Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2016.09.25

「その才能に対してビジネスになっているじゃないですか」:ドラマー・沼澤尚
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、日本を代表するドラマーの沼澤尚さんです!

沼澤さんの第1の人生のターニングポイントは
1983年、22歳、アメリカに渡り音楽の学校に入学した時。

同級生たちの、プロを目指す姿勢に刺激を受け
「自分のスタンダードが崩壊した」とも、仰っていました。

今日は、沼澤尚さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。



●人生に起こる第2の人生のターニングポイント



川田「沼澤さんに起こった第2の人生のターニングポイントは何ですか?」

沼澤1989年、僕が29歳になった直後に父親が亡くなったことですね。うちの親父は鉄人だったので”こんな人が病気とかするんだ”って思いました」

川田「鉄人というのは…?」

沼澤「熱とかあったら、水風呂に入る的な(笑)。毎朝走って帰ってきたりとか、どんなに自分が頑張っても絶対に腕相撲勝てなかったり(笑)。
アメリカのビールのコマーシャルで、うちの親父が日本人のOBの野球選手で抜擢されたんですよ。アメリカに何度もコマーシャルを撮りに行ってるんですよね。その時のギャラも『ドルでもらったから置いてくわ。おまえ、使え』って言って置いていってくれたり、そういう親だったんですよ」

川田「それはグッときますね(笑)」

沼澤「だから、自分の父親のほうが僕が行く学校に先に行ってるんですよ。『うちの息子が来るんで、よろしくお願いします』みたいな」

川田「じゃあ、アメリカの人達もCMを見てるとお父さんの事を知ってるわけですよね」

沼澤「親父のことをみんな知ってました。『おまえ、あれの息子?』みたいな、めちゃくちゃ人気あったコマーシャルだったんですよ」

川田「お父様の前で演奏したことは?」

沼澤1987年に僕がボビー・ウーマックのバックをやっていて、初来日するんですよ。その時に、初めて僕のドラムを演奏してるところを両親が見ました」

川田「どういう風に仰っていましたか?」

沼澤「うちの親父は、『お前は休みがないのか?』って、『他のメンバーは休んでるのに、ドラムっていうのはずっとやるんだな』みたいな(笑)」

川田「初めてご覧になったわけですよね」

沼澤「『お前のやりたいことは、なんか分かったよ』って言われて」

川田「そういう姿をお父さんに見せられたのは、嬉しいことですよね」

沼澤「アメリカでやってたバンドのアルバムが出た直後に、うちの父親が亡くなってるんですけど。80年代の後半って、アメリカでも仕事できるようになってて、そこでは流石にミュージシャンやってる感があったんですよ。
”やれるだけやろうかな”みたいに思ってる頃なんですけど、両親が実家の東京にいて父親がいなくなって、母親が1人になるじゃないですか」

川田「そうですね」

沼澤「この時から、なぜか1年に1回〜2回、日本で呼ばれる仕事が急に増えて。そこから一気に、毎年日本に行く頻度が増えてきたんですよ。父親が亡くなった直後なんですよ」

川田「それって何かを感じますよね。ずっとアメリカで、最後までいるのかなと思ってましたか?」

沼澤「思ってましたね。その頃はまだ20代なので、嫌な言い方をすると”俺はもう本場にいるし”みたいな、いまは全然思ってないですけど。その頃は邦楽とかをバカにしてる嫌な感じで『日本?ごめん、俺本場にいるし』みたいな、若いし、嫌な感じでしたね(笑)」


●日本とアメリカの狭間で



川田「日本とアメリカの、音楽の仕事の違いはありますか?」

沼澤「いっぱいありますね。日本であまり音楽の仕事をしたことがなかったので。スタジオに呼んでくれたりしたんですけど、一番ビックリしたのは、アメリカだと『お前は、誰のおかげでドラムで飯が食えてるんだ』っていうことが基本的なんですよ」

川田「はい」

沼澤「つまり、レディー・ガガっていう人があれだけのスーパースターで、その才能に対してビジネスになっているじゃないですか。彼女の才能のおかげで雇われたドラマーに仕事があるわけですよ。そういう、いい意味での基本的な力関係があるんです。
僕は音楽も英語で習ったし、音楽ビジネスも英語だし、日本語で音楽のことを習ったことがなかったので」

川田「そうなんですね」

沼澤「誰かのアーティストのレコーディングで日本に呼ばれたとき、『沼澤さんがいるんだったら、このレコーディングもお願いします』って行ったレコーディングで、新人のシンガーソングライターの方のレコーディングだったんですけど。
彼はスタジオの隅で小さくなって座っているんですよ、そこに呼ばれた人たちが有名なスタジオミュージシャン達だったんですね」

川田「なるほど」

沼澤「その彼の才能のおかげで、レコード会社だったり、事務所が投資してるわけじゃないですか。それでレコーディングして、雇われたミュージシャンが集まってきてますよね。彼がそこに投資されない限り、この人たちは仕事がないんだけど、日本はそこが逆転してる感じだったんですよ。”偉いミュージシャンの人たちに来ていただいた感”になってるんですよ」

川田「それはアメリカにはないわけですか?」

沼澤「絶対にないです。金を持ってきたそのアーティストのおかげでみんなに仕事があるわけですから」

川田「意見も、その人の意見が基本的には通るわけですか」

沼澤「まずそこですよね。ミュージシャンたちが『こうやったらいいんじゃないの?』とかやってて。僕がその彼に『これ、君のデビューアルバムだから、自分が気に入るように言ったほうがいいんじゃないの?』って言うと、『いや、僕そんなこと言えません』みたいになってて。
それはそれで、カルチャーショックだったんですよ」

川田「それは大きな違いですね」

沼澤「ライブとかでもそうなんですよ。アニタ・ベイカーっていう人が当時売れてて、コンサートのサウンドチェックやってて、外に行ったら音が悪いって言って、目の前でクビになるんですよ。『明日から来なくていいから、音、最悪』みたいな」

川田「それがベテランであれ、関係ないわけですよね」

沼澤「”すごいなアメリカ”みたいな(笑)。というか、これが普通なのかと思って」

川田「それは、どっちがいいとかあるんですか?」

沼澤「両方で見てて、ここはアメリカのいいところで、ここは日本のいいところでという感じで。”アメリカの方がいいんだよ!”って思ったことはないです。
アメリカのいいところもあるし、日本のいいところもあるので。どこの国にも、それぞれのスタンダードがあるっていうのを、アメリカと日本は音楽のシーンで見ましたね」





>>来週は、現在アメリカ・ニューヨークを拠点にジャズミュージシャンとして活動されている、
大江千里さんをお迎えしてお話を伺っていきます。お楽しみに!

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2016.09.18

「日本にいたら、自分の意識のいい意味での崩壊はなかったので」:ドラマー・沼澤尚
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、日本を代表するドラマーの沼澤尚さんです!

チャカ・カーンやボビー・ウーマック、シーラ・Eなどと共演してキャリアを重ね、
日本でも井上陽水さんや平井堅さん、椎名林檎さんなど、様々なアーティストのレコーディングに参加、ライブサポートなどもされています。

今年はご自身が参加するバンド、シアターブルックが結成30周年。
さらに来月には、沼澤さんが仕掛けているNOTHING BUT THE FUNKという
日米混合のスーパー・グループが3年ぶりのジャパン・ツアーを行います。

今週は、沼澤尚さんの人生に起こるターニングポイントについて伺いました。



●アメリカに渡って



川田「沼澤さんに訪れる第1のターニングポイントは、いつのことですか?」

沼澤1983年、22歳。大学を卒業して、ドラマーになりたい気持ちはゼロなんですけど(笑)。音楽学校に行くという理由を言い訳にして、アメリカに住みたかったんですよ」

川田「どういう学校だったんですか?」

沼澤「ミュージシャンが好きで、音楽が好きで…ドラムをプレイする人で、好きな人が多くて。
自分の好きな2人っていうのが校長の学校を見つけちゃったので、それでいいなと思って。でも、それまでやってもいないのに、ドラマーになれるなんて思わないでじゃないですか」

川田「そうですよね」

沼澤「それを理由にしてアメリカに住んで、英語を喋れるようになって帰って来ればいいやみたいな」

川田「じゃあ、それを仕事にしたいとは…」

沼澤「やろうと思って、出来るわけないですよね(笑)」

川田「その校長2人っていうは、誰だったんですか?」

沼澤「その時グラミー賞をとっていた、TOTOのジェフ・ポーカロのお父さんで、ジョー・ポーカロ。うちの両親と同い年なんですけど、僕のゴッド・ファーザーみたいな人で。
その人と、ラルフ・ハンフリーっていうドラマーなんですけど、僕が大好きなアルバムでドラムのレコーディングをしてるのが頻繁に出てきて、”この人いいな”っていう人だったんですよ」

川田「なるほど〜(笑)」

沼澤「その2人がパンフレットに出てて、”この2人が校長なんて会いに行きたい!”みたいな」

川田「入学してみて、いかがでした?」

沼澤「楽しくてしょうがないですよ。彼らに毎日会えるし、日本人が自分1人だったので。
英語が喋れないじゃないですか?それが面白かったんですよ、要するに恥ずかしくないので(笑)」

川田「喋らないと前に進めないし、生活もできないわけですよね」

沼澤「”喋れなかったらどうしよう”なんて言ってる暇がなくて、『こういう動作はなんて言うの?』って、それの練習みたいな」

川田「音楽に関しても、ドラム歴は?」

沼澤「ないですね(笑)。別にドラムをやろうと思ってなかったですから」

川田「入ってみて周りとのレベルの差はなかったんですか?」

沼澤「すごいですよ(笑)。みんなアメリカにいた時に一番驚いたのは、日本ってやっぱり、『俺は弁護士になるんだ』で、弁護士になったら、『俺は弁護士になった』っていうのが常識じゃないですか」

川田「通常のルートはそうじゃないかと思いますね」

沼澤「アメリカで驚いたのは、『俺は写真家なんだ、いまはバイト中なんだけどね』っていう。
自分の姿勢が、もう写真家なんだっていう。
”今は食えてないけど、俺は写真家なんだ”と、”出来るようになったらやろうかな”じゃなくて、みんな入った時からプロですっていう意識なんですよ」


●いい意味での崩壊



川田「入学されて、英語を喋れるようになったら帰ろうかなと思っていた沼澤さんが、そのままいることになりますよね?」

沼澤「最終的に17年間いたんですよ(笑)」

川田「どういう流れでそうなるんですか?」

沼澤「ドラマーになろうと思ってないから、行ってて楽しいじゃないですか。
お金なくなったら帰ろうかなみたいな、ものすごい適当な感じで行ってたので」

川田「そうだったんですね」

沼澤「学校の最後に人気投票みたいなのがあるんですけど、それでドラマーで賞をもらっちゃって。
自分が1人で日本人だったので、先生とか生徒と仲良くしてたんですよ。
先生に誘われて家でご馳走してくれてとか、そういうことをしてるうちに学校から『おまえ、先生やらない?』って言われたんですよ」

川田「その1年の間にですよね」

沼澤「それで、もうちょっとやってみようかなみたいな…学校にいさせてくれるっていう、法律的にもアメリカにいられるし」

川田「人気投票でみんなが選んでくれたということは、すごくテクニックだったり、人よりも秀でてたんじゃないですか?」

沼澤「それも無いですね。1年くらいしかやってないし、上手いやつはいっぱいいるので、たぶん暗くなかったからじゃないですか(笑)」

川田「いろんなミュージシャンの方、ジャンルもバラバラだと思うんですけど。
そこで沼澤さんのドラムをいいと言ってくださる人が多いというのは、どういうところにあると思いますか?」

沼澤「もちろん、いいと思ってくれる人と同じだけ、”あれのどこがいいの?”と思ってる人はいっぱいいるので。
これって、僕がアメリカにいた時にカルチャーショック的なものなんですけど、自分が20年間生きて来て、知ってるスタンダードなものが、ものすごく崩壊していく時期だったんですよ」

川田「なるほど」

沼澤「”そういう考え方でいいんだ”みたいな。その一つが、その時にベテランの有名なベーシスト、ジョン・B・ウィリアムスと知り合うことがあって。僕が賞をとった後に会って『お前がミュージシャンになるかどうかは分からないけど、誰もがお前を好きになるっていうわけでもないよ』みたいな、誰かに『お前のドラム、なんとも思わないんだけど』って言われた時に、落ち込むなっていうことを言われて。
『それはお前が悪いんじゃない、だから、お前がいいと思うことを頑張ってやれ』みたいな話をしてくれたんです」

川田「そういうのって、自分のしたいことだったり軸がぶれずに済みますよね」

沼澤「わかんないんですけど、アメリカでそういうのって通用するけど。
村上秀一さんっていう僕が尊敬するドラマーがいて、日本に帰ってきたときに会って『タカ、日本は難しいよ』って言われたのを、すごい覚えているんですよ」

川田「それはどういう意味だと思いますか?」

沼澤「日本にいたら、自分の意識のいい意味での崩壊はなかったので。それがスタンダードな自分の国に戻ってくると、アメリカで”よっしゃ!”と思っていたことが、『この人、なに言ってるの?』っていう場合があるみたいな。難しいですよね。かといって、作為的になって、いやらしい感じも嫌だしっていうのもありますよね」





>>来週も引き続き、ドラマーの沼澤尚さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2016.09.11

「”ダメだな”って思うときもあったけど、一歩踏み出せば世界が広がるから」:タレント・梅田彩佳
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、タレントの梅田彩佳さんです!

梅田さんの第一の人生のターニングポイントは2003年、中学2年生、14歳の時。
ダンススクールへ通いはじめた時でした。
はじめてはとても怖かったそうですが、その後、楽しいことがたくさんあって、AKB48のオーディションにも合格。
一歩踏み出す勇気の大切さを実感しました。

今日は、そんな梅田彩佳さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。



●一つの達成感



川田「梅田さんに起こった、第2のターニングポイントはいつのことですか?」

梅田「2006年、17歳、AKBに入りたての頃に歌がヘタだと言われたことです(笑)」

川田「歌がヘタ?」

梅田「あからさまに言われて衝撃的でした(笑)。初めてレコーディングした時に、”おかしいな〜”と思ったんですよね。人よりすごい時間かかってるし、何回も撮り直しされるなって。レコーディングが終わった後に、『梅ちゃんって、歌ヘタ3人組の1人だよね』って言われて、当時、他に2人いたそうなんですけど(笑)。衝撃的でしたね、”わたし、歌ヘタなんだ……”と思って、その時に初めて知りました」

川田「それまでは、周りから言われたことはなかったんですか?」

梅田「人前で歌うことがお母さんの前だけだったので、誰かに評価されるっていうことがなかったので分からなかったんでしょうね(笑)。今でも、レコーディングスタジオも思い出せるし、その人の言った瞬間の顔も全部思い出せます(笑)」

川田「そのあとは、どうやって改善しようとしたんですか?」

梅田「そのあとは歌うことが怖くて、”みんなヘタって思ってるんだ”って、マイナス思考になっちゃったんですけど。
でも、せっかくなら歌う環境が毎日あるし、”本気で歌上手くなってやろうじゃないか!”っていうテンションになって、ボイトレに通い始めてみたいな」

川田「ファーストシングルの『会いたかった』の選抜メンバーに選ばれて歌ってらっしゃるわけですよね。この時はどうでしたか?」

梅田「このとき選抜が20人以上で、CDを聴いても”これ、自分の声ある?”みたいな感じなんですけど。ジャケットを見ると、小さいけど自分がいて。なりたかったことが一個できたんだっていう、達成感はありましたね」

川田「ご家族はなんて言いましたか?」

梅田「当時、11人の着ボイスが出て『会いたかった!』って言って、流れる曲があるんですけど。それをお母さんが目覚ましにしていて、私が実家に帰ったときに、それでビビるみたいな(笑)」


●諦めない心



川田「梅田さんは、ダンスを中学生の時から続けてこられていますけど。いま、ダンスだけの舞台、新たなものに挑戦されてるそうですね?」

梅田「はい、ありがたいことに(笑)」

川田「『ダンス×演劇 梅棒6th OPUS「GLOVER」』というもので、梅棒というチームがストーリー性のある演劇的世界観と、ジャズダンスとJ-POPで作り上げるエンターテインメント集団ということですが、入ってみていかがですか?」

梅田「最初、マネージャーさんにお話を聞いた時は、素直に”やった!嬉しい!”と思いました。自分が中2からやってきたことが、一つ実になった気がして。
AKBの中で、ファンの方が『ダンス上手いね』って言ってくださっていたんですけど。外で挑戦するということが、一つ壁ができた気がして、頑張ろうという意識がすごい出てます!」

川田「新たな挑戦は、やってみたかったことの一つなんですね」

梅田「舞台はすごい好きで、今までも出させてもらっていたんです。ミュージカルだったので、歌とダンスだったんですよね。
今回はダンスの表現一つで、好きとか嫌いとか、怒ってる、悲しんでるというのを、セリフがなく表現するっていうのはどんな感じなんだろうって、未知で…想像がまだできないんですけど、高い壁なんだろうなというのは分かるので」

川田「梅棒の皆さんって、ダンスのすごく大きいコンテストで受賞されていたりとか、すごいメンバーですものね」

梅田「そうなんです!やばい!(笑)こないだ写真を撮った時に、初めて皆さんとお会いして。話の中で『ロミオとジュリエット』を題材として、私がヒロインで、恋愛物語もしつつ、それだけじゃなく後付けしていくからねって言われて」

川田「そうなんですね」

梅田「『梅ちゃんには、ここの場所で一発ガツンと踊ってもらうから』って言われて、”AKBのガツンと、ダンサーさんのガツンは違うんだろうな”と思ったんですけど(笑)。でも『頑張ります!』って言いました」

川田「やる気みなぎっている梅田さんの舞台、ぜひ皆さんに観ていただきたいですね。
いま、梅田さんを観て、夢を持っている人はたくさんいると思うんですけど、そういう方にどういったことを言ってあげたいですか?」

梅田「『諦めなければ、ちゃんとできますよ』って。”ダメだな”って思うときもあったけど、一歩踏み出せば世界が広がるから、諦めないことを忘れないでほしいなと思います」

川田「梅田さんも、今も挑戦し続けているわけですもんね」

梅田「はい、これからも、私も諦めずに頑張ります」





>>来週のゲストは、ドラマーの沼澤尚さんにお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2016.09.04

「自分で頑張って踏み出したのがこの時なんです」:タレント・梅田彩佳
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、タレントの梅田彩佳さんです。

梅田さんは、AKB48、NMB48のメンバーとして活動されていて、今年の春にNMB48を卒業されたばかり。
活動期間は17歳からの10年間、青春真っ只中ををAKBで過ごした梅田さんに、人生のターニングポイントについて伺いました。



●憧れていた芸能界



川田「梅田彩佳さんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

梅田「中学2年生の時で、ダンススクールに通いだしたのがターニングポイントです」

川田「どういうきっかけだったんですか?」

梅田「学校で上手くいかないことがあって、『外の世界も見た方がいいんじゃないの?』っていう感じで母に言われて。
今まで、いろんな習い事を親に勧められて、書道、ピアノ、体操とかやっていたんですけど、全然テンションが上がらなくて。初めて自分から『習いたい』って言ったのがダンスだったんです」

川田「そうだったんですね」

梅田「家の近くでどこにあるかなと思って、自分でタウンページで調べて(笑)。見学に行って”次から入ろう”と思って」

川田「もう、その瞬間からやりたいと思ったんですね」

梅田「ダンススクールの前に立った時に、すんごい緊張しちゃって。いろんな人がガツガツ踊ってるし、未知の世界すぎて『お母さん、どうしよ〜』って言ったら、『別に帰りたかったら、帰っていいよ』って言われて、”え〜、そんな〜、冷たい”って思ったんですけど(笑)。
”一歩踏み出して、ドアが開いたときに何か変わるかもしれない”と思って、自分で頑張って踏み出したのがこの時なんです。いま思うと、本当に良かったと思います」

川田「それまでの自分は、どういうところを変えたいと思ったんですか?」

梅田「流される感じだったと思います。親にやれって言われたらやるし…自分でしたいと思うことが本当になかったので。
”いいな〜”と思っても、一歩踏み出さないということがほとんどだったので。
私の負けず嫌いさを親が分かって、『別に行かなくてもいいよ』っていうのが、よく転がしてくれたなって(笑)」

川田「やっぱり娘のことをわかってますね(笑)。高校生でもダンスは続いていたんですか?」

梅田「中学校でダンススクールに行って、高校は学校でダンス部に入ってました。
自分たちで振りを作ったり、文化祭で踊ったり。そこから、人に見られるというのが苦手だったのに”楽しい”っていう感覚に変わっていった気がします」

川田「そのあたりから、憧れていた芸能界というのも近付いてきたような感じですか?」

梅田「”なりたいな”から、”本気でなりたいな”に、ちょっとずつ変わっていったというか…”いいのかな?ちょっと頑張ってみようかな”っていう風になってきて、変わっていった気がします」


●芸能界の厳しさ



川田「いざ、オーディションに踏み出すっていうのは、いつのことなんですか?」

梅田「初めてのオーディションは高校1年生のときに受けて、いろんなものを受けましたね(笑)」

川田「オーディションはどれくらい受けましたか?」

梅田「数え切れないんですけど、50近くは送ってますね(笑)。
当時オーディションの雑誌みたいなものがあったので、夏のオーディションとかあると、”ここ行きたい!”とか、いっぱい送ってましたね」

川田「モーニング娘。のオーディションも受けていたんですよね、何期のオーディションだったんですか?」

梅田「第7期のときで、二次審査に通過したんですけど、有名な合宿があるじゃないですか?その手前までだったので、すごくいい経験でした」

川田「そこまでいけたということは、手応えも感じていた頃ですか?」

梅田「少なからず、お母さんと『いけんじゃない?』みたいな(笑)」

川田「お母さんも協力的だったんですね」

梅田「ほとんど、オーディションは母と行くみたいな感じでしたね」

川田「”これ、やっちゃったな”っていう失敗とかありましたか?」

梅田「面白かったのが、書類審査に通って『次、ビデオに歌を撮って送って下さい』って言われて。書類審査の時点では、”ガツガツ来てくれるな”と思ったんですよ。
『絶対にすぐ送って下さい、すぐご連絡するので!』って言ってたくせに……くせにっておかしいかな(笑)。ビデオを送ったら、パタっと(笑)。
興味がないとか、ダメってわかっときは”サッ”となるから、芸能界はすごいきらびやかだけど、こんなに怖いんだなというのはその時に感じました(笑)」





>>来週も引き続き、梅田彩佳さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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