Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2015.12.27

「世界も見れるようになったと思うし、ポジティブに自分を振る舞えるようになったと思います」:プロテニスプレイヤー・土居美咲選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、現在日本ランキング1位、プロテニスプレイヤーの土居美咲選手です。

土居選手は、今年10月女子テニスツアー「ルクセンブルク・オープン」で、自身初のツアー優勝を飾りました。

今週と来週、土居美咲選手の人生のターニングポイントについてお話を伺っていきます。


●世界をめぐる


川田「土居選手がテニスを始めたのは、何歳の時だったんですか?」

土居「6歳の時に始めました。両親がテニスをやっていたので、コートについて行って、壁打ちが楽しくて1人でやっていたのを覚えています」

川田「中学校に上がられて、全国のテニス大会でベスト4入り、この時から注目されるようになっていったわけですよね。”これを一生の仕事にしよう”とか、”プロになりたい”とは、どの段階で思うものなんですか?」

土居「漠然と”プロになりたいな”と思っていたんですけど、14歳くらいの時にグランドスラムのジュニアの部門で行かせていただいたときに、プロの選手を間近で観て、”ここに帰ってきたいな”と思うようになりました」

川田「早い段階で世界を意識していたんですね。プロに転向されたのが17歳の2008年。そして、2009年からプロとして国内、海外の大会にも積極的に出場されるようになりますね。サーキット大会って、具体的にどういう動きをされるんですか?」

土居「世界中で毎週大会があるので、大きい都市にも行けるんですけど……僻地に行ったりもするので、いろんなところに行って試合をしているような感じですね」

川田「じゃあ、交通通の便が悪いところに行ったり、気温も暑い寒い、いろいろありますよね」

土居「そうですね。気温だったり、時差もあるので、その難しさはありますね。テニスの難しいところなんですけど、海外に出て行かないと、なかなかランキングも上がっていかないので、強くなるには外に出て行かないといけないですね」

川田「どの部分が辛かったですか?」

土居「最初の頃は1人で回ることもあったので、不安だったり大変でした。ジュニアの頃は、メールを1通送るにも何百円という時だったので、11通と決めて、親と連絡をとるのも大変でした。今は、いろんな連絡方法があるのでありがたいですね」

川田「他に大変な面はどこでしたか?」

土居「食事が大変ですね。なかなか美味しい食事がなかったり……衛生面もあるので、そういうところに行くとけっこう難しいですね」

川田「そういう時は持っていくんですか?」

土居「持って行くときもあるけど、もともと荷物が多いので、なるべく現地で探しはするんですけど。去年はよくお腹を壊してて、その時は辛くて…。1セット目をとって、その後にしんどくなってリタイアしました」

川田「そういうところで棄権になってしまうのは、悔しいですよね」

●一蓮托生


川田「土居さんにとって、第1のターニングポイントは、いつ、どんなことだったのでしょうか?」

土居「2012年、初めて外国人のコーチについてもらったときです」

川田「このコーチは、どなたになるんですか?」

土居「オーストラリアのサイモン・ウォルシュさんです。当時、コーチを探していて紹介していただきました」

川田「サイモンさんは、どういったコーチでしたか?」

土居「気持ちの面では、”ポジティブにエネルギーを出してやっていこう”という人で、指導面では私の武器を生かしてくれるコーチングでした」

川田「言葉の面ではどうでしたか?」

土居「そこが一番難しいところで、当時、ほぼほぼ英語が喋れないところからのスタートだったので、ボディランゲージや表情、そういうところでアドバイスを拾っていました」

川田「伝えたいこととか、特に気持ちの面とか難しいですよね」

土居「難しかったですね。ただ、サイモンコーチは、すごく喋ってくれるコーチだったので、聞いて覚えるというか、繰り返し教えてくれたので英語の始まりとしては良かったですね」

川田「メンタル面はどのように変わりましたか?」

土居「それまでは日本で留まったままだったんですが、世界も見れるようになったと思うし、ポジティブに自分を振る舞えるようになったと思います」

川田「心に残っているコーチからの言葉はありますか?」

土居「本当に『エナジー!エナジー!』って言われてた印象ですね(笑)」

川田「外国選手との体格差は克服できました?」

土居「外国人選手は大きくて、日本人が戦うのは難しいんですけど、逆に毎回そういう相手と戦っているので、そういう意味では最初から気持ちが負けているということはなく、できるようになりましたね」

川田「外国人コーチについてもらって、実際に成績でも上がってきましたよね」

土居「その年末には、初めて世界ランキング100位以内に入ることができました。そのあとグランドスラムの本戦に出られるようになって、トップの選手と戦う機会も増えましたね」

川田「その翌年に、またコーチが変わりましたね。テニス選手にとって、コーチはどういう存在なんですか?」

土居「四六時中一緒にいるので、コーチのアドバイスだけでもなくて、生活の部分でも総合力も必要になってくるので。ツアーコーチは難しい仕事だなと思いますね」

川田「人によって相性もありますよね」

土居「決断は難しいんですけど、いいコーチに出会えると、すごく成績にも反映してくるので大切な決断ですね」



>>来週も引き続き、プロテニスプレイヤーの土居美咲選手にお話をうかがっていきます。

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2015.12.20

「本当に、”早く出せ”と思ってました」:ラグビー日本代表 田村優選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、ラグビー日本代表であり、NECグリーンロケッツのバイス・キャプテン田村優選手です。

田村選手は、今年、日本ラグビー界の歴史を変えたラグビーワールドカップ、南アフリカ戦勝利の瞬間ピッチに立っていました。

田村優選手の人生のターニングポイントについてお話を伺っていきます。



●世界の舞台


川田「大変なトレーニングを経て、ラグビー日本代表選手としてラグビーワールドカップ2015 イングランド大会に初出場した田村優選手。特に第1戦、南アフリカ戦、田村選手は途中出場をされましたね。ピッチに立った時、どういう思いがこみ上げてきましたか?」

田村「入場して、国家斉唱のとき涙が出てきて……。今まで自分が経験したことないような状態になりました」

川田「そういった状態になって、涙が出る選手は他にいたんですか?」

田村「五郎丸は号泣してましたね(笑)」

川田「そのピッチに立つのは、夢のまた夢という感じだったんですか?」

田村「全部を犠牲にして、南アフリカの試合をターゲットにしていたので。”やっと来たか”という思いもありましたし、自分が見てたワールドカップに自分がいるっていうのも実感しました」

川田「ペンチスタートから、試合が進んでいくにつれてどういう感情になりましたか?」

田村「本当に、”早く出せ”と思ってました。アピールしてたんですけどなかなか来なくて。残り10分で来て、”このタイミングでいくか?”と思ったんですけど、一番濃厚な時間に出られて、そこからは夢中ですね」

川田「最後の最後にトライを選んだあの瞬間は、どういう空気だったんですか?」

田村「エディさんは、『上から狙え』と言ってるんですけど、まあ、無視ですよね。初めて、みんなエディのことを無視しましたね」

川田「異論はなかったんですか?」

田村「ないですね。みんなイケイケの雰囲気になっていたので。会場もすごかったので……」

川田「すごかったですね、他の国の方が『ジャパン!』となっていましたね」

田村「あれ狙ったら、ブーイングでしたね」

川田「声援は聞こえたり、力になるんですか?」

田村「もちろん、力になりますね」

●勝利の瞬間は


川田「ラグビーワールドカップ2015 第2戦、日本対スコットランド戦は、先発のCTB(センター)としてピッチに立った田村優選手。スコットランド戦は、南アフリカ戦から中3日での試合ということもあり、体も辛かった状態で皆さん臨まれた試合でしたよね」

田村「きつかったですね。負けた理由は、それが全部というわけじゃないですけどね」

川田「その後のサモア戦、アメリカ戦で、勝利をされて3勝をあげる歴史的快挙、全体を振り返ってみて、ご自身が印象に残っているシーンはありますか?」

田村「アメリカ戦が終わって、口裏合わせしたわけじゃないんですけど、最後にグラウンドの真ん中に集まって円陣組んで話したときは良かったですね」

川田「それはどういったことですか?」

田村「いつも練習が終わったら円陣組むんですけど、そんな感じの話で。ベスト8には入れなかったけど、歴史は変えたし、胸張って日本に帰ることと、僕たちがずっと思っていたのは、ラグビー選手が世間から憧れるようにプレーしようと言っていたので。
それは成し遂げたはずなので、これから日本に帰ってからの自分の行動、言動を気をつけようと、外国人のマイケル・リーチが言ってました」

川田「リーチさんも、それだけいろんなものを背負ってやっていたわけですから、まだ途切れるんじゃないと言いたかったんですかね」

田村「これから開幕するトップリーグで、間違いなくお客さんはここにいる31人のプレーを観にくるから、質を落とさないようにとは言ってました」

川田「完全に変わっていましたよね?」

田村「そうですね。サッカーと野球を抜いたかなと思ったんですけどね、なかなか抜けなそうですよ(笑)」

川田「皆さんから言われるコメントとかは、かなり変わったんじゃないですか?」

田村「NECのチームメイトが『ありがとう』と言ってくれたので、それが一番嬉しかったですね」


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2015.12.13

「この4年間で10年分くらいラグビーした感じはありますね(笑)」:ラグビー日本代表 田村優選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、ラグビー日本代表であり、NECグリーンロケッツのバイス・キャプテン田村優選手です。

田村選手は、今年、日本ラグビー界の歴史を変えたラグビーワールドカップ、南アフリカ戦勝利の瞬間ピッチに立っていました。

今週と来週、田村優選手の人生のターニングポイントについてお話を伺っていきます。




●第1のターニングポイント


川田「グリーンロケッツでのポジションはSO(スタンドオフ)。背番号10番 司令塔ということですが、具体的にはどんな役割になるんですか?」

田村「チームのボスですね。チームがどういう風に動くかとか、試合の全部を握って動かしていくポジションなんですけど。いろんな能力を求められるので、頭も使いますし、けっこう大変ですね」

川田「広い視野を持って、自分が攻撃、防御、両方にいけるようにという感じですか?」

田村「相手からしたら、ボスを潰せばチームが崩れるので、僕よりも何倍も大きい人が突っ込んでくるので、そういう人もタックルしないといけない。けっこう痛いですね(笑)」

川田「そんな田村優選手にとって、人生の第1のターニングポイントは何ですか?」

田村「NECの1年目の試合。2011年、22歳のトヨタ自動車とのトップリーグの3試合目ですね」

川田「トヨタ自動車との試合で、どんなことがあったんですか?」

田村「その前まで僕は控えのメンバーで、前の日に僕のポジションじゃない人が怪我をして、僕がそのポジションに入って試合をすることになったんです。センターという、日本代表にも入ることになったポジションなんですけど…」

川田「それを言われた時はどんな気持ちでしたか?」

田村「その前の週の試合が終わった時に、外国人のコーチに『お前はセンターができるか?』と聞かれて、できないですけど”できると言ったら、このあと試合に出られるな”と思って、一回もやったことがなかったけど『できる』と言ったんですよ」

川田「その時の試合はうまくいきましたか?」

田村「それが絶好調で、エディー・ジョーンズが就任して、メンバー発表された時に、僕の強みは”10番(スタンドオフ)と12番(センター)を高いレベルでできる選手が必要”ということで呼ばれました。だから、センターをやっていて良かったなと思いました」

川田「では、この試合がワールドカップにつながったんですね」

田村「それしかないですね。嘘ついておいて良かったなと思います(笑)」

●再び舞台へ……


川田「日本代表デビュー戦が2012年4月28日のカザフスタン戦。これが23歳の時ですが、日本代表として初めて立ったピッチのことは、どのように覚えていますか?」

田村「3月の末から始まった合宿が、めちゃくちゃきつくて。アジアの大会なので、試合の強度より、練習の強度のほうが高いんですけど。やっと試合までこれたなと”ホッ”とした感じが強かったですね」

川田「具体的にどうのようなことをされるんですか?」

田村1日4回練習するんですけど、朝5時半に起きて、ヘッドスタートと言われるものをやるんです。1日のメニューがホワイトボードに書かれるんですけど、『スリープ』も入ってるんですよ。ヘッドスタート→ごはん→スリープ→トレーニング→ランチ→スリープ→トレーニング→スリープ→トレーニング→晩御飯です」

川田「何回にも分けて、ちょっとずつ寝るのを入れるんですね」

田村「寝て起きたら、”今何時で、ここはどこで、今から何の練習が始まるんだ”という時が多いです(笑)」

川田「体は修復される感覚はわかるんですか?」

田村「いや、一度寝たら、もっと寝たいですよ(笑)。だいたい1時間半くらいスリープの時間があるんですけど、寝られなかったら気持ちも絶望で、次の練習になかなか入れないですね」

川田「寝ることも練習の中に組み込まれているんですね。”もうヤダ!”と思ったことはありましたか?」

田村「合宿終わって、次行く時は本当にいやでしたね。呼んでもらえることは光栄なんですけど、本当にいやでした(笑)」

川田「これまでも、相当ハードなトレーニングをされていると思うんですけど、その田村さんが仰るってよっぽどだと思います」

田村「そうですね。この4年間で10年分くらいラグビーした感じはありますね(笑)」




>>来週は、ラグビー日本代表、NECグリーンロケッツの田村優選手がワールドカップのピッチに立つまでの第2のターニングポイント、そしてワールドカップのお話をうかがっていきます。
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2015.12.06

「このまま何もしなくても、人生面白くないなと思ったんですよ」:魔裟斗
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、魔裟斗さんをお迎えしました。

1999年、20歳の頃、全日本キックボクシング連盟をやめフリーになった魔裟斗さん。
「いつかK-1でキックボクシングの試合をしたい」と、自主興行の試合を企画したり、自ら動いて試合ができる舞台を用意してきました。

今日はその後、K-1の舞台に立った魔裟斗さんに再びやってくる、第2のターニングポイントについてお話を伺っていきます。



●世界一のベルト


川田「初めてK-1の舞台に立った時のことを覚えていますか?」

魔裟斗「会場が広いですよね。お客さんの層が全然違うなって感じでしたね」

川田「魔裟斗さんに対する、お客さんの目はどうでしたか?」

魔裟斗「22歳だったので、当時は生意気なガキンチョみたいな、『早く負けろ』みたいな感じですよ(笑)」

川田「厳しいですね〜、そんな風に見られていたなんて……」

魔裟斗「逆に燃えましたけどね(笑)。『試合内容なんて関係ない、勝てばいいんでしょ』と入場してる時に思いました」

川田「その精神力がないと、潰れてしまう人もいるんじゃないかと思うんですけど」

魔裟斗「やっぱり気が強くないと。野球の野村監督が、『一流の選手には、気の弱い選手は誰一人いない』って言っていたんですよ。でも、この気の強さは、がむしゃらな練習が精神を強くしてるんですよ」

川田「2002年、22歳の時には、『K-1 WORLD MAX』初代日本王者に、2003年、2回目の挑戦となる『K-1 WORLD MAX 』 世界一決定戦では見事KO勝ちをしましたね。フリーになって3年半で、世界一のベルトを巻くことになるんですよね」

魔裟斗「この時は、”ようやく世界一になれた”と思ったんですよ。今になって考えると、トントン拍子で簡単になっちゃったよね。っていう気がしますね」

川田「当時のその感覚の違いはどうですか?」

魔裟斗「3年半でチャンピオンになってからの、2回目にチャンピオンになるまで5年半くらいあったんですよ。ここが地獄でしたよね。この5年が長かったんですよ」

川田「世界一をとった翌年に奪われてしまうと、ここはご自身はどう思いましたか?」

魔裟斗「チャンピオンになった後に、状況が変わり、それまで純粋に格闘技一本でやったきたのが、いろんなことがやれる自分になっていて。他の対戦相手は昔の自分みたいに、格闘技一本でやってる人たちばっかりなんですよね。普通に考えて、そこに勝てるわけないんですよ」

川田「王者になるとメディアの露出も増えるし、甘いお誘いもあるわけですし。それは仕方ないことですよね」

魔裟斗「まだ、23、4歳なので、そこに乗っちゃったんですよね。そしたらやっぱり、しっかり痛い目見ましたね」

●再び舞台へ……


川田「再び世界王者を狙って動き始めた5年、その辛い時期に、第2のターニングポイントを迎えるんですよね」

魔裟斗「2007年の結婚ですね」

川田「2007年、27歳で矢沢心さんと結婚されました。魔裟斗さんのいい時、悪い時、大変な時もずっと見てるわけですよね」

魔裟斗「いろいろ見てますよね。調子乗ってる時も見てますから(笑)」

川田「試合の前後は、精神的にも安定しなかったり?」

魔裟斗「僕も減量とかするじゃないですか。自然と向こうも痩せていってましたね。あと、僕のストレスがすごかったので、一緒に住んでると受けるんじゃないですかね」

川田「当時は喧嘩も多かったんですか?」

魔裟斗「喧嘩もいっぱいしましたけど、逆に、何もないところからのスタートだったのでいいのかな〜っていう…」

川田「心さんのいい所はどこですか?」

魔裟斗「我慢強いところですかね、僕わがままですから(笑)」

川田「心さんと結婚したことで、試合に対する考え方は変わりましたか?」

魔裟斗「結婚して、なおさらに、”もう一度チャンピオンになりたい”と思いましたね。結婚って、人の人生を初めて責任を持つじゃないですか。子供ができるとさらに……。責任感が強くなって、もう一回チャンピオンにならないといけないなと思いました」

川田「再びチャンピオンになるまでの5年間、やはり心さんの存在は大きかったんですね」

魔裟斗「大きかったですね。きっと、違う人と付き合ってたらなかったでしょうね」

川田「2008年、結婚された次の年に世界王者に返り咲くわけですけど、2度目の王者になられて、1度目の時とは沸き上がる感情も違ったのではないですか?」

魔裟斗「”本当に……本当に、やっとなったな”と思いましたね。この5年間で怪我もしたし、『もう終わったな』とも言われたし、”もう限界だな”と思ったこともありましたね」

川田「限界だなと思っても、もう一回やろうと思えたのは?」

魔裟斗「その時にトレーナーに、『僕は、魔裟斗さんのことを3年で作り上げるつもりなんですよ』と言われて。その時に27歳くらいだったんですけど、27歳じゃ限界だと思っていたんですよ。それは生活習慣とか、食べものが悪かったり、っていうのが理由だったんですね。チャンピオンになれないんだったら、やめたほうがいいと思ったんですよ。でも、そのトレーナーが、『絶対になれる』と言うんです。”じゃあ、信用してみようかな”と思って、全て試合だけのために生活を変えたんですよ」

川田「2度目の王者に輝いた魔裟斗さんは、翌年、2009年に引退となりましたが、今年の年末『KYOKUGEN 2015』で一夜限りの復活をされるんですよね。
これは、どういった経緯だったんですか?」

魔裟斗「僕は2009年に引退してから、”2度とリングに上がらない”と決めていたんですけど、第2子が今1歳なんですけど、そこからタバコをやめたんですよ。今36歳ど、走るのとウェイトトレーニングはずっとやっていて。”スタミナが戻ってきたな”と思っていた時に、『KYOKUGEN 2015』のプロデューサーから、『やらない?』という話があって」

川田「そうだったんですね」

魔裟斗「このまま何もしなくても、人生面白くないなと思ったんですよ。上の子が3歳で幼稚園の受験をしたんですよ。面接の練習をしたときに、面接の先生にいろいろ質問されているんですよ。それに、すごい悩みながら答えてるんですよね。”すげー頑張ってんな”と思って。その頑張ってる姿をみて、子供が頑張るなら、親ももうちょっと頑張った方がいいんじゃないのって思ったんですよね」

川田「対戦相手が、11年前に戦っている、山本“KID”徳郁選手。この時は、完全に力の差があったわけですよね」

魔裟斗「当時、彼はまだ2戦か3戦くらいしかしてない時で、僕はチャンピオンになって。今は逆の立場ですよね。向こうが現役の選手で、僕は引退して6年経っている、僕がどのくらいやれるのか…今回は挑戦ですね」



>>来週は、日本中を沸かせたラグビー日本代表選手、NECグリーンロケッツの田村優選手をお迎えします。ワールドカップの舞台裏のお話も伺っていきます。
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