2014年7月31日

7月31日 石巻STAND UP WEEK 2014 その5「リノベーションシンポジウム石巻(後半)」

引き続き、宮城県石巻で開催中の、スタンドアップウィークのレポートです。

スタンドアップウィークの、50以上あるコンテンツの一つが、先週土曜日に行われた『リノベーションシンポジウム石巻』。建築分野の専門家を中心に、石巻という町の未来を考えるイベントです。その後半では地元の方、建築関係者による座談会も行われ、地元石巻市・牡鹿半島で、古民家を改装してカフェなどの運営を続ける、若い経営者も壇上に上がりました。



◆牡鹿半島の小さな浜のイノベーション
cafeはまぐり堂の亀山と申します。蛤浜出身でずっと水産の勉強をしていて昨年まで水産高校の教員をやっていたが、今はやめてカフェをやっています。このプロジェクトの目的は持続可能な浜を作るということ。震災で大きな被害を受けた蛤浜、私の故郷を何とか再生したいという想いがある。牡鹿半島には約30の浜があって、蛤浜はその中でも一番小さな浜。震災前は9世帯、津波で壊滅的な被害を受け、今年の3月の人口は5人。とっくに限界集落は超えて存続できるのかと言う人口まで減ってしまった。私自身も津波で女房を亡くし学校も被災。ここから離れていたが一年経って戻ってきて、築100年の家が残っり、それをボランティアとともに改装してcafeはまぐり堂をオープンしました。最初はこんなところに飲食店をやってもお客は来るわけないと言われたが、おかげさまで一年でおよそ1万人の方にお越し頂いた。これから宿を展開したり自然学校をやったりと言うことを考えていて、スタッフを2人増やした。スタッフが7名になった。そして人口も2人増えて、なんと4割増し(笑)全国トップの40%増。あとは山を整備してキャンプ場にしたり、漁業が少なくなったのでマリンレジャーに海を利用したり。あとは糸井重里さんのプロジェクトでツリーハウスを作ったりしている。浜の魅力を伝えることで移住して頂ければ一番良いのだが、少なくともなんとか持続可能なものを作っていきたいと思っている。





亀山さんは現在、蛤浜再生プロジェクトという形で、カフェだけでなく、宿泊施設も作っています。こちらは完成間近!!将来的には、漁業体験、グリーンツーリズム、キャンプも楽しめる滞在型の観光施設を作り、浜の再生を目指しています。


◆古き良きものと現代の融合
「発展」というと難しいが、自分がどういう未来にしたいかというのが一つある。やっぱりうちの爺さん、ばあさん世代はほぼ自給自足で大変な生活を送っていたが、親世代が経済発展の中で一生懸命働いてくれて、私が生まれた時には食うに困らない仕組みができていたが、今はその貨幣経済で疲弊しているんじゃないか。次に我々がなにができるか。じいさんばあさん世代が作ってくれた、自然の豊かさ、食や知恵をもう一回引き出して、親世代、今の世代が作った今の技術と組み合わせて次の未来を創ることなのではないか。「浜に住んでいて不便でしょ」と言われるが全然。Amazonで注文すれば何でも届くし(笑) wi-fiを飛ばしてみんなパソコンで仕事をしたりしている。庭に竈を作ったり、建物をあえて土壁にして、牡蠣殻を砕いて石灰を作って、釜で海水を似てにがりで土間を作ったり、あえてそういうことをしているが、だからといって原始的な生活に戻れるかと言うとそうではない。本来その時代の良いものもある。ネットで買い物もする。そういうものを融合している。本当の豊かさ、日本の素晴らしさはなんなのか。日本が今後必ず直面する問題がここではもうはじまっている。これをうまくやることができれば、ほかの地域の参考にもなる。生きるすべがあるのではないかと思う。


シンポジウムを主催した、建築関係者の団体「HEAD研究会」の新堀さんは、石巻の町づくり、石巻の役割について、「石巻の中だけで完結するのではなく、岩手や仙台など、ほかの地域とどうつながるか。
観光を目的に 人が行き来して滞在できるようなベースキャンプとしての役割が 石巻には求められるのでは」と話しています。

人口たった7人の小さな集落。日本中ではじまっている問題の解決策が、もしかしたらここから生まれるかも知れません!

明日は、8月に東京で行われる、若い世代が復興について考える大きな「サミット」の情報をお伝えします。

2014年7月30日

7月30日 石巻STAND UP WEEK 2014 その4「リノベーションシンポジウム石巻」

引き続き、宮城県石巻で開催中の、スタンドアップウィークのレポートです。

「未来づくりの見本市」をテーマに、町中で様々な企画が展開しているこのイベント。中には、石巻という町の「建物」に目を向けた、こんなユニークなシンポジウムも行われました。

◆建築の専門家が大喜利!? お題は「石巻の未来」!
(拍手)ありがとうございまーす、なんかウレシイ。九州工業大学の徳田ともうします、「円楽」をつとめさせていただきます。リノベ大喜利ってご存知でしょうか。ここにはおふざけな方もいますが、この人たちはプロの町のトレジャーハンター。彼らが石巻で、中心市街地で町のお宝を探して、その可能性と石巻の未来を料理して提案してもらう。これが大喜利の趣旨です。



先週土曜日に行われた『リノベーションシンポジウム石巻』。これは、建築分野の専門家たちが、石巻の町で見つけた可能性をアイデアに落とし込み、なぜか「大喜利」形式で発表する!というシンポジウムです。



主催したのは、HEAD研究会、という団体。そのメンバーのお一人で、建築士の新堀学さんに伺いました。

◆建築関係者たちが石巻に結集
HEAD研究会は、建築を作る人と使う人のあいだに断絶があるという意識から、作る人が使う人のことを考え、どう町を、建物を創っていくか考えながら建物を創ろうと考える人たちの集まり。メンバーは建築家、施工者、大学教授の建築の研究者、建築ができたあとにどう使うかを不動産の世界で扱っている専門家もいる。石巻に来たのは、現場で起きていることを実際に観て考えたいということ。この指止まれということで、石巻に関心があり、テーマを見つけられる人たちが集まってきている。




石巻に集まったHEAD研究会のメンバーは、4つの班に分かれ、宝探しのように町を散策。そこで見つけた石巻の「お宝」をもとに、街を面白くするアイデアを提案しました。


◆猫島に、世界が注目する「猫ビル」を!
「聖地巡礼」という海外向けのホームページで、田代島(猫島)の写真が紹介されている。聖地の条件は「ロケ地」と「ガジェット」。石巻でもロケ地とガジェットを探してみたいと思って、市街地を見た。昔の石巻の「港絵図」があるが、これを見ると細長い敷地割りになっていて、かつ長い壁を持っていた。ここに漫画のキャラクターや背景、下書きを書いたり色を付けたりと、ここでしかできないことをやってみないかというアイデア。例えば石巻をロケ地にした漫画を公募する。公募した漫画のイメージを町づくりにつなげていけないか。石巻港絵図に描かれた水路のある町を舞台にした漫画を公募できないか。ロケ地&ガジェットは、「猫ビル&親ばか」。先ほどのブログにはこういうことが書いてある。「なんて素晴らしい場所なんだ」「この場所は絶対にいかねばならない」「キュート」「地上の楽園」「猫島はマジいきたい」、、、これはみな外国人の書き込みを翻訳したもの。これは立派なビジネスになるなと隣の不動産屋が言っている。猫を飼ってOKなビルではなく、「猫が住み着いているビル」を建てる。世界で唯一の猫ビルを作ろうということ。世界から愛される聖地になってほしい。

           

こうしてシンポジウムは、大喜利スタイルで、建築関係者が街の未来を形作るアイデアを発表。猫ビルのほかにも、こんなアイデアが提案されました。

・石巻の銭湯を生かす。銭湯を中心に民泊施設を作れば、人が滞在できる。雇用も生まれる。
・道路を封鎖して、クルマなどが入れないようにする。子どもたちが危険なく遊べるスペースを作ることで、子育て世代のマイルドヤンキーたちが安心できる町づくり計画。
・地中海と同じ海産物が取れる上、水辺の町でもある石巻に、地中海料理が楽しめて、川辺にレストランなどが並ぶラテンな町を作る、題してスペイン化計画。

明日も、リノベーションシンポジウム石巻の様子をお伝えします。

2014年7月29日

7月29日 石巻STAND UP WEEK 2014 その3「石巻夕凪ダイニング」

東北地方も梅雨明け!きょうも、宮城県石巻で開催中の、スタンドアップウィークのレポートです。

今年のテーマは「未来づくりの見本市」。石巻の市街地各所で、50を超えるコンテンツが、展開しています。今日は、その中から「食」のコンテンツを一つクローズアップ!

場所は、旧北上川のすぐそば、「松竹」というお店の目の前にある広い屋外スペース。ここに期間限定でオープンしたレストランが「石巻 夕凪ダイニング」です。ちょうどたそがれ時。食事を終えてデザートを待つお客さんに話しかけてみました!



◆「石巻のいろんなシェフを味わえる」
(お客さんの声夕凪ダイニングは絶対にこなきゃと思って。石巻のいろんなシェフのお食事を1回で味わえる、すごいなと思って申し込みました。今ちょうどメインが終わったところですが、最初からすごかった。
ウニのカラが動いているような新鮮なウニとジュレ、メインがアイナメのフレッシュな焼いたもの、アワビの酒蒸し、観たこともない創作料理が出てきて、夕凪レストランというように
ちょうど夕焼けが石ノ森萬画館のほうにかかって、川面からくる風が気持ちよくて、お酒も進んで最高です。ただの酔っ払いになっています(笑)


この夕凪ダイニングでは、400年の歴史を持つ老舗『松竹』、創業100年を越す老舗『割烹滝川』をはじめ、石巻の腕利き料理人が、地元食材を使い、腕を振るいました。アイデアを考えたのは、地元を代表する老舗『松竹』の、14代目! 阿部久利さんです。

◆老舗14代目が提案する「僕なりの見本市」
夕凪ダイニングは若手のシェフ5人と、三夜限りのスペシャルディナーということで、夕暮れ時の良い時間帯を狙って外でディナーを食べる企画がいいんじゃないかということでやらせてもらった。ヨーロッパに行くと結構ポピュラーに外で食事するというのがあるが、石巻は意外と食事もクローズドで召し上がる文化なので、せっかく夏でも夕暮れは涼しい環境なのだから、涼みながら、焼き鳥やバーベキューじゃなくてちゃんとしたお料理を楽しめる場所があればいいかなと。こういうのも一つの文化だと思う。石巻の未来を語るうえで、こういうのはどうですか、という僕なりの見本市。新しいものを今回は見せるというのがスタンドアップウィークのテーマ。ここから何か生まれて行けばいいなと。


・・・さて。この夕凪ダイニング、期間は7月27日(日)までの3日間・・・。でもせめて、頭の中で想像して楽しみたいですよね!?



◆自慢の料理で胃袋をつかめ!!
今回は鮎川産のアイナメをメインで。神経締めといって活じめの一種。生きた状態で脊髄を抜くことで死後硬直させない、肉の鮮度をできるだけ保って熟成させるしめ方。漁師さんや仲卸さんの中でも、今までやってこなかった技法で付加価値を付けて魚を流通させるという、新しい考え方の若手の方もいらっしゃる。そういう方と今回ははじめてこの企画を通じて繋がった。今後もなんらかの形でやっていくと思う。トマトも実は石巻が名産地。地元の完熟トマトをソースに仕立てたが、ただのソースじゃ面白くないのでリンゴのチップでスモークをかけた。いぶされた香りが鼻に抜けるトマトソース。アイナメと一緒に召し上がっていただく。これは三陸産のアワビとワカメを酒とこぶで蒸しあげて、肝とカニみそとイカすみを入れたソースで食べていただく。美味しいです。まさしくそれが見本市。全体としてはコース仕立てだが、その一皿一皿が、各お店の「これぞ」という一品。看板じゃなくて味でお客様の胃袋をつかむという意味でも、見本市になりえるのかなと。



もちろん、石巻にいけばそれぞれの料理人の最高のお料理は、それぞれのお店で頂けます。夏休み、ぜひ食べに行きましょう!

2014年7月28日

7月28日 石巻STAND UP WEEK 2014 その2

今朝は、宮城県石巻からのレポート。まさに今、石巻は町全体が、お祭モードです!

石巻最大のお祭り、7月31日・8月1日の「川開き祭り」に向け、地元街作り団体 ISHINOMAKI2.0が主催する大イベント スタンドアップウィークが、先週末からはじまっています。

2011年にはじまり、今回で4年目となる今年のテーマは『未来づくりの見本市』。市内のいたるところで、町の未来を予見させるコンテンツ、子どもから大人まで楽しめる催しが楽しめます。その数は50を超えます!

その初日、25日(金)の模様からお伝えしましょう。この日、イベントの幕開けとともに、一本の特別列車が仙台駅を出発しました。乗客は全員、石巻に興味を持ち全国から集まった人たち。彼らを乗せ 走り出した列車の名前は、「石巻アイデアトレイン」です!



◆被災地発 未来行きの列車、出発進行!
(※拍手)どうもみなさんこんにちは。ISHINOMAKI2.0の松村です。いよいよ出発しました。STAND UP WEEK2014の開幕を告げるこの列車は、本当に「被災地発⇒未来行き」というような列車です。
このマンガッタンライナーというのは石ノ森章太郎のキャラクターに彩られた特別列車です。たんに受身のイベントではないです。みんなで未来を創っていく時間。ぜひ今までになかったようなアイデアを出して、被災地の復興だけでなく、この国の、あるいはこれからの世界の新しい1ページを作れればいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。


漫画家 石ノ森章太郎さんの作品が描かれた、2両編成の列車、マンガッタンライナー。三陸沿岸を走るJR仙石線が、震災の影響で一部不通のため、現在は、内陸を走るJR石巻線の区間を、週末限定で運行しています。



仙石線は、来年 完全復活の予定。石巻アイデアトレインは、まもなく石巻に“ツナガル” 仙石線を使った「未来のアイデア」を出し合う企画でした。

◆列車は未来のアイデアを乗せて走る!
・「僕が思いついたのは、揺れる車内で筋トレ列車(笑)座っている人用のメニューと、吊り輪を使っている人のメニューの2つを考案すれば、それだけで1時間のブートキャンプが組めると思う。あとはヨガとか気功とか、揺れる社内を逆に生かして安定力を鍛えるみたいな。そういう提案をさせて頂きました」(拍手)

・「こんにちは、東京から来ました。考えたのは各停・おばちゃんのおかずが食べられる列車。せっかく石巻まで行くのなら特急みたいに仙台から石巻まで止まらないのはもったいない。せっかく駅があるのだから、それぞれの駅に止まってそこの近所に住んでいるおばちゃんが窓を開けておかずを出してくれる。それを試食してすべて食べつくす。一日くらいかけるような列車の旅ができたら楽しいなと思います。」

・「千葉からきました。私のアイデアは、鉄っちゃんなんで鉄っちゃんらしっく、小保田なので小畑の運転区、ここは入れないと思うんですが、ここから石巻を経由して石巻貨物ターミナルまで普段は誰も入ることのできないところを全部乗せると。こういうツアーはどうでしょう。貨物ターミナルは場所が余裕があるのでビアガーデンをやるということで、ミステリーツアーであれば、かなりマニアックな人たちがくるのではないかなというのが私のアイデアです。以上です」

・「(女性)今回わたしが考えたのは、ルーフトップトレインを作るという案です。私が今回仙台の友達に、仙石線のいいところって何か聞いたら、仙石線はとにかく景色がいいという。海岸沿いの海の景色がすごく素敵なんだと言っていて、そういえばバスにはあるけど電車にはないなと思って、ちょっとデンジャラスかも知れないですけど(笑)これはぜひ実現させて頂きたいなと思います」




◆行かないと体験できないこと
素晴らしい景色をバックグラウンドに素晴らしいアイデアがいっぱいでてきたのは、本当に素晴らしいこと。これを一つにまとめたりするのはあんまり意味がなくて、みなさんが思っていること、今後も出てくることをどんどんやっていけばいいかなと。もしかするとこのアイデアトレインというのは、サイクルトレインもあるし太巻きトレインもあるし、おじいちゃんトレインもあるし、なんでもインターネットやYOUTUBEで観られる時代ですが、実際に乗ったり走ったりしないと体験できない。それがその場所にくる理由。そういった体験が今後できるといいなと、2.0のメンバーはいつも語っていたりします。




最後のコメントは、ISINOMAKI2.0のクリエイティブディレクター、岩井俊介さんです。



今回、列車内で生まれたアイデアは、それぞれ車窓に張り出され、アイデアトレインは石巻駅に到着。



参加者たちは、石巻の観光協会を訪問して協会の会長との意見交換を行いました。会長からは「少なくとも一つは、アイデアを実現させましょう」と、具体的な回答もあったということです。本当に形になる日は近そう!また、来年復活するJR仙石線も、協力に積極的な姿勢を見せています!

あしたも、石巻STAND UP WEEK 2014のレポートをお届けします。

ISHINOMAKI STAND UP WEEK 2014 ホームページ

2014年7月25日

7月25日 石巻STAND UP WEEK 2014

東北も、夏休みを迎えますが、今朝は、宮城県石巻から1年ぶりに、あの恒例イベントの話題です。

100年近い歴史を持つ、石巻最大のお祭「川開き祭り」が、7月31日・8月1日に行われますが、その日に向け、今日からスタートするのが、石巻の街作り団体 ISHINOMAKI2.0が主催する、大イベント、スタンドアップウィークです!!



ISHINOMAKI2.0、代表理事 松村豪太さんに、案内して頂きましょう。

◆未来づくりの見本市
2011年から始まって4年目を迎えたstand up week2014、今年は『未来づくりの見本市』というテーマで一気にバージョンアップして皆さんと一緒に作っているんだが、いよいよきょうから8月1日まで8日間開催となる。ここまでの3年間は、東京でもニューヨークでもロンドンでも起きない、被災地石巻だから生まれたアイデアを形にして、復興だけではなく、ほかの地域が面白くなっていくヒントがたくさん落ちているので、それを楽しみながら観に来てほしい。そういういろんなテーマの元、これからの働き方や街づくりの仕方、住まい方というテーマのもとに、ワークショップやシンポジウム的な企画も多数用意している。単純に美味しい食材を、5名の一流若手料理人がクオリティの高いワンプレートを出す。それを回ると一日限定でその日だけのフルコースができるという、会場が北上川の真ん前、ちょうど川の夕時の風を感じながらお料理を楽しめる、夕凪ダイニングも楽しめる。




今回のスタンドアップウィーク、なんと40を超える数のコンテンツが企画されています。なかでも、きょう初日の注目は、仙台と石巻を結ぶ、超スペシャルな「列車」です!



◆走るワークショップ?
今回、JR東日本と石巻が連携して、列車を一便借り切った。初日7月25日に仙台駅を午後2時15分出発〜石巻に4時8分着というスタンドアップウィーク専用列車が出発。もともと石巻と仙台は、仙石線という海岸沿いを走る景色もきれいな列車があったが、まだ被災から復活していない。ようやく来年再開予定ということで、電車の大事さを感じた。そこで列車を使って町をどう面白くできるのか。ということで企画名は石巻アイデアトレイン。移動中にワークショップをする。さらに講談師が電車に乗り、旅や駅や列車をテーマにした新作の講談を準備している。エンタテイメントとして講談師の講談を楽しみ、町、あるいは鉄道の未来を考えるワークショップをする。それを石巻駅に到着するタイミングで、石巻駅の観光協会に表敬訪問して、そこでアイデアを観光協会会長に報告するというところまでセットで企画している。


この列車は、マンガッタンライナーという2両編成の特別列車。石巻にゆかりのあるマンガ家・石ノ森章太郎さんの、サイボーグ009や仮面ライダーなどの作品が車体に描かれた列車です。この企画列車の
申し込みは、スタンドアップウィークの特設サイトから。

そのほか、去年、中西哲生が参加した自転車レース「ツール・ド・東北」のプレイベントとして、石巻・牡鹿半島をめぐるサイクリングイベントや、「ゆかたde街コン」などなど、子どもも大人も楽しめるイベントが盛りだくさん。フットサルも、もちろんあります!



◆フットサルはバージョンアップ!
10m四方に囲んだ2オン2のフットサルだけでなく、今回はさらに広げてストリートカルチャー、ストリートスポーツと言う切り口で一つの企画を準備した。全国的にけん玉がブーム。ヒップホップなどのBGMの中でのけん玉遊び、BMX、スケートボードなどを町の中の被災があったからこそ生まれた空間に集約、楽しもうという企画。8月1日の川開き祭り当日。自由に立ち寄ってもらってOK!


さらに今回はMr.Childrenのプロデューサーとして知られる小林武史さん、Salyuさんなどによる映像や音楽を使った企画展示が、期間中、ずっと展開することになるのですが、、、どうも、それだけじゃないらしいです。なにかビックリな企画も用意しているようなんですね。詳しくは、スタンドアップウィークのHPご覧になってみてください。ゲリラ的に、その内容がアップされるらしいです!

石巻STAND UP WEEK 2014は、きょうから8月1日までの8日間開催されます。そして、川開き祭りは7月31日・8月1日の2日間です。

2014年7月24日

7月24日 東北食べる通信 山田の海賊4

ひきつづき、東北食べる通信6月号から、岩手県山田町の、“海賊”と呼ばれる漁師たちのインタビューです。

東北食べる通信は、毎号、生産者たちの収穫物が「付録」として、ついてくる“食べる情報誌”です。
6月号は、山田町の漁師のグループ『第八海運丸』が獲った「シュウリ貝」が、付録でした。



シュウリ貝、あまり聞き馴染みのない貝ですよね。第八海運丸の代表、柏谷智康さんに教えてもらいました。

◆「黒いダイヤ」、シュウリ貝
この貝はムール貝とは違う。俺らは「天然沖シュウリ」と呼んでいるが、流通していないから名前がはっきりしていない。黒いダイヤと呼んでいる。この漁が4月1日から5月末までの2か月間しかない。その中でも干潮の時しか取れない。そうなると日にちにすると3週間で何個とるかの勝負。だから波が荒くても取らなきゃいけない。波に流されるし、海に首までつかる。海運丸のメンバーにも若いのがいるが、みんな怖いと思っている。大きい波が来れば死ぬかもしれない。それを笑って獲れと。流されたら次の波で帰って来いということを言い聞かせている。俺らは、大きい波が来れば来るほど楽しくなってくる。頭がおかしいのかもわかんないけど(笑)


ムール貝とシュウリ貝、種類は同じなんですが、シュウリ貝は純国産。元々、日本の海に生息する貝。地元の方は、これを少量の水だけで炊いて食べます。貝の塩味だけで十分美味だそうです。ただこれ、ほとんど流通することはありません。というのも、この貝をたくさん獲るのは、文字通り“命がけ”だからです。

◆危険なのが面白い
このシュウリ貝は、山田湾ではなく湾の外に行かないと取れない。場所は危ない個所だったらどこにでも。船でその場所の岩場に行って乗り移る。シュウリ貝は昔は水面近くまであったが地盤沈下で下の方にしかない。それをどうやって取るか。息が続くところまで海に入る。水中眼鏡とシュノーケルをつけてシュウリを取ると密漁になる。潜って取ってはいけませんという規則がある。だから「ギリギリまで入れ、下唇まで入れ、あわよくば水を飲んでもOKだ」と。下には大きいのがある。それを意地になって取る。岩に三本指をかける。そのままずっと入って首まで入る。足は片方の足が岩にちょっと乗ればよい。あとは片方は海に浮かんでいる感じ。その状態でシュウリ貝を引っこ抜く。シュウリ貝は岩につくために根を張る。荒波に飲まれないためにびっしりついている。それと格闘する。それを手で取る。獲ったものはその場では袋には詰められないので、岩場にバンバン投げる。それを一人が土俵袋に拾って歩く。一人が監視していて、波が来たら教える。教わったらばーーーっと上ってくる。みんな役割がある。実質獲っているのは3〜4人。それで2時間で5000個くらい獲る。なんかね・・・1個を取る喜びは、波の怖さより強い。確かに危ない。岩に頭を挟まれたこともあるが危険なのが面白い。だからこの価値が出てくると思う。山田湾とは、俺の銀行かなと。(弟・直之さん)同じです。ATM山田支店(笑)

                  

「山田湾は俺の銀行・ATM」と言っていましたが、2人は、海で漁をすることを「ちょっと銀行にいって金おろしてくる」と表現しています・・・。さすが海賊。
シュウリ貝の収穫シーズンは終わりましたが、第八海運丸のフェイスブックページでは、お取り寄せも受け付けていると言うことです。
そして第八海運丸は、これから8月までは山田湾のウニのシーズン。9月になるとタコやヒラメ、アイナメ。そのあとは秋シャケ。冬はナマコやアワビ。春になるとマツモやフノリなど海藻類・・・。海賊たちは、1年中 海へ繰り出し、獲物を獲っていると言うことです。

第八海運丸facebookページ

2014年7月23日

7月23日 東北食べる通信 山田の海賊3

引き続き、『東北 食べる通信』6月号から、岩手県山田町の、“海賊”と呼ばれる漁師たちのインタビューです。お話を伺ったのは、山田町の漁師たちによるグループ、第八海運丸の代表、柏谷智康さんと弟の直之さん。


奥側の怖い目つきをしているのが兄・智康さん、手前が弟・直之さん

東日本大震災から数ヶ月後、柏谷兄弟は、国や県からの支援を、一切受けることなく、自分たちの力だけで、再び海へ繰り出したと言います。それは2人が、漁師として力に、絶対の自信を持っているからです。

◆震災はチャンスだった
震災後はみんな「養殖を辞める」という話をちょくちょく聞いた。「だめだ」と。でも俺らにしてみれば、もとから養殖はやっていないし、養殖筏もないし、海広くなったな〜ラッキーだなーと思った。どこでもはえ縄漁もできるし、俺の海かなみたいな感じは思っていた。やっぱり一からのやり直しなので、金持ちも貧乏も同じ。ということは腕次第。それを考えると、やったラッキーかなという気持ちは思った。(弟)俺も津波がきて、俺の時代がきたなと。腕には自信があっから、これで俺もトップいけっかなと。そんな感じ。北海道に修行に行って日本一のサンマ船にも乗って8年努めて、それだけでも自信になっているし。地元だけで漁師をしているとそこだけの人間としか出会えない。旅していろいろな人に会っていろんな船に乗って帰ってくると、地元からもすげえ奴だと思われる。地元のウニでもアワビでも自分で獲って、俺は誰にもまけねえなと、腕には自信がある。津波が着た時点で、ああ俺の海だという気持ちに。


震災はピンチではなくチャンス。そう考えた柏谷兄弟は、ベーリング海など過酷な海を経験した、腕利き漁師たちに声をかけ、漁師8人のグループを立ち上げます。

こうして集まった8人の海賊。彼らの大漁旗に書かれた文字が、『第八 海運丸』です。


◆命がけの漁師の“価値”を
第八海運丸というのは、うちの船の名前。元々は俺と弟で、俺らの獲った海産物をうってみようという話になった。今までは魚を捕って市場に揚げて仲買が買ってスーパーが買い取って消費者に行くが、漁師からは一番安い値段で獲っている。それがスーパーに行くまでにとんでもない価格になる。俺らはそうじゃない。獲る方が価格を決めて、食べたかったらその値段で買えと。獲ったものを新鮮なままで、そのまま仲買を通さずに売ることで、そのまま直接だから安い。これはシュウリ貝に例えると、これはほぼ流通していない。価値で言えば、どこまであるか正直わからない。ただ、命をかけて取るシュウリ貝の漁に、価値を伝えていきたい。(弟)俺らが荒波で獲って、消費者が「これはどこからきたのか、どこ産なのか。」表示はされているが、どこでどんな想いで獲っているのかはわからない。それをちゃんとみてもらって味わって、美味しかったというつながりが欲しくて、漁師の直送というのを作った。産地直送はありふれているが、漁師が直接売るというのをやりたくて、みんなでグループを作った。


こうして生まれた第八海運丸。メンバーは8人の漁師と、紅一点・世話役の女性が一人の9人で、今日も海を駆け巡っています。智康さんは「誰もが一筋縄ではいかない強者 漁師ばかり。海賊と呼ばれた時も、やっぱりなと、全然違和感がなかった」と話しています。

2014年7月22日

7月22日 東北食べる通信 山田の海賊2

今週は、『東北 食べる通信』6月号の特集について、お伝えしています

6月号で紹介しているのが、岩手県山田町の漁師たち9人のグループ『第八海運丸』です。
震災後、獲った海産物を自ら販売する「漁師直送」をスタート、リスクを恐れず、日々海と戦う姿勢を、食べる通信は敬意を込めて「海賊」と呼んでいます。

今回お話を聞いたのは、いわば、その海賊の「船長と副船長」。山田の兄弟漁師、柏谷智康さん、直之さんです。



まず、第八海運丸 旗揚げのきっかけとなった、あの震災について、兄・智康さんに伺いました。

◆支援はいらない
3月11日の津波、船を助けなきゃと一日おきに停泊した。沖合にいる時から火の手が上がっているのが見えた。沖からみると自分の家が燃えているように見えた。次の日帰ってみたら、もう何もなかった。家も。家族の無事の確認をしてまずはじめて俺らは、みんなが食べるものがないと行っている中だが一段落して、ガレキで小屋を造った。小屋を造ってまず道具をおくところ、流されたが拾ったものもあるのでそれを入れる倉庫・作業場として、自分のうちのガレキで作った。第一号で建ててしまった。支援などを生活のために漁協にかりにいくが、そういうのはいらないし支援を受けたいとも思ったことはない。海に出ればどうにかなると思っている。被災したおじいちゃん、おばあちゃんもいるが、その人たちの分も獲ってくる自信も持っていた。漁師もはじめは初心者。でも、地元の漁師にもまれて、これだけじゃだめだと北海道、新潟、日本海で修行して、いろんな知識を覚えて、魚の取り方を全部しみ込ませている。針にしても、道具にしても、釣り具屋さんに買いにいくが、それも自分で作る知識がある。そこがやっぱり自信があったと思う。


柏谷兄弟は、全国の過酷な漁船で修行を積んだ経験もあり、必要な道具がなければ、工夫して作っちゃうという、すご腕漁師なんです。だから2人は、震災後、誰も漁を再開できない中、すぐ行動を起こせたと言います。

◆逃げ出した鮭を一網打尽に
みんな漁協さんの組合員で、震災後のガレキ撤去を1日3000円程度支給されてやっていた。この3000円が馬鹿臭いと思った。ふとラジオを聞いたら、宮城県の小名浜の鮭養殖場が壊れた。鮭は銀ザケなので北に上る習性がある。これはくるなと思った。そのまえにガレキから拾い集めた道具、自分たちの道具も少しずつ拾って、山田湾の中に見えてきたときに、これは完璧だなと行ったら、とんでもない数がいた。船は生き残っているし魚群探知機もあったので反応がわかる。すごいと思った。養殖の魚だからなんでも食べる。水産加工会社の友達に、「ちょっとその餌わけてけろ」と持っていって、それを切って、はえ縄漁でぶちこんだ。まあ来るわ来るわ。それをもって港へ行き、ガレキ撤去や船のない人たちにも分けて食べさせた。ガレキ撤去で3000円の仕事はしない、そっちをとると。200万円くらい獲った。

2014年7月21日

7月21日 東北食べる通信 山田の海賊1

今週は、番組でなんどか取り上げています。『東北 食べる通信』の続報です。

東北の、農業・漁業の “生産者”を取材した記事とともに、海の幸や農産物が付録としてついてくるという、史上初の“食べる情報誌”が、「東北食べる通信」です。



その6月号の特集がは岩手県山田町の「シュウリ貝」という貝です。シュウリ貝…耳慣れない言葉ですが、これについては明日以降 ご紹介します。で、このシュウリ貝を獲っているのが、山田町の、第八海運丸という漁師たちのグループです。食べる通信編集長・高橋博之さんに伺いました。

◆山田町の漁師グループ『第八海運丸』
岩手県山田町に、被災地で漁師たちが肩を落としている中で、『漁師直送』というのを掲げて自分たちでグループを組んで元気にやっている漁師たちがいるという噂を聞きつけた。産地直送はよく聞くが「漁師直送」って聞いたことがないなと思って会いにいって2人のご兄弟にあった。気持ちいい人たちだと思った。その時はわからなかったが、通っているうちにその気持ちよさの理由がだんだんわかってきた。一瞬一瞬を生きている。明日のことがわからない」が口癖。養殖ではなく、毎日その時に海にあるものを探しにいく勘、そして魚との知恵比べで、自分たちの作った道具を使って時には命を危険にさらしながら獲物を捕ってきて、戻ってくる。たぶん死と隣り合わせ。無事に帰ってきて、獲ってきたきたものの一部を酒飲みながら食べる。そこに自分の子どもたちやおじいちゃんが帰ってきて、目の届く範囲で、いつも同じメンバーで底が抜けるぐらい楽しんで笑っている。なんなんだろうこの人たち(笑)生きているというのがすごく感じる。今の日本にないものが、ここにあるような気がする。


第八海運丸は、地元の漁師など9人のグループ。養殖ではなく、リスクと隣り合わせの「漁」にこだわり、獲ったものを自ら販売するスタイルで成功しています。そんなインディペンデントなやり方をみた高橋編集長、彼らのことを、こんな風に呼んでいます。


◆9人の「海賊」
海賊だなと思って。目の前の海を「山田銀行」だと言い、「山田銀行から銭おろしてくる」という。言葉は悪いが自然から奪ってくる。パイレーツという言葉がぴったりだと思い、ワンピースも流行っているし。「先が見えないからいい」という。第八海運丸の人たちに生まれ変わったら何になりたいかと聞くと、全員ほぼ即答で「漁師だ」という。海賊は今はいないが、まさに海賊みたいな人ってこういう人だったのではないかと。敬意を持って、この人たちを海賊と呼んでいる。




実はこの「海賊」という言葉にはもう一つ意味があるんです。第八海運丸の代表と副代表は、山田町出身の兄弟なんですが、このお2人、漁師になる前から、山田では、ある意味有名人でした。どういうことなんでしょうか。

◆やんちゃな悪ガキが漁師に
20年くらい前じゃないですか。沿岸一帯に名前が轟くくらいのやんちゃな悪ガキだったそうで、公共の電波では話せないようないろんなにぎやかなことを中学高校、高校出た後もやらかしていたみたいで、一度山田を出てそこでもトラブルを起こして戻ってきている。やることないから漁師でもやるかと船に乗った。しかし船の上は実力主義で仕事のできる奴が偉い。だから使い物にならなかったが負けん気が強く悔しかったようだ。言葉は悪いが、ヤンキーはかつあげをする。その相手が人から海に変わっただけで、たぶんそのころのまんま。やんちゃな奴は知恵を働かせていたずらをする。大人になったから法律を守るが、その範囲の中で略奪を続けている(笑)。だから海賊。



高橋編集長のおっしゃっていた、かつて、やんちゃだったというご兄弟。柏谷兄弟と言います。明日からは、この柏谷兄弟 ご本人たちのインタビュー、お伝えします!

2014年7月21日

7月18日 宮城県・牡鹿半島の今

今週は宮城県・牡鹿半島や伊豆大島で支援活動を続ける、Pikari支援プロジェクトの遠藤太一さんのインタビューをお届けしています。

東日本大震災から3年4か月。遠藤さんが考える牡鹿半島の今です。^

◆集落・地域ごとに進む街づくり
いま牡鹿半島は街づくりの話し合いが集落によって活発だったり、なかなか進んでいないところもあります。鮎川浜では観光について集中してやっていこうと。牡鹿のれん街という仮設商店街がありますが、そこの店舗ふくめて海の近くに商業地をもうけて集約しようと街づくり協議会で議論さえています。観光船のでる桟橋、離島航路の港になる。漁業も盛んでいろんな船が着くので、そこにビジターセンターやホエールランドといった施設を複合した商業地を作ろうということで話し合われています。くぐなり浜では、桜の植樹をする桃源郷プロジェクトというのを愛知ボランティアセンターが一生懸命進めていて、桜の花を1800本くらい植えたいという話を聞いています。このように集落、地域がテーマを持って街づくりに取り組むということが行われています。伊豆大島でもこうしたテーマを持った街づくりをもう一度してもらうと、観光客、人の流れを作りやすい地域になるのではないかと考えています。


そして今週末からはじまる夏休み。牡鹿半島、鮎川の楽しみを教えていただきました。

◆鮎川を拠点に離島へ!
鮎川にきていただいて、食事を楽しんでもらい、船で「網地島」に行ってもらうと真っ白な砂浜があります。離島で海水浴が楽しめる地域。鮎川から網地島へわたって海水浴を楽しむのが良いプランでは。
鮎川発だと、金鹿山の神社参拝。1200年の歴史がある日本産大霊場の一つ。パワースポットとされ、力をもらって帰ってくることができます。遊歩道を歩くだけで気持ちが良いので、ぜひ近所の離島ということで鮎川からの船を楽しんで頂ければと思います。


震災から3年と4か月。東京出身の遠藤さんは今後も、牡鹿半島に残り続けると話していて、牡鹿の復興商店街のほか、あらたな施設の建設なども計画中だということです。

牡鹿ボランティア「Pikari支援プロジェクト」facebook

2014年7月17日

7月17日 伊豆大島の今3

引き続き、去年の土砂災害から9か月が経過した、東京・伊豆大島への、支援活動についてお伝えします。

夏の観光シーズンを前に、伊豆大島への支援も、島をより魅力的にすること、そして観光客に向けたPRへとシフトしています。宮城県・牡鹿半島や、伊豆大島で支援活動を続ける、pikari支援プロジェクトの遠藤太一さんがいま取り組んでいるのは、牡鹿と伊豆大島を、様々な形で“つなぐ”プロジェクトです。

◆希望のひまわり
今、僕が取り組んでいるものとしては『希望のひまわり』。みんなでバトンを繋げて言っている、19年前の阪神淡路大震災から新潟の中越地震の被災地を通って、気仙沼まで来たのが2011年、そしてその後、昨年2013年は牡鹿半島にハイスタンダードの難波からバトンを繋いでもらって牡鹿半島に花が咲いた。そしてこの種を今回、難波とともに伊豆大島にもっていってバトンを繋ぎ育てている。ようやく種をまき終り、ひまわりを植えた場所が ごじんか温泉という温泉のロータリー。婦人会の方達が種をまいてくれている。温泉から出てくると、いろいろな花とともにひまわりが咲くのがイメージできるので、ぜひ伊豆大島で景色を楽しんでもらいたい。伊豆大島では大島桜という桜があり、その苗を大島で作り種の選別や挿し木で増やし、いずれ東北に植樹をするということができればと思っている。


お話に出てきたのは、3ピースバンド・ハイスタンダードの難波章浩さん。実は被災地支援としてこうしたことに取り組んでいます。

一方、遠藤さんは、伊豆大島の仮設住宅に暮らす人たちを、牡鹿半島へ招き、仮設住宅の暮らしや そこで発生する問題を知ってもらうという活動も行っていて、これまでに4回、伊豆大島の方を牡鹿に招待しているということです。

また、夏休みが始まるこの週末には、こんなイベントでも伊豆大島をPRします。

◆伊豆大島の食をPR!
7月19日、20日、21日に千葉県南房総・白浜で「まるぐる」というイベントがある。復興支援ブーストして大島の特産品、いろいろな活動を紹介しながらみなさんに大島のことを知ってもらおうと思っている。伊豆大島の漁協で作っている地魚のさつま揚げ、こちらを持ってくるのと、大島牛乳アイスを紹介できればと思っている。
さつまあげは、サバとカマスの近海ものをすり身にして、明日葉を入れたもの。つみれのような、さつまあげのようなモチっとした感じで美味しい。大島牛乳アイスはイメージとしては昔ながらのさっぱりしたアイス。大島の牧場の牛から絞ったアイス。



お話に合った「まるぐる」というイベントは、東日本大震災の復興支援イベント。岩手、宮城、福島をはじめとした東北のグルメが集まるほか、ライブや、アジのつかみ取りも楽しめます。7月19日(土)から3日間。場所は千葉県 南房総、白浜野島埼(しらはま・のじまさき) 灯台前広場です。

まるぐる

2014年7月16日

7月16日 伊豆大島の今2

きのうに引き続き、東北と同じく復興へ向けた動きが進む、伊豆大島の“いま”をお伝えします。

昨年10月の台風26号の被害から9か月。東京の沖合に浮かぶ島・伊豆大島は、夏の観光シーズンを迎えています。

宮城県・牡鹿半島や、伊豆大島で支援活動を続ける、復興支援団体 pikari支援プロジェクトの遠藤太一さんに、観光地・伊豆大島の現状を伺いました。



◆観光地・伊豆大島
町は、どのタイミングで観光客の受け入れをしていくムードになるか、というのが懸念されていたが、だいぶ人を受け入れる方向にシフト。どうやって観光地に戻っていくかに力を入れているように感じる。
伊豆大島はマラソンやランニングが盛ん。カメリアマラソンやウルトラランニング、トライアスロンなども企画されている。昔ながらの賑わいが戻ってきたらいいなと思っている。


すでに伊豆大島は、一部の海水浴場もオープン。観光客をいかに呼び込むかが大きなテーマとなっています。何度も現地へ足を運び、地元の楽しみ・美味しいものも体験した遠藤さん、伊豆大島のおススメを色々と教えてくれました!

◆大島で味わってもらいたいもの。まずジオパーク。三原山の活火山の大自然を堪能してほしい。海がとてもよいのでダイビング、サーフィン、マリンスポーツ。浜の湯という露天風呂と、おじんか(御神火)温泉という屋内施設の温泉もある。浜の湯は海が目の前に一面に広がり、夕日が美しい。水着着用で男女で入れる。水着で温泉で夕焼け。夜は星が降り注ぐような。食べ物も美味。牛乳、アイス、バター。バターが旨い。海外から取り寄せるバターを超える美味しさ。手に入れるのは大変だが、パンに乗せると美味しい。伊豆大島は夏本番間近。東海汽船は竹島桟橋から伊豆大島まで1時間45分ほど。“近い離島”なので観光客の客足ももっと増えてくれればいいなと思っている。

遠藤さんが教えてくれたのは、大島牛乳を使った「大島バター」。こちらは、地元産の大島牛乳と大島の塩で作った完全手作りの最高級バター。大島に行くと、このバターを使った塩バターラーメンや、バターとえりすぐり食材で作ったクロワッサンなども食べられます。また、大島牛乳は地元の小学校の給食にも採用されているんだそうです!

大島牛乳の情報はこちら



明日は、伊豆大島と牡鹿半島を結ぶ、支援活動のつながりについてお伝えします。

2014年7月15日

7月15日 伊豆大島の今

※W杯決勝戦が延長戦となったため7月14日(月)放送予定分は、火曜日に順延となりました。


今朝は、東北の被災地と同じように、復興へ向けた動きが進む場所、東京の沖合、伊豆大島の“いま”をお伝えします。

昨年10月の台風26号による土石流災害で、36名が犠牲となった伊豆大島は、夏の観光シーズンを前に復旧・復興が進んでいます。今回お話を伺ったのは、復興支援団体 pikari支援プロジェクトの遠藤太一さん。東日本大震災直後から、宮城県・牡鹿半島を拠点に、支援活動を続けている方です。遠藤さんは、去年10月の土砂災害の一報を受け、すぐに伊豆大島に入りました。牡鹿半島で培った、ボランティアのとりまとめやノウハウを生かせると考えたからです。

現在も定期的に伊豆大島で、支援活動を続けている遠藤さんに、現状を伺いました。

◆伊豆大島のいま
町の中に関してはだいぶ平静を取り戻し、土砂の流れたところも家の取り壊しが進み、重機が山の上に進んで復旧工事が進んでいる状態。被災された方は、仮設住宅に40世帯弱が暮らしている。災害公営住宅の建設が進み、住むところについてのインフラも整ってきているが、今後懸念されるのが自分たちの住んでいる土地がどのようになるのか。大金沢という沢があったが、土砂が流れた時のための護岸工事、溶岩が流れた時にどうなるのか、近辺の土地を持っている人は、どのように自分たちの家が計画に入るのかがまだまだ見えていない状況。また今回、事業をされていて被災された方に関しては補助、助成が出ていない。事業の再生が困難な状況。民宿や商店は復旧の見通しが立たなかったり、自力再建しなければいけないため厳しい。東日本大震災のようなグループ補助金、県の2分の1補助のような、商工業者の再建制度が出てくれば復旧にも負担が減るとは思うが、そういう動きは出ていない。


いまの課題は、観光地・伊豆大島の「商業」の復興だと遠藤さんは話しています。では、ボランティアの受け入れについては、どうなのでしょうか。

◆「災害復旧」から「地域課題の解決」へ
災害ボランティアセンターとしての役割は終わっているが、常設のボランティアセンターとして、仮設住宅の見回りや地域の方々の交流を図る憩いの場、コミュニティスペースの運営のお手伝いを島内の方々に呼びかけている。一緒に地域の見回り、地域課題を解決するために島の人たちをサポートする人たちが求められている。たとえば持ち込みカフェ、被災されたお宅の一部をお借りしてみんなでお茶を飲んだり、お話をして地域の方との関わりを大事にする。早朝にビーチクリーンをして海をきれいにして人が来やすい環境を作ろうというテーマで動いている。


伊豆大島は、先日の台風8号の影響も心配されましたが、遠藤さんによれば、11日に行われる予定だった海水浴場の“安全祈願”が 延期となったほかは、ほとんど被害はなかったそうで、地元の方も、胸をなでおろしている、ということです。

そして7月14日現在、遠藤さんは、台風8号による土石流被害を受けた長野県南木曽町で、活動をしています。昨日までに復旧に必要な機材の搬入と、土砂出しなどの作業を行ったと、報告がありました。遠藤さんはじめ、各地の災害をFacebookなどで情報共有した一般のボランティアたちが、迅速に現地入りして行動するという動きが、本当に活発になっています。

明日も、伊豆大島の現状についてお伝えします。

2014年7月9日

7月9日 三輪田窯3

引き続き、宮城県石巻市の陶芸家・亀山英児さんのインタビューです。

亀山さんは、東日本大震災で多くの犠牲者が出ている中、「本当に焼き物作りを再開していいのか」と、葛藤したといいます。それを変えたのは、仮設住宅からやってきたお客さんの「手造りの、ぬくもりのある器を使いたい」という声。その声を受けた亀山さんは、再び、窯場に火を入れる決心をしました。

そして現在。子どもたちのための陶芸教室も再開。焼き物作りに対する意識にも、変化があったようです。

◆使ってくれる人の笑顔のために
最初の1〜2年はなかなかみなさん、そういう感じにならなかったんだと思うんですけど、3年目、去年あたりから少しずつ小学校で陶芸教室をやらせてもらっている。地元のものづくりも伝えていきたいので、無くさずにちょっとずつでも続けていこうと思っている。教室で子どもに触れてもらいたい。地元のものを形にするというのが大きな柱で震災前はそれ一本でやっていきたいと思っていて、震災後はそれを使ってもらう人ありき、と思うようになった。そういう人たちに楽しんでもらえるものが作れればな、というのが方向転換として出てきた。笑顔になれたり楽しい気持ちになれたり、というのも作品にのせていきたいと思っている。


そして、亀山さんの「地元の人に笑顔になってほしい」という気持ちは、もうひとつ、別のアイデアも生み出しています。

◆かめかふぇ でおもてなし
4月30日にオープンしたばかりの、オープンカフェ。移動式でクルマに一式積んで、金曜日と土曜日は窯場の前で営業している。窯場にせっかく来て頂いても、なかなかゆっくりくつろいでもらうということができなかったので、うちの三輪田窯の器で、奥さんがコーヒーを淹れている。くつろいでもらえばなという気持ちから始まり、結構地元の方も来てくれていて、子育て中のお母さんやお子さんが一緒に来たりしている。


地元でとれた材料で作った器で、地元の人にくつろいでもらう。亀山さんの気持ちは、町にちょっとずつ広がり始めています。例えば、この日、亀山さんの窯場『三輪田窯』を訪れた一人のお客さんは、こんなことを言っていました。

◆自分の店に地元の器を
(男性のお客さん) 雄勝町に住んでいて、そこから来ました。両親の(お店の)手伝いをしていて、地元の魚が取れる。うちにもいっぱい津波で残ったお皿があるのでそれも使いたいが、どうせ使うなら量販されているものでなく地元のもので造ったお皿を使ったらいいんじゃないかと思って来ました。


三輪田窯のオープンカフェ、名前は『かめかふぇ』。こちらは毎週金曜・土曜にオープン。さらに色んな町で出張オープンする 移動式のかめかふぇ、その名も「おさんぽかめかふぇ」は、毎週火曜日に、どこかでオープンするということです。

三輪田窯HP
かめかふぇHP

2014年7月8日

7月8日 石巻市 三輪田窯2

引き続き、宮城県石巻市の陶芸家・亀山英児さんのインタビューです。

北上川のほとり、三輪田(みのわだ)地区で、「三輪田窯」という窯を開き、焼き物作りを続ける亀山さん。東日本大震災 発災当時、亀山さんは窯で仕事をしている最中でした。三輪田地区は、海からおよそ10キロと離れているので、津波の被害は少なかったそうですが、亀山さんは、当時をこう振り返ります。

◆消防団として感じた無力感
(津波は)北上川もずっとのぼっていっている。この辺りは堤防があるので少し田んぼにあふれたくらいだが、水は登米のほうまで上がっていったと聞いている。その日は見にいかなかったが、2、3日して、消防団に入っていたので大川小の方に捜索救助にいき、堤防が切れているので車を止めて歩いて行ったが、細いところを歩いていると木を一本避けるにも人の力が無力だと感じた。重なっている木を、重機が入れない中で人力で1本ずつ除けていると1時間で疲れてしまう。もどかしさの中で時間が経過してしまう。どこに亡くなった方がいるかが分からないのでひたすら色んなところを探した。陶芸教室に来ていた子どもたちも救ったりしていた。学校のかばんが残っていて名札も残っていた。辛かったですね。でもやっぱり見つかっていない子は早く見つけてあげたいという気持ちもありますし。。。


亀山さんのご自宅や焼き窯、そしてご家族は、全員無事だったそうです。また、水道も電気も止まってしまった中、すぐそばを流れる沢水と、窯に使う薪があったおかげで、ライフラインは確保できた、というお話もしていました。

ただ、北上川付近では大川小学校の児童はじめ、多くの犠牲者が出ている中、亀山さんは焼き物作りを再開していいのか、葛藤したと言います。その気持を変えてくれたのは、ふと窯を訪れたお客さんの言葉でした。


◆自分の焼き物を、必要としてくれる人がいる
周りが全然そういう状況じゃなく焼き物を作れなかったが、声をかけてくれる人がいた。仮設住宅から来てくれた方が、「物は一通りそろっているけど、手作りの、ぬくもりのあるものが使いたい」と、うちの湯呑を買ってくれた。ああ作ってもいいのかな、そういう思いになってくれる人がいるなら作ってみたいなと思いはじめた。それがすごく大きなきっかけとしてあった。



明日も、三輪田窯の亀山さんのお話です。

2014年7月7日

7月7日 石巻市 三輪田窯1

今日は宮城県石巻市に、窯をもつ、一人の陶芸家にスポットを当てます。

場所は、石巻市を流れる北上川のほとりにある、三輪田地区。この場所に、かつて小学校だった木造校舎を改装して、焼き物作りを続けている男性がいます。



亀山英児さん(40)。ご両親が、石巻市の旧河北町出身で、子どもの頃、このあたりによく遊びに来ていたという亀山さんは、陶芸家を志し、馴染み深いこの土地に移り住むことを決めたといいます。

◆海と川と空の「青」を自然に出したい
出身は神奈川県で、仙台の窯場に入って勉強させてもらった。両親が河北町出身ということもあり、独立する場所を探して色んなところをみていた中で、この地域の小学校の分校の建物が気にかかった。当時はもう誰も使っていなかったので、こんなところで、陶芸家としてやれたらいいなと思ったのがきっかけ。そして焼き物に適した土、釉薬に使う原料を探し始めた。それも地元の方に声をかけたら協力してくれて、「粘土はここにあるよ」なんて話も頂いた。平成15年にオープン。土も釉薬も地元のものを使っている。裏の山の岩を砕いて使ったり、米どころなので籾殻を使ったり、ホタテ貝や蜆貝などこのへんでとれるものを使っている。あとは雄勝硯の粉も釉薬に。どんな色になるのかなと想像しながら集めたりしている。色々試している中で、直接青い顔料は入っていないが、窯を開けたら青になっていた焼き物があった。これもいいかなと。石巻は海だったり川だったり青い海だったりというのを住んでみて感じたので、それを自然と出せればというのはある。板皿も、水面のさざなみのイメージもあり、すぐ目の前が川で自転車でふらっといくがすごくキレイ。空もキレイだし山と空の境目、水の様子も毎日違う。そのへんはここに来て感じたところ。




亀山さんの窯の名前は「三輪田窯」。地元の粘土や、雄勝地区でとれる「雄勝石」、砂浜で取れる砂鉄など、地元の自然が産んだ素材にこだわって作っています。印象的なのは、青い焼き物。とても鮮やかな、海と空のような色。何度も焼いて、失敗を繰り返す中で、この色に辿り着いたんだそうです。



ちなみに亀山さんの、お住いも「ここ」!!ご家族と一緒に、ここで暮らしているんです!!!

そんな亀山さんも、3年前の震災を体験しています。明日は、亀山さんが経験した、東日本大震災のお話です。

2014年7月4日

7月4日 気仙沼の塩辛「波座物産」3

川崎市に本社を置く「波座物産(なぐらぶっさん)」は創業44年。宮城県気仙沼に工場を置いて、水産加工業を営んできました。

東日本大震災による津波で、工場は壊滅。しかし人とのつながりを第一に再建を進め、1年半で工場を再開させました。

「ここでしかこの味は出せない」という「波座物産」の塩辛。看板商品は「昔ながらの濃厚熟成塩辛」。
国産の真イカのみを使い、一カ月以上熟成させて仕上げたこだわりの塩辛で、今や入手するのが難しいほどの人気となっています。

今朝も「波座物産」専務取締役、朝田慶太さんのお話しです。

◆絶品!昔ながらの濃厚熟成塩辛
気仙沼は水産加工技術は高いレベルを持っている。それが家庭で違うが特徴ある塩辛を作っていた。もともとウチの工場長はメカブを作っていたので、塩辛ぜんぜん作ったことなかった。で、やってみようという事で試行錯誤して、3〜4年ぐらいかかって、ようやく完成させた。日本中どこを探してもこんなに手間をかける塩辛は無い。原料はもちろん、イカを一度一夜干しにしている。一夜干しにすると旨みが凝縮する。それをイカの内臓を調味したものに漬け込む。漬け込むことで干したイカに旨みが戻ってくる。元の形に戻るまで最低一カ月。長い時は2ヶ月ぐらい寝かせる。発酵が生きたタイプの塩辛。レシピは有るが工場長の経験と勘。20年間書き続けたノートがある。私が見ても分からない。そのノートも津波に流された、と思ってたら工場長の長男が水の中から見つけてきた。新しい工場が出来た時もかなり助かった。私もびっくりした。やっぱりこの昔ながらの濃厚熟成塩辛、うちのメインの商材なので皆さんに食べてもらいたい。という気持ちでやってる。


お話しに出てきた「昔ながらの濃厚熟成塩辛」などの塩辛シリーズに加えて、「波座物産」では、松前漬けや、イクラの醤油漬けなど、三陸の美味しい海の幸を販売しています。

いすれも波座物産のオフィシャルサイトから購入可能。
また一部店舗を除く、首都圏のイトーヨーカドーなどでも販売中です。

「波座物産」オフィシャルサイト

2014年7月4日

7月3日 気仙沼の塩辛「波座物産」2

川崎市に本社を置く「波座物産(なぐらぶっさん)」は創業44年。宮城県気仙沼に工場を置いて、水産加工業を営んできました。

看板商品は「昔ながらの濃厚熟成塩辛」。国産の真イカのみを使い、一カ月以上熟成させて仕上げたこだわりの塩辛は、知る人ぞ知る、波座物産の人気商品でした。しかし、東日本大震災による津波で、気仙沼工場は2階まで浸水。加工のための機械も流され、地盤沈下も追い打ちをかけます。

お話は「波座物産」専務取締役、朝田慶太さんです。

◆震災を乗り越え、気仙沼への想い
ほんとに最初見たときは、看板も建物も残っているから、軽い気持ちで大丈夫なんじゃないかなと。でも実際中に足を踏み入れたら、想像を超えた被害が大きかった。地盤も沈下し、想像もしない事態になっていた。これはちょっと無理だなと。ただ、気仙沼に対する想いもすごく強かったし、やっぱり人。ここでこの人達と縁がなくなってしまうということは考えられなかった。それで、震災翌月の2011年4月から新しい土地の確保をするためにいろいろ探して、9か月ぐらい、12月1日に新しい土地の契約をなんとかすることができた。もともとあった場所から内陸に1キロないぐらいの場所に工場を移動した。
他でやったほうがいいんじゃないの?と言われたこともあったし、考えたことも実際あったが、それはできなかった。気仙沼じゃないとつくれない商品が、うちの特徴である塩辛なので、なんとしても気仙沼でやりたいという気持ちが強かった。


実際、函館にある工場で一時的に塩辛を作った事もあったそうなんですが、どうしても味を再現できなかったんだそうです。そしてなにより、朝田さんを「気仙沼工場再開」に奮い立たせたのは、工場のスタッフとの「強い絆」でした。

◆学校再生へ
わたしが震災直後に支援物資を積んで気仙沼に入ったときに、気仙沼工場のスタッフに約束したのは、必ず工場を再開するからその時まで待ってくれ、その時には必ず一緒に仕事をしましょうと話をした。でもその前に一旦皆さんを解雇しなければならなかった。それは、雇用保険の問題などがいろいろあったが、それ(解雇)をするということが非常につらいことで。いま思い出すだけで、胸が熱くなる。でも、その時に、また皆で仕事をしましょうと約束をして、皆も待っていてくれた。待っている間もスタッフの皆が集まって食事会をしていたという。それをわたしは知らなかったが、気仙沼に行ったときに「専務もどうですか?」と誘われて、初めて知った。本当にうれしくて、早く声をかけて一緒にやりたいねと。そして本当に(工場再開の際には)皆戻ってきてくれたから、それが本当にうれしかった



震災翌年の2012年春には、工場の再建を始め、秋に操業開始。比較的早いスピードで、工場再開にこぎつけました。
朝田さんはいまも、東京と気仙沼を往復する毎日。主力の「塩辛」の人気が高まる中、生産量を増やしたいところなんですが、目下の悩みは、人出不足。気仙沼では復興事業など、他の職種に人出が集中してしまって、募集をかけても、なかなか人が集まらないといいます。これも、被災地が抱える現実です。

2014年7月4日

7月2日 気仙沼の塩辛「波座物産」1

今日から3日間は、気仙沼の塩辛、再生の物語です。

宮城県気仙沼は養殖のカキや、サンマ、カツオ、マグロの水揚げで知られる魚介類の宝庫。
川崎市に本社を置く「波座物産(なぐらぶっさん)」は、その気仙沼に工場を置いて、水産加工業を営んできました。看板商品は、気仙沼の家庭の味を再現した「昔ながらの濃厚熟成塩辛」です。
しかし、東日本大震災による津波で工場は2階まで浸水。大きな被害を受けます。

お話は「波座物産」専務取締役、朝田慶太さんです。「波座物産」の「波座」とは、漁師や釣り人の間で使われる「なぶら」という言葉が元になっているそうです。

◆気仙沼に寄せる想い
これはうちの父親のお兄さんがつけてくれた名前。波座(なぶら)とは、潮と潮の境目で魚が集まるところ。潮目と潮目の境目には魚やプランクトンが集まってきて、それを海鳥がめがけてくる。それを見て漁師たちは漁をする。そんなふうに「人、モノ、お金」が集まってくる、という意味で「波座」と名付けた。
わたしの父と母が気仙沼出身。気仙沼ではなく東京で食品卸問屋として事業を始めた。気仙沼のある工場にうちの資本を入れて、気仙沼工場としてスタートした。わたしも震災前、気仙沼の工場の改革のため、気仙沼に通っていた最中に、震災があった。気仙沼の湾があるが、500メートルぐらい入った場所に工場があるが、津波の影響で6〜7メートルの波が来て、うちの工場も外観や看板は残っていたが、中はぐちゃぐちゃになった。地盤沈下もして水浸しの状態で、すぐには使えない状況だった。変わり果てた街を見て、言葉が出ないというのはこういうことなんだなというのを実感して、びっくりした。ただ幸い工場で働いていた人達はみんな無事で、それがなによりうれしかった。一人も欠けることなく、また工場を再開するときはみんな戻ってきてほしいという話もしたし、あの震災以降、気仙沼に寄せる思いは一段と強くなった。


気仙沼工場があった地区は震災後建築制限区域に指定されて、最長2年間自由に建物を建てることができなくなりました。工場を別の街に移転することも頭をよぎったという朝田さん。でも、看板商品「昔ながらの濃厚熟成塩辛」の味を守るためには、なんとしても気仙沼で工場を再開しなければ!その思いから、朝田さんたちの奮闘が始まります。

2014年7月1日

7月1日 Rock Corps(ロックコープス)6

音楽を通じた社会貢献の取り組み、ロックコープス。東北の被災地で4時間のボランティア活動をすると、NE-YO、コブクロ、May J、さらにもう一組が参加、9/6(土)福島市で行われるライブチケット1枚を手にすることができます。

現地でボランティアの受け入れを行う押田一秀さんは、震災直後から、被災地のボランティア活動にかかわってきました。震災から3年を過ぎたいま、求められる支援の形も変わってきているといいます。

◆産業支援
いま4年目に入って東北の被災地では生活再生、コミュニティ支援に加えて、「産業支援」が必要になってきている。ここに住んでいる人達はいままで、補助金や助成金や東電からの賠償金を充てにして、仕事をしないでも生活費を担保された状態でやってきたが、それも永遠ではない。仕事をしなければいけないが、いままでやってきた産業はできなくなっているものも多い。漁業や農業に関しても、放射能の風評の影響などできなくなってしまったときに、次の産業がない。でもここにいる人達は、ここで生きていかなければいけないとなったときに、産業を立ち上げるために、外の知識やノウハウが必要になってくる。
これをボランティアと言ってしまっていいかわからないが、産業の立ち上げ促進に、いかに外の人を関わらせていけば産業が回っていくのか、というのを考えている。例えば「企業内ボランティア」。もともとスキルの高い人達に、一年間休職して来てもらって、事業者さんたちを集めて、販売のための仕組みをつくっていったりとか。より具体的に、地元の人達が食べていくために、商品開発やブランディング、セールスプロモーションなどを手伝ってもらえたら。そういうところを「ボランティア」「外の人間」に手伝ってもらいたいな、というところ。


ロックコープスが用意しているボランティア活動には、この産業支援として、「被災地のマッピング事業」があります。 被災地の新たな地図を、ボランティアスタッフが歩いて調査し、書き起こす事業です。

◆マッピング事業   
「復興支援センター未来」が受け入れ団体になっている、「産業促進のための事業者情報整理およびマッピング事業」というのは、とても特殊なボランティアだが、ロックコープスのボランティアの一つに入れている。震災後、(被災地では)どの事業者がどこでなにをしているかがわからない状況になっている。魚屋さんなのに土木の仕事をしていたり、タウンページには旅館と書いてあるがもうやっていなかったり、逆にレストランはないはずなのにレストランをオープンしていたりとか。整理されていないから、販売もできず、お客さんも呼び込むことができないでいた。それをきれいにまわしていくために、まず情報を整理して、事業者同士のマッチングだったり、観光客への情報提供などを行っている。ボランティアっぽくない特殊な事業だが、街を歩きながら、どこのお店がどんな状況かというのをメモや写真にとりながら地図にしていく。参加者はすごく面白いのかなと。非常に満足度が高い事業になっている。



音楽を通じた社会貢献「ロックコープス」は9/6(土)福島市でライブを行います。参加アーティストは、NE-YO、コブクロ、May J。さらにもう一組は、今後発表される予定。またライブに向けて、いま東北各地で毎週末ボランティア活動が行われています。
詳しくはロックコープスのオフィシャルサイトでチェックしてください。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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