Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2017.01.29

「自分でも曲が作れるようになったら、一生音楽できるなと感じて」:w-inds. 橘慶太
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、ダンスボーカルユニット・w-inds.の橘慶太さんです。

橘さんの第一の人生のターニングポイントは、2008年、22歳。
J-POPと洋楽の音の響き方が全然違うことに気づいた時でした。

このターニングポイントを経て、自分たちの作品の音のクオリティを追求するようになったそうです。
音楽との向き合い方が変わったことでw-inds.は進化していきました。

橘慶太さんの人生の、第2のターニングポイントについて伺いました。



●トレーニングの日々



川田「橘さんはかなり多趣味で、サッカーやゲーム、あとはとにかく筋肉がすごいですよね」

「筋肉は一時期、どこにいってしまうのやらと、ファンの方にも心配されましたね(笑)」

川田「本当に盛り上がっているような、なんて言うんでしょう(笑)」

「格闘家でしたもんね(笑)。トレーニングも『アスリートよりすごいトレーニングをやってるよ』と、ジムのトレーナーに言われるくらいでしたね。
毎日2時間みっちり、無酸素のベンチプレスとか重りをつけるのと有酸素の走る方を1時間ずつやって。酸欠にならないとやめないっていう(笑)」

川田「本当に危ないくらいの?」

「そうですね。ジムで30分くらい寝るんですよ」

川田「これは、絶対に真似しちゃダメなやつですね(笑)」

「そうですね。ケアする人が氷を持ってきてくれて、身体中に貼って30分後くらいに目が覚めて『今日もありがとうございました』って言って帰るんです」

川田「その時で体脂肪率はどれくらいでしたか?」

「5%とかでしたね。体重も今より10キロちょっと重かったので、いろんな人に”気持ち悪い”と言われましたね(笑)」

川田「気持ち悪いって言われたんですか(笑)」

「ただ、その時の『気持ち悪い』は、僕には褒め言葉にしか聞こえなくて。全部脳内で、”気持ち悪いくらい、かっこいい!”って変換されてて、まったく響かなかったですね(笑)。
ツイッターとかにも”それはやりすぎだろう”ってくるんですけど」

川田「”筋肉がすごすぎる!”が、”やばすぎる”になっちゃって、みんな警告をしてたのに(笑)」

「全然気づかなかったですね、あれは優しさだったんだなって今になってようやく(笑)。今はトレーニング控えめになったので」

川田「”筋肉をつけたい”っていうきっかけはあったんですか?」

「もともと体はめちゃくちゃ細くて、細いということにコンプレックスを持ってなくて。小学生の頃から『もやし』とか、『骨』って言われてたんですけど。
とある日、鏡を見て”細い!ヤダ!明日からジム行こう!”となって、次の日から毎日ジムに行きました。
アスリートが通うジムを探しだして、『アスリートのトレーニングを僕に仕込んでください』って言って、アスリートのトレーニングだからトレーナーがめちゃくちゃ怖いんですよ(笑)」

川田「そうですよね、目指しているところが違うわけですからね」

「”体重を増やしたい”っていうプランで行ったんですけど、トレーニングばっかりやってて。食べることが疎かになって、体重が減ったんですよ」

川田「減ることがあるんですね」

「そしたらトレーナーにブチ切れされて、『おい!おまえ、そんなんなら帰れよ!』って言われて。
”え!?俺、お金払ってるんだけど”って思って(笑)」

川田「ええ〜、怒られるんですね」

「そしたらアシスタントに、『オレンジジュースとおにぎり2個買ってこい!』って言って、買ってくるんですよ。
『まず、これ食わなきゃトレーニングさせねーぞ』って言われて、『はい!』とか言いながら食べて(笑)。
それから怒られたくないので、毎日家で、2時間半おきにご飯食べるようになって、1日7〜8食食べてたんですよ」

川田「ええ〜!」

「睡眠時間が6時間だったら、3時間で目覚ましかけて起きて、うどん食べて、また寝て…っていう生活を続けて、3週間で体重を10キロくらい増やして」

川田「そんなに急激な(笑)。振り返ってみたら、やりすぎた気がしますか?」

「そうですね。今は控えてるんですけど、動けなくなったら困るなと思っていたので」


●一生歌い続けたい



川田「橘慶太さんの第2のターニングポイントはいつのことですか?」

「2013年 27歳 KEITA名義でソロデビューした時ですね」

川田「ソロ活動としては、橘慶太名義でやっていたんですよね?」

「そうなんですよ。アコースティックギターを持ってバンド形式でやっていたんですけど。
それこそセルフプロデュースをしたいという気持ちが強くなってから、KEITAという名義でその後再スタートさせましたね」

川田「その時は、ご自身の思うようにスタートできましたか?」

「スタートして、そのときは自分だけでトラックを作り込めなかったんですよ。
いろんな人と作っていたんですけど、なかなか自分の気持ちを伝えるのが難しくて、一緒に作っている中で80点くらいのことをOKしている自分がいることに気付いて」

川田「そうだったんですね」

「本当は、自分の中で100点まで持っていって出したいなと思っていたんですけど。
いろんな人が一緒にいる中で、気を使っている自分もいて。それだと、聴いてくれる人にも失礼だし、自分自身にも甘すぎるなということを思い始めて。ここから、”自分ですべてをやってやろう”ということを強く思いましたね」

川田1人ですべてやるということは、責任も自分にかかってくることも大きいと思うんですけど。その大変さや、メンタル面はどうでしたか?」

「僕、すごく不安症なんですよ。ポジティブなんですけど、ポジティブなことを考えながらも”2年、3年先がどうなっているか分からない部分がある”っていうのは、常に思っていて。
となると、僕がこのとき思ったのは、僕は歌しか歌えなかったので、2年、3年先にちょっと調子が悪くなって、”僕たちのトラックなんか作ってもメリットないよ”みたいな人たちになっちゃって、曲作ってもらえなかたら12〜3年続けてきた音楽を棒に振ることになる、というのが急に怖くなったんですよね。
自分でも曲が作れるようになったら、一生音楽できるなと感じて」

川田「なるほど」

「不安というよりは、未来の自分を安心させるためというか…攻めた楽曲もやりたいじゃないですか?
いろんな人の意見があってやれないとか…それで、”ほら言っただろう、ダメだろう”ってなって、どんどんw-inds.のスタッフが離れていくとかなると。
攻めた楽曲も自分の中で、それこそ責任があるからできなかったんですけど。
自分で作り上げていけるっていう気持ちになると、どんどん攻められる気持ちも強くなってきたんですよね」





>>来週は、矢口史靖監督をお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.01.22

「3人でいたら、やってる事は15歳の頃と変わらないですからね(笑)」:w-inds. 橘慶太
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、ダンスボーカルユニット、w-inds.の橘慶太さんです。

w-inds.は昨年、デビュー15周年を迎えて、メモリアルライブや全国ツアーを開催。
111日にニューシングル「We Don't Need To Talk Anymore」をリリースされました。

w-inds.のメインボーカル、橘慶太さんの人生のターニングポイントについて伺いました。



●メンバーとの出会い



川田「橘慶太さんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

「2008年 22歳ですね。w-inds.の楽曲で言うと、『CAN'T GET BACK』をリリースした時です」

川田「この時は何があったんですか?」

「洋楽をずっと聴いていたんですけど、自分たちの楽曲と、同じようなダンスミュージックをやってるはずなんだけど何かが違うなと気付いてきて。
何度も何度も聴き直して、トラックの音の鳴り方が違うなと気付き始めました」

川田「具体的にはどう違うんですか?」

「具体的に洋楽の方が太いんですね、J-POPの方が一個一個の音が細いというか、海外の楽曲ってトラック数が少ないと言われていて…例えば、ピアノとベースとドラムだけでも1曲を作るような世界なんです」

川田「そうなんですね」

「でも、J-POPって重ねる美学みたいな事を追求していて、一個一個の音が細いんですけど、ギター入れたり、ベース入れたり、ピアノ入れたり、シンセ入れたり、ドラムもタンバリンとか、シェイカーというマラカスを入れたり……っていう派手な作りだったんです。
その作りから一個一個の音を抜いて楽曲を作っていたので、そうすると細いままダンスミュージックを作っていた事に気付いて、一個一個の音にこだわらないと海外のダンスミュージックには勝てないんだなと、2008年頃に目覚めて」

川田「その感じは、メンバー皆さんと共有できるんですか?」

「僕が熱い人間なので、一生懸命説明して笑顔で聞いてくれてます(笑)」

川田「メンバーと一番最初に出会った時って、どういった感じでしたか?」

15歳くらいの時だったんですけど、僕がオーディションに受かって『東京に来てください』って言われて。
福岡から羽田空港に着陸して、『ちょっと車で待っててください』って言われて、10分後くらいに5人組くらいの団体が来たんですよ。
僕も15歳なので子供なんですけど、キャッキャやってて”すっげー子供来たな”と思って、僕はヘッドホンで音楽を聴いてたんですよ」

川田「はい」

「車から降りたら、その中の2人が意外と大人だったんですよね。”俺と一緒くらいだな”と思って、それが涼平君と龍一君だったんですけど。
うちの会社の社長がやってきて、いろんなパターンの写真を撮られたんですよ。僕が1人、5人の中の僕が入ってる6人、涼平君と龍一君の3人、その3人の写真を見た社長が『これでいく!』って言って、そこでグループ結成する事が決まったんです」

川田「3人のバランスがぴったりハマったんですね」

「その感覚っていうのはすごいなって思いますね」

川田「3人の関係って15年やってると色んな事があったと思いますけど…」

「最初はお互いやんちゃだったので、揉めたりもしましたけど。今は、スタッフの方がびっくりするくらい仲良いグループって言われていて(笑)。
他の現場に行ったら、『なんで、そんなに仲良いんですか?』って、いつもびっくりされますね」

川田「メイキング映像を見てても、3人がふざけあってる感じがありますよね」

「3人でいたら、やってる事は15歳の頃と変わらないですからね(笑)」


●思いを込めた作品



川田「『We Don't Need To Talk Anyone』は、とにかくカッコ良くて、聴いた時にあまりのインパクトにびっくりしました。
この曲は、今回、お一人でオールプロデュースされていて、作詞作曲すべてですよね?」

「そうですね」

川田「なぜ、今回やってみようと思ったんですか?」

「ボーカルドロップの楽曲が世界的には主流になってきている中で、J-POPにはあまりなかったので。
”そういう楽曲をやりたいな”というのを、レコード会社の方に話して、海外作家の楽曲を集めてもらったんですけど作ってる人がなかなかいなくて。
”作っている人いないよな〜”っていう時に、僕はそういうのが好きだったので、作っている楽曲がこの楽曲(We Don't Need To Talk Anyone)だったんですよ」

川田「そうだったんですか!」

「『この楽曲あるけど、どうかな?』って、メンバーやレコード会社の方に聴かせたら、みんな『いい!』って言ってくれたんです。
一番最初に作り始めた時は、w-inds.が歌うという事ではなく、日本にない音楽を作って、自分だけしか歌えない歌を作ろうというので作り始めた歌だったんです」

川田「自分の好きな音楽をずっと作ってきた、慶太さんの努力が認められたっていうことでもあるんですよね」

「この15年で一番嬉しかったくらいですね」

川田「それぐらいの思いが込もった作品なんですね。あと、相当難しいダンスに挑戦されてますね」

「ダンサーたちも悲鳴をあげるような、細くて、休みどころのない楽曲で(笑)。
この曲を1回踊るだけで、”はぁはぁ”言ってしまうくらいの体力が必要で。この曲が終わったらMC挟みたいなと思うくらいのきつさですね(笑)」

川田「この曲も入ってるアルバムが3月にリリースされるということですが、どんなアルバムになりそうですか?」

「今回は、ダンスミュージックからw-inds.は2〜3年離れていたんですが。そのダンスミュージックを中心に作っていきながら、ダンスミュージックなんだけど、今回の曲のように聴きやすいというか、心地よいサウンドを中心に制作してますね」





>>来週も引き続き、w-inds.の橘慶太さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.01.15

「遊園地みたいなショーにしたいなと思いますね」:Miracle Vell Magic
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、『Let It Go』などSNSに投稿した動画をきっかけに脚光を浴び、
昨年、メジャーデビューを果たしたMiracle Vell Magicさんです。

Miracle Vell Magicさんの第1の人生のターニングポイントは、2014年、21歳。
自作の動画が注目され始めた時でした。
それまでは、自分の部屋の中だけで完結していたものが、
SNSで多くの人の目に触れるようになって、世界が広がったそうです。

そんなMiracle Vell Magicさんに、人生の第2のターニングポイントについて伺いました。



●ポジティブシンキング



川田「Miracle Vell Magicさんの第2のターニングポイントは、いつのことですか?」

Miracle Vell Magic「2016年の春、23歳ですね。自分で作詞をして、曲を作るようになった時です」

川田「これをターニングポイントにあげたのはなぜですか?」

Miracle Vell Magic「今まではカバーを歌ってきたので、その曲を、私のフィルターを通して伝えていた、という感じだったので。自分が生きてきた中で、伝えたいメッセージだったり、例えば”Miracles Happen=奇跡は起こせるはずだから”っていうことだったり。
自分で言うのも何ですが、ポジティブというか楽観的というか、とにかく悩みがなかったり…昔からいつも幸せな気持ちでいたりするんですね(笑)」

川田「なるほど(笑)」

Miracle Vell Magic「それが逆に自分の強みだから。そういう自分にしか歌えない曲、届けられるメッセージがあるんだろうなと思って、自分の思いを込めた曲を書き始めたところで、ターニングポイントだなと思います」

川田「昨年11月にリリースされたメジャー・ミニアルバム『Miracles Happen』ですが、収録されている6曲はすべて作詞をされているんですよね。これはどういう気持ちで作られたんですか?」

Miracle Vell Magic「私を応援してくれている子たちは若い子が多くて、これからすべてが始まるっていう子が多いんです。
そういう子たちに、”未来は希望でいっぱいなんだよ”とか、”夢を見ることって素敵なことだよね”っていうことを伝えたいし。
逆に、少し年齢が上の方にも”いつからでも遅くない、いつでも新しいことを始められる”ということを伝えたくて、このアルバムを作りました」

川田「別れの曲だったり、失恋の曲を書こうと思ったことはないですか?」

Miracle Vell Magic「私、書けないだろうなって思って。24歳だけど人生経験が浅かったり、まだ、そういう感情を知らなかったりとかもするので。
私だからこそ書ける曲はなんだろうなと考えて、今みたいな曲を書いてるんですけど。
いつかは、そういう曲を書く日が来るのかなと思いつつも、自分が歌っていて、すごくハッピーなのは前向きな応援ソングなのかなと思いました」


●2017年の目標



川田「2017年はどんな年にしたいと思っていますか?」

Miracle Vell Magic「去年はたくさんの夢を叶えた年でもあったんですね。初めてディズニーのクリスマスアルバムで、オフィシャルでカバーをすることができたりとか、自分のオリジナルのミニアルバムを出せたり……今年は、さらに夢をたくさん叶えていきたいと思っています。
自分の夢はまだまだ先にあって、そこに少しでも近づいていけるような年にしたいなと思いますね」

川田「お話を聞いてると前向きな言葉がたくさん出てくるんですけど、落ち込むようなことはないんですか?」

Miracle Vell Magic「例えば、”歌が思うように歌えない”とか、”パフォーマンスが思うようにできない”とか、そういう時は涙が出るほど悔しいということはありますね」

川田「それはどうやって乗り越えるんですか?」

Miracle Vell Magic「これを乗り越えたら、絶対にステップアップにつながるから”絶対にやってやるぞ!”と思って、乗り越えられるようにしていますね」

川田「これからやってみたい夢や目標は何ですか?」

Miracle Vell Magic「一番近い夢、叶えたい夢があって。舞浜アンフィシアターで自分のライブショーをすることですね」

川田「アンフィシアターはどういうところですか?」

Miracle Vell Magic「東京ディズニーリゾート内にある劇場で、すごく素敵なステージで特別な思いを感じます」

川田「どういうショーをやりたいですか?」

Miracle Vell Magic「自分の全てを詰め込んだ、歌あり、ダンスあり、ドラムも叩きたいし…演じることも好きだから、そういう要素もありつつエンターテイメントがたっぷり詰まって、遊園地みたいなショーにしたいなと思いますね」

川田「まさにテーマパークですね」

Miracle Vell Magic「それが一番近い夢なんですけど。一番の自分の大きい夢は、ライブショーを世界でツアーすることですね。
自分の中で、アメリカという国がアリエルにとっての陸の世界というか、自分にとっての絶対に辿り着きたい大きな場所で…。そこで、自分のライブをしたいなと思っています!」





>>来週は、w-inds.の橘慶太さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.01.08

「自分がエンターテイメントを発信する意味が180度変わりました」:Miracle Vell Magic
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、女子高生を中心にブレイク中!新世代のガールズアイコン・Miracle Vell Magicさんです。

Miracle Vell Magicさんは、自分で作った動画をSNSに投稿したことをきっかけに
現在、若い世代から人気を集めています。
昨年11月には初のメジャーミニアルバム『Miracles Happen』をリリースされました。

そんなMiracle Vell Magicさんに、人生のターニングポイントについて伺いました。



●みんなを笑顔に



川田「SNSの動画投稿がきっかけでブレイクしたMiracle Vell Magicさん。その自作動画のトータル再生回数は、なんと1億回を突破していると、すごいですね!」

Miracle Vell Magic「びっくりな数字ですね(笑)」

川田「動画の種類はいろいろあって、ディズニー・キャラクターに扮してディズニーの名曲を歌うものから、脚本、演出、出演まで、すべて自分でこなすオリジナルの舞台や、メイクのハウツーもの、さらに変顔…すごいクオリティーですよね(笑)」

Miracle Vell Magic「誇りを持ってやっています!(笑)」

川田「こういった動画を作るのはいつから始めたんですか?」

Miracle Vell Magic「高校2年生くらいですね。昔から自分の部屋の中で歌ったり、変装してその世界に入り込んで演じたりすることが好きだったんです。
それを、”表に出してみたらどうなるかな?”っていう好奇心で、やっている自分自身を見たことがなかったのでカメラを回してみたっていう…(笑)」

川田「最初に客観的に見たときってどうでしたか?」

Miracle Vell Magic「”自分、何やってるんだろう?”って思ったんですけど(笑)、それが快感になってきて今に至るっていう感じですね」

川田「小さい頃は人の前に出て歌うとか、踊ったりとかは好きなお子さんだったんですか?」

Miracle Vell Magic「歌ったり踊ったりは大好きで。記憶は薄いんですけどビデオが残っていて。1歳くらいの時に、ダイニングテーブルで歌って踊ってるみたいな。
私が歌って踊ってるビデオは、小さい頃のものは膨大な量がありますね」

川田「それだけ歌って踊っていたということは、ご両親が聴かせてくれていたという事ですか?」

Miracle Vell Magic「そうですね。お母さんがディズニーが好きで、ディズニー映画とか、ディズニー音楽を常に家の中で流していたみたいですね」

川田「一番最初に好きになったディズニー映画はなんだったんですか?」

Miracle Vell Magic「『美女と野獣』ですね。”私、ベルが好き!”となったのは、2、3歳くらいですね。
幼稚園の入園式の時に、名前を呼ばれた時に『私はそんな名前じゃない!ベルっていうお姫様なんだから!』と言って号泣しちゃったらしくて(笑)。
その頃から自分はベルだと思って生きていたんです」

川田「そうだったんですね」

Miracle Vell Magic「今、Miracle Vell MagicのVellちゃんとして、”本当にVellちゃんと呼んでもらえる日が来るなんて!”と思いますね」

川田「小さい頃からの、それもひとつの夢のようなものですよね」

Miracle Vell Magic「こんなにいっぱいの人に、”Vellちゃん”と呼んでもらえるようになったのが幸せすぎて」

川田「具体的にはどういう人になりたいと思っていたんですか?」

Miracle Vell Magic「ミッキーみたいになりたいっていう感じですかね。
みんなに笑顔と夢と勇気を与えて、ステージの上でキラキラ輝いて”なんて素敵なんだろう!”と思って。
ミッキーみたいにそこにいるだけで笑顔にするような、そんな存在になりたいなって思ってました」


●歌うことの意味



川田「Vellさんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

Miracle Vell Magic「2014年のはじめ、21歳の時にネットに投稿してる動画が、人から反応が返ってくる時期ですね」

川田「見てもらえるようになったという事ですね」

Miracle Vell Magic「そうですね。実際に私の動画を、『好き』とか『面白い』と言ってくれる子たちが出てきて、その子達からたくさんのことを学んだんですね。
今まで、自分一人の世界だったので、フィードバックがないというか、”ここが面白いんだよね”とか、”ここがちょっと微妙”とか、反応が返ってくる中で、”こういう風にすると人は面白いって思ってくれるんだ”とか、”こういうところに感動してくれるんだな”っていうのを学びました」

川田「なるほど!」

Miracle Vell Magic「そこから『Let It Go』の動画を作りたいなと思った時に、みんなの意見を噛み砕いて、”こういう動画にしたら、面白いかな”みたいな。それで作ったという感じですね」

川田「『Let It Go』の動画で、いろんな人にも見てもらうことができたと思うんですけど。
1のターニングポイントを経て、内面の気持ちの変化はありましたか?」

Miracle Vell Magic「今まで自分の為にやっていたというか…自分が好きだから歌を歌う、ダンスを踊る、動画を作るっということが、応援してくれる子は『loveller(ラベラー)』っていう名前が付いているんですけど。
その子達が『Vellちゃんの歌を聴くと、1日が明るくなるんだ。落ち込んでたけど元気が出るんだ』とか言ってもらえるようになって。
自分が好きでやっていたことが、誰かしらに、何かしらの影響を与えることができるんだと思ったときに、それってものすごいことだなと思って。エンターテイメントの力を感じました」

川田「そうだったんですね」

Miracle Vell Magic「”たぶん、これが私が歌う意味なんだ”と感じて、これを続けていけばもっとたくさんの人に元気とか幸せとか、自分がディズニーからもらったもの、ミッキーから感じたものを与えられるんじゃないかと思いました。
自分の中で鳥肌がたって、”もっとやりたい!”と思って、このターニングポイントを経てからは、自分がエンターテイメントを発信する意味が180度変わりました」





>>来週も引き続き、Miracle Vell Magicさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.01.01

「”お前が成功したら、俺があってるっていうことや”……その一言には救われました」:「PATISSIER eS KOYAMA」のシェフ・パティシエ 小山進
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き「PATISSIER eS KOYAMA」のシェフ・パティシエの小山進さんです。

2016年、10月にフランス・パリで開催されたチョコレートの祭典「SALON DU CHOCOLAT PARIS」に出展し、
クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラのコンクールで、6年連続となる最高位の「ゴールドタブレット」を獲得されました。

小山シェフの第1の人生のターニングポイントは、1980年、高校2年生の時。
お父さんを「世界一の親父」にしようと心に誓い、パティシエを目指すスタートを切った時でした。
小山シェフの原点は、家族への想いでした。

今週は、小山さんに起こった第2のターニングポイントについて伺いました。



●自分にできることは?



川田「パティシエへの道を歩みはじめた小山進さんですが、製菓の専門学校を卒業され、洋菓子メーカー『スイス菓子ハイジ』に就職されます。喫茶の接客からはじまり、異例の大抜擢で21歳で店長に。
その後、ケーキ職人としてだけではなく、営業、商品開発、企画などあらゆる部署も経験されます。『スイス菓子ハイジ』の頃の小山さんは、いろんな場所を経験されたんですね」

小山「役に立つっていうことの楽しさ、『小山、これやれ!』っていうことに対して、『はい!わかりました!』と言ってやる。それを繰り返していくと、ケーキ作りだけじゃなくて、営業であったり、違うジャンルのことも頼まれるようになるんですよ。
”あいつに頼めば…”と思ってもらえることが嬉しくて」

川田「このまま営業で上手くいったら、職人の方に戻れないんじゃないかと不安になりませんでしたか?」

小山「あまり思わなかったですね。目の前にあることでどう楽しくするか……先々の事というよりも、その時のことしか考えてないので。
その時の成果を次にバトンを渡していくだけなので」

川田「色々な経験を踏まえて、今の小山さんのお店が出来てると思うんですが。第2のターニングポイントはいつのことですか?」

小山1999年の12月、長男が病気で、12月31日に『スイス菓子ハイジ』を辞めなければいけなくなったんですね。
薬代が買えないくらいで、会社自体の業績も自分が立てた計画通りにいかなかったり、お給料が減っていく中で、生活ができないくらいになってきた時なので。
一度辞めて息子の病気を治すことが先決だと、社長に1年くらい交渉して12月31日に辞めて、新たに『PATISSIER eS KOYAMA』という、コンサルト業みたいなことからやっていこうと思いました」

川田「お菓子のお店のコンサルということですか?」

小山「そうですね。”自分に何ができるのか?”と考えた時に、もっとこうしたら楽しく陳列できるのに、とか。
ハイジでやってきたことで何か人の役に立てたらな、ということからが僕の独立のスタートなんですね。
16年間務めてきた会社を辞めることを、誰にも相談せずに、普段悩んだりしないんですけどこの時ばかりは考えました。僕は独立願望ゼロの人だったので」

川田「それが本当に意外ですね」

小山「母が、”会社に入って偉くなる”そればっかり言ってたので。
中堅大手の会社に入って…ということが母親に対する恩返しなのかなという部分もあったので。そこで社長になれたらなと思って目指した部分はあったんですね」


●光が差す道



川田「ご長男の病気で会社を辞められることになって、3年後にご自身でお店を作られるんですよね?」

小山「全国いろんなところでお世話になって商品開発をしてたんですけど、周りながら場所を探していたというのもあるんですね」

川田「その時に、今の三田の場所に出会ったんですね。どういうポイントで選ぶんですか?」

小山「車で来た時に明るい道、光が差しているように見えるかがポイントで。
遠足へ行ったりする時も、その道中が楽しいとか、前の日からワクワクするとか、車で走ってて”うわ〜!これすごい!”って思う道があるんですよね。
今の三田の道も、どこから来ても楽しい道だと思ったんですよね」

川田「それで三田に決めて、今のお店を作られて。そこではどういう風に今の形に広げていかれたんですか?」

小山「広げていったというよりも、オープンの時から迷惑かけっぱなしの店で。
もっとゆっくり、こんな迷惑かけるつもりも、こんなに待たせるつもりもなかったんですよね」

川田「最初から行列ができて…」

小山「本当にありがたいことなんですけど、最初からそうで。3時間経ったらお店を閉めて、もう一回一から作らないといけない。
こんなこといつまで続けるんだって、変えていこう、改装する度に出ようと思いました」

川田「そうだったんですか」

小山「いつかこの本店を、もうちょっと整理して通いやすい店にする。そのために分けていき出したんです。
待たなくてもいいお店を作ろうと思って、小さなチョコレート屋を作り、カフェを作り…僕のものづくりを、しっかり自分で生徒さんに説明できるような場所を作って伝えようと思ったのが、お菓子教室だったり」

川田「ハイジの社長さんも、本当に喜んでくださっているんじゃないですか?」

小山「オープンして何年かで亡くなってしまったんですけど、亡くなる4日前くらいにお店に来てくださっていっぱいお菓子を食べてくださったんです。僕を自分の息子のように可愛がってくれて、思いっきり喧嘩もしましたし、思いっきり笑いましたし、その社長が『俺のしたかったことは、こういうことなんや!』と言ってくれはったのが、本当に嬉しかったです。
前田昌宏という方と出会っていなかったら、僕はこういう風にできてないと思います。辞めると思ってない会社を辞めなくちゃいけないのは、社長を裏切ることになっているんじゃないかと、これだけ僕の味方でいてくれた人やのに、『お前が成功したら、俺があってるっていうことや』、その一言には救われました」





>>来週は、新世代のガールズアイコンMiracle Vell Magicさんを
お迎えしてお話を伺っていきます。お楽しみに!

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