2012年3月31日

「クロノス」×石巻2.0 石巻復興支援ツアー 放送後記

「クロノス」×石巻2.0 石巻復興支援ツアー 放送後記


震災から1年。「クロノス」でも様々な被災地の状況をお伝えしてきましたが、
報道やボランティア参加者が減っていく反面、現地の現実はまだまだ厳しく、
多くの方々にまずはその現状を知って頂きたい、それを周りの人にも伝えて
いってほしいという思いがありました。
そこで、石巻2.0のフットサル大会担当の方との出会いから、初めての方にも
参加しやすいよう、まずは現地を知って頂く事と、フットサルを通じた現地の方
との交流をメインとした、誰でもどんな事からも支援ができる事を感じて頂ける
ツアー内容と致しました。

結果、「これまで行きたいと思いながら行けなかったので、フットサルを通して
何かできるなら力になりたい」という方が多くご応募下さり、
当初の定員を超える24名のリスナーの皆様にご参加頂くことができました。


■Ishinomaki2.0代表・松村豪太さんのガイドによる市内ウォーキング
立町商店街にある仮設商店街「ふれあい商店街」や、お店用に安く新鮮な魚介類を売っている魚物市場「まるか」なども訪れました。石巻市内では徐々に再開するお店も増えてはきているものの、まだ多くのお店が被災によりシャッターを閉め、営業できずにいる状態です。仮設商店街では、抽選で当選したお店の人たちが、プレハブのお店で軒を連ねて営業しています。

こうしたお店を訪れることで、
\亟の美味しい特産物や仮設住宅の方々の手作り小物等を知って頂くこと
△店の方とお話をして触れ合って頂くこと
お買い物を通して現地の経済支援に繋げること
などが可能です。それだけでも支援になります。

また、石巻はスナック街がさかんな夜の街でもあります。
松村さんがマスターを務める「復興バー」を始め、スナックやバーで現地の方々と共に、お酒を飲み交わすのも良いかもしれません。
   
津波の際に皆が避難した日和山から市内を眺め、眼下に広がる津波現場へと下り、3階まで丸こげになってしまった門脇小学校を訪れた際には、参加者の皆さんの言葉も少なく、涙ぐむ方もいらっしゃいました。  
校庭に面した窓からのぞく教室は、子供達の生活と被害の大きさを生々しく物語り、周囲の地域も、ほとんど何もなくなった光景ばかりで、地面に置かれたお供えの花で、ここに家があった事がわかるという状態です。

そんな中でも、10月の営業再開に向けて復旧作業中の「石ノ森萬画館」や、奇跡的に残った教会・神社、自由の女神のモニュメントなどを眺め、これからの石巻がより力強く発展していくことを願わずにはいられませんでした。

7km3時間に渡るウォーキングでしたが、実際に被災者の方々とと同じ目線で、
同じ道を歩くことで感じられることがある、という事を実感できる内容でした。

 

■夕食を頂いたのは、石巻2.0のもう1人の代表・阿部久利さんが料理長を務める老舗料亭「松竹」。
石ノ森萬画館を眺める海沿いにあり、被災後、2.0の活動で復旧、現在は貸切予約のみで営業中です。ここで牡蠣・お刺身・石巻やきそばなど、現地の味をたっぷりと堪能させて頂くことができました。夏には、店の前にテーブルを出して壁に映画を映し出し、野外上映会を行ったりもしています。


■宿泊の「追分温泉」は市内からバスで40分の北上川を越えた山間にあります。
まるで古い学校のような木材の香りのする素敵な旅館です。夕食では海の幸が堪能できるそうです。夜には参加者の方々が大部屋に集い、話は自ずと各自の支援のあり方に及び、深夜まで熱い議論となりました…。年齢・仕事も被災地訪問経験もバラバラのメンバーでしたが、だからこそ色々な立場からの想いや意見交換があり、非常に意義のある語り合いだったと感じています。


■その流れで、翌日のフットサル大会「リ・フッチボリスタ」の際には参加者の皆さんの結束も固まり、フットサル経験者も初心者も、被災地であることを忘れてしまう位の笑顔で、現地の方々との交流を楽しませて頂きました。
泥かきや瓦礫撤去、仮設住宅の方々の支援などを行っていると、気持ちが悲しくなる時も多々あります。でも、今後の支援のあり方としては、こうして前を向いて頑張っている人たちと共に、思いっきり夢中になって何かを楽しむ…という瞬間があってもいいのかなと感じました。
 
一方で、このコートは、広大な仮設住宅地域にありながら、周辺は静まり返り、仮設住宅からは、ほぼ誰も外を歩いていないという状態です。サッカーを楽しむ現地の方々の姿を目にして頂くだけでも前向きな気持ちをお裾分けできると思うのですが、まだまだそのような気持ちにはなれない方々がほとんどな現状を、感じずにはいられません。

帰りのバスの中では、参加者一人一人が、ここで得た事をどう繋げるか、様々な想いを巡らせながら、お帰り頂きました。再び現地に行ってみよう、次は何か活動をしてみよう…と思って下さった方は勿論、それを自分のお仕事や生活に生かしたり、周りの人に様子を伝えて頂くだけでも、そこからまた関心の輪が広がっていくかと思います。

震災2年目に向けて、そんな様々な「きっかけ」作りができたようであれば幸いです。今後も被災地と様々な復興活動に目を向け、ラジオやイベントを通じてできることを、リスナーの皆様と一緒に考えていければと思っています。


当ツアー企画担当 
TOKYO FM エンタテイメント事業部 菱山久美

2012年3月30日

3月30日「ISHINOMAKI 2.0・メンバーの実感」

県外の様々なクリエイターによる街づくりプロジェクト「ISHINOMAKI 2.0」は、フットサル大会や、ボランティアと地元の方の交流スペース作り、オリジナルブランドの家具を作る工房など、自由に次々と新しいものを生み出しているプロジェクトです。

ISHINOMAKI 2.0代表・松村豪太さんにお話しを伺いました。

◆慌ただしさまで、新しいアイデアの種 - 松村豪太さん
 ISHINOMAKI 2.0は、人出が常に枯渇している。ただ、ここでの体験はすごく中身が濃い。1ヶ月ここで我々と生活・活動したら、すごく成長する自信がある。
 例えば、企業にインターンシップとして、我々を利用して1ヶ月派遣して頂くとか。お互いにとって有意義ではと、一部企業に提案している。



実際、ISHINOMAKI 2.0には、復興・まちづくりという仕事に飛び込み、メンバーになった方もいます。
石巻工房を発案した「芦沢啓治建築設計事務所」から派遣された、片根嘉隆さん(29歳)です。
片根さんは現在、東京のデザイン学校で助手をしながら、週の半分は石巻に通う生活を続けています。

◆生を実感 - 片根嘉隆さん
 プロダクトや建築の設計業務を志していた。11月ごろに設計事務所から求人が出ていたので行ったところ、「片根は芦沢事務所ではなく石巻工房向きだから、石巻に行ってくれ」と言われ働いている。
 石巻に行ってくれと言われた時はどう返事していいか、3日くらい考え込んだが、工房で手を動かしてモノを作るというのはすごく共感していたのでやってみたいと思った。すでに芦沢さんが設計したスツール、デザイナーが考えた新商品のプロトタイプを実際に作っている。
 東京でやっていると自分のやっている仕事が本当に良いのだろうかが判別しにくい。こっちは毎日が新鮮。変な言い方だが、こちらの方が生きている感じ。生を実感する。自分がやっていることが社会に結びついているという実感がこちらの方が感じられる場所だと思う。
 人のために出来ることは何か。デザインで何かを変えたり生活を豊かに出来ればと思ってやっていたので、作ることもそれに通じる。しばらくはこちらで働きたい。

2012年3月29日

3月29日「ISHINOMAKI 2.0・活動の“いま”」

一般社団法人ISHINOMAKI 2.0は、地元商店街の若い世代や県内外の様々な職種、クリエイターなどが、自由な発想で街づくりをするプロジェクトです。
今も石巻には、ボランティアをはじめ県外から様々な人が出入りしています。
ISHINOMAKI 2.0では、そうした人々のプラットフォームとして、中心商店街の一角に、カフェスペースをオープンしたばかりです。
ISHINOMAKI 2.0代表・松村豪太さんにお話しを伺いました。

◆カフェスペースに囲炉裏がある理由
 IRORI石巻。カテゴリーは「ビズ・カフェ」。
 石巻はWi-Fiがないので、無線LANを使えるようにするだけでとても意義がある。
 ビジネスマンだけじゃなく、ボランティアとか街を観に来た観光の方でも、フリーに入ってきていただきたい。そこで繋がっていただく、ということを目的にこの場所を作った。お互い、こんな仕事をしているから、今度はこんなお手伝いができるとか、出会いの場、結びつく場として機能している。1日に平均20〜30人の方が利用。
 名前を付けるときに、囲炉裏というのはあったかい火があって、そこにみんなが当たりにくる。暖炉にあたるように集まってほしい、という思いを仲間内にアイデア出し合った時に、余った材料で囲炉裏を作っちゃった。
 人が集まることが一番の価値と考えて運営している。コーヒーメーカーを置いて無言のプレッシャーで、1杯100円。1日飲み放題300円。良心的な価格ですので、是非召し上がってください。



◆ボランティアのこの先のありかた
 これからの復興を考える上で「ボランティアツーリズム」というのは1つの考えだと思う。今までは、瓦礫の撤去や泥かきなど、わかりやすいボランティア作業体験があった。そういうわかりやすいボランティア作業はどんどんなくなってきている。
 ただ、石巻市は人口が16万人だったが、現時点で15万人。来年には14万、13万と減っていくのは間違いない。それを埋めるには交流人口でしかカバーするしかないと思う。現時点でもボランティアとか、街を見に来た方とかに訪れてもらっているが、それをもっと増やしていかないともっと衰退すると思う。
 そんな中で、今まで瓦礫撤去やヘドロかきに代わるものが、漁業体験=漁業関係の団体の手伝いをさせてもらうとか、例えば我々の石巻工房の物づくりも体験してもらって、それを内容にしたツアーが組めたら人をもっと呼べるのかなと考えている。とにかく交流人口がないことには、我々がいくら発信しても、それを聞く方がいないと始まらない。
 とにかく賑わいがあれば、商店の人とか元気に進んでいける。街が閑散としていると立ち上がる勇気もわかない。街に人が歩いていればがんばれる。本当にありのままを見に来る、そんなに深く考えなくていいと思う。




2012年3月28日

3月28日「2.0エクスカーション」

3月24日(土)と25日(日)に、番組リスナーが参加して行なわれた、「Ishinomaki2.0フットサルツアー」。

初日に行なわれたのが、ISHINOMAKI 2.0の案内による「2.0エクスカーション」です。
これは、市街地・海沿いの地域の被害と、復旧へ向かう今の石巻を、自分の足で歩き、自分の目で見てもらうというウォーキングツアー。
エクスカーションとは「体験型の見学会」という意味です。

参加者は、13歳から67歳までの24人。
歩いた時間は約3時間、7キロ。
誰もが疲れを感じるより、しっかり見ておかないと、という気持ちが強かったようです。


◆ウォーキングツアーでの案内 - ISHINOMAKI 2.0 松村豪太さん
 石巻の中心部は解体のフェーズ。とても空き地が多いが、全て建物が建っていた。去年の年末から解体が進み、見通しが良い街になってしまった。
 ここも救急車とパトカーが横転して、「今全てが動いていないんだな」という象徴的な光景があった。救急車から救急隊員を、町の人が担架で運び出すという状態だった。
 夜のお店は再開が早く、再開したお店がたくさんある一方、新しく出来たお店もある。例えば復興バー。すごく狭いが多くの方が集っている。外から来たボランティア、石巻を観に来た方や、地元の商店会の理事長や地元の若者が来ている。狭いので袖と袖が触れあい、自然と勝手に仲良くなるバーとして知られている。
 日和山という石巻市民の憩いの場。石巻の小学生が遠足で訪れたり、散歩コースになったりする場所。お花見シーズンは一番ココに人が集まる。今も途切れることなくここに花が手向けられている。
 震災時は、ここからモウモウと煙が立ち上る様子を市内の人は呆然と見ていた。


◆ウォーキングツアーに込めた意味 - ISHINOMAKI 2.0 古山隆幸さん
 石巻を単純に知ってもらいたいというのは当たり前だが、心境としては、無理な話だが震災前の石巻を見て欲しかった。
 日和山から見る景色は本当に何もなくて、すごい場所だったというのが見ただけで分かる。それは、地元の人から考えるとよりリアル。
 その前を見てもらいたかった。でもそれは出来ないから、定期的に来てもらいたい。1ヶ月に1回、2ヶ月に1回、1年に1回でもいい。石巻がどう変わっていっているのかを、1日だけで判断してもらいたくない。時系列でずっと見ていって欲しい。
 第二の故郷になってもらいたいと言ったら大げさだが、「石巻ってこう変わったんだよ」って言えるくらいに来てもらいたいと思って、紹介をしている。



日和山は、地元のお花見の名所。
桜が咲くのは、5月の連休ごろだということです。


2012年3月27日

3月27日「ISHINOMAKI2.0フットサルツアー(2)」

3月24日(土)と25日(日)に行われた番組リスナー参加の、石巻復興ツアー。
その2日目、フットサル大会「第4回 RE-FUTEBOLISTA PROJECT」が、社会人リーグ「コバルトーレ女川」のコートで行われました。
毎回、参加してくるのは自衛隊チーム、中高生チームなど、年齢も様々。
地元で参加している方の中には、被災され仮設住宅暮らしを余儀なくされている方もいらっしゃいます。
この「RE-FUTEBOLISTA」を主宰しているISHINOMAKI2.0のメンバー・古山隆幸さんにお話しを伺いました。

古山さんは、一度は地元を離れ、東京に移り住んでいましたが、被災した故郷を見て、改めて石巻の復興を決意したそうです。


◆地元に根差しながらの活動
 ISHINOMAKI2.0は、石巻商店街の若い店主と東京にいるクリエイティブな能力を持ったメンバーたちがそれぞれ集まって、「新しい石巻を作るにはどうしたらいいか」と実験的に活動。その中でマッチするものを重点的に大きくしていこうというのが目的。今回のようなフットサルイベントや、地元に根ざしながら稼げる拠点を作ろうとしている。

◆なぜフットサルなのか
 自分は元々小学校からサッカーをやっている。サッカーは素晴らしい。ボール一つあれば誰でも友達になれる。こないだ、ボールを蹴っていたらベルギー人が奪っていった。カッとなってボールを取ったら他のベルギー人も来て3対1に囲まれたが、それがとてつもなく面白かった。ボール一個あれば言葉も名前もいらない。コミュニティが生まれる。
 フットサルを見ていて分かるが、子ども対大人になる。これはいい。技術を持った大人とやることで子どもはスキルアップする。素晴らしいこと。
 いずれ「RE-FUTEBOLISTA PROJECTでフットサルをやっていた」というJリーガーが生まれたら涙がちょちょ切れる。


◆地元の「笑顔」を取り戻したい。県外からの参加を増やしたい
 交流の場でもいいし、県外からフットボーラーを呼ぶことが観光になる。石巻の色んな観光の一つで、「フットサル観光」「フットサル支援」があってもよい。
 県外の人が石巻に入ることでお金も落ちる。それが活性化につながる。それがフットサルで出来るなら。フットサルは人口も多いし、大人も子どもも女性も男性も出来る。
 県外から来てもらったのは今回が初めて。楽しくいっぱいの人数でやっているのがいい雰囲気。どんどんやりたい。県内だけじゃなく県外ともやるのがとてもいいと思っている。






2012年3月26日

3月26日「ISHINOMAKI2.0フットサルツアー(1)」

3月24日(土)と25日(日)、「ISHINOMAKI2.0フットサルツアー」が行われました。

1日目は、ISHINOMAKI2.0の案内による「2.0エクスカーション」。
これは、ISHINOMAKI2.0代表・松村豪太さんの案内で、石巻市内の被災した場所を約7キロ歩くウォーキングツアー。
石巻のかつての港町を一望する日和山公園や、まだ大量のガレキが残る海沿いの通りを歩き、震災の大きさ、復興の過程を実際に見てもらい、肌で体験してもらおうというものでした。

この日参加したのは、13歳から67歳までの24名。
みなさん口々に「テレビで見ているだけじゃ分からなかった」「実際に来て見て被害の大きさに改めて驚いた」と話していました。


翌日は、石巻市内にあるコバルトーレ・トレーニングパークでフットサル大会が開催されました。
コバルトーレ・トレーニングパークは、仮設住宅が建ち並ぶ真ん中にあって、これまでも被災された小学生などを招いてのフットサル大会が行われてきました。

この日、中西哲生擁するクロノスチームと、地元の若者たちのチーム、合わせて11チームによって試合が行われました。


明日も「ISHINOMAKI2.0フットサルツアー」の様子や、地元復興にかける思いをお届けします。

2012年3月23日

3月23日「避難を続ける双葉町民の声(2)」

埼玉県加須市旧騎西高校で避難生活を送る福島県双葉町民は、12日現在・398人。
ピークに比べて人数も減り、窮屈なストレスから解放されたという声もありましたが、話を聞いていくと、やはり健康面、精神面の問題を訴える方が多いことが分かりました。

避難生活も1年を超え、今後は生活再建が大きな課題です。
避難者の中には、ストレスを乗り越えて、次へ踏み出そうとしてる方もいます。


◆ストレスを乗り越え、次へ
 女房と二人。今の避難部屋は2人ずつ・10人5家族。2人で三畳半くらい。人の言葉とかが気になってしょうがない。そのために5月〜8月はほとんど寝なかった。煙草を吸ってぼーっと考えていた。人間は寝なくてもいられるのかと不思議に思った。ところが9月3日におかしくなって、血圧がすごいことに。240。ストレスが原因だったようだ。
 双葉にいるときはコンピューター無線機の修理・販売などの仕事。同時に料理屋の仕事もしていた。次は…色々と話がある。不動産屋さんに、家賃もいらないから海の料理をやってみろと言われた。65歳だがやりたい。



避難所で積極的に行動をされている方は少数派。 
多くの方は何かの問題を抱え、この状況を受け入れるしかない、というのが現実です。


◆8人家族で町長について行く
 8人家族で高校2年生の息子、中学1年生の娘、小学校4年の娘、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、旦那。
 4人で美容師をやっていたが、おじいちゃんが糖尿病とうつ病で大変。見守っていないとダメという感じ。こういう生活になって、お母さんも腰が痛くて足も悪くしていてみんな調子が悪い人ばかり。私は筋腫を持っていてもうすぐ手術。うちは大変。旦那だけのお給料でやっている。足りないところはお父さんとお母さんの年金で。
 文句は言えない。町長さんが一生懸命やっている。何事も一生懸命やっているので町長さんについていこうと思っている。だからうちは移動はしない。町長さんがどういう土地に行くと決めたら一緒に行けたらと思っている。



先週、双葉町の町議会は「旧騎西高校にある役場機能を福島県内に戻す」ことを全会一致で可決しています。

2012年3月22日

3月22日「避難を続ける双葉町民の声(1)」

埼玉県加須市・旧騎西高校で避難生活を送る福島県双葉町民は、12日現在で398人。
それぞれの教室で複数の世帯が同居して、共同生活を送っています。その多くはお年寄りです。
生活をするうえで必要な施設はある程度揃っています。
お風呂や洗濯場は、校舎の隣に仮設の建物が建てられていて、旧騎西高校にいる避難者が管理の仕事もしています。

避難所の方にお話を伺いました。

◆「精神的に疲れている」
 仮設風呂。5月ごろに完成した。そこで臨時職員で働いている。職員は3名。
 避難者がハローワークで面接受けて、3か月更新でやっている。(仕事ができることについては)寝ているよりはいい。
 精神的に参っている。油ものばっかし。タダで食べているから文句はいえないが、仕切りのない中で何世帯も居るし、精神的に疲れている。
 脳神経外科に通っている。眠れなくて。あたまがギューンとする。家族は奥さんと2人。膝が悪いが、5階に住んでいる。1階に移動という話もあったが、慣れてしまったので断った。しょうがない。



食事は、朝・昼・晩とお弁当が支給されています。
この日のメニューは、たぬき蕎麦・かまぼこ・チクワの揚げ物などが一つの容器に入ったものと、缶ジュースが一つ。ジュースは「たまにつくことがある」そうです。
「食べられるだけありがたい」と話す方が多い印象でした。

また、睡眠で悩む方も多いようで、「何かやろうとしてもやる気が起きない」「夜眠れないので、昼間に寝てしまう」と口にする方もいらっしゃいました。

避難者の方によれば、一時は1000人を超す人数がいたこの避難所も人が減り、「当初の窮屈さによるストレスはなく、ある程度は落ち着いた生活ができるようになった」そうです。
そうした環境から、残された398人の方は、積極的に出ていこうという意識を持ちにくくなっています。
また、経済的にも次の生活へ移るのが難しいのが現実です。


◆「行くところがあれば、避難所を出たい」
 体を動かしたい。庭に出てちょこっと草をむしったり、畑で何か獲ってみたりを今まではやっていた。
 今頃ならネギや白菜を自分のうちで漬けた漬物を食べたり。こんなことになるとは思ってもみなかった。でもまだ涙も出なくって。実感がわかない。今のところは、閉所にならないうちはずっと世話になろうと思っている。そう考えていない人はとっくに出ちゃっている。私らみたいに行くところのない人、勤めていない人はお世話になろうと考えている人が多いんじゃないか。行くところがあって、お金もどっさりあったら、せいせいとしたところに行くかもしれないけど。

2012年3月21日

3月21日「福島県楢葉町・高原カネ子さんが待ちわびる“春”」

福島県楢葉町の子どもたちの太鼓グループ「ならは天神太鼓・うしお会」の指導者・高原カネ子さん。
高原さんは、楢葉町の子どもたちに30年以上「天神太鼓」の演奏指導を続けてきた方です。
しかし、地元に愛されてきたこども太鼓は震災後、ほとんどの町民が避難生活にあるため、続けることすら困難になっています。
町の方々は話し合いを続けていますが、今も「うしお会」の今後については結論が出ていません。


◆原発事故に翻弄され続けてきたこの1年
 3月11日以降、一晩は街の体育館、そしていわき市の避難所へと逃げたが、避難所は3つとも満員。いわき市の遠くの街で3晩過ごした。その後2回目の爆発の情報を得て、常磐高速で東京へ。板橋で14日間過ごし、藤沢へ。藤沢で11か月過ごし、昨年12月29日にいわき市上田に戻ることができた。
 全て私の身内だが、3家族が一緒。家族がバラバラ、父親や母親が福島で働いているので、子どもたちとの離れ離れを解消しなければいけなかった。放射能から逃げるストレスと、子どもたちが離れ離れになっているストレスを天秤にかけると、いわき市上田という距離が中間点。藤沢だと2か月に一度しか会えないが、ここなら毎週福島市から帰ってこられる。金曜日になるとそれぞれ帰ってきて土日は大所帯でにぎやか。


◆町の大半が原発20キロ圏内・警戒区域である楢葉町
 戻れたら私は戻ろうとは思っている。インフラも含め、ある程度住める状況になり、戻りましょうということになったら、私たちの年齢くらいまではおそらく戻るかと思いう。
 でも10日や20日、1か月は「やっぱり楢葉はいいね、帰ってきたね」と暮らすと思うが、その後、好きだった畑の作物もできない。田んぼも作れない。孫たちは会いに来ない。「会いたければ出てきなさい」みたいことになった時に、そういうことに対するストレスは、ここにいるストレスとどう違うのか。
 3年後、「空間線量や土の中が改善されて大丈夫だ」となれば別だが、そうでない限り10年後、20年後、我々の命が絶えた時に、再び楢葉町の存続の危機が戻ってくる。若者が戻ってこないという街になることが見えるのであれば、除染に今一軒いくらかかるのか、500万円〜700万円とも言われるお金を使って、10年後に無くなる町を作ることが生きたお金の使い道だろうか。そういう会話が多い。私だけではない。70才の方でも同じ会話をする。
 ダメならダメで、はっきりしてもらえれば前に出る。11か月〜1年も過ごしていると、いわきにも慣れてしまう。子どもたちが、太鼓のリズムが離れていくように、ある程度の年齢のものでも、いわきの楢葉にない便利さなど、良いところを受け入れていってしまうんじゃないか。



先週、楢葉町議会は、中間貯蔵施設の設置に“反対”する意見書を全会一致で可決しました。また、4月15日は町長選挙です。
楢葉町はこの春、町の将来を決める岐路を迎えることになります。



◆高原さんが待ちわびる「春」
 ものすごく待っているんです。桜の花が咲くのを。強い気持ちで待っているんですよね。
 去年だってあちこちで咲いたんでしょうにね。全然気づきませんでした。
 待ち遠しいね、春よ来い、春よ来いって。こんなに春を待っているってなんなんだろう。
 きっと何かいいことありそうな。春と重なってくれればいいんですけどね。

2012年3月20日

3月20日「『ならは天神太鼓・うしお会』再会と共にある複雑な思い」

福島県楢葉町の子どもたちによる太鼓グループ「ならは天神太鼓・うしお会」。

本来、昨年3月に行われるはずだった「卒業生のためのコンサート」は、震災と原発事故の影響で中止となり、うしお会の子どもたちは演奏の機会を奪われました。
しかし、町の方々の「太鼓を叩かせてあげたい」という声を受けて、昨年7月、コンサートは会場を東京に移して行われました。この日会場には、避難先から集まったたくさんの方が再会を喜び、うしお会は「また集まって太鼓を叩こう」と約束して、それぞれの避難場所へと戻っていきました。
それから半年後。うしお会は今年1月に、福島県いわき市で再びコンサートを開きました。
しかし、うしお会の太鼓指導をしている高原カネ子さんは、この時のコンサートは純粋に、再会を喜ぶだけのものではなかった、と話しています。

◆区切りを迎えた複雑な思い
 1月9日のコンサートは一つの区切りという意味もあった。「もう一度地元で」とコンサートを開いたが、いわきには練習する場所もない。いわき市内で練習会場を探すのはとても大変。楢葉町であれば、隣の孫もやっているし8時9時まで賑やかでも目をつぶってくれたが、全然知らない他の地域ではなかなか望めない。
 ここで一区切りしてお休みに入ろうという集まりの場でもあった。体が覚えていたものが、気持ちも離れる。友達の顔も見ないし、練習もできない。太鼓の音も入ってこない。体からリズムが離れていくのを感じた。ものすごく繊細、単純に叩くだけが太鼓じゃない。技術として育ってきていたが、少しずつリズム、打点も衰えている。「ああ体から離れていっているな」というのを感じた。父兄とも話し合ったが、涙で結論が出ない。休みにしよう、解散にしよう、区切りだから結論を出そう。
 太鼓を置く場所もない。「浜通りじゃなく中通りの学校に太鼓を貸す」「置いてもらいながら、楢葉に持ち込むことができる日まで」というアイデアもあったが、みんな、貸したくない、どうしたらいいか分からないと結論は出ていない。ただ、1月のコンサートで「これはどこで習えるんですか」と言われたのは涙が出た。


◆子どもたちはわかっている
 1月9日(のコンサートの時)に集まっていた小さい子どもたちに、気になっていたので聞いてみた。
 「どうしてみんな会えなくなっちゃったの」
 「どうして楢葉に帰れないの」
 「帰りたくないの?帰れないの?」

 そしたら全部子どもたちは知っていた。
 「原発が爆発したんだよ、死んじゃうんだよ。楢葉にいたら」と1,2年生が言った。
 「じゃあ帰らなくていいの」と聞いたら「帰りたいよ」と。

 大人は東電を責めて、自分の悲しさやむなしさを言葉に出し話し合い、攻撃するような言葉を出すことで多少はコントロールできているが、子どもたちはどうやって心のコントロールをしているのかが心配だった。だが子どもたちは理由は分かっているのかな。


◆学力の低下
 (教育の遅れは)うちだけじゃない。うちの子はそんなに転校させられないから、2〜3年は居る覚悟で学校を探した。みなさん何度も学校を転校しているので、そのたびに教科書の範囲も違う。みんな学力の低下がある。そして集中力がなくなる。それが学力低下に繋がっていると思う。

2012年3月19日

3月19日「神戸からもらったパワー」

昨日神戸文化ホールで、被災した子供たちの学習支援や海外ホームステイを目的としたチャリティーコンサート「Support Our Kids 〜 SHARE THE WORLD チャリティーコンサート2012 in KOBE」が開催されました。

サックスプレーヤーの渡辺貞夫さん、シンガーの平原綾香さんとともにステージに上がったのは、福島県の「FCT郡山少年少女合唱団」のメンバー。
郡山市内の橘小学校、薫小学校の合唱部の子供たちもコーラスに加わりました。

橘小学校と薫小学校は、郡山市内でも特に放射線量が高い地域にあり、学校関係者も父兄の皆さんも、日々さまざまな困難に直面しています。

薫小学校・森山道明校長にお話を伺いました。


◆パワーを地域、子どもたちに戻す
 子供たちを迎え入れるために、敷地内を除染。その後もベランダや通学路も除染を続けてきた。
 外活動がずいぶん制限されてきたので、運動不足が一番大きな問題だった。最近はようやく外での活動もできるようになったので、筋力、体力を戻してあげたい。
 地域、保護者のパワー、そして子供たちが頑張っているパワーを地域に戻してあげる。その相乗効果。
 震災前に神戸に来たことがあり、新しくきれいになってよかった。子供たちも神戸に来て、いろんな人たちとの出会いから新たなパワーをもらったのではないか。
 パーカッションのパワー、渡辺貞夫さんのパワーがすごかった。



Support Our Kidsの活動については、こちらをご覧ください。
【Support Our Kids official website】



2012年3月16日

3月16日「石巻からの声」

3月11日(日)午後2時46分。
宮城県石巻市では、街中に鳴り響くサイレンの音と共に、たくさんの方が海に向け黙祷を捧げ、市内の各所では追悼式が行なわれました。

震災から一年という節目の日を被災地の人々はどう迎えたのか。
石巻市から、地元の方の声をご紹介します。


石巻の中心街にある洋品店「大町品川や」のご主人・品川守さんは、震災前と同じように、お店のシャッターを開けました。
品川さんのお店は、石巻市内の中学・高校の学生服の仕立てをしています。
14日(水)、宮城県の公立高校は一斉に合格発表があり、これから品川さんのお仕事は、1年で最も忙しい時期を迎えます。

◆「とにかく仕事」
 とにかく前に進む。誰も助けてくれない。国だって県だって市だって、自分の出来ることからはじめなきゃ。なんでもいいから前に進む。出来る範囲でいいから前に進む。それしかない。
 今からは高校の発表がある。それが過ぎたら仕事、仕事…。仕事している分には疲れはない。仕事をしていないと疲れて疲れて。とにかくなんでもいいから仕事をしよう。小さくても大きくても絶対に仕事をしていればなんてことない。とにかく仕事。



震災直後、避難所になっていた石巻市・湊小学校の体育館では、震災で亡くなった方の追悼式が行なわれました。
追悼式に出席していた、小さなお子さんを連れたご夫婦にもお話を伺いました。

◆「みんなが親切にしてくれた」
 あっという間。あまり区切りという感じはしなくて、まだまだ仮設暮らしで家も2月末に壊されたばかり。
 主人の両親、私の両親、妹一家、弟のところ、うちの身内だけで四世帯がダメになった。目の前にあった会社もダメになった。家が無くても会社が無くても食べていかなければ行けないから、主人はすぐに動き出した。その延長で今はただ必死で走っているだけ。主人はずっと休まず震災のことを考えるヒマもなく、ずっと走ってきて、なんとか会社も新しくなった。
 一年経ったから何がどうという変化はない。でも仮設は落ち着いて生活している。
 (娘は)震災の日は10ヶ月だった。まだハイハイするくらいの時。湊小学校に避難してきたときに、はじめてハイハイした。はじめてつかまり立ちしたのも全部違う場所。
 それぞれみんなに見守られて。この子がいたおかげでみんな親切にしてもらった。みんなが気をかけてくれた。お互い大変なのに、この子にみんなが話しかけてくれてパンをくれた。食べるものもないのにみんなが親切にしてくれた。

2012年3月15日

3月15日「桜ライン311」

震災による津波で甚大な被害が出た、岩手県陸前高田市。
津波は市街地にもおよび、人口の約10分の1が犠牲になりました。

「この教訓を次の世代に伝えたい。」

津波が到達した沿岸部の約170キロに、1万7000本の桜の木を植えようというプロジェクトが「桜ライン311」です。
震災から1年となる3月11日、桜の苗木の植樹が行われました。
「桜ライン311」代表の橋詰琢見さんに、震災から1年を迎えた「いまの想い」を伺いました。


◆陸前高田の1年
 もう1年、まだ1年という想い。時間がマヒしている感じ。
 この1年を振り返ってみると、震災前はなにげなく暮らしていたが、震災以降は壊滅的な街を見て、陸前高田がやっぱり好きだったと強く感じた。その好きな陸前高田が壊滅した、という想い。
 人とのコミュニケーションでも、震災前と震災後では全然違う。多くの知人友人を亡くて悲しい想い悔しい想いをしたが、震災以降支援していただいたり、新たな出会いも生まれた。そういった出会いを大切にしていきたい。



橋詰さん自身、沿岸部にあった自宅を津波で流され、震災で仕事も失いました。
でも、震災の教訓を後世に伝えるためにこのプロジェクトを立ち上げて、日々奔走する毎日を送っています。
津波の到達地点は、公共の土地だったり、民間の所有地だったりと、土地を譲り受ける交渉も簡単ではありません。
またがれきの処理が進んで、街がきれいになるにしたがって、津波の到達地点が見た目ではわかりにくくなっている、とも話してくださいました。


◆後世に伝えていく
 津波到達点170キロ。そこに1万7000本を植える計画だが、今回でだいたい270本近く。
 まだまだ始まったばかり。何年かかるかわからないが、後世に伝えていくことが大事なので、一本一本植えていきたい。




「桜ライン311」では、苗木やボランティア、そして活動資金を募集しています。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

【桜ライン311 official website】

2012年3月14日

3月14日「宮城県石巻市・浅田香菜さんからの手紙」

この春高校を卒業、宮城県石巻市から東京に旅立つ浅田香菜さん。
被災後、海外ホームステイに参加した昨年7月から、番組では彼女を追いかけてきました。いま浅田さんは、春を前に残された期間を地元・石巻で過ごしています。

震災から1年を迎えるにあたり、私たちに向けて「いま誰かに伝えたくて、一番大切だと気付いたこと」を、手紙に綴ってくれました。

≪浅田香菜さんからの手紙≫
 私は、3.11を経験してえたものは、沢山あります。
けどそれは、1人でえたものではなく、いろいろな人に与えてもらってえたものです。
私には、震災の前の日、友達と遊ぶ予定がありました。けど、遠くに住んでいることもあり、移動が面倒 という理由で、その日の予定を延期にしました。
次の日、その友達はこの震災の一犠牲者になってしまいました。
私はその日、面倒という理由だけで予定を延期してしまったことを、今でも後悔しています。 だから私は、この1年、何をするにも「次はないかも しれない」と思いながらやってきました。そうしたら、思いのほか楽しくて、毎日がすごく充実するよう になりました。
友達は、命をかけて1秒、1分、1日の大切さを教 えてくれたんだと、今は思います。
私がこんなことを話しても、実際に体験していない人にとっては、ピンと来るような事ではないと思います。 けど、もし同じ状況になったとき、一生後悔してし まうから、それは悲しすぎることだから、私は今沢山の人に伝えたいです。
 今この一瞬を大切に生きてください。お願いします。

そして私は、この1年間、世界中の方々に支援していただき、3月1日に無事に高校を卒業する事が出来ました。私は、これから夢を叶えるために地元石巻を離れます。まだまだ復興途中の石巻から出て行くことに、沢山の不安があります。
しかし、私は夢を叶えて、そして、支援をしていただいた方や、お世話になった多くの方々に、伝えきれずにいる「ありがとう」を伝えていきたいです。
 宮城県石巻市 浅田香菜


浅田香菜さんは、これから東京で就職して、働きながら夢を追いかけていきます。
震災後、ボランティア活動や地元FM局のラジオパーソナリティなど、様々なことに挑戦してきた彼女。
いつも笑顔を絶やさず、「今はすごく充実しています」と話してくれました。
ただ、いよいよ旅立ちの日まであとわずかとなった、3月11日。
手紙を読み終えたあと、こみあげてきた素直な気持ちを打ち明けてくれました。

◆石巻を離れる直前の気持ち
 実際泣きたいときは出てくる。ふと会いたくなる。おじいさんとか。
普通に生活ができるようになってきて、普通に生活していた時期を想い出す。震災の前。そうすると友達と一緒、おじいさんと一緒のことを思い出し、本当はここにおじいさんがいたんだと、普通に生活をしてみて想い出すことが多くなった。
(東京に行くことに関して)きのう友達と遊んだばっかりで、東京に行きたくないと思った。また一人も欠けないで集まろうねって。それを家に帰ってふと思った時に、たぶん震災がなければ「一人も欠けないで」なんて思わない、集まれる時に集まろう、だった。そうやって友達と離れるんだと思ったら行きたくなくなっちゃった。あっちに行ったら行ったで、東京に来てよかったと思うんでしょうけど。だからちょうど嫌なこともいいことも半分半分。これからもっと生きていって、いやなこと半分が、良いこと半分以上のやつで消えてなくなっちゃえばいいなと思う。


2012年3月13日

3月13日「雄勝中学校・卒業生、在校生が届けた音色」

3月10日、宮城県石巻市・雄勝中学校で卒業式が行われました。
式の後の「卒業を祝う会」では、雄勝中在校生による「復興和太鼓」が演奏されました。

雄勝町の郷土芸能「黒船太鼓」の太鼓は、昨年の津波の被害で、音が出なくなってしまいました。
しかし、生徒たちに太鼓で笑顔になって欲しいという校長先生の発案で、街に落ちていたタイヤにビニールテープを巻いた手作りの太鼓を作り、「復興和太鼓」と名付ました。

雄勝中の生徒たちは、地元の太鼓保存会の指導を受け、タイヤの「復興和太鼓」で練習を続けていて、すでに各地でその演奏を披露しています。
その演奏は海外の支援団体からも評価され、3月17日にはドイツに渡り、復興和太鼓の音色を届けることになっています。


◆練習の成果を披露した生徒たちへ、雄勝中・佐藤淳一校長が語りかけた言葉
 今日の太鼓の演奏は最高でした。
 君たちは大変な思いをしたが、その分、素晴らしい方々と出会い、貴重な体験もした。
 そして多くの人たちに支えられた。きっと君たちは、人を支えられる、たくましい人になっていくと確信しています。




2012年3月12日

3月12日「戸倉中学校の卒業式」

3月10日、宮城県南三陸町戸倉中学校で卒業式が行われました。

街全体が津波の被害を受け、近隣の登米市の廃校を借りて授業を続けてきましたが、この日は、慣れ親しんだ戸倉中学の校舎で、卒業式が行われました。


◆卒業生代表・小野寺翔くんの答辞
 私たちは今日卒業します。大好きだった故郷・戸倉で卒業式を迎えられたことに感激しています。
 ほとんどの人が住む家を失い、生きていくのが精いっぱい。学校のことは考えられませんでした。しかし学用品や運動着など温かい支援や励ましをいただいたことを生涯忘れません。
 たくさんの学校やボランティア団体との交流がありました。人のやさしさ、温かさを知り、いつの日か自分も困っている人のために役立とう、と強くこころに誓いました。
 そして、僕たちをここまで導き、困難をともに乗り越えてくださった校長先生、諸先生方、ありがとうございました。
 そして最後に、保育所からいままでずっと一緒だった3年1組19人のみんな。今日でみんなとお別れです。いつも照れくさくて言えなかったけど、みんなにも本当に感謝しています。
 南三陸町の復興は若い私たちに託されています。津波の犠牲になった1万人の分まで、わたしたちはこの命を大切にします。そしてこれからの街の復興に貢献できるよう、20名全員がそれぞれの道を全力で邁進します。



◆卒業生・後藤麻里菜さん
 最初は学校で式を挙げるのに反対の大人の人もいた。でも、ずっと震災までの2年間、いっぱいの思い出があった場所なので、そこで卒業式をして区切りをつけたいと思っていた。なので、今日は学校で卒業式が出来て嬉しい。


◆小野寺由美子校長・卒業式を迎えて
 失ったものもたくさんあるけれど、多くの人に支えられて、子供たちは大きな財産をもらって卒業することができた。
 ホームグラウンドであるこの校舎で卒業式ができて、幸せだった。
 来年度4月からは志津川中学校を間借りすることが決まっているが、その先はまだまだ未定。学校統合という話も出ているが、地域になくてはならない学校なので、一日も早く授業が再開できるよう、地域の人たちと協力してやっていきたいと思っている。



まだ校舎は津波で破損したところが残っていて、敷地の一部は仮設住宅になっています。「インフラを含めた町の機能」が回復しないと、ここでの授業再開のメドが立たないという事でした。


2012年3月9日

3月9日「災害支援を行なう『Civic Force』の活動」

災害支援を行なう「Civic Force」の活動と、被災地支援の現状を、Civic Force東北事務所統括・勝田和一郎さんに伺いました。
宮城県気仙沼市を中心に、復興支援活動を続けています。


◆Civic Forceの活動
 Civic Forceは中間支援団体。自分たちで支援を行うというよりは、企業や行政、他のNPOなどを調整して、より効率的な支援に繋げる、ということをやっている。夏以降、長期的な復興のフェーズにおいては、地元で支援されている方をサポートする、ということをやっている。
 例えば、障害児童の療育を行う団体「ネットワークオレンジ」の支援。もともと障害のある人もない人も住みやすい街づくりを行うということを掲げていたが、この震災を受けて「東北マルシェ」を企画。被災した商店に声をかけて販売会をしている。商店街を盛り上げていくためのワークショップや、講師を呼んできて客観的なアドバイスをもらっている。そういったことを組み合わせ、工夫し、相談させていただきながら、やっている。


◆被災地の現状と課題
 ゴールが見えないマラソンをしているようなもの。1つは住まい、2つめは仕事。
 ハローワークに行くと、建築や介護などの仕事はあるが、そこはスキルを求められたり、これまでに全く経験のない分野の仕事ばかりでミスマッチが生じている。
 仕事がないと暮らしも苦しいし、精神的にも追い込まれている方もいるという印象を受ける。住まいと仕事は、大きな課題。


◆気仙沼での新たな取り組み
 今、「支援したい」という方々がたくさんいる。企業、NPO、研究者、教育機関など。一方受け入れる側は、そんな経験がないので、「支援したいという気持ち」をどう受け止めていいかわからない。そこを調整できると、本当に効果的な支援に繋がるんじゃないだろうか。
 気仙沼ではそういう取組みも出来てきた。NPO間の連絡会ができて、市役所の方も参加して、どういったニーズがあるかお伝えした。ある場所でイベントをやるのに人が足りない、となったら、そこに応援に入ったり。「この地域でこういうニーズがあるけど、わたしたちは対応できないならほかの団体にやってくれないか」とか。
 また最近、気仙沼大学ネットワークを発足。気仙沼に入っているいろいろな大学の方々が、自分たちはどんな活動をしているか紹介し、必要に応じて支援に応えるなどしている。そういうことが効果的につながれば、よりよい支援に繋がるのではないか。



【Civic Force official website】


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震災の記憶と記録を次の世代に受け継ぐための、音楽とトークの集い、「写真が伝えるものがたり 『あの日のこと』」が、3月11日(日)に開催されます。

第一部は、仙台出身で世界的な戦場カメラマン・高橋邦典さんが撮影した被災地の写真と、朗読・音楽のコラボレーション。

第二部は、被災地の皆さんと、国連ハビタット親善大使・マリ・クリスティーヌさんのトークが予定されています。


日時:3月11日(日)午後2時〜
会場:イイノホール(千代田区内幸町)

チケット:1000円(全席自由席)
 ※チケット代は全額、東日本大震災の被災地支援に活用されます。


お申込みなど、詳しくはこちらからどうぞ。
【認定NPO法人 日本ハビタット協会】

2012年3月8日

3月8日「震災直後から言葉を紡いできた詩人・和合亮一さん」

震災直後からツイッターで作品を発表していた福島在住の詩人・和合亮一さん。

震災から一年を迎える福島の今とこれからについて、電話でお話を伺います。


和合さんは、この1年を詩とエッセイで振り返る「ふたたびの春に」を発表。
さらに、南三陸町在住の写真家・佐藤秀昭さんとコラボレーションした写真詩集「私とあなたここに生まれて」が今日発売になります。


【和合亮一 Twitter(@wago2828)】

2012年3月7日

3月7日「アクアマリンふくしま 黒田征太郎ワークショップ」

3月3日(土)に、福島県いわき市「アクアマリンふくしま」で、イラストレーター黒田征太郎さんによる、被災地の子どもたちのためのワークショップが行なわれました。
これは、ファッションブランド「TOMMY HILFIGER」とカルチャー雑誌「SWITCH」による被災地支援プロジェクトで、福島の子どもたちに海や自然との楽しい想い出を作り、そして何より笑顔になってもらうためのイベントです。
ワークショップは2部構成で行われ、1部は「水」をテーマに、子どもたちが夢中になって思い思いの「水の絵」を描きました。2部では、水族館の水槽の前に用意された2m×5mほどの巨大なキャンバスに、子どもたちが海のいろいろな生き物を描き、その後、黒田さんが絵を仕上げました。
黒田さんは、トランぺッター近藤等則さんの生演奏からインスピレーションを受けながら、大きなキャンバスに、次々色を塗り重ね、作品を仕上げていきました。


◆描いたストーリー
 テーマは水。できたものに関してはみなさんが判断すればいい。たぶん感じてもらっているとおりのストーリー。「再生」。水と太陽が融合して命が出てきて、それが黒い色で消されてもまだ生きようとしている。
 僕の今回の津波、地震、原発に対しての想い。まだまだ人は滅びないと思いたいという。子どもたちを見たら、そう簡単に滅びたらいけないなと思う。












2012年3月6日

3月6日「水族館・アクアマリンふくしまが再開し、伝えること」

昨日ご紹介した、ファッションブランド「TOMMY HILFIGER」とカルチャー雑誌「SWITCH」の支援プロジェクト「the HILFIGERS LOVE JAPAN Charity Project」。
3月3日(土)には、このプロジェクトの一環として、イラストレーター・黒田征太郎さんによるワークショップが、福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」で行なわれました。

アクアマリンふくしまは、地震、津波、そして停電などの被害で約20万匹もの生き物を失っています。
去年の夏に営業を再開したアクアマリンふくしまは、夏の来場者数は例年の2〜3割程度に落ち込んでしまいました。

営業再開までの経緯、そして今の状況を、安部義孝 館長に伺いました。


◆アクアマリンふくしまの現状
 水族館は水処理工場みたいなもので、電気などライフラインが途絶えると全くだらしがない。
 魚も大部分死なせてしまった。残念だったが、建物の外にでかいプールがあって、そこにいたのは太平洋に逃げて行った。今頃大きくなっているかもしれない。この水族館はトドやセイウチやアザラシも飼っているのだが、そういうのは呼吸するのでしばらくいた。餌の冷凍庫がダメになり、鴨川シーワールドに運び、そこを経由して避難先へ。そういう緊急対応に追われた。なんとか夏休み前に修理しようと決め、4か月後の7月15日に再開。
 いわきは放射線量が意外と少ない。全般的に低い。雨が降って、川を伝い、海へ行くんだと思うが、場所によって高くなる可能性もある。低い低いという宣伝はまずいだろうと思っている。


アクアマリンふくしまは、館内5か所で放射線量を測定、ウェブサイトで情報を開示しています。

厳しい状況が続いている中、アクアマリンふくしまでは、海に関心を持ってもらうため、「環境水族館」というコンセプトで、地元福島の海・山・川の生態系を再現するなど、様々な工夫を凝らし続けています。


◆「環境水族館」が伝える自然の仕組み
 自然界は食物連鎖があり、食う食われるの世界がある。それを見てもらうのは水族館の使命。自然界がそういう風に出来ている、死を見せよう。食用ガエルが徐々に土に還る。生き物はいっぱいいるが死体は見えない。それをちゃんと清掃する生物が海にもいる。魚の死体を入れておくと、ムシロガイという巻貝が集まり、たちまち骨まで食べる。そうした自然界の仕組み、誕生、食う食われる関係、死、それを魚や下等動物の世界では展示ができる。子どもたちと囲む自然は貧しくなっていく。そういう観察を水族館でやる。
 捕食者と被捕食者を一緒に飼育。この展示を維持するのは大変。いわしはどんどん入れなきゃいけない。アザラシのための鮭はいる。それぞれの水槽にシナリオがありテーマがある。



【アクアマリンふくしま official website】





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「LOVE&HOPE」でもご紹介しているプロジェクト「Support Our Kids」によるチャリティコンサート「SHARE THE WORLD 〜チャリティーコンサート2012 in KOBE〜」が3月18日に開催されます。

東日本大震災で被災した子供たちの自立を支援するためのチャリティコンサートで、神戸と東北、大震災を経験した二つの地域が一緒になり、未来に向けたメッセージを届けます。

日時:3月18日(日)午後2時〜
会場:神戸文化ホール大ホール
出演:渡辺貞夫さん、平原綾香さん、神戸市立住吉小学校合唱団のみなさん 他、福島の小学生も参加
チケット料金:3500円(税込)

詳しくはこちらからどうぞ。
【Support Our Kids「SHARE THE WORLD 〜チャリティーコンサート2012 in KOBE〜】

2012年3月5日

3月5日「チャリティーTシャツに込める想い」

震災以降、それぞれ被災地支援を続けてきたファッションブランド「TOMMY HILFIGER」とカルチャー雑誌「SWITCH」は、今年の3月11日を迎えるに当たり、共同で様々な支援プロジェクトを進めています。
その一つが、チャリティTシャツです。

「SWITCH」代表・新井敏記さんに伺いました。

◆the HILFIGERS LOVE JAPAN Charity Project
 SWITCHとして1年を経て何が出来るか、具体的に出来ることをしたいという想いからTシャツをデザイン、寄付に使う。
 SWITCHで関わりのあるアーティストにTシャツをデザインしてもらい、販売することで具体的なアクションを。



Tシャツをデザインを手がけたのは、アートディレクター・森本千絵さん、女優・鶴田真由さんと、アーティスト・中山ダイスケさん、俳優/映画監督・伊勢谷友介さん、イラストレーター・黒田征太郎さんです。



デザインを手がけたお一人、イラストレーターの黒田征太郎さんに、Tシャツに込めた想いを伺いました。

◆チャリティーTシャツで描いたもの
 今回のことは天災と人災。天災は地震と津波。人災は福島原発。あれは“起こった”のではなく“起こした”。
 人間が愚かしく振り回されている。天からの宿題をとうとう与えられたのだと思う。おたおたしたってしょうがない。Tシャツの話を頂いたときに「あっけらかん」と描こうと思った。
 描いたのは波と太陽の力をもらいながら、なおかつ波も太陽も海も空も、人を救うがなぎ倒しもする。だけどそれに負けない雑草を描いた。もう一つは「fukushima」という文字を真っすぐかいて、左側にキノコ雲。核兵器が爆発したときの噴煙を描いて、右側はそれを逆さにしたフレスコ。その中に雑草の種を一個落としたら芽が出る。福島はいつまでも泣いていないという希望的観測。もうひとつは、鳥にも見えるし骸骨にも見えるモノがいて、泣いているが泣くものかと涙が逆転している。そこに羽ばたこうとする羽が生え、必死で飛べ飛べと言っている足がある。謎解きみたいなモノ。
 今改めて見ているんだけど、全部忘れている。そんなもの、僕は。そんな必死で人が人を救えるわけがない。でも何か自分で出来ることはお手伝いがしたい。オーバーに言うと、今回のことは世界中が被害者。福島だけ、東北の人だけじゃない。日本だけじゃないし朝鮮半島も中国大陸もハワイの人もみんなが被害者という意識が持てれば。ヤバイ、ちょっと考えようという契機になればいいなと思っている。



チャリティーTシャツは3月11日から、全国のTOMMY HILFIGERの店舗で販売されます。
全ての利益が、被災地支援に寄付されます。

【the HILFIGERS LOVE JAPAN Charity Project】

2012年3月3日

【お知らせ】チャリティーコンサート「SHARE THE WORLD」

番組でもご紹介しているプロジェクト「Support Our Kids」によるチャリティコンサート「SHARE THE WORLD 〜チャリティーコンサート2012 in KOBE〜」が3月18日に開催されます。

東日本大震災で被災した子供たちの自立を支援するためのチャリティコンサートで、神戸と東北、大震災を経験した二つの地域が一緒になり、未来に向けたメッセージを届けます。

日時:3月18日(日)午後2時〜
会場:神戸文化ホール大ホール
出演:渡辺貞夫さん、平原綾香さん、神戸市立住吉小学校合唱団のみなさん 他、福島の小学生も参加
チケット料金:3500円(税込)

詳しくはこちらからどうぞ。
【Support Our Kids「SHARE THE WORLD 〜チャリティーコンサート2012 in KOBE〜】

2012年3月2日

3月2日「子供たちの希望 写真家・長倉洋海さんインタビュー」

アフガニスタンやエルサルバドル、コソボなど、世界各地の紛争・内戦の現場を長年取材してきた日本を代表する報道写真家・長倉洋海さん。

今回長倉さんがフィルムに収めたのが、被災地の子どもたちの姿です。
昨年9月〜12月、福島県南相馬市といわき市、岩手県宮古市、宮城県仙台市に入り、各地の小中学校で撮影を行いました。

長倉さんの眼に映った被災地の様子と子どもたちの姿について、伺いました。

◆子どもたちの笑顔
 がれき自体は特別すごく驚いた、というわけでもない。今回はがれきそのものを撮るというより、そこで暮らす子どもたちの「いま」を撮りたかった。
 一番印象的だったのは、やはり子どもたちの「笑顔」。大人たちを励ます笑顔を子どもたちは持っている。それは世界の紛争地と一緒。ただ明るいところだけでなく、つらそうな表情もたくさん感じた。子どもたちが持っている本来の「明るさ」「強さ」「元気」は確かにあるが、放っておいてもそれを維持できるわけではない。大人たちが、「子どもが笑顔でいられる環境」を作ってあげないといけないと思った。



今回は子どもたちに事前に作文を書いてもらい、撮影を行いました。
子どもたちと接する中で、長倉さんは一つの「希望」を感じたそうです。

◆子供たちの「希望」
 もちろん震災で大変な目にあったというのは事実だが、「僕、津波でDVDとゲームソフトを全部流されて、それが悔しい。全部取り戻したい!」という子どもがいて。とても子どもらしいなと思った。
 家が壊れて仕事がなくなって、大人は「復興にどれだけ時間とお金が掛かるんだろう」と考えてしまいがちだが、何気ない会話が、子どもたちの感じた津波や震災。
 僕が出会った子どもたちは総じて、つらいことがあったからこそ、何気なくだらだらと過ごしてきた日常をしっかり生きたいという気持ちを感じた。助けられたので今度は助けたい、と。
 日本では紛争や大きな災害がなかったが、僕が出会ったアフガニスタンやエルサルバドルの子どもたちは、お医者さんになりたいとか、周りの人を助けたいという気持ちがすごく強かった。
 震災のすごく悪い材料の中で、子どもたちがそうやって考えていることが、唯一いいことなのかな。




長倉さんは作品集「だけど、くじけない 〜 子どもたちからの元気便」で今回の写真と子供たちの文章をまとめています。
また、3月4日(日)から新宿「コニカミノルタプラザ」で、写真展も開催されます。


【長倉洋海 official website】

【コニカミノルタプラザ official website】



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宮城県石巻市を中心に活動するボランティア団体「石巻2.0」の協力のもと、1泊2日の石巻復興支援ツアーを企画しました!

日程:3月24〜25日

1日目:石巻市内の津波被害の様子や、復興の取り組みを歩いて視察。
2日目:石巻の仮設住宅地域で開催される、石巻2.0 × LUZeSOMBRA PRESENTS「RE-FUTEBOLISTA PROJECT」の第4回フットサル大会。こちらには、中西哲生も参加します。

詳細はこちらをご覧ください。
【「クロノス」×ISHINOMAKI2.0 石巻復興支援ツアー】

2012年3月1日

3月1日「雄勝町で支援を続ける立花貴さん(3)」

宮城県石巻市雄勝町で震災復興に取り組む立花貴さん。
立花さんは宮城県仙台市の出身で、東日本大震災を機に、雄勝町で給食支援や教育支援などに取り組んでいます。

雄勝に住民票を移し、「雄勝の住民」となった立花さんにお話を伺いました。


◆新たな街づくりのビジョン
 いま雄勝の町には、人の気配がない。漁業単体を再生させても町に人は戻ってこないので、いま3本柱で街づくりをしていこうと思っている。
 ゝ業をベースにした食の町
 ⇒詐|羈惺擦鮹羶瓦砲靴振軌蕕猟
 8Г了挫呂破^神楽や和太鼓があり、伝統工芸や文化が残る町
 そこで「食」「教育」「伝統」、この3つで街づくりをしていこうとしている。
 同時並行的に30プロジェクトぐらい進めて、雄勝はいつも面白いことやってるなと思われるように頑張りたい。世界にも発信して、皆でやっていくのが今年の目標。



◆雄勝の子供たちによる和太鼓の演奏
 雄勝中の子供たちは和太鼓を練習してきたが、それもすべて流されてしまった。海で太鼓を拾い集めたが、皮が海水に使って音が鳴らない。
 校長先生の呼びかけで、もう一回太鼓を復活させようという時に、タイヤにビニールテープを巻いたらどうかというアドバイスがあった。雄勝の町にはタイヤは落ちていたので、古タイヤにビニールテープを巻いて、100円ショップで買った麺棒をバチにして、これを「雄勝復興輪太鼓」と名付けた。お披露目は8月20日、雄勝の「教育夏祭り」。集まってくれた人は感動してくれた。秋には東京駅のリニューアル式典でも叩いて、400人くらいの人が聞いてくれた。魂を揺さぶるような音で、それを聞いたドイツの方が、ぜひドイツにと招待してくれた。3月17日から4日間、ドイツで演奏会をすることになった。
 東京にも出ることがないような子供たちが海外に出ていくというのは、地元の大人たちの希望にもなる。子供たちもこの一年でものすごく成長した。子供ってこんなに成長するんだとびっくりする。



立花さんの活動について、詳しくは立花貴さんのブログをご覧ください。

【立花貴さんブログ「人は根っこにつながる!」】



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宮城県石巻市を中心に活動するボランティア団体「石巻2.0」の協力のもと、1泊2日の石巻復興支援ツアーを企画しました!

日程:3月24〜25日

1日目:石巻市内の津波被害の様子や、復興の取り組みを歩いて視察。
2日目:石巻の仮設住宅地域で開催される、石巻2.0 × LUZeSOMBRA PRESENTS「RE-FUTEBOLISTA PROJECT」の第4回フットサル大会。こちらには、中西哲生も参加します。

詳細はこちらをご覧ください。
【「クロノス」×ISHINOMAKI2.0 石巻復興支援ツアー】

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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