Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2016.11.27

「一番最初に覚えた言葉は『あきまへんわ』だから(笑)」:KONISHIKI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、元大相撲力士で、現在はミュージシャンとした活躍されているKONISHIKIさんです。

小錦関といえば、皆さんの記憶に残っている力士、現役中は東の大関まで上り詰めました。
幕内戦績が649勝、入幕当初は”ハワイからの黒船”と言われて注目を集めました。

今週は、KONISHIKIさんの人生に起こるターニングポイントについてお話を伺っていきます。



●大家族の中で



川田「当時は大相撲の人気自体がすごかったですよね」

KONISHIKI「時代的にバブルでしたから、いろんなところで日本が活躍している…外国人が来て目立つ時期だと思います」

川田「覚えていないくらい忙しかったり、大変だったんじゃないですか?」

KONISHIKI「年間6場所で、東京3回、名古屋、大阪、福岡が1回ずつで、その間に神宮があるからほとんど自分の時間がないですね」

川田「ご出身はハワイのオワフ島ということですが、もともとはどういうお子さんだったんですか?」

KONISHIKI「非常にいい子だったみたいですね(笑)。
子供の頃から海ばっかりで遊んで、音楽とか踊りとか子供の頃にやって、家族が10人兄弟なんですよ。僕は下から2番目で、男が5人、女が5人の相撲部屋みたいですよ」

川田「賑やかですね〜(笑)」

KONISHIKI「親方がママで、その下がお父さん…お母さんが一番強いんですよ」

川田「どんなお母さんだったんですか?」

KONISHIKI「親方より手が出るよ(笑)。出かける時は必ず聞かないとね、『お母さん、海に行っていい?』って。
『30分で帰って来い』とか、歩いて2分くらいのところに海があるの、大好きだから毎日行きたいくらいなんだけど、毎回お母さんにお願いしないといけない。
行っても30分、1時間で帰って来いと言われるんです、そうしないとずっと帰ってこないから」

川田「そうなんですね」

KONISHIKI「そういう自然に育った家族で、スポーツや音楽、家族のイベントが多いんだよね。誕生日が多いし」

川田10人いますからね(笑)。それまではどういうスポーツをやっていたんですか?」

KONISHIKI「フットボールやったり、ウエイトリフティングやったり、子供の頃ゴルフやったり。
波乗りばっかりやったりとか、あとボクシングやったり」

川田「いろんなことをやっていたんですね」

KONISHIKI「向こうの場合は年中、どのスポーツもダブルで出来るから。野球選手の間に、フットボールもできるし」

川田「日本みたいに、一つをずっとやり続けるという感じではないんですね」

KONISHIKI「僕の場合は、同じ時期にフットボールとウエイトリフティングと、レスリングをやっていましたね」

川田「もしかしたら、どれかの選手になっていたかもしれないと思うと…」

KONISHIKI「あの時代と比べたら、たぶんミュージシャンになってるかもしれない」

川田「音楽も当時から好きだったんですか?」

KONISHIKI「最初は音楽の方に行こうと思っていました。あと、弁護士になろうと思っていたんだよね。法律の勉強が大好きだったから」

川田「本当にお勉強がよくできたそうですね」

KONISHIKI「そうでもないけど。そこそこ出来ないと、僕の行ってた高校だとクビになるんだよね」

川田「いわゆる進学校と言われる頭のいい学校ですよね」

KONISHIKI「なかなか入れない高校だったからね」


●日本で強くなる!



川田「まず、KONISHIKIさんの第1のターニングポイントはいつのことですか?」

KONISHIKI18歳、自分の本名が”サレバ・アティサノエ”から、”小錦”に変わった時ですね」

川田「それが相撲界に入った時ということですが、どういったきっかけだったんですか?」

KONISHIKI「僕が学校をサボって波乗りに行ったら、高見山関の知り合いが僕を見付けて、声をかけられたんですよ。
『君は相撲取りになった方がいいよ』と言われて、『あ、そうですか』と言ったんですけど、僕は相撲を知らなくて。
ハワイでは年上を絶対にリスペクトしなきゃダメなの、そのおっちゃんが僕に1時間くらいずっと話しかけてくるんだよ(笑)」

川田「急にですよね(笑)」

KONISHIKI「『今度、高見山来たら紹介してあげる』って言われて、僕も高見山関をワイキキで見たことあったんですよ。でも、何をやっている人かは知らなかったんです」

川田「当時日本ではすごい人気でしたね。実際にお会いして話をしてみてどうでしたか?」

KONISHIKI「大きいね。本人が『とにかく心配しないで、家族に余計な負担はないから。日本に来たら相撲部屋に住むからお金がいらない』と言われて、それが一番大きかった」

川田「それって、家族に心配をかけたくないということですか?」

KONISHIKI「そうですね、うちはもともとお金がないから。それを言われた瞬間”それがいいかな”って、ママたちも負担がないし。
飛行機を降りて、日本に着いたら誰も空港に待ってないの。”あれ?どうしたらいいの?”と思って、荷物はショルダーバッグだけ(笑)」

川田「体1つで行ったんですか?」

KONISHIKI「そうそう、『お金いらない』って言われたからそのまま来たんですよ。
それで、ハワイの人に助けてもらってバスに乗ったら高見山関が待っててくれたんですよ(笑)」

川田「日本のことを全然知らないし、外国に行ったことがなかったんだったら…」

KONISHIKI「当時日本のことを知っていたのは、『座頭市』ですね」

川田「そういう状態だったら、相当苦労が先には待っていたんじゃないですか?」

KONISHIKI「あまり苦労を考える暇ないもん。
今日入った瞬間に力士、明日になったら新弟子、新弟子になったら仕事が多すぎて考える暇もないの」

川田「身の回りの事とか、他の人の事もしないといけないですもんね」

KONISHIKI「他の人の事ばっかり、自分の事する暇はないし、喋る暇もない。
相撲の世界は『ごっつあんです、ごっつあんです』で終わりだから、余計な事を喋らないんですよ」

川田「日本語の勉強とか、そういう問題じゃないんですね」

KONISHIKI「一番最初に覚えた言葉は『あきまへんわ』だから(笑)」

川田「また、なんでその言葉だったんですか?(笑)」

KONISHIKI「先輩たちのイタズラ(笑)。僕は入ったばかりだから知らないから、ラジオで言えない言葉ばっかり教えてくれて。
それを他の先輩に『これ、言ってこい!』って言われて、言ったら怒られるし(笑)」

川田「新しい世界に入ってみて、大変な事もたくさんあったと思いますが、一番辛かったのは何ですか?」

KONISHIKI「言葉から、文化的なものを覚えるまでが…それは稽古で覚えないから。
相撲の世界は自分の番付けの位置で仕事も決まっているし、番付け上がるまで言葉を覚えるとか、日本の文化を覚える暇がないの。
浅草橋で4階建てのビルで生活してたの、1階から4階まで毎朝3時半に起きて、全部手拭きで掃除して、4つのトイレを掃除してから行ってたから、部屋出るのは5時半だよ。
日本語の分からない私が半年間、12月になると”今頃ハワイではクリスマス…俺は何をしてるの?”って、”早く強くならないと、これ続くよ”って分かってるし」

川田「そういう時はご家族のことを思い出しますか?」

KONISHIKI「毎日のように思い出す。もらった手紙もずっと大事にして、寝る前に必ず読んで。人がいない時に涙が出たりとか、バレないように、弱気を人に見せないように男の世界の勝ち負けがあるからね。
18歳で入ってるから責任感を持って相撲取りになって…もともと反対されているからね、お母さんが自分のシャツを引っ張って、泣きながら『行かないで!』と、僕は笑いながら『心配すんなよ!強くなって帰ってくるよ!』みたないなことを言いながら、ドキドキしてしょうがない(笑)」

川田「そうだったんですね」

KONISHIKI「でも、お母さんを少しずつ気持ちを楽にさせることが大切だなと思いますね」





>>来週も引き続き、KONISHIKIさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2016.11.20

「あのマウンドに帰りたいなと、何回もトライしたんですけど」: 元ボストン・レッドソックス 岡島秀樹
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、巨人やレッドソックスなど
日米6球団でプレイされた、元メジャーリーガーの岡島秀樹さん

岡島さんの第一の人生のターニングポイントは、2006年、30歳。
巨人から日本ハムへトレードされたことをきっかけにして、
アメリカ・メジャーリーグに移籍することを前向きに考えられるようになった時でした。

今日は、そんな岡島秀樹さんの人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺っていきます。



●メジャーリーグで受けた洗礼



川田「岡島秀樹さんの第2のターニングポイントはいつのことですか?」

岡島「2007年4月、メジャーでの初登板で、初球、いきなりホームランを打たれた時ですね」

川田1球目ですよね?」

岡島「それも相手の8番バッター、下位打線のバッターに初球でホームランを打たれるってことはすごいことなんですよ」

川田「これは、日本の球界で考えたらありえなくないですか?」

岡島「ありえないですね。”打たないでしょ?まず見てくるでしょ?”っていう…外の低めの真っ直ぐっていうコースで
向こうのバッターっていうのはライン際まで踏み込んでくるので。右中間にホームランを打たれたっていうのが、すごいショックで”メジャーやばいな”って思いましたね(笑)」

川田「洗礼といいますか…初球から感じてしまったわけですね」

岡島「感じましたね。その夜は眠れなかったですね、一睡もせずにいろいろ考えました。
専属の通訳の方がいなくてトレーナー兼通訳の方がいたんですけど、トレーナーの仕事がメインじゃないですか?
しかもお互いルーキーで、トレーナーの仕事は1年目は大変なんですよね」

川田「岡島さん1人に、しっかり付いてくれる人がいなかったんですね。当時、ご家族は来られたんですか?」

岡島「4月からだったので、ボストンには来ていましたね」

川田「その時の岡島さんって、奥様はどう見てたんですかね」

岡島「ピリピリしてたんじゃないですかね、もう、野球しか考えてなかったんじゃないですかね(笑)」

川田「そういう時は奥さんに相談したりしたんですか?」

岡島「そこはしないですね(笑)。
でも、カミさんの方は英語が分かるので、資料を持って帰って手助けはしてもらっていましたね」

川田「その存在は大きいですね」

岡島「大きかったんですよ。ホームでは良かったんですよ、アウェーへ行った時にいなかったのでそこが大変でしたね」

川田「食事があまり合わなかったと仰っていましたが、食事の面でも苦労されたんじゃないですか?」

岡島「遠征先で自分で炊飯器を持って行って、一流ホテルなんですけど、コンセント挿してご飯を炊いて。
球場でおかずが出るので、持って帰ってご飯とおかずで食べたっていう感じですね」

川田「そこは、パンとお肉とかになっちゃいますもんね」

岡島「”やっぱり、日本人は米でしょ!”っていう感じになっちゃいますね(笑)」

川田「日本ではあり得なかったような苦労をされたんですね」

岡島「初めは痩せましたからね。それでアレルギーが出て、やばかったですね(笑)」


●何度でも!



川田「岡島さんはレッドソックスで活躍された後、再び、ソフトバンクホークスや、横浜DeNAベイスターズなど日本のプロ野球界でプレイし、その間にも、アスレチックスやオリオールズとマイナー契約を結び、メジャー昇格にチャレンジされていますよね。
メジャーに何度も挑戦されるというのは、どんな思いがあったんですか?」

岡島「やっぱりメジャーを知っているからでしょうね。メジャーは最高のレベルの野球のスタイルなので、そこにもう一度上がりたいという気持ちで野球をやっていました。
レッドソックスが終わって、日本に帰ってきて、やっぱり物足りないんですよね。勝つ喜びを分かち合う気持ちっていうのは変わらないんですけど…自分がメジャーで投げていた、あのマウンドで投げないと納得できないなと思いましたね」

川田「”自分が幕を引くのはメジャーで”と、思っていたんですか?」

岡島「メジャーのマウンドで、と思っていましたね。あのマウンドに帰りたいなと、何回もトライしたんですけど」

川田「この2〜3年というのは、どうでしたか?
大変だったのか、楽しく思えたのか?」

岡島「楽しくはないですね、大変でした。苦労ばっかりでした。
一番は家族が苦労してると思うので、どこ行くにも家族は振り回されるので」

川田「ご家族はどういう風な声をかけてくれますか?」

岡島「最後はアメリカと決めていたので、『その考えはいいんじゃない?』と言われていたんですけどね」

川田「今は引退されて新しいことにチャレンジしていると思いますけど、これからコーチだったり、指導者は考えていますか?」

岡島「今のところはないですね。教えるのは好きですけど、1軍は嫌だなと思いますね」

川田「どうしてですか?」

岡島1軍の選手っていうのは、アドバイスはできるけど技術面を教えられないので。あーだこーだ言えないんですよ。
でも、2軍、3軍だったらこれからの選手なので。その選手を”どうやったら伸びるんだろうな”という感じで見れるので、2軍、3軍の方がいいと僕は思うんですね」

川田「思ったことを言ってあげやすい環境なんですね」

岡島「”困ったらこう言って”っていう方が、僕の持っているものが出せると思うんですよね」





>>来週は、元大相撲力士のKONISHIKIさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2016.11.13

「当時はどん底でしたが、トレードに出されて逆にありがとうと思いました」: 元ボストン・レッドソックス 岡島秀樹
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、元メジャーリーガーで、
チームのワールドチャンピオン獲得にも貢献された元ボストン・レッドソックスの岡島秀樹さんです。

岡島秀樹さんと言えば、巨人やレッドソックスなど日米6球団でプレーされたピッチャーです。
2007年のシーズンから5年間、ボストン・レッドソックスで中継ぎ投手として活躍。
2007年はワールドチャンピオンも経験されています。

今年7月、現役引退を発表されました。
最近では、野球解説やバラエティ番組などにも出演されて、活躍の場を広げていらっしゃいます。
そんな岡島さんに、2週に渡って人生のターニングポイントについて伺いました。



●意外なきっかけ



川田「メジャーで5年間プレーするということも、すごいことだと思うんですけど。
ご自身で振り返って、どういう日々でしたか?」

岡島「5年は長かったですね(笑)。いろんな仲間も良くて、やりやすい環境で出来たのが長くできた秘訣ですかね」

川田「特に中継ぎ投手の左腕というと、”回転ドア”と言われるくらい入れ替わりが激しいと言われますけど。そこも、いろんな工夫や努力があったからですよね」

岡島「僕だけじゃなく色んな方もいるので…自分の持っているものを活かしていけば、なんとか食らいついていけるんじゃないかと思っていたので。
ダイナミックなフォーム、そういうのが1年目で結果が出たので長くできたんじゃないかと思います」

川田「岡島さんは、京都の東山高校出身で、選抜高校野球にも2度出場されていますが、野球を始めるきっかけはいつだったんですか?」

岡島「僕は兄貴がいるんですけど。兄貴に連れられて、小学校3年生少年野球に行っていたんです。
こういうのもなんですが、興味がなかったんですよね(笑)」

川田「他にやりたいことがあったんですか?」

岡島「バレーボールをしたかったんです。でも、兄貴が野球をやっていたので『行って来なさい』と言われて。
初めはポツーンと立っていたんですよ。それで、親御さんとかから『ちょっと投げてみない?』と言われて、投げた時にいい球いったので、『投げた方がいいよ!』って、そういうスタートですね」

川田「そこからは、自分から”やりたい!”と思えるくらい楽しくなりましたか?」

岡島「なったのは、高校生ですね(笑)」

川田「そこまでは、けっこう時間がかかったんですね」

岡島「小中っていうのは、”これでいいのかな?”って、バレーボールが好きという気持ちがずっとあったんですよね。
中学入るときにクラブを選択するじゃないですか。親に『野球か勉強、どっちにするか?』と言われて、勉強を今からやるのはきついなと思って、野球をとったんですよ。そこが最終的なきっかけですね」


●メジャーリーガーへ



川田「岡島秀樹さんの人生に訪れる、第1のターニングポイントはいつですか?」

岡島「2006年セ・リーグはシーズン前で、パ・リーグは開幕していて。その時にジャイアンツから日本ハムファイターズにトレードで行った時が衝撃だったので、そこですね」

川田「これをターニングポイントにあげた理由は?」

岡島「気持ち的に参っていたんですよね。巨人からトレードに出されるということは、必要ないっていうことなんですよ。
日本のトレードってあまり良くないので、ショックだったのでいろんな先輩たちに励ましてもらって。
その中でも桑田さんには、『チームは変わるけど、野球スタイルは変わらないからね』って言われたのが一番良かったですね」

川田「そのあとも桑田さんとは交流を続けているんですよね」

岡島「そうですね。その一言で、『見返してやろう!』という気持ちが出てきましたね」

川田「チームにはすぐ馴染めましたか?」

岡島「新庄さんがいたので気を使ってくれて、同級生もいましたし輪に入っていきましたね」

川田「その年には、日本ハムが44年ぶりの日本一に輝くわけですね」

岡島「日ハムで勝てると思ってなかったので、勝った時のビールかけは最高でしたね。1年目で勝ったという時は嬉しかったですね」

川田「巨人から日本ハムに移って、ご自身の投球などやり方はどういうところを変えられましたか?」

岡島「ジャイアンツにいるときは、打たれたら叩かれたり、すぐ2軍に落とされたり精神的に参っていたんですよ。
日ハムさんに行ったときは、球場も広いし、大胆に攻められるようになりましたね。
打たれたら叩かれますけど、ジャイアンツほどじゃないので自分の中では気が楽になって。でも、打たれたら仕方ないと開き直りもできるんですよ」

川田「そうなんですね」

岡島「自分としてはプラスになって成績が良かったと思うんですよね。
監督も外国人じゃないですか、打たれたときも慰めにくるんですよ」

川田「それは日本人の監督と違うんですか?」

岡島「監督によりますけど、監督さんが来てフレンドリーにしてくれる。
”楽しく野球をしようぜ”と、フレンドリーになるじゃないですか」

川田「そういう経験もあって、少しずつメジャーへの気持ちっていうのは出てきましたか?」

岡島「まだ無かったですね(笑)」

川田「メジャー行きというのは、いつから考えていたんですか?」

岡島「もともと、メジャーに行こうというのは無かったですね。ジャイアンツに入ったときに、ジャイアンツで終わるもんだと思っていたので。
ジャイアンツに入って、12年やって、トレードになったときに、そこから少しずつ変わってきたんだと自分では思うんですけど」

川田「なるほど」

岡島「日ハムさんに行って、監督が外国人、なおかつ新庄さんとかいろんな方がいて…新庄さんはメジャー経験があるんですよね。
そういう話を聞いて、”アメリカっていいな”って見えてきたんです」

川田「いま考えたら、日本ハムに行ってなかったらメジャーもなかったんですか?」

岡島「無かったですね。FAとってもそのまま残留していると思います。
当時はすごいどん底のところだったんですけど、トレードに出されて逆にありがとうと思いましたね」





>>来週も引き続き、元メジャーリーガー・岡島秀樹さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2016.11.06

「ライブを見たときに”プレイヤーとして、ステージ側に行かないとダメだ!”って強く思いました」:Da-iCE・工藤大輝
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、”顔面偏差値75”
Da-iCEのリーダーでパフォーマーの、工藤大輝さんです!

加藤さんの第一の人生のターニングポイントは、2004年、17歳。
ライブで披露したい曲のカラオケが無くて、自分で作った時ということです。
この体験をきっかけに、その後、楽曲提供をするなど活動の幅が広がり
現在では、Da-iCEのほか、シンガーソングライターとしてソロ活動もされています。

今日は、そんな工藤大輝さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。



●夢を叶えるために



川田「芸能活動を始めたのは、某マネージメント会社の50周年記念オーディションのグランプリを
獲得してからだそうですね。当時何歳くらいだったんですか?」

工藤「当時、高校3年生で17、8歳の狭間くらいで。
みんなが大学受験をしてる時に、ひたすら履歴書を書いて事務所受験をしていました」

川田「このグランプリは本当に嬉しかったんじゃないですか?」

工藤「これを逃していたら、僕は普通に北海道の音楽の専門学校に通って…みたいな感じだったと思います」

川田「グランプリをとったら、その後、華々しい活動ができると思いきや
そうでもなかったみたいですね」

工藤「全然でした(笑)。東京で借りていた家にいて、先輩と同居だったんですけど
先輩が帰るのを待って仕事待ちみたいな(笑)」

川田「下積み時代の芸人さんで、よくそういう話を聞きますね」

工藤「まさに下積みでしたね(笑)、”最初はこんなもんだろう”と思っていたんですけど。
一番ショックだったのは、演技も楽しかったけど…音楽が全然出来なかったことがショックで。様子を見ようと思って1年くらいしても変わらずだったので、”これは違うのかもしれない”と思い始めたところでしたね」

川田1年経って、どういう動きをされたんですか?」

工藤1年経ったくらいで右ひざを怪我して入院して、舞台に出るはずだったんですけど出られなくなってしまって。そこからずるずると会社と上手くいかず辞めることになってしまいました。
”とりあえず仕事をしないと”と思って、バイトとダンスレッスンの日々になっていきました。そこから2年くらいですね」

川田「2年も!なかなか長いですね。バイトはどういうバイトをしながらですか?」

工藤「昼にアパレルやって、夜はダンスの深夜練習して…という感じですね。
当時、全然寝てなかったですね。今は絶対に無理ですね(笑)」

川田「北海道に帰ろうとか、めげそうになりませんでしたか?」

工藤「周りの環境が良かったと思うんですけど。ダンサーの方は、結構そういう方多いんですよ。
昼に仕事して、深夜に練習して作品を作るとか。若手の人はそういうパターンが多くて、それで友達もできて、流れでやっていたというのもありますね」

川田「同じような苦しい環境で頑張っている人もいるからこそ、お互い励まし合えたのかもしれませんよね」


●燃え尽きるまで燃え続ける



川田「工藤大輝さんの第2の人生のターニングポイントと関わる曲が、Purfumeの『Dream Fighter』
この曲を武道館で初めて聴いたんですよね?」

工藤「Purfumeさんの初めての武道館公演で、このライブを見たときに”プレイヤーとして、ステージ側に行かないとダメだ!”って強く思いました」

川田「人に勇気を与えてくれるような歌詞もいいですよね」

工藤「歌詞が本当に良くて、当時大泣きしてましたね(笑)」

川田「どういう部分が好きですか?」

工藤「サビの『最高を求めて 終わりのな旅をするのは』で、涙腺が崩壊しましたね」

川田「ご自身が曲を作るときは、どういうことに気を配って作っていますか?」

工藤「チャンネルを変えてます。Da-iCEとして作るときは、Da-iCEに合うように作るし。
個人的なときは、マニアックなことをやったりとか、やることを分けていますね」

川田「大輝さんが作る曲も、人に元気を分けてあげられるような曲もあると思いますけど。聴いた人からの反応はどうですか?」

工藤「どの方に提供しても、”大輝くんっぽい”と言われるので、クセがあるんだなと自覚はしています」

川田「どういうクセですか?」

工藤「例えばメロディの動きとか、コード進行とか
マニアックなところにいったりするみたいで」

川田「”大輝くんっぽい”と言われるのは嬉しいですか?」

工藤「半々ですね。たぶん、職業作家としてはダメでしょうし。アーティストとしてはそうあるべきだろうというところで、葛藤してるところではありますね。
ギリギリのところで、自分の匂いを残したいという気持ちがあるので、そこはコツコツやろうと思っています」

川田「Da-iCEのリーダーとして、今後、どういう風にグループをしていきたいなと思っていますか?」

工藤「まずは武道館を着実にクリアするというのと、それ以降は個人のスキルも上げたいなと思っています。
それを持ち帰って、Da-iCEをさらに大きくするというのも今後の課題かなと思っています」

川田「皆さんの個性もバラバラと仰っていたので、全然違う方向でソロで活動するというのもありえるんですか?」

工藤「そうですね。各々の好きなものとか得意なものを伸ばして、持ち帰って大きくっていうのがベストかなと思います。
Da-iCEの活動はやめないですけど、常にやりつつ個人を伸ばすみたいな」

川田「大輝さんご自身はどうですか?」

工藤「曲作りは安定してずっとやりたいと思っているので。そこはひたすら伸ばそうと思います。
いずれは、アイドルグループもプロデュースしたいですね(笑)」

川田「今後Da-iCEはどんなグループになっていきますか?」

工藤「右肩上がり続けてないといけないので、僕らデビューが遅いので。燃え尽きるまで燃え続けないとっていう、矛盾しているんですけどね(笑)」





>>来週は、元メジャーリーガー・岡島秀樹さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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