2014年4月30日

4月30日 南三陸キラキラ丼!!

ゴールデンウィークに、楽しみながら被災地支援をするための情報をお届けしています。

きょうは、宮城県南三陸町からです。南三陸町 名物「キラキラ丼」です!南三陸では仮設商店街のお店を含む11のお店がそれぞれ、地元食材を使ったこだわりの海鮮丼で味を競っています。

そのキラキラ丼、季節ごとに食材が変わります。今の時期は「春告げ丼」という、春の旬を盛り付けた丼を展開中で、例えば! 南三陸町志津川にあるお食事処・静江館では、こんな丼を頂けます!


◆身がぷっくり!牡蠣の春告げ丼!!
今の時期、最も南三陸町で美味しい、甘味があって大きい春の牡蠣をオリーブオイルでこんがりと焼いてかつお節の出汁とお醤油だけで中華風に味付け。みなさんこういう食べ方をしたことがないようで、今日も春つげ丼を遠くから食べに、リピーターもたくさんいらっしゃって、「美味しかったのでまた来ました」と。きのう今日あたりからはご家族連れでいらっしゃるお客さんが多い。


お話は、静江館の山内ふみ子さん。牡蠣の旬というと冬のイメージですが、山内さんによれば、「今時期の牡蠣こそが一年のうちでも身がぷっくり、甘味がたっぷり、そして濃厚!」なんだそうです。(※5月以降も牡蠣の春告げ丼は注文できます。)

そして5月からはこれに加えて、まさに旬を迎える「アレ」のキラキラ丼が登場します!


◆ウニの味をシンプルに味わってほしい!
5月からのキラキラ丼は「ウニ丼」。ご飯の上に75グラムのウニだけをトッピング、お刺身は付けずにウニだけをたっぷり食べていただく。まだ5月初めごろは甘味が薄いかなという感じだが、5月末になるとウニの甘味が出てくる。でも南三陸産のウニの味をシンプルに味わって頂きたい。ウニはどこでも美味しいが、南三陸町のウニは剥いたまんまの状態で召し上がっていただいている。普通はミョウバンを使って身が崩れず長持ちさせているが苦みが出る。キラキラ丼をやっている店舗は、お寿司屋さんも剥いたままのウニ。殻から身をすくって食べる感じなので、素材が美味しいので手を加えなくても美味しい。ホヤも美味しくなってきたし、白魚がこれから美味しくなる。

静江館は、志津川のお魚屋さん「山内鮮魚店」の中にに併設されています。ちなみにこの山内鮮魚店は、最高の魚をそろえる、すごい目利きのお店として有名です。

キラキラ丼の情報はこちら

2014年4月29日

4月29日 なみえ焼きそば@日本橋ふくしま館MIDETTE(ミデッテ)

今週・来週は、ゴールデンウィークに楽しみながら被災地を支援するための情報を、色々お届けしていきます。

今朝はきのうに引き続き東京・日本橋にオープンした福島県のアンテナショップ、『日本橋ふくしま館・MIDETTE(みでって)』からの情報です。MIDETTEには、イートインコーナーもあって、福島の名物、
美味しいグルメを、入れ替わり制で展開しています。オープン初日に登場したのは、福島県浪江町の「なみえ焼きそば」でした!



去年のB1グランプリで優勝を果たした、浪江町の「なみえ焼きそば」。この焼きそばによる町おこし団体のメンバーは、それぞれ避難先から日本橋へ集まり、オープン日とその翌日の2日間、いい匂いをさせて焼きそばを焼いていました。メンバーの代表、八島貞行さんの話です。

◆B1グランプリ優勝・なみえ焼きそば
浪江焼麺太国の大王・矢島です。いろんな食材をこの福島館で出すことになりますが、まず私たちがが、館のオープンに焼きそばを出すということで。予想以上のお客さんで午前中1時間待ちとなり、入場規制したくらい。お客さんが「なみえ焼きそば楽しみにしてきたよ」「がんばってくださいね、大変ですね」と声をかけてくれて、震災は風化してしまったかと思っていたが、まだまだ応援してくれている方が多いんだなと感じた。去年のB1グランプリで優勝して問い合わせが多く来た。避難している地域の方々がもう一度食べたいと。二本松市に1店舗だけ取り扱いが遠いということで(来られない人が多い)。そこでなみえ焼きそばの定義を作り、その定義に合わせて作ることが出来て、なみえ焼きそばの歴史、特徴、街のことを理解した方に認定店として許可を出すようにした。二本松のほか、郡山に3店舗、栃木県に1店舗、長野に2店舗の認定店ができて食べられる。ほとんどが浪江出身の方や、食堂をやっていた方。浪江町から県外避難が続く中、周りの方が支援してくれたのでその恩返しとして、焼きそばをその地域の食堂で出してみんなに食べてもらいたい。あとは県外避難者の集まれる憩いの場としても活用して欲しい。また、(なみえ焼きそばで事業を再開することで)自分自身が前向きに仕事がしたいという方が多くなった。避難生活が続いているが、故郷の味で浪江を忘れずに頑張って生活をしてほしいという思いです。


日本橋ふくしま館MIDETTEのイートイン、なみえ焼きそばは2日間限定でした。なみえ焼きそばが食べたい!という方は、郡山、栃木、長野などにある認定店へぜひ足を運んでみて下さい。

浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)サイト

そして、なみえ焼きそばの町おこし団体、「浪江焼麺太国」の大王・八島さんから、メッセージです!

◆一味唐辛子で食べてね!
なみえ焼きそばの特徴は麺です。ゆで麺はうどんのように太い中華麺。これに浪江では一味唐辛子があって、それをふってピリッと辛くして食べるのが浪江流。最高ですよ!




一方、日本橋のMIDETTEのイートイン、5月1日までは「喜多方ラーメンバーガー、ラーメンピザ」を食べることができます。

日本橋ふくしま館MIDETTE

2014年4月28日

4月28日 日本橋ふくしま館MIDETTE(ミデッテ)

今週・来週のこの時間は、大型連休を使って楽しみながら被災地を支援するための情報を、色々お届けしていきます。

今日は東京・日本橋にオープンした福島県のアンテナショップ、『日本橋ふくしま館・MIDETTE(みでって)』。こちらは今月オープンしたばかりなんですが、初日から、たくさんのお客さんで賑わっています!



◆お客さんの声
・日本橋でお散歩がてら、父が福島(出身)なので。薄皮饅頭も買いました。
・うるい、アスパラガス、枝豆ジャム、生姜ジャム・・・福島は果物も野菜もたくさんあるので新鮮で美味しい。
・全部福島の味も味わえるし感動。きょうはちょっと混んでいたので改めてまた来ます。




日本橋といえば、最近、新しい商業施設・コレド室町2,3もオープンして注目集めています「MIDETTE」は、コレド室町と目と鼻の先にあります。ショップの特徴について館長の加藤泰広さんに伺いました。

◆ふくしまの良いところ、見でってくなんしょ!
「MIDETTE」というのは福島の方言で、「見でってくなんしょ、見でってけろ」という意味。今の福島の情報や現況を“見でって!”ということで名前を付けた。福島県の産品、観光情報、安全への取り組みや、福島の今の状況をお伝えする施設となっている。充実しているのはお酒のコーナー。スペースもかなり広くとってある。5月に新酒の鑑評会があり、商を取った26種類の中で、ダントツで多かったのが福島産のお酒だった。酒どころとして福島が評価されたということで、改めて知ってもらい触れ合ってもらいたい。


MIDETTEでは、お酒だけでなく福島各地の産品がずらりと揃っています。食品・工芸品合わせると、そのアイテム数は2500! その中から、特に人気の商品を教えて頂きました。



◆ふくしまの日本酒、お菓子、そして野菜!!
やっぱりお菓子(が人気) 例えば実演販売をやってもらっている柏屋の薄皮饅頭は代表的な福島のおかし。あとはままどおる、というミルクを使ったお菓子もあるし、ゆべしも売れている。JAが入っているので旬のアスパラガスの一番美味しいところを朝収穫して販売。あとは会津坂下町というところで作っている馬刺し、なみえ焼きそば。東京の日本橋に情報発信拠点を作ったので、ぜひ一回でも見でってくなんしょ。お待ちしています。



MIDETTEではその他、放射線の検査体制など、食品の安全面の取り組みについても、施設内でPRしています。営業時間は、平日は午前11時から夜8時、土日はよる6時までとなっています。

2014年4月25日

4月25日 東京ガールズコレクションin福島2014.4.29

あの「東京ガールズコレクション」が、はじめて東北、福島郡山で開催されます。

来週火曜日、4月29日に開催される、「東京ガールズコレクションin福島2014」
人気モデルによるファッションショーやアーティストライブなど、女性に向けた楽しみがいっぱいのファッションイベントです。

福島での開催に込めた思いとは。プロジェクトマネージャー、中谷航さんに伺いました。

◆福島の笑顔を世界に発信したい
福島県並びに郡山市から話を頂いて、TGCとして何が出来るか考えた際、TGCを開催することで、集まってくれる人たちに笑顔になって頂ける・・・それが出来る事かと。会場にいらした方が、父母祖父祖母、友達や先生に話す、笑顔が広がるのを目指している。福島の笑顔を世界に発信したい。今なお多くの方が避難生活を送っている福島県で、若い女性たち元気づけたい!・・・そして笑顔の輪を広げていきたい!という思いから、開催される事になりました。


出演するモデルのラインナップがスゴイんです・・・!
香里奈、益若つばさ、土屋アンナ、今井華、ダレノガレ明美、道端アンジェリカ、水沢アリー、安田美沙子などなど・・・!

ファッションショーのほか、福島県の子供たちとコラボするプログラムも組まれているという事です。

◆子供たちも参加
福島県在住の子供たちをオーディションで選び、ステージを歩く企画や、ゲストアーティストのクリス・ハートと郡山の高校の合唱部によるコラボなど現地の方にも参加頂いて、夢と希望を持って頂ける企画を進めている。実際そのオーディションに立ち会って、企画発表の際に歓声が上がった。良いイベントにしないといけないと気を引き締めている。


東京ガールズコレクションin福島2014サポーテッド・バイ・ゼビオグループ」は、来週火曜日、4月29日、郡山市の「ビッグパレット福島」で開催。
また屋外展示場では、「ふくしまの食の魅力」を集めた、「ごちそう ふくしま満喫フェア」も開催されます!

2014年4月24日

4月24日 Googleの被災地支援4

引き続き、Googleの被災地支援についてお伝えしています。

高橋 Googleが去年5月、新たにスタートさせた支援プロジェクト、「イノベーション東北」。これは、東北の企業と、何かスキルを持ったボランティアをマッチングするサイト、つまりネットの力で 人と人を「つなげる」プラットフォームです。

すでにマッチングが行われ、実際に動き出しているケースをイノベーション東北・事務局の矢本真丈さんに伺いました。

◆福島の乳製品とアイス好きがマッチング!
福島県会津エリアの、会津中央乳業株式会社は元々牛乳を地元に下ろしている生乳メーカーだったが、風評被害で震災後は売り上げが激減。牛乳を加工する技術に強みを持ち、ヨーグルトやチーズ、アイスクリームをトライアルレベルで製造していたため、「美味しいアイスをモナカに挟んで売り出す新しい製品を開発してマーケット開拓をしたい」という話を頂きいた。「アイスクリームソーシャル」という、ハーゲンダッツなど有名メーカーと商品を開発したり、アイス好き同士が集まって新商品について語りあう団体があり、所属メンバーが会津中央乳業が作っている試作品を食べて、感想を言い合うワークショップを開催した。事業者だけではアイスの良さ、どんなマーケットに売れるかが分からないが、ワークショップで色んな人が集まれば、第三者の知見が入れやすい。どんなパッケージで売るのかなどを議論して製品を作ろうと言う段階まで来ている。



最後に、グーグル広報部 富永紗くらさんから、呼びかけのメッセージです。


◆自分のスキルを支援に!
現在イノベーション東北のサイトでは『復興チャレンジ』という、被災地の新しい挑戦や協力を募集する情報を紹介している。例えば、福島の子どもたちによる、「今を伝えるための短編アニメを世界中に発信したいので翻訳のお手伝いをしてほしい」というものや、「商品開発の手伝いをしてほしい」という呼びかけもある。マーケティングスキル、情報発信、ウェブクリエイター、料理家のサポートを受けているものもあって、それぞれ、自分のスキルを役立てたい方はぜひ参加してほしい。


月曜日から4日間にわたり、Googleによる被災地支援についてお伝えしました。

イノベーション東北

2014年4月23日

4月23日 Googleの被災地支援3

今週は、あのGoogleが続ける被災地支援についてお伝えしています。

東日本大震災直後から、様々な支援してきたGoogleが、去年5月、新たにスタートさせたのが、「イノベーション東北」。被災地のビジネスのための支援サイトです。これは、東北の企業と何かスキルを持ったボランティアをマッチングするサイト。つまりネットの力で 人と人を「つなげる」プラットフォームです。

まもなく立ち上げから1年が経過しますが、すでに300件のマッチングが成立。被災地で新たなチャレンジを目指す人たちが、ボランティアの協力を得て、前へ進もうとしています。

今日はその一つ、福島県の老舗の酒蔵、冨沢酒造のケースを紹介します。グーグル 広報部 富永紗くらさんに伺いました。

◆300年の酒蔵、米国への挑戦
冨沢酒造は、福島県双葉町で300年間にわたり昔ながらの伝統的な酒造りをしていたが、酒造は原発から3.5キロの位置にあり現在は帰還困難区域に指定されている。このまま300年の歴史のある白富士というお酒をどうやって続けていくのかを考えた時に、「もう外に出るしかない」と決意。シアトルにたまたま良い人がいて土地があり、水も自然もあったのでここでなら作れるのではないか、ということで現地に酒造を開こうとしている。それを情報発信したいということでウェブサイトの構築の手伝いをしている。これから移転して酒造を作るというところなので、てんやわんやだが、我々ではサイトの構築という唯一お手伝いができているところ。これから実際に外に発信するための英語、チャネル、コンサルテーションなどのサポートができるようになる。まずは酒造が完成してお酒が作れる状況にもっていくために、富沢酒造ががんばっている。現地にいる日本人で、「日本人としてサポートしたい」と情熱的な登録メールを送ってきた方もいる。そういう想いを上手につないでコーディネーションしていければということを考えている。


双葉町にあった冨沢酒造は、家族ぐるみで経営してきた酒蔵。原発事故で避難を余儀なくされましたが、お酒の味を決める「命」ともいえる酵母だけは、唯一「救い出すことができた」そうです。この酵母をもって、冨沢酒造は、いまアメリカ・シアトルで 酒造りを再開しようとしています。

冨沢酒造のチャレンジについては、近々、実際に本人を取材してお伝えする予定となっています。

明日も、Googleの「イノベーション東北」についてお伝えします。

イノベーション東北『伝統の造り酒屋 - アメリカでの再出発に向け、日本語/英語での情報発信および販路開拓サポーター募集!』

2014年4月21日

4月22日 Googleの被災地支援2

今週は、Googleが続ける被災地支援についてお伝えします。

Googleは東日本大震災直後から、避難者の安否確認や、震災「前」の町の画像をシェアする仕組みを展開してきました。そして現在、さらに一歩進んだ被災地支援をスタートさせています。グーグル 広報部富永紗くらさんのお話です。

◆被災地のビジネスへの支援
グーグルでは製品であったり、「未来へのキオク」といった形で記録を取るということをずっとしてきていたが、3年目に入りここからはビジネスの復興ではないかということで、2013年5月にイノベーション東北という新しいプロジェクトを開始している。新しいことにチャレンジしようとしている中小企業の人たちと、なんらかのスキルを持っている人、例えばウェブを作る・英語が話せる・特殊な資格を持っている人たちが、社会人として身に着けているスキルとをマッチングするということをやっている。簡単に言えば結婚紹介所のようなもの(笑) 東京で社会人をしているが、リリースを書いたり社会人としてやってきたことが、助けてくださいという依頼に「1本なら書きます」ということができる。それをやっていきたい。


イノベーション東北では、すでに300件を超すマッチングが実現。被災地の事業者と、スキルを持つボランティアが、「ネットを通じて繋がる」この仕組みは、様々なジャンルで、ビジネスの復興に役立てられています。

◆人と人とをつなぐプラットフォームとして
気仙沼の3つのお店の寿司職人さんが「流され寿司」として日本中を回りながらお寿司を握っていたが、自分のお店をそれぞれに開業したいという時期になった。3つの寿司店の一軒「新富寿司」のオーナーが、「ウェブサイトを作りたいのだが分からないので助けてくれませんか」とGoogleに問い合わせてきて、イノベーション東北でそういう人がいないか探したところ、ウェブクリエイターの力添えを頂くことになった。どんな風にこの3年間を生きていらっしゃったのか、どんなことを大切に思っているのかなどを聞き取り、「人との絆を大切にして次のお店をやっていきたい」という話を聞き、完全にボランティアとして新富寿司のロゴとウェブサイトが作られた。
何か新しいことをしたいと思っている人と、手伝いたいと思っている人を“引き合わせる”。我々はインターネットの会社なので、モノを動かすことは出来なくても人と人をつなぐことができる。知恵やスキル、インターネットでつなげるもの。新しいことにチャレンジしようとしている、立ち上がろうとしている事業者をお手伝いしている。


このイノベーション東北がスタートするきっかけとなったのは、震災直後のこと。Googleの被災地支援に、インターネットを通じたボランティアが、自主的に手伝い始めたことで、仕事のスキルを被災地に役立てたい、何かできることがしたいという人が本当にたくさんいると知り、イノベーション東北が立ち上がったということです。

明日も、Googleの「イノベーション東北」についてお伝えします。

新富寿司

イノベーション東北

2014年4月21日

4月21日 Googleの被災地支援1

今週は、あのGoogleが続けている被災地支援についてお伝えします。

インターネット検索大手Googleは、大規模な災害が起きた時に必要な情報を 提供する仕組みを整えています。それが、「Google クライシスレスポンス」です。広報部 富永紗くらさんに伺いました

◆クライシスレスポンスという“情報の支援”
まさに災害が発生した時というのは、自分の大切な人がどこにいるのか、何が起きたのかという情報が欲しい。それをインターネットの力でアクセス出来るようにするというのは、我々がまさにミッションとしてやるべきところということでずっと実は活動をしている。Googleでは2005年のハリケーン・カトリーナが最初にクライシスレスポンスを実施したものになる。その時からパーソンファインダーだったり地図の情報にアクセスできるようにするということをしている。例えばハイチであれば、地震のあと航空写真を撮影して提供するというようなこともしている。現地にレスキューへ向かう方々が、どこにどういう施設が以前あったのかということが見られる、どこに行かなければいけないのかという判断が出来る。今どうなっているのかが分かれば、どのルートでそこにアプローチすべきなのか、など整理ができる。その一環として日本でも2時間以内に安否情報を検索できるパーソンファインダーの提供から初めて、航空写真は48時間後くらいから。通過できる道路を見せるものについては72時間後に地図を提供していた。

実際、被災者の安否確認サービス「パーソンファインダー」が、ネット上に公開されたのは、東日本大震災発生から1 時間 46 分後でした。そして震災から3ヶ月後の2011年6月。Googleは、私たちもよく利用する、グーグルマップなどの仕組みを活用した別のプロジェクトもスタートさせました。

◆未来へのキオク
Googleでは発災直後、情報にアクセスできるというところで尽力させて頂いたが、そこから、現地の方と何度もお話をする中で、きちんと記録を取っていくこと、アルバムが全て流されてしまった方たちが、どうかして思い出みたいなものを取り戻すことは出来ないか、というところから「未来へのキオク」というプロジェクトがはじまった。一番最初は携帯電話や貴方のアルバムの中に残っている東北の懐かしい風景をウェブに上げることで、色んな人がそれを共有することが出来る。顔も知らない誰かが、貴方の欲しいと思っている景色をもしかしたら持っているかも知れない。ぜひそれをウェブ上でシェアしませんかというもの。そこからヤフーほか色んなところと協力し、今では6万件以上のユーザーから寄せられた画像やビデオが未来へのキオクでご覧いただけるようになっている。未来へのキオクでは、今も東北の美しい景色、震災前の画像をまだまだ募集しているのでぜひサイト上からアップロード、ご参加頂ければと思います。


この「未来へのキオク」では、360度パノラマで町並みを見ることができるサービス「グーグルストリートビュー」も活用されています。被災地の「震災前と現在」の町並みを、ストリートビューで比較してみられるようになっています。

明日は、Googleによる、被災地のビジネス支援についてお伝えします。

Googleクライシスレスポンス

未来へのキオク

2014年4月18日

4月18日 復興グルメF1大会5 【宮城県気仙沼・メカライスバーガー】

復興グルメF1大会の模様、5日間にわたってお届けしています。



F1大会は、宮城県気仙沼と、岩手県・大槌の仮設商店街同士の交流をきっかけに、去年1月に生まれたイベントです。 イベント立ち上げで、中心を担ったのが宮城県・気仙沼復興商店街 南町紫市場。もちろん先週の第6回のイベントにも参加していました!

◆被災地三県を食でつなぐ
うちの仮設の商店街が開店してから1年間くらい経って、それまではがむしゃらに前ばかり向いていたんだけど1年経って余裕が出てきた時に、他の仮設の商店街はこういうことをしているんだとか、本設に向けてこういうことを考えているんだなというのがわかりはじめたので、被災地三県がどうにか繋げないかなと、被災地間交流の意味を込めてこういうイベントにしたわけです。やっぱり被災地間交流の大切さ、情報が欲しいということ、行政ではなかなか仮設商店街の情報までは日を当てられないので、自分たちで今どういうことをやりたいのか、やっていけばいいのかが、本当に手に取るようにわかってきたので大変ありがたいイベントになったなと思っている。第1回はサンマティーヤ。サンマの佃煮を手で割いて、カレーマヨネーズで味付けして野菜とトルティーヤの皮でくるくる巻いて食べる。それが第1回で優勝した私たちの作品です。今でも商店街に来れば出しているので、F1グルメの最初の目的である「商品をずっと継続的に出せるようなものを出していこうね」というのにはぴったりだったが、それ以降はなかなかコストが高かったり実現できていない。ただ、今回のメカバーガーはなるべく商店街で出せるようにしたいと思っている。メカバーガーは、気仙沼で獲れるメカジキを甘辛くにつけてライスバーガーに挟んで、辛子マヨネーズと野菜でトッピングして食べてもらうという商品です。




お話伺ったのは、気仙沼・南町紫市場の、坂本正人さん。最後に、復興グルメF1大会、立ち上げメンバーとしてメッセージを頂きました。

◆足りないこと、やるべきことが分かる
被災地はどこでも、周りに人がいないところで商売をやっていたり、亡くなった方も大勢いて、思うように前の商店街を再開できない人たちもいっぱいいる。そういう中でこうしたふれあいは心強いし、本設に向けて自分たちが今足りないこと、やらなければいけないことを他の商店街の方々に教えてもらったりして本当に助かっている。復興グルメF1大会は食を大切にした三陸の人たちの想いのあるイベントなので、ぜひ三陸の味、三陸といっても結構(距離が)長いので、みんなそれぞれ違うものを持っていますので、その味をいっぱい食べて、被災地のことを忘れないで欲しい。




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東日本大震災以降、被災地の復興の様子を日々お伝えしているTOKYO FMのプログラム、「LOVE&HOPE〜ヒューマン・ケア・プロジェクト」が編集した、「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2014」が、このほど完成しました。過去3年間、番組の取材を通じて、被災地の方からお寄せ頂いた体験談やアドバイ
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2014年4月17日

4月17日 復興グルメF1大会4 【福島県相馬・どんこのつみれ汁】

今朝も、先日 宮城県・七ヶ浜町で行われた復興グルメF1大会の模様です。

第6回は、福島県から4チームが出場。その中には、中西哲生もよく知っている、相馬市のあの「復興グルメ」もありました。



◆NO DONKO NO SOMA!
チーム名は『NO DONKO,NO SOMA』、今日はどんこという魚のつみれ汁。どんこは東北や北海道でよく取れる魚で福島でも水揚げされていたが、今は福島では水揚げできない。でも地元福島の相馬ではなじみ深い魚。だから北海道や青森から仕入れて、どんこの肝つみれを作り、すまし汁に入れて相馬で今水揚げが許されているコウナゴ(シラス)と一緒に汁に落として提供しています。


「エゾイソアイナメ」、通称「どんこ」の白身と肝を叩いて作ったつみれが、「どんこボール」。元々は相馬の新人漁師がつくる まかない料理です。「まんま炊き」と呼ばれる下積み漁師が、船の上で、獲れたばかりの魚で料理するものです。とにかく食感がフワッフワ!肝の味わいがたまらない漁師料理です。

そして震災後、この「漁師のまかない料理」を商品化したのが、相馬の漁師・菊地基文さん。まだまだ水揚げは期待できない相馬の漁業をなんとか守ろうと、活動を続けています。そんな中で菊地さんは、復興グルメF1大会と出会いました。



◆共感しあえる仲間たちと
元々は前回大会、福島の南相馬市での大会の時に南相馬の知人から招待を受けて出場、何の間違いか準優勝しちゃって、今回も「ぜひ出てくれ」ということで、じゃあ出ますと。F1に出ているチームの人たちは被災地の商店街の人たちばかりなので、共感できる部分ばかり。参加している団体はみんな明るくて前向きで、自分たちとよく似ていて、大会中も終わった後の懇親会も楽しい。福島の場合は魚が本来どおりに水揚げできないというのがあり、周りの人からは「大変ですね」と声をかけられるが、いやいや楽しんでやっているんでと。こういう大会に出ていると身の回りの環境って気にならないですね。


※「どんこのつみれ汁」取扱店
●相馬市内の飲食店3軒
・和ダイニングいさりび  ・和料理みはらし ・千里十里(ちりとり)
●同市内の旅館2軒
・ホテルみなとや  ・旅館亀屋

2014年4月16日

4月16日 復興グルメF1大会3 【岩手県大船渡・海鮮さくら焼きそば】

今朝も、先日 宮城県・七ヶ浜町で行われた、復興グルメF1大会の模様です。



被災地の仮設商店街や町おこし団体、14チームで行われた第6回。岩手県・大船渡からは、第1回から出場しているチームが新たな「復興グルメ」で、大会に臨みました。

◆大船渡の春の香りを焼きそばに
おおふなと夢商店街からきました及川廣(ひろあき)と申します。F1には最初から参加しているが最初は冬だったので「サンマばっとう」というサンマのつみれを餃子の皮で包んだお吸い物を作りグランプリを頂き、それから毎回少しずつ変えてやっている。今回の海鮮さくらやきそばは、春の香りがする食べ物は作れないかなということで、親しみやすい焼きそばに春の香りを乗せて作ろうと。イサダというエビの小さいのを乾燥させて乗っけて、春のイカ、春キャベツなどで春らしい演出に。シンプルな塩味をベースにした焼きそば、食材の良さが引き出たあっさりさっぱりした焼きそばになっている。被災地は全部岩手県、魚に関しては大船渡港で水揚げされたもの。それぞれみなさん大変な思いをされて再建された商店街ばかりなので、進捗状況を確認しあい、励ましあいながらやっていこうという意味でも定期的に集まって、元気な姿を見せあおうということで意義があると思っている。思い通りに成長してきているイベントだと思う。




お話は、おおふなと夢商店街・理事の、及川廣┐気鵝ちなみに、この「海鮮さくら焼きそば」も、この日は見事完売したということです。そして地元・大船渡の復興についても、明るい兆しが見え始めています。

◆大船渡にいらっしゃい!
やっと私たちの町・大船渡は、被災した海側にかさ上げして商店街を再開しようということで、かさ上げが去年の秋ぐらいから始まって、速ければ今年の夏くらいに新しい商店街が作られ始める状況になってきた。海鮮焼きそばは今日初めてお披露目なので、これからしっかりいくらで売るとか、お店で出す場合の具をどうしようとか再検討させていただく。4月末からはお店で出せるようにしたいと思っている。あとは生うにが例年でスト5月初めから水揚げ。新鮮な生うに丼、ウニの軍艦巻きなど色々召し上がれるので楽しみにおいでいただきたいと思います。

    
海鮮さくら焼きそばも、この連休には、お店のメニューとして商店街で食べられるよう、準備が進んでいます!
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東日本大震災以降、被災地の復興の様子を日々お伝えしているTOKYO FMのプログラム、「LOVE&HOPE〜ヒューマン・ケア・プロジェクト」が編集した、「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2014」が、このほど完成しました。過去3年間、番組の取材を通じて、被災地の方からお寄せ頂いた体験談やアドバイ
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2014年4月15日

4月15日 復興グルメF1大会2【七ヶ浜・海鮮あんかけ七宝汁】

今朝も、先週末に宮城県・七ヶ浜町で行われた復興グルメF1大会の模様です。



F1大会は毎回、参加する仮設商店街・団体が持ち回りで開催しています。今回は、東北で一番小さな町・七ヶ浜町(まち)にある仮設商店街 七の市商店街が、ホスト役となりました。この商店街について、代表の星仁さんに伺いました。

◆震災を機にラーメン屋開業
七ヶ浜町で仮設店舗を作って頂いた。七つの店舗で「七の市商店街」。震災で店が流されたり、今まで(商売を)やっていた方々のための施設。震災9か月目にオープンした当初はボランティアさんが8割で町民が2割程度だったが、今はボランティアさんがかなり少なくなって売り上げの2割を切るくらい。それは「落ち着いた」んだと思っている。だからこういう復興グルメ選手権を、面積の一番小さい場所で行うことの意味は、自分はこれをやらないと(いけないと考えている)。震災前は35年間トレーラーを転がしていて、震災後は車を運んでいた。流された車を運んでいる中で、人の不幸で金儲けをしていることがなんとなくやりきれなくなった。考えて会社を休ませてもらい、その間に(仮設商店街)の話がきたので、それに乗ってラーメン屋を開いた。その時、復興グルメF1大会の話を耳に挟み、出場したいということで七ヶ浜復興バーガーを作ったところ、F1から出場依頼が来て、それをきっかけに第4回から出場している。


そして先週末に行われた第6回・F1大会。来場者の投票の結果 優勝に輝いたのが、七の市商店街が考案した復興グルメ、「海鮮あんかけ七宝汁(しっぽうじる)」でした!

◆七ヶ浜の海を食べて欲しい!
温かいものじゃないとダメかな、汁物じゃないとダメだろうということで第5回目からは七宝汁を出させてもらっている。汁物なのでボリュームが足りないため、6回目の七の市商店街から出したのは海鮮あんかけ七宝汁。バージョンアップ。まわりが三方海に囲まれた半島なので、そこで獲れるワカメ、生海苔、あさり、つぶ貝、その時々に獲れる魚のすり身、そして白魚。4月5月は白魚がシーズン。そして麺を入れた。俺、海を食べてほしいんですよ。目をつぶって食べて頂いて、あさりがあり、つぶ貝の味があり、海苔の味があり、ワカメの味、そして白魚、つみれと、七ヶ浜の海を食べてほしい!




現在、七の市商店街では、優勝したことを受けて急ピッチで、商店街で出す「七宝汁」の準備を始めています。ゴールデンウィークには、七の市商店街で食べられるようになるということです。

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2014年4月14日

4月14日 復興グルメF1大会@宮城県七ヶ浜

今朝から5日間は、宮城県・七ヶ浜町できのう行われた復興グルメF1大会の模様をお伝えします。

東北各地の復興グルメが味を競う、この大会も今回で6回目。会場となった、七ヶ浜の仮設商店街・七の市(しちのいち)商店街は、最高のお天気の中、およそ6000人の来場者で賑わいました。



復興グルメF1大会は、東北3県の仮設商店街・復興を目指す団体が考えたグルメを競う大会。
大会を主催するNPO法人AMDAの、大政朋子さんに開催の経緯を伺いました。

◆被災地同士のツナガリ
始まったきっかけは、AMDAがやっている被災地間交流。震災のあとは被災地と外部は繋がっていたが、被災地同士のツナガリ・情報交換の場がないということで、気仙沼と大槌町が最初に交流して、それに「勇気づけられた」ということで、福島や宮城のほかの地域、岩手のほかの地域も繋がりたいということに。何が良いかと考えたところ、世界三大漁場の一つ三陸はやはり「食」だろうということで、グルメ大会に。震災から2年近くが経過した2013年1月に第1回を開催したのだが、被災地を見に来てというより、東北の魅力で人々を呼ぶ、魅力を発信するということも目的に含まれている。第1回は気仙沼の復興商店街、南町むらさき市場で6チームの参加だったが、この1年で福島も追加して徐々に大きくなった。今回は第6回目、14チームが出ている。回を重ねるたびに認知度があがりファンが増えている。大会自体が出展者の岩手・宮城・福島の人と仲良くなれる、身近な大会みたいで「また会いに来たよ」というお客さんが増えている。


F1大会は今後も、数か月に一回定期的に開催することが決まっています。回数を重ねる中、参加団体の意識も、より前向きになってきているようです。

◆支援を離れ、地域が運営する大会へ
そこも大きく変わっている。今までは「声をかけられたから参加している」という意識だったが、今は自分たちで大会を作り上げている。思いも違うしそういう意味でお客さんも増えている。アウェイ優勝もあったり色々あるのでみなさん本気で優勝を狙ってきている。お互いを応援しあっている。昨年1月から1年やって大会自体が定着してきたので、AMDA復興グルメ運営事務局を3月に設立、岩手県陸前高田、宮城県気仙沼市、南三陸町、石巻市鮎川浜、福島県南相馬の5名とAMDAスタッフが入り運営事務局が立ち上がり主催をする。ゆくゆくは地元の方だけで運営していく。

 


F1大会は、来場者の投票で毎回ナンバーワンのグルメが決まるのですが、今回はホームタウンからの出場、七ヶ浜・七の市の『海鮮あんかけ七宝汁(しっぽうじる)』が、優勝を果たしました。七宝汁…七ヶ浜の“七つの宝”が入った、汁物なんですが・・・これについて詳しくは明日、お届けします!!
復興グルメF1大会Facebook

★★★

TOKYO FMからのお知らせです。
東日本大震災以降、被災地の復興の様子を日々お伝えしているTOKYO FMのプログラム、「LOVE&HOPE〜ヒューマン・ケア・プロジェクト」が編集した、「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2014」が、このほど完成しました。過去3年間、番組の取材を通じて、被災地の方からお寄せ頂いた体験談やアドバイ
スに加え、新たに東北3県のFM局による災害時に実際に役立ったアイデアレシピなど、さまざまな防災アイデアをコンパクトにまとめた一冊になっています。現在全国の郵便局で無料配布中です。ピンクの表紙が目印です。ぜひお手に取ってみてください。

2014年4月11日

4月11日 support our kids 2014年の語学留学募集スタート

今朝は、被災地の子どもたちの自立支援に取り組む団体、サポートアワーキッズが実施する、海外語学留学についてお伝えします。

きのうの放送では、「HABATAKIプロジェクト」についてお伝えしましたが、これは、海外語学留学を経験し、次のステップへ踏み出した被災地の子どもたちの集まりです。彼らの生み出したアイデアは、いま、将来の減災に、一役担おうとしています。

HABATAKIプロジェクトのメンバーにとって、海外での経験は、どんな意味を持つものだったのでしょうか。先日、東京で行われたサポートアワーキッズのイベントから、メンバーの声です。

◆海外で過した数週間
・あきやまゆうき高校2年生です。私は去年の夏に2週間カナダに行きました。サマーキャンプに行って森の中で5日間くらい過ごしたんですけどキリスト教が主催するものだったのでキリスト教のことが学べてすごく楽しかったです。
・高校2年生のほしむつみです。フランスではルマンで有名なカーレースを観ました。3人のカーレーサーが24時間走り続けるもので、たった3人で戦っているわけじゃなくてその後ろには多くの人が関わっていてチームワークを学びました。
・宮城県南三陸町、春から高校1年生のあべほのみです。イギリスのロンドンへ行って来て、ロンドンオリンピックだったり地元の子たちの交流、語学学校での勉強などを2週間してきました。日本は人や自分を気にしすぎるところがあるんですけど、イギリスではみんなが自由に、自分らしさをアピールしながら生きているのをみて、自分がここにいたら過ごしやすいだろうなというのを感じました。





どの子も、すごく貴重な経験してますね〜! そして今年2014年度も、サポートアワーキッズによる語学留学の募集がはじまっています。体験した先輩から、次の参加者へのメッセージです。

◆自分の可能性が広がる経験
アメリカの西海岸、シアトルとサンフランシスコに行ってきました。私は高校が調理科で進路や将来の夢は、やりたいことがたくさんあってまとまりがつかなかったんですけど、私が悩んでいたのって調理の中だけで、自分の持っている世界がすごく狭くて、ほかの人たちが持っている世界やアメリカのを見て視野が広がった。そっちがすごくキラキラしていて素敵だなと思って、進路や自分の生涯の仕事を決めなくちゃって慌てていたんですけど自分の生涯の仕事、ずっとこの先10年20年続ける仕事を決めるにはまだ私は早すぎるんじゃないかなと気が付いて、帰国して2週間後には東京の専門学校に進学だったんですけど、今は専門学校を卒業して地元に帰り、アメリカ留学のためのお金をためています。海外に興味があるかた、自分の夢をどうすればよいか悩んでいる、進路も自分のしたいことがない、このままでいいのかと思っている方がいたら、もしかしたらもうちょっとコミュニティを広げると視野が広がるのでぜひ応募してください。海外に行くことで自分にもいい経験になるし、自分が気づいていないうちに相手に影響を与えている時もあると思います。若い時だから吸収できることもあると思うので、ぜひ学生のうちに海外に行ってみることをお勧めします。


そして、「サポートアワーキッズ」による今年のホームステイ参加者募集は、すでにスタートしています。
行先は、アイルランド、カナダ、ニュージーランド、フランスの4か国。6月から8月にかけて行われます。
対象は東日本大震災で被災した中高生。応募締切は15日(火)ですので、親御さんも含め関心のある方、こちらから情報をご覧になれます。

2014年4月10日

4月10日 高校生CEOと子どもたちが世界を変える 株式会社glopath(グローパス)3

引き続き、高校生までの子どもたちだけで運営する会社、株式会社グローパスの、高校生CEO・仁禮彩香さんのインタビューです。

グローパスが今年3月に開催したイベント、PIF(ポスト・クエイク・イノベーション・フォーラム)。これは、減災に関わるアイデアや団体を一同に集め、子どもたちが、様々なコラボレーションを考えるという会議の場です。

PIFは、大災害の「その時」、「その後」、「その先」という3部構成で行われ、第3部では、サポートアワーキッズの子どもたちの取り組み、「HABATAKIプロジェクト」も紹介されました。被災地の子どもたちが考えた減災のアイデアが、このイベントをきっかけに、大きく動き出すことになったんです。

◆防災大臣へ、子どもたちからの提言
第三部は「その先への備えを考える」。サポートアワーキッズの彼らも被災者で、団体を通して海外へ留学して自分自身を強くして帰ってきて、今度は自分たちが恩返しがしたいと言うことでHABATAKIプロジェクトを作った。そのアイデアの中に「HABATAKI村」というのがある。震災後に起こった色んなアイデアや取り組みを集めて、一つの村が復興のシンボルになるような村を作ろうとしている。PIFには古屋防災担当大臣にも来てもらい、政策提言書を手渡しすることが出来たのだが、その中にHABATAKI村についても盛り込んだ。減災や防災が社会に定着していない中、「グッド減災賞」を作ったらよいのではという提案をした。減災の取り組みで素晴らしいと思うものを表彰する。グッドデザイン賞に当たるものをHABATAKI村に組み込めばいいのではないか。HABATAKI村にあるのは日本で本当に必要とされる減災の取り組み、アイデアだと証明できるし、それがシンボルとしてHABATAKI村をを作ることで“見える”から分かりやすい。そんなことを盛り込んだ制作提言書を渡した。大臣は私たちのアイデアを素晴らしいとおっしゃってくれて、絶対に形にしていこうとその場ではなして、大きく踏み出せた。
その中で大臣が、2015年3月に国連世界防災会議が仙台で開かれるのだが、それに向けてこの政策提言書の内容を形にできるようにしていこうという話をしていた。その一年弱あるが、いかにしてHABATAKI村を形成していくか、そのために自分たちはこれから何をしていかなくちゃいけないんだろうというのを考えていく段階になっている。


古屋防災担当大臣に渡った提言書に盛り込まれたアイデア、「HABATAKI村」。これは、サポートアワーキッズの子どもたちが考えたもの。次の世代の子どもたちに活動を受け継いでもらうシンボルで、避難所や防災教室も兼ねた施設です。このアイデア、PIFを通じて本格的に動き出すことになりそうです!


★★★
そして、ここでお知らせです。海外ホームステイなどを通じて、復興を担う子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」。今年も、ホームステイへの参加者募集がスタートしています。
行先は6月のフランスをはじめ4か国。対象は東日本大震災で被災した中高生です。詳しくはサポートアワーキッズのホームページをご覧ください。

2014年4月9日

4月9日 高校生CEOと子どもたちが世界を変える 株式会社glopath(グローパス)2

引き続き、高校生までの子どもたちだけで運営する会社、株式会社グローパスの高校生CEOのインタビューです。

東日本大震災から丸3年を前に、子どもたちにできることを考え始めたグローパスCEO、仁禮彩香さんとメンバーの子どもたちは、被災地へ赴き、現地の様々な団体や、イノベーションに触れ、今年3月、東京で大きなイベントを開催しました。それが「PIF」です。



◆手を汚さないトイレ「ラップポン」
「PIF、ポストクエイクイノベーションフォーラム」。<高めよう、日本の減災力>がコンセプト。被災地の人もいるし東京、阪神淡路大震災から活動をしている方など日本全国から協力団体が60団体以上、協賛企業が6社。震災の当時とその後、その先でどういうことができるのか、どういうものが使えるのかなど、三部門に分けてアイデアを共有していく。この団体とこの団体の話をコラボさせたらもっといいものができるじゃないかと、どんどんつなげちゃう。新しい形のカンファレンスだと思う。たとえば、ラップポンという簡易トイレがあって、これは東日本大震災でも避難所で活用した衛生面から心のケアまでを作ったトイレ。用を足した後、液体から個体に変える。袋も完璧に密閉されるためにおいが絶対に出ない。震災後3週間はごみ収集が来ないこともあるが、これがあれば3か月間はにおいもでず中の物もでてこない、収集が来れば一般ごみとして捨てられる。ただ、見た目がすべて銀色で子どもたちに見せたら「寒い」という感想がでた。「もっと暖かい感じが良いのではないか」と言う話になった。そういう状況では癒しが大事だと思うし、トイレで心の暖かさが感じられるのであればプラスになる。どうやって暖かくするかと言うとトイレに絵を描く。本当にペインティングしてラップポンの人たちに見せたら、喜んでもらえて、「これは大人では思いつかない発想だ」と。ラップポンをカンファレンスに持ち込んだことで、そういうことが起きた。


このラップポンという、簡易型のトイレは、被災地で活動する自衛隊や、東京スカイツリーの建設現場でも採用されていたもの。現在、ラップポンに、被災地の子どもたちが「デコレーションする」という新たなコラボ・プロジェクトも、着々と進んでいます。

★★★
そして、このPIFを共同主催しているのが、番組で取材を続けている「サポートアワーキッズ」です。
この「サポートアワーキッズ」、今年もホームステイへの参加者募集がスタートしています。
行先は6月のフランスをはじめ、アイルランド、カナダ、ニュージーランド。
対象は東日本大震災で被災した中高生です。応募の締め切りは4月15日(火)
詳しくは、サポートアワーキッズのウェブサイトをご覧ください。

2014年4月8日

4月8日 高校生CEOと子どもたちが世界を変える 株式会社glopath(グローパス)1

今朝は、子どもたちの目線からみた東日本大震災、そして未来へ向けた防災・減災の取り組みについて紹介します。

インタビューしたのは、株式会社グローパスのCEO・最高経営責任者、仁禮彩香(にれい・あやか)さん。CEOですが、なんと・・・高校2年生の女の子です。まず、このグローパスという会社について伺いました。


左:株式会社グローパスCOO(最高執行責任者)の齊藤瑠夏さん  右:CEOの仁禮彩香さん

◆子どものアイデアを提供する
グローパスは、「global Pathway」という言葉からきている。世界に道をつなげていこうという意味。実際にいろんな会社とコラボレーションさせてもらっている。私たちにできるコラボレーションは、
自分たち子どもの力でできること、つまりクリエイティブなアイデアを提供すること。子どもたちがアイデアを提供する場を会社の中で開いてもらったりしている。例えば日産自動車のリーフという電気自動車に「こういうことをしたらいいんじゃないか」ということを本社の人たちにお話するというようなことをしてきた。


仁禮さんは、神奈川県のインターナショナルスクール出身。小学校まで、いわゆる日本の学校とは違う形の教育を受け、14歳でグローパスを設立。現在は日本の高校に通いながら、会社の運営を続けています。そんな仁禮さんとグローパスのメンバーは去年、あるきっかけで、東日本大震災について考えることになりました。

◆被災地で生まれたアイデアを集めたい!
グローパスは毎週火曜日に定例ミーティングがある。ミーティングといっても放課後のお喋りみたいな感覚。グローパスの先生から、「来年の3月で震災から3年が経つけど、日本はどれだけ変わってどれだけ変わっていないのかな」ということを私たちに聞いてきた。全然答えることができなかったので調べてみようということになった。調べたら放射能の問題などがたくさん出てくるのかなと思っていたが、それもあったが、あの出来事から学んで新しいイノベーション、新しい団体、新しいアイデアを商品化している例がたくさんあることに気が付いた。私たちには絶対にわからない苦しい状態に陥ったが、それでも未来を見据えて行動ができるというのが本当にすごいなと思ったし、ならばなおさら自分たちはそれを知らない人たちに伝えたり、何かできることがあるなら少しでも全力で取り組むべきじゃないかと思った。そこでまず、点と点になってちりばめられたものを一か所に集めようということになり、それがきっかけでカンファレンスを開くことになった。


こうして、被災地に目を向けたグローパスのメンバーは、自分たちにできることを実現するため、まず何をしたかというと、なんと復興庁・小泉進次郎政務官に手紙を出しました。小泉政務官から、「東北の被災地に足を運んでみよう」というアドバイスを受け、実際に石巻、陸前高田などを視察。そこで様々な団体と出会い、自分たちにできることを、より具体的に固めていった、ということです。

こうしてグローパスは、あるイベントを開催するのですが、この続きは明日お届けします。


そして、ここでお知らせです。復興を担う子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」の、今年のホームステイ参加者募集がスタートしています。行先は6月のフランスをはじめ、アイルランド、カナダ、ニュージーランド、サンマリノ・スイスです。対象は東日本大震災で被災した中高生です。詳しくは、サポートアワーキッズのウェブサイトをご覧ください。

2014年4月7日

4月7日 三陸鉄道南リアス線 全線開通

震災から3年目の春。
先週4月5日に三陸鉄道の南リアス線、翌6日に北リアス線が全線で開通。
新たな復興への第一歩を踏み出しました。



◆開通式に集まった地元のお客さんの声
「おばあちゃん家に行くのを楽しみにしていました。以前長女は乗っいたが次女が乗ったことがないので、早く乗せてあげたいです。」
「ちょうど三鉄開業した時に高1でずっと3年間通っていたのでうれしいです」
「こんなに盛大に開通のイベントができると、私達もこれから復興に向け、第1歩進めた気がします。」


沿線住民にとってはまさに通勤通学の足。三陸鉄道も春の新学期に間に合わせようと奮闘してきました。
そしてこの日は、全国からも開通を待ちわびていた三鉄ファンが集まりました!
東京から来た男性にお話を伺いました。

◆東京から来た男性
「盛駅からさっき釜石まで来ました。3年ぶりに全線運転再開ですけどグッとくるものがあった。開通した時に当時中学生で、駅の方に親切にしていただいてから、年に1回お邪魔しています。
(再開した区間をみてどう思った?)
線路はきれいになっているけど周りが復興半ばという感じ。寂しいものがある。これからだと思う」




◎FM岩手釜石支局の阿部志保さんによるレポートです。
南リアス線は、北リアス線に比べて地震の被害も多く、被災箇所は270ヶ所にのぼりました。例えば見た目にはわからない損傷でも、橋げたの中の鉄骨が折れていたり、鉄橋が3mくらい大船渡側に動いていたりと、復旧工事にとても時間がかかったそうです。でも震災後すぐに復旧工事に取り掛かったので、資材不足や人員不足はまぬがれたと仰っていました。
実は、私も運行が再開され釜石駅から三陸鉄道に乗りました。その時、一度発車したのですが、駆け込んできた方がいらっしゃったのを見て運転手の方が優しくまだ大丈夫だよ。と扉を開けて待ってくれたんですね。こういった地域の人たちとの距離が近いのも三陸鉄道の良い所だと私は思います。そして駅が繋がるということは、人が繋がることでもあります。
岩手はこれから桜の季節を迎えます。三陸鉄道の線路は、少し高いところにあるので街の桜がキレイに望めると思います。更にこれからはウニの季節にもなりますので、GWにぜひ、美味しいものを食べにそして三陸鉄道の旅を楽しみに岩手へお越しください。

三陸鉄道では、4/24(木)には「花見カキ列車」も運行します。
GWに向けて、三陸鉄道の旅、考えてみてはいかがですか♪ 

2014年4月4日

4月4日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師5

引き続き「東北食べる通信」2月号で紹介された、海苔漁師・相澤太さんのインタビューです。

相澤さんの職場、宮城県東松島市・松島湾は、2本の川から注ぎ込む栄養分、黒潮の循環など、条件の良い漁場として知られています。
つまり、元々 豊かな海なんですが、海苔の味を決めるのは「人の知恵と努力」だと相澤さんは考えています。相澤さんの言う「本当に美味しい海苔」とは、どんなものなのでしょうか。

◆海が思い浮かぶような海苔を
人が食べて“美味しい”と感じるには、味が出やすい育て方がある。もともと旨みや甘味は品種や地区で変わるわけではないが、「出しやすさ」がある。グルタミンなどの成分はどの海苔も持っているが、100回噛まないと味が出ないかも知れない。でも細胞壁が薄ければ簡単に出せる。それは考えてやっている。そこまで目指さないと。美味しいと感じてもらわないと意味がない。
だから良い寿司屋さんに行くと、「何回噛んで飲み込んでいるだろう」とか(観察する)。美味しいものって何も言わずに早く飲み込んじゃう。海苔は寿司では巻物なので、ネタを邪魔しないタイミングで味が出やすいタイミングってどこなんだろうと考えると、育て方も変わる。有明海の場合は自然の特性上、干満の差があり空気中に浮くことで雑菌が自然に駆除されるので細胞壁が薄い。だから柔らかくて歯切れが良い。逆に固い海苔を作るのが難しい。二噛みで味がバンと出ちゃって終わり、後味がない。だから自分は海を感じないイメージがある。本来海苔を作るにあたって塩分は入れない。湿気を吸いやすいから。湿気を吸うと海苔本来の酵素が活発になって酸化してしまい保存ができない。保存ができないから「塩分を入れるな」と問屋は言うが、俺の考える海苔は、海で育つのだから塩分があって当然。最初は塩分があったほうが後からくる旨みがさらに美味しく感じる。
口に入れた時にさらっとした塩分があって、磯野風味を感じられて、そうしているあいだに海苔の旨みが後からドンとくるという、そういう海苔を作りたいと思っている。それはこういう海でしか作れないと思うし、やっぱり海を感じて欲しい。食べた時に海を思い出してもらって、思い浮かべてもらえれば嬉しい。


相澤さんはこんなことも言っています。
「海苔のシーズンは一年に一度しかない。あと30年として、30回しか海苔作りはできない。だからこそ、毎年“一生で一番旨い海苔”を目指して作っている」。

今週は、東北食べる通信2月号から、東松島の海苔漁師・相澤太さんのお話をお届けしました。

※東北食べる通信 情報はこちら

2014年4月3日

4月3日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師4

引き続き「東北食べる通信」2月号で紹介された、海苔漁師・相澤太さんのインタビューです。

津波で、海苔作りの施設をすべて失った相澤さんですが、震災から丸3年を経て、ようやく海苔作りを再開。食べる人に、本当に美味しい海苔を届けるため、試行錯誤の日々を送っています。

◆海苔のことを考えると眠れない!
海苔には育苗という行程がある。人で言えば赤ちゃん。赤ちゃんの育て方で将来が全部変わる、それが海苔。まずどういう海苔を作りたいかで、種付け自体も工夫が必要。顕微鏡を使って種付けをする世界。100倍、200倍の視野で見て、何個胞子を付けるかという。種の厚さには幅があって、50個つける人もいれば100つける人もいる。俺は薄い(種を付ける数が少ない)。
昔は竹を立てて網を固定して、潮の干満の差を利用して水に浸かったり出たりさせていた。唯一海上で海苔だけが乾燥に耐えられる仕組みを持っている。それが浸透圧調整。細胞の中に水を出し入れを自由にできる。空気中に浮かべば海水中の雑菌が死ぬが海苔だけが助かる。その仕組みを使って雑菌を駆除しながら海苔を育てることを繰り返すと、浸透圧機能を強化され、色んな環境に耐えられるようになる。例えば大雨が降っても耐えられる。
ただ、それを赤ちゃんの時にやりすぎたらだめになるし、美味しい海苔にするためにはある程度厳しめに育てる必要がある。だからその時期は寝れないんです。育苗…海苔の赤ちゃんの時期は20日間くらいしかなく、いかにその二十日間で自分が育ってもらいたい種にするか、そう思うと寝れない。家に居ても眠れないので行くんです、アホなんで(笑) 行って船で寝ていたり、何もできないけど船の上で寝ているんです。


海苔の生育が気になって、船の上でそのまま寝てしまうこともあるという…。
相澤さんを「海苔の顔が見える職人漁師」と紹介しましたが、こうして四六時中、海苔のことを考えているうちに、顕微鏡でのぞいた、海苔の赤ちゃんの「顔が見える」ようになった、と相澤さんは語っています。

明日も、東北食べる通信2月号から、海苔漁師・相澤太さんのお話、お届けします。



※東北食べる通信 情報はこちら

2014年4月2日

4月2日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師3

引き続き「東北食べる通信」2月号で紹介された、海苔漁師・相澤太さんのインタビューです。

本当に美味しい海苔を食べてほしい、という想いから、ゼロから企画書を書き、スーツを着て、営業に回り、イオンなど大手量販店の販路を開拓した相澤さん。

ようやく、努力が実を結び始めた矢先、地元、宮城県東松島市・大曲浜も、3年前のあの津波に襲われました。

◆やりかけたものは、やる。
家族は全員無事で、その頃はそれだけで幸せだった。大曲浜には150世帯・1500人が住んでいたが、5人に1人が亡くなった。当時は家族が助かっただけで恵まれていたと思ったけど、でも5日くらいしたら、やっぱり俺は他で仕事できないなと思った。とにかく海で仕事しようと決めたが、海苔は経費が掛かっていた。祖父の代からちょっとずつ設備投資して、やっと工場を立て、三代に渡ってやってきたものが一瞬でなくなった。土地も家も無くなり、とうてい借金して海苔漁を再開するのは無理だと思った。1週間くらいで仙台に電気が戻ったので、すぐに仙台のネットカフェに行きワカメ養殖を勉強して、ワカメに必要な道具や漁具を勉強して戻って来た。後輩には、「俺らが一番最初に復活する。ワカメだったらたぶんできるぞ」と言った。そして5月に、ワカメ養殖に手を上げた全員で道具を作り、その年の11月からワカメ養殖をみんなで始めた。ただ、あの時は福島がどうなるかが分からず、俺は子どもに安心して食べさせられるものしか作らないと考えていたので、「これは賭けです、もしも放射能が出たら全部捨てるつもりでやりましょう、そうじゃなきゃやらないでください」と言った。検査の結果、放射線は出なかった。大成功。すごい水揚げがあった。陸に上がらなくて済んだ。うちの浜では亡くなられた人、後継者のいない人は別だが、ずっと海で収入を得ていた。でも、海苔の市場を変えてもっと美味しいものを作るという目標はやりかけだった。震災があろうがなにしようが、やりかけたものはやる。決めていた。ワカメで資金をためて海苔を復活させようとやりだした。


震災前 19人いた東松島・大曲浜の漁師は、震災で9人に減少。現在、相澤さんをはじめとした海苔漁師は、国の補助事業を受け、海苔作りを続けています。ただ、この事業は3年と言う期限つきで、補助を受けられるのは、あと1年です。



明日も、東北食べる通信2月号から、海苔漁師・相澤太さんのお話、お届けします。

※東北食べる通信 情報はこちら

2014年4月1日

4月1日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師2

引き続き「東北食べる通信」が取り上げた、生産者の声をお届けします。

2月号で紹介されたのが、宮城県 東松島市の「一番摘みの海苔」と、その生産者、大曲浜(おおまがりはま)の海苔漁師・相澤太さん。19歳で、祖父や父と同じ海苔漁師の道を歩みだした相澤さんは海苔づくりの世界に没頭して、品評会で優勝も経験する中、見た目と効率を優先する、海苔業界の風潮に疑問を持ち始めたと言います。本当に美味しい海苔を食べてほしい、そう考えた相澤さんは、20代後半で、ある行動を始めました。

◆「I LOVE 海苔」 !
市場を変えなきゃ、海苔の業界を変えなきゃと思い、自分が作った海苔をいかに自分で売れるようにしていくかを考えて、28歳で初めて営業をした。それは何の知識もなく、漁師しかやったことのない自分が、山形のあんまり海苔の無い地区の道の駅を回ることにした。8か所くらいまわったが話も聞いてもらえない、置いてもらえない。その頃はアホなのでサンダル、Tシャツ、ジーパン、ピアスに茶髪だった(笑) 今だからこそ、もし俺だったらこんな人の話を聞かねえわ…と思うのだけど、当時は勢いだったので、うわ、誰も話を聞いてくれない・・・と思った。そして企画書を書けなきゃダメだなとか、敬語使えないとダメだとか考えて、初歩的なことなんですが、そこから本屋さんで本を買って色々勉強して企画書を書けるようになり、企画書を持って蛇田にある石巻イオンに持っていった。でもアホなのでアポなし(笑) 駐車場からイオンに電話をしたらパートのおばちゃんが出た。あっちは分かっている人だと思って、一番偉い人につないだ。実はこういうわけでと説明したら「相澤さん、絶対にそれは無理です」と言われたが、近くにいるんで話だけ聞いてくださいと頼んで話をしたら、勢いがある営業だったためか、入れてもいいかなと思ったんではないか。蛇田のイオンで取引してもらえるようになり、海苔自体のパッケージも自分で考えて持って行った。今まで全部黒いパッケージでつまらなかったので、その中に白いパッケージがあったらどうだと思って真っ白い紙に「アイラブ海苔」と書いた笑 絶対にこれ(手に)取るべと。取ってもらうと裏には生産現場の写真と、作り手の想いが書いてある。とにかく手に取ってもらうことが勝負だと思った。その企画の話もして入れてもらえるようになってやっていた。
          



海苔の加工には、「海苔の中に混ざった不純物」を取り除く機械があります。ただ、この機械を導入するかどうかは“生産者の任意”。相澤さんは、安心・安全な海苔を出すためにこの機械を導入しており、
自ら、それをアピールして営業をしたと話しています。

明日も、東北食べる通信2月号から、海苔漁師・相澤太さんのお話、お届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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