Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


*

2017.02.26

「20年以上、諦めずに僕を育ててくれてありがとう」:モデル・タレント・俳優 栗原類
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、モデル、タレント、俳優の栗原類さんです。

栗原さんの第1の人生のターニングポイントは、2012年。
高校2年生でバラエティ番組のオーディションを受けた時です。

このオーディションに見事合格し『アウト×デラックス』で大ブレイクを果たします。
その後、『笑っていいとも!』のレギュラーをはじめ、
さまざまな番組に出演されるようになりました。

今週は、栗原類さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。


●著書『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』


川田「栗原類さんの、第2のターニングポイントはいつのことですか?」

栗原「2015年5月、発達障害であることをテレビ番組で公表した時でした」

川田「これまでにも、ブログなどでは一度書かれたことはあるんですよね?」

栗原「そうですね。もともと芸能界の仕事を始める前に、SNSとかブログで”自分はこういう人間です”と、あらかじめ書いてはあったので。読んではないと思ったんですけど、かといって言う必要もなかったので今まで言わなかったんですよね」

川田「それをテレビで、という風にしたのはどうしてですか?」

栗原「番組のテーマが発達障害に関することだったので、僕も公表をする形になりました」

川田「その時の反響はどうでしたか?」

栗原「僕が初めてテレビに出た時よりも大きくて、思っていた以上に大きかったですね」

川田「著書『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』もリリースされましたね」

栗原「番組に出演した後に出版社の方からオファーをいただいたんですけど、いろいろな不安要素もあって、自分が書いて参考になれるのかなと思ってはいたんですね。
何を書けばいいのか分からないという思いはあったんですけど。ADDの参考書はあまりないので需要があるとは思えるようになったんです」

川田「なるほど」

栗原「発達障害に関しても、やっといろいろと認識してくれたり、テレビでも取り上げられるようになってきたんですけど。
だからと言って、完璧に理解しているわけではないと思いますし。
知らない人たちにも読んでもらって、こういう人たちがいるんだと思えるような、なおかつ、読んでわかりやすい本を作りたいなと思いましたね」

●母への感謝


川田「普段の生活の中で、この障害によって困ることってありますか?」

栗原「かなりありますね。記憶力が良くないので、顔は覚えたりするんですけど、名前がパッと出てこないというのはけっこうあるので、失礼だなと思いますし。
場所が上手く理解できない、”どうやってここに行けばいいか分からない”というのもあったりするので、地図アプリを使いつつ1人で現場に行ったり」

川田「はい」

栗原「台本を覚えるのも難しいんですけど。一番難しいのは、役者をやる時に人の感情を読み解くっというのが上手くできなかったりするので。
一時期は、母親と一緒にテレビや映画を見て、母にリモコンで一時停止をされながら『この役者さんは、なんでこういう表情をしていたか分かる?』と、解説してもらって学んでいました。
他の22歳とか、何年もやってる役者さんに比べたら、もちろん自分の芝居は上手くないっていうのもそうなんですけど。
吸収していく部分が多いので、人の2倍、3倍努力しないといけないんですよね」

川田「そうですよね」

栗原「でも、必要なのは身近な人間、特に親御さんたちの力が必要だと思います。
当事者が一番頑張らないといけないんですけど、環境を作ってくれたり、自分を理解してくれる人間がいないと、心細くなってしまいますね」

川田「いま、お母さんに伝えたい感謝の気持ちは、どういうものになりますか?」

栗原「”20年以上、諦めずに僕を育ててくれてありがとう”ですかね」





>>来週は、モデルの田中美保さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
*
*

2017.02.19

「人生で一番ビックリしたことだと思います」:モデル・タレント・俳優 栗原類
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、モデル、タレント、俳優の栗原類さんです。

『アウト×デラックス』や『笑っていいとも!』などで大ブレイクされて、
最近では俳優活動も積極的に行っています。
現在公開中の『新宿スワン供戮砲發棺弍蕕気譴討い泙后

昨年、『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』という自伝をリリースされて、
ご自身が発達障害であることを告白されました。
そんな栗原類さんのターニングポイントについて伺いました。


●日本人の母と、イギリス人の父


川田「栗原類さんのお母さんは翻訳家でいらっしゃるんですが、生まれたのは日本ですか?」

栗原「生まれたのは日本、父はイギリス人なのですが、僕はイギリスに住んだことが一度も無くて。
母は翻訳家なので、海外出張が多かったんですけど。
母も、自分に帰国子女という経験をさせたかったというのもあって、現地の保育園とか学校を行ったり来たりしていました」

川田「ニューヨークに行くのは何歳ですか?」

栗原「5、6歳くらいだったかなと思います。他人と馴染むのは、昔の方が楽でしたね。
大人になったら目上の人に敬意を払わないといけないし、知らない人だと、どういう距離感がベストなのかと考えてしまうんですけど。
子供の頃は楽天的なタイプだったので、誰とでもフランクに過ごせたんですね。今思うと、その時にやっておいて良かったなと思いました」

川田「類さんが、発達障害であるADD注意欠陥障害と診断されたのが8歳でニューヨークで、ということだったのですが。
この時は、お母さんから何か伝えられたわけではないんですか?」

栗原「診断された直後には伝えられなかったですね。僕が母と一緒に『ファインディング・ニモ』を観に行ったとき、
登場人物の1人のドリーの行動を見て、僕は笑っていたんですね。
映画館から出た後に、『ドリーって面白いね、何でも忘れちゃうんだね』って言ったら、
母はこれがベストなタイミングだと思って、『実は、あなたもそうなんだよ』と、そのときに初めて言われましたね」

川田「そういう風にお母さんに言われたときは、どう感じましたか?」

栗原「そのときは”そうなんだ”と、受け止めたんですけど。翌日には忘れちゃったっていうのはありましたね。
僕のタイプの人って、何でもかんでも忘れちゃう癖があるんです。
自分が失敗したときに、その時は覚えているんですけど、翌日起きたらコロッと忘れてしまうことが多かったので、同じミスを何度も繰り返していたというのはありますね」

川田「持っていかなければいけない物だったり、時間だったり、いろんな事なんですか?」

栗原「いろんなことですね。時間の逆算ができなかったり、持ち物は前もって入れておいたはずがカバンに入っていなかったり。
自分が発達障害だと本格的に自覚したのは、14、15歳くらい、中学校を卒業する直前でした」

●人生で一番驚いたこと


川田「栗原類さんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

栗原「2012年 高校2年生の頃ですね」

川田「この時は何があったんですか?」

栗原「バラエティ番組のオーディションを受けて合格したんです。
それまではモデルの仕事をやっていたので、当時の自分のフィールドと言ったら、雑誌、広告、ファッションショーなんです。
でも、ファッション業界と芸能界って、違う世界じゃないですか」

川田「そうですよね」

栗原「自分も、バラエティは自分としては需要がないと思っていたんです。
当時の僕くらいの子、16〜18歳の男の子は、笑顔が爽やか、フレッシュが求められるじゃないですか。
僕は真逆なので、母とともに『需要がない』と口を揃えて言っていたんですよ」

川田「そうだったんですね」

栗原「オーディションに受かったと聞いたので、自分なりに下調べをしたんですけど、何の情報もなかったから普通にそのまま行っちゃたのはありましたね」

川田「それが『アウト×デラックス』ですか?」

栗原「そうなんです、僕が初めて出た番組です。僕は当時、あまりテレビを見てなかったタイプなんです。
マツコさんは知っていたんですけど、母親に『やべっちって、分かる?』っていうくらい鈍かったんです。
自分は受からない前提だったので、オーディションに受かったという連絡がマネージャから来て、人生で一番ビックリしたことだと思います」



>>来週も引き続き、栗原類さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

*
*

2017.02.12

「”これは映画にすべきだ”と思いましたね」:矢口史靖監督
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、日本映画界のヒットメーカー 矢口史靖監督です。

矢口監督の第1の人生のターニングポイントは、1985年、18歳のとき。
大学に入学し、自主制作映画に出逢った時でした。
このターニングポイントを経て、映画監督という一生の仕事を手に入れました。

今週は、矢口史靖監督の人生に起こった第2のターニングポイントについて伺いました。



●がむしゃらに…


川田「矢口史靖監督の人生に起こる、第2のターニングポイントを伺いたのですがいつのことですか?」

矢口「2001年 33歳。『ウォーターボーイズ』公開の頃です」

川田「観た方は多いと思いますが、青春映画の金字塔とも言えるような作品ですよね。
シンクロナイズド・スイミングを男子学生がやるという、これはどういった構想で思い浮かんだんですか?」

矢口「埼玉県の川越高校で、進学校なんですけど。
高校3年になると、なぜか水泳部の男の子がシンクロを始めるんですよ。
非常に不思議な光景だと思ったんですけど、これには不純な動機があることを知りまして」

川田「不純ですか?」

矢口「僕が取材した時は10年くらい経っていたんですよね。始めた人たちの話を聞いたら、女子にモテたかっただけだったんですよ。
男子校なので、女子と触れ合える時が文化祭くらいしかないと…女子がたくさん来てくれる、人気があるのはバスケ部のお化け屋敷だ、と言うんですよ。
”うちの水泳部は泳いでるだけじゃ人は来てくれない、シンクロを始めよう”と、そうすれば近隣の女子校の子たちが来てくれる、モテモテになるぞ!ということで始めたそうで、その動機そのものが面白くて(笑)」

川田「いいですね、男子高校生っぽいような(笑)」

矢口「それを外の50mプールで、部員全員でやるわけですよ。インパクトがあって、”これは映画にすべきだ”と思いましたね」

川田「当時、今をときめく俳優の皆さんが出ていて、この時は役者の皆さんも、がむしゃらに一緒に頑張るような感じでしたか?」

矢口「そうですね、”がむしゃら”という言葉が本当にぴったりだと思うんですん。僕は監督としてもキャリアも積んでなくて有名でもなかったし。”男がシンクロやるんだって”っていうだけなわけですよ。
突然ふってわいた、ヘンテコな映画をみんなでやらなきゃいけない、っていう雰囲気があったんです。
オーディションで集まってきてくれた子たちも、何をやらされるか分かってないんです」

川田「そうだったんですね」

矢口「当時、本当に売れている俳優さんたちを集めるのは根本的に無理だったんです。撮影の前からシンクロの練習を1ヶ月以上やらないといけないし、撮影中もシンクロの練習をしないといけない…丸々2ヶ月以上、スケジュールがカラッカラの若い子たちだけ募集したわけですね」

川田「なるほど」

矢口「その中で選ばれた、妻夫木聡くんとか、玉木宏さんとか、当時は完全に無名な状態ですよね。
彼らをシンクロ練習のために千葉県の学校のプールに幽閉して、毎日毎日シンクロだけさせて、映画の撮影が始まっても毎日シンクロの練習と演技、それ以外何もさせないみたいな厳しい状況でした。でも、彼ら自身も何か鬱屈した、”ぶつけたいんだ!”っていうエネルギーが溜まりに溜まっていたので、それがスクリーンにそのまま映ったというのが、お客さんに伝わったんでしょうね」

川田「このターニングポイントを経て、監督ご自身はどういった変化がありましたか?」

矢口「『ウォーターボーイズ』がメジャーに受け入れられたんですね。それ以前は3本映画を撮っていたんですけど、映画好きの人が観に来てくれる、ちょっとカルト的な監督という立ち位置でした。
僕自身も一般の映画とは違う、独特なオフビートなものこそ作りたいと思って作っていたんですけど。
『ウォーターボーイズ』は、もろにオンビート、直球勝負な映画なんですよね。
ただ、僕の心の裏には、”そこまで直球な青春映画なかったでしょ?”っていう実験はするつもりはあったんですが、観たお客さんにはその部分ではなくて、”面白い”、”楽しい”というところが伝わる」

川田「はい」

矢口「映画ファンも来てもらいましたけど、普段映画を見ないような、小さい子からお年寄りまで、老若男女が観にきてくれて、楽しんでくれる。
”なんて楽しいんだ!”と思って、毎日、映画館にお客さんの様子を見に行って、”こんなに喜んでくれるのか!”と思ったんですよ。
それが僕にとっては初体験だったんです、映画作りってこっちも楽しいんだと、その時に発見がありました」


●新作映画『サバイバルファミリー』



川田「第1、第2のターニングポイントを経て、数々のヒット作を世に送り出している矢口史靖監督。その最新作が、2月11日(土)公開の映画『サバイバルファミリー』です。
この映画、これまで作られた映画と大きく変わって、ある日突然、電気がなくなってしまった日本を舞台に、ごく普通の家族が生き抜く様子がコミカルに描かれている作品ですね」

矢口「電気がなくなるっていうと、普通の人は”停電かな”と思っちゃうかもしれませんが、コンセントの電気だけじゃなくて、電池もバッテリーも、電気で動く全部が止まってしまう。
最初、原因が分からない世界で家族は生き残らないといけないっていう世界です」

川田「そうですね」

矢口「今まで、ハリウッド映画でもディザスタームービーと言われる災害映画はたくさんありますが、そういう映画とも毛色が違いますね。
例えば火山が噴火するとか、隕石が降ってくるかもしれないとか、その事件がディザスタームービーの目玉シーンになるんですけど、この映画ではそこがないんですよ」

川田「確かにそうですね」

矢口「朝起きたら、”なぜか止まっているらしい”みたいな、主人公一家も現実に気付くまでに時間がかかるんですね。
本来だったら、事件が起きて避難をするんですけど、この映画は避難をしていいのか、しちゃいけないのか分からない…そういうグズグズした、まったくサバイバル能力がない一家が生き残っていかなきゃいけないので、最初の方はピントのずれたおかしなシーンが続きます」

川田「だからこそなのかもしれないですけど、ものすごくリアルに考えられていて、自分の家庭でも最初はこうなるだろうなと思いました」

矢口「嬉しいですね」

川田「この4人家族は、お父さんが小日向さん、お母さんが深津絵里さんなんですけども、小日向さんが主導権を握っているようで、握れていないお父さんなんですよね(笑)」

矢口「本当にダメなお父さんで(笑)。家族を食べさせてきたけど、家族を省みなさすぎて、子供や奥さんからは煙たがられてしまうというお父さんではあります。
電気がなくなっちゃうと仕事もできないので、会社に行く用もないから、”じゃあ、家族でどうしよう?”と、生き延びるために少しでも暖かい西を目指そうと出発するんですね。でも、覚悟も準備もないお父さんですから、家族が巻き込まれて大変な目に遭っちゃうんですね」

川田「ありそうでないことなのかもしれないんですが、この企画はどういったきっかけで作られたんですか?」

矢口「非常に心苦しい理由なんですが…僕、機械が苦手なんですよ(笑)」

川田「こういうお仕事されているのにですか?」

矢口「パソコンが苦手で、モバイルも苦手で、スマホも持ってなくてガラケーなんですよ。
機械があまりにも苦手なので、周囲のスタッフからも困られちゃうくらい。でも、周囲がどんどん新しいテクノロジーが入ってきて、自分が置いてけぼりをくらっているような気がして。それが悔しくて、”いっそ、なくなっちゃえばいいのに!”みたいな、そういう恨み節から、このアイデアを思いつきました」

川田「なくなったら、どうなるんだろうと?」

矢口「なくなっちゃえば、”僕みたいなやつが天下をとるんじゃないか?”みたいに、それがスタートだったんですが、僕自身インドア派でして、アウトドアの知識も技術もないので、たぶん小日向さんくらいしか活躍できないと思います(笑)」

川田「この家庭でも、お父さんよりお母さんだったり、娘、息子がサポートして頑張りますもんね」

矢口「そうなんですよね、僕自身両方できない人間です。なので、小日向さんにもそんなダメな男を体現してもらいました」





>>来週は、モデル、タレント、俳優の栗原類さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
*
*

2017.02.05

「”好きなことだけやって、一生楽しくやっていけるんだ”って勘違いしちゃったんですよ」:矢口史靖監督
「”好きなことだけやって、一生楽しくやっていけるんだ”って、勘違いしちゃったんですよ」:矢口史靖監督

『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』をはじめ
数々のヒット映画を生み出した、矢口史靖監督です。

最新作映画『サバイバルファミリー』は、”これまでの作品とは違う”と監督自身も公言されています。
そんな話題の映画『サバイバルファミリー』は、 2月11日(土)に公開されます。

日本映画界のヒットメーカー、矢口史靖監督の人生のターニングポイントについて伺いました。



●人生のターニングポイント


川田「矢口監督は映画監督を目指すことになるわけですが……第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

矢口1985年 18歳。大学に入学した時です」

川田「矢口監督に選んでいただいた曲が、David Bowieの『Modern Love』ですね。どういった思い入れがあるんですか?」

矢口「大学に入った時に映画研究会に入ったんですね。1年先輩に鈴木卓爾さんという方がいて、自主映画をバリバリ撮っていたんですよ。
”映画って、自分で作っていいんだ!”っていう発見を与えてくれた方で、大学1年の時から家にあがりこんで映画作りをしてました」

川田「そうだったんですね」

矢口「彼の家にはレコードがいっぱいあって、David Bowieをよく聴いてたんですよね。その時の印象は強かったですね」

川田「監督が”映画を作る”ということに出会った時に、この曲とも出会ってるんですね。
監督が行かれた大学は、東京造形大学ですよね。ここを選んだのはなぜですか?」

矢口「高校の時に美術部に入ったんですね。と言っても、美大を目指して勉強してたわけじゃなくて、好きな絵しか描いてなかったんです。
高校3年に近づくにつれて、『そろそろ受験のことを考えないといけないよ』と、大人に言われるんですよ。
美術部でそこそこ頑張ってきたし、勉強も普通に頑張ってきたと、それぞれ普通のものを掛け合わせれば、受験でも突破できるんじゃないかっていう簡単な発想をして。
それで、美術大学を全部受けた中で東京造形大学に受かったんです」

川田「こういった運命の出会いがあって、卒業されて1990年には『雨女』が、ぴあフィルムフェスティバルにてグランプリを受賞されます。
これがきっかけとなって、その3年後に『裸足のピクニック』が劇場公開となるわけですけど。トントン拍子のように見えてしまうのですが、大変な苦労はありましたか?」

矢口「雑誌の『ぴあ』が、自主映画のコンペを毎年やっていました。そこでグランプリをとると、制作資金をくれるという約束で出品したわけです。その資金をもとにして、”さあ、作れるぞ!”と思ったら、意外と進まないんですよ。
僕の前の年にグランプリをとっていた橋口亮輔監督も、まだスカラシップ作品を撮れずに待ってる状態だったんですよね。
橋口さんは2年半くらい待って、僕は1年半待って、ようやく資金を出してもらえる状況になったんですよ。その待ち時間は非常に辛かったです」

川田「それは長く感じますよね」

矢口「いつ撮影に入れるかも分からないし、定期的なバイトを入れちゃったら映画が撮れなくなっちゃうので。
あまり働きもせず、食べもせず、ギリギリの生活ラインを保ちながら映画のクランクインを待つっていう感じでした」

●映画を撮るために


川田「大きな映画会社に所属した方が作りやすいんじゃないか、とは思いませんでしたか?」

矢口「当時から、映画会社に入って助監督経験を積んで、監督になるっていうコースはほぼなかったんですよ。
異業種監督が増えてましたね、コマーシャル、ドラマ、プロモーションビデオを撮ってた人とか……今でこそ当たり前になってきましたけど、自分で自主映画を撮っていた監督が、自力で監督になりましたっていう人は『ぴあ』ぐらいしかないんですよね」

川田「そうなんですね」

矢口「なので、『ぴあ』一点にしぼって『雨女』を出して上手くいったはいいけど、その先の『裸足のピクニック』を撮るまで時間がかかって大変でした」

川田「それでもフリーでやっていこうと思えたのは自信ですか?」

矢口「根拠のない自信はいっぱいありましたね。”自分が作れば、必ず面白くなる”みたいな、蓄積も何もないくせに、それだけ思っていたんですよ。ただの生意気盛りの小僧だったとは思うんですけど。なんだろうな……美大だったのは大きいかな」

川田「美大だからですか?」

矢口「普通の大学と違って、就職活動をしない人もそこそこ数がいるんですよ。
アートな物を作って、その先”人生を切り開いていくんだ!”っていう人もけっこういたので。
それで食っていけるのはなかなか難しいんだけど、”好きなことだけやって、一生楽しくやっていけるんだ”って、勘違いしちゃったんですよ」

川田「その環境が、監督にとってはいい風に働いたんですね」

矢口「ラッキーな人はそれでいけますけど。大抵は途中で諦めちゃいますよね」





>>来週も引き続き、矢口史靖監督をお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

*

感想・メッセージのご応募はこちら

Message

ご応募はこちら

AIR TIME

AIR-G'(FM北海道)
(日)07:00〜07:25
エフエム青森
(土)12:30〜12:55
エフエム岩手
(土)12:00〜12:25
Date FM(エフエム仙台)
(土)12:30〜12:55
エフエム秋田
(土)12:00〜12:25
エフエム山形
(土)08:30〜08:55
ふくしまFM
(日)09:30〜09:55
FMぐんま
(日)07:00〜07:25
TOKYO FM
(土)12:30〜12:55
RADIO BERRY
(土)12:30〜12:55
FM-NIIGATA
(土)08:00〜08:25
FM長野
(土)12:30〜12:55
K-mix
(土)08:30〜08:55
FMとやま
(土)08:00〜08:25
エフエム石川
(土)09:00〜09:25
FM福井
(土)12:30〜12:55
@FM(FM AICHI)
(日)08:00〜08:25
FM GIFU
(土)12:30〜12:55
FM三重
(土)11:30〜11:55
FM滋賀
(土)09:30〜09:55
FM OH!
(日)07:30〜07:55
Kiss FM KOBE
(土)09:00〜09:25
エフエム山陰
(土)09:30〜09:55
FM岡山
(土)11:00〜11:25
広島FM
(土)09:30〜09:55
エフエム山口
(土)11:30〜11:55
FM香川
(土)12:00〜12:25
FM愛媛
(土)07:30〜07:55
FM−TOKUSHIMA
(土)12:30〜12:55
エフエム高知
(土)09:00〜09:25
FM FUKUOKA
(土)08:00〜08:25
エフエム佐賀
(土)09:00〜09:25
エフエム長崎
(土)09:30〜09:55
エフエム熊本
(日)08:30〜08:55
エフエム大分
(土)12:30〜12:55
エフエム宮崎
(土)12:30〜12:55
エフエム鹿児島
(土)09:00〜09:25
FM沖縄
(土)08:30〜08:55

page top