Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2015.08.30

「『頑張る』って言葉が、10代の頃は大嫌いだったんですよ」:加藤ミリヤ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続きお迎えするゲストは、加藤ミリヤさんです。シンガーソングライター、ファッションデザイナー、小説家と、さまざまな顔を持つ女性アーティスト。
デビュー当初は”女子高生のカリスマ”と言われ、デビューから11年経った今も、女性の心に寄り添い続けています。


●ガンジス川で沐浴


川田「ミリヤさんは、今年の夏、旅行に行く時間もあったと伺いました」

加藤「私、毎年海外へ旅に行くのが好きで、今年はインドに行きました」

川田「行ってる間は、カレーばかり食べていたそうですね?」

加藤「カレーしか食べなかったですね(笑)。私、夜ご飯を食べないので、朝と昼、毎日カレー。インドの人にも、『毎日カレーを食べたいって言う日本人は初めてだ』って言われました(笑)」

川田「それくらい美味しかったですか(笑)」

加藤「私、スパイスから作るくらいカレーが好きなので(笑)。もう、胃痛に耐えるというか、いわゆる迎え酒的なノリですね(笑)。ダルっていう豆のカレーが好きで、マトンとか匂いにクセのあるもの大好きなので…。あと、普通のインドの一般家庭にお邪魔したりしましたね」

川田「すごい現地の人とも触れ合って。観光客が行くようなところだけじゃない感じの旅ですね」

加藤「そうですね。車で走っていて、『ここで降りたい!』みたいな(笑)。ガンジス川も入りました」

川田「沐浴もされたんですね」

加藤「頭までガッツリ入りましたね。そしたら、すっごいスピリチュアルなことが起きたんですよ。頭までドボンと浸かって、無の状態で顔をスポッと出したら、感覚的なんですけど、体の中から轟音!みたいな。何かが込み上げてきて、嗚咽で泣いたんです。
その涙が悲しくなくて、何か分からないで泣いているんですよ。びっくりするくらい号泣が止まらなくて、『ありがとうございます!』みたいな。
一緒にいたインド人の人が、『ガンジス川はそういう場所なんだ、感じる人にはそういう風に感じる場所』と言われて、すごく良い体験でした」

●心の変化は


川田「ミリヤさんは、今年でデビュー11年。いろいろなことがあったと思いますが、やめたいと思ったことはありますか?」

加藤「やめたいと思ったことは、1回もないんですよね。基本的に自分を痛めつけるのが好きだと思うから(笑)、毎日何かをやってたり、”忙しい””辛い”が、だんだん気持ちよくなってくるという感じなので」

川田「辛い状況も楽しめるんですね。好きという気持ちは変わらないんですか?」

加藤「変わらないですね。年々、もっと音楽が好きになっています。それがありがたいですね。最初は自分のために歌を書いて、音楽に自分を委ねているだけという感じでした。今は、音楽と共に人生を楽しんでる感じですかね」

川田「歌詞にのせて、いろんな思いを表現できるわけですけれども、どんなことをみんなに伝えていきたいと思いますか?」

加藤「私自身、デビューしたのが若かったというのもあって、大人になっても、10代とか若者世代の思いが自分のことのように気になるし、愛おしくって。これから時代を作っていくのは私たちだから、みんな頑張って欲しいんですよ。
一番伝えたいのは、欲を持って生きたらいいと思うんです。欲って言うと、マイナスのイメージがありますけどね」

川田「あれしたい、これしたいと言うと、”また、そんなことばかり言ってる〜”と、思われちゃったり…」

加藤「私は、それでいいと思う。それって、モチベーションだし、『そのために、あなた何するべきなのか?』と言われると、おのずとやるべき事が見えて来るから。何でもいいんですよ、”今日、あそこのあれが食べたい!”とか、”水着が着たい!”とか、何かをしたいというのは、自分を持ち上げてくれることなので、そうじゃないと人生楽しくないじゃんみたいな(笑)」

川田「なるほど」

加藤「私、『頑張る』って言葉が、10代の頃は大嫌いだったんですよ。”頑張んなくても、私はもともと備わってる”みたいに思っていて、それは絶対に嘘で、頑張るべきなんですよ。だから、今でも頑張っています」

川田「ミリヤさんも、歳を重ねていくうちに変化してきたんですね」

加藤「人なんて本当に無力だから、自分のことを大切にしてくれる人を大切にするし、大切にしてもらいたいと思ったら、誰かのことを大切にしないと、っていうことを気付いてから、人との関わり方が変わりました」



>>来週のゲストは、俳優の加藤雅也さんです。お楽しみに。


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2015.08.23

「変なこだわりがあったんですよ(笑)」:加藤ミリヤ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週お迎えするのは、加藤ミリヤさんです。シンガーソングライター、ファッションデザイナー、小説家と、さまざまな顔を持つ女性アーティスト。
デビュー当初は”女子高生のカリスマ”と言われ、デビューから11年経った今も、女性の心に寄り添い続けています。


●「ピース オブ ケイク―愛を叫ぼう― feat. 峯田和伸」


川田「9月2日にリリースされる、「ピース オブ ケイク―愛を叫ぼう― feat. 峯田和伸」。これは映画「ピース オブ ケイク」の主題歌ですよね。映画はご覧になられたんですか?」

加藤「映画を観て、最初は単純に『めちゃくちゃ面白い!』と思ったんですよね。何度か恋を経験してる女性は、『分かる!』っていうポイントが多いと思います」

川田「私も拝見したんですけど、不器用な自分、上手くいかないっていう、そのもどかしさが描かれていますよね」

加藤「監督の田口トモロヲ監督は、音楽に対するこだわりがあって。銀杏BOYZの峯田さんとのコラボレーションも田口監督からの提案で、私、中学から峯田さんの大ファンだったんですよ!」

川田「一緒にやるのは、今回が初めてですか?」

加藤「お会いするのも初めてでした。峯田さんも、一緒にやりましょうということになって…。あとは2人で、歌詞は文通みたいな感じで(笑)。私が『こんなの書きました』というのを送って、『何て素敵な文章なんですか。僕、こんなの書いてみました。気に入っていただけたら…』みたいな、そういうやり取りだったんですよ(笑)」

川田「普段使うような言葉なんですけど、それを恋に例えたりされていますよね」

加藤「矛盾しているんだけど”分かる!”みたいな事が好きで、歌い出しの『君を傷付けて、離れなくさせて』っていうのも、好きだから傷付けたくなる時って、私はあるんですよ(笑)」

川田「みんなあると思いますよ。分かってるけど、どんどん傷付けちゃうみたいな」

加藤「ちょっと、いじめたいときがあるんですよ」

川田「自分の中のもどかしさだったり、そういったものも書かれているんですね」

●最初のターニングポイントは?


川田「ご自身が感じる人生のターニングポイント、まず1つ目はいつですか?」

加藤「2004年、私が16歳 高校1年生でデビューした年です」

川田「ミリヤさんにとっては、”やっと…”という感じだったんですか?」

加藤「私としては…、そういう感じでしたかね。もともと13歳でソニーミュージックに入って、3年間レッスンを受けて、その3年間は若かったからか長く感じました」

川田「当時、”デビューしたい!”という、強い気持ちがあったんですか?」

加藤「私、もともと歌手になりたいと思ったことはなくて…。”歌手になる気がする”みたいな感じで、自分がずっと詩を書いていて、”詩を人に伝えたくて歌う”という手段を選んでるだけなので。
まず最初、詩を評価してもらいたかったんです。オーディションに行けば、プロの人が自分の詩を見てどう思うかなって、大人に見せたかった」

川田「じゃあ、自分の友達とかに見せたり?」

加藤「いえ、恥ずかしくて(笑)。知らない大人の人に見せて、どうなのか反応を見たいっていう(笑)」

川田「デビュー当時、自分が目指していたシンガーの理想像はどういうものだったんですか?」

加藤「なるべくメディアに露出しない、したくないみたいな。変なこだわりがあったんですよ(笑)。もともと苦手意識が強くて、出来る限りカッコいい歌を書いて、カッコいい写真を撮って、カッコいいMVを撮って、カッコいいライブをする。それだけで、何とかお願いしたいみたいな思いがありましたから。
沢山の人に聴いてもらいたいというよりも、自分のやりたい音楽を優先して、それを分かってくれる人だけ分かってくれる。ということを一番に望んでいました」

川田「それは変わっていきましたか?」

加藤「変わっていきますね。世の中の音楽の流行もありますし、自分の欲求だったりとか、『今、こういう事をやってみたい』とか、人間なのでコロコロ変わるのを、楽しんだ方がいいなと思いました」

川田「のちに、ファッションデザイナーとして、ブランドを立ち上げられたり。小説も書かれます。こういったことは、どういう
気持ちの変化ですか?」

加藤「音楽だけで表現しきれない自分の才能を感じたら、それを伸ばしてあげたいというところと、音楽を一生懸命やっても、まだ余力があったというところで、ファッションは音楽と同じくらい好きだったのでやりたいなと。
小説に関しては、音楽って一曲の中で成立させないといけないんですよね。文字数とか、歌ありきの言葉なので表現が限られたりとか。でも、小説は文字制限が無くて、言いたい事を言いたい放題言える。そういう場所が自分の中で欲しかった、それだけですね」



>>歌手になる夢を叶えた加藤ミリヤさん。来週は、その後にやってくる第2のターニングポイントについてお話を伺っていきます。


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2015.08.16

「川田さんがこの人好きだなと思う落語家さんが、良い落語家ですから」:春風亭一之輔
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、落語家の春風亭一之輔さんをゲストにお迎えしました。一之輔さんは2012年入門から11年。21人抜きの大抜擢で真打に昇進されました。

ナオト・インティライミさんのミュージックビデオに出演されたり、ユニクロのコマーシャルに起用されたりと、さまざまな分野から注目を集めています。


●師弟愛


川田「春風亭一之輔さんの人生の第2のターニングポイントについてお伺いしたいと思います。これはいつ頃のことですか?」

一之輔「最近ですね。2012年、真打ち昇進の披露興業で、50日間寄席で連続でトリをとりまして。その時と、その後くらいですかね」

川田「トリを50日間ということは、演目もいろいろ考えないといけないと思います。どうやってチョイスしていくんですか?」

一之輔「やっぱり、自分の得意ネタですね。自分の師匠が付いてくれるんですよ。決まった時から、仕事をとらずに50日間スケジュール空けてくれて。申し訳ないけど、嬉しい事ですよね。
師匠だけではなくて、落語協会の会長や、そういう方々もスケジュールを空けてくださって出てくださる。要はオールスターメンバーの中で新人がトリをとるというこですね。
毎日ネタを変えるとか、そういうことをした方がいいのかなと思いつつ、やりました」

川田「でも、50日ですからね。それは難しいですよね」

一之輔「最初、鈴本演芸場なんですけど、10日間変えたんですね。うちの師匠も10日間変えたんです。次が新宿末廣亭に行くんですよ。僕は初日変えて、師匠も変えるんですよ。これは、師匠に喧嘩売られてるぞって(笑)」

川田「どっちが、どこまでいけるかみたいな(笑)」

一之輔12日目で、こんな喧嘩してもしょうがない、『師匠、僕先におりますので…』って(笑)。師匠は16日目まで変えてました。うちの師匠は、50日変えることは出来るんですけどね、『俺もいいや』と、そしたら楽になったと言ってました(笑)。毎日来るお客さんもいて、50日来たって人もいますからね」

川田「その方の生活は大丈夫かな?と思ってしまいますけどね(笑)」

一之輔「バカでしょ(笑)」

川田「愛のあるバカですね(笑)」

一之輔「そういう人達もいますから、ネタはなるべく変えた方がいいのかなって」

●変わっていくもの


川田「素晴らしい真打披露興行だったわけですが、 第2のターニングポイントはその後なんですよね。一体なにがあったんですか?」

一之輔「披露興業が終わったら、”そこからは、自分の力でやっていって下さいよ”という感じなんですよね。一番ドキっとしたのは、真打披露興業というのはトリの僕を観に来てくれるので、言ってしまえば、好意的に、身内の目で見てくれるんですよ。だから、多少ミスしても、大目に見てくれるお客さんが集まってくる。
50日間終わって、次の日から普通の出番になります。20人くらいいるうちの、10番目とか。その時に、自分を目当てじゃなくて来てる人ばかりで、『面白いの、おまえ?』というお客さんばかりなんですよ」

川田「一気に、お客さんの感じがガラッと変わるんですね」

一之輔「うちの協会だけで、真打は100人以上いますから。序列で言うと、僕は一番下の方。上になっていくと人間国宝がいたり…、同じ土俵でそういう人達と戦っていかないといけない、大海原に放り出された感、そういうぼんやりした不安がありましたよね」

川田「そこから、モチベーションを上げて行くにはどうしたんですか?」

一之輔「モチベーションを上げるというよりは、現状を受け入れようと思いました。”自分は一番下っ端で、周りがお膳立てしてくれて広げさせていただいたんだから、それに甘えよう”と。
自分の実力を冷静に考えて、自分の出来ることを精一杯やろうと思いましたね」

川田「ここを経て、変わった部分はどこですか?」

一之輔「やってる事はそんなに変わってないと思いますけどね。ありがたいなと思う気持ちを、持たないといけないなと思いますね。来てくれたお客さんもそうだし、寄席で言うと、自分の前に上がってくれる人のお陰。笑わせてくれたら、とてもやりやすい状況なわけですよ」

川田「前の方がすごく受けてると、次は出づらいものだと思っていました」

一之輔「やりやすいんですよ。前がウケてない方が、自分に責任が回ってくる。前がウケてくれると、非常に良い状況で上がれるので、その人のお陰だなと、ありがたいなと思いますね」

川田「個人プレーと思われがちですけど、意外とその時に出られる皆さんのチームプレーであったりするんですね」

一之輔「寄席っていうのは、団体競技みたいな所がありますね。トリにいいバトンを回すっていうね」

川田「一之輔さんが考える、良い噺家さんとは?」

一之輔「難しいですね。お客さんの好みって、それぞれですから。川田さんがこの人好きだなと思う落語家さんが、良い落語家ですから。
思うのは愛嬌ですね。上手くても、”この人可愛気ないな”っていう人の場合もあるじゃないですか」

川田「応援したくなるみたいな感じですか?」

一之輔「ちょっとクスっと笑っちゃうみたいな。例えば談志師匠なんか、お客さんに対して、芸人らしからぬ偉そうな事を仰る場合がある。
客からしたら、『なんだよ!』みたいなのはあるけど。言ったあとに見せる笑顔で、それが消されてしまうんですよ。可愛い笑顔とかでね(笑)。そういうい愛嬌はすごいですよね」

川田「それで言うと、一之輔さんも、ご自身の知られたら恥ずかしい部分もおっしゃいますし、本に書かれたりしますよね。そういうところに人間味を感じられる方は多いんじゃないかと思います(笑)」



>>来週のゲストは、シンガー、ファッションデザイナー、小説家、多彩な才能を持つ加藤ミリヤさんです。


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2015.08.09

「だんだん吸い込まれるように前のめりになってくるんですよ」:春風亭一之輔
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週お迎えするのは、落語家の春風亭一之輔さんです。2012年入門から11年。21人抜きの大抜擢で真打に昇進されました。

ナオト・インティライミさんのミュージックビデオに出演されたり、ユニクロのコマーシャルに起用されたりと、さまざまな分野から注目を集めています。


●意外性のなかに


川田「意外だったのが、高校でラグビー部を選んだんですか?」

一之輔「中学校までバスケットをやってたんですけど、ゼロから始められる様なスポーツがないかなと思って。「スクールウォーズ」が好きで、県でもベスト8に入るくらい強い学校だったんですよ。
でも、やっぱりラグビーの練習って厳しいんですよね。元日から練習はあるし、当時は熱中症っていう言葉がなかったんですよ。日射病と言ってたんですよね。日射病になると水が飲めるから、日射病になりたくて一生懸命やってた。本当は真似しちゃ駄目ですけどね(笑)」

川田「厳しくて辞めたいと思ったんですか?」

一之輔「30人いた1年生が8人になって、『よし!辞める!』と。辞めないと、何も拓けないという気がしたので」

川田「辞めるのにも、勇気がいりますよね」

一之輔「最後に残った8人なので、残りの7人が家に来てくれて。おふくろが『友達来てるけど!みんな辞めるなって言ってるよ!』って、外の門から『おい!頑張るって言ったろ!戻ってこいよ!』と、友達が言ってて、おふくろに『いないと言ってくれ』って(笑)」

川田「そこで普通、『もう一回やるぞ!』ってなったのかなと思いました(笑)」

一之輔「ここで、情にほだされたら駄目だと、断つものは断たないといけないと思って。そのまま出て行って、『ごめん、辞めるわ』と言って、辞めたんです」

川田「辞めると、急に時間が出来ちゃいますよね」

一之輔「ずっと部活でしたから、何もやることが無いんですよ。ぼーっと電車に乗って、浅草に行ったんですよ。そこでブラブラしてたら、「浅草演芸ホール」の、のぼりがあって。入場料はそんなに高くないんですよね。聞くと、昼の部から夜まで、ずっといられるというので入って。周りがじじい、ばばあばかりでしたね(笑)」

川田「そんな中、高校生なんていなかったんじゃないですか?」

一之輔「詰襟を着て、学生服でね(笑)」

川田「すごい目立ったんじゃないですか?」

一之輔「ものすごい浮力で浮いてましたね。周りは団体のおじいさん、おばあさんばかりで。お弁当食べたり、おせんべい食ったり、落ち着き無いこと、この上ないですよ(笑)。
最初は、『なんだよ、ちゃんと聴けよ』と思ったんですけど、いろんな人が出てくるんですよね。昼の部だけで、20組くらい芸人さんが出て来て、さっきまで落ち着きの無かったじいさんばあさん達が、だんだん吸い込まれるように前のめりになってくるんですよ」

川田「なるほど」

一之輔「最後に、トリがでてくるんですよ。私が見たのは、春風亭柳昇師匠でした。「カラオケ病院」というナンセンス極まりない新作落語を、滑舌の悪い柳昇師匠がやってると、さっきまで落ち着きの無かったおじいさん、おばあさんが、”わーー!”っと拍手して。
こんなに緩いんだけど、みんなが楽しめる空間は初めてで、これは面白いもの見付けたぞと思いました。それから寄席に通うようになったんですね」

●情熱を燃やす


川田「生の落語に出会って、そこから一之輔さんにはどんな変化が起こるんですか?」

一之輔「学校に部室棟というのがあったんですよ。部室が集まってる、プレハブみたいな所で。そこに一つ空きがあって、先生に『あれなんですか?』と聞くと、「落語研究部」というのが昔あったんだけど、20年くらい誰もいないと言われて、『落語好きになり始めたので、落語研究部やりますよ』と言うと、鍵を貸してくれたんですよ。
そこに、20年前の先輩が置いていった落語の本やテープ、座布団、速記本、着物とか帯が散乱してたんですよ」

川田「それは、宝庫ではあるわけですね」

一之輔「これは良いなと思って。掃除して、一人でやるのが嫌だなと思ったので、隣の席のたかぎ君という友達がいたんですよ。『落研というのをやろうと思うんだけど、どう?』と聞くと、『落語とか興味ないから』と言うんですよ。たかぎ君は生物部の部長だったんですけど、浮いてたんですよ。部長なのに、折り合いが悪かったんですね(笑)。
それで、『いいよ、川上とやるよ』となって、一緒に掃除しましたね。僕は先輩が残していったテープで覚えて、たかぎ君は落語に興味がなかったので、覚えたのを聞かせるっていうね(笑)」

川田「たかぎ君は、それが良いのか悪いのか分からないんですよね?(笑)」

一之輔「分からない(笑)。たかぎ君は漫画を読みながら、ポテトチップスを食いながら聞いてるんですよ。『どうだった?』と聞くと、『よく覚えたね!』と、若干上から目線ですよ(笑)。ブルペンしかない野球部みたいな感じでしたね」

川田「よく、もう一度『落語研究部』を作ろうと思いましたね」

一之輔「何か情熱を傾けるものが欲しかったんでしょうね」

川田「それで、日本大学芸術楽部に進学をされたんですよね」

一之輔「落研があったので、吸い寄せられるように入っちゃいました」

川田「大学の落研と言うと、レベルも高いんじゃないですか?」

一之輔「ま〜、その時の落語人気というのは、底を這う様な、モテない君達がやるジャンルであったみたいですね」

川田「じゃあ、メンバーの中でも、面白い人がいたりしますよね」

一之輔「何故か、坊主頭の女の人がいましたね。『楽だから』と、見た目よりも機能性を重視していました。みんな”落語が大好き”というよりも、社会からあぶれちゃった人が集まっていました」

川田「ちょっと個性的な方が多いんですね。一之輔さん自身は、どんどん落語にハマっていったんですか?」

一之輔「そうですね。寄席に通って、池袋演芸場や新宿末廣亭とか、大学の頃によく行ってましたね」

川田「当時は、どんな噺家さんが好きだったんですか?」

一之輔「まず寄席にハマって、そのあと談志師匠にハマりましたね。お金払って客席座っているのに、ビビりながら聴いてるんですよ(笑)」

川田「怒られてる様な感じがしますからね」

一之輔「変なところで笑ったりすると、『今、面白い話じゃないんだけど』みたいなことを言われて、怖いなと(笑)。そういう個性というのは初めて接しました。やっぱりスターですよね」

川田「噺家さんにも色んなタイプがいらっしゃって。きっとそれぞれの個性、オリジナリティを求めていくんだと思いますけど、趣味である所から、生業にして行こうと変わっていくのは、どういうきっかけだったんですか?」

一之輔「当時は就職氷河期もいいところで、諦めムードが漂っていました。落語が好きだし、他で働くのも向いてない…。気が乗らないから、このまま落語家になろうかなと思いながら卒業だけはして。春になったら落語家になろうと思っていましたね」



>>来週も引き続き、春風亭一之輔さんに第2のターニングポイント、そして、これからの夢についてお話を伺います。
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2015.08.02

「その時に、”もう一度舞台に立つ”と決めたんです」:西川悟平
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続きお迎えするのは、動かせる指が10本のうち、わずか7本。そんな障がいを抱えながらもニューヨークで勝負し続ける日本人ピアニスト・西川悟平さんです。

●突き動かすものは


川田1989年、15歳でピアノを始め音大のピアノ科を目指し、その後、見事短大に合格することができたのですが、4大への編入試験には3度失敗。ピアノの練習を続けながらも、生活のことを考えて和菓子屋さんに就職されたんですよね」

西川「僕ね、甘いものが好きなんですよね。店員になると割引がきくんですよね(笑)。当時は、ただ好きな曲を弾いてましたね。調理師さんに『悟平くん、よー練習してるな〜。これだけ練習してるなら、ニューヨークのジュリアード音楽院で教えていたピアノの教授が来るから、前座で弾かないか?』と言われたんですよ。僕は、和菓子屋も繁忙期で『時間内から、やめとくわ』と言ったんです」

川田「え!?断ったんですか!」

西川「そしたら、『時間がないんじゃなくて、自信がないだけやろ?』と言われて、それで”キー!”となって(笑)、出るわ!と言いました。その時にショパンの『バラード1番』という曲を弾いたんです。
弾いた後に、デイビッド・ブラッドショー先生というアメリカの巨匠の先生に『仕事は何してるの?』と聞かれて、『和菓子屋の店員です』と言うと、『いいね。でも、それは君が本当にしたいことなの?』と言われて、『もし君が自分の人生について、ピアニストとしてシリアスに思っているなら、ニューヨークに来い』と言われたんです」

川田「それは、すごい事ですよね!」

西川「でも、僕は3ヶ月間、連絡すらしなかったんです。ある日、仕事から帰って家で吉本新喜劇を見て笑ってたの、その瞬間に”僕、なにやってんねやろ…”と思ったの。
次の日に先生にメールしたんですよ。すぐに『早くおいで』と、返信が来て。滞在出来る90日間丸々来いと言ってくれたんです。そして、25歳で、1999年にニューヨークに行く事になりました」

●希望の光


川田「ニューヨークにスカウトで行って、練習出来る環境があって、コンサートも成功させて…。しかし、そこでジストニアという病気を発症してしまうんですよね」

西川「ニューヨークに行かせていただいたんですけど、僕は基本的に、ピアニストを目指して英才教育を受けて来たサラブレッドじゃないんですね。そこでメッキが剥がれたというか、もともと、この曲を弾きたいと練習をしていた僕が、今度は世界のひのき舞台に立って、批評される側に立つんですね。
そうすると、自分の表現でやりたいと思っていた事が、”みんなに受けるように弾かないと悪いことを言われるかな”とか、ネガティブな思いを持ちながら練習していました」

川田「なるほど」

西川「そうしていくと、どんどんプレッシャーがかかって、そういうものに押しつぶされてしまったんだと思います。病院では、原因は分からないと言われていますけどね…。
精神的なものがあって、そこへ、詰め込んだ練習をやりすぎた。それで神経がパンクしたんだと思います」

川田「今は7本動かしていらっしゃいますけど、発症した当時はどれくらい動かなかったんですか?」

西川「ほぼ、グーの状態です。親指とかは動きますけど。その時しんどかったのが、毎日毎日365日 10年間やってきた演奏の方法が、出来なくなって来た事が一番怖かった。最終的にお医者さんから、プロとしては一生弾けないだろうと言われて。今までの人生でやってきた3万時間をドブに流すと思ってしまいました」

川田「それは、想像を絶しますね」

西川「僕は自殺未遂をした時期があったんですね。10代から夢に向かってやってきたのに、それがすべて無駄になること…。落ち込んだけど、痛かったんですよ、僕は根性無いから(笑)。
死ねる痛さに耐えられるなら、精神的痛さに耐えられるんじゃないかと思って、もう一回挑戦しようと思ったの。それで、掃除夫になって、いろんなところを掃除して回ったりして…」

川田「そういう事もされていたんですね。

西川「ある日、お屋敷みたいな所でパーティーがあったんです。そこにアメリカ人のピアニストが雇われて、ショパンとかを弾いていたんですよ。僕は掃除夫として雇われていて。お屋敷の人にピアノの下に、犬と猫が催したから、片付けてくれと言われて…。
処理するのは簡単なんですけどね、ピアニストが弾いてる下に入って片付けたの。そしたら、みんなが”汚い”と僕を避けたんですよ。その時に、”もう一度舞台に立つ”と決めたんです」

川田「すごい体験ですね」

西川「僕は子供が大好きなんですけど、幼稚園の掃除に行っていて、子供達の前で1本指、2本指で「きらきら星」を弾いたら、子供達が喜んで踊ってくれたんですよ。
今までは、きちんとした指使いを気にして、こだわって、そのように弾けない事で挫折感を味わってきたけど。動く指が一本でもあれば、その鳴る音で音楽を表現すればいいじゃん、という事がわかったの」

川田「そこに気付いたんですね」

西川「十何年かけて築いて来た知識、テクニックを一回ゼロに戻して、一からもう一回始めたんですよ」



>>来週のゲストは、人気と実力を兼ね備えた注目の落語家・春風亭一之輔さんです。

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