2013年5月30日

5月30日 女川「ママサポーターズ」(1) 高白浜布草履組合

震災後、宮城県女川町を中心に、女性のための仕事づくり、やりがいづくりに取り組んでいるのが、「ママズサポーターズ」代表、八木純子さん。地元の女性が手作りする「布草履」が、女川ブランドのアイテムとして、いま注目されています。

◆ 仕事をして収入を得、買い物をする。当たり前の生活を取り戻したい
2011年7月ごろからだんだん仮設住宅に移り始めて、それまで待望の仮設住宅だったはずなのに、家族が津波でバラバラになった方や家族が亡くなられた方が、仮設で一人ぼっちで過ごしたらどんな気持ちになるだろうと勝手に想像しこれはコミュニティづくりをしなくてはいけないと考えた。
また、やっぱり人間は働いて、その見返りでお金をいただいて物を購入するという当たり前の生活が必要なんじゃないかと思い、その2つの思いから就労支援を兼ねた布草履作りを始めた。
「高白浜布草履組合」という名前で、最初は7人でスタート。現在は4カ所、約40名のお母さんたちが作っている。普通はロープを使って編むが、ここならではの草履を作りたいということと、ごつごつした形で健康サンダルみたいになればいいなと考え、かぎ針で編む布草履にした。いろんなところでいろんな草履を作っているが、「ここだけの草履」というものにこだわった。
お母さんたちは始めは草履づくりの経験がまるでなかった。震災前は養殖業のお手伝いをしているお母さんたちがほとんどだったので、ものすごく大変な想いをして、3か月4カ月かかって、ようやく販売できる草履ができた。
草履をアイテムとして、そこに人が集まる、そこでお話する。例えば「この色合いどう思う?」とか「これでいいと思う?」とかコミュニティの場所になり共通の話題になる。そこがすごくいいと思う。
−いまはおじいちゃんたちが果樹園を始めて、いちじくと唐辛子を植えた。先日4人のお父さんたちが集まって、話し合いながら作業を進めていた。


八木さんは震災前から自営業で仕事をしていましたが、こういった「事業の立ち上げ」は初めてだったとか。「必要だと思ったから、とにかくやってしまった!」というところはまさに女性ならではのパワー。ママサポーターズは、昨年5月、町内に簡易集会所「うみねこハウス」を建設。布草履づくりを行ったり、現在は「たい焼き」の販売を行ったりと、仕事の場、交流の場になっています。

「女川高白浜布草履組合」の布草履は、「ママサポーターズ」のフェイスブックから連絡の上、購入することができます。

ママサポーターズフェイスブック

2013年5月29日

5月29日 「我歴stock in 女川」

今日は、6月2日(日)に、宮城県女川町で開催される、音楽イベントを取り上げます。女川福幸丸が企画する音楽フェス、「我歴stock(ガレキストック) in女川」。
お話は、女川福幸丸の「船長」、佐藤友視さんです。

◆3回目を迎える「我歴stock 」。伝統の「獅子舞」が復活
我歴stockは今年で3回目になる。自分が震災のときに、電気も音もない状況が長く続えた中で、久しぶりにラジオから音楽を聴いたときに、とても音楽に元気づけられ勇気づけられた経験があって、いま大変な人達になにか元気づけられることができないかと考えて、2011年に音楽イベントを始めたのがきっかけ。
今年もいろんな音楽ジャンルのアーティストさんが16組出てくれるが、わたしが一番力をいれているのは、女川にもともといろいろな浜にある「獅子振り」。「獅子振り」とは太鼓と笛のお囃子で獅子が舞うもの。もともと女川ある「みなと祭り」では、船に乗って獅子ふりをするのがメインイベント。いまは震災の影響で中止されている。獅子振りの団体ももともと10以上の団体があったが、今年の我歴stockでは、9団体が一斉に獅子振りをやってくれる。いま中止になっている「みなと祭り」の「海上獅子舞」を彷彿とさせ、近づいているような気がする。


佐藤さんは女川の病院で働く理学療法士さん。女川福幸丸では、佐藤さんを中心に、20代から30代の、およそ20人が活動しています。そして、3回目となる「我歴stock」では、音楽以外にも、さまざまな企画が用意されています。

◆地元女川の人達を「つなぐ」音楽イベント
飲食、物販、ワークショップとあわせて、30団体ぐらい参加してくれるので、全部が「目玉」だが、もともと女川にあったお店がいま女川ではお店ができなくて、仙台などでお店を出しているところが、戻ってきて出店を出してくれというところもある。自分たちも外向けのイベントというよりは、地元のひとのお祭りという形で定着させたいというのがあって、地元の人達にいっぱいきてもらいたいということでいろいろ企画している。いま住んでいる人だけじゃなくて、いろんな事情で女川に住めない人も結構いるので、そう人達が女川に帰ってくるきっかけになるイベントになればと思っている。
「我歴stock」は今年で3年目だが、まだまだ成長しつづけるイベントになるんじゃないかなと思っている。まだ足りない部分などもあるが、続けることに意味があるんじゃないかと思うので、成長を見ていただきたい。ぜひ遊びに来ていただきたいと思う。


我歴stock 女川

2013年5月28日

5月28日 ファッションを通じた被災地支援「1sin」(2)



今日はファッションを通じた被災地支援の活動です。
藤原新さんが展開するメンズのファッションブランド「1sin(いっしん)」は、被災地のお母さんたちがひと針ひと針手縫いした「刺し子」の刺繍がアクセント。シンプルなデザインの中にも、オリジナルな個性が光ります。「1sin」を広く知ってもらうため、そして活動資金を調達するため、藤原さんは過去2回、「クラウドファンディング」を利用しました。   

◆復興支援とクラウドファンディング
クラウドファンディングをやった理由は、普通のシャツは工場で作って終わりだが、このシャツの場合は、作る途中にお母さんたちに刺繍をお願いしたり、わたしが講習に行ったりする旅費もかかる。また、当然(被災地の)お母さん方にも工賃をお支払するのだが、普通の工場の縫い子さんに払う工賃と同じというわけにはいかない。皆さん大変な想いをされて、それでもやりたいと手をあげてくれた人たちなので、できる限りいい条件でお支払したいなあと。
一枚作ったところ、普通につくシャツの1.5〜2倍費用が掛かってしまった。それを実際売るとなると、相当金額が高くなり、高いもの買っていただけないので、当然赤字にもなるから、このまま継続できないのはどうにかできないかと考えたときに、当時ちょうど注目されはじめていたクラウドファンディングというものがあったので、利用した。
こういう社会貢献的な事業って資金面が一番大変で、多くの方は補助金などを使う方もいると思うが、補助金を使うと、モノをつくる、サービスを提供することに、ちょっとおろそかになってしまったりする。作って終わり、それでよかったよかったということだと、「継続性」という点から考えるとすごく難しい。やはりマーケットに出して評価してもらって、復興という言葉がなくなった状態でも売れるということ、復興するまで10年以上継続して事業として続くというのが一番大事だと思うので、クラウドファンディングはすごくいいなと思った。
クラウドファンディングで支持をいただけない商品はマーケットに出しても支持をいただけないと思うので、そこに力を入れてやっていきたいと思っている。


「1sin」のアイテムは、現在はシャツやネクタイ、蝶ネクタイなどメンズのみで、全国およそ10カ所のセレクトショップで取り扱い中です。藤原さんは「今後はキッズやレディースも手掛けてみたい」とも話していました。




1sinのサイト

2013年5月27日

5月27日 ファッションを通じた被災地支援、「1sin」(1)



今日はファッションを通じた被災地支援の活動です。
藤原新さんが展開するメンズのファッションブランド「1sin(いっしん)」は、被災地のお母さんたちがひと針ひと針手縫いした「刺し子」の刺繍がアクセント。刺し子のワンポイントが入ったシンプルなシャツやネクタイが、いま若者のあいだで人気を集めています。

◆ファッションを通じた被災地支援
会社員を10年ぐらいやるうちに、社会的課題の解決とかソーシャルビジネスというものにすごく興味を持つようになって、自分になにができるかなあと考えたときに、ファッションをツールにした社会的課題の解決ができないかと、「1sin」を立ち上げた。2011年2月に1sinがスタートし、その1か月後に東日本大震災が発生した。(被災地の方が)職場や家が流されてしまったという話を聞いたときに、その方たちのためになにができるかと考えたときに、糸と針があれば「刺繍」はできるんじゃないかと考えた。
−刺し子の作業をやってくれる人を募集するチラシをつくって、被災地で何カ所かに貼らせてもらった。その中の一つが福島県の相馬市の仮設住宅。そこのお母さんから電話がかかってきて、「わたし刺繍好きだから、やってみたいわ」と言っていただいて、そこで講習会を開いたところからスタートした。


アイテムのデザインを手掛ける藤原さんは、もちろん「おしゃれ男子」。被災地の仮設などでは、最初はちょっと「目立つ」存在だったそうです。でも、「刺し子」の講習会を通じてお母さんたちとやりとりするうちに、いまでは日常的にメールや電話を頻繁に交わす仲に。
藤原さんが「刺し子」の刺繍を依頼しているのは、宮城県南三陸町、岩手県大槌町、そして福島県相馬市のお母さんたちです。

◆「誰かの役に立つ」喜び
中にはもともと縫製のお仕事をされていた方がいて、そういう方はシャツ一枚作ることもできる。そういう方は家で全部一人でやってくださる方もいるし、刺繍に関しては、集会所に集まって、うまい人が教えたりしている。最近は地元の企業と一緒に取り組んだりしているので、地元の企業の工場でやっている業務もある。
何度も被災地に足を運ぶようになり、(被災地の)皆さんの話を聞くようになって、「自分たちもいつまでもボランティアが来てくれるとは思っていない」と話されるようになった。お母さんたちが話すなかで心を打ったことは、「いままでは支援してもらう側だったけど、藤原さんのところの刺繍をやって、それを東京とか日本全国で買ってくれる人がいるということは、誰かの役に立っているな〜と感じて、それがすごくうれしいんだ」と言ってくださっている。


1sinのサイト


2013年5月24日

5月24日 視覚障害者の語り部(2)

今週は、震災の記憶を語り継ぐ、様々な取り組みを紹介しています。

今月、視覚障害者による語り部プロジェクトが発足しました。これは、視覚障害者の被災体験を語り継ぎ、風化を防ぐこと、災害時の地域の支えについて考えてもらうことが目的なのですが、実はもう一つ目的があります。それは、視覚に障害を持つ方の生活支援です。岩手県 視覚障害者福祉協会の理事、及川清隆さんに伺いました。

◆生活の一助に
私たちは江戸時代からあんま、マッサージ、鍼灸を生業にして生活してきているが、地域経済も震災と津波で疲弊し仕事が無い。視覚障害者は他の就労が難しいので雇用してもらえない。視覚障害者の特性があり他の仕事になかなかつけない。非常に生活に困窮している人が多い。語り部に少しでも生活の一助として役立つ活動につながるのではないかと念願している。語り部は5月24日から活動スタート。釜石の方に語り部の話を聞く機会を作った。花巻の何条小学校の第一学年93人の生徒が釜石に来て、その子たちに震災当時の生の声を聞いてもらい、社会学習してもらう計画。その後、感謝の合唱を子どもたちが届ける。


語り部を依頼したい方、団体は、交通費や宿泊費のほか、語り部の方の「日当」も用意してもらえるとありがたいと、及川さんは話しています。

また、日本盲人会連合や東北三県の視覚障害者団体は今、被災した方のための様々な支援を、自治体・行政に要望しています。その一つが、福島県の視覚障害者の方が直面している、線量計の問題です。

◆線量計が足りない
放射線の線量計は一般の人には配られたが、目の見えない人たちは線量計は数字が見えないため、全然配られていない。日本盲人会連合が音声でしゃべる空間線量計を配ろうとしている。福島には6100人くらい視覚障害者の手帳を持った人がいるのに200台しか配ることが出来ない。逆に言うと、5900人には線量計が配られていないまま暮らしている。そこは今後の課題として行政は東京電力に働きかけて行かなければいけない。

               
視覚障害者の語り部プロジェクトの問い合わせ先
日本盲人会連合 03−3200−0011

来週は、ファッションブランド1sinによる、復興支援の取り組みをご紹介します。

2013年5月23日

5月23日 視覚障がい者の語り部(1)

今週は、震災の記憶を語り継ぐ、様々な取り組みをご紹介しています。

今日は、視覚障害者による語り部プロジェクトです。東日本大震災で、視覚に障害を持つ方の犠牲者は、「割合で」いうと、健常者の2倍以上とも言われています。

今回、東北の三県の視覚障害者団体から、およそ20人の語り部が登録され、今月から活動を始めます。岩手県 視覚障害者福祉協会の理事、及川清隆さんのお話です。

◆視覚障害者が体験した震災と教訓
語り部プロジェクトとは、7団体で組織する東北盲人会連合がはじめるもの。視覚障害を持つ人の生の声の風化を防ぐ、行政施策、地域のこれからの防災や町内会のコミュニティの形成、視覚障害者の避難場所、避難後の生活への理解を促すことが目的。

語り部の陸前高田市の男性は、大津波が来ることを聞き屋外へ出たが、目が見えず避難できなかった。しかし色んな人の手引きを借りて、リレーのように避難所までたどり着いた。しかし避難の手引きをしてくれた人を探したが亡くなっており、お礼を言えなかった。その方は、自分の命の大切さを実感してその人の分まで生きたいと話す。この話の教訓としては、まず視覚障害者の避難システムが人的にもマニュアル的にも出来ていない。それを構築しなければいけないこと。たまたま先ほどの方は、地域の活動に参加していたので手引きを受けられたが、地域とかかわりを持っていない人はどうすればよいのかという課題がある。語り部のお話で、町内会単位でどうするのか。障害者の方をどう支えるのかというコミュニティの形成、地域力を高めるための一助にして頂きたいと感じている。


及川さんによれば、「阪神大震災の教訓が、ほとんど生かされていない」といいます。
また、語り部の方の経験談から分かる課題は多く、例えば、震災直後の避難所生活の「トイレの問題」、大勢が寝泊まりする避難所での「移動の問題」も、今後、備えが必要です。

視覚障害者の語り部プロジェクトは、今後、語り部の派遣も受け付けます。

問い合わせ先・・・日本盲人会連合 03−3200−0011

明日も、視覚障害者の語り部プロジェクトについてご紹介します。

2013年5月22日

5月22日 語り部タクシー(2)

今週は、震災の記憶を語り継ぐ様々な取り組みを紹介しています。今日は宮城県仙台市、「仙台中央タクシー」の『語り部タクシー』です。

講習を受けたドライバーが、利用者を仮設住宅や被災エリアに案内して、震災の被害や状況を説明してくれる、というもの。今回スタッフを案内してくれたのは、ドライバー歴8年の、田口寛之さんです。車はまず仙台市内の仮設住宅に立ち寄り、その後、津波被災地区に向かいました。
    
◆語り部タクシーに乗車、荒浜地区へ向かう(田口さんの説明を聴きながら)
−ただいま東部道路をくぐり、海辺のほうに向かっていきます。横に見える田んぼは、やっと2年たってあぜ道をつくって直しているところ。2年前はあぜ道もなくなり、田んぼという感じには見えなかった。いろいろ流されていたものが転がっていた。
−もう少し行くと、仙台の海水浴場があった荒浜地区。そちらのほうには住宅地もあり、1F部分およそ5メートルの津波が押し寄せた。
−(荒浜地区につきました)この辺りは800世帯2700人の住民がいた。ここでは186名の方が亡くなっている。荒浜小学校のところで、およそ4.6メートルの津波が来たところにいま、います。
−荒浜小学校では震災当日は一旦は校庭に避難したが、その後校長先生がマニュアルを変更して、避難場所を校庭でなく校舎の3F以上に避難した。そのおかげで児童たちは助かった。
−ただ一人だけ亡くなった児童の方がいる。小学校3年生と1年生の姉妹のうち、先に下校した妹は、隣の家の人と逃げて助かったが、親御さんが3年生の児童を学校から引き取り、下のお子さんを探してたときに津波が押し寄せて、親御さんと3年生のお姉さんが亡くなって、1年生の妹さんが震災孤児になってしまった。妹さんは親せきの方が引き取って、現在陸前高田市の方で暮らしている。
               
所要時間は2時間。小型タクシーなら定員は4名で、料金はおよそ1万円です。「仙台中央タクシー」では、現在およそ30名のドライバーさんが、「語り部タクシー」を走らせているそうです。

仙台中央タクシー「語り部タクシー」

2013年5月21日

5月21日 語り部タクシー(1)

今週は、震災の記憶を語り継ぐ様々な取り組みを紹介しています。今日は宮城県仙台市、「仙台中央タクシー」の「語り部タクシー」です。

講習を受けたドライバーが、震災の爪痕が残る場所に利用者を案内して、震災の被害や状況を説明してくれる、というもの。今回スタッフを案内してくれたのは、ドライバー歴8年の、田口寛之さんです。
    
◆ 「語り部タクシー」利用者の声
被災地を見に行きたくても、失礼じゃないかなとか。野次馬とか思われるのが怖いという利用者さんもいるので、そういったときに「語り部タクシー」を使うと「安心して見れた」という声を聞く。年配の方や、小学生の子供さんを連れて見える親御さんなども。被災地の現場を見て、子供は素直だから、本当にびっくりしたような表情を見せたのが印象的だった。あと教師の方で、今後の防災を考える上で参考にしたい、という方も。津波の被害のすさまじい現場を見て、びっくりされていた。


この「語り部タクシー」は、NPO法人宮城復興支援センターの講習を受けたドライバーが、ガイド役と運転を勤めてくれます。田口さんは、震災のとき、仙台市内で被災。津波の被害こそ受けなかったものの、「震災の経験を語り継ぎたい」という想いから、講習を受け、ガイドをしています。車はまず仙台市内の仮設住宅に向かい、その後津波被災地区を目指します。

◆仙台市内から仮設住宅、そして津波被災地区へ(実際語り部タクシーの案内を受けた様子)
−いま公園の横、プレハブの仮設住宅がある場所にご案内している。地震から2年以上たつが、街の中にも仮設住宅があるし、郊外にもいたるところに点在している。冬は寒く、夏は暑くて、大変な暮らしを強いられているが、協力し合って暮らしている。
−見えるのが東部道路という名前の高速道路。津波が来たときは、東部道路の高台が津波の勢いの勢いを抑えてくれた。
−間もなくすると東部道路の下をくぐります。津波が来たあとは船や軽自動車がいたるところにあった。
−東部道路をくぐって海辺のほうに行きます。


所要時間は2時間。小型タクシーなら定員は4名で、料金はおよそ1万円です。「被災地を見に行くのは失礼なのでは?」という方も、「語り部タクシー」なら、そういった気兼ねは必要ありません。
被災地を自分の目で見て、防災意識を高め、次の災害に備えてほしい。
それが、「語り部タクシー」のメッセージです。

仙台中央タクシー「語り部タクシー」

2013年5月20日

5月20日 東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」

今週は、震災の記憶を語り継ぐ、様々な取り組みをご紹介します。

今日ご紹介するのは、国立国会図書館の「東日本大震災アーカイブ ひなぎく」です。
震災に関する動画や写真、新聞記事などを検索できるポータルサイト。
さまざまな団体や機関の協力を得て、今年3月正式にスタートしました。

◆様々なメディア・団体の協力を得て
「ひなぎく」では、さまざまな機関や団体が集めている東日本大震災に関わる記録、写真、動画を一度にまとめて検索できるようなサービスを提供している。いわゆるヤフーやグーグルのようなインターネットサービス企業、東北大学のような研究機関、河北新報のような新聞社、動画としてはNHK、フジテレビの協力を得たので、それが大きな力になっている。NHKに関しては当時のニュース映像や、震災の後さまざまな体験をされた方の体験談を集められているので、そういった意味でも興味深いものがたくさん入っていると思う。ラジオの音源も大変重要だと思うので、これから考えていきたいと思う。
(国立国会図書館・電子情報部、電子情報流通課の大場利康さん談)


「ひなぎく」の花言葉、「未来」や「希望」への願いも、込められています。
大場さんには、「ひなぎく」の具体的な目的も伺いました。

◆3つの目的
一つはこれからの災害や震災に備えるということ。次の災害に向けてどうやって被害を減らしていくのか。そういったことを考えるための基礎になる情報やデータを提供したい。
二つ目は、実際に被害にあわれた地域の復興に役立てればと。どのような災害が起きて被害が起きたのかが如実にならないと、新しい街造りにつながらないんじゃないかと。
三つ目はそこ(被災地)に暮らす皆さんのこと。いますぐは震災のことを想いだしたくない方もたくさんいらっしゃるんじゃないかと思うが、これから10年20年経ったときに、あのときどういうふうな苦労をしたんだろうということを思い出すため、また共有するための材料を提供できるようになっていけばいいなと思う。


現在「ひなぎく」に集積されている記録やデータは、およそ240万件。
震災から2年2か月。震災を記録し、語り継ぐ取り組みはまだ始まったばかりです。

国立国会図書館 東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」

2013年5月17日

5月17日 いしのまきカフェ「  」(かぎかっこ)(2)

昨日に引き続き、宮城県石巻市から、高校生が自分たちで運営するカフ、いしのまきカフェ「  」(かぎかっこ)をご紹介します。

お店のコンセプト、デザイン、メニュー作りまですべて、31人の地元高校生に任されているのがこのカフェ。石巻を担う高校生たちに、地元に愛着を持ってもらい、将来、地元に何かを還元してほしい、ということで企画されたお店です。この日、接客を担当していた高校生の女の子に、話を伺いました。

◆「ありがとう」と言われることが増えた
石巻工業高校建築科 2年の及川真弓です。うちはすぐ歩けば海なので本当に直接被害を受けた。1階は津波が貫通。2階が床上で今は更地になっている。復興にはちょっとでも関わりたいと思っていて、どこのボランティアに行けばいいかも分からないし個人で動けるわけでもないし、ここ(石巻カフェ「   」)に参加できたらちょっとでも石巻を明るく出来るのかなという気持ちで、参加した。一番最初はみんなでコンセプト作り。落ち着く空間にしたいとか、来た人が明るくなれる空間にしたいとか、商品は地産地消で石巻を元気にしたいとか、情報発信はみんなが来たいと思える、楽しめるチラシにしたいと。3つのチームで最初に話し合いをした。接客をしていると、県外から来た人に「あなたのおうちは大丈夫だったの」と聞かれ、答えると悲しい顔をされてしまう。でも、頑張っていることを伝えると励ましてもらえる。それが嬉しい。ここに来てから「ありがとう」といわれる機会がすごく増えた。これからも頑張ってね、美味しいごはんをありがとうといわれるとすごく嬉しい。自分も他の人を励ましたいなと思える。ここに来ると、アルバイトでは得られないものが得られる。体験できる。それが良い経験になっている。


こうしてお店の運営を通じて「復興に関わることができる」。この経験を通じて、及川さんはより、自分の町のことを真剣に考えるようになったみたいです。
 
◆日本中に「   」を!!
まだまだ(石巻は)暗いと思う。明るくなってきているが復興していない部分もある。もっと石巻って元気な街じゃなかったかなと思う部分もある。この店が盛り上がって石巻が盛り上がって、日本中に支店ができるくらいの勢いで(笑)そのくらい元気な街にしたい。
いしのまきカフェ「   」は高校生たちが一丸となって頑張っているカフェです。おすすめは石巻カレー。石巻の思いがぎゅっと詰まっています。ぜひお越し下さい。まってます!



ちなみに学生たちが開発した「石巻カレー」は、これまた学生たちの企画で、近い将来、レトルトカレーとして全国発売する、という計画もあるということです。

いしのまきカフェ「   」
・営業時間…毎週土日と祝日の11時から午後3時まで。
・場所…石巻駅前 石巻市役所1階・エスタ石巻内

いしのまきカフェ「   」

来週は被災地を始め、各地で広がっている、震災の被害を「語り継ぐ活動」をご紹介します。

2013年5月16日

5月16日 いしのまきカフェ「  」(かぎかっこ)

今朝は、宮城県石巻市から、高校生が自分たちで運営する一軒のカフェについてお伝えします。

石巻駅前、市役所1階の商業施設にある、いしのまきカフェ「  」(かぎかっこ)。こちらは、お店のコンセプトやデザイン、メニュー作りまで、すべて、石巻の地元高校生に任されているカフェ。被災地支援活動として、この企画を高校生たちに呼びかけた、日本財団・ 東日本大震災復興支援チームの 金子知史さんに伺いました。

◆石巻の高校生たちが作るカフェ
将来を担う子どもたちのサポートをしていく必要があるだろうということで、高校生が作るいしのまきカフェ「」(かぎかっこ)を作った。カフェをゼロから作るという企画。壁を真っ白にして、テーブルと椅子だけおいた状態で高校生に集まってもらった。34人が集まった。一つ印象的だったのは、自分たちが石巻市に生まれ育って震災を受けて様々な人にサポートをしてもらって、自分たち自身が復興に向けて力を発揮できる場所は無かった。ここが復興につながる場所だと感じたから参加したんだ、と言った子もいた。石巻を元気にするカフェにしたいということで、なるべく地元の美味しいものを自分たちでさらに美味しく料理にして出していこうと考えて商品の開発をした。特徴的なのが、石巻でとれる養殖の牡蠣に付着するムール貝を使ったカレー。ムール貝はそれまであまり流通していなかったが、カレーの出汁に使っている。今まで使われなかったものを商品にするということで石巻の漁業に少しでも還元できるのではないかという思いを持っている。カレー一つ作るにしても、ちゃんと漁師さんのところに行って色々と現状を伺い、勉強した上で高校生らしい感性で作っていくということを第一にしている。漁業に還元できるのではないかという思いを持っている。漁師さんたちもすごく喜んでくれている。石巻の復興につながる第一歩のために一緒に開発をやっていきたいということを言っていただいた地域が一体になった瞬間なのかなと思った。


金子さんによれば、この企画の目的は、高校生に社会体験をしてもらうこと。また、卒業後 75%が地元を出て行ってしまう石巻の高校生たちに、町に愛着を持ち、将来は地元・石巻に還元できる社会人になって欲しいという目的もあるということです。

現在、かぎかっこの高校生スタッフは、およそ30名。営業だけでなく、定期的に運営会議も開いています。そして、そこで話し合われたアイデアが、どんどんお店を良くしていき、高校生たちもどんどん成長していると金子さんは言います。
 
◆ゼロから考える力を
メニューもすべて高校生が考えている。受験生メニューというのがあって、メニューそのものが「受験を受けている」。値段も自由に設定してもらい、アドバイスをしてもらいメニューの改善に役立てようということで出している。カレーといちごみるくの2メニュー。ここはアルバイトのように全部の仕事を与えるのではなく、ゼロから高校生たちが考えるというのを大事にしている。自分たちが考えてそれを具現化するにはどうしたらいいかを考えて、社会に入ってプロジェクトを任された時にも、すんなり出来るのではないかという自信も持ってきている。



ちなみに、お店の名前「  」(かぎかっこ)も、高校生たちの話し合いで決まったもの。店名を決める話し合いの結果、あえて空欄のままにしたんだそうです。



いしのまきカフェ「   」
・営業時間…毎週土日と祝日の11時から午後3時まで。
・場所…石巻駅前 石巻市役所1階・エスタ石巻内

いしのまきカフェ「   」

明日も、いしのまきカフェ「   」(かぎかっこ)についてお届けします。

2013年5月15日

5月15日 ISHINOMAKI2.0不動産(2)

引き続き、宮城県石巻市の街作り団体『ISHINOMAKI2.0』の新たな試み、「2.0不動産」についてお届けします。

ISHINOMAKI2.0のメンバーにはデザイナーや建築家が何人もいます。そこで、彼らの力で、古い民家をリノベーションして、石巻に住みたい、街に残りたいという若者たちに住んでもらう…というのが
ISHINOMAKI2.0不動産です。ただこれ、いわゆる「不動産」とはちょっと違うものです。ISHINOMAKI2.0代表理事の松村豪太さんはこう説明します。

◆「お金をかけずに面白く」
仲介はしない。いわゆる不動産の仕事とは違う。2.0不動産のやることは、物件の仲介ではなく紹介。もう一つは改修作業。仲間に建築家や面白いことをしたいというデザイナーが多いので、そういう方々の知恵や力を借りて自分たちで回収する。もちろん材料費もかかる。それで床を張り替えたり、パーテーションで一世帯用のしつらえを、2世帯で住めるようにシェアする。そして2万5000円ずつ頂く。そうすると元々大家さんは2万5000円で貸したがっていたものに対して5万円の収益が得られる。浮いた2万5000円を我々は月々バックしてもらい、始めに投資した改修費を補っていくというビジネスモデル。オルタナティブというかもう一つの選択肢として、不動産が丁寧に整えたものをお金を払って借りるという選択肢ではなく、お金をかけず、しつらえとして綺麗でも便利でもないが面白く使ってもらえるような賃貸物件の選択の仕方、住み方があるのではないか。これは復興が進んだあとでもそうだし、他の町、震災に関係ない街でも面白がられるやり方ではないか。


とても面白い試みですが、実際すでに希望者もかなり多いようです。


◆石巻に住みたいという声に応えるため
実は、借りたいというニーズのほうが1対9で多い。なかなかその声に応えるのは正直難しいが、この活動、こういうやり方に共感して下さった街の方々が、電話で「ウチの物件どうにかならないかな」と問い合わせてきている。我々は仲間が街の中を足で調査している。今の空き家状況や解体が進んでいる状況を調査している。そこから手がかりを得て、借りたい・住みたい・この街で暮らしたいという声に応えられるように色々と考えている。現実的に今年の目標は5軒(笑) 来年10軒、再来年20軒という計画は立てている。


今朝は、宮城県石巻市の街作り団体・ISHINOMAKI2.0の新たな試み『ISHINOMAKI2.0不動産』をご紹介しました。

明日は、石巻駅前にできた、地元高校生によるカフェ「  」(かぎかっこ)を紹介します。

ISHINOMAKI2.0不動産
ISHIOMAKI2.0不動産ツイッター

2013年5月14日

5月14日 ISHINOMAKI2.0不動産

今朝は、宮城県石巻市から、街作り団体『ISHINOMAKI2.0』の新たな動きです。

フリーペーパー作りや石巻ブランドの家具の製造販売、石巻の伝統的なお祭り・川開き祭りに合わせたイベント、そして今年のゴールデンウィークに行われた石巻・台湾アートプロジェクトなど、様々な形で、新しい石巻を作り出しているISHINOMAKI2.0。またも、面白いことを始めています。それはなんと・・・不動産です。

●お金をかけず、空間を提案する
今までふれあうことが無かった立場の方々が出会うのがこの街。一番大きいのはボランティアとしてやってきた若者。元々、石巻は疲弊してシャッター通りが続いていた。それが津波で空き家が広がり、建物が壊されていっている。そういったところで今回も(石巻・台湾アートプロジェクトで)街の中の空き物件や、被災した物件をあえてアトリエにして公開制作をした。たくさんのいろんな立場のアーティストが共作で作品を作り、街を歩く人たちがアーティストの制作現場を興味深く覗くようなことが起こった。これは一つの「空間の提案」だったと思う。そして今、そうした空間の使い方、お金は使わないが面白く使ってくれるような提案を今年の大きなプロジェクトとして考えている。それがISHINOMAKI2.0不動産という不動産プロジェクト。街の再開発が進んでいるが、再開発は借金を背負わなければならず、完成まで5年もかかる。その間は町の建物は使われない。町がせっかく注目を浴びて、ボランティアを卒業した若者が「この街に住みたい」と思っても、彼らの声に応えられない。彼らは今ここに住みたいしこの街に残りたいと思っているが住居が見つからない。そこで、言ってみれば“ボロ屋”で大家さんもどうしようかと思っている物件、公費で解体する方法もあるが、想い出が詰まって解体にも踏み切れない物件を、お金をかけずにお洒落にペンキを塗って、若い人に面白く住んでもらう。ただの平屋を工夫してシェアハウスにする。若者が共同生活を送れる場所を作ったら新しいライフスタイルがこの街に生まれる。手作りで築60年〜70年経過した床もべコベコの木造の建物を、多くの建築家やデザイナーの助けを得て改修。お金をかけずにちょっと素敵に、若者が関心を持って住みたくなるようなしつらえを作っている。


この、2.0不動産は、あくまで古い家屋の紹介とリノベーションをするもの。ツイッターの公式アカウントがあって、情報を発信しています。例えば、5月11日にツイートされた情報を見てみたのですが…

4LDKで、家賃 月5万円程度(応相談)で、4台まで駐車可能な駐車場付き!!! という物件の「紹介」をしています。

ISHINOMAKI2.0不動産
ISHIOMAKI2.0不動産ツイッター


明日も、ISHINOMAKI2.0の新たな計画、「ISHINOMAKI2.0不動産」についてお届けします。

2013年5月13日

5月13日 石巻・台湾アートプロジェクト


今朝は、ゴールデンウィークに、宮城県石巻市中心街で行われたアートによる国際交流イベントを『石巻・台湾 アートプロジェクト』をご紹介します。

連休期間中、石巻では台湾から来日したアーティストたちと日本のアーティストによる様々なコラボレーションが行われ、最終日・5月5日には、日台双方のアーティストによるシンポジウムも開かれました。

このアートプロジェクトを仕掛けたのは、石巻の若い経営者やクリエイターによる街作り団体ISHINOMAKI2.0です。石巻と、台湾と、アート。一体どんな経緯で繋がったのでしょうか。

◆震災を経て繋がった台湾と神戸と石巻
台湾から32名が来日。東京・仙台・石巻のアーティストと合作、共作、コラボレートして街の至るところでアート制作が行われている。東日本大震災と同じような大きな震災が阪神淡路であったが、神戸の市民活動、応援をしている団体が台湾と交流があった。さらに台湾も8・8地震という大きな災害があった。そこで神戸と台湾の交流が生まれた。今回の東日本大震災で石巻を応援しようということで神戸の団体がつなげてくれた。台湾はいま壁画がブームということでそのムーブメントを起こしている方々を石巻に呼び込んで街をアートで元気づけようということで街の中で壁画を描いたり、街の空き地で子どもたちとチョークペインティングを行ったり、あるいは積み木のワークショップが行われた。(ISHINOMAKI2.0代表理事 松浦豪太さん)


こうしたきっかけがあって、石巻の町で、「日本と台湾がアートでつながる」ことになりました。

アートプロジェクト開催期間中、石巻では各所で日台のアーティストによる公開制作が行われ、北上川の中瀬公園には、木造の「家の形をしたオブジェ」に、アーティストたちが自由にペイントするという作品作りも行われました。こうして、石巻に集うアーティストたちの作品が、石巻に広がりつつあります。

◆アートが石巻にもたらすもの
何か一つ、ことを起こしていくというのが大事だと思って日々活動している。今回も多くの台湾の方々が来て、それを見に石巻から、日本中から子どもたちに来て頂いた。石巻は大震災があったから注目された。色んな人が集まっている。でもそこで僕は思うのだが、そこで何もしなければ一時的な注目を集めるだけ。そこでアートも含めた様々な動きがあれば継続して、その渦がどんどん広がっていく。震災を契機にぱっと花火を打ち上げるのではなく、継続的な動きが続いているのがこの街。そこでアートは大事な要素。これまで無かった文化をこの街にもたらしてくれる素晴らしいものだと思う。(同)






このプロジェクトで制作された中瀬公園の展示は、今後も、2・3か月ほど展示される予定となっています。

明日は、ISHINOMAKI2.0の新たな計画、「2.0不動産」をご紹介します。

2013年5月10日

5月10日 石巻 日和アートセンター


今朝は、宮城県石巻市にある、1軒のアートスポットをご紹介します。
ISHINOMAKI2.0など若い世代による、様々なプロジェクトが次々と生まれている宮城県石巻市。この街はいま、国内外からアーティストたちが集まり、創作活動をする場所としても注目されています。そして、彼らに表現の場所を提供しているのが、『日和アートセンター』です。    
立石沙織さんに伺いました。

◆石巻の想い出を描くアーティスト
日和アートセンターは石巻市の中心市街地に、2012年3月に横浜市と石巻市の芸術文化の交流拠点としてオープンした。今は展覧会と滞在制作をメインに活動している。今 展示しているのはオーストラリア人のアーティスト、リチャード・バイヤーズの作品。彼は去年も5カ月くらい石巻に滞在していて、去年と今年にかけて石巻の風景を写真や風景画に描いている。地元の方には、親しみと意外性を感じながら観て頂いている。

また、リチャードは来場者の方に描いてほしい石巻の風景を募集して、それを線画(インクドローイング)として描いている。地元の方のリクエストは、自分の家や自分のお店を描いてほしいというものが多い。先日来て下さった方は、今回の震災で建物自体が無くなってしまった保育園の写真を持ってきた。クルマが流されてきている状況の写真だったが、別の角度から撮った写真をいくつも組み合わせて「これで保育園の建物の風景を再現してほしい」と。リチャードと話をする中で、「保育園の名前の表札は残してほしい」とか、「幼稚園で実際に子どもが遊んでいる風景を組み合わせて欲しい」というリクエストもあり、保育園というテーマで、リチャードは大きな意味での未来を描いている。


日和アートセンターは、津波の被害を受けた楽器店を改装して作られました。1階が誰でも出入りできる アトリエ 兼 展示スペース。 2階は宿泊施設で、アーティストはここに滞在して創作活動をします。

いま、石巻では、こうした作品が次々と生まれ、アーティスト同士のコラボレーションも盛(さか)んだと言います。なぜアーティストたちは、この街へやってくるのでしょうか。

◆表現しなければいけないもの
アーティストはいま社会で起きていることを見過ごせない方々なんだなと思う。被災地になってしまった場所でアーティストが増えたということは、ここに何か、表現して残しておかなければいけない何かがあるんじゃないかと。記録するだけではだめで、表現しなければいけないものがある。いてもたってもいられない衝動があった。だから、これからアーティストと言う存在はすごく大事になってくると思う。





石巻に滞在中のリチャード・バイヤーズさんの作品展示は、5月12日(日)までとなっています。今後の展示など詳しくは、日和アートスペースのウェブサイトをご覧ください。

2013年5月9日

5月9日 ゆりあげ港朝市 ゆりあげ港朝市 引地商店 引地克さん

引き続き、宮城県名取市・閖上で復活したゆりあげ港朝市の話題です。

震災後2年2ヶ月を経て、元々あった閖上の海沿いで再開を果たした朝市。今後、毎週日曜と祝日のあさ6時から10時に、震災前と同じように、開かれることになります。

現在のお店の数は、およそ50店舗。2年前とほぼ同じ数ですが、中には、震災をきっかけに朝市のメンバーに加わったという方もいます。

◆サラリーマンを辞め家業へ
やきがれいと、一夜干しの塩がれいを販売。叔父の代から何十年もやってきたが震災以降に叔父が体調を壊した。店自体、焼きがれい・塩がれいの加工品をやめようかという話になったが、店を無くしたくないと思った。子どもの頃から焼きがれいや塩がれいを食べていた印象が強い。その頃からうちの叔父は朝市の商売をしていた。「加工品だったら引地さんのところ」というイメージが強かった。でも、引地家の本家は閖上にあったが、被災して津波で流されてしまい、本家の家業を継ぐ人間がいなくなった。震災前はサラリーマンをやっていたが一大決心。絶やさないためにというのが一番の理由。迷いは無かった。

(その時は再建できるかどうか分からない状況ですよね)
自分自身も何の技術も無いし魚を使った仕事もしたことがないし。元の味に戻すのにかなりかかった。味付けや配分も機材でやっていたので、それを手探り状態で味を安定させた。時間がかかった。加工場があるのだが、そこに閖上のお客さんが足を運んでくれる。仮設住宅に移転したため朝市には行けなくなったという人が加工場に直接買いに来る人が増えている。加工場兼店舗という形で考えている。朝市は朝市。小僧みたいな感じに思われてもしょうがないんだけど、新規参入がもっとたくさんあって、競争していく朝市にしたいなと思っている。より良くしたい。





震災前、朝市のすぐそばには海水浴場がありました。お休みの日に閖上の海で遊んで、朝市で買い食いして、、、というのは名取市の多くの方の、子ども時代の共通の記憶だそうです。引地さんも、そんな子ども時代を過ごしてきました。そんな背景から、仙台でやっていた会社員を辞め、地元に戻り、叔父さんの家業を継ぐことを決めたとも話しています。引地さんは現在35歳。奥さんともに、カレイの加工・販売を続けています。


明日は、宮城県石巻市を、国内外のアーティストたちの制作拠点にする取り組み「日和アートスタジオ」をご紹介します。

2013年5月8日

5月8日 ゆりあげ港朝市 ゆりあげ港朝市 協同組合理事長 櫻井広行さん(2)


今朝も引き続き、宮城県名取市・閖上で復活したゆりあげ港朝市の話題です。

震災後2年2ヶ月を経て、元々あった閖上の海沿いで再開を果たした朝市。ただ、この朝市のある地域(閖上4丁目や5丁目など)海沿いは「災害危険区域」で、居住は認められません。

つまり、何も無くなった海沿いの広い更地に、朝市だけが戻ってきた…という状況です。これについて、ゆりあげ港朝市 協同組合 理事長の櫻井広行さんはこう話します。


◆でも前に進むしかない
同じところに同じものを建てた。地元の方も「なんであんなところに建てるんだ」と半数以上が言う。「津波が怖い」と。私は津波を見ずに逃げたからそういう感覚が理解できない。津波を見た人と見ていない人、水をかぶった人とかぶらなかった人、家族を全て失った人と全員助かった人、それぞれ感じ方が違うからどうしようもない。お互い理解はできない。でも前に進むしかない。この場所で頑張ることで税金を使ってかさ上げした土地の価値を高めるために、一所懸命がんばらなきゃいけない。税金を使ってかさ上げして宅地造成したのに誰も住んでいないという状況にはしたくない。被災者として無責任な話だと思う。この税金は確実に私たちの子どもや孫につけが廻る。大した税金は払えないかも知れないが、商売で成功していくらかでも税金を返さないといけないし、人が集まるということは働く人が増える。商売が儲かれば税金も入る。もっと儲かれば税金も払える。もっと儲かればここ以外に店を持てる。そういう若い人も募集したいと思う。今年は60、3年後は100店舗。どんどん増やして入れ替え戦。脱落したらしょうがない。競争して勝ち残って欲しい。やりたい人間にはスペースあればどんどん入れる。動くことや行動することが先であり、不満や批判からは何も生まれない。これからはやっぱり自分のしてほしいこと、やりたいこと、行政もそうだが、きちっと相手にあたって説得して、街の施政ではなく自ら動いていくということが今被災した我々にとって大事なことなんじゃないかと思う。


いま、閖上地区では、海から離れた地域をかさあげして 海沿いで暮らしていた住民を移転させる計画が進んでいますが、住民の中には、このかさ上げ地域を選ばず、地元を離れようと考えている人も、少なくないと言います。

人口の減少を食い止めるというのは、多くの地方都市が抱える問題。朝市を盛り上げることは、その一つの解決策ともいえそうです。
 

2013年5月7日

5月7日 ゆりあげ港朝市 ゆりあげ港朝市 協同組合理事長 櫻井広行さん

引き続き、宮城県名取市・閖上で復活したゆりあげ港朝市(みなとあさいち)朝市の話題です。



朝市は震災後、海岸から離れたショッピングセンター駐車場で臨時営業を続けてきましたが、2年2か月ぶりに元の海沿いで再開。連休最終日のきのうも、たくさんのお客さんでにぎわったそうです。

本当に、地元に愛されてきた朝市。その歴史について、ゆりあげ港朝市協同組合理事長の櫻井広行さんに伺いました。

◆たった4つのお店から始まった
閖上の魚市場というのがあり、そこで37年前に4店舗から始まった。背負子のおばちゃんが魚を背負って、話し相手をしながらやっていた。そういうおばちゃんが20人から30人いたので、朝市で販売するようになった。そうすると閖上の町の人たちが朝市に朝に買い物しにくるようになった。日曜日の朝に色んな新鮮なものが買えるということで大きくなり、この地でずっとやっていた。

こうして、閖上の休日の、朝の風景として根付いた朝市も、2年前の震災と津波で、お店がすべて流される被害を受けました。しかし朝市は、その2週間後に場所を変えて臨時営業をはじめています。組合理事長の櫻井さんに、当時を振り返って頂きました。


櫻井理事長

◆全てを失った中で
私も自宅と工場とトラックが全部津波で流された。たまたま妹の家のある山の方に逃げたから津波は見ていないが、避難場所の小学校に行ったら真っ黒なところにロウソクにうつる顔が朝市に来るおじいちゃんおばあちゃんだった。生きていることを喜び握手をしたが、明日のご飯はパン一枚かおにぎり一個だという話を聞いた。建物は失ったが出資金などのお金で食料を買い込んで届けようと、避難所で配り続けた。その時も朝市をやろうとは思っていなかったが、お年寄りががれきの中から商品を探したり、2時間並ぶという状況だったので何とかしなければと考えた。一回でいいから朝市をやって勇気を発信しようと考えた。3月27日にきたお客さんからは握手攻めだった。みんな泣きながら品物とお金を交換した。値段じゃなかった。朝市が終わったあと、商工会に電話が殺到。「次はいつ(朝市を)やるんだ」という話になった。組合員もまだ準備もなにも出来ない状況だが、勝手にやっちゃおうということで、組合員に号令をかけた。組合員は51人いたが40人前後が集まった。普段なにも言わない文句ばかり言う組合員が、自ら「やっていきたい」と言ってきた。いつ建物が建つのかも分からない、と言ったが、それでもやると言ってきた。

あすも、ゆりあげ港朝市の話題をお届けします。

ゆりあげ港朝市

2013年5月6日

5月6日 ゆりあげ港朝市

このゴールデンウィーク、東北の観光地はたくさんの人でにぎわいました。今朝はその中から、宮城県名取市・閖上で復活した朝市の話題をお届けします。

◆戻ってきた朝市のある日常
・(地元の男性)この近くからです。ゆりあげ朝市は有名。閖上で開催して頂きたいというのはありましたね。「今日は何が美味しいの」とか会話を楽しみながら買い物できるのが魅力だと思う。希望というか、こういう風に頑張っている姿をみて勇気をもらったり応援していきたいと思っている。
・(女性) 新鮮な野菜を安く、多めに買える。こうやってたくさんのお客さんでにぎわって、活性化というか復興に向けて続いてほしい。元に戻すのは難しいと思うが少しずつ日常を取り戻すという意味では大きな一歩ですね。
・(男性) 震災前はよく来てました。楽しみにしてたんです。2年は長かったがやっとここまできたなという感じ。いらしている方はこの場所が体に染みついている。日曜の朝はここだろう、ゆりあげ朝市だろうという方はいると思うんですよ。

30年の歴史を持つ、名取市の海沿いの地区・閖上の「ゆりあげ港朝市(ゆりあげみなと・あさいち)」。日曜と祝日の朝に開かれていたこの朝市は津波で壊滅的な被害を受けたのですが、継続を望む地元の声を受け、名取市内のショッピングセンター駐車場で臨時営業を続けてきました。

そして2年。朝市は4日(土)、海沿いにあった元の場所で復活。ずらりと並んだ新鮮な魚と野菜。美味しそうな匂いの屋台。威勢の良い掛け声とたくさんのお客さん。そんな朝市の風景が戻ってきたんです。
元の場所でご商売を再開したお店の方の声です。

◆ここからまたスタート
(アイザワミート)アイザワミートです。やっとまた地元に戻ってこれた嬉しさと、多少の不安はありますけどね。周りになんにもないので。まあでもここからまたスタートなのかなと。ここをなくして何もスタートはできないという感じで。やっぱり空気が違うんです。潮風が。やっと地元に戻って安心して仕事が出来るかなというところがありますね。嬉しいですね、お客さんの笑顔をみるとね。それだけで元気になれる気がしますね。昔から来て頂いている方も。定番と言うか毎週日曜日はまず朝市からスタートして一日がはじまるという生活をしてもらえるとありがたいなと思います。うちはジャンボメンチカツが一番人気。大好評いただいています。

(鮮魚のまるしげ)
朝市は27年前にここではじまった。津波が来る前は自宅がお店のすぐそば。すっかり土台だけ残してみんななくなっちゃった。(戻れると思ったか)思いましたよ。絶対戻ってやるって。(お客さんから声は)なつかしいねえ、良く来たねえ。ありがてえっちゃね。まだまだ80歳すぎたところだが負けてらんねえね。

鮮魚のお店「まるしげ」の会長・佐藤茂夫さんは、朝市がはじまる前から閖上でご商売をされていたそうです。途中、声を詰まらせながら、再会を本当に喜んでいました。ゆりあげ港朝市は、5月4日のプレオープンを経て、今後、毎週日曜と祝日に営業を続け、秋には本格オープンを目指します。



ゆりあげ港朝市

あしたも、ゆりあげ港朝市の話題をお届けします。

2013年5月3日

5月3日 石巻 日和キッチン

連休後半がスタート!引き続き、東北各地の行楽スポット、楽しみながら出来る支援、紹介します。

今朝は、宮城県石巻市の商店街の一角にオープンしたばかりの一軒のレストラン「日和キッチン」です。。石巻で新しいプロジェクトを次々と生み出す街づくり団体ISHINOMAKI2.0の中心メンバーで建築家の天野美紀さんがオーナーを務めるお店です。どんなお店なのか、同じくISHINOMAKI2.0の 松村豪太さんに取材して頂きました。

◆石巻にあさごはんを食べられる店を
(日和キッチンはどういうお店?)
石巻の「おうちごはん」、つまりお母さんの家庭料理、牡鹿半島のジビエ料理を提供するレストラン。

(天野さんは建築家だが、日和キッチンで料理に関わることになったきっかけ、日和キッチンを作ることになった経緯は)
最初は街づくりのお手伝いとして建築的なことで役に立てるんじゃないかと石巻に来ていたが、ホテルを転々としているうちに地元商店街のお母さんが見るに見かねて、「うちに泊まりなさい」と言って下さり泊めてもらった。そこで知ったのが石巻の家庭料理。お家でみんなが食べている石巻ならではの食材を使った料理でそれがすごく美味しかった。私たちはあまりお金がないので夜行バスで石巻に通っているのですが、朝6時半くらいに石巻駅前に放り出されてしまい、真冬の寒い時期にくるとそれだけで気持ちが落ち込んでしまう。朝ごはんを食べられるお店が駅の近くにあったらいいなという自分の思いもあった。さらに牡鹿半島の鹿肉を獲っている猟師さんとの出会いがあった。牡鹿半島の鹿肉というネーミング的にもキャッチーなものがあるのに、なかなか観光客にも地元の方にも知られていない食材になっていた。それももったいないという思いがあった。そうしたことが重なって、誰もやらないなら自分でやろうと考えたのがきっかけ。


日和キッチンの営業は土曜日・日曜日。
朝食が6:30から10時までで、ランチタイムは11:30から午後3時まで。(連休中も土日のみの営業)。

朝食は、石巻の地元のお母さんたちが作る「和定食」や、地元シェフが協力して考えた「ベーグルのセット」。そしてランチは、ジビエ料理を出す予定で、いま、シカ肉のカレーを準備しているところだそうです!!

そしてこの日和キッチンは、お食事が出来る以外にも役割があるようです。

◆お金を払うから気安さがある
調理場は地元のお母さんたちに手伝ってもらっているので、外から来た人に対してはインフォメーションセンター的な意味合いもある。こういうところに言ってみたい、教えてほしいという質問を地元の方にできるようになっている。また、石巻の地元の方も意外と来てくれて、そこから意外なつながりが見つかったり、隣り合った人たちが仲良くなって帰って行ったり。今までは出会えなかった方との出会い、ちゃんとお金を払うということの対価があるところの気安さがあるんだろうなと感じた。それは、きちんとお金を払って楽しみを得るというフェーズに移ってきているんだなということを感じています。

(毎朝深夜バスで石巻に来る方がここに立ち寄るが、そういう方も含めて石巻に遊びに来る方への日和キッチンとしてのメッセージを)

石巻、被災地に関係なく、一度来て気に入っていただいて、また来てもらえるような素敵な街にしていきたいと思っている。その一端を日和キッチンがこの場所で担っていければと思っている。なるべく長く続けたいと思っているので、日和キッチン、石巻に立ち寄っていただければ嬉しいです。



Photo by:tomoyuki kusunose

              
日和キッチンの建物は、建築家でもあるオーナー天野さんが、築100年という古民家をリノベーション。
商店街の一等地にあるのに、震災前から誰も使っていなかった建物を再生しています。

日和キッチンの情報はこちら


明日は、宮城県名取市閖上で再生をめざす伝統の朝市をご紹介します。

2013年5月2日

5月2日 南三陸さんさん商店街の「きらきら丼」

明日から連休後半がスタート。今週は、東北各地の行楽スポットや楽しみながらできる支援を紹介しています。

今朝は、宮城県南三陸町志津川にある仮設の復興商店街『南三陸さんさん商店街』から、
その名も「キラキラ丼」をご紹介します。震災前から観光客にすごく人気だった地元食材にこだわった海鮮丼が「キラキラ丼」です。現在、南三陸さんさん商店街では、この「キラキラ丼」を、11のお店がそれぞれオリジナルな形で提供しています。年に4回、四季折々のメニューが楽しめるのですが、この連休から新しいメニューが登場!!南三陸さんさん商店街 「季節料理 志のや」の、高橋修さんに伺いました。

◆三陸の海が育んだウニがどっさり!!
ゴールデンウィーク、4月27日からキラキラ丼の中でも一番人気のキラキラうに丼が登場。南三陸のリアス海岸は小さい湾がひしめいて自然環境が厳しい海。そこで育ったウニを丼いっぱいにのっけている。お客さんに「こんなウニ食べたことがない!」と喜んで食べて頂いている。ウニは天然のもの。一番美味しいのが5月から8月。水温が高くなりウニが光合成するという話で、海面に上ってきたウニが日光を浴びてだんだん甘みと色が鮮やかになってくる。

(どんな美味しさが魅力?)
なんといっても添加物を使っていない天然の甘み。とろけるような甘みがなんとも言えない。今までは海鮮丼のような感じで出してきたがウニ丼については「刺身も何もいらないから、とにかくその分、ウニをたくさん入れてくれ」と求めてくる。なので赤字の丼になりそうな感じの時もある(笑)

(お客さんの反応はどうですか)
5月の連休から8月までに多い人だと5回も6回も来て、リピーターが増えている。こっちもびっくりするくらい。そんなに遠くから来てくれて頭が下がる。

(味付けはお醤油ですか)
うちは提供の仕方が変わっている。たっぷりのウニにちょっとお塩で食べて下さいという提供の仕方をしている。醤油だと醤油味が勝ってしまう。せっかくの無添加のウニを使っているので塩でウニの甘みを分かって欲しいと言うことで塩を勧めている。

(そのほかに志のやさんでは今どんな季節の料理が楽しめますか)
志津川湾ではアナゴがいっぱいとれるので、アナゴをまるごと一匹揚げて丼から10センチもはみでるアナゴ天丼が人気。お客さんが目の前に来た瞬間、「わああ!!」と歓声が上がる。地魚のヒラメやアイナメ、アワビの味噌漬けなど、どの丼を食べてもはずれがないと思うのでお腹いっぱいにして帰って頂きたい。
(※聞き手:高橋万里恵)




「志のや」の高橋さんは、
「農家も、漁師も、商売人も、一つの丼に街の再生の想いをこめて、一日も早くなんとかしたいという気持ちで作らせてもらった。」と話しています。

南三陸さんさん商店街
キラキラ丼取扱い店舗

明日は、宮城県石巻市にオープンした、家庭料理とジビエが頂けるレストラン
「日和(ひより)キッチン」をご紹介します。

2013年5月1日

5月1日 福島県双葉郡浪江町 なみえ焼きそば

今朝は、福島県双葉郡浪江町から、「なみえ焼きそば」に関する情報です。

極太の麺が特徴の焼きそば『なみえ焼きそば』。40年以上前から地元に愛されてきた、ローカルフードです。浪江町の商工会青年部などのメンバーは、震災後も、 このなみえ焼きそばを通じた活動を続けています。

団体の名前は「浪江焼麺太国」。きのうご紹介した八島貞之さんは、「大王」という肩書でこの団体のリーダーを務めています。浪江焼麺太国は、地元のなみえ焼きそばを通じて、街をPRする様々な取り組みを続けてきましたが、原発事故の影響でメンバーは全国各地に散り散りに避難。震災前の33名から7名から10名まで、活動に参加できる人員は減っているといいます。

現在は、浪江町役場と商工会のある二本松を拠点に、各地のご当地グルメイベントに参加するなどの活動を続けています。

元々、まちおこし団体として始まったこの活動。今の活動の目的は「浪江町(まち)」という町の名前を忘れないでほしい、という想いです。メンバーは現在、南相馬や郡山、東京や千葉などで避難生活をしながら、この連休も、各地のイベントに集まる予定です。浪江焼麺太国の「大王」八島さんに伺いました。

◆地元の味・なみえ焼きそばで伝えたいこと
平成20年から町おこしとしてなみえ焼きそばを使って浪江のPRをしてきた。23年震災前まで本気で取り組んできたことなので震災であきらめるわけにはいかない。震災後も町民の人たちに頑張って生活をしていただきたいと思う。今後も継続して全国にPRしながら浪江の現状を伝えていきたい。


◆B1グランプリ優勝を目指して
11月予定のB1グランプリ本大会。これが一番の目標。この本大会で必ずゴールドグランプリを目指して参加したい。震災前の幸せの生活を取り戻すまで、私たちが頑張って焼きそばをツールにやっていくご声援お願いします。(八島さん)


なみえ焼きそばの屋台を出すたびに、その土地に避難する方が、故郷の懐かしい味に触れ、仲間同士が集まることが出来るそうです。だから活動をやめるわけにいかない、とも八島さんは話しています。

※連休中のなみえ焼きそばのイベントへの出店情報です。
・5月3日〜6日 お台場のフジテレビウェストプロムナード(みちのく合衆国に出展)

・5月12日 郡山ビッグパレットで、なみえやきそばで世界記録に挑戦。
 (※スタートは11時。1度に焼いた量でギネスに挑戦。焼きそばはふるまわれます)

・5月25日、26日は、『近畿中国四国支部B1グランプリin津山』に出場。
  会場は岡山県津山城周辺で開催。

詳しくは以下ブログで確認できます。
浪江焼麺太国ブログ

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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