2011年11月30日

11/30 被災者・仮設住宅に年賀状を。神戸のNGO「アセック」が募集

被災者・仮設住宅に年賀状を。神戸のNGO「アセック」が募集

◎神戸のNGO「アセック」が募集、「元気メール年賀状」◎

国際ボランティア活動を行っている「アセック」では、いま、
震災で被災し、仮設住宅で暮らす方にあてた、「年賀状」を募集しています。
この「元気メール」の始まりは、阪神・淡路大震災で被災経験を持つ、
NGO「アセック」の理事長、瓜谷幸孝(うりたに・ゆきたか)さん自身の
体験に基づいています。

『阪神大震災の当時、家が全壊で母親の上にかぶさり2時間生き埋めだった。
なんとか母親だけでも助けたいと、自力で脱出し母親を助けてなんとか生き延びた。
放心状態の中で、翌日事務所に行ったら、1通のFAXが流れていた。
以前災害支援した中国の県知事からの応援FAXだった。そこには
「一方有難八方支援」という中国のことわざ「一つのところに災難があれば
八方が助ける」「今度は私たちがあなたを助ける番です。」というメッセージが
書かれていた。この一枚のFAXを何十回も読み返した。生きる活力、自分をささえて
くれる人がいる、心配してくれる人がこの世の中にいる、ということがどれだけ力強かったか。
その日からボランティア活動を始めた。FAXが自分を後押しをしてくれた。
その後避難所から仮設に移って、自殺者が出たときに、なんとかこの自殺をとめること
ができないのか。と思ったとき、心のこもったメッセージは相手の心に伝わると。
心のこもった一枚のメッセージによって人が蘇生できることを実感した経験から
手紙で被災者を励ますことができないかと震災後の6月〜7月から始めた。

新しい年を迎えるときに誰からも便りがこないのは寂しい。
被災者はメッセージ、希望を求めている。』


アセックに寄せられた被災地宛ての年賀状は、
来年の正月、交流のある宮城県石巻市の仮設住宅などに、
瓜谷さんたちが直接届ける予定です。

●はがきに、自分の名前、住所、そしてメッセージを書いて、
 宛名は「被災された方へ」としてください。
 このはがきを封書に入れて、「アセック」の事務局宛てに送ってください。

「元気メール年賀状」についてのお問い合わせ
 電話・FAXともに、078−766−3481 

 送付先 
 〒655−0046 神戸市垂水区舞子台8丁目16−16−604 アセックまで。
 12月25日必着。

2011年11月29日

11月29日「被災地の仮設住宅にクリスマスのお菓子を」


広尾「アレグレス」のパティシエ・塩谷茂樹シェフは、仮設住宅にクリスマスのお菓子を贈ろうと、「Sweet Christmas」という取り組みを行なっています。

塩谷シェフは「Sweet treat 311」という団体とともに、被災地の学校でお菓子教室を開催したり、震災で仕事を失った若者の再就職をサポートしたりと、被災地支援の活動を続けてきました。

塩谷シェフが考えたのは、同業のパティシエ、菓子職人に呼び掛けて、焼き菓子を集め、それをクリスマスに被災地の仮設住宅に届けようというものです。


◆被災地へのクリスマスギフト
 現地のお菓子屋さん何十軒とお話をしてきて、7〜8月ぐらいから大分復活してきた。ケーキはできれば地元で買っていただきたい。それを邪魔したくない。
 ご家族や子供たちで食べられる日持ちのする焼き菓子をクリスマスに送って、被災地以外のお菓子屋さんがこんなにみんなのことを思ってるんだよ、という気持ちを伝えるためには、数だなと思った。


◆プロの職人に提供を呼びかけている
 片っ端から手紙を送って、一つ500円くらいのお菓子を30個、15000円分の寄付をしてくれないか、クリスマスにせめてクリスマスらしさを贈ろうじゃないか、と呼びかけた。
 お菓子の個数だけでもう2500ぐらいになった。現地の協力者も出てきているので、手伝ってもらって、なるべく広い範囲で配っていきたい。多くの人に配りたいし子供たちの笑顔を見たい。

 うちはどうしようかな。カステラかな。新しいカステラ、自信があるんですよ。




塩谷シェフは集まった焼き菓子を届けに、12月に被災地へ向かう予定です。

このプロジェクトに協力したい!という菓子職人の方は、ぜひ広尾の「アレグレス」まで電話でご連絡ください。

【Allegress official site】

【塩谷シェフのブログ】

2011年11月28日

11月28日「自立支援を実現するために」

被災地の子どもたちに海外ホームステイの機会を提供するプログラム「Support Our Kids」。
7月には、被災した子どもたち30人がニュージーランドへの短期ホームステイを経験しました。

その活動の一環として、この週末、チャリティプレミア試写会と、チャリティパーティが行なわれました。

上映された映画は、スティーブン・スピルバーグ監督の最新作「タンタンの冒険」。
被災地の東北地方から招待されたおよそ200人の子どもたちが、12月1日の公開より一足早く、大きなスクリーンで映画を楽しみました。
また、会場には元サッカー日本代表の中田英寿さんもサプライズゲストとして登場。
「いろんなことがあっても、前に進んでいく、勇気をもってやっていく、ということが大切」だと話していました。
また、 中田さんは「タンタンの冒険」の劇場鑑賞券2000枚を、被災地の子供たちにクリスマスプレゼントとして贈ることも発表しました。

会場にはスティーブン・スピルバーグ監督からのスペシャルメッセージも届けられ、子どもたちは笑顔で会場を後にしました。



▲写真:当日の試写会・記者会見の様子


この「Support Our Kids」を運営する「次代の創造工房」理事長・秋沢志篤さんは、プログラムの目的と次の展開について、このように話しています。
「自立支援を具体的に、継続的にやっていきたい。海外経験をホームステイという形で実現してさしあげたい。それは各国の理解と協力なしにはできない。最初はニュージーランドから理解を得た。今度はベルギー、アメリカ、そしてまたニュージーランドの各大使館・大使の理解も得られたし、具体的なプランニングができたので、これをまず一つの行動として実現していきたい」


「Support Our Kids」では、今後も、被災地の子どもたちの「自立支援」を応援していく予定です。


【Support Our Kids Official site】

【映画「タンタンの冒険」Official site】

2011年11月25日

11月25日「暖助プロジェクト」

被災地に、廃材をつかったストーブを製作、設置して、寒さの厳しい冬を乗り越えてもらおうという「暖助プロジェクト」。
活動を続けているのは、長野県にある「工房ジオパラダイス」の代表・青野剛三さんです。

◆廃材ストーブ「暖助」
 プロパン廃ボンベを使って作った耐久性のあるストーブ。プロパンガスはもともと高圧に耐えるボンベなので、被災地の過酷な状況でも耐えられるものにしようと思った。
 被災地の半分外みたいなところでは体の中から温めることが大切。暖かい飲み物を飲んだりできるように、空間を温めるだけでなく、お湯を沸かしたり料理にも利用できるとかようにした。


◆寒さが厳しくなる被災地からの要望が相次いでいる
 11月の段階で105か所に設置。市内や仮設の集会所、漁師の作業場など。また自宅避難の方や環境の整っていない方を優先している。
 灯油は買わなきゃいけないし、値段も上がっている。断熱材のきかない建物や半外の場所では焼け石に水状態。まわりに廃材だけはたくさんあるから、経済的な負担がかからないところが重宝されている。
 東北の海の近くの寒さは想像を絶するものがある。暖をとることがいま最初にやらなきゃいけないことでは。温まると人間活力がでてくるから。



暖助は「一般販売」も行っています。
一台約10万円〜15万円。売り上げの25%は、被災地支援にあてられます。

詳しくはこちらからどうぞ。
【暖助プロジェクト】

2011年11月24日

11月24日「復興屋台村 気仙沼横丁」

港町、気仙沼を支える「飲食店」を復活させよう!と、宮城県気仙沼市内で11月12日にプレオープンした「復興屋台村 気仙沼横丁」
今度の土曜日、26日にはグランドオープンを控えています。

この「復興屋台村 気仙沼横丁」はプレハブ造り。
現在は、飲食店・13店舗、物販・土産物屋が6店舗、併せて19店舗が営業しています。
気仙沼のソウルフード「気仙沼ホルモン」をメインにしたお店、人気ラーメン店「五右衛門」が名前を変えて出店するほか、マグロ料理や本格韓国料理のお店などが並びます。

「復興屋台村 気仙沼横丁」実行委員長の岩手佳代子さんにお話を伺いました。

◆気仙沼の飲食店を復活させて、海を元気にする
 震災で気仙沼市内は7割の飲食店が被災した。
 気仙沼は港から人が入ってくる場所。5月6月はカツオ船の方が気仙沼で寝泊まりして漁に行く、カツオ船団の方たちがいる。その方たちが気仙沼でご飯をたべお酒を飲み、英気を養う拠点でもあった。
 そんな気仙沼の飲食店を復活させて海を元気にする、という思いもあった。飲食店の方が「ここにくればすぐに料理を出して稼ぐことができる」という支援を作ろうと、最低限の調理器具をそろえて、皿などは有田焼の商工会の方から贈っていただいたりして、開店することができた。


◆オープンが実現して
 明かりのない場所だったが、屋台村ができたことで明かりがついて、周囲の方からも「よかった」という声も。震災後「あまり騒いじゃいけない」という雰囲気もあったが、みんなと集ってお酒を飲んで、冗談も言い合う場所になった。

◆グランドオープンを控えて
 26日にグランドオープンをする。8ヶ月近くかかったが、震災後暗かった街に明かりがともって、横丁に来てくれる笑い声で待ち全体が明るくなった。
 横丁の周りにも打ちあがった船がゴロゴロとあるが、震災を忘れることなく、皆さんの力で元気にしていってもらえたら。
 「ぜひ気仙沼に来てけさ〜い。よろしくお願いします。」



「復興屋台村 気仙沼横丁」
場所:宮城県気仙沼市南町 (駐車場もあります)
営業時間:ランチが午前11時〜午後2時、夜は午後5時〜午後9時すぎまで。
 (お店によっては、朝7時から朝食メニューを出すところもあります)

詳しくはこちらをご覧ください。
【復興屋台村 気仙沼横丁 official site】

2011年11月23日

11月23日「ウギャルの復興支援」

魚料理が好きで、漁師の仕事にも興味を持っていたギャルモデルのLieさんらが、魚の食文化や漁師の仕事を、さまざまな形でPRしようと「ウギャル」として活動しています。
「ウギャル」とは、「魚(うお)」や「海(うみ)」の頭文字「ウ」と、「ギャル」を掛け合わせた造語。
ウギャルたちは、漁協の方たちとも交流しながら、漁業や魚の食文化について、情報発信をしてきました。

発起人でギャルモデルのLieさんにお話を伺いました。

◆漁業とは程遠いファッションに、漁協の方も戸惑った
 自分はギャルなのでメイクばっちり、髪の毛クルクル、ネイルもして、まつげ、ヘッドバンド。作業するときは作業着だけど、初めてのときはやっぱり白い目で見られる。大丈夫なのか?こんな子たちにできるのかと心配された。
 私たちとしては貴重な経験なので、真面目にやっていく中で漁師さんたちも真面目に教えてくれた。



◆活動内容はいたって真面目
 釜石や全国の漁港に行って、簡便即食ということで、加工食品を作って、若い子が魚を食べるためのきっかけづくりをしてきた。地域交流、地引網やバーベキュー、そういう活動も一緒にしている。



「ウギャル」が深いかかわりを持つ岩手県釜石も、震災と津波で大きな被害を受けました。
震災後も釜石を訪れて、被災した漁師さんたちと対話を続けたLieさん。
「漁師さんたちの復興を応援したい」という想いから、ホームページを通じて、海産物の販売をスタートします。


◆買って食べて応援する
 ウギャルとして出来ることは、「買って食べて応援する」こと。
 牡蠣といえば三陸や広島が有名だが、牡蠣の消費が減っている。せっかく東北の人が復興で頑張っても、牡蠣を食べなくなってしまった。
 牡蠣をもっと好きになってもらって、魅力をわかってもらうことが大切だと思って、11月23日は「牡蠣の日」。代々木公園で、釜石の漁師さんと広島の関係者と一緒に牡蠣を無料配布する。牡蠣の魅力を食べて知ってもらいたい。




「ウギャル」のホームページで販売されるのは、広島産の生食用の牡蠣や、淡路島の明石タコの加工食品(蛸飯やタコカレーなど)です。
また今日12時45分から、代々木公園で「渋谷牡蠣祭り」も開催されます。
先着300名に牡蠣のクラムチャウダーが振る舞われます。


【ウギャルプロジェクト official site】

2011年11月22日

11月22日「ホタテキャンドル〜復興のあかり〜」


南三陸町・歌津・泊浜漁協女性部【ホタテ☆キャンドル】

被災された方が生活を再建するための「仕事」と、その支援である「キャッシュ・フォー・ワーク」
沿岸部の被災地では、漁業が再生するまでの収入源として、新たな仕事を作る動きが始まっています。

宮城県南三陸町・歌津・泊浜の漁協女性部の方々が、一つ一つ手作りした「ホタテキャンドル〜復興のあかり〜」
この売り上げは、漁協の女性たちの収入になります。

泊浜ではすでに、ワカメやホタテの養殖が始まっていますが、実際の収入になるのは来年3月以降。漁業が震災以前の状態に戻るのは、数年先になるようです。
ですから、当面の収入を得るために、歌津漁協のお母さんたちは、毎日、仮設の作業場でキャンドル作りを続けています。

キャンドルを作っている歌津漁協 女性部・泊浜支部の代表・三浦弘子さんにお話を伺いました。

◆キャンドル作りのきっかけ
 東日本大震災で地域は町ごと無くなってしまった。何かしなければと思い、水産加工場に残してあったホタテの貝殻を利用して、キャンドル作りが始まった。
 泊浜漁協女性部のスタッフは10名。デザインは当初、東京の人に教えてもらった花のデザインだったが、私たちは海で生活してい人が多い。最初に作りたかったのは海のイメージのもの。歌津丸や南三陸丸といった船をイメージしたものを作り、錨とか色んなことを考えながら作っている。


◆このキャンドル作りで得られるもの
 キャンドルを作る前は、震災で夫を亡くし、2か月近くは家に閉じこもっていた。とにかく自分を立ち直らせないといけない。考えを変えて、それを機会にキャンドル作りを始めた。
 みなさん明るくなった。物を作る喜びはあるんじゃないか。仕事をしていないと心も参ってしまう。
 海の生活が大事なので、復興にかける思いを大事にして、当分、漁業が再生するまではキャンドルを作って頑張っていきたい。




「ホタテキャンドル〜復興のあかり」は、1つ1000円。売り上げは、そのまま歌津漁協の女性たちの収入になります。
お問い合わせは歌津漁協女性部・泊浜支部 三浦さん。
TEL:0226‐36‐3405
FAX:0226‐36‐2301

少人数で作業されているので、ファックスに連絡先など書いて問い合わせてみてください。
また今後、専用のホームページも作る予定だそうです。


≪ホタテキャンドルを扱っているお店≫
・南三陸町歌津の総合スポーツ施設「平成の森」の入口にあるラーメン店「あおぞら食堂」
・仙台市泉区のラーメン店「五福星

また、11月27日(日)南三陸町のベイサイドアリーナで開催される「福興市」でも、ホタテキャンドルが販売される予定となっています。

2011年11月21日

11月21日「桜ライン311」

岩手県陸前高田市で始まった「桜ライン311」というプロジェクト。
これは、陸前高田市の津波到達点上に1万本の桜を植樹し、震災を後世に伝える為のプロジェクトです。
陸前高田市の津波到達点は、全長およそ170キロ。そこに、約10メートル間隔で桜の木を植えていきます。
11月6日には、最初の植樹式も行なわれました。

実行委員会代表・橋詰琢見さんにお話を伺いました。


◆鎮魂の桜
 到達点は山際が多い。緑と桜のピンクが生えるのでは。日本人で桜が嫌いな人というのは聞いたことがないし、311は陸前高田ではまだ桜の季節ではないけど、春といえば桜。そこで桜を植えた。
 先日、神奈川県松田町の支援により、3メートルぐらいの成木を20数本植えた。来年の春には咲く予定。
 ソメイヨシノより早く咲く種類なので、咲いてくれれば、亡くなった方への鎮魂になるのでは。


◆活動状況
 津波の到達点の土地の所有者の賛同を得る。そして桜を植えるにはどうしても資金と苗木が必要なので、義捐金のお願いをしている。
 (このプロジェクトが)1〜2年で終わるものではないと考えている。何年かかっても後世に伝えて、二度とこういう悲劇を繰り返したくない、という思いがあるので、最後の一本を植えるまで続けていきたい。



「桜ライン311」では、陸前高田の市民の方に、津波到達点の報告、そして土地の提供を呼び掛けています。
復興でぼやけつつある津波到達点の情報を記録し、報告してほしいということです。
また、全国からの支援も募っています。

詳しくは「桜ライン311」のサイトからどうぞ。
【桜ライン311 official site】

2011年11月18日

11月18日「放射能汚染と食べ物…いま何が必要か」

11月22日(火)に開催される「ふるさと産直みほん市2011」では、全国から100を超える生産者が自慢の野菜や果物を持ち寄り、即売会が行なわれます。
被災地からもたくさんの生産団体が参加しますが、被災地の野菜や果物というと、放射能汚染が気になる、という方もいるかもしれません。
そこでこの「みほん市」では、放射能防護学が専門の日本大学准教授・野口邦和先生による、「放射能汚染と食べ物…いま何が必要か」という特別セミナーが開催されます。
野口先生は、放射能物質によるリスクを減らすための調理法や食べ方の工夫を講演、そして著書を通して呼びかけていらっしゃいます。

そこで野口先生に、放射性物質の特性やリスクを軽減する方法について伺いました。
放射性汚染のリスクを減らす最善の方法は、「なるべく放射性汚染の少ない食材を選ぶこと」。被災地の食材も、暫定基準値を上回るものは現在出荷されていないので心配ないが、それでも不安な人は、調理の前によく洗うことによって、体内に取り込む放射性物質を減らすことができると語っています。

◆放射性物質「セシウム」の特性と、リスクを軽減する食べ方
セシウムは水によく溶ける元素のグループ。水を使って洗い流すのが効果的。事故直後は汚染は表面付着だったが、現在の汚染源は植物の根からの吸収。細かく切って水に浸けると、水との接触面積が増えて抜けていく。
お米はヌカの部分にセシウムの70〜80%がある。玄米でなく白米で食べれば、セシウムの7〜8割は減る。さらによく研いで洗えば、10〜15%ぐらいまで放射能は減る。
福島県の生産者を応援したい、という方は、今年は玄米で食べずに白米で食べればかなり安心できるし、小さな子供がいる家族でも十分に安全に食べられる。


◆これからの放射能教育についての提案
日本では小中高大学と放射能、放射線に関する教育がまるでない中で、いきなり「ベクレル」「シーベルト」という言葉が出てきた。専門家並みの知識はいらないが、自分で判断する能力を持たないといけない。
政府と同じことを言うと危ないんじゃないか、あるいは政府と違うことをいうと信頼できるんじゃないか…。それは危ない。自分で判断しないといけない。
今度の事故をきっかけに、そういう勉強を改めてすることも重要。


野口先生は、「放射能汚染から家族を守る・食べ方の安全マニュアル」という著書でも、放射能汚染のリスクを減らす調理法、食べ方について記しています。



「ふるさと産直みほん市2011」
開催日時:11月22日(火) 11時〜17時
会場:東京流通センター 第一展示場Dホール

特別セミナー「放射能汚染と食べ物…いま何が必要か」
講演:野口邦和先生(日本大学准教授/放射能防護学)
時間:15時30分〜17時

詳しくはこちらからどうぞ
【農民連ふるさとネットワーク】

2011年11月17日

11月17日「Support Our Kids(3)」

ニュージーランド政府観光局などの協力で始まった「Support Our Kids」は、被災地の子どもたちに、数週間の海外ホームステイを体験してもらう、チャリティ支援プロジェクトです。

このプロジェクトの第一陣として、7月28日から8月19日にかけて、被災地から30人の中学生と高校生がニュージーランドでのホームステイを体験しました。

子どもたちはそれぞれの思いを胸に日本に帰ってきました。

◆もう一度ニュージーランドに
 友達もたくさん出来た。もう一回ニュージーランドに帰りたい。感情豊かになった。素直に嬉しいときはハグしたり握手したり、リフレッシュできた。
 10年後は結婚してたい。子どもが欲しい。家族の大切さを知った。子供を持つ親の気持ちとか。


◆お礼を言いたい
 ジョシュアさんという温かい人がいた。見た目はモジャモジャのおじさん。夜、みんなが寝たあと色んな話をしてくれた。もう一度ちゃんとお礼を言いたい。

◆被災地を考えると複雑だった
 震災でみんな大切なものを無くした。周りはまだ大変な中、自分だけ海外に行っていいのか迷った。行ってからはすごく幸せな時間が多く、被災地を考えると複雑だった。
 今回のホームステイでもらった力や幸せは、これから生きる上で大きな力になると思う。
 やりたい夢を震災であきらめていたが、この力を使って夢を叶えて、そこでやっとありがとうが伝えられると思う。



第2回の「Support Our Kids」に向けて、支援金の募集が始まっています。
支援金は1人8000円〜
これは11月27日(日)、東京ドームホテルで開催されるチャリティーパーティーを通じて集められ、次回のホームステイ費用、被災した児童養護施設に寄付されます。
パーティーには、元千葉ロッテ監督のボビー・バレンタインさんなどプロジェクトの発起人が出席するほか、賛同者のお一人、スティーブン・スピルバーグ監督のサイン入りグッズなどのチャリティオークションも行なわれます。

詳しくは、Support Our Kidsのホームページをご覧下さい。

【Support Our Kids】

2011年11月16日

11月16日「Support Our Kids(2)」

ニュージーランド政府観光局などの協力で始まった「Support Our Kids」は、被災地の子どもたちに、数週間の海外ホームステイを体験してもらう、チャリティ支援プロジェクトです。

このプロジェクトの第一陣として、7月28日から3週間、30人の中学生、高校生がニュージーランドでのホームステイを体験しました。

子どもたちに付き添っていた、現地コーディネーターの青島俊徳さんに滞在中の子どもたちの様子を伺ったところ、「初日にカルチャーショックで泣く子もいたが、アクティビティやオールブラックスの練習を見て興奮するなどといったことで気持ちに変化が出てきた。最終的にはお互いが受け入れ、『帰りたくない』と言うようになった」ということです。
参加した子の多くは、今回が初めての海外。最初は戸惑いながらも、徐々に気持ちがほぐれていったそうです。

青島さんは、「今までは毎日どこかに震災の不安があったが、ニュージーランドで忘れられた」「我慢していたことを知った」「(ホームステイに参加した)この子たちは前向きな子だが、それができない子どもたちもいるはず。その子たちのケアが必要」と話していました。


この「Support Our Kids」は、支援者のチャリティで実施されています。
現在、第2回に向けて、支援金を募集しています。
支援金は、1人8000円〜
次回のホームステイ費用や、被災した児童養護施設に寄付されます。
詳しくは、Support Our Kidsのホームページをご覧下さい。

【Support Our Kids】

2011年11月15日

11月15日「Support Our Kids(1)」

ニュージーランド政府観光局などの協力で始まった「Support Our Kids」は、被災地の子どもたちに、数週間の海外ホームステイを体験してもらう、チャリティ支援プロジェクトです。

今年7月、3週間のプログラムに参加した30人の子どもたち。
震災で複雑な想いを抱えながらも、「将来のことを見つけたい」「海外の仕事に興味がある」という言葉を残し、ニュージーランドに向かいました。

この「Support Our Kids」は、支援者のチャリティで実施されています。
現在、第2回に向けて、支援金を募集しています。
支援金は、1人8000円〜
次回のホームステイ費用や、被災した児童養護施設に寄付されます。
詳しくは、Support Our Kidsのホームページをご覧下さい。

【Support Our Kids】

2011年11月14日

11月14日「福島県浪江町・町おこし団体の今」

昨日までご当地グルメの祭典・B1グランプリが、兵庫県姫路市で開催されました。
このイベントには被災地のひとつである福島県双葉郡浪江町も出場しました。
ローカルフード「なみえ焼きそば」で町をPRする団体「浪江焼麺太国」。
メンバーは、原発事故以降、離ればなれの避難先から、イベントがある時に集まるという形で活動を続けています。

◆リーダー・八島貞之さん「やれることは徹底的にやる」
生活のために仕事に就いて、イベントに参加出来ないメンバーもいるが、お客さんからは福島県浪江町へ温かい言葉をかけてもらっている。「みなさんのおかげで頑張れている」という声を掛けられると嬉しく励みとなる。勇気づけられた。
なみえ焼きそばは、55〜56年前からある。先人たちがどんな想いでこの焼きそばを始めたのか。売れない、人が来ない、そんな場所で食堂が頑張って考案し、安くて美味しくて食べ応えがあるものを作った。いまはそれと同じ気持ち。先人の気持ちを受け継いで、これを絶やすことなくやっていきたい。
色んなものを奪われて、浪江がPRするものがなくなってしまったが、このなみえ焼きそばはやれる。やれることは徹底的にやって、帰れるまで気持ちをつなぎ止めたい。
(なみえ焼きそばは)小さい頃から食べていた故郷の親しみのある味。そして町おこし事業としてみんなで取り組んできた。それが復興のシンボル的な存在になった。浪江に戻れる日までの、希望の味になっている。


◆メンバー・原田功司さん「11月のB1グランプリまでを目標に」
正直、この後のイベントは入れていない。仲間たちと一度落ち着いて決めたいと思っている。やめることはないが、とりあえず自分たちの足元を見つめ直す時間を作って、これから先の話ができたらいいと思っている。
二本松と郡山に協力してくれる店がなみえ焼きそばをオープンしている。出来れば食べに来てくれれば嬉しい。



今回行なわれたB1グランプリで「なみえ焼きそば」は、58団体中4位に入賞しました。
たくさんのお客さんが、浪江の方々の懸命な姿に票を入れた結果となりました。

2011年11月10日

11月5日訪問 「子ども未来図書」@大槌町

「子ども未来図書」@岩手県大槌町第五仮設団地 集会場










2011年11月10日

11月10日「子ども未来図書プロジェクト(2)」@名取図書館

「子ども未来図書」@名取図書館







番組が展開しているプロジェクト「子ども未来図書」では、全国のリスナー、そしてプロジェクトに賛同する著名人から集めたたくさんの本を子どもたちに届けています。
先週末は岩手県大槌町の仮設住宅集会所、宮城県名取市の名取図書館に本を寄贈、名取市文化会館の「名取図書館・絆まつり」では、女優・室井滋さんにご協力いただき、子どもたちに読み聞かせも行いました。

本を寄贈した名取市の図書館は、震災で建物自体がダメージを受けており、現在は仮設のプレハブと、敷地内に固定した「図書館バス」で、臨時開館しています。
名取図書館の本館は、すでに築50年を超えていて、各所にヒビが入り、壁が剥がれ落ち、余震のたびに被害が広がっています。

敷地内には北海道の図書館から寄贈されたバスなど2台が固定され、車の中を小さな児童図書館にして、本の貸し出しをしています。
このバスの図書館に、子ども未来図書の本棚が作られ、そこに各地から寄せられた本を並べました。
館長からは、「こういったコーナーができると元気づけられたり、勇気づけられたりするので、図書館としては嬉しく思っている。子供たちが、歓声を上げながら借りて行ったり、もらったりしている姿を見ていると、うれしくなる」と感激の言葉をいただきました。

今回のプロジェクトに参加した室井滋さんは、「私もあのバスで本を読みたい。子どもにとっては普通の建物よりクルマの中の図書館は面白い。プレハブも、みんなが一生懸命作った図書館も、いままでの当たり前の図書館とは意味が違うかもしれない。これからも本をたくさん読んで欲しい」と感想を話してくださいました。



明日は、宮城県牡鹿半島にオープンする、仮設商店街の模様をお届けします。

2011年11月9日

11月9日「子ども未来図書プロジェクト(1)」室井滋よみきかせイベント











先週末、番組が展開しているプロジェクト「子ども未来図書」は、宮城県・名取市を訪問しました。
全国のリスナー・プロジェクトに賛同する著名人から寄せられたたくさんの本を、震災で被害を受けた名取市の図書館に届けてきました。
それに合わせて名取市文化会館では「名取市図書館・絆祭り」というイベントも行われ、子どもたちのための絵本の読み聞かせも行いました。

読み聞かせをしたのは、プロジェクトに賛同してくれた女優の室井滋さん。室井さんが手にしたのは、ご自身の子ども時代を描いた絵本「しげちゃん」でした。

室井さんは「しげちゃん」という絵本を通じて何を伝えようとしたのでしょうか。

- 名前はなによりの宝物。絶対になくならないし、失くせないもの。みんなが必ず持っているもの。そこには父母の願いがある。人生それぞれ色々あるとしても出発点は祝福される。希望の名前をみんな死ぬまで持っていく。私は自分の名前が大嫌いだったが、親が真剣に名付けてくれたことがわかって、その名前からいまや離れられない。長い時間をかけて自分の名前が好きになったんだなと思う。
- 名前についてもう一度考えることは、自分を大切にすること。愛してくれるまわりの人を大切にすることだと思う。




明日も引き続き、「子ども未来図書プロジェクト」の模様をお送りします。

2011年11月8日

11月8日「三陸文化復興プロジェクト」




岩手県内 56の図書館のうち、49館が震災の被害を受けました。
「遠野市文化研究センター」では、そうした図書館や学校図書室の復興のために、センターが6月にスタートさせた「三陸文化復興プロジェクト」の一つで、ボランティアと職員の方が、被災地に本を届けるための作業を続けています。

遠野文化研究センターの樋口真衣さんにお話を伺ったところ、全国から24万冊が集まりましたが、データベース化などの作業が追いつかず、まだ7万冊しか整理できていないのが現状だそうです。
現在、1日10名程度のボランティアが参加しているそうですが、夏休み以降、参加数が徐々に減り始めているとのこと。樋口さんは、「冬になりボランティアの数が減るので、ぜひ協力を」と話していました。

全国から遠野に集まった本は、ボランティアの方の作業を経て、被災地である沿岸部の図書館・図書室に、少しずつ届きはじめています。ただ、本の受け入れはようやく始まったばかり。本格的な図書館・図書室の復興は、これからです。


ボランティア参加に関する情報は、「遠野まごころネット」をご覧ください。

2011年11月7日

11月7日「ピアノの音色で笑顔を取り戻したい」

被災地では多くの学校が、津波でピアノを流されたり、浸水で使えなくなったりしました。
「被災地の学校にピアノを届けたい。音楽と笑顔を取り戻したい」という想いから、音楽家の秦万里子さんが中心となったプロジェクト「スマイル募金・ピアノ贈り隊」の活動がスタートしました。

「スマイル募金・ピアノ贈り隊」では、被災地にピアノを届けるために、主に2つの方法で寄付を募っています。1つめは、ピアノそのものを寄付する方法。自宅で弾かなくなったピアノ、眠っているピアノを寄付してもらい、それを被災地に贈ります。
2つめは、ピアノを購入するための資金を「寄付」する。集められた寄付金で、河合楽器の再生ピアノを被災地へ贈ります。
また、秦万里子さんのコンサート会場でも募金を呼び掛けています。

これまでに、募金や寄付で準備された一台のピアノが、岩手県・大槌保育園と岩手県陸前高田市・小友小学校に、ピアノが贈られました。


◆秦万里子さん「ピアノは、言葉では表せないものを伝えられる楽器」
 頑張ろう!という歌を作る人もいれば、コンサートを開いた人もいる。私はピアノが流されたり(した学校に)、ピアノの音色で校歌を歌って、生の音を覚えて欲しいと思った。
 ピアノはやさしい気持ちや悲しい気持ちとか、言葉では表せないものを伝えられる楽器だと思う。
 みんなの力を結集して、これからも贈りつづけたい。


先日、贈呈式が行なわれた小友小学校は、学校の両側から津波が押し寄せ、建物も1階が浸水。体育館も舞台ぎりぎりまで水に浸かったといいます。

◆小友小学校 副校長・渡辺淳さん「子供たちが元気になるのなら」
 最初の一か月は余裕も場所もなく、どうやって暮らしていこうかと思っていたが、学校が始まって、少しずつ子供たちの声が学校に響くようになった。
 演奏会の話があり、子供たちが元気になるのなら、とお願いした。
 ピアノも塩をかぶっちゃって、泥がでたりサビがでたりしていた。


小友小学校で行われた贈呈式では、全校児童およそ90人を前に、秦さんがミニコンサートを行いました。

◆秦万里子さん「乗り越えて頑張っている姿」
 子供たちの生命力は素晴らしいと思うし、子供たちは毎日この景色を毎日どんなふうに受け止めているのかな。ちゃんと受け止めて乗り越えようとして、乗り越えて頑張っている姿はとても印象的だったし、音楽で楽しい時間を持てたことはわたしにとってもうれしいこと。



「スマイル募金・ピアノ贈り隊」では、引き続きピアノの寄付、そして募金を呼び掛けています。
詳しくは、秦万里子さんのオフィシャルホームページをご覧ください。

【秦万里子さん official web site】

2011年11月4日

11月4日「がんばっぺ フラガール!」

「北国の常夏」として人気を集め、映画「フラガール」でも話題となった、福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」。
3月11日の震災で、施設は休業を余儀なくされ、フラガールたちは踊る場所を失ってしまいました。

彼女たちが“震災復興への願いを込めて、全国に笑顔を届けよう”と向かったのが、「全国きずなキャラバン」です。

スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチームリーダーのマルヒアゆかりさん、サブリーダーの大森りえさんにお話を伺いました。

◆踊れる喜び
 「全国きずなキャラバン」で全国124か所、245回の公演をさせていただいた。
 先が見えない状態の中で、目標ができて前に進むきっかけにもなり、各地をまわることで笑顔や元気など、いつもじゃ気づかないことを気づかされた。
 10月1日、ホームグラウンドのステージで踊れたということが、心からの喜びだった。喜びが全身から出ていた。

◆好きなハワイ語
 マルヒアゆかりさん:自分の名前に付いている「マルヒア」という言葉。「平穏」という意味。震災の後「平穏」「平和」という言葉が改めて幸せなことと感じられた。これからも忘れずに生きていきたい。
 大森りえさん:「笑顔」。ハワイ語だと「永遠=マウルワ」という言葉。笑顔によって救われたり、自分も笑うことによって前に進めたり。「永遠」は、永遠に続けたり、ものを保つ、ということが重いことで大変なことだと気づかされたので、「笑顔」と「永遠」という言葉が好き。


自身も被災し、施設も休業。
そんな中、彼女たちは故郷や家族のもとを離れて「全国きずなキャラバン」を行ないました。
「スパリゾートハワイアンズ」は10月1日、部分的に営業を再開して、フラガールたちは、今はホームグラウンドでステージに立っています。

映画「がんばっぺ フラガール!〜フクシマに生きる 彼女たちのいま〜」は、「丸の内ピカデリー」ほかで公開されています。


【映画「がんばっぺ フラガール!〜フクシマに生きる 彼女たちのいま〜」official site】

【スパリゾートハワイアンズ official site】

2011年11月3日

11月3日「ラーメンで日本を元気に」

昨日からスタートした「東京ラーメンショー2011」は、「ラーメンで日本を元気に」ということで、復興支援を一つのテーマに掲げています。

全国の有名店同士のコラボラーメンが食べられるイベントで、去年は5日間で延べ30万人を集めました。
今回、東北3県からは、岩手県釜石、宮城県仙台、福島県からのブースが出店しています。
福島からは、県内の3つのお店と、福島出身の方が経営する東京の2店舗が合同で、この日のために新しいラーメンを完成させ、たくさんのお客さんが行列を作っていました。

『さいころ・福島シンジケート』
  - 福島在住の方はさらにダメージを受けているが、元気で頑張っていることを見てほしいと思い出店した。福島には喜多方、白河という2大ラーメンがあるが、新しい福島中華そばを作って、元気だという姿勢を見てほしい。風評も心配したが、関係なく行列ができてうれしい。

宮城県『五福星』
ご主人の早坂さんは、震災直後から宮城県南三陸でラーメンの炊き出しをはじめ、現在も定期的に南三陸でラーメンを通じた復興支援を続けています。
  - みんな被災をしているが、自分でできることは何かということで、持ち寄りで仙台味噌と酒粕を使ったラーメンを作っている。3月11日(震災直後)は、冷たいものとパンだったが、実は熱が必要。冷えると具合が悪くなる。熱をまわりの人に伝えるのが必要だった。酒粕の保温性、被災地に必要な野菜を取ってもらうために(ラーメンを)作った。



「東京ラーメンショー2011」では、ラーメンチケットの売り上げの10%が復興義捐金として被災地に送られます。
また、今日16時からは「エア湯きり選手権・一般の部」が行われます。
飛び入り参加も自由ですので是非。


「東京ラーメンショー2011」
11月6日(日)まで開催中 (雨天決行)
会場:駒沢オリンピック公園 中央広場

オフィシャルサイトはこちら

2011年11月2日

11月2日「仮設住宅の防寒対策(3)」

被災地では朝夕の冷え込みが厳しくなっています。東北各地の仮設住宅で、いま課題となっているのが「防寒対策」です。

防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんに、被災地の仮設住宅で冬を越す上で注意しなければいけないことを伺いました。

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◆もう一度冬を迎える上での注意点
 1.仮設と仮設の間隔が狭いので一棟で火災が起きると、仮設村全体が燃えてしまう。灯油のストーブの取り扱いには十分気を付けてほしい。消防隊が駆けつけても水がない。水路を持たない仮設村が多いので火災を起こさないこと。
 2.風邪を引きやすい季節。健康管理に注意。
 3.冬になると家の中にこもってしまって、自殺者が増えてしまう。仮設、地域、市町村の中で、自殺を選ぶ方が増えるのを防ぐためのケアをしていくことが、冬を超えるための一番の課題。
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被災者自身ができることもある一方で、やはり行政のサポートや住民同士の見守りやケアが必要なこともあります。
長期的な支援、援助が求められています。


【株式会社まちづくり計画研究所 渡辺実 Official Web Site】

2011年11月1日

11月1日「仮設住宅の防寒対策(2)」

被災地では朝夕の冷え込みが厳しくなっています。東北各地の仮設住宅で、いま課題となっているのが「防寒対策」です。

防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんに、防寒対策の現状と課題、わたしたちができる支援について伺いました。

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◆防寒対策の現状
  災害救助法で費用負担ができる範囲が決まっている。阪神大震災のときはクーラーは除外されていた。今回は、エアコンは入居の段階から設置されている。暖房は原則電気ストーブ。火災を懸念して灯油ストーブは極力標準装備のメニューから外されている。エアコンも一つしかない。東北の仮設では全然足りない。被災地ではこたつを購入している人が多い。

◆各自でできる防寒対策
 「空気をどう温めるか」が最大の課題。
 冬物の衣料も救援物資が足りないのが現実。国民の関心が薄れ、ボランティアも減っている。仮設住宅では冬物の衣料が不足している。

◆出来る事とは?
 岩手、宮城、福島は現在物資の受け入れをしていない。
 まだまだ義捐金が足らないので、お金で支援するという行為を長く続けていき、国民全体で被災者を救うという行為を進めていきたい。
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明日は仮設で冬を越す際の危機管理、健康管理について、渡辺実さんにお話を伺います。



【株式会社まちづくり計画研究所 渡辺実 Official Web Site】

パーソナリティ 鈴村健一

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