Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2016.08.28

「すごいヘンテコな作品でしたね(笑)」:作家・村田沙耶香
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、芥川賞作家の村田沙耶香さんです。

7月19日に発表された、第155回 芥川賞を『コンビニ人間』で、見事受賞されました。

村田さんの第1のターニングポイントは、20歳の頃、芥川賞作家の宮原昭夫さんに出会ったことで
再び小説が書けるようになったとき。
今週は、村田沙耶香さんの人生の第2のターニングポイントについて伺いました。



●”クレイジー沙耶香”と言われる所以



川田「作風と印象のギャップに、戸惑ってしまいますね(笑)」

村田「嬉しいです。ぴったりと言われるよりはホッとします(笑)」

川田「小説仲間の皆さんからは、”クレイジー沙耶香”と言われているんですよね?」

村田「そうですね。たぶん、いじられキャラなんだと思います」

川田「どういった部分で、そう言われるんですか?」

村田「私がとぼけたことをした時とか……。
最初に小説仲間に出会ったのが北京だったんです。日中青年作家会議というものがあって、リーダーが中村文則くんで、西加奈子ちゃん、山崎ナオコーラちゃん、青山七恵ちゃん、綿矢りさちゃん、羽田圭介くん…そのメンバーで北京に行って、最初はすごい人見知りをしていたんです」

川田「そうだったんですね」

村田「そういうところで、羽田くんや加奈子ちゃんが、サソリの素揚げみたいなのを食べている時に、私だけこっそり食べていたんです」

川田「こっそりですか?(笑)」

村田「加奈子ちゃんや羽田くんは、”イエイ!”って感じで写真とか撮りながら食べていたんです」

川田「普通は食べないものを食べるわけですから、みんなの前で食べますよね」

村田「こっそり食べてるを見て、加奈子ちゃんが『なに、こっそり食べてんねん!』って。
そこでみんながツッコミを入れる、いじられキャラになったんだと思います」

川田「本当にサソリを食べたかったんですか?」

村田「好奇心が旺盛なので、みんなが食べてるのを見て食べてみたかったんですね」

川田「それはクレイジーですね(笑)。皆さんに言われちゃうことって、その一回だけじゃないんじゃないですか?」

村田「その後も、みんながツッコミみたいな感じで言ってくれるので、自分の中の変な部分を出しやすいんです」

川田「変わってるところはあるんですか?」

村田「自分ではあんまりないと思っているんですけど、すごい小さなことなんですよ。
常に原稿を持ち歩いて、カバンがパンパンだったり…(笑)」

川田「なんで持ち歩くんですか?」

村田「なんか、書く時間があるかと思って…『ご飯食べて帰るだけなのに、あるわけないじゃん』ってみんなから言われたり」

川田「食事会の時にも持っていくんですか?」

村田「原稿持ってたりするんですよね(笑)」

川田「ということは、紙に書かれているんですか?」

村田「ノートとプリントアウトした原稿に手書きで加えていくスタイルなので。
なんか、急に降りてきて、めちゃめちゃ進むんじゃないかと思って、つい持ち歩いてしまうんです(笑)」

川田「細くて小さいお体なのに、あの大きなカバンを持ってらっしゃるから(笑)」

村田「その様子とかも、いじりやすいんだと思います(笑)」


●美しい小説




川田「村田沙耶香さんの第2のターニングポイントはいつのことですか?」

村田「2014年イギリスの文芸誌『GRANTA』に『清潔な結婚』という短編が掲載されたことです」

川田「『清潔な結婚』というのは、性交渉をもたないことを前提に結婚した夫婦が、子供を作るためにある施術を受けることにする…という内容なんですが、これは考えさせられる作品ですね」

村田「そうですね。すごいヘンテコな作品でしたね(笑)。
夫婦は友達としていて、性交渉はしないで、”僕たちはただの家族として兄弟のように暮らしていこう”という感覚が、私にとっては違和感がないというか…。こういう形の結婚をしてる2人がいても、いいような気がしてるんですよね」

川田「これを題材にしようと思ったきっかけはあったんですか?」

村田「海外の方に読まれることを前提としたので、どうせならはっちゃけようと思ったのかもしれませんね(笑)」

川田「第2のターニングポイントに選んだ理由はなぜですか?」

村田「かなりユーモラスな作品で、『小説を読んで初めて笑ったよ』って言ってもらえた作品なんですけど。
この作品がイギリス版の『GRANTA』に掲載された後、各国の『GRANTA』に掲載されたよっていう報告をいただいたり。イギリスの編集さんとお会いして、『びっくりした、笑ったよ』と仰っていただいて」

川田「びっくりしたという感想でしたか」

村田「『美しい』と、仰ってくださった方もいて、すごく嬉しかったんですよね。海外の方、文化の違う方が違う言語で読んで感想をくださることが、不思議で刺激的なことだったんです」

川田「日本との違いっていうのは、大きなものがあるんですか?」

村田「”驚いた”みたいなことは、わりと一緒なんですが。
海外の方のほうが『美しかった』と、あの小説を美しいと言ってくださる方もいるんだ…とか」

川田「確かに色で言うと、汚れていない、真っ白というか…そういうイメージが湧きますね。
そういう風なことを言葉にすると『美しい』ということなのかもしれないですね」

村田「そうだとしたら、すごく嬉しいですし、自分では気付かなかったところですね」

川田「海外に向けて発表したことで、村田さん自身に変化はありましたか?」

村田「シリアスな作品が多かったので、笑ってもらえるっていうことが楽しいなって。
あと、国を超えて『このセリフが本当に面白いんだよ。どうやって訳そうか』と、日本の『GRANTA』の皆さんが仰ってくださってるのを見て、ワクワクしたんです」

川田「確かに、訳が難しいかもしれないですね。もう一度笑ってもらえるような訳にしないといけないですね」

村田「人間をユーモラスに描く楽しさ、特に『コンビニ人間』を書いてるときには、この『清潔な結婚』っていう短編のことを思い浮かべていました」





>>来週は梅田彩佳さんをお迎えして、お話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2016.08.21

「”下手な私のまま書いてみよう”と思ったんだと思います」:作家・村田沙耶香
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、芥川賞作家の村田沙耶香さんです。

先月7月19日に発表された、第155回 芥川賞を『コンビニ人間』で、見事受賞されました。
現在も、コンビニで働きながら執筆を続ける村田さんに、人生のターニングポイントについて伺いました。



●おとなしかった幼少期



川田「小さい頃、村田さんはどんなお子さんだったんですか?」

村田「私自身はこの小説の主人公と違って、かなりおとなしい子供でしたね」

川田「主人公は周りと違ったことを言って、周囲を驚かせてしまうような子供ですけど違うんですか?」

村田「むしろ、そんな子になってみたかったです(笑)。気を使う子供で、神経質で、おとなしすぎて……先生や親に心配をかける内気な子供でしたね」

川田「ご両親は小説を書いていたりしたんですか?」

村田「全然していなくて、母はミステリーが好きですし、父はそんなに本を読まなかった気がするので。
私自身が書き始めたのは、小学校4年生くらいからだったと思います」

川田「最初はどういうきっかけだったんですか?」

村田「クラスで、ノートを四つ折りにしてホッチキスで留めて、小説や漫画を書いて仲良い子同士で交換するような遊びが流行ったんです。
だんだん、誰にも見せない小説を書くようになっていきました」

川田「一番最初の作品は、どんな題材だったか覚えていますか?」

村田「誰にも見せない作品で、はじめて最後まで書けた作品は5人姉妹の話でした。5つ子の、まったく顔が同じの、歳も同じの女の子たちの話で……。”この子はナイスクラップの服が好き”とか、”ミルクの服が好き”とか、設定するのが好きな子だったので…そういうことを考えて書いた小説を覚えています」

川田「いまの作風と全然違う感じですね」

村田「当時一番読んでいたのが少女小説だったので、少女小説家になりたかったんですよね(笑)」

川田「意外ですね。いまの作品を読ませていただくと、もう少し世の中に投げかけるだとか、そういうテーマが多いと思いますね」

村田「ずいぶん遠くに来てしまいましたね(笑)」


●運命の出会い



川田「村田さんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

村田「大学2年生の頃、宮原昭夫先生という作家の先生と出会ったことです」

川田「宮原先生とは、どんな出会いだったんですか?」

村田「小学校・中学校と小説を書いていて、高校・大学くらいで、まったく小説が書けなくなってしまったんです。
自分が書きたいものが少女小説ではなくて、純文学になったからだと思います。
ずっと悩んでいて、勇気を出して横浜文学学校という、学校と名前はついているのですが、勉強会のような場所に通って宮原昭夫先生に出会いました」

川田「宮原先生も1972年に芥川賞をとられていますよね。宮原先生と出会ったことで、どういう変化がありましたか?」

村田「授業もそうですけど、飲み会などで誰かがお姑さんの悪口を言うと『それ面白いじゃないですか、小説にしてみましょうよ』と先生がおっしゃったり。
日常にあることを観察して描くっていう、ひょいっと拾う感じ?
小説を書くって、ものすごく偉くて頭のいい人だけのことだと思っていたんですけど」

川田「私もそういう風に思っていますね(笑)」

村田「もっとチャーミングなことなんだなと、先生のお姿を見て思ったんですよね」

川田「書けなくなってしまったのは何があったんですか?」

村田「それは山田詠美さんの小説と出会ったことが大きくて。ああいう素晴らしい文章で小説を書いてみたいと思いました。
書きたいことも純文学に振り切れてしまったし、文章も山田詠美さんの文章に憧れすぎてしまって…自分の稚拙な言葉が耐えきれなくて、書いては捨て、書いては捨て、を繰り返して……」

川田「そうだったんですね」

村田「宮原先生と出会って『下手なままでも、いいんだ』って、”下手な私のまま書いてみよう”と思ったんだと思います」

川田「それは今も変わっていないんですか?」

村田「スピルバーグさんがどこかで言っていた言葉で、『笑われることを恐れないのが演技だ』みたいなことを言っていたんですが、”自分も笑われることを恐れずに小説を書いてみよう”と、ヘンテコな小説でも、下手でも、とりあえず出してみようと変な勇気をもらったと思います(笑)」

川田「宮原先生は、芥川賞受賞はどういう風に喜んでくれましたか?」

村田「今までにないような経験を、いっぱいすることがあって大変だと思うけど。”来た球を打つ”っていう気持ちで、いろんな経験をしてみるのも、将来の小説のための栄養だと思っていいことなんじゃないですかと、そういう言葉をくださいました」





>>来週も引き続き、芥川賞作家の村田沙耶香さんをお迎えして、お話を伺っていきます。お楽しみに!

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2016.08.14

「人は騙せても、最終的に自分は騙せないんですよ」:アルピニスト・野口健
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、アルピニストの野口健さんです。

野口さんの第一の人生のターニングポイントは1989年、高校116歳。
先輩との喧嘩が原因で1ヶ月の停学処分。
その時に、冒険家・植村直己さんの本に出会い登山を始められたというアルピニストへの出発点でした。

今週は、その後の野口さんの人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺いました。



●突きつけられた現実



川田16歳でヨーロッパ大陸最高峰のモンブラン、17歳でアフリカ大陸最高峰キリマンジャロを登頂。
登山に自己表現の価値を見出されていかれる野口さんですが、第2の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

野口「エベレストかな。97年に初めて行って、高校の時代から写真集とかテレビで見てきたエベレストは美しい世界なんですよ。
行ってみたら人が多いし、ゴミが広範囲に散乱してて…数千人が約2ヶ月生活するわけじゃないですか。
何もないところだから、食料、燃料を持っていくでしょ?ベースキャンプはプロパンガスがゴロゴロしてますよ。みんな使って捨てるので」

川田「それは持ち帰らないといけないんですよね?」

野口「そこが意外とアバウトにきてるんですよ。ヤクという毛の長い牛に積んで、お金をかけて、食料とかあらゆるものを持ち込むじゃないですか。それを全部持って帰るには、相当お金がかかるので。
登ったら置いて来ちゃうことが多くて、食料、燃料、衣服、薬、空の酸素ボンベとか……」

川田「そうなんですね」

野口「酸素ボンベって、満タンでも空っぽでも人間の感じる重さとしては変わらないんですよ。
80年代くらいは、8キロくらいありましたから、今は軽くなって3キロくらいですけどね。それを1人何本も使うので。
何回も往復して、荷揚げをするわけですよ。登頂した後に降ろそうと思ったら、疲れてるし、1日でも早く下りたいんですよ。上は酸素ボンベの墓場になってるんですよ」

川田「そんなに、ぎっしりですか?」

野口「そうですね。その時に、いろんな国の登山家の人が『おまえら日本人が毎年来て、散々ゴミを置いていく』って、すごく言うんですよ。確かに、漢字、ひらがな、カタカナで書いてある食料品があって……。
『おまえらは、ヒマラヤをマウント・フジみたいにするのか?』そんな言い方だったんですよ。最初意味がわからなくて、『ん?』と言ったら、『富士山は世界で最も汚い山と聞いている。おまえたちは自分たちの富士山だけじゃなくて、エベレストまでも富士山のように汚すのか』と言われて」

川田「そんなことを言われたんですね」

野口「何回も富士山に登っていましたけど、僕ら山屋っていうのは厳冬期しか行ってなかったので。雪と氷に覆われているので、ゴミを見た記憶がないんですよ。
日本に帰ってきて、本当に汚いのかなと思って富士山に行ったんですよ。『夏の富士山には白い川がある』って言われていて、上空からの映像に映っているんですよ」

川田「それは何ですか?」

野口「何も知らずに見たら雪かなと思うんですけど。当時はですよ?山小屋のトイレが溜まると栓を抜くんですよ。
トイレから流れるのは、おしっことうんちと紙。主にこの3点セットですね」

川田「はい」

野口「おしっことうんちは染み込んで、紙が残るんですよ。これがすごい量ですから、多い年で、ひと夏30数万人登頂者が出るので、トイレをずーっと流していった紙が残っているのが白い川の犯人なんですね。これはとんでもない量なんですね。
調べていったら、富士山のゴミを拾う団体、富士山クラブっていうNPOがあったんですよ。彼らにいろんな現場を案内していって、青木ヶ原樹海に案内したんですよ。樹海って行ったことありますか?」

川田「いいえ、ないですね」

野口「樹海に細かい林道がいっぱいあるんですけど、林道にすっと入っていくと、車から降りたら、場所によっては立っている僕の背よりも高くゴミが積まれているんですよ。
そこはポイ捨てじゃなくて、夜にトラックが来てガバッと捨てる不法投棄だったんですね。それがすごかったんですよ。
最初の現場で覚えているんですけど、使用済みの注射器が山積みになっているんですよ」

川田「医療用の物だったりするんですね」

野口「”こんなことになっているんだ”って知っちゃうと、気持ちの中で、どこか背負っちゃうんですよね。
”チクショー!ゴミ拾うか!”みたいな話でね、だから、現場に行って見てないとやってないですね」

川田「エベレストの清掃登山もされるんですか?」

野口「そうですね、同じ年からです」



●心の引き出しに眠っていた気持ち




川田「野口さんが、現在描いてらっしゃる夢がカメラマンということですが、写真はもともとお好きなんですか?」

野口「写真は、小学校2年くらいかな?『池中玄太80キロ』っていうドラマがあったんですよ。カメラマンの池中玄太がかっこいいなと思って、”僕もカメラマンになりたい”と思ったのが、僕の人生で初めて持った夢なんですね」

川田「そうだったんですね」

野口「中・高で写真部に入っていて、高校3年生の頃に『写真家になるか?登山家になるか?』これで葛藤するんですよ。
ギリギリまで葛藤して、”じゃあ山にいこう”と思ったんですね。
その頃からカメラを置くわけですよ。ずっと山を登り続けて、数えたらヒマラヤに55、6回行ってるんですよ」

川田「そんなに行かれてるんですか!」

野口「そうすると、何も感じなくなりますよ。エベレストに行っても、職場にいる感じです。
ヒマラヤから帰ってくると学校の講演に呼ばれていくんですね、先生方からは『挑戦って素晴らしい、感動の話を』と言われれるんですけど、でも、本人は感動してないんですよ。その時の辛さ!」

川田「みんなも期待していますからね」

野口「人は騙せても、最終的に自分は騙せないんですよ」

川田「そういう状態になったときに、写真が出てくるんですか?」

野口「”しんどいな〜”と思ってるときに、レミオロメンの藤巻亮太さんと仕事で出会って、『山に行きたい』というので、一緒に行ったんですよ。ちょうど、亮太さんがカメラにハマったころで、ずっと山の中で目をキラキラさせながら撮ってるんですよ。
それを見たときに、”ハッ!”と思いまして”俺は写真をやりたかったんだよね”って。小学校の頃の夢が、どっか心の引き出しに残っていたんですよね」

川田「なるほど」

野口「それで、”写真を始めたら、またワクワクできるかも”と思ったんですね」

川田「どういった写真を撮るんですか?」

野口「毎回テーマを決めていくんですけど、ツイッターで『今度、何を撮るかな』って気楽に呟いたんですよ。
そしたら、いろんなリクエストが来て、ある人が『風を撮ってきてください』って言ったんですよ。
”面白いな”と思って、ヒマラヤに行ってずっと風をイメージしてるんですね。
登山家として行くと、A地点からB地点への移動なんですよ。”早く行って、早くテント張って、早く寝る!”の繰り返し。
写真を撮ろうと思うと、テント張ったあとにずっと空を見てるんですよ。写真として一番伝わりやすい時間帯って、夕方なんですよ。
夕方になって夕焼けが始まる前後、紫色とか紺になってきた頃に、気流が荒れてると雲がぐわっとなるんですよ」

川田「曲がるような感じですか?」

野口「ものすごい渦を巻いてるんです。昼間だと、なかなか見れないんですけど。夕方になると、日光の角度もあると思うんですけど、雲の形が怖いくらいに浮くんですよ。それが、風なんですよ」

川田「風の表現を雲で表したり……そういうことを考えながら登るんですね」

野口「ヒマラヤの魅力って、そこで人々が生活してて、厳しい中で生き生きしてるし。子供たちなんか目がキラキラしてるんですよ」





>>来週は、芥川賞作家の村田沙耶香さんをお迎えして、お話を伺っていきます。お楽しみに!

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2016.08.07

「生に対する執着心が強くなって、”絶対にこんなところで死にたくない!”って思うんですよ」:アルピニスト・野口健
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、アルピニストの野口健さんです。

野口さんは、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。
その後、エベレスト、富士山の清掃登山をはじめ、様々な活動を自らが先頭にたって精力的に行っています。
先月、野口健さんのライフワークである富士清掃登山を終えたばかりです。

今週と来週は、アルピニスト、環境問題に取り組む活動家、そして最近では写真家としてもご活躍の野口健さんに
人生のターニングポイントを伺っていきます。



●コツコツと積み上げること



川田「野口健さんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

野口「高校1年の、入った直後に学校で喧嘩して停学処分になったんですよ。
この時はイギリスにある全寮制の学校で、そこで事件を起こして日本に帰ってきたんです」

川田「何があったんですか?」

野口「全寮制って、男同士けっこう喧嘩をするんですよ。先輩に”あいつ生意気だ”っていうことで、目をつけられていて。
最初、向こうは集団で来てたんですよ」

川田「喧嘩をふっかけられるというか…」

野口「ある日、廊下を歩いてたらその先輩が一人でいて、すれ違った瞬間に向こうが”フン!”って鼻で笑った瞬間に
気付いたら向こうに正拳が入ったんですよね」

川田「なかなかの喧嘩だったんですね。停学になって、学校には行けなくなるわけですよね?」

野口「親が日本にいたので、親元に帰らされるんですよ。1ヶ月間家にいないといけないんですよ。
親父が『1ヶ月も家の中にじーっとしてたら、ろくなことないから旅でも行ってこい』って言うんですよ。
自宅謹慎という処分なので、1人で旅行に行くわけにいかないって言ったら、親父が『おまえの人生だから、これからどう生きるのか、学校続けるのか、一人で考えろ』って言われたんです」

川田「高校1年生に、そういったことを言うんですね」

野口「そこから京都に行って、奈良に行って姫路まで行ったんですね。
2週間くらい1人でウロウロして、その時の大阪から姫路に行く途中の駅の本屋にふらっと入って。
偶然パッと目に入ったのが、植村 直己さんの『青春を山に賭けて』っていう山の本なんですね。植村直己さんが遭難された時に、僕は海外にいたのでニュースを知らなかったんですけど、なんかピンと来たんですよ」

川田「なるほど〜」

野口「手にとって、”何かの縁だな”と思って買ったんですね。それを移動中にずっと読んでいて。
一番残ったのは、植村直己さん自身が落ちこぼれなんですよ。『わたしは、人並み以下であった』とか、コンプレックスを感じるんですよね。
でも、コンプレックスの中で日本を飛び出して、世界中を放浪するんですけど。お金を貯めては、1人で山をコツコツ登り続けるんですよ」

川田「そうだったんですね」

野口「日本人初とか、世界初という記録を狙う野心なんてさらさらないんですよ。一人で黙々と山に登り続けるんですよ。
コツコツを積み重ねた結果として、”日本人初登頂”とか、”世界初登頂”とか、結果的につながっていくというような話なんですね。というのを停学中に読んで、”この俺も、1つのことをコツコツやっていけば、何かができるのかも”と、思ったんですね」


●7大陸最高峰世界最年少登頂記録



野口「7大陸のうち、6つまでは、ほぼ全てトントントンと登っていくんですね。周りから、『無理だ』と言われながらも、行けば登れるのでどこかで”俺、天才かも”って思うんですよ。
23歳で初めてのエベレストに挑戦するんですけど、行けばなんとかなるだろうと思ったら、コテンパンにやられて…」

川田「どうだったんですか?」

野口「何が難しいかというと、一気に上がると高山病にかかるんですよ。ベースキャンプっていう一番麓のキャンプ地があって、標高差で5、600メートル上に、第一キャンプを作るんです。その間を往復するんですね。
ベースキャンプから、第一キャンプに1日かけて荷揚げして、また下りるんです。これを何回も繰り返して行き来してるうちに、第一キャンプのあたりの薄い空気に体が慣れてくるんですよ」

川田「なるほど」

野口「慣れてきたら、第一キャンプと第二キャンプ、この間を何往復かするんですね。それを延々と、第五キャンプまであるので、1ヶ月〜2ヶ月かかるんですね」

川田「それで、あれだけの時間がかかるんですね」

野口「極めて危険なところじゃないですか?だから、2ヶ月間いつも緊張するんです、いつでも死ねるんですね。
驚いたのが、7000メートルくらいまで行くと、かつての遭難者は色んなところに横たわって凍ってるんですよ。
あの頃で1000人くらいの方が登頂されてましたけど、全体の中で登頂してない人も含めると、300人くらいの方が遭難して亡くなっているんですね」

川田「そんなにですか!」

野口「遺体がいたるところに横たわっていて、その真横を通るんですよ。何を感じるかというと、遺体が持っているエネルギーっていうのがあるので、呼ばれていくんですよ。
とっさに自分の体を触って、いま自分が生きているということを確認したくなるんですね。
死を感じた分だけ、生に対する執着心が強くなって、”絶対にこんなところで死にたくない!”って思うんですよ。
だから、”死ぬのが怖い”とか、”生きて帰りたい”とか、それしかなくなりますね」





>>来週も引き続き、アルピニストの野口健さんをお迎えして、お話を伺っていきます。お楽しみに!

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