Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2016.05.29

「アメリカに戻ったら、逆ホームシックになりました」:シンガー クリス・ハート
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、アメリカ・サンフランシスコで生まれながら
ハートフルな歌声と抜群の歌唱力を武器に日本語で日本の心を歌うシンガーのクリス・ハートさんです。

昨年から、外国人アーティストとしては初となる47都道府県ホールツアーをスタートさせ、
今年4月30日の最終日に、単独で初の日本武道館公演を開催しました。

そして、6月1日の水曜日には、2年3ヶ月ぶりのオリジナルアルバム『Song for You II』をリリースします。
    
今週と来週は、クリス・ハートさんの人生のターニングポイントについて、伺っていきます。



●自分だけの道を探して



川田「クリス・ハートさんの、第1のターニングポイントは何でしょうか?」

クリス・ハート12歳、日本語の勉強を始めたときですね。自分の中学校で、スペイン語、フランス語も勉強できるんですけど、珍しく日本語もあったんです」

川田「中学で日本語が入ってるって、珍しいですよね」

クリス・ハート「他の学校にはなかったですね。珍しいからこそ、自分だけの道を探しているからこそ、日本語にチャレンジしようと思って勉強すると、すごい好きになりました」

川田「日本語のどういうところに惹かれたんですか?」

クリス・ハート「言葉の勉強が楽しかったし、ひらがなとか、カタカナから勉強して、挨拶とか、ラジオ体操とか…言葉の勉強だけじゃなく、生きることとか、生活の勉強をしてすごく面白かったです」

川田「そこで、日本を意識するようになって、ホームステイをされたということですが?」

クリス・ハート「うちの先生が、”もっと日本のことを好きになってほしい”って気持ちがあったから、ホームステイプログラムを作って、僕と全員で12人くらい、2週間来ましたね」

川田「どこにホームステイしたんですか?」

クリス・ハート「茨城県のほうですね、新治村といところに行きました。そこで勉強した生活のリズムとか、言葉を使える機会になって、”これだ!日本に住むしかない!”と思ったんですよね」

川田「2週間、戻るときは悲しかったんじゃないですか?」

クリス・ハート「アメリカに戻ったら、逆ホームシックになりました。お母さんに『日本に帰りたい』って言いました(笑)」

川田「自分のルーツが、もともと日本にあったと思うような感じですよね。そこから、どうやって情報を得ていくんですか?」

クリス・ハート「音楽が好きだったので、日本のアーティストの曲を調べて、CDを買って歌詞カードで勉強しました」

川田「どんな曲で勉強しました?」

クリス・ハート「SPEEDさんの『my graduation』とか、LUNA SEAさんの曲とか、なんでも聴きたいなと思って。
気付いたのが、日本のJ-POPは、考え方、音楽の作り方がすごい自由です。
アメリカは当時、グランジロック、ギャングスタラップが流行っていたんですけど、ミックス出来ない、一緒にならないんですよ。

川田「確かにそうですね」

クリス・ハート「当時の日本のJ-POPを聴いて、クラシックとポップス、メタルとクラシック、ラップとロック、なんでもあって。音楽が大好きな僕としても、”これだ!”と思って、自分もこういう音楽をやってみたいと思いました」


●人との出逢いの中で



川田「当時、ご自身は歌い始めていたんですか?」

クリス・ハート「日本に帰りたいという気持ちがあったので、日本人の友達と話して『バンドを作ろう』という話になりました。その時は、歌詞を書くしか出来なかったから、ボーカルになっちゃった(笑)」

川田「その時は、いわゆるビジュアル系のバンドのような感じですか?」

クリス・ハート「友達がみんなビジュアル系が大好きだったので、ビジュアル系のコピーバンドから始まって、LUNA SEAさんの曲とか、ラルクさんの曲をカバーして、そこからスキルアップしてからオリジナルを作るようになったんです」

川田「当時、ボーカルとしての自分に自信を持ってきたんですか?」

クリス・ハート「ぜんぜん(笑)。はっきり言えますけど、恥ずかしいですよ(笑)。メイクとかもやったりして、メイクの才能もないし、
歌も今の声と違って、ドラマチックな低い声で歌ったり……。
”やって良かったな”と思うけど、ビジュアル系から離れて良かったなと思うところもあります。僕より上手くやってる人がたくさんいるから(笑)」

川田「日本の音楽、日本の文化にどんどん興味が募っていったクリス・ハートさんですが、その後も日本語の勉強になればと日本語を使う仕事にもたくさん就いたそうですね」

クリス・ハート「国際空港のプライベートジェットメンテナンスの仕事とか、日本の化粧品ブランドのコールセンター、警察官の仕事もしました(笑)」

川田「どんどん、日本にいつ移住しようという計画が?」

クリス・ハート「経験を作って、頑張っていつか住めるかなと、ずっと夢見てました」

川田「いよいよ、日本に住もうとなったのはいつ頃ですか?」

クリス・ハート「2008年ですかね。バンド時代、家族も心配してたけど、うちのお母さんのお姉さんが病気になったんです。ずっと応援してくれていて、本当にそろそろ結果を出さないと、見せるチャンスがなくなると思っていて。
間に合わなかったんですけど、お母さんとか、お父さんとか、他の家族みんなに結果を見せたいなと思って、”日本に引っ越すしかない!”と思いました」

川田「日本に来て、まずどういうことからスタートしたんですか?」

クリス・ハート「サラリーマンとして働き始めて、歌は1年間休憩しました。何よりも仕事が優先で、日本の生活に慣れて、まだ音楽をやりたい気持ちがあれば、やってみようと思いました」

川田「不安な1年じゃないですか?」

クリス・ハート「そのときは仕事が真剣すぎて、他のことを全然考えてなかったですね。
慣れてない文化の違いとか、いろいろあって。それを全部やってから、たまたま飲み会とかで『カラオケに行こう』という話になって。カラオケ行ったら、『音楽やったほうがいい』と言われて(笑)。
前みたいに、音楽を通して日本の勉強ができたらなと思って。もっと日本人の考えてることとか、感じてるエモーションを知りたいから、音楽を通してその勉強になるかなと思いました」

川田「当時、日本語で日本の曲を歌うって、想像してましたか?」

クリス・ハート「最初はなかったけど、いろんな出会いがあって、いろんな人が応援してくれて。やっぱり、もう一度音楽をやってみたいと思って。
ボイストレーニングを受けて、それが一番大きかったですね。先生が、日本語で歌う楽しさを教えてくれたから、歌手として活動していきたいと思いました」





>>来週は、クリス・ハートさんの第2のターニングポイントついて伺っていきます。
お楽しみに。

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2016.05.22

「まるで別人のように、たった10年で違う人間に変革しちゃうわけですよ」:映画プロデューサー・川村元気
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、『電車男』や『モテキ』、『バクマン』など
数々のヒット作を世に送り出した東宝の映画プロデューサー・川村元気さんです。

川村さんの第1の人生のターニングポイントは2012年、東宝の社員として映画を作りながら、小説『世界から猫が消えたなら』を書いた時でした。
4年の時を経て、映画化され先週公開となりました。

今週は、川村元気さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。



●向き合わなければいけないもの



川村「いろんな人が、一生懸命先のことを見通したいと思っているんですけど、人間って展開が読めることに驚かないし、笑わないし、泣かないじゃないですか。予想外のことが起きるから、笑ったり泣いたりするじゃないですか。
人生も同じで、運命的な出会いやターニングポイントは、予想もしないから意味があるんですよ」

川田「ご自身の人生も、そういう方が楽しいということですか?」

川村「最近では、夢、目標、座右の銘、全部なしという事にしています(笑)」

川田「川村さんの頭の中を本にされたのが、エイガウォーカーからリリースされた『超企画会議』ですね」

川村「僕が映画監督のスピルバーグやウディ・アレン、タランティーノと企画会議をしたんですよ。僕の頭の中で(笑)。
空想で、そういった巨匠と企画会議をする、大ボラを本にしたっていう…」

川田「私も読んでて、”どこからが本当なのか?”っていう…実際に本当のところもあって、途中で空想になるんですよね?」

川村「”ウディ・アレンが『モテキ』を気に入ってくれて、ニューヨークに呼び出されて、打ち合わせをする”みたいな感じなので、入り口が本当なので、読んでて混乱するらしいですね(笑)。本当にくらだらないので、覚悟して読んでもらった方がいいかもしれないですね」

川田「もう1冊が、ダイヤモンド社からリリースされた『理系に学ぶ。』こちらはどういった内容ですか?」

川村「僕は、本当に理系が苦手な文系だったんですね。
最近の映画を観ると、昔はミュージシャンとか、小説家が映画の主役だったんです。最近では、スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、ホーキング博士が映画の主人公になっているんですね。映画の主人公になる人って、その時代の主役の人なんですね。
ということは、世界の主役は理系人なんですよ」

川田「なるほど〜」

川村「やっぱり、”理系に向き合わなければ”と思って、養老孟司先生、ドワンゴの川上さん、宇宙飛行士の若田光一さんなど、11人に会って『これから、何が起こるんですか?』と聞いて回ったんですね」

川田「2年かけて、15人の方とお話をされているわけですけど。
読ませていただいて、文系と理系が真逆だと思っていたけど、意外とアプローチの仕方は違っても、目指しているところが川村さんと似ていたり、同じ考え方で進めていたりとかするんだなと思いましたね」

川村「まさに、そこが僕も目から鱗だったんですね。
”人間は何を幸せだと思うのか”という同じ山を、全然違うルートで登っていただけだった、ということに気付きました。
医学とか、テクノロジーって、”人間がどうやったら幸せに、快適に暮らせるか”っていうことを、追求するためにやっているだけで。それが僕らは、映画だったり音楽、エンターテイメントでやっているのを、向こうは理系の分野でやってるだけだったということなんですよね。
僕が一貫して、小説でも、対話集でもやりたいことって、全く新しいアイデアを発表することではなくて、みんながうっすら気付いていても、口に出してないことっていっぱいあるんですよね。なぜか、世に発表されてないんですよ」

川田「そうなんですよね。一番身近なはずのお金のことが、全然知らなかったというのを『億男』を読んで気付かされました」

川村「やっぱり、作ることっていうよりも、気づくことが大事だと思っているんですね。
結局作ることって、何に気付いているかっていうことのオマケだと思うんですよね」


●3つ目の山



川田「やはり、次の作品も期待してしまうわけですが(笑)。それも予想を超えていただけるような、面白いものを作っている最中ですか?」

川村「いま、『週刊文春』という雑誌で、3作目の小説を始めました。『四月になれば彼女は』というタイトルの、恋愛小説を書いてます」

川田「恋愛モノは、今回が初めてですか?」

川村「初めてですね。『世界から猫が消えたなら』が死を扱っていて、『億男』がお金、人間にはもう1個、自分ではコントロールできないものがあって、それが恋愛感情なんですね。
なんでこんなに賢くなっても、死ぬことは避けられないし、お金でおかしくなっちゃうし、恋愛感情に振り回されるっていう…」

川田「永遠のテーマですよね」

川村「3大テーマの3つ目の山に、遂に登り始めた感じです」

川田「これは楽しみですね。書いていてどうですか?」

川村「最初に面白いことを発見したんですよ。
恋愛小説を書こうと思って調べたら、『恋愛小説は、全然売れてないよ』って言われたんです。昔は、ミリオンセラーがあったのに、今は全然ないんですよね」

川田「いまは、ミステリーだったり、銀行をテーマにしていたりとか……」

川村「ということはですよ、みんな恋愛が関心事じゃないのかなと思ったんです。そして、僕の周りの30代、40代の女性150人に取材したんですよ」

川田「すごいですね(笑)」

川村「かなりの人が、『あんまり好きじゃないのに付き合ってる』とか、『結婚して2年経ったけど、まったく恋愛感情ないな』とか、そんな人ばっかりで。
たまに、猛烈な恋愛してる人とかいると、その人は酒の肴になっちゃってて、ガールズトークで言われるみたいな(笑)。むしろ、レアキャラになってるんですね。

川田「はいはい、確かに(笑)」

川村「僕ら大学生の頃とかって、本当に人のことが好きで、嫉妬で苦しかったり、失恋して頭がぼーっとしたりとか、そういうことがあったのに。まるで別人のように、たった10年で違う人間に変革しちゃうわけですよ。それを思った時に、恋愛感情を失った人たちを書こうと思ったんですよ。
”恋愛をしていた時代”と、”恋愛がなくなった今”を交互に書くと、その差が恋愛という形に見えてくるんじゃないかなって」

川田「今まであった恋愛小説と、また全然違うアプローチの仕方ですね」

川村「そうですね。それを、今からやってみようかなという感じですね」



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2016.05.15

「だいたい、映画プロデューサーとかが小説を書くと失敗するんですよね(笑)」:映画プロデューサー・川村元気
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、26歳の若さで映画『電車男』を大ヒットさせ、
その後、『告白』『悪人』『モテキ』、最近では『寄生獣』や『バクマン』など、
数々のヒット作を世に送り出している映画プロデューサー・川村元気さんです。

今週と来週は、ヒットメーカーである川村元気さんの人生のターニングポイントについてお話を伺います。


●日常の中の気づき


川田「子供の頃から映画には触れ合っていたんですか?」

川村「僕は、幼稚園にも保育園にも行ってなくて、テレビもなかったんですね。
父親が、映画の仕事をちょっとやっていたという事もあって、映画を観ることと絵本を見ることが許されていたので。ものすごく偏った教育だと思うんですよ」

川田「みんなが観るようなものは、見てなかったんですね」

川村1人ぼっちで虫を採ったり、絵本を読んだりしていたので。人生のベースが1人ぼっちという、寂しい感じはあるんですよね」

川田「そうやって1人で作ったり、読んだりというところから、”映画を作ってみたい”という方に流れていくんですか?」

川村「逆に、映画しかなかったのかな、という感じですよね」

川田「川村さんの、第1のターニングポイントはいつくるんですか?」

川村「映画を10本くらい作って、飽きてきちゃったんですね。それで、マガジンハウスから『小説書きませんか?』という話をもらって、編集者がプロデューサーとして面白いなと思ったんですよ。
編集者って、プロデューサーだと思うんですよね、クリエーターに対して、”これをやったら面白いんじゃないの?”って」

川田「道しるべとなってあげるというか……」

川村「僕は普段、映画監督とか俳優に対してそういう存在なんだけど。
本を書くときは、編集者が僕にとって、そういうプロデューサー的な存在であるべきだと思ったので。この人だったら、面白い本ができるかもなと思いました」

川田「なるほど」

川村「いろいろ話しているときに、僕が携帯電話を落としたという話をしたんですよ。
電車に乗って、普段は携帯を見てるから、やる事がなくなっていて。窓の外を見てたら、巨大な虹が出てたんですよね。東京で虹なんて珍しいので、”すごい!”と思って興奮していたら、僕以外の全員が、携帯電話を見ていて気付いていなかったんですよ」

川田「そうだったんですね」

川村「その時に”何かを得るためには、何かを失なわなければならない”という、ぼんやり思っていたことが景色として、スイッチが入った瞬間があったんです。
ひょっとしたら、何かが消えることで、逆に、その意味を気付いていくっていう話を書けるんじゃないかと思ったんですね」

川田「それで書き上げられたのが、『世界から猫が消えたなら』という小説なんですね」


●仕事の喜びは……



川田「『世界から猫が消えたなら』は、私も号泣しながら読みまして。”大切なものって何なんだろう?”と、改めて考えました。
いま120万部で、いろんな方の心に染み渡って、この状況を書いたときは想像していましたか?」

川村「全然想像してなくて、だいたい、映画プロデューサーとかが小説を書くと失敗するんですよね(笑)。悩んだんですけどね、初版も8000部で、可愛い猫の表紙を頑張って作ったんですけど、8000部くらいだと、書店で棚にさされちゃうんですよ」

川田「あ〜、平置きにならないから」

川村「書店に行って、”あの可愛い猫がいない!”みたいな話になって(笑)。でも、応援してくれる書店員さんがいて、そこから流れが変わって、本屋大賞にノミネートされたりとかして、一気に広がっていった感じですね」

川田「じゃあ、出してすぐに”バン!”と、売れたわけじゃなかったんですね」

川村「そうなんですよ。ひとつ、マガジンハウスさんにお願いしたのが、僕が映画で、『告白』『悪人』『モテキ』を作っていることを宣伝に使わないでくれって、お願いしたんですよね。それって、本の世界に対して失礼かなと思ったんですよね。
新人としてちゃんと勝負して、それで売れなければ、作品が弱いからだよと、覚悟を決めてやろうよと言ったんですよね。

川田「それがこうやって評価されるのって、本当にいいことですよね」

川村「僕たちの仕事って、基本的に一番の喜びはそこで。いかにも当たりそうなものを作って、”まあまあ当たる”っていうのは、そんなに面白くなくて。
自分が面白いと思ったこととか、自分が疑問に感じてることを作ってみて、”君と同じことを考えていたよ”という人が、そこの先に100万人いたりするのが、一番嬉しいんだと思うんですよね。
僕はそこにすごく興味があるというか、”同じことを考えててほしい”って、思っているっていう感じですかね」





>>来週も引き続き、映画プロデューサーの川村元気さんをお迎えして、川村さんの最新刊についても伺っていきます。
お楽しみに。

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2016.05.08

「どん底まで落ちたら、あとは這い上がるしかないだろうと、思わせくれたんだよね」:シンガーソングライター・中川晃教
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、シンガーソングライターであり、俳優としてもミュージカルなどで活躍されている中川晃教さんです。

中川さんの第1のターニングポイントは、2001年。18歳の時。
『I Will Get Your Kiss』でデビューし、ミュージカル『モーツァルト!』の主演に抜擢された年でした。

今週は中川晃教さんの、その後の人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺いました。



●どん底から這い上がる


川田「2001年にシンガーソングライターとしてデビューされて、すぐにミュージカル『モーツァルト!』の主演に抜擢された中川晃教さん。その後は、舞台のお話がひっきりなしに飛び込むんですよね。
2013年は、1年間に9作品も舞台に出演されています。そうなると、お稽古や公演がかぶっていくわけですよね。どういう風に切り替えるんですか?」

中川「切り替えは、だんだんできるようになってきたんですよね。僕は食べるのが大好きなんですよ。気軽に切り替える方法は食べる、飲むなんですけど」

川田「今も舞台に出続けてらっしゃるわけですけど、そんな中川さんの人生に起こる第2のターニングポイントは、いつ、どんなことになりますか?」

中川「2009年、孫悟空の物語『SUPER MONKEY』という公演が中止になったときです。ようやく、こうやって初めて自分の口でお話出来てる、新鮮な感覚なんですけど。
幕が開く2週間前くらいにプロデューサーの方々が稽古場に来て、『今回いろいろな理由があって、この公演が中止になりました。今日でこの稽古場は解散です』と言われたときに、みんな震えてたし、怒りを通り越して、”どうすればいいんだろう”ってなっていましたね」

川田「そういうことは、あるんですか?」

中川「ないですね、あってはいけないですよね。なぜ、このお話をしようかと思ったかと言うと、前の年は音楽だけに集中した年なんですね。翌年の『SUPER MONKEY』に全てをかけようと準備をしていたんです。
思いもたくさんあったんですけど、いざ中止になった時に、どん底に落ちた感じになったの。公演が中止になったショックの中に、感情が飲み込まれて、そんな時にある演出家の方から、『中川くん、やらない?』と言ってもらったのが、『女信長』という舞台だったんですよね」

川田「そうだったんですね」

中川「この舞台に抜擢していただいたときに、”言われたことはなんでもやろう!”って、気持ちが変わったんだよね。
この経験をきっかけに”とにかく、しのごの言わずにやる!”と、決めたんですね。どん底まで落ちたら、あとは這い上がるしかないだろうと、思わせくれたんだよね」

川田「それまでは、自分の中で作られていたわけなんですね」

中川「やっぱり、本当の意味で自信がなかったんでしょう。いろんなチャンスをもらったし、いろんな役をもらってきたし、それに120%応えようとやっていたけど。果たして、周りがどこまで見れていたか分からないよね。
”座長って、本当の意味でなに?”っていうのも分かってなかったかもしれない。
その中で一生懸命やってきてたけど、実際に舞台が中止になって、自分を見つめ返したと思うし、声をかけてもらった、それに対して全力で応える、そこに最終的に結果がついてくるだろうと、そうやって思えた。
『SUPER MONKEY』の後に、NHKのドラマが初めて決まったり。そして、香川照之さん、鈴木省吾さん、ラサール石井さん、そして僕、の4人の芝居、『7Days Judgement -死神の精度-』脚本・演出が和田憲明さん、この方と出会ったことで、芝居の面白さに気付いたし。
もっともっとできると思えた自分がいたから、景色が全部変わったんですよ。
2009年は、どん底から、一気にいろんな人との出会いに恵まれ、そこに自分自身が挑んでいくことで、いまの2016年の自分に繋がってるターニングポイントでしたね」


●『フランキーヴァリという役と出会ったことが、第3の声といってもいいくらいですね』



中川「第1の声が、デビュー曲の『I WILL GET YOUR KISS』そして、ミュージカルと出会ったことで第2の声。表現というものが、広がって深まっていった。自分の人生と重なって、歌というものに命をかける、生きる事イコールになっていきました。
まさに、フランキーヴァリという役と出会ったことが、第3の声といってもいいくらいですね。
この声を出せて、それが自分の中でフィットしていて、お客さんから見ても違和感がなくて。というのが、役になりきる上でマストなわけですよ」

川田「なるほど」

中川「デモテープを送って、本国からOKをもらうという流れの中で、最初歌った中に『Sherry』という曲があったんです。
このミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の虜になっている関係者って多くて、僕よりも熱い人がいっぱいいて、『中川にやってほしい』って言ってもらったところから始まってるんですよ。
実際にやりましょうってなってから、”やばい、この曲難しい!なに?”って思ったんですよ(笑)」

川田「最初、女の人が歌っているのかと思ってしまうくらいの…」

中川「”天使の歌声”って言われてるくらいですからね。音域としては出していても、この発声法では出してなかったですね。
発生の違いをコントロールすることが、この役に必要だったということと、そのOKをもらうための、テープを送るっていう審査ということが後にわかり。これで、本国からノーって言われたら出来ないってことじゃん!って(笑)。真剣にやって、見事獲得しました(笑)」

川田「本国に送って聴いてもらうっていうことで言うと、いろんな方に認めていただけなければ、決まらなかったわけですよね」

中川「世の中、いろんなことがありますけど。この作品に関してはそうですね」

川田「中川さんの、これからの夢を聞かせていただけますか?」

中川「いろんな経験が、この33年の人生の中にありますけど、2つあります。まず、オリジナルのミュージカルを作らないといけない、そんな気持ちになっていますね」

川田「オリジナルですか!」

中川「もうひとつ、ミュージカルをやりながら音楽活動をやっていく。ミュージカルって、やっぱりエンターテイメントだと思っているんです。どんな人が足を運んで、劇場に訪れて、その瞬間を観て、必ず劇場を去る時に”感動した、楽しかった。なんだろう、この感覚?”って、日常がひとつも、ふたつも変わる。
エンターテイメントの持つ力、どんなに苦しいときも、エンターテイメントはなくなってほしくないですね。そう思えるのは、この仕事に携わることができてるからだと思います。
音楽をやることで、エンターテイメントの世界の中での新たな道、誰も歩いていない道、中川晃教が歩いてる道というのが、しっかりと残せたらなと思っています」





>>来週は、映画プロデューサーの川村元気さんをお迎えします。
お楽しみに。

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2016.05.01

「進化を続けてる自分がいるんですよ」:シンガーソングライター・中川晃教
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、シンガーソングライターの中川晃教さんです。
中川晃教さんは、今年デビュー15周年を迎えたシンガーソングライターであり、ミュージカル界のトップスターです。

今年3月に、10年ぶりのスタジオ録音アルバム『decade』をリリースされました。
そして、今年の夏は、伝説のミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の主役フランキー・ヴァリ役を演じることが決定しています。

中川晃教さんに、2週にわたって、人生のターニングポイントについて伺っていきます。



●歩み続けること



川田「スタートが、小さい頃にミュージカルを観たところから始まっているんですか?」

中川「父がギターが趣味で、母は歌が好きでしたので、家の中に音楽が溢れていたんです。
僕が3人兄弟の次男で、音楽というものに興味を持って、1つ上の兄の入学式のお祝いに、家族でホテルのレストランに行ったんです。
そのホテルの中に、生のグランドピアノが置いてあって、男性の方が演奏されたんですよ。それを見て、”男の人が弾くんだ!”と思って、母から言われたのが、『男の子がピアノを弾けると、女の子にモテるよ』って言われて、”なに!?”と思ったんですよ。やっぱり、そういうのには敏感じゃないですか(笑)」

川田「そうですね。でも、早いですよね(笑)」

中川「かっこいいと思いましたね。女性が弾くイメージがあったんですけど、そうじゃないんだって。
ウェルカムな感じですよね、レストランのその時間を演出しているし、その時間を喜びに溢れた時間にするという…そういう優しさみたいなものを母から学んだことが多くて。
男が弾けるのもいいんだって、そういう男性になれたら素敵だなと思わされたというか…」

川田「小さい頃に、おもてなしの心がすでに芽生えていたんですね。実際に、モテましたか?」

中川「まったく、モテませんでしたね(笑)。よく妹に言われるんですけど、『お兄ちゃんは喋らないで、黙ってピアノ弾いてればいいのに』って、”なんだそれ!?”みたいな(笑)」

川田「曲を作り続けていた時に、第1のターニングポイントを迎えるんですよね」

中川「サービス精神っていう言葉が、どこまで伝わるかわからないんだけど。学校から帰ってきて、友達と遊ぶ時間よりもピアノと向き合う時間が、僕には楽しかったんだよね。その時間は、誰にも伝わらない時間でしょ?お客さんがいるわけでもないし。
必ず、誰かがどこかで見ている。自分だけの世界という先に、それが叶う時がくるのかなっていうことを思いながら、とにかくピアノに向かいながら、18歳でデビューに向かっていくわけです」

川田「2001年。18歳の時、『I WILL GET YOUR KISS』では作詞・作曲もされていて、ドラマ『マリア』の主題歌で、いきなりのヒットとなりました。このときは、どういう気持ちだったんですか?」

中川「デビューが決まる、決まらないって、ギリギリまで変わるんですよね。エンターテイメントの世界、今はいろいろな入り口があると思うんですよね。
この曲が僕にとっての入り口、この曲を書いたのは高校生だったんですけど、あの時を思うと、決まるか、決まらないか分からない中で、色んなことが”カチ、カチ、カチ”とハマっていって、本当にデビュー出来たんだというのを実感してたんです」

川田「そうだったんですね」

中川「だから浮かれることも出来ず、とにかく戦略、戦略で、周りの大人の方々の”ヒット曲を出そう”という力を借りながら、同時に『中川は次の曲、その先の曲を書き溜めなさい』ということで、ずっと曲作りをしていたイメージがあります」

川田「このヒットに浮かれることなく、次に進んでいたような感じなんですね」

中川「すごく、そういう印象がありますね」


●原石は、どこにいても光る



川田「『日本有線大賞新人賞』受賞など、周りから見ると”トントン拍子で進まれたのかな?”というイメージもしちゃうんですけど……」

中川「やっぱりさ、”トントン”といくって重要ですよね。”トントン”といってるように感じさせる、流れに乗る、流れに抗わずに身を委ねていく。それが、僕の2001年のデビューイヤーだった気がしますね。
そこに辿り着けたのも親の言葉が大きくて、『あなたが本当に原石ならば、仙台にいても、東京にいても、どこにいてもデビューに繋がるでしょ?だから、焦らなくていいんじゃない?』って言われたのを、思い出しますね。でもさ、自分のことを原石って信じられる?」

川田「それは信じられないですね(笑)」

中川「だから、その言葉をくれた親に感謝だよね」

川田「当時、そういうのを見付けてもらったからか、そのあとミュージカルも、モーツァルトの主演に抜擢されますよね」

中川「デビューが2001年の8月なんですね、ちょうど翌年の2002年、8月から稽古が始まって、10、11月とミュージカルのモーツァルトをやらせていただきました。
子供から大人になって、いろんな経験をしてきて、”あの瞬間、ターニングポイントだったな”と、思い返せる人生を生きてきてる。
33年間の僕にとっての歴史があって、これも一つの進化を、自分自身が振り返ったときに見つめることができる。その時間の中で、この音楽(『ツァラトゥストラはかく語りき』:モーツァルト)が聞こえるんですよ」

川田「なるほど」

中川「だって、人間って進化論でしょ?のちに、僕は進化論という音楽を書いてたりするくらい、必ず、自分の中でデビューを思い返す、
そして、ミュージカルというものと出会って、また、さらに自分自身の可能性を広げるきっかけをいただけたことによって、進化を続けてる自分がいるんですよ」

川田「この進化論、まさに毎年1年ごとに進化されている、それが詰まったアルバムが『decade』ということですね」

中川「そうですね」





>>来週は中川晃教さんの、第2のターンングポイントに迫っていきます。
お楽しみに。
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(土)09:00〜09:25
FM沖縄
(土)08:30〜08:55

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