、オリンピックに出られるという権利なんです。
協会の推薦枠で海外を一年間転々とさせていただいたんですね。その時はオリンピックに対してピンとしていなかったんです。全日本でもベスト8くらいの実力だったので、世界でもなかなか勝てないし、こんな私たちがオリンピック目指していいのかな?という思いだったり、オリンピックに対して、はっきりとした目標になっていなかったんですね。
そんな中で、チームの先輩達が何人かオリンピックに出場したんです。先輩達が涙を流しながら、オリンピックに出られる事を喜んでいたんですよ」

川田「そうだったんですね」

潮田「オリンピックから帰って来た時も、「どうでした?」と聞くと、オリンピックは出た人にしか分からないという事を言っていたので、ものすごく大きなチャンスを逃してしまったんだと思ったんです。
それから、まずは絶対に全日本をとって、日本のナンバーワンとして世界に参戦する。胸を張っていけるように頑張ろうねと、彼女と話しながらやっていましたね」

川田「4年後、見事、北京オリンピック出場権を得るわけですけど、その時の気持ちはどんな気持ちか覚えていますか?」

潮田「正直、あまり思い出したくないんですよ(笑)。オリンピックに出られて嬉しかったなという気持ちもあるし、いざコートに立った時に、やっとこの舞台に立てるという思いもあったけど、その4年間の中で、とにかく大きく色んな環境が変わってしまって。
自分たちだけでは消化出来ないプレッシャーを感じる様になったり、オリンピックに対しての恐怖心が出てしまったりだとか、精神的に弱かった部分もあったと思うんです。
その中で良いパフォーマンスが出来なかったというのが、正直コンプレックスとして残ってしまったというのはあるので、胸を張って「出ました!」と言えない自分も正直あるんですよね」

川田「一気にオグシオブームが来たのが、この4年の間ですよね。その時って、皆さんが「とにかく、オグシオが見たい!」と来てる人達がほとんどだったと思います。それって、純粋に嬉しいと思えなかったりもした時はあるんですか?」

潮田「ありましたね、応援してくれるのは嬉しかったんですけど、絶対に負けられない!と思い過ぎちゃってる自分もいました。オリンピックに向けての期待のされ方が、自分たちが思っている以上のものを感じるようになってしまって。
オリンピックを2ヶ月前に控えた時に小椋さんがケガをしてしまって、大会に参戦出来なかったり、でも、オリンピックは2ヶ月後に迫っていて、報道は過熱していくじゃないですか。
インタビューでも、メダル、メダル、メダルと言わないといけない自分もいて、このメダルをとれなくて、皆さんの期待を裏切ったらどうなってしまうんだろう?と、その葛藤を感じてあの時は過ごしていました」

川田「当時の自分に、今はどんな言葉をかけてあげたいですか?」

潮田「やめなくて良かったねって、あの時逃げ出さなくて良かったねと、かけてあげたいと思いますね」


>>来週も引き続き潮田玲子さんのインタビューをお届けします。お楽しみに。

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