16/03/27

最終回。出会いとご縁に感謝を!

2004年の10月からおおくりしてきた『ふんわりの時間』ですが、残念ながら今回で最終回。中嶋さんが番組の11年半を振り返りました。



この番組は“豊かな暮らし”をテーマに、料理人、小説家、写真家、生物学者、科学者、博物博士、農家さん、海洋冒険家、独立時計師などなど、さまざまなジャンルからゲストをお招きしてお話を伺ってきました。

初期の頃、印象的だったというのは、四谷のフレンチ・レストラン『オテル・ドゥ・ミクニ』のオーナーシェフ、三國清三さん。中学を卒業後、たたきあげで日本のフレンチ界のトップに登り詰めたお話や、食育のことなどを伺いました。

「食べ物の味を感じる器官“味蕾”は小学校へ上がるまでに出来上がってしまう」というのは、当時お子さんがまだ小さかった中嶋さんには驚きの情報だったようです。

また、小説家の小川洋子さんに会えたことも中嶋さんにとって大切な思い出。「私もう小川さんの作品がないと生きていけません!ってぐらい大好きなんですけど、そんな小川さんにもお越し頂いて、それ以来、お手紙を書かせて頂くような、交流を持たせて頂けるようになりました。幸せですね〜」と感慨深そうでした。

自然写真家の高砂淳二さんや、「グラスのふちに口をつけたら、最後の一滴まで飲み干しなさい」という座右の銘を教えてくれた作家の角田光代さん、本のセレクトショップ『カウブックス』のオーナーで『暮しの手帖』の編集長になった松浦弥太郎さんなど、番組に何度も来てくださり、“ふんわりファミリー“のような存在になった方々もいます。

「いろんな方にお会いして、なかなかお会いできないような方々とお話ができたっていうのは、ホントに良かったですね」と中嶋さん。今でも交流があるという海洋冒険家の白石康次郎さん、魚の図鑑をすべてサイン入りで「差し上げます!」と中嶋さんにプレゼントしてくれたという、さかなクンなどなど、思い出話は尽きません。


フェルト手芸の本を出した時にゲストに来てくれて、中嶋さんとの交流が生まれたのが、オアシズの光浦靖子さん。手芸はもちろん光浦さんのお話にも感銘を受けた中嶋さんは、番組をきっかけに光浦さんプロデュースのフェスにも出演しちゃいました。

「芸能人の方とか、お友達もお笑い芸人の方とか歌手の方とか、お友達のバンドの方が中心になって。音楽フェスなんですよ。それは楽しそうですねって言ったら、出ますか?って切り返されまして、じゃ出ます!って切り返しちゃったっていう(笑)」

「その時に出会ったご縁っていうのは、繋げたいなぁとか、深めたいなぁって強く思うんですよね。これっきりっていうんじゃなくて、凄く大切な一瞬を分け合ったんだっていう意味で、私にとっては“一期一会”っていう言葉があるんですけど、光浦さんにもちょっと飛び込んじゃえ!と思って、秋フェスというのに参加しました」

ちなみに、中嶋さんはそのフェスで、朗読のほか「どうせだったら歌っちゃえ!」と貴重な歌も披露したそうです。「楽しかったです(笑)。学園祭みたいでしたね〜」

また、「絶対にうちのホームパーティーに来て!」なんて中嶋さんと盛り上がっていたのは、LiLiCoさん。お二人のホームパーティーはまだ開催されていないそうですが、実現させるべく、連絡を取り合っているそうですよ。

今年に入ってから来て頂いた笠原将弘さんは、日本料理店『賛否両論』の店主。中嶋さんはその後“速攻で”お店に行き、笠原さんの日本料理を頂いたそうです。「そういうのってね、鉄は熱いうちに打て、なんです(笑)もう絶対。いつか行きます〜やっぱり来ないね、ってちょっと寂しいから(笑)」「やっぱり土鍋で炊いたご飯の美味しいこと!!!」


「こうやっていろんな方とダイビングのように飛び込んで、どんどんお仲間になって頂いて…なんていう11年半でしたよ。みなさんもこれから、卒業して会社に入ったり、新しい学校に行ったり、もちろん職場が変わったり、なんていう方もどんどん飛び込んだ方がいいと思いますよ。自分の意外な一面も発見できますからね」

・・・という中嶋さんですが、ご本人曰く「意外に引っ込み思案で人見知り」なんだとか。

「大変だったんですよ!初めて会って、で、打ち合わせとかあんまりしないんですね。なぜなら、新鮮な話題に目の前で驚いたり、目の前で喜んだりっていうことを共にしたいっていうのが、私の中で番組の底辺に脈々と流れている1つのコンセプトでもあったんです」

「でも、それって、初めてお会いする方にぐいぐいお話を聞くんですよ。ドキドキしますよねぇ。これ聞いていいのかな?聞いちゃいけないのかな?とかいろんなことを考えたり…」「楽しいんですけど、やり終えた後、ホントに、マラソンしましたぁ…っていうぐらい、ドッと体力を奪われることもあります(笑)。人と会うってエネルギーがいるんですよね。でも、そのぐらいエネルギーを注げる番組だったなっていう気もします」

「まぁ、大変だって言っても、出会えるってことがやっぱりすべてを上回っちゃうんですよね。なかなか聞けないお話を聞けて、それは凄いギフトでしたよ。今までの自分の価値観の小っちゃさとかが覆されたりとか、あとは、やってきて良かった!って思えることを発見したり、これからやってみたい!ってことを発見できたり…これはたぶん聞いてくださった皆様も同じように感じて頂けてたと思います」

「こういった、人とお会いできる、ゆっくりお話ができるっていうこの番組は、とても尊いものでしたね。まぁ、この番組のご縁があったからこそ、ということで、この経験を今後はさらに繋いでいきたいなと思います」

「ホントにこの番組でご縁を頂いたおかげで、会いたい人、読みたい本、行ってみたい場所、食べたいもの、とにかくたくさん自分の中にはストックができました。それを着実に自分のものにしていきたいとこれからは思っていきますよ」

スタッフから中嶋さんに記念樹のコケとガジュマルをプレゼント。


最後にスタッフ一同と記念撮影。番組を聞いてくださった皆様、本当にありがとうございました!!
  • 投稿者:STAFF
  • 08:30

16/03/20

「昨日と今日の自分は別人?」福岡伸一さんが語る“動的平衡”

先週に引き続き、今週は、生物学者の福岡伸一さんをお迎えしました。

福岡さんと言えば、80万部を超えるベストセラー『生物と無生物のあいだ』でご存知の方も多いのではないでしょうか。福岡さんが常々おっしゃっているのが“動的平衡”で、「お久しぶり!全然おかわりありませんね〜」というこの挨拶はちょっと違うのでは?…と、以前、お話を伺いました。

「私たちは自分の体が自分のものだと思ってますけれども、ミクロな目で見ると絶え間なく合成と分解が行われていて、どんどんどんどん更新、作り替えられているんです」と福岡さん。私たちが食べたものの一部はエネルギーとして燃やされますが、半分以上は体の隅々に散らばっていって、今ある体と入れ替わるそうです。

そして「生物も実は“ふんわり”と作られているんです」とのこと。頑丈に作っても時間の経過と共に必ず壊れていってしまうので、何億年も生きながらえるために自らどんどん壊して作り替えるということを繰り返しているんだとか。

「何か問題が起こってからそれを捨てたり直したりするのは大変なんで、まだ出来たてホヤホヤのタンパク質なのにも関わらず、どんどん壊して作り直しているわけです。そのことによって、“大きく変わらないように絶えず変わり続けている”んで、昨日の中嶋さんと今日の中嶋さんも違うし、1ヶ月も経つとだいぶ違ってるし。ホントは約束なんか守らなくてもいいし(笑)。だって別人がしたことですから」

福岡さんは「では、なぜ私たちは記憶を保てるのか?」という疑問に対しては、こう答えてくれました。

「細胞の中身は入れ替わってるんです。ただ、細胞と細胞の関係性が保たれてるんです。脳の神経回路っていうのも、繋がりが維持されていれば、そこに電気が通れば同じ記憶が再現される。でも、それは本当はちょっとずつ違ったふうに再現されてるんで、記憶も長い目で見たら、ちょっとずつは変容していってしまうんですけれども、関係が保たれれば、一応、私は私と言えるわけですよね」


そんな“動的平衡”も出てくる福岡さんのエッセイ『やわらかな生命』(文藝春秋)は、現在も連載されている週刊文春のコラムをまとめたもので、今月、文庫化されたばかり。なかには「最近の若い研究者はプロセスに興味を示さない」といったお話もあります。

「私たちが研究修行をしていた時はですね、全部の実験材料をほとんどすべて手作りして実験してたんですね」と福岡さん。当時は、DNAの遺伝暗号を読み取るのも一つ一つ読み取っていたそうですが、今は機械にサンプルを入れると勝手に解析してくれて、その間のプロセスが見えないようになっているんだとか。

「確かに自動化されて便利になったし、速くできるんですけども、どんな化学反応を使って、どういうふうにしてその結果ができているか、そのプロセスを知ろうとしない若者たちが多くなっちゃったんですね」

「そうすると何が困るかっていうと、途中でおかしなことが起きた時に、原因がどこにあるかっていうのがわからないわけです。ここがブラックボックスになっちゃってるんで。手触りみたいなものがとても大事なことなんで、それがちょっと最近は失われているかも知れないなって」

「ま、これはちょっと年寄りの繰り言みたいにも聞こえますけれども(笑)、旅と同じで、どこかに旅に行こうっていう時に、目的地に辿り着くことだけが旅ではなくて、どういうルートで行こうとか、チケットはどうやって取ろうかとか、行ったら荷物が出てこないとか、いろんなプロセスがあるわけですよね」

「で、あの時トランクが出てこなくて困った、みたいなことが旅の思い出になっているわけですよね。だから、そのプロセスこそが人生で、ゴールに行ったこと自体は、動的平衡の中では忘れてしまうかも知れないことですよね(笑)。だから、生物と無生物のあいだじゃないですけれども、間にあるものが大事だと。若い人にも、もう一度考えてもらいたいことだなと思います」

そんな福岡さんにこれからの学生や子供たちに期待することを伺うと、こんな答えが返ってきました。

「今の学生や子供たちは、最初からインターネットがあるし、私たちが体験してなかった形で、文化や本あるいは電子的なものに触れているわけですよね。やっぱりそれぞれの人に与えられた時間っていうのは有限なので、その中で、彼らあるいは彼女たちは、必ず新しいものを見つけてくれると思うんです」

「だから、最近の若者は…っていうふうに私はなるべく思わないようにして、私が知ってたようなことは知らないから、ものを知らない、みたいに思うけれども、私の知らないことを、彼ら、彼女たちは知っているわけです。そこでまた何か新しいことを見つけてくれたり、やってくれたりしたらいいわけで。そこに行かないと見えない風景が必ずあって、そこに行くとまた次の新しいものが向こうに見えるわけですよね」

最後に福岡さんの暮らしを豊かにしてくれるものを伺うと、こんなことをおっしゃっていました。

「やっぱり私は好奇心だと思うんですね。“センス・オブ・ワンダー”と言ってもいいんですけれども。それぞれ驚き方があると思いますけれども、その“ワンダー”っていうのを大切にしていくと、豊かなフルーツが得られると思うんですね」

↓こちらが文庫化された福岡さんのエッセイ『やわらかな生命』(文藝春秋)

福岡さん、2週に渡って素敵なお話をどうもありがとうございました!
  • 投稿者:STAFF
  • 08:30

16/03/13

生物学者の福岡伸一さんが画家のフェルメールを熱く語るわけ

今週は、生物学者の福岡伸一さんをお迎えしまました。

青山学院大学の教授ですが、2013年から2015年の間、アメリカのロックフェラー大学の客員教授も務めていた福岡さん。前回この番組に出演頂いたのは、2012年に『フェルメール 光の王国展』を監修されていた時のこと。そもそも生物学者がなぜオランダの画家を?と思う方もいると思いますので、今回は福岡さんにフェルメールへの想いをいろいろと語って頂きました。

福岡さんがフェルメールに出会ったのは、博士号を取ったばかりの駆け出し学者だった頃。ニューヨークのロックフェラー大学で修行していた福岡さんは、アパートから研究所まで毎日ルートを変えて通ううちに、ある日、フリック・コレクションという個人美術館を見つけ、そこに展示されていたフェルメールの『兵士と笑う女』を見て「稲妻に打たれたような気がした」そうです。

「これまで私が知っている絵画というのは、ピカソとかゴッホだとかなんでも、みんな画家のエゴっていうのが絵の中にバーンとあって、これが俺が解釈した世界だ!みたいな訴求力があるわけですよね。でも、フェルメールの絵にはまったくそういったエゴがないんですよ。非常に透明で清明で公正で、あらゆる細部がフェアに描かれてるんですね。まるでこれは写真みたいだなと。でも、写真技術が出来るよりも100年も前のことなんですよ」

「だから、フェルメールはたぶん、写真ができる前のフォトグラファーを目指して、いかに世界を公平に切り取るかっていうことを一生懸命考えた人なんだなって思ったんですけど、その時に、ああこれって科学者がやってることと同じじゃないかって」

その時、自分がやっていることとフェルメールが目指していたことが少し重なるような気がしたという福岡さん。瞬く間にフェルメールに「恋に落ちちゃった」んだとか。

「それで、フェルメールのことを調べたら世界でたった37枚しかない。で、37って素数なんですよ(笑)。これはマジック・ナンバーだなと思ってフェルメールの巡礼を始めた、っていうのが、そもそものフェルメールの入り口だったんですね」


これまでにフェルメールの全作品37枚中、36枚を観たことがあるという福岡さん。中でも難関だったのが、美術館などではない、個人所有の3枚だったようです。

1枚はイギリスのエリザベス女王が所蔵していて、女王が避暑のためにバッキンガム宮殿を離れる時だけ、一般の人にも観るチャンスがあるそう。ただ、女王がいつ休暇をとるかはわからなかったので、福岡さんはロンドンに前乗りして機会を待ち、ようやく観ることが出来たそうです。

また、別の1枚はアメリカの大富豪の未亡人が持っていたそうで、福岡さんは何度も手紙を書いて「観させてください」と懇願したものの、とうとう許しは貰えなかったとか。しかし、未亡人は一昨年に亡くなり、オークションにかけられたその絵は、謎の日本人が落札。去年の春から東京の西洋美術館に常設されたので観ることができたそうです。

ちなみに、福岡さんのフェルメール巡礼では「その作品が東京に来た時に観たのは1回とカウントしない」という自分ルールを課しているそうです。

「ちゃんとそれがあるところにわざわざ出かけていって、その街の光とか風を感じながら、なぜフェルメールがここに至り来たのかな、っていうのを考えながら観る、そして初めてそれを観たと数えるっていうことにしてるんです」

さらに、フェルメールが最晩年に描いたという1枚は、ニューヨークの富豪が所有しているそうですが、未公開。しかし、ある時、福岡さんが日本の商社のニューヨーク支店長にその絵のことを話すと、その方が「ひょっとしたら私それ見たかも知れません」と言ったんだとか。

「商談に富豪のオフィスに行ったそうなんです。それでふと壁を見たらその絵が置いてあった、って言うんですよ。っていうことで繋がったんです」

その富豪を紹介してもらった福岡さんは「フェルメールの“偽物”(リ・クリエイト作品)を37枚集めた『フェルメール 光の王国展』のニューヨークでのオープニングにぜひ出席して頂きたいので、プレゼンさせて欲しい、そして、できたら本物を観させて欲しい」とお願いして、ついにその1枚を観ることができたそうです。

そして、福岡さんが唯一観ることのできていないフェルメールの作品。それはボストンの美術館にあったそうですが、今から26年前に盗難に遭い、今でも行方不明なんだとか…。

福岡さんのフェルメールへの想いは、著書『芸術と科学のあいだ』(木楽舎)にも綴られています。


福岡さんが客員教授をしていたロックフェラー大学は、これまでに23人のノーベル賞受賞者を輩出してきた名門。福岡さんにとっては修行中の20代後半を過ごした“青春の場所”なんだとか。当時は余裕もなく苦しかったそうですが、約30年を経た今振り返ると、一切のよしなしごとから解放されて自分の好きな研究だけをやっていられた人生最良の時だと思う、とおっしゃっていました。

「その時にニューヨークっていうものが私の中にすり込まれちゃったんです。だから、鮭が元の川に戻るように(笑)、今回、客員教授になって行くチャンスがあって、一も二もなく行きます!って」

福岡さんはそんなロックフェラー大学での経験についてこんなことをおっしゃっていました。

「世界中の人が、民族とか肌の色とか国籍とか無関係に集まってきて、何か新しいことを発見したい…ま、そこにはノーベル賞とりたい、みたいな功名心もあるけれども、やっぱり未知のものを知りたい、自然に隠された美を解明したい、っていう、ある意味でフェルメールが目指してたのと同じような美を求める心が集結してる場所なんで。会う人、話す人ごとに刺激があるし、私も自分の考えをお話してフィードバックを得たり、とても刺激的な日々でした」

↓こちらが福岡さんの著書『芸術と科学のあいだ』。



来週も引き続き、福岡伸一さんをお迎えします。お楽しみに!
  • 投稿者:STAFF
  • 08:30

16/03/06

「“どうせ無理”をなくしたい」植松努さんの想いとは

先週に引き続き、今週もロケットの開発などを手掛ける植松電機の植松努さんをお迎えしました。

子どもたちがロケットを作る教室も開催しているという植松さん。実際に宇宙空間で使うこともでき、本物のロケットの実験にも使われる小型ロケットを作るそうで、なんと「発射ボタンを押すと、0.3秒で時速200キロを突破します」とのこと。もの凄い勢いで空高く飛んでいき、最後は自動でパラシュートが開いて帰ってくるんだとか。

中には、ロケットが凄い勢いで飛んでいくことにビックリして「自分のは失敗する…」とボタンを押せなくなる子も出てくるそうです。

「でも、ちゃんと飛ぶの。そしたら優しくなりますね。きっと無理だと思っていることができたことで、小っちゃい自信が湧くんだと思うんです。で、自信がない人が他の人の自信を奪う気がするんですね。だからこそ、小っちゃい自信を持つと、こんなことしなくてすむようになって、優しくなれると思うので。このロケットはそういった意味でも少し役に立つんじゃないかなという気がします」

植松さんは、ロケット教室で子供たちに行ってる指導についてこんなことを話してくれました。

「わかんなーい、って言ったらわかんなくなっちゃうよ、って。わかんないって、実は、お腹減ったとか寒いと同じだからね、って。今の自分のことを説明してるだけだよ、って。お腹減ったらなんか食べるし、寒かったら着るでしょ?と。わかんなかったら調べれば良いだけだよ、と」

「学校では、カンニングするな、って言われるけども、社会に出たら、見て盗め、って言われるから練習してね、っていう話をして(笑)。それでもわかんなかったら聞けばいいんだよ、と。で、見て聞いて分かったことをみんなで喋ってね、と。そしたらこの世からわかんないことなくなるから、って。わかんないことはダメなことじゃないんだよ、って話をして、ほったらかして作りますね」

「みんなで助け合って作るのが凄くいいなと思ってて。それを促すように努力をして。もちろん致命的な失敗があった時は、失敗はしちゃうもんだから、と。したくてする人いないでしょ、と。だから失敗したら助けを求めたらいいよ。助けに行くからね、っていう話をして。失敗した時は、どうやって失敗が起きたか考えてみよう、と。で、こうしたら直せるね。じゃあ、次に周りで誰かが同じ失敗をしたら助けられるよね、って」


講演活動にも積極的な植松さん。2014年に開催された世界規模の講演会でのスピーチは、YouTubeで150万回も再生されて話題になっていますが、その時のテーマを名言集としてまとめた本が『思うは招く』(宝島社)です。

中学生の時に進路相談で「飛行機・ロケットの仕事がしたい」と言ったところ、「お前の頭じゃ無理だ」と言われてしまったという植松さん。ガッカリして家に帰った時、お母様が言ってくれたのが「思うは招く」という言葉だったそうです。

「おそらく母さんは、勉強ができなかった僕に、頑張れ、とかって言えなかったんだと思うんですよ。思うは招くっていうかなり気休めな言葉を教えてくれたんですけど、結果的には、この言葉のおかげでいろんなことができるようになった気がするので、ホントに思い続けるって大事だよっていう意味で、僕は今でも大事にしている言葉ですね」

本にも「諦めない。“どうせ無理”という言葉をこの世からなくしたい」ということが書かれていますが、植松さんのこの想いは小学校時代に遡るそうです。

「1年生から3年生まで受け持ってくれた担任の先生は、とにかく僕の夢を否定して、僕の持ってる知識を否定して。で、ひたすら暴力を振るってくれる人でね。それがもの凄い苦しくてね。当時は、先生に怒られたら、お前が悪い、って言われる世界でしたから、親に相談もできなくてずっと苦しくて。で、その先生がホントによく使ってたのが、どうせ無理だぁ、って言葉でね」

大人になって会社を経営するようになり、様々な困難を経験した植松さんは、ある時、友人のボランティアの手伝いで虐待を受けた子供たちに出会い、彼らと関わっていく中で自分の小学校時代のことを思い出したそうです。

「もしかしたら、どうせ無理だ、という言葉で自分の自信や可能性を失った人が、他の人の自信や可能性を奪うのかな、と。でも、自分より強い人間にかかっていく人は見たことないので。必ず立場が弱い人に向かっていくから。それが最後に子供に凝縮されるに違いないと思って」

そして「どうせ無理だ」という言葉をなくしたいと思った植松さん。「どうせ無理だ」という人をやっつけるのではなく、「どうせ無理だ」に負けない人を増やそうと思い、これまでこの言葉とどう戦ってきたか、ということを本に書いたんだとか。


今、日本が世界的に苦しくなってきているのは、家のローンや子供の学費など、生きていくためにお金がかかり過ぎるからでは?と植松さん。植松電機とはまったく違う分野のように思えますが、現在は、住むためのコストを下げたり、学ぶためのコストを下げる仕組みは作れないか、といったことにも挑んでいるそうです。

「おそらく、僕の代では入り口を作るぐらいで終わるかもしれないです。でも、自分の代でできない夢を持った時に、初めて人は次を作りたくなるので。次の世代を育てることが大事になってくると思うので…。自分で終わっちゃう夢って自分一人で終わっちゃいますんでね。自分でできない夢を持った時に初めて仲間や次の世代が必要になるから、みんな、やっぱり自分で終わらない夢は持った方がいいのかもしんない、という気がします」

植松さんのお父様はいろんな仕事を経験してきたそうですが、今でも「俺は一つの仕事しかしてこなかった。それは“より良く”することだ」とおっしゃっているんだとか。

「人間っていろんな職業はあるけど、人間の唯一の仕事は、おそらく“より良く”の追求なんだろうって気がするんですよね。現状に愚痴を言ったりしてるんじゃなくて、それをどうやったら良くなるかな、ということをみんなが考えて抗い続ければ、社会は良くなる気がするんですね」

最後に、植松さんの暮らしを豊かにしてくれているものを尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「これは間違いなく本ですね。本はね、人間の命が詰まってると僕は思ってるんですよ。昔の人がしてきた苦労や努力を形に残してくれたり、もちろんそれは考えも思考もそうですね。それを僕らは読むことでその人の生きた人生をぱっと走ることができるので、だから豊かになっていくと思うんですよ。僕らがロケットの実験で誰も怪我したり死んだりしなかったのは、やっぱり過去に命を落とした人たちが記録を残してくれてますから。そのおかげですから」

↓こちらが植松さんの本『思うは招く』。

中嶋さんもこの本に感銘を受けた様子。中嶋さんの本についている付せんは、「自分のためのページ」「聞きたいことのページ」「子供に向けられるページ」…という感じで色分けされているそうですよ。

植松さん、2週に渡って貴重なお話をどうもありがとうございました!
  • 投稿者:STAFF
  • 08:30

16/02/28

植松電機の開発した世界初のロケットエンジンとは?

今週は、ロケットの開発などを手掛ける植松電機の植松努さんをお迎えしました。

植松電機は、北海道赤平市にある従業員わずか18名の会社。主にパワーショベル用のリサイクルマグネットを作っているそうですが、ある時から宇宙開発事業もするようになり、これまでにロケットエンジン、人工衛星、世界に3つしかないという無重力施設などを作ってきました。

植松電機が開発したのは、世界初のロケットエンジン。植松さんによると、ロケットエンジンでは通常、液体の燃料を使うため、ロケットが壊れる時に燃料がまき散られて大爆発する危険があるそう。そこで、植松電機では、石油と同じような成分のプラスチック、ポリエチレンを急速に燃やす技術を研究して、とても安全なロケットエンジンを作ったんだとか。

また、2006年には人工衛星の打ち上げに成功し、安く、長く使える人工衛星にするために市販の材料を使ってどこまで耐えられるかという試験を行ったそう。普通の人工衛星は、向きを変えるためにガスボンベのガスを使うので、ガスがなくなったら終わりなんだそうですが、植松電機では、電気がある限り使えるように、電磁石で向きを変えられる仕組みを作ったそうです。


宇宙開発というとなにかとても大きなことのような気がしますが、植松さんはこんなことをおっしゃっていました。

「宇宙開発って国家事業とか凄くお金がかかるってみんな思ってるんですね。あと、よっぽど頭が良くないと無理だって。でも、この情報って誰から教えられてるんだろう?って考えてみたら、実はやったことがない人が適当に言ってるだけなんですよ。本当に宇宙開発をしたことがある人はそんなこと言わないんですよ。できる方法を言うんですね」

「僕、小さい頃から電機が大好きで本を読んでて、そうすると宇宙開発って国家事業じゃないんですよ。みんなスタートは個人の手作りなんです。それを知ってたから、自分でもできるんじゃないかな、って思ってたらできるようになりました、っていう感じですね」

「夢って凄く大事なんですけども、凄い遠くしか見てないと、結局そこに辿り着かないで終わっちゃうことが多いんで、小さいところから順繰りに階段を積み重ねていくっていうのが凄く大事なことで。そういった意味では、宇宙開発は、昔の人がけっこう参考書をいっぱい残してくれてるんですよ。だから、昔の人がした苦労を、僕らは全速力で駆け上がっていくことができる状態にあるんですね。凄く恵まれてると思います」

宇宙開発に関わってから、植松電機の従業員のみなさんは凄く熱心でへこたれなくなったとか。また、宇宙開発で得られた新しい技術や能力のおかげで製品そのものも良くなってきたそうです。さらに、展示会などで新しい人脈を作り、新たな仕事を持ってきたりもするそうで、植松さんは、おかげでうちの会社は生き残った気がします、とおっしゃっていました。


ご自身について「おそらく諦め方を知らないんだと思います」と植松さん。宇宙開発を断念せずに続けてこられたことについて、こんなことを話してくれました。

「周りの大人はいろんな諦め方を教えてくれる人はいたんですけども、僕が大好きだった伝記の人たちは、諦めなかった人たちなんですね。諦めたら伝記にならないからね。伝記には、どんな壁にぶつかっても。違う道を探す努力が書かれてた気がするんですね。それをなんとなく学んでしまったので、どかーんってぶつかっても、じゃあ、こうしてみようか、っていう感じで次の手を考えれたのが、きっと投げ出さないで できたんだと思うんですけど」


そもそも植松さんがロケットに興味を持つきっかけは、3才の頃だったそう。アポロ号が月に着陸する中継を家族みんなで見たそうですが、覚えているのはテレビの内容ではなく、お祖父さんが見たことないほど喜んでいる姿だったとか。そして、大好きなお祖父ちゃんの喜んでいる顔を見たくて、本屋でもロケットや飛行機が載ってる本を手に取るようになり、自然と飛行機やロケットが好きになったそうです。

また、小さい頃は“紙飛行機博士”だったという植松さん。片方の目が悪かったために球技が苦手で、居場所がないと思っていたそうですが、本屋さんで売っていた『よく飛ぶ紙飛行機集』の飛行機を作って飛ばした時に、植松さんのことを嫌ってるはずだった子たちが「お前凄いな!作り方教えてくれ」と言ってくれたんだとか。

「それが嬉しくてその本に書いてあることを片っ端から勉強して、どんどん上手になって。でも、それはついに1回も学校のテストに出ることはなくて(笑)。散々バカにされましたけど、結局その後、大学で飛行機の勉強をするんですが、そこで学んだことが紙飛行機で学んだこととまったく一緒だったんで、凄い助かりましたね」

植松さんの著書『思うは招く』(宝島社)にも「昔、みんな何かしらの博士だった」ということが書かれていますが、大きくなるにつれて、みんながそれをやめていってしまう中、植松さんはやめなかったんだとか。

「いやぁ、もったいないですよね。自分が今仲良くしている人たちも、この人いい人だなぁっていう人って、たいてい趣味が広くて深いんですよね。何でもやってるんですよ。で、本人に聞くと、広くて浅くっていうんですけども、全然深いんですよね。で、好きなことがあると共通の話題が増えるから、いろんな人と仲良くなりやすくて、力合わせやすくて、どんどん人脈広がるんですよね」

「だから“好き”って実はもの凄い大切なコミュニケーション・ツールな気がするんですけど、最近、好きなことがない、っていう人が増えててね、可哀想だなって思いますね。けっこう大学生からメール来るんですけど、好きなことは害悪だって教えられているので好きなことを見つけることができません、って苦しんでいる人がけこうたくさんいて…」

来週も引き続き、植松努さんをお迎えします。お楽しみに!

  • 投稿者:STAFF
  • 08:30