2014年3月31日

3月31日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師1

今朝は、この番組では何度も取り上げています。『東北 食べる通信』の続報です。東北の、農業・漁業に携わる“生産者”を取材した記事とともに、その「生産物」が、付録としてついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”が、「東北食べる通信」です。

その2月号の付録が、宮城県 東松島市で、今年最初に獲れた「一番摘みの海苔」!生産者は、東松島 大曲浜の海苔漁師・相澤太さん、人呼んで、「海苔の顔が見える 職人漁師」です!


◆海苔の顔が見える職人漁師
味と言うか、海苔は種付けから育苗で、赤ちゃんの育て方で将来が全部変わる。今の海苔がどういう表情をしているのか、喜んでいるのかきつそうな顔をしているのかはわかるってことですよ。


相澤さんは現在34歳。おじいさんの代から続く海苔漁師さんです。2009年には海苔の品評会で史上最年少優勝を果たし、その海苔は皇室にも献上されています。

今では地元海苔漁師の間で“若きエース”と言われる相澤さんですが、高校時代はサーフィンばかりしていたそうです。
転機が訪れたのは高校卒業の時。一度就職していつかは漁師になろうと考えていた太さんに対しお父さんは「今、やる気がないならやるな」と一喝。太さんは腹をくくり海苔漁師の道へ進むことを決意して、九州・熊本県にある、海苔の種づくりの会社へ、単身修行の旅へ出たと言います。

◆品評会で優勝して、いろんなものが見えた
海苔漁師を19歳からやりはじめて、九州での研修を終えて帰ってきて変な自信があった。自分は勉強してきたんだ、と。でも帰ってきて色々やってみると何も分からずコテンパンに打ちのめされた。こういう仕事って経験がある人がわかっている。海のこともどうやったらいいものを作れるかも。だから人の仕事を見るようにした。海で張っている網を見て、失敗した人のも成功した人のも見る。おやじは一切教えてくれなかったんですよね。だから見た分だけ経験にできた。23歳でたまたまだ乾海苔の品評会で準優勝を取れた。それでさらにそこから優勝をしたいと思うようにあった。良い海苔を取れるように勉強して、28歳ではじめて優勝。それと同時に色んなものが見えてきた。良いものを作り続けても漁師はいなくなる。良いものを作ったって消費者に届いていない。問屋さんは「海苔は10年くらいストックできるからね」と言う。10年前の海苔が当たり前に市場に出回っている、味がないし風味がないのは当たり前。それにすごくショックを受けた。だったら俺は見た目じゃなくて美味しいものを作らないと、と思った。それまでの品評会は見た目重視でいかに問屋に買ってもらえるかが、良いものの基準だった。問屋さんが言う良いものは、色つやや味もあるが、やはり”歩留り”。壊れにくくてストックしやすい、モノがそろっていて扱いやすい海苔。味じゃない。だから、やっぱりここは俺の世代だ、こういう漁業や市場を変えるのは俺の世代。自分でもっとおいしいものを作ろうとやりだした。

                   
こうして相澤さんは、20代で海苔づくりに夢中になっていきました。海の上で育てる海苔は、こまめに育成状況を確認する必要があり、 相澤さんは「海苔が心配で、船の上で眠ってしまったこともある」そう。こうして朝から晩まで海苔に寄り添い続けているうちに、相澤さんは「海苔の顔がわかる」ようになった…といいます。


※東北食べる通信 情報はこちら

2014年3月28日

3月28日 ワカメロールケーキ@南三陸歌津

今朝は、宮城県南三陸町の歌津地区の新名物、「パティスリーくりこ」の「絆ロール」に注目します。

オーナーパティシエ・三浦宮倫子さんが手掛ける「パティスリーくりこ」は、実家でもある歌津の老舗ホテル「ニュー泊崎荘」の中で、6年ほど前から、手作りのロールケーキを販売していました。

震災と津波で歌津は壊滅的な被害を受け、高台で難を逃れた「ニュー泊崎荘」は臨時の避難所に。そんな状況が、震災前までは、どちらかというと〔趣味に近い経営〕だった三浦さんの心境に大きな変化をもたらしたといいます。

◆みんな着の身着のままでセンターに。ここは国道から10分くらい入った場所で、途中の道路が津波で寸断され、自衛隊は来れず陸の孤島に。食料もなく、11日は飲み物や毛布をセンターに持っていくので精いっぱい。次の日からロールケーキを配った。(皆の感想は?)〜食べたよありがとう!また作ってね!という声が聞けた。(震災を機に意識が変わった?)〜震災前は、売れても売れなくてもいい、趣味程度だったけど、震災後は働く場所が無く、雇用を産む、雇用を守る、ということにもつながるのに気づいて、頑張ってる。

それまでは実家のホテル内で、一人でロールケーキを作って販売していた三浦さんは、震災後、「絆カンパニー」を設立。約10人のスタッフを新たに雇用して、今では、南三陸や気仙沼の仮設商店街、東京のアンテナショップ、インターネット販売と販売網を拡大させています。


そんな「パティスリーくりこ」の「絆ロール」には、生クリームたっぷりのプレーンのほか、抹茶、小倉、ずんだ、メープル、モカ、ごま、かぼちゃ、くるみ、チョコ、キャラメル、コーヒーなどなど、多彩なメニューが揃っていますが、中でも注目は、南三陸の名物「ワカメ」をつかった、「ワカメロール」です!

◆ワカメロール
南三陸町はワカメで経済が成り立ってる。ここが復興していくには漁業が盛り上がることが一番の近道なので、ロールケーキを通じてワカメを知ってもらえたら。試食販売なんかするとみんな2度見していく。“ワカメロール?”みたいな。んで食べると“あ〜こんな感じ”と新発見した感じで反応はいい。(これからどんな気持ちでケーキ作っていきたい?)〜いまここまで来れたのは、全国で応援してくれた人がいたから。その気持ちを忘れずに作り続けたい。


「絆ロール」は、歌津の「ニュー泊崎荘」のほか、南三陸町や気仙沼の仮設商店街など
約20軒で販売しています。
またネット通販も開始しました!こちらから購入いただけます。

2014年3月27日

3月27日 cafeはまぐり堂@石巻・牡鹿半島4

宮城県石巻市・牡鹿半島・蛤浜にある、「cafeはまぐり堂」について、月曜日からお伝えしてきました。

カフェをきっかけに、蛤浜の再生を目指しているのが、オーナーの亀山貴一さん。「やりたいことは無限にある」という言葉がありましたが、本当に蛤浜では、色んなプロジェクトが実現しはじめています。亀山さんは今、その目線の先に何を見据えているのでしょうか。

◆蛤浜が目指すもの
(蛤浜は)3世帯で、住んでいるのは2世帯。私は通っているので人口は5人。「こんなところで飲食店をやったって(客は)くるわけねえ」とバカにされて始めたのだが、オープン初日から50〜60人くらいが来てくださって、夏場の多い時は100人を超えたり。波はあるが1か月に1000人くらいの人が来て下さっている。

そんな中で、いいなと思って移住してくれる人が増えればよいと思っていたが、最近は考え方が変わってきた。日本は人口が減少してきているので逆に少なくとも成り立つ仕組みを作ろうと思っている。色んなところとの交流によって成り立っていく、住んでいる人は少ないが昼間はいっぱい人がいて常に作り続けている、みたいな。浜と連携して漁業や加工品を作ったりとか。その向こう(の浜)は30軒くらい家が残っているがほぼ高齢者なので空き家が出てくる。そこをリノベーションしてシェアハウスにしたり、モノづくりの人に移住してもらったりして、今から山の方にも着手したい。田舎暮らしをしたい人が、住まないんだけど畑をやったりみんなでワイワイやったりというのが出来たらいいなと思っている。

蛤浜に収まり切れなくなってきているんです。うちで出来ればどこでもできる。牡鹿半島だけで集落が30ある。小竹浜、折浜、蛤浜、桃浦、月浦、侍浜、荻浜、小積浜、牧浜、竹浜、孤崎(浜)、鹿立(屋敷)浜)、福貴浦、小網倉(浜)・・・ぐるーっと牡鹿半島を回っていく。田舎の素晴らしさ、自然の美しさ、美味しいもの。世界三大漁場で魚種も多いし、石巻は川も会って米も野菜もなんでもある。自分も失うものはないし、あと1年、2年したらどうなるか・・・。


亀山さんによれば、いま蛤浜では、外資系の金融大手の支援を受け、キャンプ場も整備されたといいます。また、大きな木の上に家を建てる、いわゆる「ツリーハウス」のプロジェクトも始まっていて、あの糸井重里さんも協力に乗り出しているとのこと。もちろん、蛤浜で元々暮らしていた、お隣のお母さんが浜で獲れた海苔を持って来たり、、、という協力もあるそうです。

数年後の蛤浜はどうなっているのか。そこには、亀山さんが言うように、被災地だけでなく全国の地方都市がお手本にするべき地域の在り方があるのかも知れません。



『cafeはまぐり堂』サイト

蛤浜再生プロジェクト

2014年3月26日

3月26日 cafeはまぐり堂@石巻・牡鹿半島3

引き続き、宮城県石巻市・牡鹿(おしか)半島にある、「cafeはまぐり堂」についてお伝えします。

お話を伺ったのは、牡鹿半島の付け根「蛤浜」に、去年、cafeはまぐり堂をオープンした、亀山貴一さんです。震災前、9軒あった蛤浜の集落は、現在たった3軒。亀山さんは生まれ育った浜を、なんとか残したいと考え、カフェはまぐり堂をきっかけに、集落の再生へ動き出しています。


◆やりたいことは無限にある!!
浜は人口減が続き、漁業も衰退している。それはここ(蛤浜)だけじゃなく全部の場所の課題なんですが、まずは6次産業に結びつけて漁業のベースアップ、漁業以外の産業を仕事にできるものを作りたいなと。あとは自然環境や浜の暮らしを活かした学びの場を作って、魅力のあるアートな浜にしたい。カフェは目的ではなく、浜の魅力を伝えるための手段。
隣の家も津波で奥さんが流されて引っ越したので買い取った。最初はゲストハウスにしようと思ったが宮城県からゲストハウスの許可が下りない。私が漁師になれば漁家民宿ということで宿の許可が出る。グリーンツーリズム。農業では先駆けてそういうのをやっていたが漁業ではほぼなかった。今この家を解体して5月オープンに向けて動いている。(漁師は)もともとやりたいと思っていた。もちろんジビエにも力を入れようと思っていて、うちの料理担当はハンター講習へ。畑をやっても野菜は鹿に食べられてしまうので、逆に名物にできないかと鹿カレーを出したり。来月には養蜂を習い、蜂を買って蜂蜜を取る予定。鶏を飼って卵を産ませて、お客さんに自分でかまどでごはんを炊いてもらう。「あそこで卵を取ってきてください」といって、海の見えるカウンターで卵かけごはんでも食べてもらおうかと(笑) あとは塩田も作ろうと思っている。大学と組んで昔ながらの揚浜式塩田の塩田で塩を作る。加工品に色々使ったり料理にも出したり。
宿は1組限定、浜の暮らしを楽しむ宿にしようと思っている。オプションで山のトレッキング、カヌーに乗れたりと体験を選べるようにしようと思っている。やりたいことは無限にある。今まで何百年、何千年と歴史があるのがなくなろうとしている。なんとか残せたらいい。次にバトンタッチできるように。今はどこもピンチ。ここでどうするかが問われている。


LOVE&HOPE。明日も、cafeはまぐり堂・亀山さんのお話お届けします。

蛤浜再生プロジェクト

2014年3月25日

3月25日 cafeはまぐり堂@石巻・牡鹿半島2

きのうに引き続き、宮城県石巻市・牡鹿半島にある、「cafeはまぐり堂」についてお伝えします。



牡鹿半島の付け根、「蛤浜(はまぐりはま)」にあるから、はまぐり堂。築100年の古民家を改装したお店です。お店を切り盛りしているのは、この古民家で生まれ育ち、震災直前まで、奥さんと暮らしていた 亀山貴一(かめやま・たかかず)さん。元々、地元の水産高校の先生だった亀山さんは、津波の被害で、たった3軒になってしまった蛤浜の小さな集落を守ろうと企画書を手に、走り回ったそうです。

◆想いが集まって実現したカフェ
教員をやりながら、この浜を残す方法はないかと。人を集まる場所を作ろうということで、カフェや宿を作って、海を活かしたマリンレジャーや自然学校もできればいいなと一人で企画書を作って仕事が終わってから、夜に色んな人に会うというのを3か月くらい続けていました。なんとかならないですかね〜と動き回っていたけど一緒にやってくれる仲間もいないし資金もないので頓挫していた。そんな中、今一緒にやってくれているスタッフの仲間が来てくれたんですね。現在のスタッフ5人中3人は県外からの移住者。彼らはもともとNPOに所属していて1年くらい泥かきとか店舗の再生をやっていた人たち。年代も30歳前後だった。「じゃあまあ、自分たちでやりますか」ということで、津波を免れた家(自宅)で、床張りは大工さんにお願いしたが、漆喰塗りは自分たちでやったり。カウンターは廃材をもらってきて作ったり。動き始めているうちに活動に賛同して募金を集めてくれる人、個人的に寄付してく出さる方が出てきて、それでウッドデッキの材料を買ってみんなで作ったり。個人の想いが集まってのスタート。最初は、自分はプロジェクトを考えて、誰かがやってくれればいいな思っていた。実際周りには教員をやめるなと言われていた。でもやっぱり本気になって自分がやらないとなということで、ちょうど3年生の担任だったので卒業生を送り出すと同時に自分も退職。丸2年にぶつけて3月11日にオープンした。


こうして去年3月11日、カフェはまぐり堂はオープンしました。今では、週末になると本当にたくさんのお客さんが来るお店になっています。県外から観光で来る方はもちろん、窓際の席で海を眺めながら一日カフェで過ごす近隣の方もいるんだそうです。




ちなみに地元食材を使ったカフェごはんはとても美味なんですが、それだけじゃなく、コーヒーもしっかり良い味のものを出してくれます。亀山さんによれば、こだわりの豆を扱う地元のお店から仕入れているということです。


明日も、cafeはまぐり堂・亀山さんのお話お届けします。

『cafeはまぐり堂』サイト

2014年3月24日

3月24日 cafeはまぐり堂@石巻・牡鹿半島1


今朝は、宮城県石巻市・牡鹿半島の小さな集落にある、一軒のカフェを取り上げます。

カフェの名前は「はまぐり堂」。場所は、石巻市・牡鹿半島の付け根あたり。リアス式海岸の急勾配にある、築100年の古民家を改装したお店です。

経営しているのは、震災前、この古民家で暮らしていた32歳の若い男性。亀山貴一さんです。



◆浜の魅力を伝えるカフェ
おススメは、カレーも牡鹿半島の鹿を使っている。浜の魅力を伝えられるカフェにしたい。牡鹿半島で生まれ育ち、ここが好きで暮らしてきた。豊富な食材と、海と山、その魅力をもっと出せるようなものを作りたいと思っていた。季節の海産物を使ったハマグリセットや地元の海苔を使った海苔のパンのセット、牡蠣のシチュー。牡蠣のシチューはとなりの(蛤浜の)区長さんが牡蠣養殖をやっているのでそこから買ったり。うちの親父が魚屋をやっているので、今日の包み焼きは家から持ってきたり(笑)


ちなみに、このカレーは牡鹿半島のブランド鹿「絹紅葉」の鹿肉を使っています。

牡鹿半島には「浜」という小さな集落が点在していて、cafeはまぐり堂があるのはその一つ「蛤浜(はまぐりはま)」。

震災後、亀山さんが蛤浜にお店を開こうと考えた理由。それは、このままでは失われてしまう「浜の暮らし」を、なんとか取り戻したいという想いでした。

◆生まれ育った浜を残したい
(蛤浜で)生まれ育って高校生までここで育ったが、父が魚屋を新しく建てる時に移転、その後、私は水産高校の教員に。この浜に住みたかったので、教員になったあとは女房と2人で震災前まで丸3年一緒に暮らしていたが、津波で女房が亡くなり、学校も被災して、浜は壊滅。生徒も8割が被災。生徒ととにかく日々生きるという感じで1年を過ごした。
元々牡鹿半島でも一番小さい浜で9世帯しかなかったが、震災から1年後に戻ってきたら民家は3軒しか残っていなかった。コミュニティとして成り立たない。残られていた方もこの先どうなるのかと不安な様子だった。でも、うちの民家は残った。教員をやりながらなんとかこの浜を残す方法はないかと、人は少なくなってしまったが、人が集まる場所を作ろうということでカフェや宿を作ったり、漁業も1軒だけになってしまったので、海を活かしたマリンレジャーや自然学校もできればいいなと思って一人で企画書を作り、当時入っていたNPO団体や大学、役所にもっていって実現へ向けて動き回っていた。でも、こういう小さな辺ぴなところなので厳しかった。


亀山さんは、祖父が漁師、父親が魚屋さん。その影響を受けて、魚の研究者になろうと大学の研究職に就き、その後、地元の水産高校で学校の先生に。震災後は、学校の先生を続けながら蛤浜の再生を企画書にまとめ、お休みの日に、支援者を募るため走り回ったそうです。しかし、支援者はなかなか見つからなかったと言います

明日は、cafeはまぐり堂オープンの経緯、亀山さんが考える蛤浜の「未来の姿」についてお伝えします。


『cafeはまぐり堂』サイト

2014年3月22日

3月21日 いしのまきトラベルレストラン(5)

石巻の農業・漁業体験をして、そこで出会った食材を使ったレストランで食事を楽しむイベント、「いしのまきトラベルレストラン」その第1回の模様です。

第1回・トラベルレストランのテーマは、「石巻、浜のお正月」。ということで参加者一行が最後に体験したのは、お正月の風景に欠かせない、「しめ縄づくり」です。


稲わらをネジって、紡いで、紙の飾りをつけて・・・最後に、いわしの田作り、昆布と松の葉っぱを挟んで、しめ縄の出来上がり! 教えてくださったのは、しめ縄飾りの職人。祖父の代から受け継ぐ3代目、小野幸一さん。普段は農家をされているそうです。


小野さんの手さばきは早くて見えないほど。わらを数本束ねて根元から くるくるくる・・・っと。いとも簡単に編んでいきます。参加者は試行錯誤。それでも小野さんに教わりながら、一人1本作って、お土産に持ち帰りました。

こうした石巻のお正月文化を体験した「いしのまきトラベルレストラン」。企画した地元の街づくり団体、ISHINOMAKI2.0の代表、松村豪太さんに振り返って頂きました。

◆浜のお父さんお母さんに、もてなす楽しさを知ってほしい
その名の通りずっと食べていた1日でした。それだけここには美味しいものがたくさんあるってことですね。このプログラムは交流人口を増やすこと、それは被災地の大きな命題ですが、同時に、地域の人にもてなす楽しさを知ってほしいというのがあります。土地の人が自分の町、「おらが浜」を自慢できるところはたくさんあります。それは外から来た人にとっても楽しいはずです。このプログラムは地元の料理人、漁師さん、各家庭の料理を提供するお母さんたち・・・本当にたくさんの方が、ホスト・キャストとなって、おもてなしができた会でした。本当に良い交流をして頂けたと思う。


◆参加者の声です。
「まず人が優しい、あったかい。おもてなしの心がすごいある。食べ物でもただ食べるだけじゃなく食べ物を通して、地域のこと、人との交流、食文化の話があったり かなり満足度は高いです!」
「おばちゃん達がすごく元気で生き生きとお話されるのが印象的。シリーズで季節ごとにやるというので、また来てみたいです。」

次回の開催は夏ごろを予定しているそうです。
ぜひ「いしのまきトラベルレストラン」のサイトで情報チェックしてください。

2014年3月20日

3月20日 いしのまきトラベルレストラン(4)

石巻の農業・漁業体験をして、そこで出会った食材を使ったレストランで食事を楽しむイベント、その第1回の模様です。

牡鹿半島の「浜」で、お雑煮やおせち料理を楽しんだ参加者一行は、ふたたびバスに乗りまして、次の目的地、「牡鹿半島・鮎川浜」へ。道中、バスの中では、地元の方が 被災地の現状を語るシーンもありました。


◆鮎川浜の現状
「被災して3年目なので、ボランティアさんも少なくなり買い物も来なくなりました。鮎川という町は密集していたのですが今は全然何もない街です。昔はホエールランドとかクジラの博物館、捕鯨船もあったが今は捕鯨船が1そう丘の上に残っているだけ。うちらがどうしても商売がやりたいということで仮設の「のれん街」を作って頂いて、いまはそこで営業しているがなかなかお客さんの足が遠のいて、閑古鳥もよいところ。津波が来たとき、あそこに家があって年寄りが1人、波が来る中「たすけて」と叫んでいたが、私たちは見ているだけで何もできなかった。それが時々目に映るし、水が引いてから役場の人が消防の人と見に行ったら、やはりおばあさんが亡くなっていた。その人が一番最初の犠牲者でした。」


バスの中で、津波被害について語ってくれたのは、鮎川浜の復興商店街「おしかのれん街」で、お魚屋さんを営む女性です。 のれん街に到着後、参加者一行は、お土産物を買ったり、お店の方とコミュニケーションをとったりしました。 おしかのれん街に、のれんを掲げる一軒のお寿司屋さんのお話です。


◆地元を離れず・・・
「黄金鮨です。お店も流されて自宅も流されて、震災を機に代替わりして、オヤジと弟と3人でやっています。調査捕鯨も2012年から再開したし牡鹿で4月〜5月に60頭、釧路で60頭の120頭を獲ったがそれ以上に定置網に間違ってはいるクジラがいる。そのクジラが宮城県、岩手県、千葉から陸送して、こちらにしかない解体できるちゃんとした設備にやってきている。それが流通してもよいということになっている。そういうクジラが入ってきているが、こういう人口で商売するのはきつい。震災後は恩恵があってお客さんが来てくれたが3年が経過して、震災前の状況に戻ってきた。ただ、嘆いてばかりはいられないのでとにかく美味しいものをだしたいし、食べ物でお客さんを呼びたい。このあたりで獲れるクジラの握り、うちのおやじが商業捕鯨が禁止になってから作り出したんだけど、クジラは捨てるところが無いくらい無駄にしていない。ベーコン、舌(さえずり)とか色々と出しています。何十年もかかるだろうが地元を離れずに挑戦していきたいです。

 
明日も、いしのまきトラベルレストランの模様をお届けします。
 

2014年3月19日

3月19日 いしのまきトラベルレストラン(3)

農業・漁業体験と、そこで出会った食材を使ったレストランを楽しむ「いしのまきトラベルレストラン」、2月に行われた第1回の模様をお届けしています。

この回のテーマは、「浜のお正月」。宮城県石巻・牡鹿半島に点在する「浜」という集落の、さまざまな出汁を使ったお雑煮を楽しんだ参加者一行。このあとさらに、石巻ならではの、お正月のごちそうに舌鼓を打ちました!


このおせち料理を作ったのは、石巻で100年の歴史を持つ滝川の料理長、阿部司さん。お節は、地元の海産物が盛りだくさん!阿部料理長は丁寧にお節の食材を説明してくれました。

◆石巻のうまいものぎっしりおせち料理!
牡蠣のオイル蒸しにはじまり、タコの柔らか煮、15キロを超える大きい水ダコでした。それからアナゴの裏付け、これも地元のアナゴです。それから焼き魚は鰆の幽庵焼きです。一番手前の白いのはアワビです。これも石巻で獲れる大きいアワビ。かつおだしを利かせたもので炊いていきます。食べて頂きたいと思います。



地元の老舗料亭「割烹滝川」は、釜飯が美味しいと評判のお店です。震災の被害を乗り越え、大正3年からの看板を守る4代目料理長・阿部さんも、今回の企画は、勉強になることが多いと話します。

◆浜のお母さんから学ぶことは多い
生まれは女川町の水産加工会社の二番目の息子でした。お雑煮は実家で食べていたものと近いものがあります。不思議なのは、材料はだいたい同じだが出汁が違うというか風味があって違う。あとでまたお母さんたちに聞きたいなと思っているんですが、コツというかそれぞれの特徴はどう違うか、分かれているのかは興味がわきました。地元に長くいらして、仙台からの調理法、撮れるものや撮れる時期の美味しさは浜の方たちが一番詳しいと思うんです。そういうところを我々も学ぶべきだし、もっと地元の食材を大切に思うのであれば、そういうところから知らないと、地元の料理人としては恥ずかしいかなと。それくらい研究していかないと。まだまだ知らない料理も食材もいっぱいありますし、創業100年だからどうしたというのがあって、京都とかにいくと400年というのがざらにある。100年というのは大した・・・。

           

いしのまきトラベルレストラン。これで終わりじゃありません。まだまだこの後も、貴重な体験がいっぱいあります!この続きは明日!

 

2014年3月18日

3月18日 いしのまきトラベルレストラン(2)

引き続き、「いしのまきトラベルレストラン」の模様をお伝えします。

石巻の農業や漁業体験を満喫して、そこで出会った食材を並べたレストランも満喫しちゃう!という観光プロジェクトがトラベルレストランです。2月に、20人ほどの参加者で行われた、第1回のテーマは「浜のお正月」。石巻・牡鹿半島のお正月文化を体験するものでした。

ということで地元のコメ農家さんに教わって、お正月行事の「お餅つき」を体験した参加者一行。次は、つきたてのお餅で、地元のお出汁を使ったお雑煮を頂きました!


石巻市・牡鹿半島には、「浜」と呼ばれる、小さな集落がいくつもあって、なんと、浜ごとに「だしの取り方」が違うんです。この日は、アナゴやホヤを使った出汁のお雑煮でしたが、ほかにもタコやアワビ、フグでだしを取る浜もあるそうです。というわけでお雑煮を作ってくれたのは、もちろん浜で暮らす人々。それぞれの浜のお母さんたちです。

牡鹿半島の浜のひとつ荻浜のお母さん江刺さんは、「喜んでもらうのが一番だよね。食べておいしかったと。おいしくなくてもおいしかったって言ってるかも分からないけど(笑)シニアのごちそうですから。ババアじゃなくてシニアです。」と嬉しそうの話してくれました。また、子どもの頃はハゼが獲れたのでハゼの雑煮が多く、農家だとホヤのダシが美味しいということも教えてくれました。浜の魅力について尋ねると、「津波の時は浜に住めないかと思ったけっども、やっぱり浜が一番。もう一回仕事がしたいという意欲が出た。これから牡蠣むき、種付け、殻さしやら仕事があるし一年中仕事はある。健康であればなんでもできる。みんなショックでへこたれたけど私はへこたれない。無くなったものは出てこない。流されてしまったんだから。健康で前に進むのが一番だと思っている。泣いたって仕方がないから。」

そして、隣に座るお母さんのことも気遣いながら、「身内で亡くなった人がいるのは悲しい。このお母さんも嫁さんと孫ちゃんを亡くした。大変だったと思う。でも前に進まないと。常に笑顔は絶やさないようにしています。」と話していました。隣のお母さんも江刺さんの明るい声に、「つられて笑って頑張れている、その日その日を楽しく過ごさないとな、と頑張っています。」と、やっぱり素敵な笑顔を見せてくれました。


浜のお母さんたちの明るい声・・・本当に元気をもらえますね〜!!

いしのまきトラベルレストラン。まだまだ旅は続きます。

2014年3月17日

3月17日 いしのまきトラベルレストラン(1)

今週ご紹介するのは、宮城県石巻市ではじまった自然・文化など地元の財産を生かす観光プロジェクト、「いしのまきトラベルレストラン」です。

トラベルレストランとは、農業・漁業体験などを満喫した上で、そこで出会った食材をズラリ並べたレストランが出現する!という観光プロジェクトです。先月2月に行われた第1回は、首都圏や北海道からの参加者は20人。貸切バスで石巻市・牡鹿半島へ向かった参加者が、最初に体験したのは・・・餅つき体験でした!!



餅つきの指導をしてくれたのは、太田俊治さん。日本でも数少ない農薬も肥料も使わない米作りに取り組む、農家の方です。

◆石巻で自然栽培に取り組む農家
亀の尾(ササシグレのおじいさん)とササシグレ(ササニシキの親)。おいしいお米のルーツが亀の尾だと分かり、当時栽培していたのがササニシキとひとめぼれだったが、ご先祖様の稲を見れば何かヒントがあるのかなと。厳密に言えば有機栽培のジャンルに入るのだが、収穫されないでそのまま枯れて朽ち果てているが、朽ち果てたものは2年くらいかけて土にかえる。そうすると3年かけて植物の栄養源になる。そこには植物の残差と微生物の共生関係が発達している。それを教えてくれたのが木村秋則さん。微生物が植物の残差を分解、バクテリアが再分解するという自然のリズムがある。結果として混在している土の中にあって、土のバランスを取って土が浄化される。自然の抗菌作用を米や果樹に取り入れるのが我々の考え。当然農薬を使う必要がない。ところがどっこいそこで獲れたものが「こでらいね」。プレミアムの先を言っている美味しさ、触感。こんな良いものは見たことないってなるわけさ。           
餅つき指導をしてくれた太田さんは、「水稲(すいとう)自然栽培」という自然本来の力で、稲を育てる米作りに取り組んでいる方。これ、映画「奇跡のリンゴ」で有名な 青森の木村秋則さんを参考にしたと言います。
トラベルレストランでは、こうした地元の方の取り組みや、 様々なお話も聞くことができて、実際に体験もできる仕掛けになっています。

いしのまきトラベルレストランは、このあと、さらに奥の深〜い、石巻・牡鹿半島の食文化を巡っていきます。あしたも引き続き、このイベントの模様をお伝えします。

2014年3月13日

3月12日 ふくしまFMレポート 福島の卒業式

今日は、ふくしまFMから、矢野真未さんのレポートです。

福島県内では、公立高校を中心に、3月1日(土)に卒業式が行われました。県立高校では全日制87校、定時制6校で、卒業生が学び舎を巣立ちました。今回の卒業生は、東日本大震災後に入学しています。東京電力福島第1原発事故で学校も避難を余儀なくされ、サテライト校で学んだ3年生は一度も本校舎で授業を受けず節目を迎えました。

今回取材にお邪魔したのは「相馬農業高等学校」です。
相馬農業高校も避難区域だったため、校舎を使う事が出来ず入学式もなく、制服もない学校生活の始まりでした。農業高校なので実習の授業も、当初は満足に出来なかったと言います。

◆亀田翔平くん 学んだ事〜生産の喜び
本来なら田んぼで稲の栽培をやるんですけど、震災で田んぼが使えなかったので主にじゃがいもやサツマイモ、枝豆などのマメ科の植物などを栽培していました。どんどんハウスの中や路地で育っていくのを観ていて、それを収穫して食べて、ああ自分で作ったものがこんなに美味しくできるんだなっていう・・・。


亀田翔平さんは、実家が南相馬市小高区で農家を営んでいらっしゃいました。今はそこで、農業をする事は出来ませんが、農業を継ぎたい、とこの相馬農業高校をめざしたそうです。

卒業後、翔平さんは、地元のJAふくしま そうま農業組合に次の進路が決まっています。

◆福島の農業への想い
地域農業の復興に貢献したいなと思っていて、最初は進学してからそういうこともしようかなと思っていたんですけど、すぐにでも貢献できるのだったら農業の関係できるかなと思って、農業協同組合に就職しようと思いました。福島の放射性物質の影響で他の県の人達は「あぶない」というイメージがあるので、そういうイメージを壊したいというか、無くしたいです。


翔平さんは、「進学」ではなく、今すぐ地元に貢献する道を選びました。
翔平さんは現在、南相馬市・鹿島区で暮らしています。小高区の実家に、一時帰宅をした際、実家の畑が荒れ放題になっているのを見てショックを受けたと言います。そして、「いつかまた、小高区で農業を再開したい」と語っていました。

これから、未来をつくっていくのは次の世代。そのための準備や、いま、わたしたちが出来る事、そこに力を注いでいく事も重要な事ではないでしょうか。
ふくしまFMから、矢野真未さんがお伝えしました。

2014年3月13日

3月11日 DATE-FM仙台レポート 漁業の復興

今朝はDATE fmからのレポートです。

あの東日本大震災から3年を迎え、被災地では順調に復旧・復興しているという話題が増えていますが、その影になって、あまり現状が見えない部分もあります。それは、まだまだ復旧途上にある「漁業」についてです。

先週、農林水産省が、東日本大震災後の漁業の復旧状況を発表しました。まず、廃業した漁業者数ですが、岩手、宮城、福島3県で2492世帯あります。
震災前におよそ1万世帯あった全漁業者の数と比べると、4分の1近くに減っています。

また、被災した3県の漁港は全部で360あったのですが、今月31日までに水揚げ機能が回復するのは85港で、以前のおよそ3割です。宮城では、被災した142の港のうち、復旧したのは18の港にとどまっています。この一年間をみても、復旧したのは2箇所だけということで、復旧は加速どころか減速している印象です。

漁港が整っても、次なる課題もあるそうです。港が復旧して漁業を再開しても、販路を戻せないという問題があります。例えば全国2位の水揚げを誇った宮城県産のカキ。今シーズンの生産量は、震災前の4割弱まで戻る見通しですが、宮城県内のスーパーには、広島県産や岡山県産が並んでいるのを見かけます。これは、販路が途絶えたということに加えて震災で多くの漁業者が廃業したことも影響しています。漁業者が少ないことで、供給が不安定になり、仲買人が敬遠する、ということなんです。

さらに、価格が低調気味で、全国平均価格を3割ほど下回っていて漁業者にとっては、弱り目に祟り目という状況です。この問題からもわかるように、震災からの復旧・復興には複雑に絡み合った複数の問題を解決しなければならないことが多くあります。
このことは、漁業だけでなく、農業など他の産業に当てはまるケースもあるようです。

2014年3月13日

3月10日 FM岩手・釜石支局レポート がれき処理

今朝はFM岩手 釜石支局からのレポートです。

岩手県釜石市は、岩手県南東部に位置する港町。漁業と鉄鋼の町としても有名で、リアス式海岸の美しい景観でも知られていましたが、東日本大震災の津波で、壊滅的な被害を受けました。

FM岩手、釜石支局の千葉東也さんのレポートです。

◆今月末で釜石のがれき処理が終了
今年1月20日現在、釜石市のがれきの発生推定量は約84万7千トン。これは市内から出される一般ごみ55年分相当の量だそうです。3年前の東日本大震災後、災害廃棄物は市内各地の仮置場に集められ、可燃物や不燃物、再利用できる物などに分別され、釜石市の沿岸南部クリーンセンター、旧清掃工場などで処分されたほか、山形県、青森県、東京都のほか、全国各地の企業の協力もあり、今年3月末までに約84万7千トンの処理が終了予定。
がれきは災害廃棄物は「可燃物」「不燃物」「木質チップ」「コンクリートがら」「金属くず」などに区分されます。実はがれきの7〜8割はリサイクルに使われている。建物の基礎などに使われているコンクリートがら(約47万トン)は細かく砕いて公共工事などに使われているほか、金属くず(約4万8千トン)も再資源物として使われている。木質チップは再生ボードや木質ボイラーの原料に使用。可燃物に関しては釜石市のクリーンセンターなどで処分されたほか、東京都にも約3万トンの処理をお願いしている。そういった意味において、釜石市のがれきを約3年で全て処分することができたのは全国の皆さんのおかげ。土地のかさ上げ、復興公営住宅の建設など、来年度以降、より本格的な復旧・復興作業が進むことが期待される


一方うれしいニュースとしては、4月に三陸鉄道が全面開通します。復旧していなかった南リアス線が復旧し、4月5日に全面復旧となる。またSL銀河が4月12日から運行を開始する。昔釜石線や山田線で走っていたSLが役40年ぶりに復活。汽笛を鳴らしながら走る。
おいしいものとしては釜石ラーメン。地元の醤油ラーメン。市内に30店ほどあるので、その食べ比べなどしてほしい。海産物なども季節に応じてあるので、そちらも楽しんでほしい。

※三陸鉄道の全面運転再開は4月5日(土)。北リアス線「久慈と宮古」、南リアス線「釜石と盛」の間がそれぞれ全面的に運転を再開します。
また、JR東日本のSL銀河は4月12日から運行開始。区間は花巻⇔釜石間。土日を中心に年間およそ80本運行。

2014年3月12日

3月5日 JFNと日本郵便が結ぶ防災協定

昨年、TOKYO FMをはじめとするJFN=ジャパン・エフエム・ネットワーク各社と日本郵便が締結したのが「災害時における地域情報ネットワーク構築に関する協定」。
災害が起こったとき、郵便局に集約される被災地域の周辺情報、配達や窓口などの営業状況を、FM放送のネットワークを通じて発信する、というものです。

お話は新仙台郵便局の 小野寺英視局長。東日本大震災のとき、日本郵便、石巻支店の支店長を務めていた小野寺さんは当時の様子をこう振り返ります。

◆日本郵便 石巻郵便局の当時
石巻郵便局は津波の影響で一階が水没し機能が停止してしまった。一階の車庫にあった配達用のバイクや自転車も水没して、すべて使用できなくなった。水が引いて道路が歩けるようになったのは、震災4日後の15日の午後。郵便局自体も床上浸水して、一階には泥がつもり、まず清掃から始めなければならないという状況だった。また通信網が使えなくなり、社員と連絡がとれず、社員の安否が気になって、安否を心配しながら業務再開に取り組んだ、という状況だった。
道路事情が悪い、ガソリンがない、という状況から、町全体が恐ろしいくらいに静まりかえっていた。早く日常を取り戻すことが必要と感じ、郵便局でなにができるかと考えたとき、やはり郵便を届けることが町全体の復興の手助けになるのではと考えた。とにかく早くアクションを起こしたい、できるところからやっていこうと決めて、業務のほうは一週間後の18日金曜日に、最初は書留、速達、レターパックの配達から始めた。3月は特に、就職や学校の入学の案内など、大切な郵便物が多く、早くお届しなければという気持ちもあった。


震災の後、避難所や親せきの家に住まいを移す方も多いなかで、被災した方には「お客様確認シート」を記入してもらって、一つ一つ配達していったそうです。また、災害のときは希望に応じて、郵便物を局に留め置くこともできるそうです。

災害のときに役立つ、こういった情報を伝える手段としてJFNと日本郵便の連携がスタートしています。具体的には、災害がおこったとき、被災した郵便局周辺の情報や営業状況を全国13の日本郵便支社に集約。その情報をJFN各局が受取って、各地域、さらに全国に発信します。
ラジオと郵便局による「災害への備え」が始まっています。

2014年3月7日

3月7日 東北復興新聞&『3YEARS(スリーイヤーズ)』2

引き続き、東北で復興に取り組む人たちのための「業界紙」東北復興新聞がまとめた、「3YEARS」という本についてお伝えします。

本の冒頭には、こう書かれています。「東北の人々はいま、新しい町を作ろうとしている。それは以前からの数々の問題を一緒に解決する、クリエイティブな復興への取り組みだ」

その例として、「3YEARS」には15人の復興に関る人々が紹介されています。今朝 紹介するのは、その中のひとり、岩手県の仮設住宅で、新しいコミュニティ作りを推し進めた一人の男性です。

◆自治体の枠を飛び越えて
地域社会やNPOのあり方という意味で新しい取り組みとしては、菊池広人さんという人を紹介している。菊池さんは内陸の北上市でNPOをやっているのだが、震災後に岩手連携復興センターという岩手じゅうのNPOを連携する仕組みを作り、北上市の予算を使って沿岸の大船渡市の仮設住宅を運営する仕組みを作った。自治体が、他の自治体の仮設住宅のことをやるのがまず画期的で、さらにノウハウを貯めて、次に行政の枠を超えて釜石市にノウハウをそのまま移転し、コミュニティがそれぞれで作られていくということを実現した。行政の枠を超えて横で連携する枠組みを、なぜか内陸の、しかもNPOが作っているということも、NPOのあり方という意味でも新しいことが起きている。

伺ったのは3YEARSの著者で東北復興新聞・発行人の本間勇輝さん。話に出てきたNPOの名前は「いわてNPO NETサポート」です。この、岩手県・北上市と大船渡市をつなぐコミュニティ支援は、復興に取り組む関係者の“良いお手本”として、東北復興新聞の創刊号に掲載され、いま、各地から注目を集めていると言います。

◆仮設の町から生まれた仕組み
大船渡市の仮設住宅には4000名から5000名が住んでいた。これは“仮設”という新しい街ができたと思って良い。菊池さんの活動は、その町をどうやって運営するかということ。特に高齢者の多い地域なので、集会所、公民館の鍵をどう管理してイベントを設計するか。外からイベント支援の要望があった時に受け入れて仕組みに落とす。地味だが重要な役割。コミュニティを支える仕組みを、仮設住宅という1つの新しい街で菊池さんは作った。色んなマニュアルを作るり仕組み化された。コールセンターを作り住民の困り事を集めてノウハウする仕組みにしたり。その仮設住宅の運営モデルはコミュニティの作り方でもあるので、東北を超えて高齢化が進む中山間地域の自治体の方なんかがセミナーで来る。そこでノウハウを伝えて現地に研修に行き、町ごとの特性を活かしてコミュニティの作り方でノウハウ移転がどんどん進んでいる。


今朝は、東北復興新聞がまとめた「3YEARS」の中から、岩手県でコミュニティ支援に取り組む、菊池広人さんについてご紹介しました。

著者・本間さんは、単体の行政では限界があることも、NPOが入ることで、様々な企業、他府県の団体との連携がスムーズになると指摘しています。



東北復興新聞

2014年3月6日

3月6日 東北復興新聞&『3YEARS(スリーイヤーズ)』

今朝は、東北で復興に取り組む人たちのための業界紙、東北復興新聞がまとめた、「3YEARS」という本についてお伝えします。

まず東北復興新聞は一般向けの情報誌ではなく、東北で実際に復興に関わっている方のための
紙とウェブによる情報誌。創刊は2012年1月。発行部数4000部。産業の復興をはじめ、「隣の町の情報」を求める被災地のニーズにこたえる形で現地で取材した情報を発信しています。

その東北復興新聞のこれまでの取材をまとめた本が、先月出版された「3YEARS」。著者で東北復興新聞・発行人の本間勇輝さんに伺いました。

◆復興に関わる人々はめちゃめちゃ面白い!
本にしたいと思った一番の理由は、2年半東北に通い東京の人々が持つ「復興」、東北に関するイメージと僕が持つイメージにギャップを感じたから。東京で見ると復興予算が流用されているとかネガティブな報道が多く、「まだまだ大変です」という涙ストーリーが流れているが、僕が感じたのは、めちゃめちゃ面白い人たちがいっぱいいるし、全く新しい取り組みが進んでいる。これは東北の復興とかではなく、日本がこれからどう変わっていくかのヒントとなる取り組みがいっぱい起きている。東京や他の年からすごいビジネスマンが集結している。こんなに熱い土地はないと感じた。このギャップを何とか伝えたいと言うことで本にまとめるとともに、面白さカッコ良さを伝えたいと思って作った。


この『3YEARS』には、15人の復興に関わる人々が詳しく紹介されています。ジャンルは幅広く、農業、漁業、県職員や文科省の官僚、NPOの代表、地元の女子高校生…本当に多種多様。そんな中から一人、宮城県の、岩佐大輝さんについて教えて頂きました。

◆「マイナスをゼロに」の先へ
例えば宮城県山元町でいちごを作ってらっしゃる人がいるんですけど、温度や風、湿度などを完全にITで制御するビニールハウスを新しく作った。全くゼロになってしまった地域なので同じものを作り直してもしょうがないということで、最初からすごいものを作ろうと。先端ハウスを作り、完璧においしい、糖度何度以上というものをコントロールして作る。すべてはIT化しきれないので現地の昔からのイチゴ農家の匠の知恵、手作業を混ぜ合わせる。収穫の効率も良いし糖度も高いし美味しいイチゴを作る取り組みを始めた。「みがきいちご」というブランドを被災地を飛び越えて世界に進出している。インドの農村で日本の技術を転移してブランドイチゴを現地で作り現地の高級ホテルに流し始めている。産業復興でいうと壊れてしまったものを戻そうというのが最初の1年〜2年だが、3年目4年目はマイナスをゼロに戻すところの先の取り組みが始まっている。というのが岩佐さんがやっていることですね。


本間さんは、「一度ゼロになってしまったからこそ全く新しいチャレンジが出来るのが今の東北。外から専門スキルを持った人が入ってきて現地の人と何かを立ち上げるということも、たくさん起こっている」とも話しています。


明日も、この『3YEARS』で紹介されている、復興に関わる人々を紹介します。

東北復興新聞

2014年3月4日

3月4日 JFNとイオンが結ぶ防災協定

震災からもうすぐ3年。
今週は、次の災害に備える、さまざまな動きをご紹介しています。

TOKYO FMをはじめとするJFNと流通大手イオンは、昨年、「災害時における総合防災ネットワーク構築に関する協定」を締結しました。全国に38のネットワークをもつJFNと、地域の暮らしを支え、防災拠点の役割を担うイオンが互いに協力して、災害時に必要な情報を提供しよう、という取り組みです。

そのきっかけとなったのが、東日本大震災の教訓です。震災では、三陸沿岸のイオン各店舗も被災しました。当時の様子を語ってくれるのは、イオン株式会社、コーポレート・コミュニケーション部シニア・マネージャーの鈴木茂伸さんです。

◆イオン店舗を避難所として開放した
当日気仙沼店、多賀城店、塩竈、相馬店が連絡がなかなか取れず、一夜が明けた。
気仙沼店については、従業員、お客様ともども、近くの高台に避難したので、なかなか連絡が取れない状況が続いた。仙台から衛星携帯電話を持ったものが到着して、全部ではないが安否の確認ができた。多賀城店はお客様を店長の判断で3Fの駐車上に600人ほど上げた。まわりが全部水になったが、そこで二日間ほど生活をした。同様にイオンタウン塩竈も、屋上にお客様と従業員を避難させて、そこで水が引けるまで生活した。
石巻店は、震災のなかでも津波にも合わず、地震でも建物の損傷がほとんどなかったので、津波で被災したお客様がお店に入ってきたので、そのまま避難所として開放することを決め、お客様を受け入れることになった。震災3日目には2500人程度のお客様が石巻店の中で生活することになった。
地域のインフラとして、常日頃営業しているので、食べ物は震災時の防災協定に基づいてお持ちし、その後こちらの物流センターから、朝昼晩三食渡すことができた。またラジオ、テレビなどの情報、携帯電話の充電、具合の悪い方に対して店に薬剤師がいるので薬をお渡しすることができたのが、皆さんにありがたがられたところ。


震災の時、従業員が独自の判断で、来店客の避難誘導や、物資の提供を行ったイオン。その中で多く上がったのが、「生活物資に関わる情報が欲しい」という声でした。これが、JFNとの協定締結に結びつきました。

この協定、具体的にどんな内容かというと・・
●災害が起こったとき、
 イオンの店舗と地元のFMラジオ局を衛星電話でつないで、情報をやりとり。
 イオンの各店舗に避難している人に、被害の情報を伝えます。

●また、避難所や周囲の状況を被害地域だけでなく、全国に発信。

●イオンは毎年、春と秋に大規模な防災訓練を実施。
 また、今後全国にある大型店舗を中心に、防災拠点を整備していく考えです。

JFNとイオン。
互いのネットワークを生かした、災害に備える取り組みが始まっています。

2014年3月3日

3月3日 みんなの防災手帳

東日本大震災からもうすぐ3年。今週は、災害に備えるさまざまな動きを紹介します。
今日は「みんなの防災手帳」です。

東北大学災害科学国際研究所が、昨年1月に立ち上げたのが「生きる力・市民運動化プロジェクト」。被災者の声を、今後の自然災害への備えや対策に生かそう、という取り組みです。
このプロジェクトの一貫として作成されたのが、「みんなの防災手帳」。
お話は、監修者の一人、東北大学災害科学国際研究所教授の今村文彦さんです。

◆生きる力 防災手帳
「生きる力・市民運動化プロジェクト」について。東日本大震災では非常にたくさんの犠牲者が出た。一人一人が自分で命を守る能力が問われた。我々、改めて今後の災害に備えるために、各個人がなにが必要なのかを考えたときに、一人一人の「生き残る力」「生き抜く力」のための知恵をまとめた。これが「みんなの防災手帳」。コンパクトに、時間軸に沿ってまとめている。
震災前のこと、また震災直後10時間、さらに100時間、1000時間。そういう時間軸の区切りの中になにが起きたのか、なにが必要なのかを反省も込めて、項目別に書いた。
震災直後ならまず津波から避難すること、火災から命を守ること。次に避難場所などの共同生活では、協力しながら生き抜く力について。また罹災証明書などは、経験がないと必用なことがわからない。実際に被災地で体験された方の苦い経験をもとにまとめている。


「みんなの防災手帳」、サイズはA6。ちょうど手のひらにのるコンパクトサイズです。
中を開くと・・
○まず「災害への備え」のページには「防災家族会議を開こう」という文字。家族の緊急連絡先を確認し、役割分担を決めよう、と書かれています。
○また発災直後のページには、災害から命を守る行動マニュアルなど。
○さらに被災生活については、避難所生活のノウハウに加え、ケガの応急手当の方法、ペットの避難場所の確認なども記されています。

「みんなの防災手帳」は今回宮城県多賀城市で制作されました。
今後、問い合わせに応じて、他の地域でも、制作と配布を行う予定。
それぞれの地域の独自の情報を織り込んでいく、ということです。

「みんなの防災手帳」について。
詳しくは「東北大学災害国際研究所」にお問い合わせください。


パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN