2014年2月27日

2月27日 被災地の小学校のいま 釜小学校・土井校長

きょうは、震災まる3年を前に、被災地の小学校と、子どもたちが抱える問題についてお伝えします。

お話を伺ったのは、宮城県石巻市立・釜小学校の土井正弘校長です。土井校長は震災当時、同じ石巻市の雄勝小学校の校長で、当時から子どもたちの心のケアに力を注いできました。現在 校長を務める釜小は、石巻湾からおよそ2キロ。あの日 学校は、床上1mを超す津波に襲われました。

◆癒えない津波の恐怖
釜小学校は子どもの犠牲の多いところ。25名なくなっている。宮城県でも大川小学校に次いで多い、2番目。犠牲となった子どもはちょうど地震発生時が帰宅時間と重なり、保護者が車で迎えに来たのだが周囲が全部渋滞になり動かなくなった。そこに津波が来て流されたということが大半。人的な被害が多い学校なので生き残った子どもも傷ついているわけで、心のケアを重視してこれまで進めてきた。不登校もあった。地震がくると次の日から学校を休む。学校に来ている子も地震が来るとおびえるということが今でもある。避難訓練は欠かせないが、避難訓練にまだ参加できない子どももいる。休む子もいれば学校に来ても保健室で待機する子もいるという状態。トラウマ的な症状が日常の行動の中にも今なお見え隠れする。どんな拍子にそれが出るのかは我々も予測できない。まもなく3月11日・3年目を迎えるが私どもは祈りと誓いの集会ということで、弔いの場を学校として設けているが「アニバーサリー反応」「記念日反応」がある。当然3年前を思い出して不安に駆られるということが去年もあった。前もってお知らせして、こういう行事があると事前に家庭に伝えて、場合によっては欠席しても構わないということでやろうと思っている。

「記念日反応」というのは、3月11日や毎月11日、亡くなった方の命日や月命日など、特定の日付につらい出来事を思い出してしまう、といったことを言います。被災地では現在も、「記念日反応」にみまわれる子どもたちが、いるということです。

釜小学校は、現在児童数471人。そのうち130人が学区外から通学していて、その多くが仮設住宅での生活を続けています。


明日は、被災地の小・中学校で大きな問題となっている「学力低下」の現状について、釜小・土井校長のお話をお伝えします。


2014年2月26日

2月26日 「放射線教育」の今

福島の放射線被ばくの「現状」、お話は、東京大学医科学研究所の、坪倉正治先生です。震災後、東京と福島を行き来しながら、南相馬市立総合病院の非常勤内科医としても勤務。福島の被ばく医療に携わってきました。

今日は福島の子供たちに向けた、「放射線教育」の現状です。

◆放射線教育が自分を守るよろいとなる
「被ばく量が以前より増えたか」と聞かれれば、確かにイエスだが、例えばそれが「子供が産めなくなる」とかそんなレベルには到底到達していない。ただ、正しい放射線の知識が大きく浸透しているかという、まだそうなっていない。特に子供はそうで、高校生にアンケートを取ると、「自分の出産が怖い」と思ってしまっている生徒がいることがわかる。それに対して、尊厳、自信を失われている人が多いと思うのでそれを取り戻してほしい。いまここで生活していて、そんなめちゃくちゃな被ばくでは全くないよ、ということをしっかり自信としてもってほしい。大人になったときに、残念ながあられもない偏見を持つ人がゼロではないはずだから、ちゃんと自分の言葉で説明できたり、しっかりわかってほしいと思う。具体的な知識も当然必要だから、「放射線教育」が非常に重要だと思う。
いま僕自身は、相馬市の高校を一つ一つ回って、各学年で1時間ずつ授業をしたり、中学校を全部回って、授業をしたりとかしている。ほとんど放射線の話とかを聞いたことがなくよくわからない、ただ怖いものだという子供たちがすごく多くて、そういう子供たちに「放射線大丈夫、大丈夫」という話ではなく、科学的にはこういうことなんだよということを伝えたい。それが最終的に、子供たちの健康を守り、子供たちの将来を守ってくれる鎧(よろい)になってくれると信じている。
ただ、放射線教育はどういう形がベストなのかは、まだまだ試行錯誤の状況で、進んでいる学校と進みの遅い学校があることは事実。


被ばく医療に携わる中で、壁にぶつかることも多いという坪倉先生。
「原子力災害は被ばくの話だけではなく、家族の不和やお金、仕事の問題など様々です。医者ができることはほんの一部だけど、やらなきゃいけないことですから・・」とも話し、いまも福島に通い続けていらっしゃいます。

2014年2月25日

2月25日 「外部被ばく」の今

福島の放射線被ばくの「現状」、今日は「外部被ばく」です。
お話は、東京大学医科学研究所の、坪倉正治先生。
坪倉先生は震災後、南相馬市立総合病院の非常勤内科医として勤務。ホールボディカウンターによる検査や、結果の説明などを通して、福島の被ばく医療に携わってきました。

◆長時間生活する場所の線量を下げる
身体の外にある放射性物質から出る放射線で被ばくしてしまうのを「外部被ばく」という。いま現在福島県内でふつうに人が居住している空間においては、体にガラスバッチという機械をつけて、どれくらい被ばくしているかを3か月くらい集計したりすると、いまの生活で年間の被ばく線量が5ミリシーベルトとか10ミリシーベルト増えるような人はほとんどいない。特に子供は、24時間のうち3分の1くらい学校で生活するし、3分の1くらいは家で生活することが多いわけなので、トータルの被ばく量はものすごく減っていて、プラス1ミリ被ばく量が増えるか増えないかという範囲の人がほとんど。少し放射線量が高い地域で、農業などを営んでいて、外で活動することが非常に長い方には、プラス2ミリ、プラス3ミリ、場合によっては5ミリぐらいの被ばくをする人がいるが、ごく一部だし、子供たちがそんな形で被ばくにさらされている状態では決してない。
一番大事なのは、長時間生活する場所の線量がどのくらいかということ。通学路のホットスポットの横を数秒通りぬけるのも気にはかかるが、それより、8時間寝る場所の線量が低いか、授業を受けている時間が長いわけだから、学校がちゃんと除染されているか、というのが一番大事。それは、ほとんどの場合建物の中だから、被ばく量がすごく低減されていて、いま現在子供が生活している場所で、被ばく量がプラス5ミリ、プラス10ミリになる場合はほとんどないといっていいと思う。いままでの科学の知見から、被ばく量によって子供が害悪を受けるようなレベルには到底到達していない。
ただ以前に比べて被ばく量が増えましたか?という質問に対しては、「やや増えた」というのが科学的には事実であって、それに対して嫌だなと思うのは確かだと思う。より減らしていくためには、長時間いる場所の線量を少しずつ下げていくのが一番いいし、定期的にチェックしながら様子を見ていくしかないよね、というお話をさせていただいている。


きのうは福島の内部被ばくについて、今日は外部被ばくの現状についてお送りしましたが、こうした放射能に関する正確な知識は、まだ十分に認識されていないと坪倉先生は話します。そこで近隣の中学校や高校を訪れて、放射能に関する授業も行っているそうです。
明日はそんな、放射能教育についてのお話です。

2014年2月24日

2月24日 「内部被ばく」の今

今日から3日間は、福島の 放射線被ばくに関するインタビューです。

お話は、以前にも一度ご出演いただいた、東京大学医科学研究所、坪倉正治先生。坪倉先生は、震災直後から福島に通い、南相馬市立総合病院の非常勤内科医として、地域の皆さんの被ばくと、向き合ってきました。坪倉先生が捕える、福島の放射線被ばくの「現状」とは。今日はまず、「内部被ばく」です。

◆放射性物質が溜まりにくい食材と溜まりやすい食材
まず被ばくには「内部被ばく」と「外部被ばく」がある。「内部被ばく」は体の内部に放射性物質を取り込んでしまって受ける被ばくで、主に汚染された食品から起こるわけだが、いま現在の福島県内において非常に低い、リスクはほぼ皆無に近いといってもいいくらいに抑えられていると言えると思う。
わかってきたことは、放射性物質が溜まりやすい食材と溜まりにくい食材にほぼ色分けされる。根菜類(大根やねぎなど)のように根の深いものは、放射性物質が土の表面にがちっとつくので、植物自体にほとんど吸収されない。だから、福島県内の非常に汚染の高いところで作ろうが、汚染の高いものにはならない。魚の汚染も似ていて、タコとかイカとかエビとかカニとかは、外側に放射性物質を排泄するスピードが非常に高くて、かなり汚染度が高い海域でも(放射性物質を)検出しない状態が2年以上続いている。相馬の漁業などでも全然出ていない。その代り、いくつかの放射性物質が溜まりやすいタイプの魚があって、底魚や沿岸漁業系の魚など回遊魚はもともとリスクが低い。「福島産」だからよくないとか、「福島産」以外だったらどうこうという話ではなく、どういう食べもの種類なら放射性物質が溜まりやすい、溜まりにくいというのが、きれいに色分けされている。もちろんインターネット上で厚生労働省のデータベースを見ると、どういうものに出荷制限がかかっているかという一覧がある。
ただ、繰り返しになるが、例えば「キノコに放射性物質がたまりやすい」という話をしたときに、普通にスーパーで売っているキノコにリスクがあるという話ではない。汚染度の高いところで露地ものを自分で採って、検査もせずに食べるという、いくつもの条件が重ならないと、汚染にはつながらない。だから一般の方がスーパーに行って考えるべきことは、(放射能の)汚染の話ではなく栄養のバランスのことだと思う。


「LOVE&HOPE」、明日は坪倉先生にきく、“外部被ばく”の現状です。

2014年2月21日

2月21日 東北メディカル・メガバンク機構(6)

今週は「東北メディカル・メガバンク機構」について、シリーズでお届けしています。中心となっているのは、東北大学医学部です。

活動の大きな柱が「コホート調査」だというお話を、昨日伺いました。「コホート調査」とは、健康な人の身体や生活習慣を詳しく調査すること。中長期的に病気の原因をさぐり、一人一人にあった「個別化医療」「個別化予防」に役立てるのが目的です。
その中でも、今日注目するのは「三世代コホート調査」。お話は、「東北メディカル・メガバンク機構」の山本雅之機構長です。

◆三世代コホート
わたしたちは被災地の方たちと向かい合いながら、被災地の皆さんの健康を長期に見守るようなコホート研究をやりたい、なるべく幅広い世代の方たちを対象にしたいと考えた。「三世代コホート」とは、まず妊婦さん(妊娠したお母さん)に協力していただいて、生まれてくる子供さんや旦那さん、さらに祖父母の世代にも協力してもらって、三世代に渡って調べさせてもらおう、協力してもらおうという計画。「三世代コホート」をやってみてなにが一番特徴かというと、祖父母、父母、子供と、みんな遺伝的につながっている。家系の中で病気の原因を調べることができる。生活習慣や遺伝子と病気の関係を調べることができる。遺伝継承性があるので、非常に質の高いデータが得られるだろうというのが、科学、学術の面からみられる特徴。もう一つの特徴は、子供さんの健康、妊婦さんの健康を見守っていけるということ。震災のときは震災弱者として、妊婦さんや子供さんがいたのは、疑いのないこと。そういう方たちを見守っていくという企画したかった。


「三世代コホート調査」の対象地域は、宮城県全域。アンケートへの記入や採血などが主な調査項目で、すでに1500人ほどの妊婦さんが調査に参加しています。また、調査に参加した人には、今後5年ごとに、追跡調査を実施していく予定。従来型の健康調査に「遺伝子(ゲノム)の解析」を組み合わせることで、「個別化医療」「個別化予防」が可能になるかもしれない、というお話でした。

「東北メディカル・メガバンク機構」が実施する「コホート調査」について、詳しく知りたいと言う方は、機構の「地域支援センター」にお問い合わせください。

2014年2月21日

2月20日 東北メディカル・メガバンク機構(5)

今週は「東北メディカル・メガバンク機構」について、シリーズでお届けしています。
中心となるのは、東北大学、医学部です。

被災地の住民の健康サポートのために設立された「東北メディカル・メガバンク機構」。その大きな柱となるのが、「コホート調査」です。 これは、健康な人の身体や生活習慣を詳しく調査することで、中長期的に病気の原因をさぐり、一人一人にあった「個別化医療」「個別化予防」に役立てる、という取り組み。
   
「東北メディカル・メガバンク機構」予防医学・疫学部門、副部門長の、寶澤篤先生です。

◆地域住民コホート調査
病気の原因を探す調査デザインの中で「コホート調査」というのがある。最初に住民の方々の健康問題を把握し、個別に状態を調べたあと、どういう方が病気になるのか、病気にならずに健康に過ごせるのかを確認する調査。そういうことで病気の原因がなんなのかを明らかにする。将来どういった病気が増えてくるのかがわかってきた段階で、こういう方にはこういうケアをしなければいけないということを調査するためのもの。
この調査の目的は、震災でひどい目にあったエリアの方々で、うつや不眠やアルコール量の増加などにより、大きな病気、二次的な健康被害が起きることを抑制したいということ。こういった調査を通じて、10年後、20年後、二次健康被害が起こらなかったね、という形にしたい。
また、ただ被害拡大を抑制するだけに留まらず、病気の原因がわかってくる中で「未来の医療」に灯りを照らしていけるようになりたい。
住民の方の中には、新しいことを調べることに不安や懸念がある場合もある。あくまで無理強いはしないで、わたしたちの目的に共感していただける方にお願いしている。


「地域住民コホート調査」の対象は、宮城県全域と岩手県の一部地域の「成人」の方。特定健康診査、いわゆるメタボ検査の会場で、協力を呼び掛けています。また、自主的に、機構の「地域支援センター」に直接足を運んで、調査を受けることもできて、結果は各自にフィードバックされます。

※「地域住民コホート調査」は、およそ8万人の参加を目標としています。これは、国内外で行われている「コホート調査」の中でも、かなり大規模なもの。
※アンケートへの記入や採血、血圧の測定などが主な調査項目です。
※ちなみに、調査への参加は無料。興味がある!という方は、「東北メディカル・メガバンク機構」地域支援センターに直接お問い合わせください。

2014年2月19日

2月19日 東北メディカル・メガバンク機構(4)

今週は「東北メディカル・メガバンク機構」の活動をシリーズでお伝えしています。

「被災した地域の方々の健康サポート」を目的に設立され、 「医療情報の電子化」や「未来型医療への取り組み」も行っている東北メディカル・メガバンク機構。
その活動の大きな柱の一つが、地域医療の担い手となる医療スタッフを支える仕組み、「循環型医師支援制度」です。お話は、山本雅之機構長です。

◆地域医療の担い手を育てる「循環型医師支援制度」
震災後、東北大学の医学部の学生、さらに東北地方や全国の医学部の多くの学生が、非常に志が高く、被災地に貢献したいという気持ちを持っておられた。でも、もう一つの問題として、彼らも常に技量を磨き、医師としてキャリアを積まなければいけない。
そこで、わたしたちは、「被災地で働く期間」と「大学病院に戻って、高度研修をしたり最先端研究をする期間」を組み合わせる形で、「循環型医師支援制度」を考え、実践している。ある期間、被災した地域の病院に行って、地域の皆さんと一緒に地域医療をやる。でもそれだけを続けているとモチベーションが続かなくなったり、最先端医療から取り残されてしまう。そこで、一人の方が地域医療に従事している間は、他の方は大学で研修する。一人が終わると次の方が行く。その結果として、地域一つの病院のポジションはいつも埋まっている、という循環型のシステムを考えた。
具体的に動き出したのは平成24年の10月から。いま(宮城県内)6病院を支援している。
東北大学の医学部の卒業生が中心だが、40名近い医師の方が全国からこの制度に共鳴してが参加してくれている。地域医療の厳しい現場のことを考えると、若手の医師が参加することによって、一人当たりの診察の数とか、当直の回数とか、客観指標でみても、改善がみられ、地域医療の大きな応援となっている。


機構では、この「循環型医師支援制度」を支える医師を「ToMMo(とも)クリニカル・フェロー」と呼んでいます。「ToMMo(とも)」は「東北メディカル・メガバンク機構」の頭文字。
循環のサイクルは4カ月が基本。地域医療の現場と大学病院での研修や研究を、4カ月ごとにバトンタッチしていきます。

医療復興は医療スタッフがいてこそ。でも誰かが頑張るだけでは限界があります。
今回の取り組み、医師不足に悩む全国の他の地域のモデルにもなるのではないでしょうか。

2014年2月18日

2月18日 東北メディカル・メガバンク機構(3)

今週は「東北メディカル・メガバンク機構」の活動をシリーズでお伝えしています。

「東北メディカル・メガバンク機構」は、仙台市にある東北大学を中心に、気仙沼、石巻、多賀城など宮城県内に7カ所の「地域支援センター」を設置して、活動しています。

今日は、山本雅之機構長のお話。「東北メディカル・メガバンク機構」の目的と意義について、改めて伺いました。
   
◆「東北メディカル・メガバンク機構」とは
東北メディカル・メガバンク機構ができた目的は震災復興。厳しく傷ついた地域医療の復興をどうするか、そこに一つの軸足がある。津波で地域医療が大きく傷ついて、大きな病院も次々と流されてしまったし、そこで働く医療人が確保できないという問題もでてきた。そこで若手の医療人が地域医療に参加できる仕組みづくりをやろう、というのが一つ。また二度と津波でカルテを失わない次世代型の医療体制の確立。
さらに、東北が新しい医療の中の最先端地域になるような「ゲノムコホート」「バイオバンク」というものをつくろうと思っている。健康な人に集まっていただいて、ずっと将来に渡って追いかけていくと、病気が出てきたときに、健康なときの生活習慣や検査データが揃っているので、どういう生活習慣や遺伝的な背景があるとこの病気になるのか、ビフォー・アフターを両方調べることができるので、未来の医療に向かってコホートの参加者の方に協力してもらいたいと思っている。遺伝的な要因は一人一人違う。その人その人にあったリスクを調べ、その人その人に会ったリスクを乗り越える生活習慣の改変をしていく。専門的な言葉でいうと「個別化予防(個人に即した予防)」を東北メディカル・メガバンク機構では開発して、その成果を、参加していただいた宮城県の被災者の方たちに、一番最初にお返ししたい、と考えている。


「コホート調査」が実施されているのは、現在、宮城県全域と岩手県の一部のエリア。希望をすればだれでも参加することができます。詳しくは、木曜日、金曜日のこの時間に改めてお伝えします。

2014年2月17日

2月17日 東北メディカル・メガバンク機構(2)

「被災地の医療を復興し、住民の健康をサポートすること」
「震災をひとつの契機として、東北発の次世代型医療を構築すること」
この2つを目的に立ち上がったのが『東北メディカル・メガバンク機構』です。

中心となっているのは、東北大学、医学部です。地域医療支援部門の部門長で内科のドクター、清元秀泰先生は、もともと腎臓疾患が専門。被災地の医療復興の現状と課題を、このように話してくれました。

◆被災地における透析医療問題
わたしが被災地医療に腎臓で入ったなかでは、透析患者さんは、週3回血液をきれいにする治療を受けなければ、死んでしまう。血液透析は一回に120リットルの水を使う。10人だと1,2トンの水を確保しなければいけない。だから、被災地医療の中で透析を続けていくことが非常に困難だった。
気仙沼市民病院は周辺が水没したが高台だったためなんとか透析を最低限回すことができたが、南三陸町や岩手県の陸前高田や大船渡から命からがらたどり着いて、避難所から通って来られる透析患者さんもおられた。われわれもベストを尽くしていたが、なかなか各地域の医療施設の復旧が進まず、自衛隊の協力も得て80名ぐらいの患者さんを北海道へ運んでいったりした。3か月間くらい北海道で「医療疎開」という状態になった。そんな中で、いまも「透析医療」という観点からいうと、病院がまだ透析室をきちんと復旧できない地域がある。週3回透析を受けないと命があぶないという人達は、いまも内陸部のほうの病院で通院されている。早くなんとか医療復興してほしいと。
医療復興とは、建物のインフラも大事だし、それを担当する医療人材を地域に戻すということもあり、ものすごい大事業。わたしたちが地域の循環型医師支援システムを使って医師を地域に戻せる仕組みをつくっているのは、大きな意味があることだと思っている。


お話の中にでてきた、「循環型医師支援システム」とは、地域医療と大学病院での勤務をセットにして、若手の医師に幅広いキャリアと経験をつんでもらう、という取り組み。これも「東北メディカル・メガバンク機構」の事業の柱の一つです。

あすも「東北メディカル・メガバンク機構」についてお届します。

2014年2月14日

2月14日 東北メディカル・メガバンク機構(1)

今日からシリーズでお届けするのは、『東北メディカル・メガバンク機構』の活動です。

東日本大震災の後、東北の被災地ではカルテが津波で流出したり、病院が被災して、通院が困難になったりしました。 また、長引く仮設住宅での暮らしから、健康に不安を抱えて暮らしている方も少なくありません。

「被災地の医療を復興し、住民の健康をサポートすること」
「震災をひとつの契機として、東北発の次世代型医療を構築すること」
この2つを目的に立ち上がったのが、「東北メディカル・メガバンク機構」。
中心となっているのは、東北大学医学部です。

今日まず、被災地医療の現状を話してくれるのは、 「東北メディカル・メガバンク機構」の地域医療支援部門、部門長、清元秀泰先生。内科のドクターで、地域支援気仙沼センター長でもある清元先生は、震災直後から度々気仙沼に足を運び、住民の皆さんの声に耳を傾けてきました。

◆震災から3年。復興や健康に「濃淡」が生まれている
被災地域で、これから気をつけていかなければいけないことは、復興というのは一斉に起こっているわけではない、ということ。復興とは道がきれいになった、建物が建ったというだけではなくて、健康な人が経済的にもうまくいって、仮設住宅を出て行ったひとは、それはそれでリセットして、頑張っていける。ところが、自分の仕事の基盤が回復していなかったりすると、隣の人は復興住宅を建てた、いい仕事についていきいきとしているのと比べて、復興に濃淡が出る。最初のうちは、一緒に力を合わせてそのことがメンタルにも悪影響を及ぼすことになる。
もう一つ。人によっては喪失体験が違う。時が経つと納得できる喪失もあれば、自分より若い兄弟や子供さんなどを亡くした場合、復興のために前を向けといっても、なかなか前に向けない人もいる。そうした精神的な濃淡、経済的な濃淡があって、地域の方たちの共通の意識が薄れていく、かえって溝が深まる場合もある。
だから、気を付けていることは、個別個別に懸案事項があるということ。これはまさしくメディカル・メガバンクが個別化医療と言っていることと同じで、個人個人にフィットしたカウンセリングをやっていく、ということ。

 「東北メディカル・メガバンク機構」では、医療情報の電子化や医師不足の解消など、さまざまな課題に取り組んでいますが、清元先生のお話にあった「個別化医療」もその一つです。

現在、宮城県を中心に「コホート調査」という健康調査を実施。住民一人一人の環境や食事、健康状態を調査し分析して、そのデータを「現在」だけでなく「未来の健康」に役立てようというものです。一人一人のカラダにあった、「自分だけのオーダーメイド医療」が、すでに東北でスタートしています。
来週は、この「東北メディカル・メガバンク機構」についてさらに詳しくお伝えします。

2014年2月13日

2月13日 事前復興4

災害が発生する「前に」被害を想定して、仮設住宅を建てる場所を決めるなど生活再建の道筋を あらかじめまとめておく考え方、事前復興。

現在、事前復興のワークショップは、主に東京の都市部で、盛んにおこなわれています。ただ、東京の都市部と性質の異なる「地方の山間部」の場合はどうなのでしょうか。首都大学東京の、市古太郎准教授は、東京の郊外にある、八王子市が参考になると話します。

◆事前復興と、町の将来
東京で実施している事前復興は13区1市で、1市は八王子市で2005年から毎年、事前復興の取り組みを展開している。2005年は中越地震の翌年。中越地震は中山間地域の被害ということで山古志村などで孤立集落の問題が出た。これを見た八王子は他人事ではないと考えた。孤立集落が生じるような中山間地域、集落がたくさんあるということで展開していった。八王子市の検討の方が東京23区よりも、平常時の都市づくりに様々な示唆を与えてくれる。平常時でも人口が減少し、市街地が小さくなっていく状況にある。震災で住宅を失った時にどこに住むのか、八王子をどう復興させるかを考えることは、いま直面する人口減少や都市の変容を想像することにつながる。これまでの戸建ての住宅地を開発するということから考え直そうということになる。もっと利便性の高い駅に近いマンションを買う、息子娘世帯の近所に引っ越すという現地ではなく移転再建が家族にとっての望ましい住宅再建であることが考えられる。それでもとどまる世帯には、高齢者が住む続けられる福祉サービスのある施設を呼び込むなど、郊外都市として検討が必要な選択肢が見えてきたと思っている。


※八王子市の事前復興まちづくりワークショップの模様


首都大学東京 市古太郎 准教授によれば、東京・八王子市では2005年から5つの地区で事前復興まちづくりを検討しており、住民らが作った事前復興計画を受けて、八王子市役所が来年度にも条例や行動マニュアルを公表する予定だということです。

行政任せではなく、地域の方が考え、それを受けて行政が条例を作る。住民と役場がちゃんと連携している例かもしれません。また、市古准教授は「避難のことだけ考えるのではなく、事前復興を考えることは、将来を考えることにつながる。それは日常的な町おこしにも発展することになるということで、
関心を持つ自治体も増えている」とも話しています。

2014年2月12日

2月12日 事前復興3

災害が発生する「前に」被害を想定して、仮設住宅を建てる場所を決めるなど生活再建の道筋を あらかじめまとめておく考え方が、事前復興です。東京では多くの自治体で、事前復興の計画をまとめる住民参加のワークショップが行われています。

そして、計画をまとめておくことが、災害に向けた具体的な準備に繋がる例も多いと言います。事前復興を提唱する首都大学東京の、市古太郎准教授の話です。


◆多重な事前復興
事前復興のプランを描いておくだけだと、大災害が起こるまで何もしないのか考えがちだが、そうではない。長期的な震災の影響を考え、仮住まいを経て生活再建のプロセスを作ってみると、「だったらこれは事前にやってみようじゃないか」と、たいていの地域ではなっていく。震災が起きるのを待って計画をスタートさせるのではなく、その前に作っておけばもっと被害は小さくなるし、事前からやっておこうじゃないかと。そうすればその後の生活再建も楽になる。具体的には東京都豊島区 上池袋のさくら公園。公園内に仮設住宅を置こうということで、そこにアクセスする道路は今3.5m〜5.5mしかなかったが復興訓練を通して6.5mに事前から整備しておこうということになった。6.5mあれば避難に使えるし救出や救助、災害のあとの物資を運ぶ道路に使える。4トントラックで資材を運べるので、仮設住宅の柱や梁など長いものをトラックで運び込むことができてスムーズに建設できる。東日本大震災のあと、多重防災という考え方が出てきた。これはハード、構造物で多重に街を守ることではなく、構造物+地域の声がけ。地域みんなで避難するソフトの取り組みとの組み合わせ。そうでないと人の命は助からないというぎりぎりの津波防災の方法。首都直下地震でもハードな整備、広い防災公園に加えていざというときに地域の人がどんな対応をしてどう助け合って生活再建をするのか、多重に事前復興を広げたいと思っている。


災害が起きた後のことに「想像をめぐらす」だけでなく、実際 災害が起きた後、「復興しやすい町」に先にしておく。東京の一部ではこうした動きがはじまっています。
ただ、住宅や商業施設の密集した東京の大都市と、地方都市では考え方を変える必要があると市古さん。明日は、大きな都市ではなく、山間部などの自治体にも応用できる、東京・八王子市の事前復興の取り組みについてお伝えします。

2014年2月11日

2月11日 事前復興2

きのうに引き続き、「事前復興」という考え方についてお伝えします。

災害が発生する「前に」被害を想定して、災害直後の生活再建や復興計画をあらかじめ まとめておく考え方、事前復興。これを提唱する、首都大学東京の、市古太郎 准教授によれば、東京ではすでにかなりの数の自治体で住民参加型のワークショップが実施されていると言います。ワークショップとはどんなものなのでしょうか。

◆事前復興まちづくりワークショップ
今東京の自治体の中で13区1市、その中でも豊島区、足立区、世田谷区では先進的に事前復興まちづくりを進めているのだが、長期的に被害イメージを作っていく。地震被害のイメージって直後の直接的な被害、家が倒壊する、火災が生じる、避難生活をしなければいけないというところにとどまるが、東日本大震災で経験したように生活支障がすごく長期的に続く。震災のイメージを長期的なものとして描いたうえで、みなさんそれぞれの地域、町の復興課題とは何なのかをその地域に応じて検討していく。

例えば事前復興のワークショップは4回くらいの連続のもので、大きな災害が発生した時のおおよその時系列でやっていく。1回目は地震発生直後の被害を確認しようというところを想定して出発。2回目は1か月後ないし6か月後の仮住まいの時期。避難所から仮設住宅に移ることを想定して、どこにどれくらいの仮設住宅が置けるのかを検討する。単純に置いてみようだけではなく、町としてどんな生活ができるのか、町が再建するにあたっての復興拠点として検討しようというのが2回目。

3回目〜4回目は復興計画を検討する時期。地震発生から6か月から2年くらいの時期を想定してワークショップを開いていく。最後が重要で、事前復興をやる以前から地域では毎年の防災訓練をやっている。その検討した結果をもとに、毎年の訓練の時に「ここに仮設住宅がたったらおじいちゃん、おばあちゃんは入居する?」と事前復興的な要素を入れて訓練をやっていこうというのが到達点かなと思っています。




このワークショップ、さらに具体的に説明すると、まず最初に地域の住民と専門家で、町を「歩いて」、どこにどんな被害が出るか確認します。そのうえで、仮設トイレが置ける場所、給水車が置ける場所、仮設住宅を建てる場所など、生活再建に役立つ「スペース」を検討することから始めるということです。

東京都豊島区では、2008年からこうした取り組みが進んでいて、すでに3つの町でワークショップが実施されています。

明日も、事前復興についてお伝えします。

2014年2月10日

2月10日 事前復興1

今朝は、「事前復興」という考え方を紹介します。

事前復興とは、災害が発生する「前に」被害を想定して、どのように生活を再建するか、復興計画をまとめておく考え方です。首都直下型地震が懸念される東京を中心に、広がりを見せています。

すでに、東京のいくつかの自治体では、住民参加のワークショップが行われ事前復興の計画を作る試みも行われているんです。このワークショップの企画運営に関わっているのが、首都大学東京の都市環境科学研究科 市古太郎准教授です。



まず、事前復興という考え方が生まれた背景について伺いました。

◆阪神淡路大震災の反省
事前復興は直接的には阪神淡路大震災をきっかけに生まれた。阪神の反省というのは少なくとも2つ指摘したい。1つは仮設住宅の問題。神戸の場合は多くの仮設住宅が元の被害が集中した市街地に建設できず、住み慣れた町から遠く離れて仮設住宅が供給されたため、地域の商店街で物を買って生活していた人たちや、地場の工場で働いていた人たちが町を離れてしまった。そうするとなかなか生活再建自体が困難になり、町の中の再建が遅れる。なのでできるだけ町の中にとどまって、とどまりながら町と生活の再建をしようというのが事前復興の一つのルーツ。もう一つは阪神淡路の時の復興都市計画の問題。東日本大震災とは対照的で、1月31日(発災から2週間)で神戸市、西宮市など被害が集中した自治体が復興ビジョンを公表した。「火災に強い都市を作ろう」というもの。道路を広げて燃えない住宅、燃えない建物をできるだけ建てていこうというのが市役所側の提案だった。ただこの復興ビジョンを公表した1月31日というのはまだみんな小中学校で着の身着のままの生活をしていて仮設住宅の見込みも立っていない、明日の生活すら安定しないところだった。そこで町を大きく改造するプランを出されても到底考えられない。今の生活をどうにかしてくれという状況。まずそっちが先じゃないかということで、行政が示すビジョンと地域の生活再建のニーズが対立した。それが事前復興のもう一つのルーツ。


すでに東京都豊島区や同じく東京・八王子市などでは、事前復興の計画を作るためのワークショップが行われ、計画がまとまりつつあるそうです。明日以降、事前復興計画の具体的な事例も紹介していきます。

2014年2月7日

2月6日 バレエが街にやってくる!@石巻

今朝は、宮城県石巻市で来月開かれる日本を代表するバレリーナの公演についてお伝えします。

公演を行うのは、現在65歳で、いまも現役のバレリーナとして活動する、”世界のプリマ”森下洋子さんと、森下さんが率いる松山バレエ団です。

石巻の復興にかかわる人々や地元の声を受けて実現するこの公演、タイトルは「バレエが街にやってくる!」。実行委員会の副委員長で、地元石巻の 鰻・割烹の老舗「八幡屋」の女将さん、阿部紀代子さんに伺いました。

◆石巻に芸術を広げたい
東日本大震災で大きなホールや市民会館がすべて被災してしまい、町の中にアートや芸術などいろんなものを含めたものを町に展開していきたいと考えて、我々地元の人間だけではなく外の方々の力も借りて町の展開ができればいいなと思い動いている。石巻には石ノ森漫画館という施設があり、そちらの設計をしてらっしゃる人がたまたまバレエの公演を見る機会があって、非常に感動してこの感動を被災地の子どもたちにということで考えてくれてお話をバレエ団にしてくれたところ、「ぜひ被災地で自分たちも踊りたい」とおっしゃってくれて、今回バレエ団が無償出演ということで中学校を舞台に踊って頂くことになった。大きな機会になるのではないかと考えている。地方にいるとなかなか本当の芸術に触れる機会は多くない。そういう中で被災した子どもたちはショッキングなものを見続けた時期があったが、感動的なバレエに触れることで何か変わるのではないかと期待している。


3月15日に行われるこの公演、会場は石巻市立・石巻中学校の体育館。石巻中学校の生徒、保護者、市内の方、復興支援者の方を無料で招待します。そして、この体育館を舞台に、松山バレエ団が演じるのは、ソチ五輪の開会式でも演じられたロシアを代表するバレエ作品『白鳥の湖』!

世界文化賞受賞者でもある“世界のプリマ”森下さんは、石巻で舞う「白鳥の湖」に、どんな思いを込めるのでしょうか。

◆被災地のための“白鳥の湖”
お手紙というかご挨拶状を頂いた。本当に思いがあってこの地で踊って下さるということと、ご自身は黒鳥を踊って下さるということで、私でも知っている有名なのは、黒鳥は四十数回のターンがあり、それはとても難しい技術。それを森下さんが踊るということで今からすごく楽しみにしている。今回は被災地へ向けてのメッセージ性を高めて、と考えているようなのでそういった意味でも、立派な舞台立派なステージとは違う、環境ならではの白鳥の湖を見せてもらえるのではないかと思う。


今朝は、宮城県石巻市で行われる、森下洋子さんと松山バレエ団による公演「バレエが街にやってくる」についてお伝えしました。

☆石巻復興支援 松山バレエ団出演公演『バレエが街にやってくる』
日時:3月15日(土) 午後1時開場 1時20分開演 3時終演
会場:石巻市立 石巻中学校の体育館

また、この公演は入場無料、松山バレエ団も無償で協力する形ですが、舞台装置などの費用が掛かるため、現在、全国からの寄付を募っています。鑑賞希望、寄付など詳しいお問い合わせは、公式ウェブサイトから⇒『バレエが街にやってくる!』公式ウェブサイト

2014年2月6日

2月6日 続・桜ライン311

岩手県陸前高田市の「桜ライン311」。
津波の恐ろしさを忘れずに、次の世代に伝えようと、津波の到達点に桜の木を植える取り組みが行われています。これまでに植樹した桜は、161カ所、647本。総延長は6.5キロほどになりました。


お話は、「桜ライン311」の、岡本翔馬さんです。

◆震災から3年の課題。
やっぱり一番難しいのは、土地の地権者さんに許可をいただくこと。津波の到達地点の地権者さんに許可をいただいて、始めて桜の木を植えられるので、土地の確保は活動当初から引き続き注力している。あとは、もうじき震災から丸3年になるが、わたしたちは活動資金を全国の皆さんからの寄付でねん出しているので、ずっと長く活動していくだけの寄付を集めることが、これからさらに難しくなってくるのかなと思う。
震災が風化はある種正しいことなのかなとも思うが、陸前高田市は津波で本当に多くの方が亡くなられた。その時の「悔しい想い」は風化させてはいけないと思う。実際、陸前高田に限った話ではなく、災害は日本全国どこにでも起こり得る。全国の皆さんにも災害が起きた時に、自分だったらどう備えて、どう行動できるかを考えるきっかけになったら、と思って、活動している。


また、「桜ライン311」では、昨年から地域の学校と連携。
防災教育に主眼を置いた植樹会をスタートしています。
 
◆桜ライン_学校との連携
2013年11月から学校さんと連携して植樹会を行っている。小学校、中学校、高校。次の世代を意識しなきゃいけないなと思っていて、桜ライン311としては今後1万7000千本を15〜20年くらいの間に植えていければいいなと思っているが、植えて終わりではなく、桜のラインを保管したい。
土地の皆さんに認知して、愛されるものにならないと、と思う。そうすると、次の世代にどれだけ参加してもらえるかが非常に大切。陸前高田市の管内の小学校、中学校とも、積極的に植樹会をしていきたいと思う。


陸前高田の桜ライン、沿岸部171キロのうちの、6.5キロ。一歩ずつですが、着実に前に進んでいます。また、3月15日に「春の植樹会」が予定されているが、こちらの植樹ボランティアはすでに人数に達しているということです。

陸前高田の桜の開花は、例年だとゴールデンウィークあたり。春に向けて、開花が待ち遠しいですね。

「桜ライン311」のオフィシャルサイト

2014年2月5日

2月5日 気仙沼地域エネルギー開発3

月曜日から3日間、宮城県・気仙沼市でスタートした再生可能エネルギーによる街づくりをお伝えしてきましたが、今日でラストです。

この計画では、まず気仙沼の7割を占める山林から出た間伐材を、企業が買い取ります。間伐材を燃料に電気と熱を作り、電気は電力会社に販売、熱は地元のホテルなどの空調に利用します。

こうすることで、エネルギーも、お金も地域を循環するようになり、さらに、手入れされた森は、海の環境も良くしてくれる・・・という風に、持続可能な町づくりを目指すのがこの計画です。

これを主導するのが『気仙沼地域エネルギー開発』の代表・高橋正樹さん。元々、気仙沼でガソリンスタンドなどを経営していた高橋さんは、この取り組みに、不思議な縁を感じると言います。

◆曽祖父から受け継いだもの
実は、僕自身は関係ないが僕の曽祖父、ひいじいさんは製材業をこの地で始めた人。うちの親父の代までは製材業で、僕が次ぐ前に(会社を)整理した。製材の需要が終わったんじゃないかと、うちの親父は製材所を畳んだんですが、山に行くと意外と「お前のひいじいさんには世話になった」とか「じいさんは知っているぞ」というのが結構あって、そういうDNA、運命はあったのかなと思っている。全く無縁のものではないと思っている。とはいえ木のことは全く素人で分かっていなかった。本当に目からウロコ、ウロコすらなかったくらい新しい発見ばかり。山に入ると疲れるが清々しい気持ちになるし、清々しいおじさん、おばさんもたくさんいる。そういう意味では新しい発見とともに石油にはない素晴らしさ、地域で消費され地域で豊かになる。石油をただ売っているよりは意義がものすごくあるな、という気持ちになっている。そして今回、買取制度で循環が上手くいけばそれなりに利益が残ると思う。今度はそれを次の持続可能な社会のために。超高齢化社会になっていき、こういう地方都市ほど少子高齢化が顕著だから、交通手段さえ公共のバスさえ運営できなくなっていく。そういうものにもどんどん森のエネルギーが利用されて、材が利用されてという街の循環になっていけばいい。全部に波及効果があるように仕掛けられると良いと思っている。

                                 
震災からもうすぐ4年目を迎える中、こうして、震災の教訓を活かした新しい町づくりが始まろうとしています。このような取り組みは全国でも珍しいとか。軌道に乗せて、全国にも広がることを期待します。



気仙沼地域エネルギー開発

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2014年2月4日

2月4日 気仙沼地域エネルギー開発2

引き続き宮城県・気仙沼市から、再生可能エネルギーを利用した街づくりをご紹介します。

市の復興計画をもとに、企業や住民が推し進めるこの計画は、町の7割を占める山林から切り出した「間伐材」を使います。まず間伐材を企業が買い取り、それを燃料に発電して電力会社に売電。さらにその過程で発生した熱は、地元のホテルの空調などに利用するというものです。

ここでキモになるのが、気仙沼の山林の所有者から、間伐材を「買い取る」システム。『気仙沼地域エネルギー開発』の代表・高橋正樹(まさき)さんに伺いました。

◆お金もエネルギーも海への養分も循環する!
木造建築がなくなったあたりから木材の単価が安くなり、だれも山に手を入れなくなった。そこの間伐をちゃんとできるような値段で発電事業で買えれば、山は豊かになる。モノはすぐ近くにある。地元の木材で発電をしてその電気を買ってもらい、できた熱は地元で利用する。お金は地元で利用する。お金が回り山が豊かになれば養分が海に流れる。お金もエネルギーも海への養分もまわる。循環する理想が今回の事業。

山から出た材を買い取るときにお金が発生する。市場価格で買うとだれも出さないので少し高めに買い取る。高くする分のひと工夫として、相場の値段は1トン=3000円を現金買い取り、それに加えて地域通貨・リネリアを出す。被災して仮設で営業しているような商店のためにも地域でつかえる通貨を発行、お金が地域で循環するようなひと工夫で、モノとエネルギーが流れる形になる。

高橋 というわけで、間伐材の買い取り価格を補うのが、地域通貨・リネリア。価格はおおまかに、1トンにつき現金3000円+リネリア3000円と想定されています。つまり市場価格のおよそ倍で買い取る形になるそうです。地域通貨なので、地元の商店街などにお金が回るというメリットもあります。



実は一昨年12月から、すでに買い取り事業はスタートしていて、説明会には、買い取りに関心のある方が多数 参加しています。


◆地元の方の声
(女性・山林所有者) 山があるんです。50年くらいは経つ。どうなっているか全然。最近は見ていない。
そのまんま放置してもったいない。だからこういう風にエネルギーに利用していただけるならと思っている。
(男性・林業経験者)2年弱森林組合に勤めた。切り捨て間伐という間伐方法があり、山の中に木を残してきてしまう。間伐材買取ということで、どういう形での買取になるのかというのが興味があって来た。


間伐材の買取りがスタートして、まる1年が経過。この間伐材は、チップに加工され、発電施設の燃料になります。その発電施設は、3月に稼働をはじめる予定! 現在、急ピッチで建設が進んでいるということです。

また間伐材をチェーンソーで切る人のためのチェーンソー講習会もやっているとか。つまり、林業関係の新たな「雇用」も生まれる! しかも森が手入れされれば、森から川を通じて栄養が海へと注ぎ自然環境にも良い影響を与えることになります。この計画が順調に進めば、被災地だけでなく各地のエネルギー行政や林業にも、大きなインパクトになるかも知れません。

明日も、気仙沼地域エネルギー開発・高橋さんのインタビューをお伝えします。



気仙沼地域エネルギー開発

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2014年2月3日

2月3日 気仙沼地域エネルギー開発1

今週は、宮城県・気仙沼市から、再生可能エネルギーを利用した街づくりをご紹介します。

再生可能エネルギーというと、太陽光や風力などが有名ですが、気仙沼の企業や地域住民が取り組んでいるのは、地元の森から出る木材、主に間伐材をエネルギーとして活用しよう、というものです。

この取り組みのきっかけとなったのは、東日本大震災です。お話は『気仙沼地域エネルギー開発』という会社の代表・高橋正樹さん。元々、地元でガソリンスタンドなどを経営していた高橋さんは、震災直後、エネルギーの重要性を痛感したといいます。

◆地元のガソリンスタンドがすべきことを考えた
震災当時、この地域で漁船への燃料補給をしていた。あとは地域の一般家庭の灯油やガス、ガソリンスタンドをやっていたが、津波で15事業所のうち13を被災し、2か所残った。それがガソリンスタンドだった。社員それぞれ津波の時は避難していて避難所で集まったのだが、寒かった。被災者は寒さをしのぐため車で暖を取ったというニュースを見ていた。津波で何が起こったかわからない状況だが、エネルギーを供給しなければという話になり、翌朝には日の出とともにスタンドへ行った。そんなことを翌朝からはやっていた。


こうして高橋さんと従業員は震災直後、避難者がクルマで暖を取るための燃料補給や緊急車両への給油を続けたと言います。

そして2011年6月。気仙沼に、「震災復興市民委員会」が発足。高橋さんは委員会の座長として、町の復興計画に関わることになりました。その計画に盛り込まれたのが、気仙沼の豊富な森を活用するアイデアでした。

◆気仙沼の森を活かして
震災後6か月で気仙沼市の復興計画ができて、その中にエネルギーの話があった。新しい復興後の町には再生エネルギーをどんどん導入していこうと。震災の時に石油もなく電気もなく苦労したので、エネルギーの分散を考えながら地域のエネルギー、地域で作れるエネルギーを導入するべきではないかというのが計画に盛り込まれた。当然、太陽光や風力が有名だが、考えると気仙沼は海の町という印象があるが70%が山。山のエネルギーを里の復興に使えたら素晴らしいと思い、市の職員もぼくらも林業者にあたった。しかしリスクも伴うということでだれもやらない。復興計画を立てた僕も市民の一人だったので、「高橋さん、あなたはエネルギーに携わっているでしょ、化石燃料の仕事だが詳しいからやれるのではないか」という話がどんどん盛り上がってしまい、総務省の補助金での研究事業として1年間どうですかという話になり、研究だったら復興でこういう機会もめったにないからチャレンジしてみないか、ということでスタートした。




こうして気仙沼では、森から出る「間伐材」を利用した、『木質バイオマス』という、再生可能エネルギーを中心とした街づくりの計画がスタート。これは、作った電気を電力会社が買い取る「固定価格買い取り制度」を利用するものなんですが、どういう仕組みなのかは、明日お伝えします。

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パーソナリティ 鈴村健一

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