Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2017.10.29

「ひとつの大きな支えになったような気が致しますね」:料理研究家・浜内千波
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、料理研究家の浜内千波さんをお迎えしました。

浜内さんは、テレビやラジオでも活躍され、数え切れないほどのレシピ本を出されています。
その活動の拠点は東京の東中野にある「ファミリークッキングスクール」。
浜内さんが1980年、25歳の時、開校されたお料理スクールです。
現在、120人の生徒さんがいて、新たに入るには、3年待ちだそうです。

そんな浜内千波さんの、人生に起こるターニングポイントを伺いました。


●修行時代


川田「浜内千波さんの、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

浜内1982年 27歳の時なんです。106kgあった体重を1年で50kgダウンすることができたんです」

川田「そもそも、そんな大きくなっちゃったのは何故ですか?」

浜内「OLをしてた時は60キロくらいだったんですけど、東京に来て、岡松先生のところで寝泊りを一緒にして、料理教室をしたり、先生のお世話をしていると、休み時間がなかったんですね」

川田「はい」

浜内「そうすると、今で言うストレスでしょうか。ちょっと手が空くと、調理準備室に行くとゴマがボーンと置いてある、ピーナッツバターがボーンと置いてある。
それを、”すみません”と、自分が食っちまってるわけなんですね(笑)」

川田「えー!材料を(笑)」

浜内「『あら、黒砂糖までなくなってしまったわ』と先生が言ったら、”あら、私だったわ!”と、でも”言えない、ごめんなさい”みたいな。
寂しいというところもあったんでしょうか、先生にもよく叱られましたので、自分でモチベーションを保つためには、やっぱり食べるしかないみたいな感じで」

川田「そうだったんですね」

浜内「勉強したいなと思いまして、先生にお願いして『お菓子のお店に勉強に行きたいんだ』と言ったら、『遠くに行きなさい』と言われて、1週間に1回通いに行ったんですね」

川田「はい」

浜内「向こうの方が、『お菓子の勉強をしたいんです』と言ったら、料理の勉強をしてるなら、30人のパティシエの料理を作ってくれないかと言われて、それが終わったら厨房に立っていいよと、一生懸命やったんです。
お菓子というのは、次の日にもたないものですから、終わったらお菓子がものすごく余ってるわけなんですね。
それを『持って行きなさい』と言われて、嬉しくて毎回持っていくようになりまして」

川田「はい(笑)」

浜内「『先生、来週も行くんですけど』と言うと、『あら、お菓子はいくつ持って来てくれるかしら?』という風に、応援してくださるようになって
毎回50個くらい持って帰ってきたんです(笑)」

川田「ええー!(笑)」

浜内「『お勉強ね』と言って、2人で食べていたんです。それで、106キロになったんです(笑)」

川田「岡松先生も太られちゃいましたか?」

浜内「ええ、かなり巨体でございました。2人だから、全然怖いもの知らずでしたね(笑)」

●自分を支えたもの


川田106キロあった体重を、どこで50キロもダウンさせようと思ったんですか?」

浜内「ファミリークッキングスクールを開いて、生徒さんが来なくて”私って、一体なんだろう?”と思ったことがありましたね。
無名で、取り柄もブランド力もない、気が付いたときには1年経ってました」

川田「そのとき、生徒さんは何人くらいでしたか?」

浜内14名でございました。それを維持していくのはお金もかかりますし、”自分で出来るものは一体何だろう?”っていうときに、太っていた方が美味しそうな時代でした、おふくろの味とかね。
それが、次からはコントロールする時代がくるだろうと、ふと考えたんですね」

川田「ええ」

浜内「だから、この大きな巨体を、”自分が実験で痩せちゃえ!”と思いまして。
それも、タイトな時間でやっていかなければいけないということで、1年間で痩せることができたんです」

川田「次の時代を見越した上での減量だったんですね」

浜内「はい、私にとってはとっても大事な仕事でございました」

川田1年で50キロは簡単なことではないと思うんですが、具体的にはどういう風にされたんですか?」

浜内「太っているときには、コーラの1リットルを5本飲みましたし、お好み焼きだったら5枚は食べないとお腹いっぱいに感じなかったんです。
そういう毎日でございましたから、まず自分の大好きな食べ過ぎてるものを10項目挙げました。それを全て1回に減らすことは耐えられないので、1種類ずつを減らすようにしました」

川田「なるほど」

浜内「そうすると、1ヶ月に5キロくらい痩せることができたんですね。ちょっと我慢ということを覚えると、もっともっといいんだと思いました。
それから、栄養のバランスをとるように致しました。そして、腹七分目を心がけました」

川田「はい」

浜内「2ヶ月くらいからは、好きな10項目を全部減らすことができました。仕事を上手く生かせるということも一番に考えていましたけど、ある日デパートに行ったんですね。
そのときに、私が好きな洋服を試着しようとしたら、店員さんが『あなたは無理でございます』と仰ったんです。
そのときに、すごくショックだったんです」

川田「そうですよね」

浜内「『あなたは無理よ』という言葉を、他人に言われたことが”グサ!”っときたんですね。だからこそ、今の私があるんだなと思いました。正直に言ってくれて、本当にありがとう、と思います。
”なにくそ、頑張ろうじゃないの!”という、ひとつの大きな支えになったような気が致しますね」

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>>来週も引き続き、料理研究家の浜内千波さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.10.22

「そんな積み重ねで僕ら生きているっていうのがあるんですよ」:木村祐一
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、今週もゲストは、お笑い芸人や俳優、そして映画監督としても
活躍されている木村祐一さんをお迎えしました。

木村祐一さんの第1の人生のターニングポイントは、1993年、30歳。
大阪から東京へ拠点を移し、放送作家として活動するようになった時でした。

今週は、そんな木村祐一さんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●映画監督デビュー


川田「木村さんの、第2のターニングポイントはいつのことですか?」

木村「2007年ですね、10年前、44歳で映画監督のお話を頂いたというところですね」

川田「この映画が2009年公開の『ニセ札』ですよね。
当時ビックリしたんですけど、実際のニセ札事件が題材になっているんですよね」

木村「そうなんですよ。脚本作る前に、壮大な新聞資料が届きましたよ。しかも、小学校の教頭が手を染めたっていうことですからね。
その動機が、戦争終わって国を立て直すって言ってるのに、一個も回ってこないじゃないかという、腹立ちから始まったというのが面白かったですね」

川田「映画監督は、もともとやりたいという気持ちはあったんですか?」

木村「全くなかったですね。その前に、吉本制作の30分くらいのショートフィルムはやったんですけど、映画作りに意識なかったですね」

川田「これをターニングポイントに挙げる理由は?」

木村「私事で申し訳ないんですけど、こちらに出演してもらった、今の妻と知り合ってということなんですけども(笑)」

川田「西方凌さんですね。西方さんの役柄は、インパルスの板倉さんの愛人役ですね。
木村さんと共演するシーンもありましたけど、このあと、お2人が結婚して…という風になるとは、当時はみんなはビックリしたんじゃないですか?」

木村「キャスティングの時に、有名な女優さんのプロフィールが来て、僕はあの役だけは新しい人でやりたかったんです。
何人も見てる時に、僕は2月誕生日だったので誕生日会してもらったんですよ。そこに来てたんですね」

川田「はい」

木村「聞いたら『モデルをやってたけど、今度は女優をやりたい』って言うから、これはちょうどいいと思って、オーディション受けさせて、何回かカメラテストを経て使うことになるんですけど」

川田「ご結婚された時のプロポーズのエピソードを聞いてると、奥様から4回くらいアプローチをされたということですが…木村さんが出会ってきた女性とは違いましたか?」

木村「”あれして、これして”じゃなくて、”私がいないとダメなんですよ”という導きですね。そうされた形ですかね(笑)」

川田「今も、しっかり芯を握ってるのは奥様だったりするんですか?」

木村「そうですね、最初の頃から”母ちゃん”って呼んでますしね。『なんでも私に言いなさい』みたいな感じなのでね(笑)。全部任せきっていますね」

●映画『ワレワレハワラワレタイ ウケたら、うれしい。それだけや。』


川田「第1、第2のターニングポイントを経て、この度、ドキュメンタリー映画『ワレワレハワラワレタイ ウケたら、うれしい。それだけや。』 ついに公開となりました!
これは、木村さん自らがインタビュアーとなって、106組180人の芸人さんの生き様に迫っていく作品ですね」

木村「2012年に吉本が100周年で、一堂に会して、伝説の1日というライブがあったんですけど。この100年を機に何か残したいというのがあったんですよ。
何百人が出演する映画は無理なのかな?と思った時に、”インタビューならいけるんじゃないか”と思って、アーカイブ的にも使えるんじゃないかということで、会社に言ったら”やれ!”ということでね」

川田「はい」

木村「”インタビュアーは誰がするんだ?”と、”僕やります”と言って。レギュラー番組が始まったような感覚でやりましたね」

川田「錚々たる面々が出演されていますけど、どういった方々が?」

木村「上は仁鶴師匠、松之助師匠から、きよし師匠、文枝師匠、さんまさん、ダウンタウンさん。
若手はしずるもいるし、鬼奴も森三中もいるし…面白いのが、オリラジなんかは再ブレイクする前の状態が聞けたりとかね。古いかなと思ったんですけど、今思えば”あの時のオリラジね”っていう理解があるんですよね」

川田「そうですね。数組拝見して、直美さんもすごく思いました」

木村「そうなんですよ、『世界でやりたい』って言ってるんですよね」

川田「女優をやりたいともあの時に仰っていて、その通りになっていますね」

木村「できてるというね、そういう意味もあって楽しいですね」

川田「終わった後に、皆さん一言、木村さんも一言仰ってますけど、あの部分って本音がポロっと垣間見えるすごい一言ですよね」

木村「そうですね、帰りがけの一瞬の…さんまさんなんか、マイクつける前とかも面白いですもんね(笑)」

川田「木村さんがインタビューする時に気を付けていることだったりとか、こういう風に話してもらいたいなっていうような希望は、どういうことを考えてらっしゃるんですか?」

木村「悔しかったことと、嬉しかったことは必ず聞くようにしてたんですけど。
嬉しかったことは、先輩から一言受けたとか、歩いてておっちゃんに声かけられた、そんな積み重ねで僕ら生きているっていうのがあるんですよ」

川田「はい」

木村「立ち飲みで、後ろぎゅうぎゅうのところでね、 5人ぐらい向こうのおっちゃんが帰る時に、後ろを通る一瞬で手を出して握手だけして黙って出て行くみたいな。
そういうのがめちゃくちゃ嬉しいんですよ。”さりげない握手、なんや?今のかっこよさ!”みたいな、そういうのが伝わったんでしょうね。
記事にならないようなことがあるので、印象深かったのは、そういう何気ない一言をみんな覚えてるのが多いなって」

川田「インタビュアーがちゃんと聞いてくれる人じゃないと、そういう一言って出てこないですよね」

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>>来週は、料理研究家の浜内千波さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.10.15

「いっぱい喋ってきたのに、その4文字ですからね」:木村祐一
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、芸人、俳優、映画監督と幅広く活躍されている木村祐一さんをゲストにお迎えしました。

10月21日には、木村さんが監督された映画「ワレワレハワラワレタイ ウケたら、うれしい。それだけや。」が公開!
長編4作目で、今回はドキュメンタリーとなっています。
木村監督自ら、明石家さんまさんやダウンタウンなど、106組180人の芸人にインタビューをされています。
5年の歳月をかけて公開となる渾身の作品です。

そんな木村祐一さんの、人生のターニングポイントを伺いました。


●大阪から東京へ


川田「芸人として活動されていく中で、木村祐一さんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

木村1993年、30歳の時。大阪から東京へ拠点を移した時ですね」

川田「どういう経緯で東京へ来たんですか?」

木村「大阪の番組がすべて終わり、新喜劇も卒業し、何も無くなったんですね。
このままフェードアウトかと思った時に、今まで自分から動いたことなかったなと思って。23、4歳の時に中学の同級生に誘われて吉本入って」

川田「そうだったんですね」

木村「入ってからは、”これやれ、あれやれ”でしょ?
この世界に入ってから自分で動いたことないなと思って、これが一番のきっかけかなというイメージですね」

川田「最初はどのお仕事からだったんですか?」

木村「最初、放送作家ですね。そこからやらせてもらいました。テレビ東京の大竹まことさんの30分の番組かな…蚊取り線香砕いて、携帯電話作るとか、そんなことやってましたね(笑)」

川田「そののちに、『ダウンタウンのごっつええ感じ』にも、放送作家として入られるんですよね?」

木村「そうですね、初めて会議に参加した時がMr. BATERが生まれる日だったんですね」

川田「その会議って、みんな笑いながらの会議なのか、真剣に詰める感じなのか…?」

木村「常にみんなが、松本人志の次の言葉を待っている状態ですね。提案もあるんですけど、そこから考えられて全部ご自分で出して。
トイレ行って帰ると必ず出てくるみたいな、僕が勝手に思ってたんですけど(笑)」

川田「はい(笑)」

木村「Mr. BATERの時は、『ノリツッコミが好きな外人おったら、おもろいな』っていうところから始まりましたね(笑)」

●心に残る言葉


川田「松本さんご自身も、木村さんがいてくださったことで助かったこととか、そういうことを話されていますけど。短い時間では語れないと思いますけど、一言、心に残っている言葉はありますか?」

木村「”ああしろ、こうしろ”っていうのが、本当にないんですよ。初めてごっつの現場に行った時に、プロデューサーが『面白くなかったらクビだから』って言ったんですよ。松本さんとか、浜田さんとか一緒にいて、『まあまあ、そんなこと言いなや』っていう感じかと思ったら、『そらそや』って言ったんですよ(笑)」

川田「はい」

木村「これは偉いとこ来たけど、面白そうやなと思いましたね。それがすごいありがたかったです。
活字にしたら、”なんやそれ”っていうようなことかもしれないけど、僕はグッときましたね」

川田「そこにどういうことを感じたんですか?」

木村「怖さと、やらなあかんっていう。その時に、これは引っ張ってくれはったんやなと思いましたね。
そうじゃないと、局が指名して呼んできたら『クビだから』ってみんなの前で言われてて、『そんなこと言いなや』って言いそうなもんですけど、引っ張ってくれてはったからこそかなと思いますけど。おっしゃったことないですし、聞くこともないですけどね」

川田「その言葉の中にいろいろ含まれているんでしょうね」

木村「いっぱい、いっぱい喋ってきたのに、その4文字ですからね」

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>>来週も引き続き、木村祐一さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.10.08

「僕はチャンスをくれたと思ってます」:森本稀哲
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、元プロ野球選手で、現在は野球解説やコメンテーターとして
活動されている森本稀哲さんをゲストにお迎えしました。

森本稀哲さんの第1の人生のターニングポイントは、1996年からの高校時代。
”帝京の森本”と呼ばせたいと思うようになって、髪の毛のことがコンプレックスでなくなった時でした。

今日はそんな森本稀哲さんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●与えられたチャンス


川田「森本稀哲さんの人生に起こった第2の人生のターニングポイントを教えてください」

森本「2006年 25歳。開幕4戦目の千葉マリンスタジアムで試合に出ることになるんですけど、ここから僕の野球人生が変わりました」

川田「どういうことがあったんですか?」

森本「新庄さんが、この日休むっていきなり言い出したんですよ。『今日チャンスやるから、お前出ろ』って言うんですよ。
その日3本ヒット打って、そこから次の日レフトで試合に出て、レフトのレギュラーを獲得したんですよね」

川田「新庄さんご自身が本当に出る日じゃないと思われたのか、稀哲さんのためにという風に思われたのか、どっちですか?」

森本「そういうチャンスを与えてくれたという話になってますけど、新庄さんアンダースローがすごく苦手なんですよ。
一説によると、ただ、アンダースローの渡辺俊介さんが嫌だったから休んだっていう説もあるんですよ(笑)。これは答えが出ないんですよ?」

川田「はい(笑)」

森本「僕はチャンスをくれたと思ってます、ただ、心のどこかにバッティング崩したくなかっただけじゃないかな?みたいなところもありますね(笑)。これは、答え出ません」

川田「そこは、人生の変わった日になったのでどちらでもいいと?」

森本「そうです!ただ、真相は深い闇の奥にあるというね(笑)」

川田「新庄さんと、あんなに近くなれたというのは何でですか?」

森本「その話、本人ともしたことあるんですけど。キャンプの初日に、”わ〜、新庄さんっていくのい嫌だな”と思って、ちょっとツンツンした感じで、『あ、こんちわ』みたいな感じで接してたんですよね」

川田「はい」

森本「新庄さんがそのキャンプの時に、『飯行こうか』って言ってくれて、それからすごくいい人だなと思って。
だんだん仲良くなってきて、のちにその話になったんですよ『おまえ、あのキャンプのときクソ生意気だったな』って(笑)」

川田「それなのに、新庄さんから誘ってくれたんですね。そこからは、稀哲さんからも仲良くなりたいっていう気持ちが大きくなったんですか?」

森本「今までの先輩とちょっと違うなと思いましたね。僕は先輩とコミュニケーションとれない後輩だったので、新庄さんがきっかけで先輩関係とも上手くいくようになりましたね」

●受け継いだもの


川田「引退した新庄剛志選手の背番号1番を受け継ぐという、それはどういう気持ちでしたか?」

森本「とんでもないもの背負ってしまったなと思いましたね。あそこまで北海道を新庄さんが盛り上げて、優勝までして。
永久欠番になるかなと思ったら、新庄さんに『おまえ、1番つけてくれ』って言われて。”簡単にはつけられないんだけどな〜”って思いながら、新庄さんの気持ちもあったのでつけさせていただくことになったんですけど、ま〜、プレッシャーはありましたね」

川田「著書『気にしない。――どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』この本を出されたのは、どういうきっかけだったんですか?」

森本「最初は編集者の方と、事務所の方が話をして、どうですか?という話になったんですけど。僕は正直、前向きではなかったんですよね、
本を出せるような経験もしてないし、選手としても実績がありませんからっていう話をしてたんですけど」

川田「ええ」

森本「編集者の方が注目してくれたのは、実績とか野球選手としてというよりは、稀哲さんの元気が気になりますと『何でそんなに元気なんですか?』っていう話から、『それ、みなさんにお伝えしましょうよ』っていう風になってきたんですよ。そこから、そういうことであれば、僕も頑張って書かせていただきたいですというとこから始まったんですよね」


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>>来週は、木村祐一さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2017.10.01

「野球に自信をつけさせてもらった」:森本稀哲
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、元プロ野球選手・森本稀哲さんをゲストにお迎えしました。

北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズで活躍され、プレイだけではなく様々なコスプレやパフォーマンスで会場を盛り上げていたのが印象に残っている方も多いと思います。
今は野球解説、コメンテーターとしても活躍されています。そして先月、ダイヤモンド社から「気にしない。どんな逆境にも負けない心を強くする習慣」を発売されました。

そんな森本稀哲さんに、人生のターニングポイントについて伺いました。


1年生の時ですか?」

森本「そうですね、1年生の時に『反発性円形脱毛症』という病気にかかりまして…。徐々に髪の毛が抜けてしまうっていう病気だったんですけど、あれは今考えても怖かったですね。」

川田「最初は何が原因か分からずですよね。ご両親も相当いろんなことを考えられたわけですよね」

森本「考えたと思います。ただ、今になっても原因が何かっていうのはハッキリつかめていなくて、神経性のものなんじゃないか、っていうのは小さい頃から言われていましたね。
だけど、学校に行くとみんなはこういうスタイルの森本稀哲だって分かってくれているので、病気のことについて何か言われることもなかったので、素の森本稀哲でいられましたね」

川田「でも、どうしても小学生低学年の頃って見た目は一番気になるところですよね」

森本「そうですね、なのでちょっと離れた公園とかに行って違う学校の子たちと会うとシュンってなっちゃうんですよね。野球帽をかぶっていたのでバレづらいとは思っていたんですけど、どういう目で見られているのか、っていうのはすごく気になりましたね」

川田「そして、野球が一番初めにされたスポーツではないんですよね?」

森本「そうなんです。小学校4年生まではサッカー選手になりたい、と夢見ていたサッカー少年だったんです。でも、僕の小さい頃は圧倒的に野球人口が多かったんですよ。
学校の友達はみんな野球をやっていて、僕は一人で隣町のサッカーチームに通っていたんですけど、そこのサッカーチームではなかなか友達ができなくて。
そんな時に同級生から『ひちょちゃん、野球やろうよ!』って言われて、あまり興味はなかったんですけど、サッカーのチームがあまり面白くなかったので行ってみようかなって思ったら、日曜日にみんなで河川敷でワイワイしながらやるのが面白くてそれから野球を始めましたね」

川田「始めてみて、最初はどうでしたか?」

森本「野球に対して最初から興味があったわけじゃないですけど、みんなで野球できるし、なんと行っても野球ってユニフォームで帽子がかぶれるじゃないですか。
それが安心感があったというか、そこが大きかったですね」

川田「じゃあ、周りから揶揄われるっていうことは無くなりましたか?」

森本「チームメイトから揶揄われることは元から全く無かったんですけど、他のチームとかはどうしてもそういういじりはしてくるんですよね。これはしょうがないことなんですけど…。
ただ、試合前に僕のことを笑っていた相手チームの選手が、僕がホームランとかを打って試合に勝つとシュンとして帰って行くんですよね。それがなんか気持ちがいいなって思って。
ちょっとギスギスしてますけど、笑っていたやつをギャフンと言わせてやろうみたいな。
野球している時は病気のことを忘れる時間だったんですよね。だからこそ野球には感謝していますし、野球に自信をつけさせてもらったかな、と思います」

●プラスの気持ちが起こした変化


川田「森本稀哲さんの第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

森本「高校時代、『帝京の森本と呼ばれたい!』という気持ちになってからですね」

川田「実際に、帝京の森本と呼ばれるようになったのは何年生くらいですか?」

森本「高校2年か3年くらいだった思うんですけど、1年生から試合には出られたんですよね。帝京高校って当時ものすごく強くて、周りからも注目されているチームの中で1年から出れたっていうのはやはり注目されたんですけど、
逆にスキンヘッドというものを生かして、誰にでも認めてもらえる選手になりたい、自信を持っていこうと思った時から体に変化が起きましたね」

川田「どういう変化が起きたんですか?」

森本「今まで、身体中の毛が一切生えなかったんですけど、髪の毛が少し生えてくるようになったんです。
今までは病気のことを気にしてコンプレックスになっていたんですけど、”髪の毛なんて無くたっていい!野球で認められたい!”って思い始めた瞬間に髪の毛が生えてきたんですよね」

川田「不思議なものですね」

森本「髪の毛が無いっていうことを気にせずに、そういうところも含めて僕を知ってもらいたいっていうプラスのエネルギーに変わった瞬間でしたね。そこからは面倒だなと思いながら髪の毛を剃るようになりましたね」

川田「そこから髪の毛を伸ばそう、とは思わなかったんですか?」

森本「僕はスキンヘッドのまま小・中と過ごしていたので、久しぶりに同級生に会った時に髪の毛伸びてたらビックリするじゃないですか(笑)。
その内に、同じ病気で苦しんでいる子がいたらそういう子たちにメッセージを送りたいな、と思って剃り続けてますね。」

川田「じゃあ、今はあえてスキンヘッドにされているんですね!」

森本「はい。やっぱり前の方は生え方が遅いですし、スキンヘッドっていうスタイルは変えないでいこうって思っていますね」

川田「高校時代に、髪の毛は気にしない!野球で生きて行くんだって思えたのは何かきっかけがあったんですか?」

森本「高校に入ると、あまりそういうことは関係ないっていう雰囲気を感じたんでしょうね。あと、野球が上手かったらみんなが認めてくれる、ということに気が付きだして、自分の中で吹っ切れたものがあって、その瞬間肩の荷が降りたというか、勝手に自分で背負っていたものが取れて軽くなった感じがしました」



>>来週も引き続き、森本稀哲さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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