Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2017.09.24

「この日の一番面白いことを思いついた奴の旗はとらないといけないと思ったんですよ」:バカリズム
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、先週に引き続き、お笑い芸人、役者、脚本家、
そしてミュージシャンとしても活躍されている、バカリズムさんをゲストにお迎えしました。

バカリズムさんの第1の人生のターニングポイントは、2006年。30歳の頃。
R-1ぐらんぷりの決勝へ進出したことです。

この決勝進出がきっかけになって、
いろいろな番組に呼んでもらえるようになったそうです。

そんなバカリズムさんに、人生の第2のターニングポイントについて伺いました。


●一発目はとにかく優勝


川田「バカリズムさんの人生に起こる、第2の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

バカリズム「『IPPONグランプリ』の優勝ですね」

川田「『IPPONグランプリ』は、フジテレビで不定期に放送される大喜利で、松本人志さんが大会チェアマンをされていますね。どうしてこれをターニングポイントに挙げたんですか?」

バカリズム「当時ネタ番組とかには出させてもらっていて、深夜番組とかもレギュラーはあったんですけど。
自分のキャラクターがいまひとつ浸透してない、大勢で芸人さんが集まるところに呼ばれて行った時にも、なんとなく”この子どういう感じの子なんだろう?”って、困る部分があったんですよ。”ネタはなんか面白いんだけどね”みたいな」

川田「はい」

バカリズム「だったら、僕はネタとかでは変わったネタを作る奴と思われていたので、”面白いことを思いつく奴だ”というキャラクターでいこうと思ったんですね。
将来的には、自分が考えたことを形にする番組がやりたいと思っていたので。そのためには、”この人の作ったものに、何かしら関わりたい”と、スタッフさんに思われる必要があるなと思って」

川田「なるほど」

バカリズム「ということは、まず自分の脳みそが評価されないとダメだと思ったんですよ。それには、一番適した大会だと思っていました」

川田「そういうことだったんですね」

バカリズム「それの権利の取り合いだと思っていた、そういうタイプの芸人さんも沢山いたし。
ここで自分より売れてる人たちに負けたら、一生負けるなと思って。一発目はとにかく優勝しかないと思ったんですよ。面白いことが思い付く、しかも、これは芸人同士の採点ですから」

川田「本当に、その場で考える瞬発能力のみですよね」

バカリズム「プロが認める、この日の一番面白いことを思いついた奴の旗はとらないといけないと思ったんですよ。
今後の自分の仕事のスタンス的には、絶対にとらないとダメだと、はっきり思ってました」

●ミュージシャンデビュー!


川田「バカリズムさんは、第1、第2のターニングポイントを経て、先月、ミュージシャンとしてメジャーデビューを果たされましたね」

バカリズム「ありがとうございます(笑)」

川田「配信限定曲『「いくらだと思う?」って聞かれると緊張する(ハタリズム)』
このアーティスト名が爛丱リズムと″という名前なんですけど。
作詞をバカリズムさん、作曲、編曲を秦基博さん。歌っているのはバカリズムさん、ギターとコーラスが秦基博さん。これはすごいユニットですけど、どういった経緯だったんですか?」

バカリズム「もともと僕は単独ライブとかで歌ネタはやってるんですよ、僕にとってはネタの一つなんですけど。
それをバズリズムのライブで毎年やらせてもらっているんですけど。そこで、秦基博さんと一緒に僕の作ったネタっぽい曲を一緒に歌っていただいたのがきっかけで。秦さんが、”僕が作ったやつを一緒にやりませんか?”という、秦さんの方からオファーを頂いて」

川田「そこ、強調しますね(笑)」

バカリズム「俺に曲を書かせてくださいと(笑)、それで『わかりました』ということでやることになったんです」

川田「じゃあ、歌うことに抵抗があったりとかはされてないんですね」

バカリズム「僕にとってはコントの演技の一つだと思っているんで。カラオケも全然行かないんですけど、お笑いのライブでやってるノリでやってる感覚です」

川田「コントの延長というよりは、本当にいい曲で、沁みる曲というか(笑)」

バカリズム「あまり言いたくないんですけど、秦さんの仮歌が一番いいですからね(笑)」

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>>来週は、森本稀哲さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.09.17

「30歳になったばかりで、仕事もゼロで、お金もないわけですよ」:バカリズム
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、バカリズムさんをゲストにお迎えしました。

バカリズムさんは、お笑い芸人だけでなくナレーション、役者、
脚本家など、活躍の場がどんどん広げています。
先日、ついにミュージシャンとしてメジャーデビューをされました。

そんなバカリズムさんに、人生のターニングポイントについて伺いました。


●あわよくば


川田「バカリズムさんは、現在テレビのレギュラーが9本、WebTVが1本、コマーシャル4本、雑誌連載1本と、これ1人でやってらっしゃるんですか、すごいですね(笑)」

バカリズム「こんなにやってるんですね、ありがとうございます(笑)」

川田「小さい頃から、いろんなことをやるのがお好きだったんですか?」

バカリズム「そうですね、絵を描いたりだとか、あまり勉強はしなかったんですよ。
得意じゃなかったので、授業中に余計なことをやったりだとかそういう子供だったと思います」

川田「けっこう中心になったり?」

バカリズム「いや、僕は子供の頃は暴れん坊というか…他のクラスの友達と喧嘩になって、Tシャツとか血だらけになって、帰って怒られたりとかしてましたね。小学校の頃は、ほぼ毎日喧嘩してましたね」

川田「みんなを笑わせる明るい存在というか、怖がられてるような存在ですかね」

バカリズム「背が小さくて、なめられるのが嫌ですぐに手を出してましたね」

川田「今は作られる作業も多いので、文学少年だったりするのかなって」

バカリズム「全然ですね、小学校1年生の時に担任の先生につけられたあだ名が”喧嘩太郎”でしたね」

川田「わかりやすいですね(笑)」

バカリズム「小学校低学年が荒れてましたね。通信簿に、『もう少し相手のことを思いやれる子供になってほしいです』って、毎年書かれてましたね」

川田「今は穏やかで優しくて、いい人のイメージですけどね。大学に行かれる時に、日本映画学校を選ばれているんですけど。
ここはウッチャンナンチャンさんや出川さん、卒業生に芸人さんも多いですけど」

バカリズム「高校時代が男子校だったんですよ、野球部で3年間女性と喋るということがほぼないまま、このまま就職したら学生時代の思い出が何も無いなと思って。もうちょっと青春っぽい思いをしたいなと思って、でも、大学に行く学力もない…そこで、専門学校を探したんですよ。

川田「はい」

バカリズム「試験も一芸入試なんですよ、これだったらいけるかもしれないと思って。
上手くいけばお笑い芸人になることもできる、甘酸っぱい学生生活も送ることができて、しかも芸人さんになればモテるかもしれないという不純な動機で。
別に、芝居、映画に興味もなかったですね。あわよくば芸人さんにはなりたかったんですけど」

●30歳のターニングポイント


川田「バカリズムさんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

バカリズム「2006年 30歳、R-1ぐらんぷりの決勝進出の時です。10年間コンビでやって、30歳になる1日前くらいにコンビの最後の仕事を終えて。
30歳になった直後は仕事ゼロの状態だったんですよ、その翌年の2月にR-1ぐらんぷりの決勝に行くことができたんですよね」

川田「コンビを解散される時に、この世界を辞めようとは考えなかったですか?」

バカリズム「まったく思わなかったですね、コンビ解散する時ってその予兆はあるんですよ。”相方、そろそろ見切りつけようとしてるな”とか、僕は早い段階で自分1人のネタを作り始めて、コンビの最後の仕事がライブだったんですけど、そのライブの折り込みチラシには僕1人の単独ライブのチラシを入れてたんです、用意周到だったんですよ(笑)」

川田「そうだったんですか」

バカリズム「もちろん相方にもその話はして、辞めたいという話をされた時に、解散という形にしちゃうと僕もゼロからやらないといけない、コンビで積み上げてきたものもあるし、僕自身は何も変わらないから、脱退という形にして『バカリズム』という母体は残すからと言って」

川田「そこも考えられて次に繋げてるんですね。こんなにすぐR-1ぐらんぷりで決勝にいけると思っていましたか?」

バカリズム「行かないとダメだなと思ってました、エントリーするからには絶対出なきゃいけないなっていうプレッシャーがあって。
コンビ解散は悲壮感が出ちゃうというか、それが嫌だったので、払拭するためには早めにコンビ以上の結果をピンで残すことだと思ったんですよ。決勝に行くことが絶対条件だと思っていました」

川田「それぐらいの覚悟を持って臨まれてたんですね」

バカリズム「決勝に行ってなかったら、まだ相当時間がかかったと思いますね」

川田「『トツギーノ』あのネタって、今見てもこれで優勝しなかったんだっていうくらい、すごい面白くて大好きなんですけど」

バカリズム「本当のこと言うと、優勝までは狙ってなかったんです。決勝に行くことが大事で上位にいけばいいと。
僕みたいなタイプは優勝者としていろんな番組に出るよりも、他の現場のスタッフさんたちに、”俺的には優勝だったんだけどね”って味方してもらえる方が、来た仕事が自分に向いてるタイプの仕事が多いっていう」

川田「その通りになりましたよね」

バカリズム「まさに、その通りになりましたね」

川田「ここをターニングポイントとして挙げるのは、どうしてなんですか?」

バカリズム「当時30歳になったばかりで、仕事もゼロで、お金もないわけですよ。
風呂なしアパートに住んでて、この生活を抜け出すか、抜け出さないかは、このR-1ぐらんぷりだなと思って。ここで決勝に行けなかったら、マイナスのイメージからピン芸人生活をスタートするなと思ったので。ここさえ決めれば、一気に払拭できるなと思ったんですよね」

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>>来週も引き続き、バカリズムさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.09.10

「あれはあれで、あの時じゃなきゃ描けなかったなって」:工藤静香さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は先週に引き続き、歌手、そして画家としても活躍されている工藤静香さんをお迎えしました。

工藤静香さんの第1の人生のターニングポイントは1984年、中学2年生の時。
雑誌の専属モデル・オーディション『ミスセブンティーン』に応募し、特別賞を受賞した時でした。

そんな工藤静香さんの人生に起こる第2の人生のターニングポイントについて伺いました。


●日常を描き綴る


川田「今日は工藤静香さんの人生に起こる第2のターニングポイントを教えてください」

工藤1990年、二科展に初入選したことですね」

川田「二科展というのは、日本の美術団体のひとつ『二科会』が毎年秋に開催する美術展ですね。
作品は公募で絵画・彫刻・デザイン・写真の4部門、これはずっと出し続けていらっしゃいますよね」

工藤「業界の人によく笑われます、『本当に頑張ってるよね』って(笑)」

川田「始めたきっかけというのは、いつの事ですか?」

工藤「デビューをし終わって、バタバタ忙しい時に自宅に帰るのが寝るだけの部屋になるのが嫌で。
その時のふとした思いを留めておきたくて、パステルとかクレヨンとか、画用紙を持って歩くようになりました」

川田「そうだったんですね」

工藤「いろんなものを触って、水彩画をやって…水彩画は苦しかったですね、やり直しのきかない生放送にそっくりでした」

川田「なるほど」

工藤「それで、いろんなことをやったあとに油絵を始めて。50号の絵を描き始めて、ハガキ50枚が50号なので」

川田「じゃあ1メートルとか、それぐらいにはなりますよね」

工藤「それを部屋に入れて描き始めていたんですよ。フィンランドの朝市の風景を描いてたんですけど、その時にスタイリストの友達がうちに遊びに来たんです。その子は芸術をやってた子なんですけど、『これなに!?』って言うから、『ちょっと描いてた』って。
『二科展っていうのがあるんだよ、出してみな』と、彼女が勧めてくれたから出せたんですよ」

川田「そうだったんですか」

工藤「一回目入選してから、師匠につくようになったので」

川田「最初に出した時は誰かに教わって描いてるわけじゃなかったんですね。
一番最初の『朝の香り』という絵、いまご覧になるとどういった気持ちで見られますか?」

工藤「あれはあれで、あの時じゃなきゃ描けなかったなって。強いて言うなら、色が生っぽいところがあるなって」

川田「そういう部分もあるんですね」

工藤「あの時の全てを出してたなと感じますね」

● 完全オリジナルアルバム『凛』


川田「デビュー記念日である8月30日に、30周年を記念した完全オリジナルアルバム『凛』をリリースされました。
力強くて、魂がこもっていて、ここに時間と力を込めて作られたんだというのが感じられました」

工藤「ありがとうございます」

川田「完全オリジナルアルバムを作りたいと思ったのはなぜですか?」

工藤「年齢もあるんですけど、だいたい過去の曲を歌い直してみたり、あるものを違う形にして発信することが多いんですけど。
30周年だし、ここからスタートという意味も込めながら、今までの集大成という両方を込めたいなというのがあったので、あえて全部新しくしました」

川田「このアルバムは、豪華なアーティストのみなさんが参加されていて、工藤静香さんの30周年をみんながお祝いしたいという気持ちも大きかったんじゃないかと思います」

工藤「B’zの松本さんは、20年以上前に『いつか曲を書いて下さいね』とお話をしてたんです。
それで、覚えているかなと思って連絡をとって頂いたらOKだったんです」

川田「静香さんが、自分1人ではできなかったかもしれないなと感じた曲はありますか?」

工藤「私発信だけでは絶対なかったのは、まふまふくんの曲。まふまふくんのことを知れたのは長女がよく彼の曲を聴いてたので」

川田「アニメの曲を作られたり、若い方には知られていますね」

工藤「テレビに一切出ないから、私たちがわからないんですよ。名前は聞いてたし特徴のある声なので。
長女がバンバン流してなかったら、”この人は誰?”ってならなかったので。『禁忌と月明り』っていう素敵な曲をいただいたんですけど、これは長女のおかげです(笑)」

川田「聴かれてどう仰っていましたか?」

工藤「『最高にいい曲!マミーの声に合うね』なんて言ってました(笑)」

川田「娘さんが喜んでくれると嬉しいですね」

工藤「張り切って歌いましたね(笑)」

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>>来週はバカリズムさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.09.03

「自分のすべての神経を集中できる仕事、物事が歌だった」:工藤静香さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、8月30日にソロデビュー30周年を迎えたシンガーであり、画家でもある
工藤静香さんをゲストにお迎えしました。

30周年を記念した、完全オリジナルアルバム『凛』が、8月30日にリリースされました。
オリジナルアルバムは12年ぶり、玉置浩二さん、B'Zの松本孝弘さん、岸谷香さん、伊集院静さんなど
素晴らしいアーティストや作家の方が参加している豪華なアルバムです。
そんな工藤静香さんの、人生のターニングポイントについて伺いました。


●アイドルへ


川田「工藤静香さんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

工藤「中学2年生の時に、お友達とみんなで応募したミスセブンティーンのオーディションですね」

川田「そもそも、どうして受けようと思ったんですか?」

工藤「雑誌を見ていて、お友達と『ちょっと応募してみようよ』と、軽く応募したんですよ。
最後のステージが厚生年金会館だったんですけど、衝撃だったのが、みんな素敵なお洋服着てたのに”私だけ半ズボン…”みたいな感じで、恥ずかしかったですね(笑)」

川田「当時、アイドルへの登竜門と言われていたコンテストですよね」

工藤「このコンテストはけっこういましたね。国生さゆりちゃんもそうだし、渡辺美里ちゃんもいましたね」

川田「レベルも高くて、応募総数がおよそ18万人、その中で特別賞を受賞されたんですね」

工藤「よく特別賞をくださったなと思いますね(笑)」

川田「中学2年生で、いきなりスポットライトを浴びるとどんな感覚でしたか?」

工藤「スポットライトを浴びる感じはまったく無くて、このあとにセブンティーンクラブっていう3人組でデビューさせていただいて、いろんなところに歌いに行ったりするんですけど。全然日の目を見なかったので、きらびやかな感じは一切なかったですね」

川田「当時、ご自身では”売れたい!”っていう気持ちはあったんですか?」

工藤「まだなかったんですね。おニャン子に入ってからも、まだ自分はこういう世界で生きて行くっていうのが確信的じゃなかったですね」

川田「デビューが決まった時も”やった!やっとだ!”という感覚とは違いましたか?」

工藤「全然違いましたね。ありがたかったのが、そういう失敗をして、いろんなことを見たり、感じたりしたおかげで、デビューした後も勘違いせずに済んだというか、ずっと落ち着いていられました」

●ソロデビュー


川田「『禁断のテレパシー』でソロデビューをされたとき、責任もだいぶ出てくると思うんですけど、どういうお気持ちでしたか?」

工藤「責任がどうこうというよりかは、いい歌だなと思いました(笑)。”かっこいい歌!この歌、私1人で歌えるの?”なんて」

川田「そういう気持ちだったんですね」

工藤「『禁断のテレパシー』でも、”この世界でやっていく”とは思わなかったですね。このまま、本当にここで生きていけるのかな?と思っていたので。
”勉強もしてないし、力もないし、どうなのかな?”と、思っていたので」

川田「そうだったんですね」

工藤「『ミステリアス』っていうファーストアルバムのレコーディング中に、『すべてはそれから』という曲があるんですけど。
それを歌ってる最中に、こんなに自分が疲れてクタクタになってるのに集中できることって、”これしかない!”と思って。
自分のすべての神経を集中できる仕事、物事が歌だったっていうのが、ふっと気づいた感じですね」

川田「そこまでは漠然とした不安、どうなるんだろう?という気持ちが、ここで固まったんですか?」

工藤「固まりましたね、本当にあの時です」

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>>来週も引き続き、工藤静香さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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