2012年11月30日

11月30日「千葉県浦安市・液状化被害の爪あとを巡る問題(2)」

千葉県浦安市・高洲中央公園の液状化で浮き上がったマンホールを巡る問題。
この浮き上がったマンホールは昨年5月、浦安市がモニュメントにすると決定。
今月に入り工事も始まっています。
しかし近隣住民の間では反対の声も多く、今日の時点で反対署名は3000人分を超えています。

◆署名を集めた高洲住民の意見
 ここは災害用の耐震性貯水槽なのに、災害時は全く役に立たず使えなかった。1億2千万円もかけて作った貯水槽は震度6に耐えると言われていたが、震度5で壊れて浮いちゃった。市に検証すべきではと聞いたら「想定外」で終わってしまう。次の災害時に水はどうするのかと聞いたら、「ここに貯水槽は作らない。水は自助努力してください」と言われた。モニュメントを作り、防災意識を高め、食品やペットボトルを備えるようにという。ちょっとおかしい。どうしても後世に残したいなら、場所を移して郷土博物館などに置けばいい。それも含めて、納得行くような話し合いを。

◆浦安市の防災課への取材
 「震災を風化させず後世に残さないといけないとして、災害対策本部という本部会議で決定されている」
 ―反対の声を上げている住民もいる
 「反対意見もあるし、ぜひやってという賛成も多い。どちらかというと反対意見が多い」
 ―その対応は
 「口話、意見交換会はあり、随時モニュメントの設置について説明してきている。確かにアナウンスが足りなかったのはあるが、そういうことはやってきている」
 ―中止になることはないのか
 「工事は着工しているので無い」
 ―貯水槽が使われないまま、モニュメントにしてしまうのか
 「使えないままモニュメントにする」
 ―液状化で貯水槽が使えなくなったことへの検証は
 「やっている。基礎のコンクリートがありベルト止めしているが、それが切れてしまった」
 ―原因は分かっている。では他の貯水槽の対策はしているのか
 「していると思う。貯水槽だけじゃなく校庭や幹線道路は液状化対策をしている。液状化しない工法でやり直している」


「市への問い合わせは“反対意見の方が多い”」と市も認めています。
しかし工事は止まりません。
この問題を、みなさんはどうお考えになるでしょうか。

2012年11月30日

12月6日 旅館サポーター制度 『種プロジェクト』(4)



旅館サポーター制度 『種プロジェクト』
「旅館サポーター制度・種プロジェクト」は登録されている被災地の温泉宿の中から、すきな宿を選んで、一口5000円でサポーターになる制度。未来の宿泊に対し料金を「前払い」することで、被災地の温泉宿を支える取り組みです。


「種プロジェクト」に登録している温泉宿の一つが、福島県福島市、高湯温泉「ひげの家」。自慢は、ゆで卵の香りたっぷりの、乳白色のお湯と海山の幸を使った食事ですが、震災後、食材の調達についてさまざまな工夫をしていると、三代目の後藤秀人さんは語ります。

◆震災後、食材の調達に苦慮
―食事は温泉と同じ宿の目玉でもあるので頑張っているが、食材は放射能の問題など気にしている面もあり、いままで使っていた地元の食材が使えない、ということもある。
―特に海のものは、福島の小名浜や原釜などのものを使っていたが、いまは遠くのものを取り寄せて使っている。
―もともとおいしいものをいろいろ取り寄せていたが、食事ももう一回見直して、もっと喜んでいただけるようにと料理人も招いて、料理にはさらに力をいれて頑張っている。

◆背中を押してくれたのはお客さんの言葉
―「種プロジェクト」で支援してくれる方は、「すぐにはいけないけど、以前行ったときにすごくよかったから」「なんとかがんばって残してください」など暖かい言葉もいただいて、希望にもなったし、有りがたかったし、がんばらなきゃと思った。
―種プロジェクトのクーポンを持ってきていただくと、すごくうれしい。
―いままでお客さんが来てくれるのは当たり前と思っている自分たちがいて、それがお客さんがいなくなった現状の中で、改めて有り難さがわかった。
―宿をもっとよくして、頑張ってお客さんに応えていかなきゃなと思う。震災前よりよい「ひげの家」になりたいと頑張っている。


こういったクーポン券がお宿さんから直接届きます。
サポーター料金と同額のクーポン券の有効期限は、2014年3月11日。
この期日までに宿泊ができない場合、サポーター料金は寄付となります。


旅館サポーター制度 『種プロジェクト』

2012年11月29日

11月29日「千葉県浦安市・液状化被害の爪あとを巡る問題(1)」

千葉県浦安市・高洲中央公園では、敷地内にある災害時のための貯水槽が液状化で使用できなくなり、マンホール部分が1メートル以上も浮き上がった状態になっています。
今月、震災被害を後世へ伝える目的で、これを「モニュメント」にする工事が始まりました。
この工事は昨年5月、浦安市の災害対策本部で市長をはじめとした行政関係者が決定したものですが、近隣住民の間で反対運動が続いています。
浦安市は「住民に説明はした」としていますが、今回お話を伺った、高洲中央公園のすぐそばに暮らす主婦の方は納得がいっていないようです。

◆住民の声が届いていない
 住民の意見を全く聞いていない。モニュメントとはどういうものか、作るべきかどうかをみんなで話し合わないといけないと思う。だけどそんなことを一度も聞かずに、こんな醜いものを残して欲しくない。
 ここでお子さんを遊ばせていた方が、目の前でこれ(浮き上がったマンホール)を見て、子どもがこの公園に来られなくなったという母親がいた。
 (マンホールが液状化で)にょきにょき出てきたらどうなってしまうんだろうと、すごい恐怖だった。クルマが乗っていたのがモコモコと上がって傾いていくのも見ている。水が出てくるところも。生々しいところを見たお子さんは強烈な印象があり、怖くて行かれないと言う。
 広域の避難場所でみんなが避難してくる。そこにこういうものをずっと残す。そんな危険な(印象のある)ところに避難しようという気にもならない。署名は総務部長が受け取って下さった。3700の署名はかなりの数だが、受け取ったからと言って工事の中断も中止もしませんと言う。結局、市は何が何でも計画通りにやる、意地でもやるという。住民の声を聞く耳は持っていない。すごく残念。ショックだった。



この反対住民の方々は、すでに2回、浦安市議会に工事の中止を求めていますが、いずれも否決されています。
9月には1500人以上の署名も提出しましたが、声は届いていません。
浦安市は、この「市議会の決定」を理由に工事を進めていくようです。


明日は、この問題に対する浦安市・行政側の回答をお送りします。

2012年11月28日

11月28日「液状化の被害を受けた千葉県浦安市の現状(2)」

千葉県浦安市は、震災による液状化の問題が今も根深く残っています。
浦安の商工会青年部会長で、建物の防水・リフォーム会社を経営する北島聡さんも、被害を受けたひとりです。

◆家が液状化で傾いている
 自分の家の周りも液状化で砂の海。斜めになっている。
 今月末から工事をする。直すのに金がかかる。助成金は出るが、ジャッキアップに380万円。助成金は市から100万円、県から100万円しか下りない。残り180万円は自己負担になるから、助成金の出るところまでで止める。自分で負担したくないので、200万円まででストップする。10cm斜めになっていても、5cm補正したところでストップするという選択になる。


液状化による被害は、国の「全壊・半壊・大規模半壊」の補償基準が適用されにくいため、浦安市などは独自の支援として100万円を助成しています。


北島さんは、浦安市の内陸側…「元町」にある奥さんの実家、新しく埋め立てられた「新町」にある会社、その間にある「中町」のご自宅、それぞれが液状化の被害を受けています。
元町・中町・新町という3つの地域と、文化や意識の違いが、浦安市の復旧・復興、街の発展に大きくかかわる問題となっています。

◆文化や意識の大きなズレ
 浦安三社祭というお祭りがあった。湾岸道路からこっちには神社がない、神輿もない。そういう文化を新浦安は知らない。「御霊を入れる」というのも知らない。浦安弁も知らない。「いし、何やってんだ」の“いし”が“お前”という意味だと知った。
 浦安に根付きたい、ここでやっていきたいと思っていたので、入れて下さいという形から入った。神輿も湾岸道路を越えて持っていきたいと考えているが、無理だと言われる。何故なんだろうと思う。浦安は(埋め立てで)面積が広がっている。それを考えると、海側(埋め立てた側)にも神社があってもいい。同じことをやらせてもらいたい、同じレベルに持って行けるような新しい街を作りたいと思っている。




明日は、浦安市の行政と住民の間で起きたある問題をお伝えします。

2012年11月27日

11月27日「液状化の被害を受けた千葉県浦安市の現状(1)」

先週末、千葉県浦安市で行なわれた「うらやす復興感謝祭」。
商工会議所のメンバーで、市内で数件の居酒屋を経営する横内新一さんに、浦安の震災直後と今について伺いました。

◆震災の被害と景気の悪化
 浦安でお店を24才から始めて32年目。震災直後は、大きい店舗が45日間営業できなかった。向いのお店は2週間営業できなかった。建物自体はいいのだが、インフラ・下水関係がアウト。知り合いではお店を閉めてしまったところもある。
 トイレが道より下に沈んでしまい、雨が降ると雨水が全部集まってしまう。商売ごとに違うだろうが、飲食店は一番良くないのではないか。
 経済・政治もガタガタ。消費税も上がる。夜遊んで呑んで食べてというのは少なくなる。無駄使いが減って売り上げも減った。


◆液状化の影響と、今後の街の在り方
 ちょっと前までは住みたい街ベスト3の街だったが、一気にベスト10以下になった。液状化の影響がある。
 浦安は液状化はあったが、今後絶対に良い街になる。良いところをPRして力を合わせたい。元のベスト3に入るための一歩じゃないかと思う。浦安は漁師町、魚の美味な店が多い。ディズニーリゾート行って、魚を食べて帰るようになればもっと面白い。




明日は、浦安で液状化の被害を受けた住宅と、そこで暮らしている人たちがどういう状況なのかお伝えします。

2012年11月26日

11月26日「うらやす復興感謝祭」

11月23日(金)、24日(土)、千葉県浦安市・浦安総合公園で「うらやす復興感謝祭」というイベントが行われました。
市内の飲食店や石巻市のご当地グルメなど、60のお店が出店。
2日間とも、家族連れなどたくさんの人で賑わいました。

このイベントの実行委員で、浦安市にあるオリエンタルホテル東京ベイ・総支配人の相原米夫さんにお話しを伺いました。

◆浦安を一つにし、国際都市を目指す
 復興の途中だが、お互いに感謝して、震災を認識しながら今後も頑張っていこうというのが趣旨。浦安観光コンベンション協会が今後5年、10年先に浦安を国際都市にしたいということもあって、浦安を基盤に、ディズニーランドと共にもっと別の浦安も発見してもらおう、再認識して育てていこうというのがきっかけ。将来的には浦安が国際都市になる、そこを目指している。
 色んなお祭りが浦安にあるが、それを少しずつ統合して、春と秋に大きなものにしたい。ローカルな浦安を都市的なものに変えていく。元町・中町・新町という文化の違う市民がいて、その温度差がある。この温度差を無くし、3つの市民が一緒の気持ちになるために、浦安を一つにしようと新浦安フェスティバルが2年前にあった。青森のねぶたなどのパレードをやった。それが市民にインパクトを与え思い出になった。ああいう大きなフェスティバルにしたい。ディズニーと共に新しい日本のお祭りが浦安で見られれば、浦安以外の都市からも見に来れるのではないかと考えている。



浦安市は特に、液状化で大きな被害を受けた地域です。
今も道路やマンホールに液状化の爪痕が残っていて、完全な復旧には時間がかかると言われています。また、元町・中町・新町、つまり、昔からの市民が住む地域と、埋め立て地に新たに入居した市民の温度差も課題だということです。

浦安と言えばディズニーランドのお膝元。
そして昔からの魚市場など、観光資源のある地域です。
一方、震災の被害でお店を閉めてしまった個人商店もあると言います。
震災後の経済について、相原さんに伺いました。

◆震災後の浦安の経済
 元からある浦安の企業は、「完全な復興」とは経済的には言えない。ディズニーの恩恵を受けたホテルは震災の影響はなく、それ以前よりもビジネスは良くなっている。そういう企業の大変なところを、ホテルが援助しつつ浦安を盛り上げられるのではないか。経済でも色んな力をホテルから助けられるのではないか。



千葉県浦安市で先週末に行われた「うらやす復興感謝祭」。
このお祭りは、埋め立てで新しくできた「新町」が会場です。
相原さんは「次は春に、昔からの市民が住む内陸部…元町を会場に、大きなお祭りを展開したい」と話しています。

2012年11月23日

11月23日「本日から開催『復興なみえ十日市祭』」

原発事故の影響で福島県浪江町の役場機能・商工会は、二本松市に移設されています。

今日から二本松で行われるのが、「復興なみえ町十日市祭」。
明治から130年続くという浪江町民の秋の恒例行事です。
福島県浪江町商工会会長・原田雄一さんにお話しを伺いました。

◆「浪江の味を思い出してほしい」
 昨年は福岡県に避難している人も参加。そこかしこでご近所同士が久しぶりに会うシーンが見られた。
 今年も近隣の伊達温泉が、すぐに地元の方100人でいっぱいになった。
 今回の祭りでは、「浪江の味を思い出してほしい」ということで、街にあった7つの飲食店が露店を出す。
 ,笋とり「みづ木」
 居酒屋「こんどこそ」…人気メニュー“納豆焼き”を出す。
 手打ちうどん・そば「杉乃家」
 い箸鵑つ「しが」
 セ姐ゼ司
 κ来軒…なみえ焼きそばの元祖。
 О羝誉郛ε



浪江の人たちは、今まで馴染みだったお店も失っており、お店の人たちもすべてを置いて避難しています。
今回は二本松市の協力で、お店の機材や食材も準備。
久しぶりに、自分のご商売をできるという方も多いそうです。


《復興なみえ十日市祭》
日程:11月23日(金・祝)〜24日(土)
場所:JR二本松駅前周辺 ※本日あさ9時30分からセレモニーがスタート。

【浪江町ホームページ:なみえの祭「復興浪江町十日市祭」開催のお知らせ】

2012年11月22日

11月22日「阪神淡路大震災の経験を生かした復興支援。建築家・野崎隆一さんインタビュー(2)」

神戸在住の建築家・野崎隆一さんは阪神淡路大震災を経験し、神戸の復興街づくりにも携わりました。
その経験を活かして今、宮城県気仙沼市で復興まちづくりや住宅再建のサポートをしています。

震災から1年8ヶ月が経過したいま、住民の皆さんの一番の関心事は、仮設住宅を出た後の「住まい」です。

野崎さんにお話しを伺いました。

◆仮設住宅を出た後のコミュニティ
 通常仮設住宅を出るときは、公営住宅への移転が一番多い。しかし移転先の公営住宅が、仮設住宅で出来たいいコミュニティを維持できる仕組みになっているかどうか。
 神戸の場合は「グループ入居」という制度があって、仮設住宅で仲良くなった人がグループを形成して、一緒に公営住宅に入る。公営住宅の方も、公営型のコレクティブハウジング(交流できるスペースを大きく持った集合住宅)を用意している。
 気仙沼でも、いろんな仮設住宅や地域の集まりの際、勉強会をや説明会を行なっている。
 公営住宅は基本的に、抽選でくじに当たった人が入居できる原則があるから、せっかく仮設で仲良くなった人たちと別れ別れになるようなことにならないように、仕組みを考えてほしい。


野崎さんは気仙沼市で「復興まちづくり勉強会」も開催。
住宅再建に関する行政の資料や建築、法律の言葉を、わかりやすい言葉で解説しています。

◆住宅再建のための、わかりやすい説明
 行政の説明はなかなか理解しにくい。そこで、仮設住宅の人からの質問に対して作ったQ&Aを配っている。行政の説明言葉ではなく、聞きたい側のニーズに合わせて作ったもの、というところが特徴。
 例えば高台移転をした場合に、移転先の土地の買い取りもできるが、借地もできる。借地の場合、建設費のローンを借りた時にそこに抵当権を設定できるのか、など。なかなか統一見解として解答は出ていないが、そういうものを配って、皆さんに見てもらっている。



「被災地住宅再建Q&A」は、気仙沼市のボランティアセンターで配布しています。
また、野崎さんが手掛ける気仙沼市の「復興まちづくり勉強会」は、12月にも予定されています。
詳しくは「神戸まちづくり研究所」のサイトをご覧ください。

【神戸まちづくり研究所】

2012年11月21日

11月21日「阪神淡路大震災の経験を生かした復興支援。建築家・野崎隆一さんインタビュー(1)」

神戸在住の建築家・野崎隆一さんは阪神淡路大震災を経験し、神戸の復興街づくりにも携わりました。
その経験を活かして今、宮城県気仙沼市で高台移転や住宅再建のサポートをしています。

野崎さんにお話しを伺いました。

◆一軒ずつ行なった相談会
 昨年9月から、兵庫県が阪神淡路大震災の教訓を東北の被災地に伝えたいと、街づくりの専門家の派遣制度を作ってくれた。建築家として住宅の相談に乗ったことがきっかけで、仮設住宅を回って、話を聞きながら再建のお手伝いをしてきた。現在は気仙沼で防災集団移転、いわゆる高台移転のお手伝いをしている。
 住民の方は、公営住宅に入ろうか、集団移転でみんなで一緒に家を建てようか、それとも親戚のところにいこうかなど迷っている。そうやって迷っている人たちを集めて、一軒ずつ相談会を行なった。弁護士にも同席してもらい、個別相談。できるだけ一人で来ないでください、家族会議を我々と一緒にやりましょう、という形で、ご夫婦や親子で来てもらったり、一軒一軒相談をしていくということをして、決心を固めてもらった。
 阪神淡路大震災のときも、マンションの建て替えなどに携わった。家族だけでは判断がつかないところを、第三者や専門家が入って相談にのってあげることで、合意形成ができる。



高台移転に関して、野崎さんが関わる地域で比較的順調に計画が進んでいるのは、唐桑半島の只腰や小鯖などの地区。
うまくいっている決め手は、住民の「自主性」だそうです。
「自分たちでこの地区をどうにかしなきゃ」「集団移転を成功させなきゃ」という想いが、住民の合意形成に大きな役割を果たしています。


◆制度の浸透に時間が掛かっている
 阪神淡路大震災に比べると、少し時間が掛かっているという感じは否めない。
 国の支援の制度ができても、それぞれの自治体がそれを消化していくのに時間が掛かっている。自治体が消化しても、それを説明会や資料の配布などにより被災者に伝えていくが、なかなか被災者の理解を得るところまで、いろいろな制度が浸透していない。
 我々のように、行政と被災者の間に入って話を繋いだり、被災者の理解を深めたり、逆に被災者の方の疑問を行政に問い直していくための仕組みが、東日本大震災の場合は十分できていないと思う。




明日も建築家・野崎隆一さんのインタビューをお届けします。

2012年11月20日

11月20日「被災地に年賀状を届ける『元気メール』(2)」

孤立する仮設住宅のお年寄りに年賀状を書いて送る取り組み「元気メール」。
活動の中心となっているのは、神戸のNGOアセックの理事長・瓜谷幸孝さんです。

「元気メール」にはどのようなことを書けばいいのか、瓜谷さんに伺いました。

◆希望が湧くように
 仮設住宅は2年目になるので、仮設の状況など。新しい年に希望が湧くようなメッセージを書いてほしい。大人でも子どもでも自分で考えて、想いをこめて。想いを込めた手紙は必ず伝わるから。
 手作りでもいい。官製の年賀はがきだけでなく、絵を書いたり、折り紙や貼り絵にしている人もいた。それぞれ自分の工夫で。大人は俳句を書いている人もいる。俳句が趣味の人は、それで返事を送ってきたり。書道が得意な人は、書道を送ってきたり。それぞれ工夫してもらった。




《今年、全国から東北の被災地に贈られた年賀状》

■震災のニュースを見たとき、無力な私は、ただ遠い沖縄から見ることしかできませんでした。
 ですが、3年後、私はあなたたちの心を支え、力になれるよう立派なナースになれるよう、日々頑張ります。(沖縄・看護学生)

■私の住む北海道 札幌は朝晩と冷え込み、雪を踏むとザクザク、ザクザクと音がします。そちらには雪が降るのでしょうか。
 あまりにたくさんの雪で、除雪に苦労されないといいのですが…。
 まだ見ぬあなた様がどうぞお元気で温かくいてくださることを、少し遠くからお祈り申し上げております。 

■こちらも被災地・福島県です。
 こちらもあなたと共にがんばりますので、あなたもがんばってください。
 絆を大切に。(福島県いわき市・小学校6年生の男の子)



NGOアセックでは現在、来年のお正月に宮城県の仮設住宅に届ける年賀状を募集しています。
全国から届いた年賀状を、瓜谷さんたちが直接被災地に届ける予定です。



【元気メール年賀状の送り方】
はがきに、自分の名前、住所、メッセージを書いて、
宛名は「被災された方へ」としてください。

このはがきを封書に入れて、「アセック」の事務局宛てに送ってください。

送付先
 〒655-0046 神戸市垂水区舞子台8丁目16-16-604 アセック


詳しくはお電話でお問い合わせください。
【お問い合わせ先:アセック事務局 090-6735-4253】

2012年11月19日

11月19日「被災地に年賀状を届ける『元気メール』(1)」

神戸のNGOアセックが手掛ける、被災地の仮設住宅に年賀状を贈る取り組み「元気メール」。
今年もすでに募集がスタートしています。

活動の中心となっているのは、アセックの理事長・瓜谷幸孝さん。阪神淡路大震災の被災者です。

瓜谷幸孝さんにお話しを伺いました。

◆17年前に届いたFAX
 17年前の阪神淡路大震災で、家が全壊し、2時間生き埋めになり、かろうじて自力で外に出てきた。出てきたときは放心状態。周りは全部壊れて、あちこちで火が出て、ガスが爆発する音。
 事務所の方も諦めていたが、事務所に入ったらFAXが床に落ちていて、紙が出てきた。私は国際ボランティアをしているが、1990年の中国の水害で支援した上海の県知事から、「一方有難八方支援」=「ひとつのところに災難があったら八方が支援する、わたしたちが今度はあなたを助ける番です」というメッセージだった。
 そのFAXを見て、私は全て失ったんじゃない、自分を心配してくれる人がいた、ということを思った。このメッセージで生きる勇気が湧いてきた。自分に何かせいというメッセージだと思った。
 心からのメッセージで人は立ち直ることができる。



そして、阪神淡路大震災で被災した人たちのために立ち上げたのが「元気メール」でした。
仮設住宅で自殺や孤独死するお年寄りが増えたことから、なんとか生きる希望を与えられないかと年賀状を配り、そこから生まれた文通や交流は17年間、今も続いています。

そのときの経験から瓜谷さんは昨年、東日本大震災の被災地に年賀状を届ける「元気メール」を募集しました。

◆行かなくてもできるボランティア
 去年、3000通の年賀状が集まった。その3000通を宮城県石巻の仮設住宅に配った。
 知らない土地にいて、知らない人たちの中で、一枚も手紙や年賀状が来ない、誰からも便りも電話もかかってこない…こんな寂しいことはない。
 3000通配った時に、何人かの人が涙ぐんでいた。年賀状は自分のことを心配して書いてある。読んだ人はそれに返事を書きたいということになる。それで文通が始まる。
 手紙のやりとりは遠く離れてもできるボランティアだと思う。足が不自由でも、耳が不自由でも、遠く離れても、行かなくてもできるボランティア、それが「元気メール」。
 また三が日、年賀状を配りたい。できたらそんな文通が始まればと思っている。




【元気メール年賀状の送り方】
はがきに、自分の名前、住所、メッセージを書いて、
宛名は「被災された方へ」としてください。

このはがきを封書に入れて、「アセック」の事務局宛てに送ってください。

送付先
 〒655-0046 神戸市垂水区舞子台8丁目16-16-604 アセック


詳しくはお電話でお問い合わせください。
【お問い合わせ先:アセック事務局 090-6735-4253】

2012年11月16日

11月16日「森の長城プロジェクト・どんぐり拾い(2)」

被災地沿岸部で、ガレキを土台に利用した防潮林を作るという「森の長城プロジェクト」。
防潮林に必要な苗木の元となるどんぐり拾いのイベントが今月、宮城県内4か所で行われ、約100人のボランティアが集まりました。

◆参加者の声
 ・仙台の女性:こうやって時間を共有するのは勉強になる。コンクリで埋めるのはお金をかければできるが、森の長城プロジェクトのどんぐり拾いは人の手がないとできない。それで守られるなら協力したいと思った。まだ10代。できることがあったら力になっていきたい。
 ・静岡の男性:静岡でも防潮堤が進んでいる。その関係で仕事を休んで3日間参加。
 ・地元の会社員:震災で松がダメになったところに根の張る木を植えるのは良いこと。
 ・横浜の女性:木がそこまで大きくなるのは大変だけど、大事にどんぐりを集めて新しい森ができたら素敵だなと思った。


3日間に渡って行なわれたイベントの最終日、仙台・青葉神社で行われたどんぐり拾いには、元総理で、森の長城プロジェクト理事長・細川護煕さんも参加しました。

◆細川護煕さん「継続的に着実に進めたい」
 どんぐりを3日間で10万個拾い、30〜40cmの苗木にする。がれきを5mのマウンドにして(そこに苗木を)植える。そのためのどんぐり拾い。
 自宅の庭掃除などもしているが、どんぐり拾いをしたのは子どもの頃以来。
 アカガシはそこらじゅうにあるので拾うと言うか、かき集める感じ。シラカシは少なかったので一生懸命落ち葉をかき分けないと見つからない状況。これからもあちこちで拾える場所が出てくる。息の長いプロジェクト。地域も広げて継続的に着実に進めていければと思う。


今回のイベントで集まったどんぐりは約10万個!
このどんぐりは今後、芽が出るものに選別され、ポット型の苗に育てられます。
実際に防潮林として植樹されるまでは3年かかるということです。





【瓦礫を活かす森の長城プロジェクト】

2012年11月15日

11月15日「森の長城プロジェクト・どんぐり拾い(1)」

被災地のガレキを利用したマウンドに木を植え、沿岸部を津波から守る防潮林を作ろうという「森の長城プロジェクト」。
きのうご紹介した、林野庁の海岸防災林・再生事業とも連携する予定となっています。

そして、この運動では、木を植えるだけでなく、苗木の準備もイベントにしています。
先週末、仙台市や名取市などで行なわれた、どんぐり拾いのイベントです。
森や植物の専門家・国際生態学センター研究員・林寿則さんの指導のもと、地元の方をはじめ、全国から約100人のボランティアが集まって行われました。

◆仙台・輪王寺でのどんぐり拾い
 故郷の木であるシラカシ、アカガシというカシのどんぐりを拾う。地域に根付いた木の種類。シラカシとアカガシはどんぐりの形が違う。材(中身)が白と赤で違う。
 どんぐりが落ちるのは成熟して発芽できるから自分で実を落とす。食料にもなる。虫や動物も食べるので、落ちるとすぐに虫が入ってしまう。ひびが入っているものはダメではないが、発芽率が落ちる。できるだけ黒々と成熟したものが良い。水につけると、虫や傷ものは空気が入っているので浮いてしまう。それは省く。集めて、選定をする。手が掛かる。


明日は、今回のイベントで集まったどんぐりの未来についてご紹介します。





【瓦礫を活かす森の長城プロジェクト】

2012年11月14日

11月14日「『みどりのきずな』再生プロジェクト(2)」

今年4月にスタートした「『みどりのきずな』再生プロジェクト」は、政府・林野庁を主体としたプロジェクトで、津波の被害を受けた東日本沿岸部の海岸防災林・140kmを民間団体と連携して、10年間かけて再生しようというものです。

海岸防災林とは、海から吹く風や砂、津波から生活を守る森や林。
土台部分には、人体に害のないコンクリくずや、津波で発生した土砂を活用します。


今月11月4日には、仙台市若林区荒浜で、地元の方々やボランティア団体200人による植樹式が行われました。

地元の方々に、どんな想いで木を植えたのか伺いました。


◆植樹式に参加した方々の声
 ・女性:40年前に砂防林組合があった。何十年もかけて松林が出来上がった。歯かけの松林になってしまってさびしい。

 ・夫婦:20本植えた。海の近く、海岸沿いに暮らしていた。すべて流された。今も時々自分の家を見に戻る。更地になってしまい、この辺はどうなるのかと思いながら過ごす。うちの周りは松林だったから、新たに植えて取り戻したい。木が無くなってがっかりしたが、また木が伸びてもらえると良い。昔は松林でキノコを採っていた。

 ・親子:地元なので、元通りの海岸になってくれるのが理想。その手伝いができればと参加。一緒に同じ場所で子どもたちと遊べたらいい。土を触るのは好き。今までは土や砂で遊んでいたが、それが出来なくなった。子どもは久しぶりで楽しいんだと思う。地元の浜に植樹することについて…緑が全く無くなってしまったので、みんなで植えて緑がいっぱいの町になればいいと思う。子どもたちが大きくなった時、「お父さんが植えた木があるんだよ」と言えたらいいなと思い参加した。



今回、荒浜には約2000本の木が植樹されました。
これが森になるのは、何十年も先。つまり継続的な活動が必要です。
海岸防災林の植樹活動については今後、行政と民間団体が連携して企画されていくことになるので、番組でもお知らせしていきたいと思います。







植樹する前の段階「苗作り」については、例えば“瓦礫を活かす森の長城プロジェクト”が寄付を募っています。
詳しくは下記サイトをご覧ください。

【瓦礫を活かす森の長城プロジェクト】

2012年11月13日

11月13日「『みどりのきずな』再生プロジェクト(1)」

今年4月にスタートした「『みどりのきずな』再生プロジェクト」は、政府・林野庁を主体としたプロジェクトで、震災で失われた「海岸防災林」を再生しようというものです。

今月11月4日には宮城県仙台市若林区荒浜で、プロジェクトの一環として植樹式が行われました。
植樹式には地元の方々、植樹に取り組むボランティアなど200人が参加。クロマツやヤマザクラなど、およそ2000本の苗木が植樹されました。

このプロジェクトについて林野庁・沼田正俊長官に伺いました。

◆「『みどりのきずな』再生プロジェクト」の概要
 震災で太平洋側の230kmの海岸林(青森〜千葉)の3分の2、140kmが被害を受けた。
 海岸防災林は潮風の害、砂の害を防ぐもの。すみやかに復旧したい。がれきが周りにたくさんあり、処理をしなければいけない。分別・無害化し再生資材として活用できるコンクリくず、津波堆積物で地盤を作る。地盤が下がり、松などの樹木の根が大きく張らないと津波に弱いため、3mほど土を盛る資材として使っているのが特徴。
 もう一つの特徴として、植栽するにあたって地元やNPOの協力で植える。絆の元で海岸防災林を再生しようというもの。総理提唱の「『みどりのきずな』再生プロジェクト」として4月から本格実施している。


震災で失われた「海岸防災林」を再生しようというこのプロジェクト。
津波でほとんどの「松の木」が流されてしまいましたが、今回は松だけでなく、できるだけ地元の種子から生産された広葉樹の苗木も植えていくそうです。

◆海岸防災林の再生
 松は塩に強く風に強い。海岸に広く育ち、植林をされていた。地域の条件に合っている樹木。前線に松を植え、塩の害を受けにくい陸側に色んな広葉樹を植えられる。コナラやヤマザクラを植え、さらにタブやカシなど地域に育っている広葉樹を使う。


このプロジェクトでは、東日本沿岸140kmの防災林のうち、およそ50kmについては今年度中に取りかかることになっています。
全ての防災林の再生には、10年が掛かる見込みです。

また、この取り組みでは、全てのガレキを利用するわけではなく、家や家具だった「建築廃材」は利用出来ません。これを有効活用するべきではないかという声もあり、いまも議論が続いています。

2012年11月12日

11月12日「宮城県名取市『なとり復興桜プロジェクト』」

11月3日、宮城県名取市で行なわれた「2012ふるさと名取秋まつり〜復興祭〜」。
地元の名産品の販売のほか、ステージで様々な郷土芸能が披露され、たくさんの人出で賑わっていました。
その中でも注目を集めていたのが、「復興桜のスマホアプリコンテスト」です。
これは、名取市閖上地区にある水路「貞山堀」に、3000本の桜の苗木を植えて、名取の人たちの心の拠りどころをつくろうという、「なとり復興桜プロジェクト」のPRイベントです。
スマホアプリコンテストは、「スタジオ森のげえむ屋さん」が最優秀賞を受賞。
エフエム東京が優秀賞を受賞しました。

その傍らのブースでは、将来、桜並木に植えるための苗木の里親コーナーも設けられ、こちらにも多くの人が訪れていました。

プロジェクトを進めている名取市観光物産協会 復興部会・佐宗美智代さんに、復興祭を迎えられた今の気持ちを伺いました。

◆貞山堀を再会の場に
 感慨無量。目に見えて桜の苗木が大きくなり、朝からいろいろな方が桜の里親に。夕方までもたないくらい。
 並木が出来るまで乗り超えなければならないものは、河川法など規制・行政・法律の壁。それと人の理解。
 地元の方々からは、是非実現をという声が多い。閖上に行くと分かるが、本当に何も無い。知ってるモノは貞山堀しかない。町がこれから復興していく中、昔住んでた人が町に戻った時、貞山堀は分かると思うので、そこを再会の場にしたい。



津波のあと、閖上に咲いた桜の木から芽を取って、それを次々に増やし、地元の皆さんの手で育てて、いつか町の面影が残る「貞山堀」に、並木を作る、「なとり復興桜プロジェクト」。
この復興祭に参加された方、実際に桜の苗木の里親になられた方にも、お話しを伺いました。

◆復興祭での声
 「いま閖上はグレーの世界。そこに緑が芽生えてピンクの花が咲いて、それだけで復興のシンボルになるし、幸せな気持ちになると思う」
 「自分は生まれてからずっと名取。全部流されて何も無くなった河原などに桜が有ったら、自分が生きてる時よりも、自分が死んでから、次の代になった時に、大きな並木で皆でお花見したり、集える場所になったら良い。学校とかによく桜とか生えてるけど、自分らが小さい頃に大したことない木が―俺も40になるんだけど―今になると大きな桜になってる。だから自分が預かった苗木が、自分が爺ちゃんになった時、大きくなってる事を期待して、夢に見てみんなで頑張りたいと思う」



【名取市観光物産協会 復興部会 Official Website】

【名取市観光物産協会復興部会「なとり復興桜プロジェクト」facebook】



2012年11月9日

11月9日「宮城県東松島市野蒜地区・森の学校づくり」

作家で環境保護活動家のC.W.ニコルさんと地域住民が取り組む、宮城県東松島市の「復興の森づくり」。
東松島市野蒜地区の高台に、元の自然を活かした森と、森の学校を作るという活動です。
特に森の学校作りは、津波で廃校になった3つの小中学校の子どもたちに学びの場を作りたいという、地域の願いを受けたものです。

このプロジェクトに取り組む、一般社団法人東松島みらいとし機構の事務局長・佐藤伸寿さんは、もともと東松島市の職員。
復興の速度を早めようと、行政と連携できる社団法人を立ち上げたそうです。

佐藤さんに震災の被害と、復興への想いを伺いました。


◆約束を果たすため、いい街を
 東松島市の被害は、死者・行方不明者を合わせると約1100人。野蒜はその中でも520人が亡くなっている。最も被害が大きかった場所。
 津波は10.5m、信号機が壊れ、車のエンジンを切ってキーを抜いた人がいて大渋滞。逃げようとする車も数珠つなぎ。そこに10.5mの津波が来た。子犬と子供を父が抱いたまま車に浸水し、真っ白になって引き上げられた姿を散々見せられた。
 死ぬ間際って美しいものばかりじゃない。ああいう人たちと約束しているので、いい街を作らないとどうしようもない。


◆森の学校
 森の中にお弁当箱をぽんと立てたようなコンクリの建物。あれは教師が生徒を管理しやすいように建てるもの。うちの学校は、地形を活かして、教室をこの地形にちりばめていくという考え方。
 「谷戸(やと・長い年月をかけて山が浸食されて出来た谷間)」に面した南向きの斜面に学校を作るのが今回のコンセプト。
 谷戸は生物多様性がある。森の中に学校を作る。しかも南向きで太陽が照るので、太陽光と蓄電で完結する。トイレもバイオマスで完結する。完結する設備の中に子どもたちが自分たちのルールを作り回す。それも摂理になる。学校で過ごすことが摂理を学ぶことになる。自信を持っている。
 森と風と太陽と、無限の資源で循環と共生をやっていく。これが東松島市のスタイル。



東松島みらいとし機構は、地元の再生産可能な資源を利用して、100年先まで見据えた豊かな街作りを目指す団体。
今後もC.W.ニコルさんとともに、森作り、森の学校作りを続けていきます。

【一般社団法人東松島みらいとし機構】

【C.W.ニコル・アファンの森財団】






2012年11月8日

11月8日「C.W.ニコルさん『豊かな森づくりと子どもたちの心』」

作家で環境保護活動家のC.W.ニコルさんが取り組む、宮城県東松島市の「復興の森づくり」。

長野県で「アファンの森」という里山作りに長年取り組んできたニコルさんは今、東松島・野蒜地区の高台に、そのノウハウを生かした森作りと、森の学校作りをはじめています。
これは、「子どもたちの未来のために、豊かな森を育て、森の中の学校を作りたい」という東松島市の想いを受けたものです。

実際、東松島・野蒜地区の森は、“豊かな状態”ではないと、ニコルさんは言います。
森の木々に触れながら、ニコルさんは、豊かな森とは何かを説明してくれました。

◆多様性豊かな森
 例えばこの杉の枝は4分の3まで死んでいる。光合成ができないから死んでしまうので、光を通さないといけない。地面まで光が来ると、地面も緑になり、微生物が育ち、木が育つ。原生林は自分たちで議論して工夫して一つの大きなシステムを作っている。原生林なら元気な大木、死にかかっている老木、小さな若い木まである。一緒に暮らす生物もいっぱいいる。この場所は杉だけ。全部同じ年。混みすぎている。多様性豊かにするためには光を通さなければいけない。そうすると微生物が元気になり、木も元気になる。風が通る森は鳥や蝶々も飛ぶ。種も入ってくるし他の生き物も入れる。それが多様性。

長年放置されたため、ヤブに覆われて薄暗かった野蒜の森。
これを再生する第一歩として、10月にはニコルさんと地域住民、そして子ども達によるヤブ刈りが行われました。


これに先立ち、東松島市の子どもたちは、長野県黒姫の「アファンの森」に招待されました。

◆「アファンの森」子どもたちの様子
 最初は、長い間バスに乗っていたこともあって疲れて暗い顔。でも2日目からはきゃっきゃと走り回り、家族を失った大人も微笑みがあった。
 3日目で東松島の子どもたちが、無邪気に目が光り、人を意識して話しかけてくる。恐怖の門を通った、恐ろしい経験をしたから、生きるとは何かを感じるようになった。
 森の中にいると、森や川や海など一生懸命生きているものを見ると、勇気が出てくる。海も川もある。ここの学校は5年〜20年、同じところと思えないくらい美しくなる。日本一ではなく世界一の学校になると思う。



【C.W.ニコル・アファンの森財団】

2012年11月7日

11月7日「C.W.ニコルさん『復興の森づくり』」

作家で環境保護活動家のC.W.ニコルさんが代表を務める、財団法人「C.W.ニコル・アファンの森財団」によるプロジェクト「復興の森づくり」。

ニコルさんは長年、長野県の高原で里山再生に取り組んでいますが、そのノウハウを活かして、被災地に元々の自然を活かした「復興の森」と、木造の教室による森の学校を作ろうとしています。

場所は、宮城県東松島市野蒜地区。
東松島市の住民の方々の要望を受け、このプロジェクトは立ち上がりました。
そして先月、野蒜地区の高台では地鎮祭が行われ、地域住民と子どもたちによる森作りは、第一歩を踏み出しました。

C.W.ニコルさんにお話しを伺いました。

◆エデンの園のような場所を
 震災のあとで心が痛んだ。東松島の方々が、学校を移転するから手伝ってと言うので見に行った。そしてこの場所の可能性を感じた。私は変わっていて、土地を観て自然を観ると、昔が想像出来る。
 縄文時代、ここには人が住んでいた。ここはキレイな小川が流れていた。原生林で色んな動物がいた。どんな津波や台風でも、安全だった。だから人が住んで森を開いて田んぼを作った。年輪をみれば、放置したことがわかる。
 学校を作るとはどういうことか。私にも子供がいる。孫がいる。おじいさん、おとうさんとして、子どもたちが学校へ行っている間は安全だという気持ちがなければ働けない。子供が気になっていたら良い仕事はできない。だからここで森や川や風や地元と相談して、分からないことがあったらエキスパートの意見を聞いて、美しい景色の中に学校を作る。それはいいことだ。命をかけて、いい学校、エデンの園のような場所を作る。



東松島市では、子どもたちは今も仮設の校舎に通っています。
新しい学校の校舎が出来るには、早くても5年。そこで東松島市とニコルさんは、子どもたちのために、森の中で学べる、もう一つの学校を作ろうとしているということです。


【C.W.ニコル・アファンの森財団】

2012年11月6日

11月6日「WWFジャパン・ふるさとの海交流会」

宮城県南三陸町の中学校とWWFジャパンが共同で取り組む環境教育。
子どもたちに地元・志津川湾の海と漁業について、考えてもらう取り組みです。
9月には子どもたちが海に潜る「シュノーケル観察会」が、10月には沖縄の石垣島で交流会が行われました。

石垣島を訪れた南三陸町・戸倉の子どもたちは、伝統芸能「行山流水戸辺鹿子躍」を披露。大きな拍手が送られました。
また、南三陸と石垣島白保、両方の海に潜ったことで、それぞれの海の特徴に気づくことにもなったようです。

プログラムの計画、運営に関わった、WWFジャパンの前川聡さんにお話しを伺いました。

◆石垣島での交流会
 石垣島にはWWFジャパンが長年活動しているサンゴ礁センターがある。そこで環境保全と、地域の特色を生かした地域づくりというプロジェクトを進めていたので、ぜひ南三陸町の子どもたちに体験してもらい、大人にも地域の特色を生かした地域づくりというものが、これからの南三陸町の復興を考える意味でヒントになるのではないかと思い、参加してもらった。
 一つは「海を知る」ということ。また戸倉の特色でもある「芸能」の獅子踊り、この2つの観点から交流事業を行った。
 事前に南三陸町の海をシュノーケル体験で見ていただけに、生き物の違い、自然の違いに驚いたり、改めて南三陸町の海の特徴を知ることになった。
 また「芸能交流」では、自分たちの獅子踊りを見せることで、感動を与えることができ、意義深いものになった。


◆子どもたちのこれからにどう繋がるのか
 今後、戸倉の海、白保の海、芸能を見て、交流したことがどういうふうに繋がるのか、子どもたちと一緒に考える機会を作りたい。
 子どもたちが街に残るのか出ていくのか、わからないが、南三陸町をどう伝えていくのか。より持続可能な漁業のために、何をするのか。自分たち一人一人の視点で考える時間を作って、地域の方たちと共有していきたい。



【WWFジャパン「被災地の方々と石垣島白保で『ふるさとの海交流会』を実施」】

2012年11月5日

11月5日「WWFジャパン・宮城県三陸町・シュノーケル観察会」

宮城県南三陸町の中学校とWWFジャパンが共同で取り組む環境教育。
子どもたちに、地元・志津川湾の海と漁業についてもっと知ってもらおうと、一昨年スタートした環境教育のプログラムです。
震災で一時中断したものの、関係者の熱意と協力によって、昨年再始動しました。

プログラムの計画、運営に関わった、WWFジャパンの前川聡さんにお話しを伺いました。

◆震災後の環境教育
 震災が起こってしまって、宮城県南三陸町で漁業者の方たちがイカダや船の修理をしている。そういった復興に向けた活動も併せて見ていかないと、子どもたちが海に対してマイナスの印象を持ってしまうんじゃないか、復興していく姿を見ていくことが必要なんじゃないかということで、中学校の先生が漁協にお願いをして、少しでもいいから現場を見せて欲しい、海の体験をさせて欲しいということで、環境教育を始めた。
 私たちにも相談があり、資源環境の調査、水産業がより持続可能な漁業/水産業にシフトしていくようなお手伝いをしている。


◆海と付き合っていく
 震災後の志津川湾の様子、また特徴はそもそも何なのか。講義の中では海藻がたくさんあるということなどが伝えられるが、やはり直に見てみないと印象はわからない。ぜひ子どもたちに見てもらいたい、また地域の大人たちが一緒に参加することで、漁業/漁業者/中学校の連携の環境教育ということで、シュノーケル観察会を企画した。
 戸倉中学校の2,3年生が参加。当日は快晴で静かな状態で泳ぐことができた。
 子どもたちもいろんな思いがあったと思う。やはり、津波で大きな犠牲を出した海に潜ることに、多少の抵抗があったと思う。ただ皆非常にいきいきとして、今まで見ることがなかったたくさんの海藻や生き物を見ることができて、志津川湾に対して恐怖でなく、より身近なものと感じることができたようだ。
 子供たち一人一人、南三陸町で生きていくためには、海ときちんと付き合っていかなきゃいけない、漁業とのバランスを考えていかなきゃいけないと言ってくれた子どももいて、私たちとしてもよかったなと思っている。




前川さんによると、志津川湾の海の中は海藻類がびっしり生えていたそうです。
大きな被害をもたらした津波でしたが、確実に自然環境が戻りつつあるということです。
シュノーケル観察会が、大人と子どもがともに、「海と生きていくこと」を改めて考える機会になりました。

【WWFジャパン「被災地の海でのシュノーケル観察会」】

2012年11月2日

11月2日「岩手県・被災地をまわるサンタクロース」

岩手県遠野市で活動する被災地支援ネットワーク・NPO法人遠野まごころネットのプロジェクト「サンタが100人やってきた!」
このプロジェクトについて、遠野まごころネットの吉田慶さんにお話しを伺いました。

◆ボランティアがサンタに
 「サンタが100人やってきた!」は、サンタクロースに扮したボランティアが、岩手県沿岸部で被災した方たちに、クリスマスプレゼントを配ろうというもの。募金でプレゼント代を集めて、被災した商店でプレゼントを購入して届ける。仮設住宅を一軒一軒回ったり、集会場でイベントを行なって配る。
 昨年は延べ450人のボランティアが集まってくれて、1万8000個のプレゼントを配ることができた。
 やるかやらないかで賛否があったが、プレゼントを配ると皆さん本当に喜んでくれた。今年もぜひやって欲しいということで開催することになった。


プロジェクトのきっかけは、震災直後に岩手県陸前高田市の避難所に派遣されていた看護師のブログでした。
 被災した女の子が「冬になったらサンタさん来てくれるかな?」と看護師に尋ねました。そこで「なにが欲しい?」と聞くと、返ってきた答えは「おうちとママ」。女の子の母親は、彼女のリュックを抱えて亡くなっていたそうです。
震災で傷ついた子どもたちが少しでも笑顔になれるように。そんな願いを込めて、このプロジェクトがスタートしました。


◆まだボランティアや募金の力が必要
 やはり、被災地にはまだまだボランティアが必要だと思う。災害ボランティアではなく観光でも、ボランティアの関わり方が変わってきていると思う。
 その中で「サンタが100人やってきた!」というプロジェクトはいろんな方が関わりやすいイベント。このプロジェクトを通じて一人でも多くの方に東北のことを思い出して欲しいし、忘れないで欲しい。
 もちろんボランティアで来ていただくことも嬉しいし、来られない方は募金をしていただければ、子どもたちへのプレゼントになる。






サンタボランティアの募集は、すでに始まっています。
日程は12月22日、23日、24日の3日間です。
陸前高田や釜石など、岩手県の被災した沿岸部で子どもたちにプレゼントを手渡します。
また、プレゼントのお菓子を購入するための資金を寄付することもできます。
寄付は一口1000円から可能です。
詳しくは遠野まごころネットのホームページをご覧ください。

【遠野まごころネット Official Website】

2012年11月1日

11月1日「気仙沼からロンドンへ・フェンシング千田健太選手インタビュー(4)」

ロンドンオリンピック・フェンシング男子フルーレ代表の千田健太選手は気仙沼出身。
8月5日、千田選手、太田雄貴選手、淡路卓選手、三宅諒選手の男子フルーレ団体は、準決勝・ドイツ戦を制し、日本のフェンシング団体として初のメダルを確定させました。
結果は銀メダル。故郷・気仙沼を津波が襲ってから1年と4ヶ月。
辛い経験を経て手にしたメダルは、彼にとってどんな意味のあるものなのでしょうか。



◆メダルを手にし、気仙沼へ
 銀メダルをかけた瞬間は、重かった。フェンシングを始めた時から色んな人にお世話になって支えられてきたので、重かった。
 気仙沼に帰ると、漫画みたい。すごい人。自衛隊のオープンカーで凱旋パレードをした。1万人が沿道に集まった。
 (津波で亡くなった)親友には、「ありがとう。あなたに助けられ、支えられて、そのおかげで自分の路をしっかり歩いてこれた。本当にありがとう」と伝えた。
 父には初めてあんなに褒められた。ずっと厳しかった。高校時代もスパルタ。家でも口もきかないほどだったが、「ベストゲームだった。剣先に気持ちが載っていていい試合だった」と言われた。いまビデオを見返しても自分の全てが凝縮した試合だと思った。「あんな千田は見たことない」と言われるくらいの、最高のゲームだった。
 気仙沼のみんなの力が一丸となった試合だし、メダルだった。今までお世話になった人が被災し、苦しんでいる中応援してくれる。申し訳ない気持ちになったし、その気持ちを背負っているという自覚は常に持っている。
 気仙沼は故郷であることは変わらない。日本代表選手が気仙沼に帰って、僕たちに指導してくれたこともあった。将来的には気仙沼の子どもたちに経験を伝えて、五輪選手を輩出していきたい。



千田選手のお父さんも、オリンピック代表選手でした。
日本がボイコットしたモスクワ大会の代表で「幻の代表」と言われています。
気仙沼はフェンシングが盛ん。
これから、強い選手がどんどん出てくるのではないでしょうか。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

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