2012年6月29日

6月29日「明日開催・おおつちありがとうロックフェスティバル」

6月30日(土)に、岩手県大槌町で地元・大槌の人たちが主体となって行なわれるイベント「おおつちありがとうロックフェスティバル」。
実行委員長・古館王士さんにお話を伺いました。

◆「ありがとう」の意味。
 大槌町民をはじめ被災地から、これまでなかなか言えなかった「ありがとう」。支援してくれた方、ボランティアの方、東北のことを考えてくれている人たちへの「ありがとう」。大槌町民が、こうやってしっかり立ち上がろうとする姿を他県の人たち、大槌の子どもたちに見て欲しい、ということで企画。
 大槌町の方々がお金を出しあって購入した花火による「おおつちありがとう花火大会」や、来場者へ大槌の子どもたちからの「しおり」のプレゼントなどがある。
 大槌にある旧小学校校舎が、この日から翌日までは宿泊施設になります。100人宿泊可能ということなので、宿泊も検討する方はこちらがオススメ。
 漁協が活動できない中、若い漁師達が大槌・新漁協を設立。彼らの協力で、ウニ祭を開催。
 午前と午後で、それぞれ先着1000名にウニを無料でプレゼント。
 イベント当日〜翌日は、旧小学校校舎が「きらりベース」という無料の宿泊施設になる。100人宿泊可能。ここで後夜祭として交流を深め、飲んで食べることも楽しんで欲しい。



「おおつちありがとうロックフェスティバル」
日時:6月30日(土)9時〜
場所:岩手県大槌町
【「おおつちありがとうロックフェスティバル」Official Website】


宿泊施設については、こちらからご確認ください。
【「きらりベースプロジェクト」 Official Website】

2012年6月28日

6月28日「福島のいまの状況と向きあう『peach heart』(4)」

福島県の女性たちが立ち上げた「peach heart」。
同じ環境に悩み、不安を抱える福島の女性たちが「対話できる場所」を作ることを目的に、様々な活動をしています。

その一つが、ひとときの旅行で心と体を休め、語り合う「Restrip(レストリップ)」です。
先日、メンバーと参加者はこの企画で山梨県北杜市を訪れました。
そのうち一人の女性は、この旅がきっかけで、今後の生き方について大きな決断をしています。
peach heart共同代表の宍戸慈さんにお話を伺いました。

◆福島で暮らす選択
 福島に暮らしながらデザイナーをしている女性は、同僚女性に子どもがいたため、震災後避難してしまったことにより、仕事をが増え、一切休みがない状況が続いた。頑張り屋さんの彼女は弱音も吐かず1年間、福島で生活を続けていた。Restripで何か変わるのではと参加した。ガールズカフェ(山梨県北杜市)で、支援者と対話して改めて、福島に残るという決断をした。デザイナーとして、福島のことを伝えていくことに協力していきたいと話してくれた。

参加者の中には、「まだ決断できていない」という女性もいます。
宍戸さんはそういう女性に対して「まだ決断しないという選択もある」と、前向きにとらえるよう、アドバイスしているそうです。


先日、この選択に悩む方を支援する「原発被災者支援法」が成立しました。
この法案の成立を、彼女たちはどんな想いで受け止めたのでしょうか。

◆原発被災者支援法が成立して
 私たちそれぞれの選択を肯定してくれる法案であってほしい。
 国だけじゃなく日本、世界に住む全ての人たちが、それぞれの選択を肯定してあげられるような社会になっていってほしい。
 私も現場で被曝をした。ある論説によれば、障害を持つ子どもが生まれてくるかも知れない。障害を持って生まれてくる子供が幸せじゃないのか。そうじゃない。そうだとしても、その子を可愛がって、愛を持って育てるお父さんやお母さんはたくさんいる。その障害と上手に付き合いながらも働いている方々もたくさん世の中にはいる。
 そういう差異をサポートしていける心持ち、制度のある社会になっていく。この福島をきっかけに、そういう社会を作っていけたらいいなと思っている。



peach heartは任意団体のため、運営はメンバーの自己負担と寄付金でまかなわれています。
詳しくはpeach heartのウェブサイトをご覧下さい。
【任意団体peach heart official website】

2012年6月27日

6月27日「福島のいまの状況と向きあう『peach heart』(3)」

福島県の女性たちが立ち上げた「peach heart」。
いま、福島が置かれている状況とどう向きあい、これからの生活や人生をどうしていけば良いのか、女性同士が本音で話し合うために、様々な活動をしています。

活動の中心となっているのは、福島出身の女性5人。
目的は、同じ環境で不安や悩みを抱える女性たちが「対話できる場所」を作ることです。
peach heart共同代表の宍戸慈さんにお話を伺いました。

◆peach heartの活動内容
 ●「fuku×fukuガールズcafe」…2ヶ月に1度、ワークショップでピラティスや料理教室、メイク講座をした上で、対話の場を設ける。生き方を見つめ直す、生き方を見つける場。
 ●「Restrip(レストリップ)」…県外などで心と体を休め見聞を深め、ネタを収集して帰ってきて福島での生活に活かす女子旅。旅先で対話する時間を設けている。
 ●マスクの販売。福島ではマスクをしているといじめられる。放射線を気にしているというのがいじめの理由。 カワイイ布の生地の布マスクの販売をしている。


◆対話から生まれる決意
 対話について。2人1組で、3分間で自己紹介。10年後の自分のイメージを相手に話す。10年後福島で暮らしていたいとか、夢についてとか。誰かに聴いてもらうことは整理になる。相手との考え方の違いに刺激を受け、様々な選択が分かるようになる。
 先日の山梨県北杜市でのレストリップでは、山梨で農業をやっている女性と、福島の農家の女性がペアになって対話をした。福島の彼女は去年1年いっさい土に触れられずバイト生活をしていて、農業に戻るか、福島で農業以外の道を探すか迷っていた。その彼女は北杜市の女性と話す中で、やっぱり土が好きで農業がしたいと福島を出る決意をした。そうした話し合いが選択の助けになるというのがガールズカフェの目的。



peach heartは任意団体のため、運営はメンバーの自己負担と寄付金でまかなわれています。
詳しくはpeach heartのウェブサイトをご覧下さい。
【任意団体peach heart official website】

2012年6月26日

6月26日「福島のいまの状況と向きあう『peach heart』(2)」

福島県の女性たちが立ち上げた「peach heart」。
いま、福島が置かれている状況とどう向きあい、これからの生活や人生をどうしていけば良いのか、女性同士が本音で話し合うために、様々な活動をしています。

地元を離れ避難するのか、留まるのか。
この選択をめぐって、福島の女性たちが直面している問題とはどんなものなのでしょうか。
peach heart共同代表の宍戸慈さんにお話を伺いました。

◆“母子になる前”の女性の立場
 なぜ母子だけに目を向けられているのか。28歳の私も明日妊娠するかもしれない。そうすると母子になる。
 母子になる前の女子は放っておいていいのか。単身の女子は生計を立ててくれる人はいない。自分でやりくりしているので、避難する場合は仕事も辞めなければいけない。
 常に恋愛と結婚と放射能を一緒くたに考えていかなければならない。県内で結婚したらきっとそこで子どもを生まなければいけない。自分の心の中では、子どもはここで育てることは出来ないのではないかと思っている。つまり結婚後に母子避難をしなければいけない。結婚したのに母子避難で別々に暮らす、じゃあなんのために結婚するのか。「じゃあ避難先の人を見つければいいじゃない」というケンカになってしまう。



peach heartは任意団体のため、運営はメンバーの自己負担と寄付金でまかなわれています。
詳しくはpeach heartのウェブサイトをご覧下さい。
【任意団体peach heart official website】

2012年6月25日

6月25日「福島のいまの状況と向きあう『peach heart』(1)」

福島県の女性たちが立ち上げた「peach heart」。
中心メンバーは、福島で生まれ育った30代前後の女性5人です。
福島で生活を続けている方もいれば、北海道や東京に避難している方もいます。
彼女たちの活動は、福島のいまの状況と向きあい、生き方を考えるための場所作りを提供するもの。
同じ立場の女性たちに呼びかけ、様々なイベントを企画しています。

ピーチハート・共同代表の宍戸慈さんにお話を伺いました。

◆本音を言えない、イヤなことはしゃべりたくない
 発足は去年10月。福島大学で開かれた「若者会議」で、福島の大学生女子たちの間で
「本音を言える場所がない」ことが話し合われた。不安を感じている子、大丈夫だという子、それぞれいる。
 (他県の大学に)編入したいが相談相手が分からない、親に戻ってこいと言われているが友達と離れたくないという話は家族や友達としづらく、話を出来る状況がないのが問題だと気づき、peach heartを発足。
 同じ大学の友達でも、県内出身者や県外出身者がいて、それぞれ認識や情報の差があり、福島は「危険か危険じゃないか」、それぞれの考えがある。
 Aは関西出身で関西に帰ることが出来る。Bは線量の高い渡利地区在住。Cは線量のことは気にしていない。その3人が福島に住むこと、線量について話し合うと意見が食い違い、しこりのようなものが出来てしまう。だからその話を避け、イヤなことはしゃべりたくないから口をつぐんでしまう。このままではいけない。福島に生きることは選択の連続。居ることも出ることも選択しなければいけない。


◆選択を認め合える場
 自分で選択したことを認識していないと不幸が起こる。
 福島に残ると健康被害や子どもへの問題が起きるかも知れない。それを覚悟したのなら自分の選択として乗り越えられる。選択していないという気持ちだと、東電のせい、国のせい、など誰かのせいにして生きることになる。それは不幸。自分で選択せずにそこにいる女の子たちと、お互いの選択を認め合える対話の場を作りたいと思ったのがきっかけ。



宍戸さんご自身は、福島を離れる選択をしています。
現在は北海道に拠点を置いて、福島、東京を行き来しながら、peach heartの活動を続けています。
一方、共同代表のもう一人、南相馬出身の鎌田 千瑛美さんは、東京在住。peach heartの発足と時を同じくして福島で働いています。


【任意団体peach heart official website】

2012年6月22日

6月22日「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(5)」

福島第一原発事故の避難指示の無かった地域から“自主避難する方”“そこに留まる方”、どちらの選択も尊重されるべき。どちらの不安も解消しなければならない、という声を受け、国会で「子ども・被災者支援法案」が成立しました。

河崎健一郎弁護士をはじめとした「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」のメンバーはこの問題に取り組んできました。
河崎弁護士にお話を伺いました。


◆「避難する権利、それぞれの選択」
 6月に出版したブックレット「避難する権利、それぞれの選択」(岩波書店)では、弁護士2人、新聞記者の4人で、自主避難者、残った方がどうなっているのかを調べ、それは法律的にどういう立場でどうなっていくべきかを書いた本。
 弁護士3人のうち1人の女性は、いわきで被災、当時5人目の赤ちゃんを生む時だった。彼女は悩んだ挙句、いわきで弁護士活動をつづけながら子育てを続け、被爆の問題と真正面から向き合っている。今から避難しようと考える人に、どんな都道府県が候補としてありえるのか、それぞれの支援プログラムについて簡単に触れる形で紹介している。


◆違和感があることは声を上げて欲しい
 福島の方々はあまりにも色々な、正反対の情報を外からたくさん言われてすごく混乱、心を閉じている。
 目の前の違和感、ささいな違和感は、現実の問題解決に繋がらないかも知れないが、違和感がある、違うと思うということは声を上げてほしい。それを弁護士が、法律的にはどうなのか、国としてどうなのかというアドバイスが出来る。声を上げるのは現地の人にしかできない。そこを見過ごしたら何も始まらない。
 避難する権利がこんなスピードで国会に取り上げられるとは思っていなかった。それはみんなが心の中で感じていた違和感。線を引かれて、その内側はお金がもらえ避難させられ誰もいなくなったが、内側は子どもたちが小学校に行っているのはおかしい。違和感があったから法律として議論の俎上に上がった。



【福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク Official blog】

【ブックレット「避難する権利,それぞれの選択 、―被曝の時代を生きる―」(岩波書店)】

2012年6月21日

6月21日「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(4)」

東京電力福島第一原発事故の後、国から避難指示が出なかった地域から、自分の判断で他の地域への避難を選んだ“自主避難者”。
その数はこの半年間でも増え続けています。
ただ、自主避難者への東電のお金の補償は今後どうなるか分からない、という話もあります。

しかし、自主避難された方へのサポートは、全くないわけではありません。
例えば「災害救助法」です。
「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の河崎健一郎弁護士に伺いました。


◆避難者へ、各地のサポート
 災害救助法は原発事故、津波、地震などの際に国が宣言、適用する。避難者を受け入れる自治体がサポートする。自治体の裁量が広く、何かをしてもいいし、しなくても良い。
 原発事故の避難者受け入れも、地方自治体によって千差万別。北海道、山形、新潟、愛知、京都、岡山、沖縄などは自主避難者に対しても暖かい手を差し伸べたという。公営住宅や雇用促進住宅など、自治体の持つ住宅に空き家があれば、無料で提供。空きがなくても民間賃貸住宅を借り上げて、避難者の住所費用負担を無くす。赤十字と組んで、生活家電セット(洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポット)を無償で提供。これはどの地域でも共通して行われている。
 沖縄では、福島から避難する交通費、住居が決まるまでのホテル滞在費、被災者支援カード「ニライカード」「カナイカード」で、被災者支援をするお店で物が買えるなどの支援がある。
 新潟は高速の無料化措置が打ち切られたが、独自に県としてお金の支援をする取り組みをしている。期間は地方自治体の裁量によってだが、一度受け入れたものをすぐに切るという話にはならないので、今から自主避難をしても、こうした支援は受けられると考えてよい。


今年4月現在、民間の賃貸住宅の借り上げを実施している県は以下の23県です。
岩手県、秋田県、山形県、茨城県、千葉県、新潟県、石川県、山梨県、長野県、愛知県、三重県、兵庫県、鳥取県、島根県、広島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県

借り上げ住宅の入居は、多くの県が2年までとしています。
また、自主避難者への対応は、都道府県によって違います。
詳しくは、自治体のホームページの「東日本大震災の被災者向け情報」でご確認ください。



明日も、河崎弁護士のインタビューをお送りします。


【福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク Official blog】

2012年6月20日

6月20日「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(3)」

今週は「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の河崎健一郎弁護士のインタビューをお送りしています。


国から避難指示は出なかったものの、比較的線量が高いとされる地域では、住民の間で“自主避難”を巡り、様々な葛藤が続いています。

河崎弁護士をはじめとした「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」は、ある考え方を提唱、国に働きかけています。

◆避難する権利、残る権利
 避難は義務ではなく一人一人が判断する権利。残るという判断があっても良いし、避難する選択も十分に合理的なもの。それに対して「逃げるのか」「風評をまき散らすな」というプレッシャーが加わる現状があり、それは間違っている。避難する権利について、日本の法律に直接的な規定はない。ただし憲法が定める「健康で文化的な最低限の生活」という意味では当然認められる権利。
 国会に働きかけ、チェルノブイリで作られた避難の権利、日本版チェルノブイリ法案が国会に提出されている。チェルノブイリ原発事故5年後、「一定の放射線被曝以上の地域に関しては、避難の権利がある」と明確に認め、避難をする権利と、そこに残る権利両方が認められていた。避難を選んだ場合は相応の住宅、雇用、生活支援を受けられるという法律。これと同じものを福島でも作るべきだと動いている。


お話にあった“日本版チェルノブイリ法案”=「原子力事故による子ども・被災者支援法案」は、警戒区域などの国の避難指示の有無に関わらず、“避難する権利”を認めるものです。
この法案は今日にも衆院本会議で成立する見込みです。



◆被曝と付き合っていく
 避難を選ばない人、選べない人が相当数多い。こうした方々も被曝という共通の問題と向き合っている。ここになんらかの手当をしなければならない。
 避難を選ばない人からの要望で多いのは、給食のこと。
 給食による内部被曝を避けるため、調理場に線量検査キットを国のお金で設置しようというのが法案に盛り込まれている。うまく被曝と付き合っていくという発想の転換が必要。被曝手当という考え方もあり得る。




明日も、河崎弁護士のインタビューをお送りします。


【福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク Official blog】

2012年6月19日

6月19日「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(2)」

すでに福島県では、警戒区域の一部が解除されました。
一方、もともと避難指示は無かったものの比較的線量の高いとされる地域では、目に見えない放射線をめぐって、様々な不安、葛藤が続いています。

不安を抱える福島の方のために、福島県内や全国の避難先で活動を続けている「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の河崎健一郎弁護士にお話を伺いました。



◆放射線をめぐる、悩ましい現実
 健康に害があるかどうかは、今もグレーゾーン。グレーゾーンだから、子どもを芝生で遊ばせることについて「まあいいや」と考える親、「やめておこう」と考える親がいる。性格などが影響するし、人それぞれ。そこで「芝生で遊ばせるのはやめておこう」という親は、避難できるなら避難したいと考える。
 そんな背景で、2つの意味の“避難”が起きている。
 …秬量被ばくの懸念からの“避難”
 △海量簑蠅巴楼茲分断、話すことすらタブーという空気から逃げたいという“避難”
 直接の被ばくではなく、それに伴う人間関係に頭を悩ませる生活から逃げたい、という“避難”も増えてきている。



自主避難した方の数は、昨年9月の段階で約5万人。
この半年間で見ても、自主避難を選ぶ方は増え続けています。
例えば新潟県だけでも、福島県民約6000人の避難者中、約3000人が自主避難をしています。

福島から別の都道府県に避難した家族の中には、「自宅と避難先の二重生活」に苦しむ例も少なくないと言います。


◆家族を苦しめる、悲しい事態
 今年3月までは原発被害者に対して高速道路無料化措置があった。被災者なら高速道路に無料で乗ることが出来たが、これが3月で打ち切られた。典型的な自主避難例は、父親が福島に残り、週末ごとに高速道路を使って避難先の家族に会いに行くというケースだった。しかし高速道路が有料に戻り、帰るのが難しくなり苦しい状況に追い込まれているというのが事実。
 女性の方が放射線被ばくに対してセンシティブ。男性で仕事をしている人は、会社や地域の人間関係があり避難に踏み切れない。そうした中で夫婦関係が悪くなり、別居、離婚という形になる例も多い。本当に悲劇。どちらも悪くない。原発事故さえなければそんなことはなかった。
 間接的ではあるが深刻な被害。しかしこれは東電の賠償対象にはならない、やられ損。悲しい事態。




明日も、河崎弁護士のインタビューをお送りします。


【福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク Official blog】

2012年6月18日

6月18日「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(1)」

原発事故から1年3か月が経過した現在も、目に見えない放射線が生活をおびやかす状況は変わっていません。
特に子を持つ親にとって、深刻な問題です。

そんな不安を抱える福島の方のために、福島県内や全国の避難先で活動を続けているのが、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」です。
弁護士を中心とした集まりで、メンバーの多くは「子を持つ親」で構成されています。

メンバーのおひとり、河崎健一郎弁護士にお話を伺いました。



◆活動内容
 「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」は、原発事故の避難者を支援する法律家の集まり。特に、政府が決めた避難指示区域の「外側」で支援を受けられない“自主避難者”を支援する。
 「高線量被ばく地域」と、ただちに健康に影響はないが線量の高い「低線量被ばく地域」があり、避難指示が出たのは高線量被ばく地域と、低線量だが年間20mSv以上の地域に限定。その外側(郡山市や福島市、いわき市など)は、それまでの日本の法律による線量基準「年間1mSv」を今も浴び続けている。健康被害は議論が分かれるが、法律で定められた基準をオーバーしている状況は事実。
 そこから避難したいという人を手助けする活動をしている。
 原発事故を起こした直接の責任は東電。法律で東電が賠償すると決まっている。しかし被害者が自分で資料をそろえて金額を提示する必要がある。一方、昨年7月まで自主避難者には全く賠償対応が無かったが、多くの人たちの声で、事故から12月末までの分で、子ども・妊婦は一人当たり40万円、大人は一人当たり8万円賠償。4人家族で96万円。
 しかし、2012年1月以降の賠償金は協議中。出るか出ないかは分からないので、我々が求めている。


◆自主避難を選ぶ人は、今も後を絶たない
 自主避難者は厳しい状況に置かれている。避難してすぐ仕事や住まいが見つかるとは限らない。地方公共団体の支援プログラムで、住居や生活物資が無償提供される場合もあるが、これにたどり着けず、路頭に迷っている人がいるのも事実。

明日も、河崎弁護士のインタビューをお送りします。


【福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク Official blog】

2012年6月15日

6月15日「災害時、ペットを守るために」

昨日まで福島第一原発の事故で取り残されたペットと、それを保護するボランティア活動についてご紹介してきました。

大地震など災害にあった場合、自分の身を守るのが優先です。
しかし、去年の震災でも、ペットを助けようとして命を落とした例もあるそうです。

大地震などで避難しなければならない時、どうペットを守ればいいでしょうか。
東京都の対策や、動物愛護団体に伺いました。


●震災発生後、避難所に避難することになった場合
 ・東京都は、学校や体育館が避難所になるケースが多く、大勢の方が同居することになり、ペットは入れないことが考えられます。
 ・そこで調べておく必要があるのが、お住まいの地域は「ペット用シェルターの準備をしているか」です。それぞれの市区町村で確認出来ます。
 ・例えば新宿区は、区の防災計画で、人間の避難所と別にシェルターを設けることになっています。ただしこれは原則「犬・猫・小鳥など小動物」に限られます。

●震災の混乱でペットが逃げ出したり、見つからなくなった場合
 ・迷子になった動物は、地域の保健所、動物愛護センターなど行政機関が保護、問い合わせに応じてくれます。
 ・また市町村の窓口やホームページでは、そうしたペットの情報を公示しています。ボランティア団体が保護した動物の情報も、市町村窓口に集められるそうです。問い合わせ先は控えておいた方が良いでしょう。
 ・ペットの写真を数枚持っておくと、探すときの手がかりになります。迷子札やマイクロチップなど、身元確認できるようにしておくのも良いです。

●今から準備しておくこと
 ・ペットと一緒に避難する訓練をしておく。ケージに入る練習、リードをつける練習など。
 ・ペットの食事は最低3日分は用意。去年の震災でも、ペットフードなどの救援物資は不足しました。
 ・地域によって、ペットのシェルターを設置できない場合もあります。ペットをそばに置けない状況に備え、飼い主同士のネットワークを作って、「預け先」を考える必要がありそうです。特に、爬虫類などのペットは、避難所にもシェルターにも入れない可能性が高いです。

●おしまいに
 ・いま、多くの自治体が、法律に基づいて「地域防災計画」を見直しています。ただ、動物に関する対策の進み具合は、地域ごとにバラつきがありました。人命を最優先にしているため、やむを得ない面もあります。
・また、震災時は行政も大きな混乱が予想されます。行政機関そのものが被災することも考えられます。


【環境省 ペット動物の災害対策「いつもいっしょにいたいから」】

【東京都新宿区「いざという時に災害からペットを守るために」(PDF)】

【日本愛玩動物協会「ひとと動物の防災を考えよう」(PDF)】

2012年6月14日

6月14日「福島のペットレスキュー(4)」

作家の森絵都さんは、福島第一原発事故で取り残された動物たちを保護する「ペットレスキュー」というボランティアを半年間にわたり取材しました。
そして、そこで見た事実を、「おいで、一緒に行こう」というタイトルの著書で発表しています。

森さんが取材したペットレスキューの活動は、今も続いています。
今年4月、原発20km圏内の一部が警戒解除されましたが、今もほとんどの区域が立ち入りを禁じられています。
ペットレスキューのボランティアの多くは女性たち。彼女たちはそこに入り、今も動物の保護を続けています。
なぜ彼女たちは、そこまでして活動を続けているのでしょうか。
森さんに伺いました。

◆相互に支え合う姿
 彼女たちに直接聞いたわけではないが、母性ではないかと思う。圏内で同行、接すると、動物を助けたいという思いもあるが、飼い主、人間を助けたいというのが大きく、それが彼女たちを支えている。
 彼女たちにレスキューを依頼し、犬猫と再会できた飼い主たちが、彼女たちを支援し始める。その仲間となり、他の飼い主さんのレスキューを手伝い、猫シェルターの運営を手伝ったり、相互に支えあう姿を感じた。


◆命を救うため、助け合う
 彼女たちが20km圏内で活動していることを知った時は驚いた。同行取材ならそこに行かなければいけない。圏内で取材したことは発表できるのか。最初は時期をずらして伝えることで、立ち入り規制前の話として違法性を無くそうとしたが、取材をするにつれ、どの時期に何が起こったのか、そこで起きた変化をありのままに伝えないといけないと考え、レスキューの中山ありこさんにも伝え、許可をもらった。
 彼女たちは知的で常識的で、家では良いお母さん、奥さん、社会人の女性だが、そんな彼女たちが一線を踏み越えるのは、抵抗があったはず。それでも踏み越えたのは、20km圏内の命を救えないから。
 それが正しいか正しくないかは分からない、と今でも言っている。正義感ではなく、行かなければ死んでしまう命を救えるかも知れないから。
 被災者にとって中山さんのような他人が、ペットの名前を一緒に呼んで探してくれる行為そのものが、どれだけ救いになっているか。そんな風に助け合える自分たちでいられたらなと思った。




福島県南相馬市にある猫のためのシェルターでは、ペットフードなどの支援も受け付けています。
詳しくは下記ブログをご覧ください。
【シェルターを主宰する中山ありこさんのブログ「ねこさま王国」】
【福島の被災猫たちのシェルター「にゃんこはうす」】

【森絵都さんの著書「おいで、一緒に行こう」特設サイト】

2012年6月13日

6月13日「福島のペットレスキュー(3)」

作家の森絵都さんは、福島第一原発事故で取り残された動物たちを保護する「ペットレスキュー」というボランティアを半年間にわたり取材。
そこで見た事実を著書「おいで、一緒に行こう」で発表しています。

避難先がペットを飼えない環境で、せっかく再会できた愛犬と一緒に暮らすことができないという辛い場面を目の当たりにしながらも、森さんは昨年5月から冬まで、この活動を取材しています。

◆日数が経つほど、状況は厳しくなっていった
 これだけ取材が長引くとやめられなくなる。(預かりボランティアが保護していた犬)カイとおばあちゃんの再会を見て、こんな悲しい場面で終わらせられない。もう一度圏内を見ておこうと思った。
 冬で植物も枯れ、犬猫の数も減少。2日回っても保護できない。犬も近づいてきてくれない。餌はまけても手が出せず、助けられない。猫も減って捕獲器にかからない。弱って痩せている動物が増え、冬の寒さにやられていく、命の気配が薄れていた。
 この冬を超えられた動物は少ないかも知れない。ただ、救助隊は雪が降っても、雪の上の足跡を見て、動物たちがまだ生きていると知り、やめられないと思う。手を差し伸べることで、その一匹の運命が変わる。一匹でも残っている動物がいる限り、彼女たちはあきらめないと思う。


ペットレスキューを続ける個人のボランティアの方々は、冬の厳しい寒さの中でも活動を続けたそうです。
ただ、元々は人に飼われていたとしても、日数が経つと動物たちは野生化することも考えられ、もう保護すべきではない、という見方もあります。
この見方について、森さんに伺いました。

◆動物たちが圏内で生きていること
 いま圏内に留まって、人間を警戒している、自分たちで生きている動物たち。最初は保護しなければいけない存在だと思っていたが、犬や猫はこの震災、原発事故から発生した状況を、自分たちのこととして対峙して考えているのではと思った。
 正しいかは分からない。彼らはボランティアが餌をまいて生きている。彼らが自分たちの生を謳歌していたとしても、ボランティアが圏内に入ることで生きている。
 自分たちだけで生きているわけではない。それは押さえておかないといけない。




ペットレスキューのひとつ、福島県南相馬市にある猫のためのシェルターでは、ペットフードなどの支援も受け付けています。
詳しくは下記ブログをご覧ください。
【シェルターを主宰する中山ありこさんのブログ「ねこさま王国」】
【福島の被災猫たちのシェルター「にゃんこはうす」】

【森絵都さんの著書「おいで、一緒に行こう」特設サイト】

2012年6月12日

6月12日「福島のペットレスキュー(2)」

福島第一原発事故によって、飼い主から引き離され、取り残された数多くの犬や猫などのペットたち。
作家の森絵都さんは半年間、そうした動物を保護するペットレスキューというボランティアを取材。そこで見た事実を著書「おいで、一緒に行こう」で発表しています。

ペットレスキューという活動は、一般の方が個人の意思で行っています。ですからその活動には限界があります。
森さんは、そんな状況で行われる活動には、様々な葛藤があった、と話しています。

◆ペットレスキューの葛藤
 飼い主から餌を置いてあげてと頼まれ、捕獲器を仕掛け、次の家に餌をまき、戻ってきて捕獲器を確認、と行ったり戻ったり。保護を頼まれていない猫だとしても、弱っていたら放っておけない。保護したいが面倒をみられる枠は限られている。その葛藤は常にある。
 保護するべきか、リリースするべきか。そこで毎回向き合う葛藤、ストレスがある。



現在、南相馬市には、保護した猫を一時的に預かるシェルターが、ペットレスキューのメンバーによって設置、運営されています。
ただし、ここのキャパシティは60匹。限界があります。
一方、この春に原発周辺地域も出産のシーズンを迎え、一度減った動物たちが増え始めているという状況もあるそうです。

保護した動物はシェルターのほか、「預かりボランティア」が預かる場合もあります。
これは、元の飼い主や里親が見つかるまで、動物を一時飼育するボランティアのこと。
ただ、仮に飼い主が見つかっても、必ず引き取られるとは限らないと、森絵都さんは話しています。

◆預かりボランティアと飼い主
 最初に同行取材した昨年5月末、20km圏内の小高地区で甲斐犬模様の犬(カイ)を保護、預かりボランティアの石川県夫妻が保護した。震災で夫妻も何かしたいと考え、預かりボランティアになった。
 飼い主をずっと探していたが、時間が過ぎ、飼い主が見つからないなら自分たちで飼おうと決意。しかし数週間後に飼い主が見つかった。カイをクルマで本当の飼い主のところまで連れて行くと、最も可愛がっていたおばあちゃんが泣き崩れ、カイは本当の飼い主、預かってくれた夫妻どちらにも懐いていたため、嬉しそうだった。
 結局元の飼い主は犬を飼える環境ではないため、夫妻はカイを連れて帰ることになり、元の飼い主のおばあちゃんは、カイと別れた後も、その場から動けずにいた。誰もがいたたまれない気持ちになった。



南相馬市にある猫のためのシェルターでは、ペットフードなどの支援も受け付けています。
詳しくは下記ブログをご覧ください。
【シェルターを主宰する中山ありこさんのブログ「ねこさま王国」】
【福島の被災猫たちのシェルター「にゃんこはうす」】

【森絵都さんの著書「おいで、一緒に行こう」特設サイト】

2012年6月11日

6月11日「福島のペットレスキュー(1)」

原発事故によって、数多くの犬や猫などのペットたちが飼い主から引き離され、原発周辺地域に取り残されました。
今も立ち入り禁止区域には、そうした動物たちが数多くいるはずです。

作家の森絵都さんは、そうしたペットを保護するボランティアの活動を半年にわたり取材。そこで見た事実を今年4月、著書「おいで、一緒に行こう」で発表しています。
その経緯について、森絵都さんに伺いました。

◆当初、取材は1日だけのつもりだった
 4年前に犬の保護活動を扱った本を出していた。震災でペットの被害に対して何かしないといけないと考え、情報を探した。
 中山ありこさんという女性が個人で、20km圏内のペットレスキューを行なっているのを知った。最初は一度行ってみて、聞いたレスキューを伝えようと考えていたが、5月末に行くと、中山さんが20km圏内に入って活動をしていることを知り、同行取材をした。
 一線を越えたことを伝えるのに、1度だけの取材では真実が伝わらない。20km圏内に入ったという際どいことだけが印象に残ってしまう。本当の意味を伝えるために、救われたペットたちはどんな里親の元に行くのか、飼い主は見つかるのかを追いかけないと意味がない。彼女たちの圏内に入る意味も伝えられないと思い、ずるずる取材は伸びて行った。


◆初めてみた原発20km圏内
 震災からひと月半の昨年5月末。20km圏内のイメージとしては、ペットもわらわらいて、餌を求めて人にぞろぞろついてくるものだったが、実際にはかなり減っていた。それでも人間に寄って来る犬が、その時期はいた。お腹を空かせていて、人間を見ると近づいてきた。その時は保護がしやすかった。猫はまだ元気なので捕まえられず、捕獲器も仕掛けられなかったが、5月になると弱っていてすぐ捕まえられる状態だった。


森さんのお話にあった中山ありこさんは福井県在住。
福島県南相馬市に保護した猫たちのためのシェルターを開設、運営も行っています。
ペットフードなどの支援も受け付けているので、詳しくは中山さんのブログをご覧ください。
【中山ありこさんのブログ「ねこさま王国」】
【福島の被災猫たちのシェルター「にゃんこはうす」】

【森絵都さんの著書「おいで、一緒に行こう」特設サイト】

2012年6月8日

6月8日「岩手県・達増拓也知事インタビュー」

岩手県では2012年度を「復興元年」と位置付けています。
現在の課題、これからのビジョンについて、達増拓也知事にお話を伺いました。

◆これまでの感謝と復興へ
 今まで多くのご支援、ご協力をいただき、改めて感謝を申し上げる。仮設住宅の建設や瓦礫の仮置き場への集約など、初期段階の応急対応はできている状態。でもまだ更地が広がっていて、本格的な復興はまだまだ。

◆住民からの声に対し
 仮設住宅に4万人以上の方が暮らしているが、次に住む場所を早く決めて欲しいというのがひとつ。もうひとつは雇用の場の確保。
 住む場所については、今年度から復興公営住宅をどんどん立てていく。また新しく家を建てたいという方には、高台移転など。検討に時間はかかるが、スピードアップしていくこと。
 雇用の確保については、漁業の再生。漁獲量は半分くらい平年並みに戻っているが、加工・流通の回復が大きな課題。


◆観光
 崖などは津波でも壊れず美しい自然が残っている。また三陸は世界三大漁場の一つで、世界有数の海産物が捕れるので、食の楽しみも含めて、全国から外国からお客さんが来てもらえるように復興させたい。

◆インフラ整備
 復興計画の中で大きい事業が復興道路。沿岸を縦に結ぶ高速道路、沿岸と内陸部を結ぶ高速道路を早期に完成させることが決まっている。地域内の行き来が便利になり、全国からも三陸海岸に訪れることができる。広く東北の海岸線が連携できる。また内陸との繋がりは、日本海側への繋がりにも通じる。震災時、日本海側からもかなり支援をいただいた。広いエリアでの連携に繋がると思う。

◆復興元年。新しい岩手県
 スローガンは「いのちを守り 海と大地と共に生きる ふるさと岩手・三陸の創造」
 県の計画は8年計画だが、8年かけて過去に戻すのではなく、8年かけて8年後のあるべき岩手の姿に追いつく、未来に追いつく復興を進めていく。



【達増知事からのプレゼント】
達増知事が責任編集を行った、岩手を題材にした県ゆかりの漫画家による作品集「コミックいわて」。
1巻と2巻をセットにして5名の方にプレゼントします。

ご応募はこちらからどうぞ。
お名前、ご住所、お電話番号と「コミックいわて希望」とご記入の上、ご応募ください。
当選者の発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。


【「コミックいわて」については、こちらをご覧ください】

2012年6月7日

6月7日「震災から暮らし方、住まい方を考え直す」

建築の歴史、建築と社会の関連性を研究している東北大学大学院工学科教授・五十嵐太郎さんは、震災後に何度も東北の沿岸地域に足を運んでいます。

五十嵐さんは、東日本大震災は「暮らし方」や「住まい方」を改めて考え直す大きなきっかけになったと言います。


◆「頑丈に作ること」と「逃げること」を考える
 地震に対して日本の建築はすごく努力を続けていて、耐震に関しても基準のハードルを上げたりして、かなり対策をしてきた。(東日本大震災では)よく耐えたと思う。もし同程度の地震が日本じゃない国で起きていたら、地震そのものの被害がもっと出ていたのではないか。
 ただ津波は、建築で防御する、土木で防御するというのはすごく難しいと思った。
 近代的には「より頑丈につくる」という方法はあったが、建築で全ては解決できない。それでも海辺に住むのであれば、「どうやって逃げるか」という事と一緒に考えないと問題は解けない。


◆暮らしの枠組みの変化
 戦後の一つの政策となっている「持家政策」。特に災害リスクの高い国において「持家」というのが本当にいいのか。もっと良質な賃貸など、皆が家を所有するということとは違いところに舵取りをしてもいいのではないか。
 「復興」と言うと、エネルギー系の人はクリーンエネルギーの街を作るとか言うけれど、(建築とか住まいという方面から考えると)暮らし方の枠組みを変えるきっかけになり得るのでは。


◆不安定な時代
 戦後は比較的災害が少ない時期とぶつかり、21世紀前半は東北以外でもいろんな地震の可能性が指摘されているように、結構不安定な時代に入っている。戦後50年間うまくいったモデルが未来永劫続くとは限らないし、本当はその(不安定な)レベルで考えなければいけないのだが、スピードも必要でいろいろ難しい。本当は時間かけてやってもいいと思う。


五十嵐さんの著書「被災地を歩きながら考えたこと」でも、
これからの住まい方について、さまざまな提案を行っています。

2012年6月6日

6月6日「集会所に壁画と塔を作る意味」

東北大学大学院工学科教授・五十嵐太郎さんは昨年、南相馬市の鹿島地区に建設する仮設住宅の集会所の基本設計に携わりました。
五十嵐さんが提案したのは、集会所に「壁画」と「高い塔」を建設すること。
実用性には乏しい「壁画と塔」を作ることにどんな意味があったのか、伺いました。

◆塔のある町
 福島県内の設計事務所から、南相馬市の仮設住宅地の集会所について打診を受け、「記憶に残る」ということをテーマに掲げた。
 提案したのは集会所に10m四方の大きな壁画を描くこと。もう一つは「塔」。シンボルのようなもので実用性は全くない。
 農家が点々としているようなエリアに500棟くらい仮設住宅が立つが、仮設住宅は基本的に1階建てなので、同じタイプの仮設住宅が並ぶ均一な風景になる。例え仮設住宅で2、3年暮らして別の場所で生活を始めても、「塔のある町に暮らしていた」という記憶が残るんじゃないかと思い、提案した。住処が奪われて、その後2〜3年が単に通過点でなく、そこにも何か特徴のある、記憶に残るような風景になる。
 塔は8mくらいで、周りに何にも無いので十分目立つ。だいたい仮設住宅は50戸くらいで一つのブロックができていて、全部で10個ぐらいのブロックがある。同じものが反復して並んでいるのに対して、1個塔が立つと、塔とそれぞれの建物の方角や距離が違うので見え方が違う。そうすると塔との関係が全部違うものになるので、場所の意味が変わってくる。場所に固有性が生まれる。


◆着想のヒント
 もともとの発想の源は、大阪万博の時に「太陽の塔」が作られて、同時期に千里ニュータウンができた。以前千里を取材した時に、千里から「太陽の塔」が見えるのが心のよりどころになった、というのを聞いた。そこから着想した。
 今回(東日本大震災によって)5万戸くらい仮設住宅ができている。後からアートが入ったところはあるかもしれないが、最初から壁画と塔があるのはここだけだと思う。

2012年6月5日

6月5日「震災の記憶を呼び起こす建造物『震災遺構』(2)」

震災で倒壊した建造物や、陸上に乗り上げた船など、震災の記憶を留める建造物のことを「震災遺構」といいます。
その「震災遺構」を撤去するべきか、それとも保存するべきなのでしょうか。

建築と社会の関連性を研究している東北大学大学院工学科・五十嵐太郎教授は、宮城県女川地区の倒壊した建物を保存するプロジェクトを立ち上げました。
女川の「震災遺構」の現状を、五十嵐さんに伺いました。

◆保存するべきだと感じた
 女川は昨年4月1日に初めて訪れた。一般的に木造の家屋が津波で流れるというのは映像にもさんざん映って共有していると思うが、女川では鉄骨や鉄筋の建物ですら基礎ごと引っこ抜かれ、20m近い津波が来たので、別のところに流れて横倒しになるという、ちょっと想像できない壊れ方をしていた。
 「ここまでひどい建物の壊れ方をするのか」と驚き、「これは遺すべきだ」と思った。津波専門の学者が、世界的にもほとんど例がないと言っていたが、そういう意味でも、これは女川という小さな町だけのものではなく、世界史的な事件に接続してしまった、と感じたから。
 これは木の瓦礫ではないので、残る可能性がある。近代以前は遺したくても、木のものは焼けたり腐ったりしてしまったが、近代以降はコンクリートや鉄の塊。誰かに頼まれたわけでなく、自主的に残すためのプロジェクトを研究室で立ち上げた。


◆壊れた建造物を遺す理由
 女川の復興関係の委員会でも(壊れた建造物を)遺したほうがいいという意見があり、4つは保存することになった。特に女川の場合、「倒壊したコンクリートや鉄骨の建物があるエリアは市街地として復活しない」ということを早いうちに決定した。ある種メモリアル公園にするとしたので遺しやすかったということが一つと、片付けないという選択をしたというのが実情。
 町としてはどう残すかということより、「復興」や「仮設」のことが先にあって、片付けないという選択をしたということだと思う。




五十嵐さんの著書「被災地を歩きながら考えたこと」にも、さまざまな「震災遺構」の写真が掲載されています。

2012年6月4日

6月4日「震災の記憶を呼び起こす建造物『震災遺構』(1)」

震災で倒壊した建造物や、陸上に乗り上げた船など、震災の記憶を呼び起こす建造物のことを「震災遺構」といいます。
その「震災遺構」を撤去するべきか、それとも保存するべきなのでしょうか。

建築と社会の関連性を研究している東北大学大学院工学科・五十嵐太郎教授は、宮城県女川地区の倒壊した建物を保存するプロジェクトを立ち上げました。

◆記憶の拠り所
 もちろん瓦礫が片付いていくのは、復興の中の一つの側面だが、早く片付くところはあっという間に何も無くなって風景が変わる。最初に訪れた時は“街がそこにあって壊れた”ということがわかるが、2回3回と訪れると、そもそもそこに街があったということすらわからなくなって、街が壊れたという記憶すらわからなくなる。記憶の拠り所が消えていくと感じた。
 津波自体は人間のテクノロジーでは抑えることはできないので、繰り返し襲ってくる。街の中に何らかの記憶を残すことはあったほうがいいと思う。震災や津波の(記憶の)拠り所となるようなものが必要。
 南三陸町の防災庁舎も、花を手向ける人がいるが、何もない更地だとどこにもよりどころがない。防災庁舎は被災者感情に配慮して、つらい記憶がよみがえるということで、この夏くらいに壊すことになっている。しかし、いま生きている人のことだけを考えるとそれは一つの判断だが、長期的に考えると、物や建物は人間より長く残る。
 これだけ激しい地震と津波が来るのは我々が生きている間には無いかもしれないが、むしろこれから生まれる未来の人、あるいは今回の津波で亡くなった人のことを考えると、今回起きたことは我々のものだけでなく、もっと時間を越えている。
 特に巨大な震災がくるスパンは、人間の一生のサイクルと大分ずれているので、ちょっと視点を考えないと、なぜ(震災遺構を)残すかということにはならないと思う。


◆時間が経つとわかること
 広島の原爆ドームも、劣化しないように“廃墟の状態を維持する”という不思議な保存の仕方をしている。
 1950年代の終わりくらいに、壊すという話もあった。戦後の復興が一段落したときに邪魔になったんだと思うが、当時建築家が遺すべきという議論があった。今からすると原爆ドームを壊すという選択肢は考えられないと思うけど、戦争が終わって10年くらいのスパンだったら「原爆ドームなんて壊しちゃっていい」という選択肢もあったが、50年60年と経つと、それはないだろうという話になる。
 それと同じ話で、東日本大震災の震災遺構も時間が経つとわかることもあると思う。

2012年6月1日

6月1日「気仙沼大島の観光」

宮城県・気仙沼大島で行なわれた「気仙沼大島ランフェスタ」。
会場には、島の特産品を販売するブースも並びました。

気仙沼大島では、もう一つの産業の柱「観光業」も震災の影響で大きく冷え込んでいるのが現状です。

大島で民宿「黒潮」を営む、堺健さんにお話を伺いました。


◆震災以降、観光客はいない
 (震災当日は)気仙沼市内に仕事に行ってたので、それから4日間ほど避難所にいて、5日目で大島に帰ってきた。
 気仙沼から大島を眺めると、湾内が火事で真っ赤になっていたし、大島のほうにも飛び火しているのがはっきりとわかったので、とても心配した。大島でも行方不明を含め31名の方が亡くなった。大災害だったと思う。
 現在、インフラがまだ直っていない。港が沈下し、海水浴場も砂浜が半分ほど海の方にずれこんだ。直すのは大変だし、街灯や案内所が無いなど、なかなか観光のお客様がいらっしゃらないのが現状。
 昨年はボランティアの方やお仕事の方が泊まられるということで、観光客はゼロ。


震災による火災の影響で、島のシンボル「亀山」のリフトが停止。
震災前には50件ほどあった島内の宿泊施設は、いまでは20件弱まで減少しています。


◆大島の観光
 ここは三陸沖を控えて、沿岸漁業が大変盛んなところ。
 カキ、ホタテ、わかめ、昆布、ホヤとか、秋だとサンマとか戻りガツオ。マグロ漁は通年ある。
 また大島は「緑の真珠」と言われるほど年中 緑が目立ち、さわやかな風が吹く。きれいな海岸線を見たり、特に亀山の展望台からの眺めは「松島以上だね!」と言ってくださる方も多い。景観と食を求めていらっしゃるお客様が多かった。
 今は、やっとわかめの養殖が例年の7割程度の生産に回復したが、カキやホタテの養殖は今年の秋、または来年の春ごろ。食材が十分揃っているというわけではないが、震災前の8割くらいの食材は手に入るので、観光の方が来られてもおいしいものは召し上がっていただけると思う。
 せっかく遠くからボランティアで来られても、気仙沼や大島がどんな島かまったくわからないで帰るのはおかしいと思うので、ボランティアの方にも亀山の展望台や竜前崎などを無料で案内している。
 ボランティアの仕事が半分、あとの半分は大島を知ってもらう、大島の人と接してもらうと、もっと大島のことを理解してもらえると思う。



大島は、三陸のリアス式海岸を海側から一望できる「亀山」、
足を踏み入れると「クックッ」と音がする「十八鳴浜」、
そして、島の最南端に位置する岬「龍前崎」など、観光資源が豊富な島です。





パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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