ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

2016年

2016.12.31

第195話 2016年

ゲストコメント
7月16日放送《真田幸村》篇 丸島和洋さん「手紙から窺われる真田家の人々の実像は」
7月16日放送《真田幸村》篇 丸島和洋さん
戦国時代は手紙がたくさん残っているのですが、当時は手紙に感情を書く人はあまりいませんでした。その中で一番個人的な感情を書いたのは毛利元就で、延々とグチを書いた手紙が残っています。次いで織田信長と上杉謙信もわりと感情を書く人で、信長は「アイツをぶっ殺してスカッとした」みたいな手紙がありますし、謙信は「馬鹿者」という言葉をよく使いました。

そして真田信繁(幸村)も戦国時代にしては珍しく手紙で感情を表に出す人でした。関ヶ原で西軍が負けた後、信繁は謹慎していた九度山から私信をたくさん書いていますが「もう一度会いたい」「やることがない」などと綴っています。また大坂冬の陣が終わった後に書かれた手紙は「私のことはこの世にいないものと思ってほしい」など厭世観に溢れる内容。ちなみに同じ時期、後藤又兵衛も手紙を書いていますが、こちらは「明日のことが分からないというのは楽しいものですな」と豪傑らしい文章です。それに比べれば信繁は繊細な印象を受けます。

一方、豊臣政権下では諸大名が有力者と連絡をとるための担当者が決まっていたのですが、真田家の担当が石田三成だったため、三成と非常に親しかったのが信繁の兄・信之です。「ちょっと遊びに行っていい?」くらいの、現代ならショートメールみたいな短い私信が残っています。だから関ヶ原で三成はまさか信之が敵になるとは思っていなかったでしょう。その後、信之は松代藩10万石の基礎を築き、4代将軍の家綱まで仕えて91歳でやっと隠居。享年93で亡くなっています。

しかし石田三成は信之が家康側についたことを最後まで知りませんでした。三成が真田家に依頼したのは会津の上杉景勝との連絡だったのですが、三成はその連絡ついでに「信之の様子はどう?」みたいなことを父・昌幸に尋ねています。しかし昌幸はそこをうまく誤魔化して、自分が狙う「甲斐と信濃2カ国」を三成に約束させるんです。いかにも食えない戦国武将らしかったのが昌幸でした。
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