Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


*

2016.03.27

「親になってみて、お袋とか、親父の気持ちがちょっと分かった気がしたんですよね」:ダイアモンド✡ユカイ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、ロックミュージシャンのダイアモンド✡ユカイさんです。
今月、カバーアルバム『Respect 掘戮鬟螢蝓璽垢気譴燭个りです。

今週は、ダイアモンド✡ユカイさんの現在のイメージ「イクメン人生」について伺いました。


●ロックスターでイクメン


川田「ダイアモンド✡ユカイさんの人生のターニングポイント、これはどういったことになりますか?」

ダイアモンド✡ユカイ「47歳にして、初めて子供を授かったときですね」

川田「これをターニングポイントに挙げた理由は?」

ダイアモンド✡ユカイ「それまで、ロックスターとして好き勝手やって、自分一人で生きてきて。一回離婚もして、今の妻と結婚するとき、ファミリーを持つべく、結婚したんですよ」

川田「そうだったんですね」

ダイアモンド✡ユカイ「妻は35歳手前だったんですけど、一度自分の体を調べてみたいと、付き合いで近くの妊娠クリニックに行ったんですよ。そしたら、妻は健康体で、いい状態ですということだったんです。
そしたら、『あなたも調べてみてください』と言われて、”え?俺?”みたいな。『ロックなのに、なんで調べるの?』みたいな感じで、それくらい無知で世間知らずで(笑)」

川田「なるほど(笑)」

ダイアモンド✡ユカイ「調べたら無精子症ということが分かって、ビックリしちゃってね。要するに精子がゼロということなんですよ。それじゃ、子供が作れないじゃないかと。ファミリーを持つべく結婚したのに、妻には『俺じゃない方がいいんじゃないか』と、言ったんですよ。
そしたら、『ユカイさんは子供みたいな人ですから、ユカイさんを子供だと思って一緒に生きていきましょう』みたいなことを言われて…。
無精子症の男性でも子供を授かる可能性があるというのを知って、それが顕微授精、体外受精と言われているものですね。そこに挑戦したんですよ。
何度か失敗を繰り返して、いろいろな大変なことがあった中で、47歳にして初めて子供を授かったので、俺にとってはこれが転機なんですよね」

川田「本当に辛かった時期だと思うんですけど、どうやってそれを乗り越えていったんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「これは夫婦でしょうね。不妊治療をやっていると、人生が不妊治療になっちゃうんですよ。3年くらいでも、30年くらいの年月に感じて、毎日毎日、そのことしか考えられなくなっちゃうんですよね。
いつの間にか、夫婦で楽しく生きるとか、生きがいを求めて、というのも見えなくなっちゃう。お互いに話し合って、”子供を諦めようか”となったんですよ。それで、一回は旅行をしたりとか、夫婦の人生を考えようみたいな…。ある時期に妻から、『悔いが残るから、もう一度だけ挑戦させてください』と言われて。男性不妊の第一人者の病院が北九州にあるんですよ。
男の不妊治療は、男性も手術をしたりしないといけないんですよ。でも、女性に比べると、痛みとかは大したことないんですよ」

川田「そうなんですね」

ダイアモンド✡ユカイ「妻が挑戦したいと言うなら、『じゃあ行こうか』と北九州に旅行がてら行ったんですよ。だから、リラックスもしてましたし。俺なんかは、それまでに何度も失敗してるし、”無理だろうな”と、思っていたんです。そんな中で行ったら、授かったんですよね。
子供を授かったときに思うのって、未来のことと、自分のお父さんお母さんのこと、”もしかして、親父もこんな気持ちだったのかな”と思って。うちは両親が公務員で、公務員の家庭だったんですよ」

川田「まさか、このロックスターが生まれてくるとは(笑)」

ダイアモンド✡ユカイ「自分が親になってみて、お袋とか、親父の気持ちがちょっと分かった気がしたんですよね」

●分かち合う、与える喜び


川田「娘さんが生まれたことで、『アガペー』を知ったと仰っていますが、『アガペー』とは、どういうものなんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「日本語では『慈愛』とか言うんですけど、『親の心子知らず』ということなのかな。
『ムクロジの木』で歌っていることの根底にあるものは、親父もお袋もそうだと思うんだけど、見返りを求めて子供達に愛を与えてるわけじゃないと。別に見返りはいらない、僕らはずっと見守り続けていくよと、そういった歌なんですよ」

川田「お子さんに対してすべての愛情を捧げて、そうなっていくと音楽の制作にも変化が生まれてくると思います。
テレビ番組に対しても、今までってバラエティ番組に出て、自分のことを話すということは、そんなになかったと思うんですけど、そこには心境の変化はあったんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「自分が話すことによって、いろんな人に知ってもらって、少しでも役に立てたら嬉しいなって気持ちは大きいですよね。歌でも、今までは好き勝手に、自分のことだけを投げ捨ててるような歌ばかりだったんだけど。自分が失恋して悲しいだの、愛してるだの、恋してるだの…それはそれで、心の中から浮き上がってくる感情としては最高のものだと思うけど。
もうちょっと、いまの自分っていうの?50歳も過ぎて生きてると、歌いたいことっていっぱい増えてくるから」

川田「自分のことだけじゃなくて、家族のことも」

ダイアモンド✡ユカイ「子供を授かって思ったのは、人の為に生きるって気持ちいいなってことですね」

川田「それまでは社会貢献だったり、誰かのためにっていうのは、なかったわけですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「そうだね、自分本位だよね。『全部俺のもの』みたいなさ、ガメつく抱えちゃうみたいなね。虚しいなと思うことがあったね。長く”なんでも俺のもんだぜ!”みたいなことをやってると、その嬉しさって、自分一人の喜びでしかないわけじゃん?なんかね、虚しかったりもするんだよね。
分かち合える、与えることの方が逆に嬉しいっていうかさ、そういうのを子供を授かることによって、初めて感じることが出来たんだよね」



*
*

2016.03.20

「濃い3年ですよね」:ダイアモンド✡ユカイ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、伝説のロックバンドのボーカリストであり、最近ではバラエティ番組にもご出演されている、ロックミュージシャンのダイアモンド✡ユカイさんです。
今月、カバーアルバム『Respect 掘戮鬟螢蝓璽垢気譴燭个りです。

今週と来週は、ミュージシャンとして、また、3人の子育てに奔走されているパパとしてのダイアモンド✡ユカイさんに、 人生のターニングポイントを伺っていきます。


●ロックスター!!!


川田「ダイアモンド✡ユカイさんといえば、最近ではバラエティ番組で活躍する姿を目にしている人も多いかと思いますが、伝説的のロックバンド・RED WARRIORSのボーカリストでいらっしゃいます。
そんなダイアモンド✡ユカイさんのターニングポイントは?」

ダイアモンド✡ユカイ「24歳の時 ロックスターデビュー!!」

川田「最初に音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「それは骨折です(笑)」

川田「え!?骨折ですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「小学生の頃から音楽とか疎かったんですよ。どっちかっていうと嫌いな方で」

川田「当時は何をやってらっしゃったんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「サッカー、野球、水泳、マラソン、全部選手でしたね」

川田「ロックスターとスポーツって相反するものな感じがするので、イメージはなかったですね」

ダイアモンド✡ユカイ「中学の時に野球部に入って、デッドボールをくらっちゃったんですよ。当たりどころが悪くて、足のかかとにヒビが入っちゃったんですよね。
1年くらい運動ができなくなっちゃって。不良っぽい仲間が、レコードをいっぱい持ってきてくれたんですよ。その中の1枚がビートルズだったんです」

川田「なるほど、なるほど」

ダイアモンド✡ユカイ「ビートルズは解散してたんですよ。チープトリックとか、エアロスミス、クイーン、キッスとか流行ってたの。とにかく音楽に疎かったんですよ。だから、一番古典的なビートルズ、これがいいんじゃないかなって。
そしたら、聴いてるうちに体が弾んできちゃって、ジョン・レノンが歌う『ツイスト・アンド・シャウト』っていう曲があるんだけど、それ聴いたときに一緒に歌っててね。”ビートルズになりたいな!”って思っちゃったんですよ」

川田「まったく興味がなかったのに、すごいですね」

ダイアモンド✡ユカイ「そこからが大変で、ギターを買ってもらったはいいが雰囲気が違っていて(笑)。近くのお兄さんがギター弾けるから、”教えて貰えばいいじゃん”ってことで教えてもらってたの。弾いてるうちに、暗くなってくるんだよね。
それが『禁じられた遊び』だったんですよ(笑)」

川田「ビートルズとは全然違いますよね」

ダイアモンド✡ユカイ「後で知った話が、それがガットギターだったんですよね。ビートルズとは程遠い。
しょうがねーやと思って、それでコードを覚えて。ガットギターでビートルズを弾いてましたね」

川田「一気にのめり込んでからは、音楽一本ですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「とにかくハマりこんじゃって、家に帰ってくると、ずっとガチャガチャ歌いまくってる。うちのお袋なんかは”この子、頭おかしくなっちゃったんじゃないか…”みたいな」

川田「心配になりますよね」

ダイアモンド✡ユカイ「それでも歌い足りず、夜中に家抜け出して近くに陸橋があるんですよ。電車の操作上みたいなのが、明るい光を照らしてくれるような。スポットライトのような明かりで、そこに向かって、『ネクスト・サウンド・イズ・ヘルプ!』とか言いながら、一人ででかい声で歌っていたら、近所中で問題になっちゃって(笑)」

川田「ちょっと、話題になっちゃいますよね」

ダイアモンド✡ユカイ「ご飯食べたら、すぐ歌う。トイレ入っても、すぐ歌う。歌うことしかなくなっちゃってるくらいでしたね」

●伝説のバンド


川田「RED WARRIORSは、わずか1年でのメジャーデビュー。人気絶頂の中、デビューから3年で解散となりますよね」

ダイアモンド✡ユカイ「俺たちは、つけ上がってたからね(笑)」

川田「濃い3年ですよね」

ダイアモンド✡ユカイ「濃かったね。しかも、自分たちは好きなことをやっていただけなんですよ。やってるうちに、どういうわけか武道館に行って……」

川田「デビューして1年で武道館ですもんね」

ダイアモンド✡ユカイ「人がやるなっていうことをやってたの。自分が芸能界と思ってなかったんだよね。挨拶とかしきたりとか、あるじゃない?そんなのは、唾ひっかけて歩いてたからね(笑)。
それが、自分でロックを体感してたというか、”俺の目指すものはここじゃないから”みたいな感じで、好き勝手やってたんですよ。
テレビで『歌謡曲をぶっつぶつ』とか言ったり、でも、本気でそう思ってたんですよ。

川田「それはすごいですね(笑)」

ダイアモンド✡ユカイ「気付いたら日本武道館やって、西武球場やってる自分がいて”自分勝手にやってただけなのに、おかしいな”みたいな。そんなになってたのよ。

川田「気づいたらそうなってたという感じですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「しかも、ブルージーでロックで、みんなが嫌がるようなことをやってたから、俺たちみたいなバンドは売れちゃいけないバンドだったのよ。ヒールの中のヒールだから、どんどん自分もおかしくなってちゃって、目標はロックスター、アメリカに行こうと思ってやっていたんですよ」

川田「そうだったんですね」

ダイアモンド✡ユカイ「結局は既成のものとか、しきたりとかルール、そういうのがあると、みんなぶち壊す反逆精神を糧に、バンドやっていたんだよね。気づいたら小さいけど、ロックのお山の大将みたいになっていて。みんなが『いいね』って言ってくれるから、反逆する場所が、つまんなくなっちゃったんだよね。

川田「自分が今までは潰して本流というのは、気づくと、それになっていたんですか」

ダイアモンド✡ユカイ「つけあがっていたもんだから、『もう、やんなくていいんじゃないの?』みたいな感じで、バンドのメンバーも嫌いになってたし、もっと上手いメンバーとやりたいなとかさ(笑)」

川田「みんなに惜しまれながらの解散ということだったのですが、そのあとはソロで活躍されますよね。最初は順調に「いきました?」」

ダイアモンド✡ユカイ「最初からつけ上がってたソロデビューだったからね。『世界の女は俺のもの』みたいなね、そういうタイトルのアルバムだったので」

川田「番組などでは、『ギラッチだった』と仰っていますけど、どんな感じだったんですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「エイトデイズ・ア・ウィーク時代とかね。女の子を1週間、8人の女性と付き合ってたりとかね」

川田1人多いですね(笑)」

ダイアモンド✡ユカイ1人は補欠だったりしてね、交換要員とか作ってたり。テレビを観てるじゃないですか”この子かわいいな〜”と思ったら、気が付いたら自分のベッドに寝てたりね

川田「ということは、女優さんだったり、タレントさん、歌手だったりするわけですよね。それで満たされている自分がいるわけですか?」

ダイアモンド✡ユカイ「満たされてはいないんですよ。当時は何をやっても刺激が足りないみたいなね」

川田「そうやって、順調にはいかない時もあるわけなんですね」

ダイアモンド✡ユカイ「つけ上がったままいっちゃったもんで、気が付いたら、結婚もしたんですよ。
バンドも再結成したりとかしてね。気が付いたら離婚して、バンドも解散になっちゃって、そのあとマネージャーもいなくなっちゃって、気が付いたら一人ぼっちになっちゃってね」

川田「誰もが、そういう風になるとは想像しなかったような状況になるわけですね」

ダイアモンド✡ユカイ「一人ぼっちになるまで気が付かなかったっていうのがね。”俺って、もしかして成り下がりなのかな?”みたいなね」

川田「そこから、人生として、もう一度大きな盛り上がりを見せるわけですよね」



>>来週は、子育てに奮闘されているダイアモンド✡ユカイさんの人生のターニングポイントに迫っていきます。
*
*

2016.03.13

「強い気持ちを育てていきたいなと思いますね」:メイク・スマイル・アーティスト ミワンダフル
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き『メイクで世界中を笑顔に!』をテーマに活動する、メイク・スマイル・アーティストのミワンダフルさんです。

今週は、世界に飛び出して活躍するミワンダフルさんの、第2のターニングポイントを伺いました。


●育てる心


川田「今週は、第2のターニングポイントについて伺いたいのですが、どんな出来事ですか?」

ミワンダフル「巨大オブジェ、通称『ピンクフレーム』を担いで世界へメイクの楽しさを届ける旅『Make Up Tour』をスタートしたことですね」

川田「これは、いつころのことですか?」

ミワンダフル「今から5年前くらい。『ピンクフレーム』を担いで、飛行機にのせて色んな国に行きましたね(笑)」

川田「まずは見た目で興味を持ってくれますよね」

ミワンダフル「パリでも、台湾でも、上海でも、どこに行ってもビックリする、写真を必ず撮ってくれるんですよ」

川田「世界に飛び出して行こうと思われたきっかけは何だったんですか?」

ミワンダフル「自分の個性が、”海外に行ってみたらどうなのかな?”という興味があったのと、メイクで世界を旅するという活動をしたら、素敵なんじゃないかという事が舞いおりてきたんですよ」

川田「ひらめいても、なかなか行動に移すことができないと思うんですけど、その原動力は何ですか?」

ミワンダフル「ここに至るまでの、いろんな人の思いを受けたときに、”自分がこれだけメイクが好きなんだよ” ”こんな力があるんだよ”ということを伝えるためには、ありえない事をやっていかないと駄目だという気持ちがありましたね」

川田「海外の方って、どういう反応なんですか?」

ミワンダフル「直感で、有名とか無名に関わらずニコニコっとしてくれて、『ワーオ!あなた何してるの?』みたいな。いつも挨拶をし合う感覚ですね」

川田「メイクは、数分間の間に音楽と一緒にされるという事ですが、相手が海外の方の場合、メイク技術は変えるんですか?」

ミワンダフル「皆さん、お肌の色が違うので、それに合わせたファンデーションやコスメアイテムというのは現地で調達することが多いですね。ただ、施すメイクは”日本流のおもてなし”を大事にしていて、繊細で丁寧なナチュラルメイク、これが受けるんですよね。
海外のアーティストさんは個性的なメイクをされるんですが、私はジャパンスタイルなので丁寧にナチュラルに、現地の方も『いいね、こういうメイクなのよ。お店でやってもらうと、すごい顔になるの』という感じで…」

川田「ビビッドな色使いだったり、太いアイラインだったりとか、そういうことではないんですね。メイクをする際には、お金を取ってやるんですか?」

ミワンダフル「それはとらないですね」

川田「活動資金だったり、大変な面も多いんじゃないですか?」

ミワンダフル「何をするにも色んな費用がかかるんですけど。最初は”自己資金でやるんだ”と決めて旅を続けていたら、『ちょっとチケット応援しようか』とか、『この企画で一緒に、ここ行かない』とか、声をかけてくれる方が出てきたりして。
その先には、とても素敵なことが待っていると信じて、強い気持ちを育てていきたいなと思いますね」

●夢は大きく


川田「ミワンダフルさんらしいメイク、他のメイクアップアーティストの方との違いは、どこが一番大きく違いますか?」

ミワンダフル「自分の最大の夢は、メイクでエンターテイメントをすることです。ブロードウェイでも、オフブロードウェイなどで、全然メジャーにはなっていない劇団グループが、気付いたらすごく有名なグループになっていたりとか、そういうことがあるんです」

川田「なるほど」

ミワンダフル「そういう姿を見てきて、自分のやってる事も、いつかは『Blue Man Groupe "Tubes”』とか、『シルク・ドゥ・ソレイユ』とか、そういう世界の素晴らしいプロジェクトのように、『メイク・スマイル・ミワンダフル』の素敵な公演が、世界中でワールドツアーが出来るような。そういうアーティストになりたいというのが大きな目標です」

川田「映像も音楽も、すべてミワンダフルさんがプロデュースしてやりたいということですか?」

ミワンダフル「そうですね。見ている方が、『すぐに家に帰って、このメイクしたいな』とか、『今日のミワンダフル楽しかったね、明日は唇をピンクにしてみよう』となって、お土産袋を見ながら帰ってくれるような夢を叶えたいと思います」

川田「夢は大きいですね。私たちも、今後のご活躍を期待しています」


*
*

2016.03.06

「手作りの屋台を作って街に飛び出したのがメイク屋台という活動でした」:メイク・スマイル・アーティスト ミワンダフル
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、『メイクで世界中を笑顔に!』をテーマに活動する
メイク・スマイル・アーティストのミワンダフルさんです。

今週と来週は、世界を舞台に活躍するミワンダフルさんの人生のターニングポイントについて伺っていきます。


●ストリートでメイクを


川田「ミワンダフルさんの代表的な活動のひとつが『Make Up Tour』。オリジナルのメイクブースを持って、ひとりで世界中を旅してストリートでパフォーマンスをされているんですよね?」

ミワンダフル「イメージ的にはストリートで歌を歌う人や、大道芸の人がパフォーマンスをしているイメージで、世界中のストリートで
、道行く人々にメイクをさせていただく活動です」

川田「ということは、街のど真ん中でメイクをみんなの前でしちゃうということなんですね」

ミワンダフル「各国、ストリートパフォーマンスをしても大丈夫という場所があるんです。代表的な場所だとニューヨークとか、いろいろなところでアーティストがパフォーマンスをしているので、そこに混ざって時にはコラボレーションをしたり、音楽に合わせてメイクをして、最後は一緒に笑顔で写真に収まります」

川田「今まで、どのくらいの人にメイクをしてきたんですか?」

ミワンダフル「『Make Up Tour』を始めて5年目なんですけど、いろんなところに行かせていただきました。今まで、1万人以上の方に出会って来てるかなと思います」

川田1万人以上!すごいですね〜!様々な国で、いろんな出来事があったと思いますが、最初のきっかけは何ですか?」

ミワンダフル「メイクの専門学校を卒業して、就職せずフリーでいろんなバイトをやっていたんです。お洋服が大好きだったので、自分が行っていた古着屋さんの店長さんと仲が良くなって、可愛いお洋服に合わせてメイクをしたいなと思ったんですよ。
”このお店でメイクをして、店員さんともっと仲良くなりたい”という気持ちもあって、声をかけてみたら、『いいね、素敵だね!』ということで、
毎週日曜日に古着屋さんの中で、お洋服を買った方にメイクをするというサービスを始めたんです」

川田「これは何歳くらいのときですか?」

ミワンダフル「20歳のときですね、お店の一角にアンティークの家具で場所を作ってもらって、お会計が終わったお客様に、『その服に合うメイクをしてくれますよ』という話をしてもらって、5分〜10分で服に合うメイクをするんです。いっぱい経験したくてやっていましたね」

川田「服を買ったお客さんに対して、”いくらかでメイクしますよ”という感じだったんですか?」

ミワンダフル「最初は無料でやっていたんですけど、だんだんと評判が広がって、メイクを目当てにお客様が来てくれるようになって。待つ方が出てきたので、じゃあ、ワンコインだけということで500円をいただいたりとか、差し入れをしてくれたり、お菓子をいただいたり、そういうコミュニティが生まれていきました」

川田「そうやって活動を広げていって、どのようにストリートに出るようになったんですか?」

ミワンダフル「当時、小さなアトリエスペースを借りました。急にお客様が入って来るはずもなく、古着屋さんの活動を見本にして、”やっぱり、街に出て行った方がいいんだ!”と思って、手作りの屋台を作って街に飛び出したのがメイク屋台という活動でした」

川田「屋台って、どんな屋台ですか?」

ミワンダフル「ラーメン屋さんの屋台を、真白く塗ったような屋台でしたね(笑)」

川田「自分で作ったんですか?」

ミワンダフル「最初は業者さんに見積もりをとってみたけど、全然無理ですという価格で。その時の恩師に相談して、”手作りしようよ”ということで、ホームセンターに木を買いに行って、滑車を買って、ネジを買って作りました(笑)」

川田「それは、愛着もわきますよね」

ミワンダフル「今もとってあるので、すごく大切なグッズですね」

●常に新しい刺激を


川田「ミワンダフルさんの『Make Up Tour』のスタートとも言えるメイク屋台の活動が、順調にいっていたと思われたんですけど、美容師免許のために出来なくなってしまって、落ち込んだんじゃないですか?」

ミワンダフル「かなり落ち込みましたね。周りにいる方々が、とても夢のあるストレートな方々だったので、美容師免許を『とればいいじゃん』と(笑)。美容師免許というのは、通信制課程を得て3年かかるんですよ」

川田「そんなにかかるんですか!」

ミワンダフル「最初は世間一般で言うヘアメイクの仕事をしようかなと考えたこともあったんですけど、やっぱりやりたいと思ったので、美容師免許をとろうと決めました。入学して、”もう一回、学生か〜!”って(笑)」

川田「学校に通うんですか?」

ミワンダフル「通信なので、一定期間学校に行きます。それ以外は普通に仕事しながら活動できるんですよ。ただ、学費がかかったりもしますし、昼間はメイクとかヘアの仕事をして、夜はホステスさんのヘアメイクを月〜土まで、びっちりやっていました」

川田「時間を見つけて勉強するのはいつですか?」

ミワンダフル「昼間とか、夜帰ってからやってました。学校とお金を稼ぐために、一生懸命仕事をするという3年間でしたね」

川田「その3年間は、修行のようなものかもしれないですね」

ミワンダフル「今でも、あの国家試験はあんなに手が震えたことがないというくらいに、あの時の気持ちは忘れないですね」

川田「そこからまた、メイク屋台を始めることになったんですか?」

ミワンダフル「晴れて免許をとったので、再び活動をするようになりました」

川田「再開してみてどうでしたか?」

ミワンダフル「せっかく活動を再開するので、過去にやったことのない、もっと新しいことをやらないと心が震えないと思って。新しいことを構想し始めたんです」

川田「今までと同じことをやっていたら、物足りなくなってきたんですか?」

ミワンダフル「なんとなく、自分の視野が海外に向いていったというか…。持っていく武器も、屋台だけではない新しいツールを作りたいとなという気持ちになって、今ではアイコンになってくれた、巨大ピンクフレームというのを作ったんですよ」

川田「ここで、ピンクフレームが誕生するんですね」

ミワンダフル「何か世界にメイクの旅を届けていきたいと思い、アイコンになるものが欲しいと思った時に”ん?”と思ったのが、わたしのオフィスにピンクのフレームがかかっていたんですね。それを恩師の方と見ていて『これを大きくして、ストリートでメイクをしている私が世界の景色と絵に収まる』そんな巨大ピンクフレームを作ったら面白いねということで、作りました」

川田「もともとは普通のフレームの大きさだったんですね」

ミワンダフル「これを大きくしようというアイディアに行き着きまして、いま持っているのが横幅が2メートル、縦幅が2メートル40センチ、重さは25キロ〜30キロくらいの本当に大きなピンクの額縁、これを持って世界中を旅しています」



>>来週はミワンダフルさんの第2のターニングポイントについてお話を伺っていきます
*

感想・メッセージのご応募はこちら

Message

ご応募はこちら

AIR TIME

AIR-G'(FM北海道)
(日)07:00〜07:25
エフエム青森
(土)12:30〜12:55
エフエム岩手
(土)12:00〜12:25
Date FM(エフエム仙台)
(土)12:30〜12:55
エフエム秋田
(土)12:00〜12:25
エフエム山形
(土)08:30〜08:55
ふくしまFM
(日)09:30〜09:55
FMぐんま
(日)07:00〜07:25
TOKYO FM
(土)12:30〜12:55
RADIO BERRY
(土)12:30〜12:55
FM-NIIGATA
(土)08:00〜08:25
FM長野
(土)12:30〜12:55
K-mix
(土)08:30〜08:55
FMとやま
(土)08:00〜08:25
エフエム石川
(土)09:00〜09:25
FM福井
(土)12:30〜12:55
@FM(FM AICHI)
(日)08:00〜08:25
FM GIFU
(土)12:30〜12:55
FM三重
(土)11:30〜11:55
FM滋賀
(土)09:30〜09:55
FM OH!
(日)07:30〜07:55
Kiss FM KOBE
(土)09:00〜09:25
エフエム山陰
(土)09:30〜09:55
FM岡山
(土)11:00〜11:25
広島FM
(土)09:30〜09:55
エフエム山口
(土)11:30〜11:55
FM香川
(土)12:00〜12:25
FM愛媛
(土)07:30〜07:55
FM−TOKUSHIMA
(土)12:30〜12:55
エフエム高知
(土)09:00〜09:25
FM FUKUOKA
(土)08:00〜08:25
エフエム佐賀
(土)09:00〜09:25
エフエム長崎
(土)09:30〜09:55
エフエム熊本
(日)08:30〜08:55
エフエム大分
(土)12:30〜12:55
エフエム宮崎
(土)12:30〜12:55
エフエム鹿児島
(土)09:00〜09:25
FM沖縄
(土)08:30〜08:55

page top