Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2015.05.31

「ずっと音楽をやっていて。テレビは好きでしたけど、見るものとしか思っていなかったです」:菅賢治
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』や『踊る!さんま御殿!!』など、数々のバラエティ番組をヒットに導いた名プロデューサー・菅賢治さんをゲストにお迎えしました。


●一生懸命だから諦められた


川田「菅さんのように、“作り手がテレビに出る”というのって、どういう所から始まっていったんですか?」

「テレビ界で表舞台に裏方が立つって、一番初めは「ひょうきん族」のスタッフの人達だと思うんですけど、それにずっと憧れていたんですよ。僕自身が「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」にメインで出演したのはヘイポーのお見合いだったと思います」

川田「放送から26年も経つ長寿番組ですが、菅さんの第1のターニングポイントはどこになるんでしょう?」

「テレビ屋を始める前ですね。僕は、日本大学藝術学部の放送学科というところを卒業したので、最終学歴を言うと“ストレートにテレビ界に入ってきたんだな”って思われるんですけど、日芸の軽音楽部に行きたかっただけなんですよ。有名なミュージシャンがいっぱいいたし…。それで、よせばいいのに5年も行って、卒業しても就職もなく。だから、大学ではずっと音楽をやっていたんです」

川田「大学に行っていた時はテレビ業界を目指してないということですか?」

「全く眼中になかったですね。テレビは好きでしたけど、見るものだとしか思っていなかったです」

川田「逆に、仕事にしたかったのは何だったんですか?」

「音楽です。曲を書いたり、詩を書いたりして、当時はバンドもやっていたので、渋谷の宇田川町にあったライブハウスで週に5、6日くらい出ていました」

川田「菅さんはどのパートをされていたんですか?」

「僕は、歌を唄って、曲作って…。っていう感じでしたね。その時は音楽事務所に所属はしていたんですけど、きちんとした契約をしていたわけではなくって。『このまま行くと、なんとなく何かにはなるのかな』とは思ったんですけど、ある時に『俺、才能無いぞ』って思ったんです。才能が無い人がこういう商売をしちゃいけないと思って…」

川田「誰かに言われたわけではなく、思ったんですか?それまでずっと音楽に力を傾けてこられて、そこで諦めるのもかなりの勇気がいりますね」

「一生懸命やっていたから諦められたんだと思います。中途半端にやっていたら、まだやっていたと思いますよ」

●ついにテレビ業界へ…


川田「そこから、どういう風に就職活動などはされたんですか?」

「その後、アメリカに行って、音楽の勉強なんてやらずに毎日ダラダラと過ごしていたんです。それで、3〜4か月くらい経って日本に帰った時に、大学の教授から電話があって、『確か、音楽やっていたよね?日本テレビが今度ミュージカルをやろうとしているから、スタッフとしてどうだ?』って言われたんです。
それは楽しそうだなと思って面接に行ったんです。でも、全くテレビの経験が無かったので、『じゃあ、テレビ番組のADからやったら?』ということで、バラエティ番組のADとして日本テレビに入ったんです」

川田「不思議な経緯ですね!いきなりバラエティ番組のADをされたんですか?」

「はい。桂小金治師匠の「それは秘密です!!」という番組のフォースという4番目のADとしてやっていました」

川田「ADというと、雑用だったりとか…結構大変ですよね?」

「そうですね。先輩の煙草を買いに行くとか、お弁当を運ぶとか…。ヘッドセットを貰った時はめちゃくちゃ嬉しかったですね(笑)」

川田「そもそも、菅さんがテレビ業界に興味を持ったきっかけというのは何なんでしょうか?」

「物心ついた頃から、お笑いのネタ番組が大好きで。「シャボン玉ホリデー」がどうしても見たかったので、中学1年の誕生日プレゼントにコンバーターを頼んだんです。本当におしゃれで面白くって、番組の最後に出るスタッフロールに日本テレビの大先輩なんですけど、秋元近史さんという名前があって、『こんなすごい番組をつくる人がいるのか!』と、思ったのがインプットされていたんですよね」


>>来週も引き続き、菅賢治さんに放送業界に入ってから訪れた第2のターニングポイント、そして、これからの夢についてお話を伺っていきます。

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2015.05.24

「基本的に”何で?何で?星人”なんですよ(笑)」:清川あさみ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、”写真に刺しゅうを施す”という独創的な表現方法が注目を集め、あらゆる業界からオファーが絶えない、美しすぎるアーティスト清川あさみさんをゲストにお迎えしました。

●天才が纏うオーラ


川田「清川さんの第2のターニングポイントは、”会いたい人と仕事をした時”ということですが、お名前を挙げていただいたのが、漫画家の矢沢あいさんです。これは、「Paradise Kiss」でしょうか」

清川「私もお仕事を始めたくらいで、矢澤さんにお会いしたときは、私がファッションの学校に通っていて、当時はぶっとんだ格好をしていたんです。それを、色んな雑誌などで見てくださっていて、すごい人なので一緒にお仕事出来ただけで嬉しかったですね。
お会いしたときのオーラがすごかったです。紹介される前にトイレで会ったんですよ。向こうも、私の事を『オーラがすごい』と言ってて、私も何かオーラすごい人がいるなと思ったんですよ(笑)」

川田「お互い感じていたんですね(笑)」

清川「その後に紹介し合ったとき、『さっきトイレで会いましたよね』って(笑)。天才のオーラというのがあって、努力とか、才能とか、そういうものを超えちゃっている。そういう人って、どっかと繋がっているんですよ」

川田「アラーキーさんも、相当な方だと思いますね」

清川「私が荒木さんの写真が好き過ぎるので、無理だろうとは思っていたんですよ。作品集を出す時に写真に撮るじゃないですか。でも、荒木さんは自分の作品しか撮られていない方なので、無理だろうなと思っていたんです。お会いしたら『君、面白そうだね』というのがスタートだったんです(笑)。
作っている物を見せたら『人の作品を、俺は撮らないんだぞ』と仰っていたんですけど、話をしていくうちに撮ってくださる事になったんです」

川田「そうだったんですね」

清川「とても貴重な機会だったなと思うんですけど、作品を撮ってくれて、プラス私も撮られたんですよ」

川田「ご自身の顔に刺繍をされたのも、荒木さんと一緒の作品ですよね?」

清川「私が作品にするので、縫うのは分かっていらっしゃったと思うんですけど、『まさか、自分の顔をぐちゃぐちゃにするとはな(笑)』と笑っていて、ビックリされてました(笑)」

川田「ティム・バートンさんや郷ひろみさんもそうですけど、谷川俊太郎さんはいかがでしたか?」

清川「私の中では神様みたいな感じで、すごい色っぽい人なんです。あまりにも頭がいい人って、色気があるんだなと思うくらい。言葉もいちいちすごいんですよ。打ち合わせをしていても、3歩先に行くので早いんです、アイデアもたくさん出て来るし”なんだろう、あの人は?”っていう感じでしたね(笑)」

●アートの交差点


川田「清川さんは、会いたかった方とお仕事をした時が第2のターニングポイントという事ですが、思い付いたら、すぐ行動されますか?」

清川「私はそうですね。スイッチが入ると、すぐ動いちゃうんです」

川田「スイッチが入るきっかけ、源はどこにあるんですか?」

清川「日常問題とかを、”何でこういう事って起こるんだろう?”とか、モヤモヤと、いつも考えている事が種になっていくんです。例えば”ハロウィンとか、何であんなに仮装するんだろう?”とか、基本的に”何で?何で?星人”なんですよ(笑)。
何でなんだろう?というところから入っていくのが、問題定義になって、パズルの様にコンセプトになっていくんです」

川田「子供の時ってそうでしたよね。『これ何で?知りたい!』っていう感じでした」

清川「そう、基本的に頭の中が子供なんですよね(笑)」

川田「地元もすごく大事にしているのも素敵だと思います」

清川「淡路島で実物の作品を観てみたいという方が沢山いて、『行きたいけど、遠かったので行かれへんかったわ』と言われるので、じゃあ、持っていけたらいいなと思っていたので「ONOKORO」という施設に、仮設でギャラリーを作ったんです」

川田「この5月からスタートしたんですよね」

清川「オープンと同時に700人くらいが来てくれて、感想も違うので、みんなそれぞれに何か持っているんだな思いました」

川田「それが、また次の作品に繋がる一歩だったりしますしね」

清川「自分の感性って、「島」にいたという事が大きいんですよ。絵本で風景を描くじゃないですか。ああいう景色って、小さい頃の記憶で描いてるんですよ。だから、想像で描いているんです」

川田「淡路島の景色は、今の作品に繋がっているんですね」

清川「緑とか、川とか森、人間に必要なものが、”ぎゅっ”と詰まっている。感性が養われる場所なので、みんなにも来てもらいたいなと思います。移動教室みたいなのが面白いなと思って、東京から友達を連れていったんですけど、みんな喜んでくれて、みんな連れていこうかなって」

川田「淡路島で観る清川さんの作品は、また違って観えたりしますよね」

清川「先生も、こっちのアーティストも連れていって、というのをやってみたいと思います」

川田「お互い、いい相乗効果が生まれたりしますよね。福井県の「金津創作の森」で開催される個展は、どういったものになりそうですか?」

清川「これはすごい大きな個展なんですけど、「金津創作の森」は森の中にある美術館ですごい素敵な場所。私、即決で『やりたい!』って(笑)。広いんですけど、森の中も歩いたり出来る場所ですね。
心に栄養が欲しいから、美術館って観る場所じゃないですか。そういうのにピッタリな場所です。今回は作品をいっぱい出すので、「生命」とか「命」とか、自分が感じる面白いなと思うものを採集した展覧会にしようと思っています」

川田「バリエーション、数も多いんですか?」

清川「新作も、けっこう。そこでしか見られないものばかりになるんじゃないかなと思います」


>>来週のゲストは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』など、数々のバラエティ番組をヒットに導いた名プロデューサー・菅賢治さんです!


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2015.05.17

「絵本というものが自分の体の中にインプットされていて、いつか描くんじゃないかなと思っていました」:清川あさみ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は”写真に刺しゅうを施す”という独創的な表現方法が注目を集め、あらゆる業界からオファーが絶えない、美しすぎるアーティスト清川あさみさんをゲストにお迎えしました。

●後世に残すもの


川田「清川さんの作品集「美女採集」「男糸」「東京モンスター」などは常に話題を呼び、最新作はシートン動物記「狼王ロボ」。これはまた違った作品を選ばれたんですね」

清川「自分がこれをやるまでは、ちゃんと読んでいなかったんですけど、すごい良い話だったのでやろうと思いました」

川田「小さい頃に読んだり、見たりした記憶のまま置いてしまっているものって沢山ありますよね」

清川「自分が成長していたりすると、子供の頃に感じていた感覚と180度くらい違うんですよね」

川田「そこに絵をのせて、作品をのせると、読んでる人って文字だけではなく、絵も見て想像が膨らむ。すごく大事なものですよね」

清川「そうですね。絵を描くのも楽しくて。私は泣かなかったんですけど、これを見た人はみんな泣いてて(笑)」

川田「私も泣きましたね(笑)。それだけ、この作品に入り込める雰囲気だったり、感覚をみんなに渡すというのは大切だなと思います」

清川「過去、色んな人がそれを絵本にしてるじゃないですか。それを超えたいし、未来に「狼王ロボ」を読むなら、この絵本にしようと思ってもらえるものにしたいと思っています。
図書館に行っても私のシリーズが置かれていて、それを子供達が読んでいると”初めて知ったお話がこの絵本で良かった”というように、その時に、初めて作ってて良かったなと思いますね」

川田「こうした絵本制作が清川さんの夢の一つだったそうですが、その夢に向かうまでの第1のターニングポイントは何ですか?」

清川「3歳か4歳の時に交通事故にあって、その時の足の状態がひどくて。私は淡路島出身なんですけど、しばらく徳島の病院に一人で入院していたんですよ。
親元を離れて一人でいるわけですよね。淋しいだろうと、母が島から通ってくれていたんですよ。その時に病室を覗いたら、お年寄りから同い年くらいの子までが一緒の部屋で、私は似顔絵を描いてパフォーマンスしていたらしくて、全然淋しそうじゃなかったみたいなんですよ(笑)」

川田「お母様も、ちょっと安心したんじゃないですかね(笑)。そこには、色んなドラマがあったんでしょうね」

●転機を迎える時



川田「清川さんは、3歳で足を切断するかもしれないという状況になり、一人で淡路島から徳島の病院に入院していたという事ですが、交通事故だったんですか?」

清川「そうなんです、はっきり覚えてるんですよ。私は身長が小さくて、すごい大きい車だったんですよ。手をあげてるつもりが、あがっていないように見えちゃったんじゃないかという感じで…。
大丈夫だろうと、しばらく島にいたんですけど、足が変形していって、だんだん良くない状況になりました。それで、違う病院に行ってみると『もうちょっとしたら、切らなきゃいけなかったよ』という話だったんです」

川田「それで、一人で徳島の病院に入院する事になったと」

清川「一人でいるしかなかったので、楽しむしかないから。病院って暇じゃないですか、色んな人の似顔絵を描いてパフォーマンスをしてました。それが、絵を描いたスタートがだったと思います。
その時期に、母にオスカー・ワイルドの絵本『幸せな王子』を読み聞かせてもらったのが、けっこうなターニングポイントだったと思います」

川田「3、4歳の頃に、どういうものを読んでもらって、どう感じたかを私たちは覚えていないんですけど、その記憶はありますか?」

清川「それがすごいあって、オスカー・ワイルドの「幸せな王子」というお話は文章だけだったんですけど、頭の中に絵がいっぱい浮かんで、泣いちゃうみたいな。『なんて良い話なんだ!』と、『オスカーワイルドすごい!』と感動をして。
うちには色んな絵本がたくさんあって、その中で一番好きだったのが「幸せな王子」でした。絵本というものが自分の体の中にインプットされていて、いつか描くんじゃないかなと思っていました」

川田「早い段階から、描きたいなと思っていたんですか?」

清川「母のお手伝いで、生徒さんに絵を描いたりするんですけど、一緒に色んなものを作ったりしていたので、普通にやるものだと思っていました」

川田「最初に手がけられた絵本が「幸せな王子」ですけど、すんなりとそっちに入っていかれた感覚ですか?」

清川「色んな作品を発表している時期に、本を出したいなと思っていて声をかけてくださったのが、この本を出している「リトルモア」さんです。
私はその出版社が好きだったので、色々見せに行った時に、向こうから来たのが『絵本を描くのはどうか?』という事だったんですよ。しかも『「幸せな王子」はどうですか?』と言われて、運命だと思いました」

川田「それは、ただの偶然ではない感じがしちゃいますね」

清川「担当になってから10年以上、付き合いが長いんですけど、最初のきっかけのお話が「幸せな王子」というところは、大きかったなと思います」


>>来週も引き続き、清川あさみさんに第2のターニングポイント、そして、これからの夢についてお話を伺っていきます。


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2015.05.10

「責任を持ってやれるだけの事をやろうと思って挑戦しました」:ミュージシャン MIYAVI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、世界を舞台に活躍する“サムライギタリスト”で、ミュージシャンのMIYAVIさんをゲストにお迎えしました。

●もっと上へ、常に前へ


川田「MIYAVIさんの第二のターニングポイント。これは、いつ、どんな出来事だったのでしょうか?」

MIYAVI「2014年、32歳の時にロサンゼルスに移住した時です。17歳の時の上京と同じ様な、今度は背負うものがデカくなって、家族も、スタッフも、ファンもいる。その一歩は大きかったし、理由は明確で”もっともっと前に進む”それだけ。その為に自分にとって必要なものはそこにあると…」

川田「だいぶ前から”いつかはロスに…”と、決めていたんですか?」

MIYAVI「今回、4度目のワールドツアーを終えて移ったんですけど、3度目のワールドツアーの時に行こうと思っていたんです。それが2011年、震災があった年で、まだまだやれる事があるだろうし、違うなと思って今に至ります」

川田「こうやってお話をしていると、常に世界を見られているんですけど、日本の事をすごく大切に考えているなと思います」

MIYAVI「それはそうですよね。外に出れば出るほど、自分のアイデンティティを感じるし、僕なんかはハーフコリアンで、父方がそうなんですけど。日本で生まれて育って、日本人として世界中を回っていて、「フロム・トーキョー」「フロム・ジャパン」と言われるわけじゃないですか。その度に自分がしょっぱかったら、みんなしょっぱいと思われるでしょ?それは、気を引き締めてやっていますね」

川田「『これまでに叶えた夢は?』という質問をさせていただきましたが、その答えに「夢ではないけれど、娘達の誕生はかけがえのない瞬間であり経験でした」と書いて下さいました。お子さんを授かった事で、環境の変化、気持ちの変化はありましたか?」

MIYAVI「やっぱり、自分のDNAを持った人間が増えるわけでしょ?彼女達の住む未来に対しても責任を持つ様になりますよね。より色んな事に対して考える様になるし、自分の作品にとっても、責任をもっと感じますね」

●目指す世界は…


川田「2014年から、活動の拠点をロスにされているMIYAVIさんですが、アンジェリーナ・ジョリーさんが監督された映画『Unbroken』に出演されていますよね。このハリウッドデビュー、これについてはご自身はどう思ってらっしゃいますか?」

MIYAVI「原作の内容が色々波紋を呼びかねない内容だったのと、僕自身が俳優としての経験がないので、お断りしようと思っていたんです。だけど、アンジーが東京に来たタイミングで直接その話をして、「原作とは切り離して、この映画では主人公のルイス・ザンペリーニ氏の生きるという事に対しての姿勢と、最終的に許しという境地に辿り着くまでの過程を描きたい」という彼女の熱意。
実際に僕も、彼が長野オリンピックで聖火ランナーとして走った映像を見ました。彼も、地元の子供達も、みんな笑顔なんですよね。それこそが、彼が伝えたかったメッセージでもあるし、この映画の一番のテーマですよね。僕の演じた役は実在する人物で、悪役ではあるんだけど、その中に葛藤だったり色んなものを映し出して、それが伝われば意味があると思ったし、責任を持ってやれるだけの事をやろうと思って挑戦しました」

川田「アンジーは、MIYAVIさんの音楽、パフォーマンスはご存知だったんですか?」

MIYAVI「そのタイミングで、インターネットだったりで見てくれてたみたいで。彼らからしたら僕はノーネームなので、スタッフだったり、そういう人達を説得するのにライブの映像とか、色んなものを使ってプレゼンをしてくれたみたいですね」

川田「そこからは、アンジー、ブラピ家族とは家族ぐるみのお付き合いだそうですね?」

MIYAVI「人として、すごく色んな事を学ばさせてもらっているし、あそこまでいくとミッションがあるというか、国がどうとか、人種がどうとか、色々影響受けていますね」

川田「MIYAVIさんの目指す世界とどんどん近くなっていってますね。これからの理想のアーティスト像だったり、やってみたい夢を教えてもらえますか?」

MIYAVI「特にないんですよね。実際グラミーだったり、アカデミーの話をしましたけど、目標でもなんでもないし。結局評価であって、グラミーに選ばれなければ良い作品じゃないのかというと、それは違うし。聴く人に与える衝撃、そして、人生に対してポジティブであること。メッセージを込められるかどうか、その精度を上げていく以外に無くて、自分の人生の時間をそこにずっと注ぎ込みたい。
例えば、自分が感じた事を必要としてくれる人がいるならば、それをシェア出来て、その輪を広げていくことが出来たら、世界にとっても有意義な事だと思います。イコール、娘達が住む未来の世界にとってプラスになる。それがやれればいいかなという感じですね」


>>来週のゲストは、オリジナルな手法で様々な作品を生み出す美しきアーティスト、清川あさみさんにお話を伺っていきます。

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2015.05.03

「不安もあったし、葛藤もあったけど、希望の方がデカかったから、その一歩を踏み出せたんだと思います」:ミュージシャン MIYAVI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、世界を舞台に活躍する“サムライギタリスト”で、ミュージシャンのMIYAVIさんです。

●世界基準


川田「今回のニューアルバム『The Others』を聴かせていただきました。バリエーションに富んでいて、メッセージ性の強い曲も含まれていると思います」

MIYAVI「今回、4度目のワールドツアーを終えて、ロサンゼルスに移住して、レコーディングは今回もナッシュビルという、アメリカの町で行ったんですけど、とにかくぶっ飛ばされましたね。まぁ、最終的にはぶっ飛ばしたんですけど(笑)。音楽家としてのターニングポイントとなる一枚でもあるし、気付きの経験でしたね」

川田「特に今回は、どういう思いを強く持って作られたんですか?」

MIYAVI「生活も含めて環境が変わって、例えば、今までだったら、グラミー、アカデミーと言ったら、海の向こうの世界だったのが、当たり前にそこで勝負している人達と向き合って、作る過程の中で学ばされたし。今も勉強中なんですけど、この作品を通じて音との距離感が近くなりましたね」

川田「音楽生活をされて長いですけど、距離感というのは分からない事もあるんですね」

MIYAVI「いえ、まだまだですよ。音楽する為に生きてるんじゃなくて、生きる為に音楽をしているんですよ。生きてて苦しくて、悲しくて、楽しくてでも良いんだけど、それを訴える方法が音楽だった。ブルースもヒップホップもファンクも、自分たちのパッションと情熱を、世界の人達と共有しようよっていうスタンス。当たり前なんだけど、ビジネスという枠組みの中だと当たり前じゃなかったりもするし、改めて音楽を楽しめたと思うし、距離感が近くなりましたね」

川田「世界を舞台に活躍するMIYAVIさんですが、最初のターニングポイントだと思うのはいつのことですか?」

MIYAVI「やっぱり17歳で上京した時ですね。18歳で上京はよくあるじゃないですか、それが微妙だなと思って。大阪で生まれて、兵庫で育ったんですけど、サッカーをやっていて、ケガして、挫折して、ギターと出会うんですよ。
それまで、メタリカとかボン・ジョビとかしか知らなかったんだけど、バウハウスやポリス、スティング、色んな音楽を教えてくれた、すごくお世話になった先輩が亡くなっちゃったんです」

川田「若くしてですか」

MIYAVI「彼は、鋲ジャンに眉毛は無いし、モヒカンみたいな人だったんだけど、すごい温かくて。俺はじいちゃん、ばあちゃんも生きてたし、人がいなくなるという事に対しての免疫がなくて、同じ景色でも全然違う景色に見えるんだよね。自分の精神状態次第というか、自分の心だったり、自分の目を通じて見える景色はフィルターがかかっていて、その時、すごいショックだったし。”いつかは世界と勝負する…”と、漠然としてたけど」

川田「その時に、世界を視野に入れてたんですか?」

MIYAVI「サッカーやっていたというのもあるかな。何も持たずに17の時に来ましたね、それがデカかったっすね」

●不安と葛藤のなかで


川田「東京に来て、まず何から始めたんですか?」

MIYAVI「野宿(笑)」

川田「家も決めてなかったんですか?」

MIYAVI「何も決めてないです、そのまま来て(笑)。これだけ聞くと美談なんですけど、中学校の時に付き合っていた女の子が、親の転勤で別れちゃったんですよ。東京に転勤したというから、そこだろうと思って行ったんですよ。朝方に東京駅について、彼女が八王子の方に住んでいて、学校終わるのが夕方で、お金もないからずーっと駅で待っていたんです。「お待たせー!」って来て、ぱっと見たら、ガングロになってたんですよ(笑)」

川田「完全に想像と違っていたんですね(笑)。そこで一回打ちのめされてしまうわけですね」

MIYAVI「これが東京か〜と思いましたね(笑)」

川田「そこから、どうやって生活を始めたんですか?」

MIYAVI「ライブハウスに遊びに行ったりとか、こういう性格なので、色んな人と知り合うんですよ。バンドに誘われたり、モデルやらないか?みたいに言われたり、全部胡散臭く見えたので、どうしようかなと思っていました。
「Calling」という曲は、その事を歌っていて。道は見えていなくて、ここを登ればこうなるというものはないけど、光だけはずっと見えていて、そこから聞こえる声にずっと呼ばれている感じでした。不安もあったし、葛藤もあったけど、希望の方がデカかったから、その一歩を踏み出せたんだと思います」

川田「環境だったり、お金だったり、そういうものが無かったとしても。希望さえあれば、そこが一番大事な物になるんですね」

MIYAVI「ほとんどが後天的だと思います。生まれた時点で何を持っているかというと、そこの希望を感じられる感受性だけ。得手不得手で言ったら、僕はギター向いてないですよ。ぶっちゃけ、マネージャーとかの方が向いてると思う」

川田「人に対して動く、裏方の方が向いてる感じがするんですか?」

MIYAVI「プランニングしたりとか、気配りする方が得意だと思うんですけど、ここまで来ちゃったから(笑)」

川田「自分の事も、マネージメントしていかないといけないことになりますもんね」

MIYAVI「そういう時代になっていますからね。おんぶに抱っこで、誰かが連れていってくれる時代ではないですから」

川田「何歳までにこれをしてという、区切りはあったんですか?」

MIYAVI「俺の中では、20歳までに世界中を飛び回って、英語も喋れて、色んな人とコラボレーションしたり…っていうのがあったんですけど、今、押してます。だから、今巻き気味で頑張ってます(笑)。次の世代はもっと早くなるし、語学にしても、普通にバイリンガル。仕事の2つ3つをやったりとか、そういうハイブリッドな世代が出て来るだろうし。そこまでの駆け足ですね」


>>来週は、引き続きMIYAVIさんに、第2のターニングポイント、これからの夢、野望についてお話を伺います。

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