Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2017.07.31

再放送のお知らせ
<FM香川>
7/29(土)12:00〜12:25 ⇒ 8/5(土)11:30〜11:55 に再放送致します。
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2017.07.30

「やっぱり、最初に自分たちがイメージした音に一番近いかな」:LOVE PSYCHEDELICO KUMI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、先週に引き続き、4年ぶりのオリジナルアルバム『LOVE YOUR LOVE』をリリースされた
LOVE PSYCHEDELICOのKUMIさんをお迎えしました。

KUMIさんの第1の人生のターニングポイントは1995年 19歳の頃。
大学の音楽サークルでNAOKIさんに出会った時でした。

この出会いをきっかけにバンドを結成し、その後、LOVE PSYCHEDELICOとなってメジャーデビューを果たしました。
今日は、そんなKUMIさんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●理想のサウンド


川田「KUMIさんの人生に起こる、第2のターニングポイントはいつのことですか?」

KUMI「2005年に、自分たちのプライベートスタジオ『Golden Grapefruit Recording Studio』を作った時です。それまで3枚アルバムを作って、自分たちが表現したい楽曲だったり、サウンドはその時の私達なりに一度完成してて。またまっさらになって新しいことに挑戦したくて」

川田「はい」

KUMI「それまでの自分たちのスタイルも、好みのサウンドとかも全部捨てて。音の粒に純粋に向き合おうと機材もいろいろ買って。
この頃、U2のサウンドとか、曲以前に音の強さっていうか…作品を作る時にこういう音のイメージを持っていたんですね」

川田「自分たちで一から全部作っていかなければいけない…この大変さっていうのは予想してた以上ですか?」

KUMI「予想以上でしたね(笑)」

川田「どういうことから始めていくんですか?」

KUMI「機材も自分たちだけで触るのも初めてだから、機材の使い方、音の作り方、スタジオの特性もわからないから全部手探りというか」

川田「周りのサポートっていうのは大事でしたか?」

KUMI「2人っきりでしたね」

川田「それって、お互いの感性を信頼し合ってないとできないことですよね」

KUMI「そうですね、感性だけが頼りですね。見様見真似で」

川田「これをターニングポイントに挙げたのはどういう変化があったからですか?」

KUMI「今回のアルバムで4作目になるのかな?ずっとここのスタジオで作るようになって。
最初にイメージした音を作れるようになってきたというのはあるし、自分の生活も、いつでも音を出せる場所があるっていうので変わりましたね。楽器によく触るようになったし」

川田「延々、いつまでもいていいわけだし、いつ行ってもいいし。長くいちゃう時はどれくらいいることがあるんですか?」

KUMI「最初の頃は、2日、3日帰らないとかありましたよ(笑)。電池が切れるその瞬間までやっちゃうっていう(笑)」

川田「逆にデメリットはなかったですか?」

KUMI「デメリット…なかなか片付かないし、掃除が大変ですけどね(笑)」

●ニューアルバム『LOVE YOUR LOVE』


川田「ニューアルバム『LOVE YOUR LOVE』は、プライベートスタジオで録って、ミキシングまでお2人で行っているんですよね?」

KUMI「今回、ミックスまで自分たち2人でやるというのは初めての試みでした」

川田「すべて自分たちでやってみていかがでしたか?」

KUMI「やって良かったと思いますね。生々しいし、プロのエンジニアさんがやってるテクニカル的なことまでは自分たちはわからないから。
感覚でやってるところがあって」

川田「なるほど」

KUMI「音とかもっとボコボコするかなとか、自分たちが生々しかったりするんだけど。
でもやっぱり、最初に自分たちがイメージした音に一番近いかな」

川田「お2人が大切にされている、音そのものの部分というところに関しても、今回こだわることができたものになるんですね」

KUMI「そうですね。思いついたところから完成まで、真っ直ぐにきたというか、そういう感じかな」

川田「上戸綾さん主演映画『昼顔』の主題歌、『Place Of Love』も収録されていますが、どういう思いを込めて作られましたか?」

KUMI「監督さんが何を伝えようとしているか、作品で何を伝えようとしているか、そこを私達なりに考えて」

川田「ただ禁断の愛を描くだけじゃないというような、深い部分が相当あったと思うんですけど。そこは難しいところではありましたか?」

KUMI「様々な愛の形が描かれていて、形を超えたところにある愛の真実というか…いろいろな形の愛だったり、愛の不穏さだったり、不安定さだったりを通して。
逆に愛の真実というか、それを考えてもらったり、感じてもらえたらいいんじゃないかなと監督さんは思ってるんじゃないかと思って。そういうことを自分たちも考えながら書きましたね」

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>>来週は、上白石萌音さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.07.23

「楽曲の核はなんだろうって一緒に探していく感じですね」:LOVE PSYCHEDELICO KUMI
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、7月5日に4年ぶりのオリジナルアルバム『LOVE YOUR LOVE』をリリースされた、LOVE PSYCHEDELICOのKUMIさんです。

今週と来週は、今年結成20周年となる、LOVE PSYCHEDELICOのKUMIさんに人生のターニングポイントに迫ります。


●NAOKIさんとの出会い


川田「まず、結成以前のKUMIさんのお話から伺っていきたいと思います。KUMIさんは音楽大好き!っていうのが伝わって来るんですけど、それは小さいころからなんですか?」

KUMI「歌うのは好きでしたね。母親が家とか車の中で鼻歌を歌う人だったので、それに合わせて一緒に歌っていました」

川田「その頃から、”私、上手いな!”って感じるところはありました?」

KUMI「いやいや(笑)。全くないですね」

川田「周りから褒められたりってこともなかったですか?」

KUMI「特にないですね」

川田「じゃあ、ただただ歌を歌うことを楽しんでいたんですね。KUMIさんが音楽に興味を持って、それをずっと続けていきたいなって思ったきっかけみたいなのはあるんですか?」

KUMI「中学生になって、バンドを組みたいなって思いましたね。でも、ちょうどその頃、ひと世代前にバンドブームが去ってしまって、バンドをやっている友達がいなかったんです。
高校になっても出来なくて、大学に入ってようやく始められた感じですね」

川田「やりたい気持ちがあるのに叶えられない、悶々とした学生生活になってしまっていたんですね。でも、音楽をやりたいという気持ちがずっとあったからこそ、きっと今に繋がっているんだと思います。
では、KUMIさんの第一の人生のターニングポイントを教えてください」

KUMI1995年、19歳の頃、大学に入ってNAOKIと出会ったことですね」

川田「NAOKIさんとの出会いは大学での音楽サークルで、NAOKIさん先輩にあたるんですよね?」

KUMI「そうですね。3つ上の先輩です」

川田「NAOKIさんの最初の印象ってどんな感じですか?」

KUMI「最初は話すよりも先に、彼がギターを演奏しているところを見たんです。それまで身近に楽器を弾く人もいなかったし、NAOKIはテクニカルなギターを弾いていたから、”この人すごいなぁ”と、雲の上の存在でしたね」

川田「バンドを一緒にやろうって声を変えてもらった時は嬉しかったですか?」

KUMI「私でいいんですか!?みたいな感じでした(笑)」

川田「NAOKIさんがたくさんいるサークル仲間の中から、KUMIさんに声をかけたのはどうしてなんですかね?」

KUMI「わりと色んな人に声かけてましたけどね(笑)。彼もたくさんバンドをやっていたけれど、最後に残ったのはこの2人でやっていたものでしたね」

川田「当時はどういう曲を演奏されていたんですか?」

KUMI「しばらくしたらオリジナルもやり始めたんですけど、当時はカバーが中心で、ビートルズや、ボブ・ディラン、ツェッペリン、ストーンズなど60・70年代のロックをやっていましたね」

川田「曲を作るようになったのはいつからなんですか?」

KUMI「NAOKIは、出会ったことから違うバンドだったり、自分のために曲も書き始めていたので、バンドを組んで1〜2年したら一緒に作ってましたね」

川田「やっぱり自分たちで作るとカバーとは違う楽しさがあると思いますけど、いかがでしたか?」

KUMI「最初は楽しいとも違いましたね。こういう曲を作ろうってイメージしても、出来上がったものがイマイチ違って。その繰り返しでしたね。
最初の頃は録音するっていうよりもライブを中心にやっていたので、ライブしながら色々と変化していって、曲の良し悪しというよりも、ライブでどう盛り上がるか、っていう風にして作っていましたね」

●曲のイメージを共に探っていく


川田「NAOKIさんとの出会いを経て、2000年に『LADY MADONNA〜憂鬱なるスパイダー〜』でメジャーデビューとなったわけですけど、大学生活って華やかで、しかも青学だととても楽しそうなイメージがあるんですけど…」

KUMI「女子大生という響きとはほど遠かったですね。音楽には夢中になっていたけれど、それ以外の社会生活は、あまりまともじゃなかったです(笑)」

川田「当時の見た目ってどんな感じだったんですか?」

KUMI「ちょうど90年代だったので、音楽的にもファッション的にも70年代のブームがあったりして、高い靴を履いて、ベルボトムで、古着のシャツを着て…という感じでした」

川田「でも、イメージ通りですごくおしゃれです!じゃあ、合コンとかに明け暮れる…みたいな感じの女子大生ではなかったんですね」

KUMI「全く違いましたね(笑)」

川田「そして、デビューされた2000年。デビューのきっかけはなんだったんですか?」

KUMI「私たちのバンドを気に入ってくれたライブハウスの店長さんがいて、定期的にそこで演奏していたんですけど、バンドが解散してしまった時にライブが出来なくなって。
それで初めてNAOKIと2人で録音機材を買い込んで、いわゆる宅録ですね。作品作りを始めたんです。
バンドメンバーがいないので、とりあえず作品にして、次に会うメンバーに”こういうことをやりたいんだけど”って渡せるように形にしようと思ったんです。そしたら、ライブハウスの店長さんがライブをしていないことを気にしてくれて、『今、デモテープ作っているんです』って話をしたら『聴かせてよ!』って言ってくれて。
何ヶ月かしてデモテープを店長さんに渡したら、それが今のビクターのディレクターに渡って、面白いからお会いしましょうって話になったんです」

川田「へぇ〜!じゃあ最初はメンバーを募集するために作ったようなデモテープだったんですね。
歌詞に英語と日本語が織り混ざっているというのが新しい、というのが印象に残っているんですけど、それはNAOKIさんと組んだ時からそうだったんですか?」

KUMI「最初にバンドでやっていた時は英語詞でしたね。それを作品にしようってなった時にもう一度歌詞も考えて、一番最初に作った曲が『LADY MADONNA』だったんです。
その時から日本語と英語のミックスをしていました。今でも歌詞は2人で書くんですけど、2人で書いているうちにそうなったって感じですね」

川田「2人で書くってすごく難しくないですか?」

KUMI「私たちの書く歌詞って日記とか、そういうのとも違って、サウンドからくるイメージだったり、楽曲が何を言おうとしているんだろうっていうのを掘り当てていく感じなので、その感性が2人は近いから、共同に掘っていけたんだと思います。
1人の心象風景を描くっていうよりも、そこにある楽曲の核はなんだろうって一緒に探していく感じですね」

川田「曲の声を聴くっていう感じなんですね」

KUMI「まさにそうですね」

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>>来週も引き続き、LOVE PSYCHEDELICO KUMIさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.07.16

「その街に住んでる人たちの目線で書いたんですよ」:GLAY JIRO
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、ニューアルバム『SUMMERDELICS』をリリースされたばかりの
GLAYのTERUさん、JIROさんをお迎えしました。

先週はTERUさんに、1999年開催のGLAY EXPO20万人ライブがターニングポイントになっているというお話を伺いました。
このライブを成功させたことが、自分たちの自信に繋がったということです。

今週は、JIROさんのターニングポイントについて伺いました。


●巨大化していったバンド


川田「今日はJIROさんのターニングポイントについて伺っていきたいと思います」

JIRO「いくつかあったんですけど、古いところで言うと2000年の春くらいですかね。
このバンドが巨大化しすぎて、マインドがついていかなくて、”もうダメだ!”みたいな時がありましたね。1999年の幕張がとてつもなく大きかったので」

川田「20万人ライブですからね」

JIRO「終わった直後は強がっていたんですけど、”次の夢ってなんだろうな?”って、わけ分からなくなっちゃって。
『一旦休みたいな』みたいな感じで、テレビゲームで言うとリセットボタンを押したいみたいな、それぐらいたくさんのプレッシャーがあったので」

川田「長期のアリーナツアー、『"HEAVY GAUGE"ツアー』これは私も大阪で行ってるんですけど。
ファンの中では”いつものGLAYじゃない気がする”という、ざわざわしたのを覚えてますね」

JIRO「前年までがメディアに多く露出してたので、”ライブバンドなんだから、ライブをたくさんしたい”と提案したのが僕だったんですよ」

川田「そうだったんですね」

JIRO「ライブをやり始めたらあまりにも多過ぎて、”最後までもつのかな?”っていう気持ちもあったし」

川田「同じ場所で4日とか5日、すごく長かったですよね」

JIRO「この頃は本当のファンの人たちが誰なのか分からなかったっていう、それぐらい巨大化していってたので。
自分がライブに対して一番熱を持って大事にしてやっていたのに、そこに対して100%の力で臨んでないなと思った時に混乱したんですよね」

川田「それはTERUさんからご覧になっても分かりましたか?」

TERU「一目瞭然でしたね、笑顔すらないっていう…アンコールって、来てくれた人たちに対して”ありがとう”という気持ちで出るんだけど、アンコールに出たくないということで、アンコールがなくなった時もあるし。
今でも覚えてるんですけど、JIROが機材の箱の上に膝を抱えて固まって座っているのを覚えてて、”今日は無理だな”っていう日はアンコールやらずに終わったりとか。精神状態が良くないんだろうなっていうところで、僕らは客観的に見てたけど、TAKUROは親身になって心配していて」

JIRO「”無理です!”みたいになったときに、TAKUROがホテルの俺の部屋の下に手紙を入れてくれて。
ツアーの前半だったんですけど、『この後のツアー飛ばしてもいいよ。こんな状態で続けても精神的に良くないから、やめるならやめてもいいから言って』みたいな感じで手紙をくれて。そのときにすごい楽になったんですね」

川田「はい」

JIRO「ダメなときに頑張らなくても、他の3人がいるから、そこについていけばいいのかな?と思ったときに、なんとなく自分で晴れたというか」

川田「そこで無理して出ろと言われてたら…」

JIRO「言われてたら、ちょっとやばかったですね」

10年後の夢


川田「これからのGLAYについてなんですけど、TERUさん、大きな夢を掲げられていますよね?」

TERU「ベネチアのサンマルコ広場という、世界で一番綺麗な広場と言われている場所があって。
ここでGLAYが見たいと言われて、やってみたいなと思って。ミーティングとかで発表すると『それはちょっと…』と言われたら、自分の熱も冷めてしまうんじゃないかということもあって。これはステージの中ででかい声で言っちゃおうと思って(笑)」

川田「ステージ上で初めて言ったんですか?」

TERU「そうですね、JIROも、HISASHIも、TAKUROも知らない、ファンクラブの人たちしかいない空間だったので。
ずっとGLAYを支えてくれる人たちの集まりなので、そこで自分の夢を語ることで、行ける人も行けない人もいるだろうけど、夢だけは語らせてくれっていうね」

川田「それを聞いてJIROさんはどうでしたか?」

JIRO「こいつは天然じゃないな!って思いましたね(笑)」

川田「計算してましたね〜(笑)」

JIRO「びっくりしましたけどね、2〜3日はいろいろ考えてたんですよ。行けない人たちの不満をどうやって解消していくんだろうなとか、いろいろ思ってたし…」

川田「ちょっと待ってください、聞いて『無理だよ』とはならなかったんですか?」

JIRO「TERUが言った以上やり遂げてあげたいし、行けないファンの人たちをどうやってフォローしたらいいんだろうということを考えながら、次の曲を弾いてましたね」

川田「すごいですね、行くこと前提でメンバーは考えるんですね。10年後と去年仰ったわけですけど、普通だったら”この先10年続いてるかな?”とか考えるところですけど、今のGLAYだったらそれがないですよね」

TERU「60歳までステージに立ちたいっていう思いと、そこが見え始めてるっていうのかな?過去の10年とか、20周年の自分たちを見たときに、10年過ごした時に、20年はなかなか見えなかったんだけど。
『また東京ドームに帰ってくるね』っていう言葉を、10年後に夢を叶えたという実績があるので。これはまた30周年もあるだろうなっていうのを、自分の中で自信となっていたので」

川田「JIROさんは、どんな風にしていきたいですか?」

JIRO「全国を車で回りながらコンサートに向かいたいなっていうのがあって、みんなの住んでる街を見ながら自分で運転して行きたいなって」

川田「どうしてそう思い立ったんですか?」

JIRO「『lifetime』っていう歌詞を書いたときもそうなんですけど、あれは、僕らがなかなか行けない街に住んでるGLAYファンの人たちが、次に来る約束はすぐにできないけど、必ず行くから、この曲を聴いて待っててねっていう曲なんですけど。
その街に住んでる人たちの目線で書いたんですよ。なので、もっとみんなの生活を知りたいというか」

川田「なるほど、これはTERUさんは聞いてましたか?」

TERU「初めて聞いて、可愛い夢だなと思って(笑)」

川田「一緒にされますか?」

TERU「じゃあ、俺が代わる代わる運転しますよ(笑)」

JIRO「やだよ、気持ち悪い(笑)」

川田「4人で代わる代わる運転して(笑)」

JIRO「嫌ですよ、おっさん4人で(笑)」

TERU「意外とTAKUROはそういうの好きだから(笑)」


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>>来週は、LOVE PSYCHEDELICOをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2017.07.09

「あのライブが今の自分たちの何でも乗り越えられる力になっているっていうのはありますね」:GLAY TERU
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、来週水曜日、7月12日に2年半ぶり、待望のニューアルバム
『SUMMERDELICS』をリリースされるGLAYから、ボーカルのTERUさん、ベースのJIROさんです。

GLAYのはじまりは1987年。
北海道函館市で小中の同級生だったTERUさんとTAKUROさんが中心になって結成。
その後、HISASHIさん、JIROさんも加わって、1994年、X JAPANのYOSHIKIさんプロデュースでデビューしました。

今週と来週は、20年以上にわたり、日本の音楽シーンでトップランナーとして走り続けているGLAYのターニングポイントに迫ります。


●20万人ライブを経験して得られたもの


川田「TERUさんが上京されたのが1990年頃で、そのあとにJIROさんが入られるわけですけど、そんなすんなりデビューまではいかなかったんですよね?」

TERU「そうですね。JIROが入ってくれたおかげでデビューできたと言っても過言ではないんですけど、その当時JIROが入るまでは自分たちの音楽をどう広めたらいいか分からなかったんです。
ただライブをやっていれば色んなところから声がかかってくるのかな、と思ってのんびりしていたんですけど、JIROが入って来て『カセットがあるんだったらお店に置いてもらおうよ』とか『ライブハウスにカセットを持っていけばやらせてもらえたりするし、俺、セールストークとか出来るから俺に任せてよ』って言ってくれたことによってどんどん広がっていったんです」

JIRO「今だったら信じられないけどね!」

TERU「本当だね(笑)」

JIRO「GLAYに入る直前まで会社で営業をやっていて、仕事を繋げていたので、GLAYに入った時に、作っているものは良いものを作っていたのに、それを目の前にいるファンの人たち以外に届けることをやっていなかったんです。じゃあ、それを僕がやっていいかって話をしましたね」

川田「そんなGLAYの皆さんにとってのターニングポイントをお聞きしたいのですが、まず、TERUさんが思うターニングポイントはいつですか?」

TERU1999年のGLAY EXPOですね」

川田「幕張メッセで行われ、20万人の観客を動員した伝説のライブイベントですよね!」

TERU「この時代はすごくワクワクしていた時代で、GLAY EXPOが終わった後に『HEAVY GAUGE』っていうアルバムをレコーディングしていたんだけど、TAKUROは虚無感があったっていう話をしていて。でも、僕は楽しく生活をしてた感じがありますね」

川田「97年に『口唇』、『HOWEVER』で、98年に『誘惑』、『SOUL LOVE』とヒットがずっと続いて忙しくされていて、20万人ライブと言ったら、当時の史上最大ライブでしたよね。この時のステージってどんな感じでしたか?」

TERU「何がなんだか分からなかったですね」

JIRO「分からないね。俺、常に笑ってたもんなぁ。映像見ると全部笑っているんですよ!」

TERU「あと、センターステージまで100メートルくらいある長い花道があったんですけど、その下をくぐって移動するのがすごい大変だったっていう思い出もありますね」

川田「この構想っていうのはメンバーの皆さんも考えられたんですか?」

JIRO「元々、TAKUROが1969年のアメリカで行われたウッドストックというフェスからアイディアを得て、とんでもないものをやりたいっていうのから始まったんですよね」

川田「まさにとんでもないライブになりましたよね。ここをターニングポイントにあげたのはどういう理由なんですか?」

TERU「やっぱり、巨大大型コンサートっていうのをここくらいから自分たちでもどんどんやるようになっていって、EXPOって言ったら、何もないところにステージを作ってやっていかなきゃいけないイベントなんだっていうのも考えながら活動していたので、
これがないと今のGLAYはいないんじゃないか、と思えるくらいですね。そんなにデカイ夢も見てこなかっただろうし、ひょっとしたらドームとかもやっていなかったかもしれないです」

川田「確かに、不可能と思われることが実際に形になってできましたもんね」

TERU「”じゃあ、なんでも出来るんじゃないか?”みたいな感じで色んな活動をやっていったので、それが今の自分たちの何でも乗り越えられる力になっているっていうのはありますね」

●ニューアルバム『SUMMERDELICS』


川田「ニューアルバム『SUMMERDELICS』。私も聴かせていただいたんですけど、まず最初は『シン・ゾンビ』でビックリさせられ、”これ、GLAYの曲なのかな?”って思ったら、TERUさんやTAKUROさんの作るメロディアスで壮大な世界観を感じる曲もあって、
最後にはJIROさんの『lifetime』で温かく送りだされる…。男性で言うと引っ掛かっちゃいけない悪い男みたいな感じがするんですよ!」

TERU「ここに悪い男がいますよ〜(笑)」

JIRO「俺のせいじゃないよ!(笑)」

川田「すごいアルバムだなと思いました。このアルバム、どのように感じてらっしゃいますか?」

TERU19年ぶりに夏にリリースされるアルバムということで、気楽に聴いて欲しいなっていう気持ちがあります。夏のドライブやどこかに出かける時に聴きながら出かけて欲しいですね。

川田「お互いの曲で好きなところってどういうところですか?」

TERU「俺、JIROの書く詩がすごく好きで、すごくストレートだし、シンプルだし。だからこそ響くっていうのがあるので、今回『lifetime』でJIROが作詞しているのもすごく新鮮で、良い詩を書くなぁっていうのはありますね」

川田「逆に、JIROさんはTERUさんの曲のどういうところがおすきですか?」

JIRO「特に最近だとGLAYファンの人たちが”こんなGLAY待ってました!”みたいな曲を書くなぁと思いますね」

川田「ファンの人を安心させてくれるような…」

JIRO「そうですね」

TERU「THE 安心感ですから…!」

川田「そうでしたっけ?(笑) でも、本当にバラエティに富んだアルバムですし、私はHISASHIさんが作られた『デストピア』の2番のAメロでJIROさんが弾くベースがカッコ良くて、あそこを聴いて欲しいな、と思いますね!」

TERU「そこに触れた人、誰もいないですよ! すごいです(笑)」

JIRO「ベースマガジンは褒めてくれたなぁ〜(笑)」

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>>来週も引き続き、GLAYのボーカル・TERUさん、ベース・JIROさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.07.02

「これがお客さんに伝わってくれるはずだと、念じながら作っていました」:米林宏昌監督
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、この夏、大注目の長編アニメーション映画
『メアリと魔女の花』を手がけられた米林宏昌監督をお迎えしました。

米林監督の第1の人生のターニングポイントは、1995年、22歳の夏。
スタジオジブリの長編映画『耳をすませば』を観た時でした。
この作品がきっかけとなってアニメーション業界に入ることを決意し
スタジオジブリの入社試験を受けたということでした。

今週は、そんな米林監督の人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺いました。


●青天の霹靂


川田「米林宏昌監督の、第2の人生のターニングポイントを教えていただきたいのですがいつのことですか?」

米林「2008年、35歳の時に宮崎監督の事務所に呼び出されるんですよね。
そこで言われたのが、”長編映画の演出をやってみないか?”と言われた時ですね」

川田「この作品というのは?」

米林「『借りぐらしのアリエッティ』という作品なんですけど」

川田「ご自身では予想されていなかったことなんですか?」

米林「まったく予想していなかった展開なのでビックリしましたね。
その時は宮崎監督と、鈴木プロデューサーと、星野社長の3人が自分の前に並んでいて、”どうしたら断れるだろう?”と思って」

川田「断ろうと思っていたんですか(笑)」

米林「これは難しい問題だと思って、なんとか断れないかと頭を巡らせたんですけど(笑)」

川田「それはどうして断ろうと思ったんですか?」

米林「無理だろうと思って。作業量というか、原画としてアニメーションに関わるとなると、多くても100カットくらいで」

川田1人の担当がということですね」

米林「映画となると、アリエッティで1000カット、メアリで1280カット、それだけのものを見なくちゃいけない。
それは物量的にも無理だろうなと思ったので、なんとか断ろうと思って」

川田「ご自身では、いずれやりたいというのは?」

米林「まったくなかったですね(笑)」

川田「本当に青天の霹靂と言いますか、ご自身でも驚かれたんですね。
そこから引き受けるわけですが、それはどうしてですか?」

米林「”僕には心情とか、やりたい主張がないので無理です”と断ったんですけど。
”そういうのは原作の本の中にあるから大丈夫だ”と言われて。
原作を読んでみろと言われて、作品は面白いですし”どういう風にしたらできるかな?”と、やってみないことをやるっていうのも面白いだろうなと思ったし。
頼まれて仕事するのも、ダメだったら半分は頼んだ方の責任もあるだろうと思って(笑)」

川田「なるほど(笑)」

米林「それで、とりあえず進めようと思って」

川田「米林さんを指名された理由は監督から聞かれましたか?」

米林「分からないですけど、その前の年に『崖の上のポニョ』という作品をやっていまして、これが自分に合ってた作品みたいで」

川田「宮崎さんからも褒められた作品ですよね」

米林「伸び伸びやったのが、宮崎さんから鈴木さんのもとにいってたんでしょうね。
それで、鈴木プロデューサーが次の作品を何やろうかという時に、ふっと頭の中に出てきたと聞いています(笑)」

●子供に見てもらいたい作品


川田「米林監督の最新作、映画『メアリと魔女の花』いよいよ公開となりますが、いかがですか?」

米林「今回、作るのに苦労した作品ですので、どういう風に見ていただけるのか楽しみですね。
原作が『小さな魔法のほうき』というイギリスの児童文学なんですけど、西村プロデューサーが『魔女でいきましょう』と持ってきたんですよ」

川田「はい」

米林「魔女だと、スタジオジブリの『魔女の宅急便』と比べられるから嫌だと思ったんですけど。
『魔女の宅急便』は最初から魔女なんですよね。この『メアリと魔女の花』という作品は、普通の女の子が、ある日偶然魔女の力を得て、ここぞというときに魔女の力を失ってしまう…人間になったメアリがどういう風に動けるかという、まったく違う感じだったんですね」

川田「そうですね」

米林「今だからこそ伝えることができる、新しい魔女の映画ができるんじゃないかと思って臨みました」

川田「今回、浮き出してくるような迫力と言いますか、本当にドキドキワクワクさせてくれるファンタジーというのを感じました」

米林「最初に西村プロデューサーと話したときに、『思い出のマーニー』が心の中のお話だったので、あまり動かすことができなかったというのがあったので。次やるんだったら動的に『崖の上のポニョ』でやったような、そういう作品をやりたいと言っていたので」

川田「そうなんですね」

米林「動かす作品となると、枚数もかかって本当に大変だったんですけど。
これがお客さんに伝わってくれるはずだと、念じながら作っていました」

川田「観たお子さんが”楽しいな”と思える部分って、水の表現、動物がたくさん出てくる、そこも喜んでもらえるポイントですよね」

米林「僕の子供が9歳で、西村プロデューサーが11歳と4歳のお子さんがいて『自分たちの子供に見てもらえる作品っていうのは、今回だけだろう』と、だったら、子供達に見てもらえるものを作りたいと。
ジブリの映画を作ると、一番前に小さいお子さんがいるんですね。
”僕たちは、この子たちに喜んでもらえるような作品を作れているだろうか?”ということを常に思っていて、この子たちにドキドキワクワクしてもらえる作品を作りたいというのが、スタートでした」

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>>来週は、GLAYのTERUさん、JIROさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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