Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2018.02.18

「誰よりもコアな方だなと思いましたね」:TRF・DJ KOO
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、TRFのDJ、そしてサウンドクリエーターのDJ KOOさんをゲストにお迎えしました。

今年、TRFは25周年イヤーということで様々な活動が行われています!
そんなDJ KOOさんの、人生に起こるターニングポイントを伺いました。


●ギターヒーローに憧れて


川田「DJ KOOさんは娘さんと仲が良いイメージがありますね」

DJ KOO「娘かわいいですからね(笑)、いま高校3年生、”LJK”ですよ!」

川田「LJKってなんですか?(笑)」

DJ KOO「”Last JK!”ですよ(笑)」

川田「そういうことですか(笑)。いま受験で大変かと思いますけど、サポートはされてるんですか?」

DJ KOO「センター試験とか、会場の前まで迎えに行っちゃったりしましたね(笑)」

川田「とても微笑ましくていいなと思うんですが、KOOさんは、小さい頃どういう少年だったんですか?」

DJ KOO「僕は小学生くらいからミュージシャンに憧れてて。特にブリティッシュなハードロックが好きで、憧れはギターヒーローだったんですよ」

川田「運動も真剣にされていたと伺いました」

DJ KOO「高校時代はラグビー部に入ってました」

川田「イメージが違うなとも思いましたね(笑)」

DJ KOO「僕はキッカーだったんですよ、今でもラグビーボールを蹴ったらけっこう飛ばせますよ(笑)。
高校出てからは第1期サーファーブームだったので、波乗りやってましたね」

川田「モテたでしょうね〜(笑)」

DJ KOO「いやいや、その時はDJやってましたから、サーファーカットして(笑)」

川田「モテてしょうがないですね(笑)。DJに興味を持ったのはいつだったんですか?」

DJ KOO「専門学校のサークルみたいなパーティーで、教室を借りてディスコをやってて。
僕、ディスコに通っていたので、DJの真似事じゃないですけど当時は喋るDJが基本だったんですよ」

川田「そうだったんですね」

DJ KOO「例は変ですけど、パチンコ屋の呼び込みみたいな(笑)。サークルのディスコでやったら”俺、いけるな”と思って。
遊びに行っていたディスコでDJブースに行って、『ちょっとやらせてもらえませんか?』って言えたんですね(笑)」

川田「普通は勇気がいりますよね(笑)」

DJ KOO「そしたら、そのDJが『いいよ、ちょっとやってみな』ってやらせてくれて。それから本格的にやっていこうと思いましたね」


●小室哲哉との出会い



川田「DJ KOOさんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

DJ KOO1992年、31歳、小室さんのイベントに参加した時ですね」

川田「この頃、KOOさんはどういう活動をされていた時ですか?」

DJ KOO「DJも現場でやっているし、ずっと制作をやっていたんですね。
ダンスミックスというのが流行って、ユーロビートでは『Cha Cha Cha』とか、早見優ちゃんとか……日本の歌手の方が外国の曲をカバーするにあたって、ダンスミックスにしていくっていう制作をやっていて」

川田「なるほど」

DJ KOO「その中でリミックスチームを組んでいて、自分たちのオリジナルを出しちゃったり。
ニューヨークまで行ってレコーディングさせてもらったりしたんですよ。帰って来て”スターだな!”と思ったら、全然そんなことはなくて。
日本では軽く売れるっていうのは甘い考えで、逆にディスコも営業が難しくなっていて、DJやるところもなくなっちゃってて」

川田「ブームが下火になっていたんですか」

DJ KOO「深夜の営業ができないような状態で、どんどんDJがいなくなっていて…僕の仕事場も無くなっていって。
ちょうど小室さんと会う時期は、”転職しないといけないかな”って思ってたくらいの時期ですね」

川田「それが30歳前後ということですよね、これはなかなか厳しいですよね」

DJ KOO「結婚もしていたので、生活もしなきゃいけないということで掃除屋さんのバイトを始めたんですよ。
だんだんと、音楽の仕事より掃除の仕事の方が割合が多くなっていった時期なんですね」

川田「そんな時に小室さんのイベントですか?」

DJ KOO「最初、小室さんにご挨拶に行く時に、清掃業でいろんな現場に入っていくので手とか汚いんですよ。
DJとして会いにいくので、手を隠しながら小室さんにお会いしに行きましたね」

川田「当時の小室さんはどういう存在だったんですか?」

DJ KOO「正直、僕は洋楽しか聴いてなかったので。TM NETWORKの小室さんという詳しいところはわからなかったんですよ。
日本に関して斜に構えていて、『アンダーグラウンドがかっこいいんだぜ』って思ってた時期なんですけど、そんな思いで小室さんが曲作っているスタジオにお邪魔させていただいたんですけど」

川田「はい」

DJ KOO「シンセサイザーをいじってて、Minimoogっていうベースの音をいじってたんですけど。
それを見て、こういうミュージシャンの方も、プリセットというか、そのままの音を使うんじゃなくて、自分で音を作りながらひとつひとつやっていくんだっていう作業を見たら、誰よりもコアな方だなと思いましたね」

川田「そこで小室さんの見方も変わったんですね」

DJ KOO「ご挨拶した日に、『すいません、明日も見学しに来ていいですか?』って言ったら、『大丈夫だよ』って言ってくれましたね(笑)」

川田「その時に、小室さんの仕事をもっと見たいと思われたんですか?」

DJ KOO「そうですね。僕らがやってきた音楽環境と、TM NETWORKでずっとやってきた小室さんの音楽環境とは全然違っていて。
いろんな機材があったりとか、その環境に憧れたのと、小室さんがその環境の中で繊細な音作りをしているというような場所に憧れましたね」

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>>来週も引き続き、DJ KOOさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.02.11

「不安とか”やばいな”という気持ちはなかったかもしれないですね」:陸上短距離・藤光謙司選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、今週もゲストには、昨年の世界陸上400mリレーに出場し
見事、銅メダルを獲得した陸上短距離の藤光謙司選手をお迎えしています。

藤光選手の第1の人生のターニングポイントは、2008年、22歳、北京オリンピックの頃。
オリンピック出場を目指すも、結局、北京オリンピックには出場できず、
この経験が社会人アスリートとして競技を続けていくきっかけになったそうです。

今週は、そんな藤光謙司選手の人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●30歳で初めてのオリンピック


川田「藤光謙司選手の、第2の人生のターニングポイントを聞かせていただきたいと思います」

藤光「2016年のリオデジャネイロオリンピックで、自分が納得いく結果が残せなかった時かなと思います」

川田「200mで自己ベストにも及ばず予選落ちをしてしまったということですが、こういった結果になったのはどうしてだと思われますか?」

藤光「自信と準備ができていなかったというか、30歳でオリンピックに初めて出るって、なかなか無いことだと思うんですけど。
”出れる”と決まった時は嬉しかったんですけど、選考会で故障してしまって、万全で迎えられるかどうかわからない状況の中で準備していた部分もありました」

川田「はい」

藤光「”これぐらいの結果しか出ないんじゃないか”という、自分を信じきれてない部分とか、そういうものがレースに出てしまったのかなと思います。改めて、心の準備と体の準備は非常に大事なんだと感じた瞬間でした」

川田「400mリレーでは、山縣選手、飯塚選手、桐生選手、ケンブリッジ飛鳥選手が銀メダルを獲得しまして、日本中が盛り上がった時なんですが、どういった気持ちで見てましたか?」

藤光「この時はリザーブという形で、サポートする立ち位置だったんですけど。
僕も長くリレーメンバーとして携わってきたので、結果として大きな形につながったという喜びはあったんですけど、どこかで言葉にできない悔しさ、虚しさというか、ぽっかり心の中に何か空いてしまった気持ちはどこかにあって。
初めてオリンピックに出て、こういうモヤモヤした気持ちになるんだったら、これ以上続けていく意味があるのかな?とか、思っちゃったり」

川田「はい」

藤光「いろんなことを考えてしまったので、『どういう気持ちでしたか?』って聞かれると、言葉に表すのが難しい状況だったのかなと思います」

川田「それでも、やはり続けると決められたのはなぜですか?」

藤光「自分自身がやり残したことがあったり、まだできる気持ちもそうですけど。自分が辛いという気持ちもあったんですけど、周りの方々の応援、言葉、支えてくれてる方々の辛さもあったんだなと考えられるようになって。
いろんな人が協力してくれて自分がいるので、そういうことを改めて実感できた出来事になったかなと思います」

●任されたアンカー


川田「第2のターニングポイントを経て一度は引退も考えた藤光選手ですが、競技を続け、昨年、世界陸上の400mリレーでアンカーとなり銅メダルを獲得されました。
この時は日本中が盛り上がりましたし、あの時の藤光さんの笑顔も記憶に新しいですね。この時はいかがでしたか?」

藤光「単純に一安心したというか、自信もあったり、準備もしてきて、普通に走るだけと思っていましたけど。
結果がついてこないことには達成感がないというか……という部分もあったので。ああいう形になってホッとしたというか、そういう気持ちは最初に出てきたかもしれないですね」

川田「『アンカーを任せる』と言われたのは、何時間前だったんですか?」

藤光「レースの5、6時間くらい前ですかね」

川田「かなり直前ですね」

藤光「予選と決勝が同じ日にあるということもないことですし、メンバーを変えるということも基本的にはないことですので。
ワクワクする気持ちだったりとか、そういう気持ちが勝っていて。不安とか”やばいな”という気持ちはなかったかもしれないですね」

川田「走られている時は覚えてらっしゃるんですか?」

藤光「記憶は、ほぼほぼないですね(笑)。自分のゾーンに入ったのが1走と2走のバトンが終わった瞬間なので、そこからレースも見てないですし、次に見るのは桐生選手が走ってくる瞬間しか見てないので、そこからは全然記憶がなくて。
桐生選手が嬉しそうに走ってきて、僕は順位わかってないので、”すごい嬉しそうに走ってくるな”と思って(笑)」

川田「はい(笑)」

藤光「その姿を見て、”3番なの?3番なの?”みたいなジェスチャーをしながら、2人で電光掲示板で正式な記録が発表されるのを見て、出た瞬間に喜び爆発みたいなところから覚えていますね(笑)」

川田「日本に戻られたら、皆さんの受け入れ方も変わった部分は多いと思いますが、どういう風に感じられましたか?」

藤光「改めて、自分たちがやってきたというのが、皆さんに影響を与えたのかっていうの実感できたので、やってきた良かったなってすごい思った瞬間ですね」

川田「藤光選手は、リザーブ、控えの気持ちも経験なさっていますし、ご自身が走られてメダルを獲った気持ち、両方の気持ちがわかる方なんですけど。
そこに関してはどう思われますか?」

藤光「そもそも、リレーでメダルを獲得してるっていうのが数少ない機会で、その経験を両方できたのは財産になっていて。
両方の気持ちがわかってる人間がいるかいないかっていうのは大きいと思うので、上手くプラスに変えていけるように頑張っていけたらと思っています」

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>>来週は、DJ KOOさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.02.04

「”人って変われるんだな”って実感してるところですね」:陸上短距離・藤光謙司選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、陸上短距離の藤光謙司選手をゲストにお迎えしました。

藤光選手は、昨年、世界陸上ロンドン大会の男子400mリレー決勝に出場し
見事、銅メダルを獲得した日本勢のひとりです。

今週は、藤光謙司選手の人生に起こるターニングポイントについて伺いました。


●尊敬するライバル


川田「世界陸上、ご自身のご活躍はもちろん、ウサイン・ボルト選手の衝撃のレースでもありましたよね」

藤光「そうですね。ボルト選手と同い年で、ユースとか、ジュニアとか、そういう時代から見てきてるので。
引退レース、いろんな意味で注目したレースだと思います」

川田「同い年でライバルでもあり、”ああいう風になりたいな”というような気持ちもあるんですか?」

藤光「そうですね、アスリートとして尊敬する選手の1人ですし、ボルト選手が競技場に入ってくると雰囲気が変わるんですね」

川田「そうなんですね」

藤光「それだけ影響力のある選手だと思うと、”自分もああいう選手になれたらいいな”という憧れはあったのかなと思いますね」

川田「小学生でサッカーをされていて、そこから陸上に切り替えるきっかけはどういうものだったんですか?」

藤光「サッカーを5年間やっていて、負けて帰って来たときに、悔しい思いで泣きながら帰って来る場面があったみたいなんですね。
それって、自分の頑張りと結果がつながらないところがあって、それが自分の中で納得できてないんじゃないかっていうのを、親から言われたんです」

川田「なるほど」

藤光「だったら、個人競技で、自分で努力した分だけ結果につながるものをやった方が納得できるんじゃないの?というところで、それがきっかけになったのかなと思いますね」

川田「はい」

藤光「小学校の頃はぜんそくだったので、スポーツするにあたって発作が出ちゃったり、体が強いわけではなかったので自分でもこうやってる事が不思議なくらいなのかなと思いますね」

川田「体力もつけて、変わっていくことができるということですよね」

藤光「そうですね、人は変われるじゃないですけど。
改めて実感してるところがあって、自分がこうやってラジオに出て、人と喋って、というのが当時の僕からは考えられないんですね」

川田「そうなんですか」

藤光「消極的なタイプの人間だったので、極力目立ちたくないって思うタイプの人間だったので。
すごく、”人って変われるんだな”って実感してるところですね(笑)」

●オリンピックを目指して


川田「藤光謙司選手の、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

藤光「大学4年の2008年、北京オリンピックの選考会があった年なんですけど。
選考会で出場権が獲得できずに、実際には出場できなかった時ですね」

川田「この時、北京オリンピックは塚原直貴選手、末續慎吾選手、睚真技料手、朝原宣治選手が400mリレーで銅メダルを獲得して日本中が盛り上がった年ですよね。
当時、藤光選手はどういう状況だったんですか?」

藤光「陸上の場合は、オリンピックとか世界選手権に出るにあたって標準記録というものがありまして。
それを突破した選手、なおかつ国内の予選を突破した選手が代表選手になれるんですけど」

川田「はい」

藤光「そのとき標準記録も突破していて、当時のランキングもトップで選考会を迎えたので、僕自身”いける!”と思っていたんですけど。
決勝のレースの最中に故障してしまって、選考会では選んでもらえずに出場できずに終わってしまって。リレーで、こういう結果を目の当たりにすることになって”もし自分がそこに立てていたら”とか、いろんなことを考えてしまうところがあって。
落ち込んだり、考えてしまう時期だったと思いますね」

川田「ご自身の中では、”オリンピックに出るんだ!”という、強い気持ちを持って臨んでいた時だったんですか?」

藤光「そうですね、ようやくオリンピックという試合を目指せるレベルになっているのかな?と思ってるところだったので。
”その勢いで出てしまいたいな”、”経験しておきたいな”というところではあったので、気持ちはあったとは思うんですけど。いろんな意味で、まだまだ未熟だったり、弱い部分が、結果的に出れなかったというところだったのかなと、のちのち振り返ると思いますね」

川田「ここを第1のターニングポイントに挙げた大きな理由は何ですか?」

藤光「大学4年生だったので、そこから社会人になっても競技を続けるかどうかという大きな選択をしないといけないタイミングだったので。
出れずに終わった、それでおしまいという考えもあったんですけど。そこで自分自身の可能性を信じていたところもあったので、これをきっかけにもう一回その場所を目指してみようっていう気持ちになって、社会人になっても続けるという選択をしたので、そういう意味では大きな出来事だったと思います」

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>>来週も引き続き、陸上短距離の藤光謙司選手をお迎えしてお話を伺っていきます。
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