Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2017.04.30

「世の中のレギュレーションというか、価値観とかが変わってきてしまっているなということを2011年以降感じるわけですね」:マキタスポーツ
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、デビューはお笑い芸人ですが、
現在では俳優、ミュージシャンと幅広く活躍中のマキタスポーツさんです。

2012年映画『苦役列車』でブルーリボン賞・新人賞と東スポ映画大賞・新人賞を
ダブル受賞されて以来、俳優として注目を集めているマキタスポーツさん。
現在、NHKの大河ドラマ『女城主 直虎』にもご出演されています。

さまざまな顔を持つ、マキタスポーツさんの人生のターニングポイントについて伺いました。


●人を笑わせること


川田「マキタさんはお笑い芸人としてデビューされていますが、小さい頃から人を笑わせるのが好きだったんですか?」

マキタスポーツ「好きでしたね。お笑いを目指す人っていうのは、周りを喜ばせるのが好きっていうことは共通してると思うんですけど。
それが人より開花するのが早いと思うんですよね」

川田「早い?」

マキタスポーツ「幼い頃から人を喜ばせたり、笑かしたりするエネルギーが周りとフィットしない場合があると思うんですよね。ちょっとやばいやつだったと思うんですよ(笑)。
だから、喜ばれると思ってやってることがひんしゅくを買うっていう」

川田「例えばどういうことですか?」

マキタスポーツ「キックベースボールってあるじゃないですか?僕は運動神経が良かったもので、”バーン!”と、ヒット性の当たりだったんですよ。その時に”三塁側に走って行ったら、どうなるんだろうな?”って思うんですよ」

川田「ええ!」

マキタスポーツ「三塁側にものすごい勢いで走っていったら、”わ!”っとウケたので”やった!”という感覚があったんですよ。
だけど、あとから学級裁判にかけられましたね。特に女子からの突き上げがすごかったですね」

川田「そこでヒーローになるかと思いきや、みんな本気だったんですね」

マキタスポーツ「反社会勢力としてですね…(笑)」

川田「その頃から始まっていたんですね(笑)」

マキタスポーツ「”マキタさんは、そういう人でいいや”と、帳尻が合ってきたのは中学生くらいの頃ですね」

川田「そんなマキタスポーツさんに訪れた、第1のターニングポイントはいつのことですか?」

マキタスポーツ「2011年、41歳 東日本大震災が起こった時ですね」

川田「東日本大震災は、本当に様々な人の人生を大きく変える出来事になりましたが、マキタさんの中でも大きな変化があったんですか?」

マキタスポーツ「2009年くらいまで仕事がまったくなかったんですよ。”これから、いろいろ変えていかなくちゃいけない”って思ってた時に、『オトネタ』というライブを始めるんですよ。いわゆる音楽ネタですね。
それに特化したライブとかをやって、”マキタスポーツとは何ぞや?”ということを、引き受けようということで始めました」

川田「はい」

マキタスポーツ「2010年に、そのライブが好評を博してお客さんもいっぱいの状態になり、それがお笑いのところで名前が轟くことになるという。それがあった上で、2011年に銀座の博品館劇場で、3月12日に『オトネタ』というライブを予定していたんですよ。
そこで大成功すれば、自分の中では2012年には風向きが変わるんじゃないかと思っていたんです」

川田「なるほど」

マキタスポーツ「前日の3月11日に、爆笑問題さんとイレギュラーの番組があって収録をしてたんですよ。その最中にグラっと来たんですね。
すごい揺れが大きいなと思って、スタッフとも連絡がつかなくて、DMを使ってやりとりして『これからどうする?』とか、『明日は何時に集合して…』みたいな、ギリギリまでそんなことをやっていたんです。
今から考えるとおかしいんですけど、やるわけないじゃないですか?でも、ギリギリまでやろうとしてたんですよ」

● 2011年3月11日を経て


マキタスポーツ「(選曲した奥田民生の『CUSTOM』について)震災が起こった1週間後に、僕はこの曲をカバーすることになって。
映画監督の大根仁さんがやってる番組に『出てよ』とリクエストされたんですよ。ただ条件があって、ネタをやってほしいと言うんですよ」

川田「ネタですか?」

マキタスポーツ「東日本大震災から一週間しか経ってないので、メディアとか、誰も面白いことをやるっていうことができない雰囲気だったので。僕も一瞬”ん?”ってなったんですけど。大根さんに、『こういう時だからこそ面白いことやってもらいたいし、マキタくんだったらできるよ』と言われて。
もう一つ条件があって、奥田民生さんの『CUSTOM』を震災バージョンで作ってほしいって言われて」

川田「そうだったんですね」

マキタスポーツ「『CUSTOM』っていう曲だけにカスタムしてくれって言われて。
曲の後半に国々の名前を挙げていく歌詞があるんですけど。そこを被災地になったところを歌い上げるということで作りました」

川田「マキタさんが地名を歌われている部分っていうのは、聞いてる方も感情がわっと出る部分かと思いますね」

マキタスポーツ「エンターテインメントにも順序があったと思うんですけど、いきなりお笑いは厳しかったですよね。
歌が最初に来て、スポーツがあって、お笑いは三番手くらいだと思うんですよ。でも、俺の方が神経質になって、”俺らにできることはないんじゃないか”と思っていたんですけど、意外と現地の人は笑いたいと思ってくださっていたっていうのが分かったし」

川田「そうですね」

マキタスポーツ「それ以降の世の中の感じ方、考え方っていうものも変わってきてるのかなと思いますね」

川田「震災も経て、考えることもたくさんおありだったと思いますが。自分が演じること、音楽を作ること、送り出すこと、そういったことに影響はありましたか?」

マキタスポーツ「僕も、地下の穴倉の奥底で、マニアックなことをマニアックなお客さん相手にやってるっていうことを、自分のプライドじゃないですけど……”世の中に迎合してたまるか”みたいな大義名分があったんですけど、それは平和で安定的で、安心安全があった上で、そんな呑気なことを言ってられたと今にして思えば感じるんですよね。
それが世の中のレギュレーションというか、価値観とかが変わってきてしまっているなということを、2011年以降感じるわけですね」

川田「なるほど」

マキタスポーツ「より大勢の人たちが望んでいるものを叶えるということを、引き受なくちゃいけないんじゃないかなということを、すごく思うようになりましたね。
大きいところに向かって、”僕はこういう人間なんです”ってことを、ちゃんと言わないといけないんじゃないかなと思いますね」

川田「それは軸が変わるということじゃないですもんね」

マキタスポーツ「相手にしてくれる人たちだけで、小さいところに集まって何か言っているっていうことじゃなくて…それは矢面に立つということかもしれないんですけど。
僕みたいな人間でも、そういうことを言っていいんだよっていう事とかを、大勢の前でちゃんと表明してみせることが面白いことなんじゃないかと思います」



>>来週も引き続き、マキタスポーツさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.04.23

「面白いくらい、いい大人たちが集まって打ち上げで全員泣いてて」:シンガー・俳優 松下優也
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、シンガー・俳優として活躍中の松下優也さんです。

松下優也さんの第1の人生のターニングポイントは、2005年の15歳。
ニューヨークへ行き、本場のブラックミュージックを感じることができた時でした。

この出来事をきっかけにして、高校へは進学せず音楽の道へ進もうという大胆な決断を下した松下さん。

今週は、そんな松下優也さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。


●涙の色


川田「松下さんの人生に起こる第2のターニングポイントはいつのことですか?」

松下「2014年の24歳の頃に『タンブリング』という、男子新体操がテーマの舞台で主演を務めさせていただいた時です」

川田「この時は何が起こったんですか?」

松下「新体操を初めてやるので半年前から新体操の稽古をやっていたんですけど、本番の中でバック転をやらないといけなかったんですよ。
バック転をずっと練習してて、できるようになったり、できなくなったりとか……バック転はスランプが来るものらしいんですよ」

川田「そうなんですか」

松下「一回でも変なバック転をしちゃうと、恐怖心でちょっと曲がったバック転になってしまったり。完璧にバック転ができるようになるまでに、スランプが4〜5回くるらしいんですよ。それで、稽古の期間中にできるようになったんですけど、主演というのもあって、ほとんど出ずっぱりな感じで」

川田「うんうん」

松下「お芝居の後半で、最後新体操の演技をするんですよ。一番の見せ場というか…体力的にも、精神的にも、疲れてた時期で。本番でスランプになっちゃったんですよね」

川田「わ〜……」

松下「本番は止まるわけにいかないから、周りに支えてもらいながらですけど、一幕が終わって幕が閉まったステージ上で休憩時間でやって。休憩ほぼできないまま…」

川田「そこは練習しないと怖いということですか」

松下「絶対にできないですから、でも、そこでも微妙なんですよ。不安になりながら二幕が始まっていくんですよ。
本当にあの時辛くて、最終的にギリ乗り切れなくて終わったんですよね。でも、周りの共演者もスタッフも支えてくれて。面白いくらい、いい大人たちが集まって打ち上げで全員泣いてて。
”こんな経験、大人になったらなかなかできないな”と思いましたね」

川田「これを乗り越えて、自分の中で変化はありましたか?」

松下「そこに来るまで大きな挫折感みたいなのが無かったんですけど、初めて”負けたな”と思ったんですよ。
いつも、なんだかんだ乗り越えてきたものが、乗り切れないまま終わっていったと思って。
終わってみて、周りを振り返ってみると”すごい、いろんな人が支えてくれてたんやな”っていうので、人の温かみを感じられた舞台でしたね」

川田「そこでチームの大切さ、団結力が身にしみて分かったんですね」

松下「支え方って、いろんな支え方があるんやなと思いました。支え方って絶妙じゃないですか?
やられすぎても、その人も気を使うし嫌だろうから。気を使わせないように何かをやるとか、たぶん、いろんな人がいろんなことを考えてやっててくれてたと思うんですよ。それがありがたかったし、それでいろんなことに気づけたなと思いました」

●ニューアルバム『Xross Mate』


川田「第2の人生のターニングポイントを経て、2015年、ボーカル&ダンスグループ・X4・を結成されました」

松下「僕がリーダーをやらせてもらって、KODAI、T-MAX、SHOTA、JUKIYAの4人がいます」

川田「みなさん性格もバラバラだと思いますけど?」

松下「面白いくらい、見た目もキャラクターも全然違いますね(笑)。KODAIとかは超ツッコミタイプだし、T-MAXは天然なんですよ。
SHOTA、JUKIYAはかわいい感じの子ですね」

川田「その中で優也さんは、お兄さん役というか…」

松下「お兄さん役にならざるをえないという感じですかね(笑)」

川田「先月には2枚目のフルアルバム『Xross Mate』をリリースされました。作詞作曲もされていますし、どういう思いを込めたアルバムですか?」

松下「朝ドラだったり、今ここで喋らせてもらってることだったり。いろんなところにX-4を知ってもらえるチャンスが広がっていて。
そこでX-4とすれ違う人たち、X-4ができたからこそ出会えた、そういう人たちが増えていけばいいなと思って。そして、X-4のところに来てくれたらいいなと思って、『Xross Mate』というタイトルにしました」



>>来週は、マキタスポーツさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.04.16

「”俺が本気出せば、全員3日で抜かせる”と思ってましたから(笑)」:シンガー・俳優 松下優也
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、シンガー・俳優として活躍中の松下優也さんです。

先月まで放送されていたNHKの朝ドラ『べっぴんさん』の岩佐栄輔役を好演してブレイク中!
栄輔さんが一時期出演されない間は”栄輔ロス”になった人もいたとか。

松下さんは、シンガーとして2008年にデビュー。
現在は、ボーカル&ダンスグループ・X4の中心メンバーとしても活躍中。

俳優、そしてアーティストとしての松下優也さんの人生のターニングポイントについて伺いました。


●歌うことが好き


川田「音楽に興味を持ち始めたのはいつぐらいからですか?」

松下「おじいちゃんとおばあちゃんが趣味で演歌をやっていて。それで、小さい頃から付いて行って歌うのが好きでした。
小学校6年生くらいの時に、紅白だったりでw-inds.さんやDA PUMPさんを見て『歌って踊る人ら、かっこいい!』みたいな。
当時は歌うのが好きだっただけなんですけど、”自分もそっち側になりたい”と思ったのがきっかけですね」

川田「周りから『歌が上手いね』と、褒められたりとかもあったんですか?」

松下「それこそ、おじいちゃんおばあちゃんに連れてってもらって、おじいちゃん、おばあちゃんの中で歌う、みたいなこともやっていたし」

川田「学校の中でも目立つ存在でしたか?」

松下「目立ちたかった存在ですかね…たぶん目立ってたと思います、派手な服も着てたし(笑)。
すごく目立ちたがりだったんですよ」

川田「みんなの憧れの存在だったと思いますが、そこから第1のターニングポイントはいつのことですか?」

松下「2005年、15歳。初めての海外でニューヨークへ行った時です」

川田「この時、何があったんですか?」

松下15歳の頃から”歌手になる”と思っていたので。
自分的には学業は必要ないと思っていて、でも、親も音楽のことを応援してくれながらも高校には進学してほしいという思いもあって。
僕も15歳なりに悩んでた時期で。その時に自分の好きなものがブラックミュージックなので、本場を見てみたいなと思って”行きたい”とお願いしました」

川田1人で行かれたんですか?」

松下「そうですね。言葉もほぼ分からなかったですね。感覚的には、全員外国人というところに衝撃がありました。
ゴスペルを見に行ったり、ダンスレッスンをスタジオに受けに行ったりとか色々してましたね」


●固い意志



川田「ニューヨークへ行ったことをターニングポイントに挙げた理由は、どういう理由が大きいですか?」

松下「高校進学のことで悩んでいた時期だったので、ニューヨークに行って自分の好きなものの本場に触れることで、改めて”歌手になりたい”と思えて帰って来れたので。そこで行ってなかったら、どういう人生だったかはまた分からないので」

川田「反対する人はいましたか?」

松下「自分が決めた後はそんなに反対されてなかったですね。親もたぶん疲れたんじゃないですか(笑)」

川田「これだけ意志が強いと反対しても仕方ないという感じなんですかね」

松下「昔から、人に言われたことはやらないけど、自分で決めたことはやるっていう子だったみたいなので。
親もそれを感じとったのか諦めてくれましたけどね(笑)」

川田「本場を見ることで逆に不安になったりはしませんでしたか?」

松下「不安にはならなかったです。その当時は何でもできると思っていたので。全員のことを、”俺が本気出せば3日で抜かせる”と思ってましたから(笑)」

川田「すごいですね(笑)」

松下「そういう子供で良かったなと思いますけど。根拠のない自信みたいなものが、今に繋がってきてるのかなっていうのもありますから。
今は根拠がないとダメだと思いますけどね」





>>来週も引き続き、松下優也さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.04.09

「”かわいいな、愛しいな”と思う女性が、周りにいっぱいいるんですよね」:シンガーソングライター・大塚愛
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、シンガーソングライターの大塚愛さんをお迎えしました。

大塚愛さんの第1の人生のターニングポイントは、2005年、23歳の頃。
「さくらんぼ」のヒットで、周りが思い描く自分のイメージと本来の自分が離れてしまって、悲しくなってしまったとき。
この出来事をきっかけにして、『羽ありたまご』という曲ができて、次への一歩を踏み出すことができたということです。

今週は、そんな大塚愛さんの人生に起こる第2のターニングポイントについて伺いました。


●生きてて良かった


川田「大塚愛さんの人生に起こる第2のターニングポイントはいつのことですか?」

大塚「2011年の出産ですね。あの経験はなかなか匹敵するものがなくて、私も生まれた感覚でした」

川田「ご自身も、もう一回生まれた感覚ですか…そういう経験をすると曲作りに変化は生まれましたか?」

大塚「作る上では変わらないんですけど、最初の数年はすべて赤ちゃんに合わせての動きで、”自分の時間ってなに?”みたいな感じだったので」

川田「生まれてから数ヶ月、曲作りという時間は作れなかったですか?」

大塚「”自分がやりたい”とか、”自分がいま何を望んでるのか?”とか、一切できないので。自分という生き方がまったくない期間ですよね、見てくれもどうでもいい感じで(笑)。
あったかいご飯も食べられないし、洋服も授乳しやすい服しか着れないし、”自由ってなに?”みたいな(笑)」

川田「そこから生まれた曲っていうのはあるんですか?」

大塚「自分が初めて”生きてて良かった”というか、生きることへの喜びを彼女が教えてくれたということが曲になったのがあって」

川田「その曲は何という曲ですか?」

大塚「『Re:NAME』という曲ですね」

●一人の女として


川田「『Re:NAME』は、妊娠しているときの気持ちが歌われているんですか?」

大塚「すべてですね。”こんなに空は綺麗で、こんなに花は綺麗だったんだ”って。すべて、彼女がもう一度私を赤ちゃんに戻して、子供のときに純粋に思っていた感覚を教えてくれてるというか。
どこかでひねくれて、”もっと世の中汚いんだ”と思ってきたことが、彼女が教えてくれたことでひっくり返って。
”いい事はたくさんある、いい人はたくさんいる”みたいな、私がいい人になっちゃったんですね(笑)」

川田「こういった経験を経て、新たに曲作りも変化してると思うんですけど大きく変わりましたか?」

大塚「基本、やり方は変わらなくて、時間が無いということだけなんですけど。
最初のうちは子供に合わせての時間の中で、自分にあまり興味を持てないというか。彼女が自分自身のことをできるようになって、対等に喋れたりとかなった時に、ようやく自分に興味をもう一度見出せたんです」

川田「はい」

大塚「自分が何が好きで、何が似合って、ちゃんと鏡を見る時間ができるというか…」

川田「また、本来の大塚さんの部分にも戻れたということですね。
今月の12日は、8枚目となるアルバム『LOVE HONEY』をリリースされます。女性っていろんな顔を持っていますけど、そういう部分が詰まっているアルバムだなと思いました」

大塚「女性って興味深い、面白い、奥が深いなと思って。
洋服もいろいろあって、どんな女性にも変身できるっていうのが女の子の楽しみで、”私には色々な顔が、まだまだある”っていう、女性だから楽しめる…メイクの嘘についても、”どんどん私はまだ嘘がつける”とか、楽しめることが多くて。女性だから楽しんでいける人生を充実させたい」

川田「大塚さんが今までの人生を振り返って、そういう風に楽しまれて来たからできたんですか?」

大塚「女性と関わることが…子供を産んでからもママ友だったり、いろんな女性と喋ることで、娘も1人の女性として”みんな面白いな〜”って。そして、”かわいいな、愛しいな”と思う女性が、周りにいっぱいいるんですよね」



>>来週は、松下優也さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.04.02

「ボロボロ泣きながら作った曲が『羽ありたまご』という曲なんです」:シンガーソングライター・大塚愛
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、今月12日に8枚目のアルバム『LOVE HONEY』をリリースする、大塚愛さんです。

2003年『桃ノ花ビラ』でデビューされて、セカンドシングル『さくらんぼ』が大ヒット。
その後も”女性のための、女性による、女性の歌を創って14年”。

そんな大塚愛さんの、人生のターニングポイントについて伺いました。


●思わぬ方向へ


川田「大塚さんがデビューに至ったのが、20歳、21歳くらいの頃ですよね」

大塚「ちょうど『さくらんぼ』っていう曲は、発売した時に何も引っかからなくて上手くいってなかったんですね。
この曲にかけてた部分というか…起爆剤になると思っていたので。それがダメだったから、リリースしたのが12月だったので”これは実家に帰るコースかな”って思ってへこんだお正月でした」

川田「あの曲って、出してすぐに分かりやすくヒットしたというものではなかったんですね」

大塚「全然ですね。その後タイアップが決まって、徐々に街中でかかり始めてきた、というところからだと思います」

川田「そんな大塚愛さんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

大塚「2005年、とてつもなく悲しくなってしまったんです。私はもともと、バラエティに富んだ楽曲の幅広さが持ち味だと思っていたんですね。
『桃ノ花ビラ』の雰囲気から『さくらんぼ』があまりに違うというところで面白いのかな?って。
そこから、また違うという感じで…」

川田「なるほど」

大塚「”本当は1人じゃないんじゃないか?”とか、”本当は本人が作ってないんじゃないか?”とか、都市伝説になりそうな変な人になろうと思いながらやったところ…『さくらんぼ』のヒットによって、”そういう感じの人だ”っていうイメージが付いちゃったんですね」

川田「はい」

大塚「目的である、いろんなことをやって”どれが本当か分からない”っていう感じが、まったく通じなくなってしまって。思っていたのと違うみたいな」

川田「当時、これだけ可愛い人が、可愛く歌って売れる時代なんだなと、周りの人は思っていた人が多かったかもしれないですね」

大塚「私が言うと変な感じですけど。可愛くない女が、可愛らしい曲を歌っているのがギャグだなと思ってたんですよ(笑)。
思いもよらぬ方向に進んでしまったビックリと、デビューする前に私の別の曲を”いいね”って言ってくれた人がいて。
『さくらんぼは出すのやめたほうがいいよ、勘違いされちゃうよ』って言われていたんですね」

川田「まさに、その人の言う通りになってしまったんですね」

大塚「私は生活費がしんどかったので、”早く何とかして世に出たい!”みたいなのがあって。
世に出れたのはいいけど、言われてた通りになってしまったりとか、思い通りにいかなくなってしまったりとか…そういうのが積み重なるけど、そこからリリースもバンバン出して、仕事も毎日あってっていう、寝る時間がなくなってくるところでバランスが自分の中で取れなくなってきてしまったんです」

川田「そうだったんですね」

大塚「いつも笑ってる人でもないし明るい人でもないのに、道で『大塚さん』って言われた時に、笑って手を振らないといけない意味がわからないという、自分の中で整理がつかなかったんですね」

●本当の自分は…


川田「大塚さんは、そこからどうやって抜け出したんですか?」

大塚「当時悲しくて、毎日顔がむくんでました(笑)。アルバムを作るという時期になってて、作る気力が湧かなくて、”どうせ明るい曲を作らないといけないんだろう”と、思えば思うほど胡散臭いっていうか、”別に明るくないし”って思っちゃって。
その頃ふざける曲を作れなくなっちゃったんですね。辛くて、ピアノを弾くだけで涙がボロボロ出てくるんです。曲が作れないみたいな」

川田「世間のイメージからしたら、人気大ヒット歌手っていうイメージと、自分の気持ちと、また離れていっちゃうんですね」

大塚「そうですね」

川田「その時はアドバイスを求められる人もいたんですか?」

大塚「いなくて…どうしていいかも分からなくて。『とにかく笑って、手を振りなさい』と言われたり、それもまた辛くて。
どんどん嘘をついてる感じがして、呼吸ができてないくらい本当に忙しかったですね」

川田「そこを経て、どういう風に次に行こうと思えたんですか?」

大塚「当時のアレンジャーが、”なんで、明るい曲作んなきゃいけないの?”って言って、”そんなの、どうでもいいわ”みたいな(笑)」

川田「そう言ってくれる人がいたんですね」

大塚「その方は偉い立場じゃないんですけど、”別にいいじゃん、無視しろ”みたいな(笑)。
アーティストなんだから、その時思ったものを出せばいいだけじゃんということで、別に暗い曲でいいじゃんって」

川田「そうだったんですね」

大塚「ボロボロ泣きながら即興で作った曲があって、それが『羽ありたまご』という曲なんです。
この曲が、私の悲しみを全部引き受けてくれたからひとつ整理がつけられましたね」



>>来週も引き続き、大塚愛さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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