Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2016.12.25

「最後には喜んでくれるようなものがプレゼントできたらなという思いでした」:「PATISSIER eS KOYAMA」のシェフ・パティシエ 小山進
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、「PATISSIER eS KOYAMA」のシェフ・パティシエの小山進さんです。

今年、10月にフランス・パリで開催されたチョコレートの祭典「SALON DU CHOCOLAT PARIS」に出展し、
クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラのコンクールで、6年連続となる最高位の「ゴールドタブレット」を獲得されました。

小山進シェフのお店、「PATISSIER eS KOYAMA」は、ロールケーキブームの火付け役”小山ロール”でご存知の方も多く
都内にお店があると思われがちですが、実は、兵庫県神戸市の中心部から30勸幣緡イ譴浸暗鳥圓僚斬雎垢砲△蠅泙后
その広さは、およそ1500坪。

広大な敷地内に、パティスリーやショコラ専門店から、カフェ、工房、さらには、子どもだけが入ることのできる未来製作所やお菓子教室など
さまざまなコンセプトの店舗が立ち並び、まるでお菓子の国、お菓子のテーマパークのような空間になっています。

小山さんに、2週にわたって、人生に起こったターニングポイントについてお話を伺いました。



●パティシエへの道


川田「東京や全国に、支店を出したりということはされていないんですよね?」

小山「そうですね。自分のものづくりとは違う気がするというか。僕がいて、5分で回れて、チェックできて、自分なりのクオリティを維持したいですね。三田って、いろんなところから30分、1時間、2時間かけて来ていただけるじゃないですか。
来るまでにかかった時間以上に楽しめるお店でないと、二度と来てもらえなくなるじゃないですか。
だから他で出店するどころじゃないんです、まだまだ未完成なので。もっと三田全体を楽しい街、『PATISSIER eS KOYAMA』を濃密な空間にしたいなと思っています」

川田「子供の頃の体験も、と仰っていましたけど、どういうものですか?」

小山「僕らの新作って、子供の時の楽しいことをお友達に言ったり、お母さんに言ったり、『こんな大きなカブトムシとれた!』とか、言いたくて仕方ないこと満載の1日を幼少期に送ったので」

川田「なるほど」

小山「僕らの時は母親が忙しくても、近所のおっちゃん、おばちゃんが聞いてくれたから、発表することをやめない子供がそのまま大人になってしまったので。それがたまたま、チョコレートやケーキを作るっていう創作がネタになっているだけなんです」

川田「新しいものができた時に、『見て、食べて』という気持ちで、ずっと創作をされているんですね」

小山「子供の時と一緒なんですよね。ただそれを変換する、創作する技術が今は必要っていうだけで」

川田「子供の時からお菓子作りが好きだったんですか?」

小山「全然違いますね、本格的に作ったのは専門学校に行ってからです」

川田「お父さん、お母さんは料理人だったり、パティシエだったりするんですか?」

小山「父はケーキ職人です。母は漬物屋さんにパート行ったりとか、そんな感じですね」

川田「お父さんからは、『パティシエになれ!』とか、言われたわけではないんですね」

小山「全くないですね。むしろ、おかん側から『絶対になるな』と言われました」

川田「なぜですか?」

小山「人が楽しい日曜日とか、みんなが楽しむ時とは別じゃないですか。”それは私だけで十分や”と、あんたの未来の家族を同じような目にあわせたらダメだと、ずっと言われましたね」

川田「お父さんの大変さを知っているからこそ、反対していたんですね」


●父と母の愛情を感じて



川田「小山さんは、今こうやってパティシエになられているわけですけど。第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

小山「高校2年生の冬ですね。クリスマス前に、父のところで初めてお金をいただいてアルバイトをしました。
父が大変だから、手伝ってくれやっていう感じだったと思うんですけど。そこであることが起きたんです」

川田「何があったんですか?」

小山「うちの父の働いていたお店っていうのが、社員の中で8割以上が和菓子の職人さんでケーキ職人さんは少なかったんですね。
店舗を持たずに、華やかというよりは、カステラを焼いてどこかに納品に行くというお店ですね」

川田「そこの洋菓子部門ということですね」

小山「”今日は徹夜や、大変やな”と思っている時に、夕方、和菓子の人たちが帰っていくんですね。
”うそ、なんでやー!みんなが手伝えば早く終わるのに!”と思ってたんですけど、お父さんが『早く帰ったりよー』って調子いいこと言うから、腹立ってきたんですよ。
父がトイレ行ってる間に、和菓子の責任者の方を追いかけて、髪引くぐらい”やってほしい!”って頼みに行ったんです。その時に、初めて父にめっちゃくちゃ怒られたんですよ。僕、怒られたことが全くなかったんですね、父が震えながら怒ってたんですよね」

川田「何と言われたんですか?」

小山「”お前には関係ない、何も知らんとガタガタぬかすな!”というような感じでしたね。初めて怒られて、なんか複雑で…それでふてくされながら、徹夜して朝方トボトボ2人で歩いて…帰りがけに『怒ってすまんな』と言われて。
『和菓子っていうのは人生行事がいっぱいあるんや、俺の方がまだ早く帰らせてもらってるんだ』と、言われたんです。
だから、ここで一発ケーキ屋が頑張らなあかん時に、”俺ら頑張らなあかんねん”ということやったんですね。ものすごくシンプルで」

川田「そうだったんですね」

小山「そこで勇気出して言ってくれた台詞が、『お前も知っているように、俺にはお父さんがいないやろ?』と、父が生まれる前におじいちゃんは亡くなっていたようで、親父のやり方が今だに分からないと。だから、お兄ちゃんに親代わりになってもらって、遊んでもらって俺は声も知らないんだと言ったんです。
それを語ってくれたことが、母親がずっと”ケーキ屋になるな”と止めてくれた事と上手く重なって、止めてくれたのも愛情やし…」

川田「お父様もお父様で、”ちゃんと父親が出来てるか”っていう葛藤がずっとあったんですね」

小山「中学卒業して、何個か仕事して続かなかったんだけど、ケーキ職人だけはずっと続いたそうなんですよ。
親父がずっと続けることができた、母が泣きながら止めてくれたお菓子職人って、なんだ?と思って。
それやったら僕がその道に入って、父は自分で独立してどうこうっていう人生は歩まなかったけど、その先にどんな世界が待っているのか僕には分からないし。ケーキ屋での成功が何なのかは全くわからないけど、僕が一生懸命頑張って、その時々の何かしらの結果を出せば、父が一番喜んでくれるんじゃないかと思ったんです」

川田「そうですよね」

小山「しばらくは母親も悲しいし。あの時って、息子がいい大学に行って、いい企業に勤めたりするのが親なりのステータスだったと思うんです。そのまったく逆を行こうとする、でも、そこには絶対に最後には喜んでくれるようなものがプレゼントできたらなという思いでした」





>>来週も引き続き、『PATISSIER eS KOYAMA』のシェフ・パティシエ 小山進さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2016.12.18

「本当に、応援してくれる人たちのおかげで頑張れたという思いは強いですね」:元競泳日本代表・松田丈志
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、元競泳日本代表でオリンピックメダリストの松田丈志さんです。
松田さんは、アテネ、北京、ロンドン、リオと4大会連続でオリンピックに出場されました。

1の人生のターニングポイントは2004年、アテネ・オリンピックでのこと。
他の競泳選手たちが次々とメダルを獲っていく中、
松田選手はメダルを獲れず、悔しい思いをした時でした。

その経験をきっかけに、メダルを獲るには何が必要かを考え、
北京オリンピックでの銅メダルにつなげていきました。

そんな松田さんに、人生に起こった第2のターニングポイントについてお話を伺いました。



●背中を支えてくれるもの


川田「松田丈志さんの第2のターニングポイントは、いつのことですか?」

松田「ロンドンが終わって、リオまでの挑戦をすると決めた時ですね」

川田「この覚悟はいつ決まったんですか?」

松田「実際に決めたのは、ロンドンが終わって2年後くらいでかなり時間がかかったんですけど。
というのは、ロンドンオリンピックは金メダルを目指してトレーニングしていったので、そうとう追い込んでやりましたし、ある意味できる事をすべてやったという感じがあったんですね」

川田「そうなんですね」

松田「そこから、もう一度リオを目指すとなった時に、自分にあれ以上があるのかということを悩んだし…あったとしても、”あれよりきつい事をやらないといけないのか…”っていう思いもあって。
そこに、プラス年齢的なものもあって、自分の体がもつかもわからないし…そういう意味で悩んで、やるかやらないか考えていたんですけど。最終的には、いくら考えても答えが出ないんですね。
こればかりはやってみないと分からないことなので、そういう流れの中で、”ここで諦めるのはカッコ悪いな”と思って、苦しい道だけど挑戦する方を選びました」

川田「挑戦して良かったと思いますか?」

松田「大変でしたし練習は辛かったですけど、今ここまでくると、リオまでやって良かったなと思いますね。その時に自分の挑戦を応援してくれた人は感謝しています」

川田「メダルを獲得した時にみんなの喜ぶ顔を見ると、自分でとった喜びと違うものも感じられたんじゃないですか?」

松田「そうですね。今回アンカーだったので、怖い部分もあったんですね。
タッチした時に、いきなり掲示板を見るのは怖かったので、タッチして、まず後輩たちを見ようと思って。
そしたら、上の3人が”よっしゃ!”っていう喜んだ顔をしたので、”メダルは獲れたな”と思って、振り返って掲示板を確認しました。仰るように、まず彼らの表情を見たいと思いましたね」

川田「そこには4大会連続出て、悔しい思いも経験したからこそチームの大切さだったり、そういったところを感じたからこそ、そうなったのかもしれないですね」

松田「あの時、”残念!”っていう顔を見たくないと思っていたので、喜んだ顔を見られて本当に良かったと思いましたね」

川田「ここまで諦めずに続けてこられたというのは、どういうものが原動力になったと思いますか?」

松田「最初のアテネで感じた、一緒に戦ってくれる人達がいたおかげで、諦めずに長く続けてこられたなという思いは強いですね。
一人だったら、とっくの昔に諦めていたと思うので。
本当に、応援してくれる人たちのおかげで頑張れたという思いは強いですね」


●4年後の東京オリンピックでは



川田「松田さんご自身は、これからの夢や目標、やってみたいことは何ですか?」

松田「引退したばかりで、これまでずっとプールにいたので、いろんなことを挑戦したいっていう思いもあるんですけど。
水泳に情熱を注いだのと同じくらい、やりがいを感じて、自分が頑張りたいと思えるものが見付かればいいいなと思っています」

川田「ご自身がやっていて楽しいと思える瞬間はどんな時ですか」

松田「まだ3ヶ月くらいですけど、やりがいを感じるという意味では、小学校や中学校に講演しに行くんですけど、子供達のキラキラした笑顔を見た時とか、講演が終わってから、習い事とかスポーツをやめようと思っていた子が、僕の話を聞いて『もう一回続けてみようと思いました』とか…。
そういう話を聞くと、人の役に立ったのかなっていう風に思える瞬間はあって。これからも、そうやって誰かのためになることを出来たらなという思いはあります。あと、東京オリンピックもありますからね」

川田「2020年の東京オリンピック、ご自身はどうやって関わっていきたいと思ってらっしゃいますか?」

松田「僕は選手として4回オリンピックに出て、オリンピックというものに魅せられて、ここまで生きてきたので。
そのオリンピックが自分の国であるわけなので、最高のオリンピックを東京でやってほしいですし、世界中の関係者の皆さん、ファンの皆さんを唸らせてほしいと思います。
”東京すごいな”、”日本すごいな”という風に思ってほしいと思っているので、それに対して僕ができることは、何でもやっていきたいなと思っていますね」

川田「実際、競泳チームをご覧になっていてどう感じていますか?」

松田「楽しみですね。今回リオで一緒に戦った選手達もいますし、これからの選手もたくさんいて、いい選手が揃っていると思うんですよね。
ですので、東京オリンピックは楽しみです。今回、僕らが銅メダルをとった800メートルリレーは、金をとってほしいなと思いますね」

川田「日本人が持つ、人とのつながりの大切さを重んじるところだったり、そういういところが発揮できると国民としては嬉しいですよね」

松田「そういう瞬間をファンの皆さんも見たいと思いますし、日本が一つになれる瞬間だと思うので、選手たちはこのチャンスを大事にして頑張ってほしいと思いますね」

川田「人生のほとんどが水泳で、いろんな紆余曲折があったと思いますがいかがですか?」

松田「僕自身は水泳を通して、いろんなことを経験して学んできたので、それをこれから伝えていくということをやりたいし、僕自身が経験を生かして次の人生も歩んでいかないといけないなと思いますね」





>>来週は、『PATISSIER eS KOYAMA』のシェフ・パティシエ 小山進さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2016.12.11

「その悔しさが、次へのエネルギーになりましたね」:元競泳日本代表・松田丈志
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、アテネ、北京、ロンドン、リオと4大会連続でオリンピックに出場されたメダリスト。
「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない!」の名言でも知られる、元競泳日本代表の松田丈志さんです。

松田さんは今年、リオ・オリンピックの競泳 800mリレーに
萩野公介選手、江原騎士選手、小堀勇気選手と出場し銅メダルを獲得されました。
今年9月に現役引退、その後、ご結婚を発表されました。

そんな松田さんに、人生のターニングポイントについてお話を伺いました。



●ビニールハウス生まれのヒーロー



川田「4歳の時に地元、宮崎県延岡市にある東海スイミングクラブで水泳をはじめ、久世久美子コーチの指導で頭角を現し、2004年、20歳でアテネ・オリンピックに出場されます。地元のビニールハウスのプールで練習を続けてオリンピックに出場したことから、”ビニールハウス生まれのヒーロー”と注目を集めました。ビニールハウスって…今でも信じられないんですけど、大変でしたよね?」

松田「大変でしたね(笑)。プールの水も温められなかったので、冬は水温9度とかありましたし。
夏はプールサイドの気温が40度とか、監督も大変ですし、トレーニングするには水温が高くて、暑い状態になることもありました。あと、台風が来るとビニールが破けちゃうんですよ(笑)」

川田「ええ!屋根がない状態ってことですか?」

松田「ボランティアのクラブなので、お父さんお母さんたちがビニールを張替えてくれたりとか」

川田「水泳始めたのが4歳ということですが、もともとのきっかけは何だったんですか?」

松田「姉がビニールハウスプールで水泳をやっていたので、見に行くうちに自分もやってみたいと始めたのが4歳です」

川田「最初からみんなよりも速かったんですか?」

松田「そんなことはなくて、海とか川で先に泳いでたんですよね。
田舎なので、なんとなく”水の中にいるの気持ちいいな”という思いがあって。最初は下のクラスから始まって…」

川田「久世コーチと出会ったのも、地元のスイミングスクールなんですね」

松田「コーチは4歳の頃からいらっしゃって。”怖そうなおばちゃんいるな”と思ったら、それが久世コーチでした」

川田「実際に厳しかったですか?」

松田「厳しいコーチですよ。その裏に、選手に対する愛情がすごく感じられるコーチですけどね」

川田「小さい頃の松田さんって、どんな様子か聞いたことありますか?」

松田「コーチが言ってくれているのは、コーチの隣に寄ってきて『どうやったら速くなるの?』っていうのをよく聞いてたと、”やる気があるんだなと感じた”と、言ってくれています。
子供ながらに、久世コーチに対する信頼感みたいなものがあって、この人のいうことを聞いたら、水泳速くなるんじゃないかっていうのを感じていました」

川田「世界の大会で戦おうと見えてきたのはいつくらいですか?」

松田「最初に意識したのは、小学校2年生でバルセロナオリンピックがあって、岩崎恭子さんが中学校2年生で金メダルをとったじゃないですか?
”水泳の先にはこんな舞台があるのか”って思いましたしね。
あの大会にビニールハウスプールの先輩が出ていたんですよ。林享さんっていう、北島康介さんの前の日本記録王者なんですけど」

川田「そうだったんですね」

松田「その方が出ていたので、自分が練習してるプールとオリンピックがつながった瞬間っていうか、だんだん”俺もいけるんじゃないか?”みたいな気持ちになってきました」


●メダルをとるために



川田「松田丈志さんの人生の、第1のターニングポイントはいつのことですか?」

松田「2004年のアテネオリンピックですね。子供の頃から夢に見たオリンピックだったので、出場するだけでも嬉しかったんですけど。
その舞台に行ったら行ったで結果を出したいし、周りから求められるし。結果、蓋を開けると僕自身はメダルに届かなくて、でも周りにはメダルをとった先輩や仲間がいっぱいいて悔しかったですね」

川田「この時は本当にたくさんのメダルが出た年ですけど、悔しさはどうでしたか?」

松田「メダルをとらないとこんなに悔しいのかって実感した大会で、オリンピック行くまでは取材していただきましたけど、終わったらメダルがないと取材もないですし。
帰りの飛行機もメダリストはビジネスクラスになりますし。メダルをとらないと何もないんだなっていうのを身を持って知った大会でした。その悔しさが、次へのエネルギーになりましたね」

川田「そこで、水泳自体が辛すぎる”嫌だ!”ってなりませんでしたか?」

松田「次のオリンピック、メダルとれないんだったら逆に行きたくないとは思いましたね。
この悔しさ、恥ずかしさもありますし、これは味わいたくないと思ったので。次の日からでも練習したいぐらい、そのエネルギーって大きいと思いました」

川田「他にも練習の方法を変えたとか、大きく変わったことはありますか?」

松田「近くにメダルをとった仲間がいるわけで、じゃあ”なんで俺はとれなかったんだ?”っていうことを、メダルをとった選手と比べて考えましたね。考えられる材料があったので、それは良かったですね」

川田「なるほど」

松田「メダルをとった選手を見ていると、オンとオフの切り替えが上手くて、集中する時は集中するんですけど、それ以外の部分ではワイワイ仲良く、選手村の中を探検したりゲームで盛り上がったりしてて。
当時の僕は上手くできてなくて、”頑張らなきゃ”っていう気持ちだけでストイックになりすぎていたんですね。
それだと、いざという時に力って出ないんだなと思ったのが1つと、もう1つは、メダルをとる選手は仲間が多くて応援される人がメダルをとっているなと思ったんですね」

川田「そうなんですね」

松田「競泳も最終的には1人で泳ぎますけど、ステージに立つまではいろんな人がサポートしてくれているので。そういう仲間が多くて、しかもひとりひとりの仲間、スタッフが”こいつは頑張ってほしい!”と思っている人が沢山いる人っていうのは、いざという時に強いなって感じた大会でしたね。
それまでは僕とコーチや地元の人だったり、家族の応援はぎゅっとあったと思うんですけど。
それだけじゃ世界の舞台で戦うには足りなくて、チームメイトもそうだけど、スタッフとかトレーナーさんとか、もっと自分をサポートしてくれる仲間を増やしていくのが大事だなと感じた大会でしたね」





>>来週も引き続き、元競泳日本代表・松田丈志さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2016.12.04

「音楽を通して皆さんの気持ちが前向きになってもらえれば嬉しいなと思います」:KONISHIKI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、元大相撲力士でミュージシャンのKONISHIKIさんです。

KONISHIKIさんの第1のターニングポイントは、198118歳ハワイから来日し、相撲取りになった時です。
外国人力士として初めて、大関にまで上り詰めたKONISHIKIさん。
”辛いことも多かったけど、今があるのは全て相撲のおかげ”と、語ってくださいました。

今週は、KONISHIKIさんの人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺いました。



●運命の出会い



川田「KONISHIKIさんの、第2のターニングポイントはいつのことですか?」

KONISHIKI「今の嫁さんと出会った時ですね。引退してから4年くらいかな」

川田「どういった出会いだったんですか?」

KONISHIKI「自分の腰が痛い時があって、その時に紹介されたのがいまの嫁さんですね」

川田「クリニックで出会ったんですか?」

KONISHIKI「そうそう、クリニックで働いてたの。手を触った瞬間『結婚しよう』って話をしたの。僕、独身だったから焦ってたの(笑)」

川田「何か惹かれるものがあったんですね」

KONISHIKI「カラオケ行ったときに、”歌上手いな!”ってびっくりしましたね。
聞いたら、専門学校で舞台をやったりとかしてて…趣味が似ていて、音楽も好きだし、歌も好きだし、ステージに立つのも嫌いじゃないし。後で聞くと、自分の近く、浅草橋で生まれ育ったって言うから、子供の頃から僕を見てたらしいんだよね」

川田「いろんなポイントで合う部分が多かったんですね」

KONISHIKI「若いうちに、僕のお尻を見ている人がいたなんて思わなかったからびっくりした(笑)」

川田「奥様と出会ったことで、いろいろ人生が変わったという感じなんですね」

KONISHIKI「やりたい事がだんだん出てくる。自分も幅広く物事を考えられる、頭の中で作れるんだよ」


●両国の街に作られて



川田11月26日には、小錦八十吉&千絵、お2人でアルバム『COLOR’s』をリリースされていますね。
ということで、ここからは奥様の千絵さんにもご登場いただきます!」

千絵「よろしくお願いします」

川田「今回2人でアルバムを作ろうと思ったのはどうしてなんですか?」

KONISHIKI「僕も52歳になって、人の歌ばっかり歌っていてもしょうがないなと思って。
何か作れないかなって…ゼロから自分たちで考えて、ここまで作りました」

川田「バリエーションに富んでいて、これは聴いていて楽しめるアルバムですよね。2人の愛が詰まっていますし、千絵さんはどういった思いで作られましたか?」

千絵「普段、ライブでも『ロンリーチャップリン』とか、人の歌を歌うことが多かったので。
”自分たちの曲を歌いたいよね”っていう話から、デュエットを作りたいということになって…自分たちで作詞もしたいし、その方が思いも伝わるし」

川田「作っている間は、意見がぶつかったりはしましたか?」

千絵「普段からぶつかることはないんですけど、最初に私が作詞をして”ここどうしたらいいかな?”っていうときに、助けてもらうっていう感じで」

KONISHIKI「この夫婦はぶつかることがないの」

川田「どうしてですか?」

千絵「好きなことを一緒にやっているっていうのもあるし、一緒にいても全く違うことをやったり、干渉しすぎない時間を作ったりしますね」

KONISHIKI「”me時間”を作らないとダメ、それぞれの人間、1日24時間の中、必ずみんな集中してやってることがいっぱいあるんだよね。
ちょっと離れて、1時間、2時間探して、公園でもいいし、コーヒー飲みながらぼーっとした方が気持ちも入れ替えることができる。
同じ家にいても、まったく違うことをやったり、それぞれ好きな時間、自分の時間を作るんですよ」

川田「そうやって距離をうまくとってらっしゃるんですね。KONISHIKIさんの、今までの人生を振り返っていかがですか?」

千絵18歳で知らない国に来て、本当に苦労が絶えなかったけど、家族のことを思いながら頑張って…相撲のおかげで、全国、全世界の方に知っていただけて、ここまで来れたことは素晴らしいことですね。これからも2人でずっと頑張っていきたいなと思いますね」

川田「KONISHIKIさんはいかがですか?」

KONISHIKI「日本が作ったKONISHIKIですから。皆さんのコニちゃんになって、自分の国が日本だと…ハワイに帰っても2日後に家に帰りたいっていうくらい(笑)。奥さんにも言ってるけど、亡くなったときには焼いた後に隅田川にまいてくださいって」

川田「本当に日本人ですね」

KONISHIKI「本当にそう思うもん。両国の街が僕を作ってくれたから、みんな反対するかもしれないけど僕は本当にそう思います。
日本でゆっくり死ぬまでいますと、決まりました。
これからも日本で、できる範囲で、いろんなところに人を助けにいったり、音楽を通して皆さんの気持ちが前向きになってもらえれば嬉しいなと思います。みんなのコニちゃん、これから頑張っていこうと思っています」





>>来週は、元競泳日本代表・松田丈志さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
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