2013年4月30日

4月30日 福島県双葉郡浪江町 八島貞之さん

今週は、東北各地の現状をお伝えするともに、連休の観光情報も紹介しています。

今日は、福島県双葉郡浪江町から。福島第一原発から10キロ圏内と、20キロ圏内にまたがるこの町の住民の方は、2月末現在で2万1171人が、福島県内・県外で避難生活を続けています。

お話を伺ったのは、八島貞之さん。地元・浪江町の鉄工所の代表です。八島さんは、出来るだけ浪江に近い場所、福島県南相馬市 原町区に会社を置き仕事を続けています。ご家族は80キロ離れたいわき市で生活。八島さんは単身赴任という形です。八島さんに今の生活で、不満に感じていることを伺いました。

◆仕事は除染作業しかない
まず仕事。私のところは鉄工所で溶接の職人さんを使っていた。震災の年はまだ復旧工事で仕事があったが、翌年の平成24年になるとだんだん鉄骨工事は減り、今は土木工事と除染しかないため除染に携わっている。私の考えだが、元々被ばくしたかも知れない地域の人たちが除染作業に携わるというのは、どうしても納得いかない。除染作業だけは携わらないようにしたかった。被ばくしたかも知れない現状にあるわけで、何年か後に健康被害が出た時にしっかりそれを伝えたかったのだが、同意書を書いて除染作業に携わるということは、被ばくしても良いという覚悟での仕事になってしまう。事故当時の被ばくではないと言われてしまうのが悔しい。


八島さんの会社では現在、仕事の大半が除染作業となっています。その内容は、放射線の調査や草刈、建物の高圧洗浄機での洗浄、そして表土の剥ぎ取りなどです。

八島さんは、鉄工所としての本来の仕事をしたいと考えていますが、仕事は少なく、かといって他の地域の仕事を奪うわけにもいかない。長年 雇い続けてきた熟練の職人さんを 手放すわけにもいかない。悩んだ末、現在の土地で除染作業に関わっていると話します。

一方、4月1日づけで、浪江町は一部地域の立ち入りが可能になりました。八島さんは、これをどう捉えているのでしょうか。

◆浪江の人たちと生活がしたい
浪江が再編されて、町内が避難指示解除準備地域になった。自由に出入りできるようになったが子どもを持つ親としてはまだまだ心配。まず最初に、順番としては除染とインフラ整備をきちっとしてから一般の人が出入りできるようにしてほしい。いくら除染、インフラ整備が終わっても、私たちの世代は戻ることに疑問。すぐ隣町2〜3キロのところに中間貯蔵施設が出来る予定で、浪江町の町内にも仮置き場がいっぱい出来る予定。そんなところで生活が出来るかどうかは不安でならない。浪江町という地域に戻るのではなく、浪江町という名前を残すような取り組みをして、安全な場所で家族のもとから通勤、仕事が出来る場所で、浪江町の町民の人たちと一緒に生活がしたいと思っている。



そして、八島さんは現在、浪江町のローカルフード「なみえ焼きそば」による町おこし団体としての活動も続けています。メンバーはそれぞれの避難先から、イベントのために集まり、町のPRを続けているのですが、連休中の出店情報などについては、明日のこの時間にお届けします。

2013年4月29日

4月29日 気仙沼大島の「緑の桜」


<昨年の「緑の桜」満開写真>

GWの今週は、東北各地の観光情報を中心にお届けします。今日は、宮城県、気仙沼の沖合に浮かぶ大島です。

周囲はおよそ22キロ。島民およそ3000人。海と山の自然に恵まれ「緑の真珠」とも呼ばれる大島ですが、東日本大震災では、太平洋側からの津波と、本州からの引き波により、30人以上の島民が犠牲になりました。また、気仙沼湾で発生した火災がガレキを伝って島にも延焼し、島一番の観光名所「亀山」の一部が焼ける被害も。

震災から2年2か月。大島で民宿「黒潮」を営む、堺健さんに、島の観光業の現状を伺いました。

◆気仙沼大島の観光業の現状
震災の津波で宿が10軒流され、浦の浜港という旅客船がつく一番賑やかなところだが、そこの商店街も全滅した。観光のほうはダメージが深い。旅館民宿、17軒ほどあるが、毎日毎日いっぱいということではなくて、比較的空いている。大島だと船で渡らなくてはいけないので、船で来るのは大変というのもあるんだろう。
大島の観光の名所としては、亀山という山が北側にあるが、そこの頂上からの景色は絶景。皆さん感動される。いまの季節だと椿や桜が満開だし、エメラルドグリーンのきれいな海がある。自然環境は大島はすごくいいと思う。


「亀山」は標高235メートル。三陸のリアス式海岸を海側から一望できる絶景ポイント。他にも、島の最南端に位置する岬「龍前崎)」など、観光資源が豊富な島です。

さらにGW、大島で花を咲かせているのが「緑の桜」。花びらそのものが「緑色」という、ちょっと珍しい桜です。堺さんらが中心になって、15年前に大島に植樹しましたが、77本のうち20本ほどは津波で流されてしまいました。それでも、50本ほどが残り、いまもこの時期に「緑の花」を咲かせています。

◆GWが見ごろ。大島の「緑の桜」
今年の「緑の桜」の見ごろは、4月末から5月10日ごろまでだと思う。「緑の桜」は花びらも葉っぱのように光合成する桜。桜というとソメイヨシノなどを思い浮かべると思うが、「緑の桜」が50本以上あるのは非常に貴重だと思う。
その時期は椿も満開なので、緑の桜と椿が数千本あるが、椿も楽しめる。
また今月4月21日に「椿マラソン」が2年ぶりに再開して、1700名のランナーに走っていただいた。大島で一番大きなイベントがこの「椿マラソン」だが、震災して2年間実施できなかった。今年開催できたのは大きな前進だと思う。


2013年のゴールデンウィーク。島の宿泊施設も、まだ予約可能とのこと(2013.4.29現在)。
ゴールデンウィーク後半、大島の「緑の桜」を見に出かけてみては?


民宿「黒潮」

2013年4月26日

4月26日 NPO法人『ボランティアインフォ』

「ボランティアインフォ」は、データベースを活用して、ボランティア情報のマッチングを行うNPO法人。「ボランティアが必要な人」と「ボランティアに行きたい人」をつなぐ役目を果たしています。

震災からおよそ2年2か月。東北の被災地の、ボランティア受け入れの現状を、代表の北村孝之さんに伺いました。

◆東北のボランティア受け入れの現状
ボランティアに行きたいと思っているんだけれども、どこに行ったらいいのかわからない、行って本当に役に立つのか不安だという声や、何度も行っている方は、交通費や宿泊がハードルになっている、という声も聴く。被災地にはまだまだ(ボランティアに)来てほしいというニーズはあるし、継続的に東北に関わる方は求められている。
リピートしている方なら、会いたい人に会いに行く、観光するなら観光してついでにボランティアする、楽しみながら続けていくという必要があるんじゃないかと感じている。


◆GWのボランティア情報
GW比較的多いのは、東京発のボランティアバスツアー。具体的には岩手県陸前高田市や宮城県の牡鹿半島でガレキや農地を掘り起こして、細かいガラスのかけらを撤去したりする作業。また個人のお宅の畑作りなどもある。
あとは仙台のdogwoodさんは、震災後被災ペットを受け入れていて、いまでも100匹ぐらいの犬猫さんを預かっている。ボランティアさんもいつも募集している状態。GWでも一日だけでも来てほしいということを、担当者の方がおっしゃっていた。
ボランティアの内容自体はだいぶ変わってきたが、来ていただいてやっていただけることはまだまだたくさんあると思う。

北村さんによると、被災地の方には、「ボランティアだけでなく、観光や食を通して、東北の魅力を知ってほしい!」という想いもあるということ。東北は、GWがちょうど桜の見ごろというところも。「東北に足を運ぶ」こと自体が、まさに「ボランティア/復興への第一歩」なのかもしれません。

「ボランティアインフォ」では、ボランティアを必要としている人や団体からの情報掲載も随時受け付けています。

ボランティアインフォ リンク

2013年4月25日

4月25日 チャレンジスター東北サミット(4) MIGAKI-ICHIGO(ミガキイチゴ)

12日(金)に行われた『チャレンジスター東北サミット』の模様をお届けしています。

これは復興のために事業を興した、東北の起業家によるプレゼンイベント。「起業家 と 支援者のマッチング」を目的としています。宮城県 亘理郡山元町からこのイベントに参加したのは、農業生産法人 株式会社GRA(ジーアールエー)の代表 岩佐大輝さん。山元町出身でご実家が元々イチゴ農家だった岩佐さんは、震災後、特産のイチゴによる復興を目指し会社を立ち上げました。

◆プレミアム苺『MIGAKI-ICHIGO』
山元町は土地が塩害の影響で、塩分が高くそのままではイチゴが作れない。そうした中でイチゴ農家は、GRAも含めて、地面で作っていたイチゴを《高設ベンチ栽培》という、ベンチの上で水耕栽培する新しい技術で復興しようとしている。

129軒くらいあった農家の半数がもう諦めてしまったが、もう半数の50〜60の農家がその技術を使って再建しようとしている。イチゴのブランディングをやっていて、《MIKAGI-ICHIGO(ミガキイチゴ)》という名前で販売している。好評を頂いており都内で一粒1000円ほどで販売された。先日、少年ジャンプの『こち亀』で、「食べる宝石」として紹介された。両さんがそう言っている。

このMIGAKI-ICHIGOを使って、100%のスパークリングワインを作ろうというのがチャレンジスターでの挑戦ということになる。




MIGAKI-ICHIGOはイベント会場でも振舞われました。山元町は、日照時間の長さ、南西から吹く冷たい風『いなさ』など美味しいイチゴを育てるのに適した環境だと言います。このイチゴに興味があって出席したという企業・団体も多かったようです。

◆会場の声
・熱い思いをもってらっしゃる。まだまだこれから自分も力になって何かやっていきたいという気持ちを改めて思った。
・物流会社からきた。新規事業の企画をしている。特に農業、作物としてイチゴはいいなと。被災地だけでなくインドでもやっているということで今回はお会いしたかった。
・フルーツ専門店。以前からお会いしたく、お話が聞きたく、食べたくて。このイチゴが相当有名になっている。岩佐さん自体に魅力があると感じた。イチゴ自体も、そういうのが積み重なってできていったんだなというのが分かった。

今週は、この山元町のミガキイチゴ、気仙沼の牡蠣やクルミを使った加工品、閖上(ゆりあげ)の朝市を復活させる取り組みを紹介しました。どれも、地元の魅力的な特産品を、若い人たちが盛り上げようとしています。東北にはこうした可能性を広げるための個人や企業の支援がまだまだ必要です。

チャレンジスター ウェブサイト

明日は、連休へ向けた東北の行楽情報をお届けします。

2013年4月24日

4月24日 チャレンジスター東北サミット(3) ピースネイチャーラボ

12日(金)に行われた『チャレンジスター東北サミット』の模様をお届けしています。

これは、復興のために事業を興した、東北の起業家によるプレゼンイベント。「起業家 と 支援者のマッチング」を目的としています。参加した4人の起業家の中には、番組で以前紹介した、宮城県気仙沼市のNPO法人ピースネイチャーラボの代表、松田憲さんの姿もありました。

松田さんは、震災後、復興支援のために東北に入り、活動を続けてきたのですが、気仙沼 唐桑半島の付け根・西舞根(もうね)の、美しい自然に対して力になりたい、と考え、現在は移住しています。


そして牡蠣漁師さんをはじめ地元の方とともに、立ち上げたのがピースネイチャーラボ。松田さんは会場の支援者に向けてこんなプレゼンをしました。

●気仙沼の海とそこで生きる人のために
本日のお願いは2つ。私たちのテーマである「復興」と「生物多様性の保全」の活動に、みなさまからの応援をお願いしたい。私たちの住む気仙沼には大川という川がある。この川の上流域から下流域までの様々な小規模の生産者の方々が作った素材で色々な商品を作って展開していきたいと思っている。一つ目が『森のクッティー』という焼き菓子。もう一つが、牡蠣の燻製をオリーブオイルにつけたもの。地元 舞根湾で作っている牡蠣を広葉樹林のチップで燻製にしたものを手作りで作っている。売り上げの30%は生産者を継続的に買い支えるため。(大川)流域の様々な生産者を買い支えることにつなげようと考えている。次の30%で、私たちとともに働いている工房のメンバー、地元のお母さんたちの雇用、地元から調達するものを含む間接的な経済効果を地元に波及出来たらなと思っている。残りの30%は輸送費、取扱店舗の経費に充てられる。最後の10%を環境面に使おうと思っている。


ピースネイチャーラボの「森のクッティー」には、地元産のクルミが入っていますが、これにはストーリが-あると松田さんは言います。

気仙沼のお母さんたちは、秋になると地元の「浜で」クルミを拾います。
なぜ山じゃなく浜なのか。山で実を落としたクルミは、川をどんぶら流れ浜辺にたどり着く。
この時間がクルミを熟成させてくれる。
だから秋になると、
一番おいしいクルミがどこにあるか知っている地元のお母さんたちや、
リスたちは、浜で一緒にクルミ拾いをするんだそうです。

〜こんなストーリー。これを小冊子にして森のクッティに同封するアイデアもあるということです。



明日も、「チャレンジスター東北サミット」の中から、東北の起業家の声をご紹介します。

チャレンジスター ウェブサイト

2013年4月23日

4月23日 チャレンジスター東北サミット(2)プラットフォーム閖上

きのうに引き続き、12日(金)に行われた『チャレンジスター東北サミット』の模様をお届けします。

チャレンジスター東北サミットは、復興のために 事業を興した東北のベンチャー企業、NPOによるプレゼンイベントです。プレゼンを聞くのは、一般企業のCSR担当者や行政関係者。「起業家 と 支援者のマッチング」を目的としています。

この日、プレゼンを行った起業家は4人。その一つが、株式会社プラットフォーム閖上の永野聡さんです。永野さん自身、宮城県仙台市出身でご実家が被災しています。プラットフォーム閖上は、宮城県名取市閖上の港で40年の歴史を持つ『朝市』の復活をめざして、今年1月に設立されました。

●地元に愛されてきた朝市を再び
閖上港朝市は建物を再建することが去年決まった。5月4日にプレオープン、8月下旬に本オープンを目指している。協同組合の組合員は、亡くなった方や廃業した方がいるため、70から40人に減ってしまった。魚屋さん、八百屋さん、飲食店など様々な職種が朝市で営業をするスタイルで、様々なイベントも行い賑わう朝市だった。

朝市協同組合の代表・桜井さんは普段は魚屋さんで、魚をさばいているが、自分のことはさておいて「何とか街のためにやっていきたい、朝市を通して元気にしていきたい」と、ずっと言っており、実行している。彼の魅力に取りつかれて私も活動をしている。朝市の復興イコール地域コミュニティの再生。朝市はただ商品を買って帰るだけでなく、美味しい食べ方など情報交換をしたりと目に見えない付加価値が生まれ、それを求めるお客さんが相当いる。それが魅力ではないか。早急に復興して地域コミュニティの再生につなげたい。


閖上港朝市は、地元・閖上、そして仙台近郊の方にとってなじみ深い、地域に根付いた朝市です。
毎週日曜日には、取れたての野菜と海の幸が並び、たくさんの人でにぎわい、地域が交流する大切な場所でもありました。そんな朝市も震災で壊滅。でも、被災した住民のために、朝市は場所を変えて臨時営業を続けてきました。

そして今年5月、支援を受けた朝市は元の場所へ戻り、営業を一部再開します。今後は、地元産品の加工品を開発して閖上ブランドを作り、ネット通販などもやっていきたい、と、プラットフォーム閖上の永野さんは話しています。

明日も、「チャレンジスター東北サミット」の中から、東北の起業家の声をご紹介します。

チャレンジスター ウェブサイト

2013年4月22日

4月22日 チャレンジスター東北サミット(1)

今日は、東北の起業家を支援する、新しい動き「チャレンジスター」をご紹介します。

これは、復興を目指す東北のベンチャー企業やNPOと、復興支援に関心を持つ企業・団体を繋ごう、というもの。12日(金)には、東京ミッドタウン ヤフージャパンのセミナールームでイベントも行われました。これを企画した仙台の一般社団法人『MAKOTO』代表の竹井智宏さんに伺いました。

◆被災地の起業家たちのプレゼンイベント
『チャレンジスター東北サミット』というタイトルで、東北の起業家のプレゼンイベントを行っている。震災から2年が経過したがなかなか復興がままならない状況が続いている。そんな中でも若い起業家たちが地域のために頑張ろうとチャレンジしている。そういう存在を色んな人に知ってもらいたい。

参加している起業家は、被災した農地を復活させたいという方、仮設住宅で寝たきりになってしまう高齢者のリハビリに特化したデイケアハウスを立ち上げた起業家、地元の苺の産業を復活させようとチャレンジしている新進気鋭の起業家などがいる。



この日行われた「チャレンジスター東北サミット」では、被災地から、4人の起業家がそれぞれプレゼンを行いました。客席には、各省庁関係者や一般企業のCSR担当、復興支援団体などが大勢集まり、プレゼンを熱心に聞いていました。チャレンジスターの仕組みについて竹井さんに説明して頂きました。

◆起業家たちと支援者のマッチング
チャレンジスターというウェブサイトで、起業家に自分のプロジェクトを説明してもらっている。被災地の起業家たちはどうしても資金が不足しがち。サイトの『活動費支援コース』は、出資を呼びかけ、出資者に見返りとして特典がつくという形。もう一つが、『困りごと支援コース』。起業家が困っているのはお金だけではない。販路拡大や人財採用、こんな情報、こんな知恵はないかと求めている。そうした起業家の困りごとをウィッシュリストのようにしてウェブサイトに掲載している。

例えば、福祉関係の起業家が開業にあたって福祉器具がどうしても足りないため、困りごとリストにPRしたところ、全国から「余った器具をもって行っていいよ」という声が挙がった。農業関係の起業家が一緒にやってくれる方が欲しいということを困りごとを出したところ、25歳の若い方が立候補して人材を確保することが出来た。こうした思わぬ展開のマッチングが起きている。



明日は、この「チャレンジスター東北サミット」で実際にプレゼンを行った東北の起業家たちの声をご紹介します。

チャレンジスター ウェブサイト

2013年4月19日

4月19日 みちのく潮風トレイルを歩いたモニター調査員・後藤駿介さん(3)

引き続き、東北沿岸部を歩いて旅する『みちのく潮風トレイル』のたった一人の現地調査員・後藤駿介さんのインタビューをお届けします。

東北の被災地でたくさんの風景と、たくさんの人に出会った後藤さんは、最後に、被災地と自分自身の未来について語ってくれました。

◆辛い時こそ頑張れる
(我々ができることも変わってきている。後藤君が話してくれたことも、乗り越えるチャンスになるかもしれない。人の話を聞く、我々が被災地に足を運び続けることも重要だと思う)

被災地に実際に行くことが大切だと思って。「忘れていないよ」という意思表示にもなるし、外部の人だからこそ、地元同士で話せない話ってあるじゃないですか。津波の当時の話も。それは外部の人ができること。そういう機会をもっと増やすべきだと思いました。そういう意味でトレイルは被災された方だけじゃなくて、歩いた人もすごく勉強になる。特に若い人に歩いて欲しいです。ゆっくり歩いて、考えることで考えが深まるというか。歩くということは、クルマで移動する便利さよりも大事なものを発見できるんじゃないかと思いました。

(700kmという長距離だから、例えばそれを3カ所くらいにわけて、春はここで夏はここでと季節が変われば景色もかわりますよね)

そうですね。特産品も場所によって違うし、夏はここに行こう、秋はサンマがあるからここに行こう、というふうに休みをそういう風に使えるトレイルは面白いなと。

(そのための必需品はなんですか)

気合いだけで大丈夫です(笑)

(来年は社会人。今回の旅の経験はどんな影響を)

歩いた経験は宝物だし、色んな人にこういうことがあったと伝えていきたい。どういう社会人になりたいか。辛い時にも、「俺にいまできるのは歩くしかねえ」って、気合を入れてずっと歩いてきたので、辛い時こそがんばれる、希望を見つけられる社会人になりたいですね。いろんな人としゃべって、いろんなことに興味を持ったんですね。第一次産業とか。だから興味のままにいろんなことに手を出して、絶対にあきらめねえ、なんか見つけてやるって、頑張って行きたいです。
(※聞き手:中西哲生)




後藤駿介くんが、旅で出会った人や出来事の記録は、みちのく潮風トレイルの中の、ブログで読むことができます。みちのく潮風トレイルの後藤さんのブログ

2013年4月18日

4月18日 みちのく潮風トレイルを歩いたモニター調査員・後藤駿介さん(2)

きのうに引き続き、東北沿岸部を歩いて旅する『みちのく潮風トレイル』のたった一人の現地調査員・後藤駿介くんのインタビューをお届けします。

22歳大学生の後藤くんは昨年、環境省のモニター募集に応募。青森八戸から福島 松川浦まで全長700km以上を3ヶ月かけて歩きながら、ブログでその旅をレポートしてきました。みちのく一人旅を見事に達成したトレイル男子です。

冬から春にかけて、後藤くんが旅した3ヶ月間。それは、出会いと気づきの連続だったそうです。

◆一人ではなかった
歩きながら東北の人と仲良くなっていった、というのがありますね。

(ひとりで歩いている。心細さがあるんじゃないですか)
なかったです。一人で歩いているという意識はなかった。「お茶飲んでけ」といったふれあいがあったから。テントで飯が食えなかったときも「腹減ってそうな顔しているな」と言われて(笑)近くのコンビニでハンバーグ弁当を買っていただいたり。
漁師の方にタコ漁に連れて行ってもらったんですが、そのあとで海の向こうを見ながら「お前、今日泊まっていけ」と言ってくださって。漁師さんのうちに泊まったんですけど、「俺の生き様は家族を支えることだ。漁師をずっと続けて、毎日がんばって家族を支えるのが俺の生き様だ」と。津波で漁具が流されちゃったときに涙を流したという漁師さんは、「俺は津波になんか負けないんだよ。“負けない”と言ってる奴がいるってことを全国に広めておけ」と。強い気持ちをもった人もいて、このくらい熱く生きられたらいいなと思った。自然と毎日向き合っているということが大事なんですよね。そういう意味でも生き方を勉強できました。

(みんな様々な痛みを抱えている。それを内側に持っている人もいる。それを後藤さんに会って話してくれた方もいるのでは)
色々な話も聞きました。2年経った石巻をずっと歩いていた時に出会った方も、結婚する予定だった相手を失ったことで自分を責めていた。自分が結婚する予定だった相手を、石巻の津波がくるところに呼んでしまったから死んでしまったのではないか、と。だから「明日死ぬと言われてもあまり悲しくない」と、2年経っても悩みを抱えた人はまだいることを感じた。明るい中にも暗いところがすごくあるんだなと思った。
街全体としてもそうだし、個人個人もそうなんじゃないかと思いました。
(※聞き手:中西哲生) 


明日も、後藤駿介さんのインタビューをお送りします。

みちのく潮風トレイルの後藤さんのブログ

2013年4月18日

4月17日 みちのく潮風トレイルを歩いたモニター調査員・後藤駿介さん

引き続き、東北沿岸部を縦断する、『みちのく潮風トレイル』の話題です。

みちのく潮風トレイルは、青森県八戸から福島県松川浦までを歩いて旅するルートです。2015年度には全ルートが開通します。そして、開通前のルートを 環境省のモニターとして歩いた たった一人の現地調査員がいます。それが22歳の大学生・後藤駿介さんです。

環境省のモニターに応募、たったひとりの現地調査員として みちのく潮風トレイルを歩ききった後藤さんに、トレイルの魅力を中西哲生が伺いました。

◆700キロの旅を経て
(モニターとして、みちのく潮風トレイルを踏破。結局何キロくらい歩いたか)
12月1日にスタート。大学の授業で5度ほど東京に帰ったが、終わったのが3月16日。結局55日間歩きました。全部で700kmと言われているけど、寄り道しまくったので1000kmくらいですね。

(東北沿岸といえば海、山のめぐみを感じたのでは)
歩いていても、漁師の方と話してホタテを頂いたりした。これすげえ美味えなと。こんなホタテがあったんだなと思いましたね。これは、東北の海が山からの栄養で豊かになっているから、自然豊かな東北だからこその味なんだなと。この森が魚を美味しくしているんだなと。自然を体感できるという意味でも、このロングトレイルは魅力があるんじゃないかと感じました。

(東北の景色で印象に残っているのは)
北からずーっと行くと、最初は岸壁なども多くて、男らしい岩の風景が続いていました。岩手県宮古あたりで景色が変わるんですね。リアス式海岸のギザギザと半島が飛び出たような景色になり、牡鹿半島では何千年前から変わらないという原生林があってこれがパワースポットなんだろうなと思った。森の中に入るからこそ出会える動物に触れられたのは面白かった。

(リアス式海岸で細かく入り組んでいるところということは、歩く距離も長い。その分海産物も取りやすい)
森に囲まれているからこそ美味しいものがとれる。森に囲まれているからこそ津波の勢いが大きくなってしまった場所もある。自然の恵みだけじゃないんだなと感じました。(※聞き手:中西哲生) 




今朝は、東北沿岸部を歩いて旅する「みちのく潮風トレイル」のモニターとして ルートを歩き切った大学生・後藤駿介さんのインタビューをお送りしました。

彼が現地調査員として書いた潮風トレイルのブログには、普通の学生が 自分の足で歩いて感じた東北の素晴らしさが、たくさん書かれています。

みちのく潮風トレイルの後藤さんのブログ

明日も、後藤駿介さんのインタビューをお送りします。

2013年4月16日

4月16日 三陸復興国立公園・みちのく潮風トレイル(2)

きのうに引き続き、東北沿岸部を縦断する『みちのく潮風トレイル』の構想を紹介します。

世界的にも優れた景観で知られる 三陸の沿岸部を『三陸復興国立公園』という大きな自然公園に指定、公園を含む東北の海沿いを歩いて旅する道≪トレイル≫を作るというのが、みちのく潮風トレイルの構想です。

ルートは、青森県八戸から福島県相馬市の松川浦まで。この東北を南北に縦断するルートを“一筆書き”で歩けるようにする計画です。

環境省・三陸復興国立公園 推進チーム長 堀上勝さんに伺いました。

●“歩く旅”による地域への効果
日本でトレイルというと登山のトレッキングがメジャーだが、今度のトレイルは、高い場所へ登る道もあるが、それよりも「遠くへ歩く」ことが出来るもの。歩きながら各地域の生活や文化を見ることができる。クルマを使って観光をすると、町には降りても集落に立ち寄る観光客は少ない。このトレイルの場合は小さい集落も立ち寄るので、それぞれの地域に経済的な効果も出てくる。
東北がひとくくりにされるのではなく、これまでなかなか発信できなかったような地域の面白いこと、文化の違いを、地域ごとに発信できる。歩く方も楽しみもあり、地域の魅力をさらに知ることが出来る。そしてまた行きたくなる。リピーターも増えれば地域への効果も高いのではないか。


この『みちのく潮風トレイル』は、極力“既存の道”を使います。東北に点在する遊歩道などを有効活用して一本のルートにする計画です。また、旅に必要な施設も、新しく建てるのではなく地域の施設を活用すると言います。

そんなみちのく潮風トレイル、どんな風景の中を歩くことになるんでしょうか。


●ウミネコ、海岸、草原、断崖絶壁・・・!!
北から、青森県八戸市の蕪島の神社を出発する。ここはウミネコがたくさんあつまる場所でもある。神社で旅の無事を祈りながらスタートして、かなり長い海岸の草原、なだらかな道を歩き、階上岳に一気に登る。そこでこれまでに来た長い道のりを振り返り、これから行く道を見る。そこから降りていくと断崖絶壁。岩がゴロゴロした海岸を降り、また一気に200mほど上る。そういうのを繰り返しながらリアスの海岸へ入っていく。変化に富んだ面白いコースになる。距離は700勸幣紊世ルートが完全に決まっていないのでなんとも言えない。一気に歩くなら健脚な人で1か月ほど。「セクションハイク」という分割して1年くらいかけて歩く方法もある。体力や時間に合わせて歩いてほしい。(※青森県「蕪島(かぶしま)」…ウミネコの営巣が見られる日本でも数少ない場所。小さな島が昭和初期の埋め立てによって陸続きとなっている。国の特別天然記念物。)




東北沿岸部を歩いて旅する「みちのく潮風(しおかぜ)トレイル」について、環境省の堀上勝さんに伺いました。

みちのく潮風トレイルは、今まさにルートが決まりつつあります。決まったところから順次開通し、平成27年度中(2015年度中)には全線のルートが決定する予定となっています。

明日は、環境省の命を受け、一人でこの「みちのく潮風トレイル」をモニターとして歩き切った大学生、トレイル男子こと後藤俊介くんのインタビューをお送りします。

2013年4月15日

4月15日 三陸復興国立公園・みちのく潮風トレイル

今朝は、東北沿岸部に広がる自然豊かな地域を、復興のための国立公園にしよう、というプロジェクトを紹介します。

東北沿岸部にすでに存在する国立公園と、その周辺地域を、新たに一つの大きな国立公園に指定する「三陸復興国立公園」です。東北沿岸部は、海・山・自然が調和した世界的にも優れた景観の地域として知られています。これを活かし、復興につなげようと言うもの。

プロジェクトを主導する、環境省・三陸復興国立公園推進チーム長 堀上勝(ほりかみ・まさる)さんに伺いました。

◆三陸の豊かな自然を生かした国立公園を
元々、陸中海岸国立公園という、岩手県久慈市から海岸沿いに気仙沼市まで続く国立公園があった。東日本大震災の津波で大きな被害を受けたこの公園を、単に復旧させるのではなく、ここを中核に自然環境を活用することで地域の復興につなげる形にしていきたいと考えている。
三陸復興国立公園は、北は青森の八戸市、南は宮城県の牡鹿半島まで延ばす構想。アメリカの国立公園の場合、国が土地の全てを所管、サービスも行うが、日本の国立公園は民有地も含み国立公園のエリアを指定する。そのためある程度自然を守るための規制はかけるが、民間で商売も出来る。国と地域が一体となって国立公園を運営していく。三陸復興国立公園は、その「活用」を強く表に出していきたい。津波による自然の脅威も伝えていけるような新しい形の国立公園を目指している。


三陸復興国立公園 構想

そして、この国立公園を核とした、様々なプロジェクトも進んでいます。その一つが、『みちのく潮風トレイル』です。

◆東北を歩いて旅するトレイル構想
中核になるのは三陸復興国立公園。それを南北に貫く長いトレイルを構想している。(トレイル=歩く道)。青森県八戸から、福島県相馬市の松川浦まで700勸幣紊瞭擦魄貮書きで歩けるもの。山道を歩くルートは今までもあったが、海岸近くの道でこれだけ長いトレイルはたぶん初めてとなるので話題性もかなりあると思う。道を決めるにあたって地元の人の意見を聞く。のちのち地元の方に色々と活用してもらうことを含めて地元との意見交換をやっていく。それをしないと活用もされず管理もされない道になってしまう。そこは時間をかけてでも地域の方と話をしながらルートを決めていきたいと思っている。



来月5月24日、三陸復興国立公園が新たに指定されます。その翌日25日には、その一番北にある
青森県・八戸市で式典も行われる予定となっています。

明日はその「みちのく潮風トレイル」について、さらに詳しく伺います。


2013年4月14日

4月12日 南三陸町・高台移転を巡る家族の悩み(2)

昨日に引き続き、13日(土)公開の映画『ガレキとラジオ』に登場している「FMみなさん」の元スタッフ、和泉博文さんと、そのご家族の今をお伝えします。

和泉博文さんは現在、地元漁協の臨時職員として働きながら、南三陸・志津川地区の仮設住宅で、3人のお子さんとご自身の母親の5人で生活をしています。

和泉さん一家が、いま直面している大きな悩み、それが「住まい」です。

南三陸では高台移転のための災害公営住宅の計画が進んでいて、来年の夏以降には入居が始まる予定。博文さんは、この災害公営住宅の入居を臨んでいます。家賃負担が少なく、3人の子どもたちに、町に縛られず将来の選択肢を考えて欲しいという理由からです。
一方、博文さんのお母さんの考えは違います。お母さんは、災害公営住宅ではなく、行政が宅地造成した土地に、自分のお金で戸建て住宅を建てたい、との意向。その理由を伺いました。

◆孫たちにふるさとを作ってあげたい
私はとにかく、孫たちに故郷を作ってあげたい。戻ってくる場所を作りたい。年齢的に収入もない年金生活。元の土地を売りバラックでもなんでも建て住めればいい。子どもたちが自由に帰ってきて、家の周りで遊べるところを作ってやりたい。ご先祖様も守らなきゃいけない。それはこの街の流れ。よそからここへきてお墓詣りというのは私の年代では考えられない。子どもたちが町外へ飛び立っても良い。苦労してほしいから。でも、帰ってこられる場所があったほうがよい。帰る場所がないという寂しい気持ちをさせたくない。


博文さんもお母さんも、子どもたちの将来を想っているのは同じです。
お母さんの話をうけ、博文さんに再び聞きました。

◆残せる財産は、人のつながり
話し合っても結論は出ない。子ども達の将来も大事だし自分の生き方も大事。お袋は地元に残り根付くことが年齢的にも最終目的だと思う。この町は今後、5年〜6年過ぎたら尻すぼみになり下降していく。その中で子どもたちがこの町にいていいのか、それは子どもたちが決めることで俺が決めることではない。
もう、こういった状況の中では財産は作れない。作ろうと思っても出来ない。財産として何が残せるかと考えたら、それは生き方の財産。自分が親としてどういう風に生きていくか、それしか財産は無い。“金持ち”になる必要はなく、“人持ち”人とのつながりがいっぱいあるような財産を残してあげたいと思っている。


いま仮設に暮らす方々は、5年後6年後の町の姿を思い描きながら、将来の住まいをどうするのか、選択を迫られています。復興は、住む家で終わるものではないのです。それを象徴するお話でした。

2013年4月11日

4月11日 南三陸町・高台移転を巡る家族の悩み

今朝は、宮城県南三陸町から、仮設住宅で暮らすある家族のいまをお伝えします。

きのうまでご紹介してきた、13日(土)公開の映画『ガレキとラジオ』に登場している「FMみなさん」の元スタッフ、和泉博文さんと、そのご家族です。

和泉さんは3人のお子さんを持つシングルファーザー。南三陸・志津川地区の仮設住宅で、ご自身の母親とお子さん、5人で生活をしています。

和泉さん一家が、いま直面している大きな悩み、それが「住まい」です。
政府は先日、災害公営住宅およそ3万軒分の宅地造成を、再来年度までに完成させる目標を打ち出し、南三陸町も来年の夏以降、災害公営住宅への入居が始まるのですが、、、博文さんのお話です。

●戸建てと災害公営住宅
南三陸では集団高台移転について、20か所28団地に4000人が希望している。母親は高台の宅地造成した場所に戸建てを建てたいが、俺は災害公営住宅に住みたい。母親の地元にいたい気持ちは分かるが、子どもたちの将来を考えると、災害公営住宅に入ったほうが選択肢は増える。持家でない分、しばりがない。この町に根付いて暮らすことは仕事も含めて居すわらないといけない。子どもたちが母親と住むと縛りがきいてしまう。

4年後5年後この町が停滞するのに町に縛られる必要はないのではないか。思うことが大事。街に縛られる必要はないと思っている。災害公営住宅に住む方が身軽になれる。家を建てるために生きる、家が目標、それは違うんじゃないかと思う。そうはなりたくない。


和泉さんが言っていた『災害公営住宅』。こちらは、家賃を軽減する仕組みもあり、家賃負担を少なくすることができます。一方、同じ高台移転でも、行政が宅地造成した土地に自分たちのお金で家を建てる方法もある。和泉さんの母親は、こちらを望んでいます。

これについては、明日のこの時間にお伝えします。

2013年4月10日

4月10日 映画『ガレキとラジオ』 梅村太郎監督(2)




今朝も昨日に引き続き、映画『ガレキとラジオ』(4月13日公開)についてお届けします。

この映画は、去年の春まで放送をしていた、南三陸町の災害FM『FMみなさん』を中心に、震災後の街を生きる人々の姿を映したドキュメンタリー映画です。

映画では「FMみなさん」の放送を実際に聞いていたリスナーにも焦点を当てています。その1人が、仮設住宅で暮らす、ある女性。仮設の小さな部屋で、1人ラジオに耳を傾ける姿は、映画の中で、とても印象的なシーンになっています。監督の梅村太郎さんに伺いました。

◆声が消えた部屋に、ラジオがあった。
(女性は)星さちこさんというおばあちゃん。お孫さんと娘さんを同時に津波で亡くされた。遺体が戻ってこない中で、形ばかりのお葬式をやり、庭の土を棺に入れたという。でも、まだ2人がどこかで生きているのではないかと考え、2人がこの世界にいないことが分からない。どこかでずっと待ちわび続け、前に進めなくなってしまった。映画の中の リスナーの代表として追いかけさせてもらった。

寂しいし、ひとりぼっちで家に居るのもしんどい。娘と孫がいて和気あいあいとした家から声が聞こえなくなってしまった中で、ちょっとでも何か音があったほうがいいなと、ラジオを流していたという。ラジオは人に一番近いメディア。多くの人が助けてもらったたのではないかと思っている。南三陸町だけでなく東北のラジオが、苦しい思いをしている時にすぐ隣で声を掛け続けてくれたのではないか。ラジオに救われた人がたくさんいると確信として思っている。


星さんのような境遇の方をはじめ、南三陸町の人々の“すぐ隣”で放送を続けたFMみなさんですが、去年3月、9人のスタッフは解散。災害FMとしての役割を終えました。1年が経過した今、FMみなさんのスタッフ9人は何をしているのでしょうか。

◆知る支援としての映画
「FMみなさん」の9人のスタッフはみなバラバラ。リーダーの工藤さんは大阪の焼き肉屋さんで修行をして、南三陸の隣にある登米市の焼き肉店でオーナーをやっている。和泉さんは漁協の臨時職員として働きはじめた。その他、地元に残って建設業を手伝うという人、県外で別の仕事を探す人、旅に出た女の子・・・みんなちりじり。残る人もいれば出ていった人もいる。

僕はまだ何も変っていないと思っていて、いわば生き地獄じゃないかと思う。家も仕事もない、大切な家族や想い出も流されてしまった。復興みたいなことが報道されるが、実際の人たちにとってはこれからが大変。暗い映画ではないが、(そういうことを)感じ取って頂ける。本当に何も無くなった街で、前に進むのがどれだけ大変か分かってい欲しい。ちょっと知れば、ちょっとしたことができるかも知れない。この映画を「知る支援」に位置づけられないかと思っている。


FMみなさんの元リーダー、工藤さんが今オーナーを務めているお店は宮城県登米市にある「海武士(かぶと)」というお店だそうです。
 
そして映画『ガレキとラジオ』は、4月13日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷、横浜ニューテアトルで公開。その後、全国で順次公開される予定です。
詳しくは、『ガレキとラジオ』公式サイトをご覧下さい。

2013年4月9日

4月9日 映画『ガレキとラジオ』 梅村太郎監督



震災後の宮城県南三陸町(ちょう)で撮影された1本のドキュメンタリー映画をご紹介します。

タイトルは『ガレキとラジオ』。南三陸町で 地元のために放送を続けた期間限定の災害FM「FMみなさん」と、そのスタッフを追いかけたドキュメンタリーです。

ナレーションは俳優・役所広司さん、主題歌をモンキーマジックが担当。ただ、そこに描かれているのは、「FMみなさん」のスタッフを中心とした、震災後の南三陸町で生活する、普通の住民の方々です。

監督の梅村太郎さんに、映画制作のきっかけから伺いました。

●いつかみんな忘れてしまう
実家は神戸。阪神・淡路大震災で実家が無くなってしまったが、当時は大学院生で何もできず、東京から神戸に帰ったものの、おにぎりを配るのが精一杯だった。だから東日本大震災では体が勝手に動いたというのが正直なところ。とにかく何かをしなくちゃいけない。行ってみないといけない。博報堂の中で震災復興プロジェクトが立ち上がり、そのリーダーの1人に立候補してとにかく現地へ向かった。そして、その日に映画にした方が良いと思った。みんな忘れてしまう。悲惨な光景だが、1年後、2年後に神戸と同じように忘れられてしまうだろう。でも、映画なら少しは長くみんなの興味や関心を引き続けることができる。あるいは振り返る時に使われるはず。それは広告でも報道でもなく映画なのではないかと思った。そしてある日、FMみなさんと出会い、ラジオ局だけを追いかけようと途中で決めた。


梅村監督は広告代理店・博報堂の社員・CMディレクターが本業です。普段はCMを通じて“伝える”仕事をしている梅村さんは、災害FM「FMみなさん」の“自分たちの街のために伝える”姿を見て、「かなわない」と感じたと言います。

●「伝える」と「伝わる」
ものすごく明るいラジオスタッフ。リーダーの工藤さんは元サラリーマン。トラックの運転手や塾の元講師、工場ごと流された自動車工の方、地元の新聞記者、元劇団員、高校を出たばかりの女の子たち、OLさん・・・本当にまぜこぜの9人。おっちゃんたちがすごく頑張っているが下手だった。しゃべりをトチるし、方言は丸出しで、放送事故はしょっちゅう。でも伝えたいという想いがすごく溢れていた。
自分も伝える仕事をしているが、「伝える」と「伝わる」は大きく違う。技術がある、企画がある、声がよい、そういうことではない。伝えたい想いが強いから伝わる。あの人たちにとって愛おしい街、愛おしいみんなだったから。そんな人たちの声になりたい、自分たちが声になっているんだと。漁師さんだったら海の上で演歌が聴きたいはずだから演歌を流そう、部屋で1人で過ごすおばあちゃんには前向きな曲をかけよう、寂しい部屋がピリピリしないように音楽を流そう、そういう風にみんなを愛していたんだと思う。


梅村監督は、「産業のニオイのする復興ではなく、再生・心の再生を切り取るために、小さなFM局を選んだ」といいます。FMみなさんが、街の人たちに伝えてきたこと。そして阪神・淡路大震災を経験した監督が「災害を忘れない」ために、伝えようとしていることは何か、この映画が、それを感じる機会になるのではないでしょうか。

映画『ガレキとラジオ』は、4月13日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷、横浜ニューテアトルで封切られ、4月末には埼玉、5月には大阪と、全国で順次公開される予定です。
詳しくは、『ガレキとラジオ』公式サイトをご覧下さい。


明日も、映画『ガレキとラジオ』梅村監督のインタビューをお届けします。

2013年4月8日

4月8日 被災地の子どもたちに海外体験を サポートアワーキッズ 2013年度 語学留学体験の募集はじまる

今朝は、東日本大震災の被災地の子どもたちに、数週間の語学留学を体験してもらう
「サポートアワーキッズ」の取り組みをご紹介します。

番組では2011年・2012年と、プロジェクトを継続的に取材しており、去年は、ロンドン語学留学を体験した子どもたちの出発前や現地での様子、帰国後の表情をお伝えしました。


オリンピック真っ最中に行われた昨年のロンドン語学留学では、子どもたちは男子レスリング金メダリスト、米満 達弘選手の試合を見る機会にも恵まれました。

そのサポートアワーキッズ、2013年度の募集が4月8日(月)にスタートします。今年度の実施概要を、サポートアワーキッズ 事務局の新山明美さんに、伺いました。

◆被災地の子どもたちを海外へ
今年2013年度は、6月にフランスへ子どもたちを派遣。90周年の記念大会となるルマン24時間耐久レースの観戦、語学学校への通学などの体験をしてもらう。
7月末から8月には、アイルランド、カナダ、ニュージーランドの2週間で実施。各国10名、合計40名を派遣する準備をしている。

(過去2年間で感じたこと)
最初はみな不安で、ドキドキしながら日本を飛び出すが、2週間後、みんな良い顔で帰国する。子どもたちの中で何かのスイッチが入ったんだろうなという印象を受けている。親御さんも子どもたちの様子を見て勇気をもらい、家族一丸で良い輪が広がるというのが、この2年間の子どもたちの派遣で実感したこと。今年も輪の中に加わってもらいたいと思う。ぜひサポートアワーキッズの海外派遣の参加をお待ちしています。


多感な中高生たちが、“被災地”という日常を離れ、海外での生活を経験することは、子どもたちにとってどんな意味を持つのでしょうか。これまでサポートアワーキッズに参加した子どもたちの声や表情が、それを物語っています。




2013年度のサポートアワーキッズは、 6月にフランス、7月から8月にかけてアイルランド、カナダ、ニュージーランドの語学留学が実施されます。(渡航・現地滞在の費用は全て支援者の寄付で賄われます。)
参加できるのは、東日本大震災の被災地の中学生・高校生。岩手・宮城・福島、そして今年度からは茨城県、千葉県も対象となります。

学年や被災証明書、第三者の推薦状など条件があります。
応募方法など詳しくはサポートアワーキッズのホームページをご覧ください。

サポートアワーキッズ事務局

2013年4月6日

4月5日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(5)『個別訓練タイムトライアル』(後編)

今週は、京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビューをお届けしています。専門は防災社会心理学。神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開しています。

矢守さんが高知県四万十町興津地区で取り組んでいるのが、「個別訓練タイムトライアル」です。

◆厳しすぎる想定は「あきらめ」を生む
高知県の四万十町興津地区(人口1000人くらいの小さな集落)では、最大25メートルの高さの津波がくるかもしれないといわれている。ただし、想定を厳しくすることは、一方で、あきらめを生んでしまうという危険もある。あまりにも厳しい予想だと、「もうやめた」ということになる。

◆一人一人個別につくる津波避難計画
そこで「個別訓練タイムトライアル」という試みを始めた。これはある種の避難訓練。避難訓練といっても普通タイムを計られたことなんてないんじゃないか。ましてや、自分が逃げている姿をビデオに撮ってもらったことなんて、たぶん多くの方はないと思う。そのビデオをとる役目を、地元の小学校の子供たちに割り当てている。おじいちゃんおばあちゃんが逃げている、一人一人、そういうビデオができる。
その動画に、動く地図がついていて、おじいちゃんおばあちゃんがどんなふうに雛所に向かうかというのがアニメーションで示される。そして、逃げていく後を、まさに津波が追っていくところが、アニメーションで見られる。これを「個別訓練タイムトライアル」からできあがる「動画カルテ」と呼んでいる。
おじいちゃん、おばあちゃんの避難の一つ一つに密着して、おじいちゃんの問題はここね、だって家を出るまで10分もかかっているから、この部分をどうにかしたほうがいいよとか、おばちゃんの問題はこの登り坂で、ここでスピードが落ちちゃってるから、なんとか人に助けてもらうようにしないと、とか。

◆地域の小学生とお年寄りが一緒に取り組む効果
そういうことを、わたしたちから言うと、おじいちゃんおばちゃんも「もういい!」ということになるが、孫みたいな年齢の子どもたちから言われると、意気に感じて、「じゃあもうちょっと頑張ってみようか」ということになる。
実際うれしかったのは、この試みをして、それまでお医者さんに行くときしか外出しなかったというおばあちゃんが、街の避難訓練なんかにも参加してくれるようになって、避難タイムもだいぶ縮まった、というケースもある。
こんなふうに、一人一人に寄り添った避難訓練が、これから求められるんじゃないかと思う。

地域のお年寄りが「もう助からないから・・」とあきらめてしまうのではなく、「自らの意志で逃げる」ことで、地域全体の被害も減らすことができる可能性も。住民一人一人に寄り添った避難訓練がいま注目されています。

矢守研究室

2013年4月6日

4月4日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(4)『個別訓練タイムトライアル』

今週は、京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビューをお届けしています。専門は防災社会心理学。神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開しています。

矢守さんが高知県四万十町興津地区で取り組んでいるのが、「個別訓練タイムトライアル」です。

◆津波避難の新しい取り組み「個別訓練タイムトライアル」
いま日本で一番懸念されている災害の一つが、東日本大震災で被災地を襲った津波が、今度は西日本を中心にやってくるんではないかと、非常に心配されている。新聞などで「南海トラフの巨大地震津波」と呼ばれているもの。
そうしたものが心配されている地域の一つの高知県の四万十町興津地区(人口1000人くらいの小さな集落)で、わたしはこの数年、地元の小学校を中心に防災教育をすすめている。この興津地区は津波の危険が非常に高く、最大25メートルの高さの津波がくるかもしれないといわれていて、15〜20分くらいで来るかもしれないと言われている非常に厳しい地域。そういう厳しい地域なので、この興津地区はそれなりに避難場所は整備されつつある。例えば高台の避難所や避難タワーも数基できた。それなら問題解決かというと、そんなことはなくて、本当にみんなそこに、しかもそんなに短時間に行けるのか、という話がある。実際非常に厳しい。考えてみればわかると思うが、ご飯を食べていようが、寝静まっていよう、お風呂に入っていようが、地震が起きてから15分後に近くの高台にいけと言われて、特に高齢のおじいちゃん、おばあちゃんは、足も弱っているし、動作も機敏に動けないし、もうあきらめた、という方が多く出ている。

◆想定を厳しくすることは「あきらめ」を生む危険もある
想定を厳しくすることは、一方で、あきらめを生んでしまうという危険もある。あまりにも厳しい予想だと、「もうやめた」ということになる。わたしたちは興津地区の、特に高齢の方にそういう雰囲気を感じたこともあり、「個別訓練タイムトライアル」という取り組みを始めた。

◆集団ではない、一人一人の避難計画。
これはある種の避難訓練。避難訓練というと、集団でやっているイメージだと思うが、これは違う。一人一人行う訓練。「田中さんだけの訓練」「山田さんだけの訓練」。ましてや、自分が逃げている姿をビデオで撮ってもらったことなんて、たぶん多くの方はないと思う。この「個別訓練タイムトライアル」でやっていることは、まさにそれ。一人一人に密着して、その方が逃げる様子をビデオで全部とって、さらにタイムをはかる、というもの。


一口に「避難」といっても、年齢や体力、住んでいる場所によって、避難にかかる時間はさまざま。一人一人の避難計画を考えることが、これからの津波避難の大きなカギとなります。また、興津地区では地域の小学生とお年寄りが一緒になって、一人一人の「避難カルテ」をつくることで、さらに効果を上げているそうです。

矢守研究室

2013年4月6日

4月3日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(3) 『津波てんでんこ』のもう一つの意味

今週は、京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビューをお届けしています。専門は防災社会心理学。神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開しています。

今日は、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」の、新たな解釈をめぐるお話です。

◆「津波てんでんこ」のもう一つの意味
「津波てんでんこ」は世の中に広く伝わっている意味としては、「てんでんこ」は「てんでんばらばら」という意味だから、大きな津波の危険が予想されるときは、とにかく一人一人がほかの人のことは構わずに高いところを目指すべし、という意味。そこで、わたしが大事だと思うのは、ちょっと心理学っぽい話になるが、いまから言う2つの話を聞き比べてほしい。
例えば、家族がいて、ちっちゃな女の子がいて、近くにおばあちゃんが住んでいたとする。おばあちゃんは残念ながら津波にのまれてお亡くなりになったとする。そのとき、女の子は「自分がおばあちゃんを助けに行くべきだったんじゃないか」とか「おばあちゃんは自分を助けに来ようとして津波にのまれたんじゃないか」と、自分を責める気持ちを持つ可能性が十分にある。その証拠に、いまでも大きな災害の遺族は、多かれ少なかれ、そういう気持ちを持っていると思う。
一方、おばあちゃんと女の子の間に、「津波てんでんこ」という言葉を巡って、こんな会話が交わされていたらどうだろうか。おばあちゃんは孫に四六時中、「津波のときはてんでんこだよ。わたしもてんでんこに逃げるし、お前もてんでんこしなきゃいけないよ、絶対そうするんだよ」と、ずっとずっと言われ続けていた女の子は、きっとさっきのように思うんではなくて、おばあちゃんは本当に死んでしまって残念だけど、でもてんでんこと言っていた。きっとおばあちゃんもてんでんこしたに違いないし、わたしがてんでんこで逃げたことをおばあちゃんは恨んだりしないだろうと思うだろう。

◆生き残った人間が前向きに生きていくための知恵
そう思えるからといって、お孫さんの悲しみが全部消えるわけでは全然ないが、自分を責めるよりも、プラスの働きをするのは明らかだと、僕は思う。
つまり「津波てんでんこ」は、「逃げるときのルール」というだけでなく、生き残った人が立ち直り、前向きに生きていくための知恵であり、だから三陸地方でこれだけ伝わってきたんじゃないかと思う。


矢守研究室

2013年4月2日

4月2日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(2) 子ども向けのカードゲーム『ぼうさいダック』

今週は、京都大学防災研究所、矢守克也教授(防災社会心理学)のインタビューをお届けしています。

矢守教授は、神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開。防災教育を目的としたカードゲームの開発も行っています。

昨日は災害時の適切な対応について議論する、大人向けのカードゲーム「クロスロード」のお話でしたが、今日は、子ども向けのカードゲーム「ぼうさいダック」です。

◆ぼうさいダックで子どもの防災意識を高める
防災ダックのダックは「ドナルドダック」の「ダック」、つまり「アヒル」のこと。英語で頭を守る動作のことも「ダック」というらしい。その意味を借りて、このゲームに「ダック」という名前を付けた。大事なのは「子ども向けゲーム」だということ。防災教育は言葉でなにもかもわかる大人だけでなく、子どもたちにも浸透させる必要がある。
このゲームではカードの表に「危ないもの」が書いてある。「地震」とか「津波」とか。子ども向けなので可愛くデザインした。そして裏側には、その危ないもの/ことが起こったときに、まず最初になにをすべきか、ということをイラストで描いてある。ゲームをやるときは、幼稚園の先生がカードを出すと、「あ、地震だ!」ということになり、そのときにはどんなことをするんだったかなということで、カードを裏返すと、頭を守るポーズをとったアヒルさんが描かれている。
この動作を幼稚園なんかだと、お遊戯をしながら、人より早くできるようになりましょう、ということをやっている。
もう一つ例を挙げれば、「大雨」のカードは、裏側のイラストが「うさぎさん」。すごく大きな耳を立てている。雨の災害はそれなりに事前に情報がでるので、先生の言うこととか、もうすこし大きくなったら、テレビのおじさんがいっていることをよく聞きましょう、という意味で「うさぎさん」のイラストが描いてある。
こういう感じで、何枚もカードがあって、「危ないもの」「危ないこと」と、そういうことが起こりそうなときに最初になにをすべきか、最初の一歩というのがセットになって、お遊戯型でそれを覚えていく、という教材。




この「ぼうさいダック」、カードは全部で12種類。地震、大雨、火事、雷など、いろんな災害に対応する「最初の一歩」が学べます。対象年齢は幼稚園から小学校低学年です。

明日も京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビューです。明日は「津波てんでんこ」について、改めて考えます。

矢守研究室

ぼうさいダック

2013年4月1日

4月1日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(1) 防災教育カードゲーム『クロスロード』

『LOVE&HOPE 〜ヒューマンケア・プロジェクト〜』
このコーナーでは、東日本大震災の被災地の、復興への取り組み、そして支援活動をお伝えしています。復興がすすむ一方で、課題も多く残る被災地。また、防災の取り組みは、日本人共通のテーマです。

今週お届するのは、京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビュー。神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開。防災教育や、防災に携わる人材の育成にも力を注いでいます。

矢守さんの研究グループでは、防災教育を目的としたカードゲームの開発も行っています。その一つが「クロスロード」です。


◆「分かれ道」=「クロスロード」
「クロスロード」とは言葉の意味だけを言うと、「分かれ道」という意味。そこから転じて「非常に重要な判断のしどころ」といった意味がある。「クロスロード」には問題がたくさん準備されていて、まさに災害時の「非常に重要な判断」を素材にしている。

◆マニュアル通りにいかない災害の現場。あなたならどうする?

例えば、避難所に避難しているとして500人ぐらいいるとする。ところが食料が200人分だけ届いて、あとはいつ届くかの見込みもないという避難所に皆さんがいたとして、しかもあなたはその避難所の責任者であるというときに、その200食をいますぐ配るかどうか、という問題。
今の問題で、「わたしなら配るなあ」という人はYES、「配らない」という人はNO。それを、最初は裏を向けてテーブルに出す。そして「せいの!」でひっくり返す。
これはなにを意味しているかというと、防災といえばマニュアルに従ってやっていればいいというイメージがあるが、実は災害の現場とは、マニュアル通り対処できることは減っていく。むしろ、その場その場で正解を作る作業が必要になる。
(震災の現場では)それぞれ避難所の方々が、YESでもないNOでもない、第三の答えを見つけて、乗り切られたはず。例えばおじいちゃんおばあちゃんから先に食べようという意見もよく出る。でも逆に、若い人から食べて、外に出て行って、ほかの人の分を調達してこようよ、という意見も出る。あるいは食べ物の種類にもよる。分けられるものなのか、分けられないものなのか。
いまの問題一つとっても、第三、第四の答えを見つけていくための力を養ってもらうためのゲーム。


当初は主に自治体の職員の防災教育に使われていましたが、最近は地域で防災を担う一般の方、また学校でも活用されています。小学校高学年から大人まで、幅広く活用可能。マニュアル通りにはいかない災害の現場での決断、判断を、学習するツールとして、広がっています。

「クロスロード」は京都大学生活協同組合のサイトから購入することができます。

矢守研究室
京都大学生活協同組合

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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