2014年9月29日

9月29日 震災後の海の中の話。水中写真家、鍵井靖章さん(1)

今日は、水中写真家、鍵井靖章さんのインタビューお届けします。
鍵井さんは、国内外の海に潜り、その風景や生き物を写真に収めてきました。キャリア20年のベテランです。そんな鍵井さんが撮影を続けてきたのが、東日本大震災で被災した、東北の海。震災直後、誰よりも早く三陸の海に潜り、その後も、2〜3か月に一度は現地に赴いて、水中撮影を行ってきました。

◆いのちの気配を感じない光景
岩手県の宮古市、大船渡市で、震災から3週間後の海に潜った。最初は週刊誌の依頼だった。正直最初はすごく悩んだが、あの時日本にいて、なにか自分に一つの役割、助けになるんだったら、なにかをしようという気になっていた。僕は水中写真家で、ずっと海の中を見続けてきて、やっぱりあの状態で、震災を経験した海の中がどうなっているかを記録するのが一つの役割ではないかと思って、行った。例えば僕以外のカメラマンの方が被災地の海に潜って、海の中に引きずり込まれた人間生活の傷跡ばかりを発表されるのが、とても嫌だった。僕が誰よりも早く震災の海に潜るのは、そういう傷跡だけを紹介するのではなく、そこにまだしっかり生き延びている魚たちの命をしっかり撮影しようと思った。生き物たちは生き延びていると紹介したかった。が、僕が潜った(震災直後の)宮古や大船渡の海中には、まったく魚の見つけることができなかった。ある意味とても生々しい、人が使っていたと思われる食器や車など。命の気配を感じない光景が広がっていた。


きっかけは、週刊誌からの撮影依頼でしたが、その後、鍵井さんは、自らの意志で継続して三陸の海に潜るようになります。もともと三陸の海は、密漁を防ぐため、一部の海域を除いて、ダイバーに開放されていません。そこで鍵井さんは、地元の有志の理解を得て、漁協や水産科学館から潜水禁止区域での撮影の全面協力を受けて、撮影を続けています。

◆1年後、力強い海に変わっていた
震災直後の海底を覗いたときに、ワカメや昆布などの海藻をほとんど見ることがなかった。そのことを漁師さんに伝えるととても心配していた。というのも、漁師さんがとても大切にしているウニやアワという海産物は、昆布やワカメをたべて成長していく。昆布やワカメがないのなら、ウニやアワビがしっかり育っていかないのではないかと心配していた。
でも震災からおよそ1年ぐらいたった海にもぐると、例えばタイヤのホイールから天然の昆布が上に向かって繁茂していたり、鉄板からアカモクと言われる海藻が繁茂したりしていた。いまだ海底に沈んだ車と、上に伸びていこうとする生命力。それは世界中どこの海でも見ることができない、震災を経験した岩手県の海の姿だったと思う。そのことを漁師さん伝えるとすごく喜ばれて、海の中からこういう報告をできるのはいいかなと思い、撮影を続けていく勇気の一つにもなった。


現在、宮城県仙台市の「富士フィルムフォトサロン仙台」では、写真展「鍵井靖章 311 あの日から」が開催されています。震災後の三陸の海中の様子がわかる、貴重な写真展です。会期は明日9/30(火)まで。

鍵井さんオフィシャルサイト

鍵井靖章写真展「3.11-あの日から」

2014年9月26日

9月26日 ツール・ド・東北2014 ?

月曜から5日間にわたり、『ツール・ド・東北2014』のレポートお届けしています。

この大会、最も長いコースが、石巻・気仙沼をめぐる220キロのコースでした。これだけの規模の大会を支えたのは、およそ800人の地元ボランティアの方々です。

例えば220キロの折り返しにある気仙沼・階上(はしかみ)小学校のエイドステーション。ここにも、地元ボランティアの方々の温かいおもてなしが待っていました。



「南三陸米というお米を使って、サンマも気仙沼を使ってきのうから煮付けて、今朝は3時から時間に間に合わせるように作らせて頂きました。商工会さん中心に地域の婦人の方に応援を頂いて、だいたい30人くらいのスタッフでやっています。特にサンマを昆布で煮たのは美味しいと言って頂いた。みなさんに喜んで頂けたのが一番かなと。大変でしたけど。小学校にお願いして。ほやボーヤのカードを作って、子どもさんに書いて頂いたんです。風になれとかファイトとか、もう一度階上に来てとかそれぞれ。私も何枚か読ませて頂いたけど、みんな子どもさんなりに階上に来てねというのが多かったと思います」・・・ボランティアとして参加した地元のお母さんはそう語ります。


階上小学校エイドステーションでは、地元産ササニシキのおにぎりのセットが振る舞われまして、、、参加者もウマそうにかぶりついてました!こうして食べる東北の味が最高だった、、、参加者からはそんな声もたくさんありました。

最後に、中西哲生とともにこの大会の応援大使を務めた、パラリンピック陸上代表・佐藤真海選手の話です。

◆共有して、考える機会に
中西:このツールド東北の良いところは定点観測というかね。
佐藤:そうですね。去年と同じコースを走るということで変化が見られたので、ずっと見届けたいなと思いましたね。
中西:今年は佐藤真海さんの故郷でもある気仙沼に行きまして、第6エイドステーションでサンマの蒲焼き丼を。
佐藤:配る方を。
中西:いかがでしたか。
佐藤:大谷海岸って子どもの頃は年に1回海水浴に通った場所なので。当時は海があるのは当然で、海とともに生活をしていたので、今改めて帰ってみるとすごくキレイだなって思います。しみますね。これが大好きな気仙沼の海という感じがあってひとつ安心しました。現地の学生たちがボランティアで率先してサポートしてくれていたのが嬉しかったですね。高校生たちは震災の後の大変さを話していて、ちょうど中学卒業する時の準備段階で津波が来て卒業式もままならないまま高校に上がり、今も学校には仮設住宅があってスポーツ・・・体育や部活もできないので、市内の施設にバスで行って共有しながら助け合っているということを笑顔で話していて、受け止めて前向きに頑張っているんだなというのを感じましたね。こういう機会があると、本当に何ができるんだろうというもどかしさを感じてしまいますね。それくらい大きいことなんだなと改めて思いました。復興の今をたくさんの方々で共有してこれから持ち帰って、それぞれできることを探して行くという本当に良い機会だと改めて思いました。


◆参加者の声
・東京からです。震災後一度も来たことがなかったので、こういう形で参加してどこかで役に立てるといいなという想いはありました。
・あんなに沿道でいっぱい旗降って応援してくれるなんて思っていなかったので。「応援されてた」っていうスローガンがありますがその通りだと思いました。
・景色がキレイだなと思いましたね。キレイな景色と震災のギャップがますます強く感じた気がします。あとはみなさんが手を振ってくれたのに感激しています。
・ふれあいの虜です。先ほども爪痕というか建物のあの高さまで津波がきたんだというのを目の当たりにして言葉にならなかったですね。
・もう一つはなかなか復興していないんだなというのはビックリして。仮説の人たちの状況はショッキング。いまだにこれかと。自分たちの状況に置き換えたら考えられないですね。はやく普通の生活に戻してあげたいなと思います。




ツールド東北2014には、キャッチフレーズがありました。『応援してたら、応援されてた』。 本当にそう。東北を応援するイベントですが、仮設住宅で、エイドステーションで、気がつけば応援されているのは参加者ライダーの方。復興のために応援することは、自分自身の力にもなる。そんなことを感じたツールド東北2014でした。

2014年9月25日

9月25日 ツール・ド・東北2014 ?

引き続き『ツール・ド・東北2014』のレポートです。応援大使・中西哲生は宮城県石巻専修大学から、女川までのコースを自転車で走ったあとクルマでぐーんと北上。気仙沼まで “先回り”しました。

今回のツール・ド・東北は、去年は無かった220キロという長距離のコースもあり、その折り返し地点が「気仙沼」なんです。



そして、中西とともに応援大使を務めるパラリンピアン・佐藤真海選手と2人で、地元の方をお手伝い。さんまかば焼き丼を参加者に手渡しさせて頂きました。もちろん中西も仕事の合間に・・・!


ちなみに佐藤真海選手は子どもの頃からこれを食べていたそうです♪

このエイドステーション、場所は気仙沼・大谷海岸の「道の駅」の敷地内です。つまりすぐ後ろが海岸。海岸を挟んでJR気仙沼線の駅ホームがあります。ただ、この鉄道のホームはすでに使われていません。
草の生えた線路と、ひび割れたホームが、津波の傷跡を生々しく伝えています。



JR気仙沼線は現在、一部区間は専用の道路を使ったバス路線「BRT」で運行。今後、鉄道の路線の復旧をどうするかは、防潮堤との兼ね合いもあり、検討課題となっています。

エイドステーションでのおもてなしに協力した、大谷海岸の“道の駅”の駅長、大原忠治さんは、ツール・ド・東北についてこう話します。

◆道の駅でも笑顔のおもてなし
大谷海岸駅という日本一海岸に近い駅。徒歩1分で海岸へ行ける環境。(ツール・ド・東北は)はじめてでビックリしましたし、自転車人口の多さとパワーに驚きましたね。我々も、どうおもてなししてよいかという戸惑いがあり、気仙沼は今がサンマの旬。その弁当を提供しているが・・・それだけでえがったのかなという部分もある。ボランティアが震災後いろいろ手伝いをしてくれて汚い仕事もしてくれた。そういう方々と接すると悲しんでばかりではいられないですよ。「空元気」も必要な要素。物理的な助けだけでなく来てくれたことへのうれしさ。ありがたいという感謝の気持ち。暗い顔をしていられないでしょ。明るい顔していればみんななんとなく元気になるのかなというそういう想いですね。


素敵な笑顔でそう話す大原さん。これからの時期の道の駅のおすすめも教えて下さいました。



◆気仙沼の秋の味覚!
特徴としては海産物、漁師が生産者ですので目の前の海で漁師がとった魚とか。そして今年は震災から3年半で、震災後に漁師がもう一度養殖でホタテやホヤを作り始めて今年ようやく出荷しております。いまがちょうど秋なので鮭が名物になってくるのかな。遡上前に白鮭は回遊するもんですから、海で捕獲したやつをここで1匹そのまま漁師が持ってきます。オスメスの表示が書いてありますのでメスを買った方は自分でイクラを作ることになります。10月が最盛期ですね。



2014年9月24日

9月24日 ツール・ド・東北2014 ?

9月14日に開催された『ツール・ド・東北2014』のレポートです。スタート地点は、宮城県石巻市・石巻専修大学!ここがまた広くて気持ちのいい
場所なんです!というわけで、中西哲生も応援大使としてロードレーサーにまたがり、声援を受けながらペダルをこぎだしました!!



「懐かしい!」
1年ぶりに走る同じコースに思わずそんな言葉が出た中西。仮設住宅の住民の方から、「がんばって!」「いってらっしゃい!」の声援に、思わず笑顔に。


去年は開催が11月。今年はまだ稲刈り前ということで、コースの左右には黄金色に輝く稲穂が揺れています。そんな中、厳しい坂道をのぼり下り、また上って下って・・・万石浦を経て女川まで向かいます。

そして今年もやってきたのが、最初のエイドステーション!ツール・ド・東北は、各通過点に全部で9つのエイドステーションが設置され、地元のボランティアの方が、ご当地の美味しいグルメを振るまってくれるのですが、去年同様、最初のエイドステーションでは、女川のおかあさんたちが、「女川汁(サンマつみれ汁)で、参加者たちをおもてなし!去年は冷凍のつみれでしたが今年はなんと「生つみれ」ということで食感もフワッフワ!最高に美味でした。



この女川汁を振る舞う女川のお母さんは「女川も少しずつ復興してきていて、来年4月には新しい駅舎もできる。商店街もできれば賑わいも戻ると思う。でもまだ仮設住宅で生活している人も多い。住宅の整備もスピードアップしてほしい」と、今の状況も教えてくれました。

明日も、ツール・ド・東北のレポート、お届けします!

2014年9月23日

9月23日 ツール・ド・東北2014 ?

9月14日に開催された、『ツール・ド・東北2014』のレポートです。中西

このイベント、地元の方が参加者に宿泊場所を提供する「民泊」も大きな魅力の一つ。 ツール・ド・東北 実行委員会・事務局長の須永浩一さんに伺いました。

◆民泊から生まれた繋がりも!
民泊も非常に満足度が高かったみたいで、宿泊した人も泊めた人(ゲストとホスト)どちらも、すごく良かったと言っている。ある人は「もう来年の分も予約しちゃった」と去年はおっしゃっていて、実際に今年もお泊まりいただいている思う。震災の時にたくさんの方にお世話になった、ボランティアがたくさんきて泥かきや片付けを手伝ってもらったので、「一対一じゃないけどわれわれが恩返しがしたい」ということをおっしゃっている。来てくれる人を歓迎したいということで、訪問してくれた人をおもてなししたという。泊まった人も交流ができて震災の話が伺えたということで、たぶん大会が終わった後も年賀状のやりとりをするとか交流が続いている。我々としてもツール・ド・東北をきっかけに東北とのツナガリができて応援できたら良いなと思っていたが、今では参加者側と受け入れる側が自ら動いているんじゃないかなと思います。


今回は大会の規模も拡大、民泊の数も大幅に増えました。そのうちの一軒が、石巻市・不動町の大崎春男さんのお宅です。イベント前日、参加者のために奥様が腕をふるう台所からは・・・たまらなくいい匂いがしてました!

◆復興のためのおもてなし!

スタッフが台所を覗いてみると、そこには大さんの奥さまがせっせとお料理をしている最中でした。メニューはホヤ、昨日作ったという自家製の塩から、そして昆布にオデン、さらに鶏肉を煮てこれから揚げるんだとお母さん。さらにサンマのお刺身、アサリのバター蒸し、おからのサラダ・・・。



まるで旅館みたい!お母さんは「せっかく来てもらうんだから。居酒屋にこれから変身」と笑顔に。

間もなくやってくるのは関東からの参加者4人。「震災のことも色々お話聴いてもらいたいし見てもらいたい。ツール・ド・東北今年も開催するということで、うちも今回はじめて応募したんだけど少しでもあの震災の時にみなさんにお手伝いいただいて、ボランディアなどでご支援いただいたので、私たちが今できる恩返しっていうか、復興に少しでも役に立つようになれば言いなと、今回応募をさせて頂いたんです。今回来てくれる人が、ああよかったなと、温かい気持ちになって帰って頂いて、ツールド東北で景色を見て何かを感じて頂けたらね」

そして、町内会長として震災直後は町民の避難生活を支え続けた大さん。ご自宅も1階部分を被災。泥かきなどボランティアの助けもあり、自宅を再建できたので、その恩返しのために民泊に応募したと話します。

また大崎さん「お酒好きな人に泊まってほしい」と希望。実際、関東から4人のお酒好きが、お酒持参でやってきたそうです。ということで大会前日の夜、大崎家はおおいに盛り上がったようですよ・・・。




(※番組取材班も、色々とごちそうになっちゃいました。本当にありがとうございました!)

明日も、ツール・ド・東北のレポート、お届けします!

2014年9月22日

9月22日 ツール・ド・東北2014 ?

今週は9月14日に開催された、『ツール・ド・東北2014』のレポートです。東北の復興を願い、自転車で沿岸部を走り抜けるこのイベントに、中西哲生も去年に続き今回も応援大使として、参加してきました!




◆規模も拡大!ツール・ド・東北が帰ってきました!
「さあいよいよスタートです!ツール・ド・東北2014が1年ぶりに帰ってきました。今年は参加者が前回の1500人から3000人、倍に増えています。今回は気仙沼までの220kmというすごいコースも用意されていて、とにかくたくさんの方々、たくさんの場所で東北の復興を色んな方に見て頂きたいなと思いますし、それを堪能できるかなり激しいコースになっています。僕自身も1年ぶりに同じコースを走ることで、今回は女川までの20キロを走った後、逆に自分が走っている方々をサポートする側に回って、気仙沼のエイドステーションでサンマの蒲焼き丼をみなさんに振る舞いたいと。僕も食べますけどね(笑) 東北の方々とたくさんふれあって1日東北を味わい尽くしたいと思います!


ツール・ド・東北は前回同様「ファンライド」、つまり順位を競わず景色を見ながらサイクリングを楽しむスタイル。ですから、自転車初心者から上級者まで、本当に幅広い方が参加できます。2回目を迎え、規模も、参加者の数も拡大!より大きなイベントに成長していました!

このイベントの魅力、そして目指すものは何か。ツール・ド・東北 実行委員会・事務局長の須永浩一さんに伺いました。

◆東北の食と、景色と、人との出会いを楽しんでほしい
震災から2年、3年と経過して被災地のことを考える機会がなくなりつつあるなかで、被災地に来るきっかけを作りたいなと思ったんですね。スポーツには広がりがあるし、日本中から人が集まるものをやってみたいということで企画しました。参加された方々は非常に満足度が高かったように伺っています。特に大きいのは3つ。ひとつはエイドステーションの食べ物がおいしかった。これは地元自治体、青年会議所や商工会の人たちにお手伝いいただいて地元の名産品を出して頂いた。普通自転車の大会ってバナナやチョコレートが出るんですが、それぞれの土地の一番美味しいものを出して頂いたのだがそれがとても評判が良かった。もう一つはコースの途中に仮設住宅とかたくさんあってご苦労されている方がたくさん住まわれているんですが、そこを自転車で通るとみなさんが旗を持って「がんばれ!」と応援してくれたというのを伺いました。日常生活ではその人たちの方に、頑張れと応援したいのに、逆に応援して頂いたことに「感動して涙が出そうになった」という言葉もあった。コースもリアス式の地形の中で上り下りのアップダウンが激しい。登りきると海が見えて景色がキレイだったりと変化に富んでいるのと、震災の遺構をみて考えさせられたというお声も頂いた。ファンライドとして楽しく美味しく、そして一方でご苦労されている方々、被災で壊れてしまった町を見てまだまだできることはたくさんあるんじゃないかというお声をたくさん頂いて、そういうことを積み重ねて行って一年に一度のお祭りにできたら言いなと思っています。「ツール」という名前を使っているので複数の都市を結んで複数日をかけて行くというのが理想の姿だと思っています。そのためにどんどん距離を伸ばして行こうというのを最初から考えていて、まずは石巻をスタートして一日で帰ってこられるくらいの距離でどこまで行けるんだろうと考えた時に気仙沼が一つ大きな都市としてあった。気仙沼も被害の大きな場所で、そこまで行ってみたいという参加者の声もあったので今年はちょっとコース取りも苦労したが気仙沼までのばすことができた。僕が一番気に入っているのは南三陸の神割崎というエイドステーションがあって、そこからさらに志津川に行く途中にちょっと松島っぽい景色のところが何カ所かあって、そこは一瞬しか見えないが松島のように島がいっぱいあって海の感じもすごくキレイだと思いますね。


明日は、ツール・ド・東北の大きな魅力の一つ、地元の方々による、「民泊」についてお伝えします。

2014年9月18日

9月17日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(9)

「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」。3週間の旅を終えた、8人の学生の声をお届けしています。

青森県八戸から福島県相馬まで、東北沿岸部を繋ぐ全長700キロの歩く旅の道「みちのく潮風トレイル」。それぞれテーマを掲げて旅に臨んだ8人が、旅を終え、どんな道が見えたのでしょうか。最後は北上チームのリーダー、小松大知くんです。


◆東北のモノゴコロ
東北芸術工科大学3年の小松大知です。北上チームの代表をしております。私が掲げた旅のテーマは「東北のモノゴコロ」ということで、モノ作りとその裏にある精神や想いを拾っていくたびにしようと思っていました。様々なモノづくりをしている方に会いました。陸前小野駅という駅があるんですが、そこの仮設住宅で作られている「おのくん人形」を仮設のお母さんたちが生きがいとして作っていて、世界的にも注目、人気があって日本中から買いに来る方がたくさんいて。震災で色んな産業、モノづくりが失われたところもたくさんあったがそれでも今までの伝統の漁を続けたいと言っている漁師さんがいたり、何もなくなったけど自分たちにあるもの、できることだけでものを作っていこう、生きがいにしていこうという形で誇りを持ってやられているのを感じたし感動しました。やはりなにかデザインでできる部分がもっとたくさんあるんじゃないかと思ったところもすごくありました。商店街ひとつとってもデザインの力をすごく感じていて、デザイナーやモノづくりをする人が入って協力しているような商店街はすごく活性化しているし外からもお客さんが来ている。自分たちのようのものを作る力を持った人たちがもっと協力してその土地を活性化してもりあげるものを作れる可能性を秘めている場所だと思います。でもやっぱり東北というのはまだまだ生活の再建だとかそういうものに追われてしまってなかなか発揮できていないところも様々ありますし、モノ作りとか産業はこれからようやく立ち上がって、東北を支えるようなものになっていくのではないかと今は感じています。


8月20日。南北に分かれて旅した8人の学生は、9月11日。震災から3年半の日に、岩手県大船渡市「恋し浜駅」で再会を果たしました。そして8人は、恋し浜駅の名物「ホタテの絵馬」に、それぞれの想いを、メッセージに残しています。

◆ホタテに書いた想い 「道は続く・・・」
私からは「道は続く」という言葉にしました。23日間歩いてきて、全員が成長できたと思うし色々と考えることが出来た道だと思うんですけど、その道がやっぱり100年後残っていなくてはいけない、残っていてほしい。この経験をもとに自分たちはこの道を続けていくために何ができるのかを考えながら、自分の道も歩いていけたらいいなと言う意味も込めて「道は続く」。東北の道がいつまでも残ってもらえたらいいなと思っています。みなさんお疲れ様でした。





また、8人の旅の様子は、facebookでも報告されています。ぜひ覗いてみてください!
そして次はあなたがぜひ東北沿岸を歩く旅へ出かけてみてはいかがでしょうか!東北沿岸部を、歩いて旅するトレイルコース『みちのく潮風トレイル』は、旅を楽しむための整備も進んでいます。例えば、青森県八戸から、岩手県久慈までの区間では、この夏にスタンプポイントが設けられ、この区間を歩き切ってスタンプをコンプリートすれば、証明書を発行してもらえるそうです。


「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」Facebook

「ランドネ」サイト

2014年9月17日

9月17日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(9)

「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」。3週間の旅を終えた、8人の学生たち一人一人の声をお届けしています。

それぞれテーマを掲げてこの旅に臨んだ8人は、旅を終えたいま、テーマに どんな答えを見出したのでしょう。きょうは2人の学生の声です。


◆記録することと記憶すること
秋田公立美術大学1年生の、北上チーム 山本はるひです。「力になれる形とは」というテーマで歩いてきました。今できることは記録することと記憶すること、それと細く長く関わっていくことだと思っています。誰かに問題提起をしたり誰かを変えたり世間の動きを変えたいわけではなく、自分が変わらないためにずっと東北に住んで震災を考え続けなければいけないなって。閖上中学校に慰霊碑があって、そこに亡くなられた生徒の方の名前が彫られていて、お母さんかお姉さんか分からないけど女性の方が真っ直ぐ慰霊碑に行って名前を一つ一つ手で撫でていたのを見ました。行かなければ分からない、その時にその場にいなければ分からない体験の様な気がして、その時起きたことをFacebookに投稿しようと思ったんですけど、なんと説明したらいいか分からなかった。悲しみを風化させないことが正しいことなのか分からないけど、どうしたらこの怖さや悲しみ、もう二度と起きてほしくないという気持ちを残せるんだろうと思っています。


神奈川出身・山本はるひさんは、大学1年生。2011年3月、震災のあった年はまだ中学生でした。このインタビューのあと、Facebookにはこんな言葉を描いています。
『もっと知りたい。ふれたい。見たい。体で感じたい。歩いていきたい。時間のある内に。生きている内に。旅から帰って以来、怖がっている暇が惜しいと思うのです。』


◆再認識した「日本人であること」
東京芸術大学 北上チームの武田力です。僕にとってのテーマは「日本人とはなんなのか」。もちろん日本人とはなんだというのを明確にいうことはできないけど、不思議なもので一つの共有感覚があったような気がするんですよね。日本人として311を共有しているという感覚があって。例えば僕は東京に住んでいるけど、「がんばろう日本」といろんなところに貼っているのが記号になりつつある、311が記号になっているようなところがあると思うんですけど、実際に被災地に足を運んでいろんな人にお話を伺って食べ物を食べて寝てということを繰り返しているうちに、日本人として311をどう思うか、みたいなことを、もちろん被災地に住まれている皆さんはより身近に感じているんだろうけども、同じテーマについて考えたり話したりするという意味で、強く日本人なんだなということを改めて認識させられた瞬間はあったんですね。あとはやっぱり神社仏閣をずっと歩いていて、自分のルーツじゃないけど、ずっと前の世代の人たちが築いていて、深いところで繋がっている感覚も得ることができたので、そういうところが糸口になってこれから先「日本人とは」ということを考えていけるんじゃないかなと思っています。


熊本県出身・武田力さん。芸術大学学生として演劇・パフォーマーの勉強をしています。海外の民俗芸能を学んだ経験もあり、被災地の神社仏閣に、それと共通するものを感じたと話しています。「日本人とはなんなのか」。これからも旅をつづけ、問い続けるとFacebookにメッセージしています。


「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」Facebook

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2014年9月16日

9月16日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(8)

引き続き、「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」、3週間の旅を終えた8人の学生たち一人一人の声をお届けします。




青森県八戸から福島県相馬まで、東北沿岸部を繋ぐ全長700キロの歩く旅のルート「みちのく潮風トレイル」。学生たちはそれぞれテーマを掲げて、この旅に臨みました。旅を終えたいま、8人は、そのテーマに、どんな“答え”を見出したのでしょうか。きょうは3人の学生の声です。

◆あるいてつないだ道の先に
立命館大学2年 南下チーム森恭平です。「これからの東北を見つめて」というテーマでした。復興の進み具合は全然違うので一概に“東北はこうだ”と言えないけど、共通しているのは人口の流出であって自治体単位で新しい取り組みを始めたりとか今回のトレイルのようなことをはじめて、新しい人に来てもらって魅力を伝えて人工流出を食い止めようとしているが、その中でよくなる悪くなるをスパッと言っちゃうのは無責任で申し訳ないと思う。個人的な願いとしては、良くなってほしい。単純に良くなってほしいというのが歩いた感想ですね。

京都造形大学3年生 南下チームの姫田光です。「東北の商品や企業の魅力を発見して発信していきたい」というテーマです。いろんな商品や一次産業の漁港で働いている漁師さんの話や、東北の面白い商品…織物が東北は多いんですが、織物の歴史の話を聞けたりしました。羽織織りというのがあって、元々綿が東北は少ないので江戸や大坂から持ってきた織物を使って、使えなくなったらその糸を裂いてそれを織るという寒い地方ならではの織物。一つの商品を何度も何度も作り直して使うという寒い地方ならではのステキな賞品があって魅力的でした。

東北芸術工科大学2年 南下チーム高橋麻里子です。「東北に残る和の心」がテーマ。和の心というのは、元々はみんなで手を取り合って輪になって頑張るという意味があるんですが、この旅を通してそういう部分も感じたのですが岩手県の釜石市で「てんでんこ」という言葉を教えてくれたおばあさんがいて、それは「まず自分のことは自分で守る、自分の命は自分で守るんだ」というという話で、そういうお話をしている方に結構であった。それを聞いたときに、まず誰かと手を取り合って頑張るためには自分が自分のことを、ちゃんと考えて自分を大事にすることができるから、それがあってはじめて、手を取り合ってお互いのことを考えて暮らして生きていけるということに繋がるのではないかな、ということを考えるようになりました。



3人目に話してくれた仙台出身・高橋麻里子さんは、ほかにもこんなことを言っています。
『この旅でたくさんの人に出会って、そのたびにサヨナラではなく、“行ってきます”と言って別れました。旅で出会い、また会いたいと思う人がたくさんいます。みちのく潮風トレイルをこれから歩く人たちにとって、三陸が、また帰りたくなる故郷になればいいなと思っています』

明日も、みちのく潮風トレイルを踏破した8人の声をお伝えします。


「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」Facebook

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2014年9月15日

9月15日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(7)

「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」。3週間の旅を終えた、8人の学生たち、一人一人の声をお届けします。

先週お伝えしたとおり、2組に分かれ、北は八戸、南は相馬をスタートした大学生たちは、700キロの旅の末、先週9月11日に、合流地点の三陸鉄道南リアス線「恋し浜駅」でついに再会を果たしました。



700キロ・3週間の旅を終えた8人は、この旅でなにを持ち帰り、どんなことを語ってくれるのでしょうか。 まず、北上チームのリーダー、東北芸術工科大学3年・佐藤亨さんです。

◆出て戻り、登って下って・・・リアスで感じた大自然
一番伝えたいことは東北の自然の豊かさ。これを旅で感じたので伝えていきたいと思っています。特に南下チームはリアス式海岸を南下してきて、半島に出て戻り、出て戻り、山をあがって降りる、上がって降りるというクルマでは体感できないことを徒歩で体感できた。一番印象的だったのが、大須海岸の海岸沿いを歩いたこと。トレイルなので山というイメージがあるけど、砂浜を登山のかっこうで歩くというはたから見ると何やっているんだろうなという格好だったが、それも魅力の一つなのかなと感じましたね。


佐藤さんは自衛官として被災地で捜索活動を経験後、学生になった方。
「いままでの東北、いまの東北、これからの東北」をテーマに、旅をしてきました。今後はこの旅を振り返りながら、これからの東北について考えていきたいと話しています。

一方、将来はラジオの仕事をしたいという南下チームの女子、東北芸術工科大学4年 大津悠美子さんは、今回の旅でたくさんの“言葉”を持ち帰ったことを誇らしげに語りました。

◆このトレイルで掲げたテーマが「ツナガリから生まれる会話」ということで、出会った人たちととにかく会話を楽しむことから始めてみました。被災地を歩くということで最初はためらいもあって、どんな質問をしたらいいだろう、どんなことから話せばいいんだろうということを悩みながら歩いていたんですけど、すごく地元の方々が暖かく迎え入れてくれて、「こっから歩いて行くの?」って驚かれたり、「あがらい」って招いてくれたり、「これけ(食え)」っって地元特産のものやおばあちゃんのうちで取れる野菜を頂いたり、最後には「またきてけさいね」って手を振ってくれて、徐々に心の距離を会話によって埋めていけて、このトレイル23日間で、改めて持ち帰りたいと思った言葉がたくさんありました。

今日はたまたま海岸にいたおばあちゃんと話した時に、おばあちゃんの家はどこにあったのとか、何しているのという会話から、どこまで津波が来たか、どんな職業をしていてどんな家族がいるのかというところまで見えてきて、震災の爪痕がどのくらい残っているかという現状や、自分たちがそのおばあちゃんにどんなことがしてあげられるんだろう、という感情が、ちょっとした会話から生まれる瞬間が自分は大好きだなと思いました。



明日も、旅を終えた学生の声、お伝えします。


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2014年9月12日

9月12日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(6)

「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」のレポートです。
大学生8人が4人ずつに分かれて、北は青森県八戸、南は福島県相馬をスタートしたのが、8月20日。約700キロを23日間かけて歩き、2014年9月11日、ついに最終日を迎えました。

いろんな道を歩き、行く先々で出会いが有ったり、様々な山を乗り越えて・・・
合流地点の、三陸鉄道南リアス線の「恋し浜駅」で3週間ぶりに再会しました。


◆いろんな感情を引き出された
あと2キロ ついに350分の2 よくみんな歩いたよ。ちょっと信じられない。なんか普通に戻るのがコワいかも。普通に私服を着ること、普通に電車に乗ること、普通に車に乗っちゃうことが不思議と思える。自然によって、人によっていろんな感情を引き出された。あ、自分てこういうこと思うんだとか、新しい自分を引き出された気がする。

◆ゴールだけどスタート
これが物理的なゴールではありますけど、旅から何がスタートできるのかがとても大事。せっかくいろんな方にお話を伺えたので、あの311から私たちが今後どう歩んでいくかをこれから考えていかなきゃいけない、まさにスタートなんだなと思います。



この日は震災から3年半。
三陸鉄道南リアス線の「恋し浜駅」で合流した8人は、2時46分、みんなで海に向かい、黙祷をささげました。

来週は、学生たち一人一人が、この旅で感じたこと、お伝えします。



中西さん談
普段学生なのでいろんなことを学んでいると思う。ただ今回の旅というのはいろんな人に会って、しかも歩いて、それによって自分達がどんな感情をもっているのか、というのを引き出されたと話していました。今の時代、大人も学生も何かを学ぼうという意思はたくさんもっていると思いますが、何かと向き合って、誰かと向き合って、考えるという機会はすごく減っていると思う。そういった意味でも、学ぶことも重要だけど、自分自身と向き合って考えることができたということが、彼らにとっていちばん大きかったのではないかな、と思います。


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2014年9月11日

9月11日 おいしいふくしまいただきます!フェスティバル2014(4)

引き続き、先週末に行われた「食の祭典 おいしい ふくしま いただきます フェスティバル 2014」の模様をお届けします。

福島の美味しいもの120店舗が出店した この食の祭典では、会場ステージで この番組のトークイベントも行われました。ご一緒したのはTV番組『キッチンが走る』でもおなじみの杉浦太陽さん。全国の生産者の方と出会ってきた杉浦さん、福島の食文化・生産者の方のお話も詳しく語ってくれました。


*****
中西:色んなところに『キッチンが走る』で回ってらっしゃるじゃないですか。それで色んな食材と生産者の方にお会いしていますよね。当然ながら福島県の食材も?
杉浦:行きましたよ、今年は郡山に行ってまいりました。郡山は鯉の産地なんですね。
中西:鯉!
杉浦:鯉ってなかなか普段食べる機会がないですけど、やっぱり地元では昔から貴重なタンパク源で。昔はお蚕、養蚕が盛んだったので、蚕を紡いだあとの中身の部分をエサにして鯉を育てるというのが文化なんです。
中西:そうなんですか、へえ〜!
杉浦:鯉、美味しいですよ。今回は鯉飯にしました。鯛めしならぬ鯉飯。小骨が多いので骨も全部取ってあげて一緒に炊いて骨から出汁を取って。あとは郡山は米どころでもあるので地元の米と地元の鯉で言い料理ができましたね〜。
中西:福島のお米は美味しいですよね〜。
杉浦:米どころですから。猪苗代湖の名水で育っていて、気候の寒暖差もありますし。やっぱり寒暖の差があると果物にしろ野菜にしろ美味しいのができます。気候的にも、なぜこれが名産なのかがよく分かりました。
中西:やっぱり農家の方が自分で作ったものって、自身の気持ちが乗り移っている感覚がきっとある。震災を乗り越えていろんなものを作る生産者の方に出会って、その想いを耳にするとどうですか。
杉浦:行くと、笑顔の方が多いですね。お話を聞くと、過去のことは辛かったんだけど「地元の仲間がみんなで助け合って、今は過去じゃなくて前を向いて歩いていくんだ」という気持ちが強いんです。だから目の奥が輝いているんですね。何かを乗り越えた人の目という感じで。漁港でも、船も全部流され仲間も半分くらいになってしまったという話を聞くんですが、誰かが手をあげて落ちていた網を拾ったりして少しずつ漁業を復興させてきたという想いを聞くと、この魚一匹も復興のあかかしだなと。被災地じゃなくて復興地と呼んでくれと言っている人もたくさんいらっしゃいます。今回のように120店舗も集まってにぎやかにやるのは未来への一歩かなと思います。
中西:この会場でいろいろ話を聞いて一つ共通しているのは、「安心安全なものをしっかり届けたい。だからこそ自分たちは工夫してきた」とおっしゃっている。だからどんどん新しいものを生み出す力が東北沿岸部に出来るような感じがしているんです。
杉浦:僕も現地で感じたのは、生産物の兆倍所にも行ったんですが、そこにも放射線の濃度を測る機械が置いてあって。
中西:線量を測る機械。
杉浦:ええ。そして専門の先生が常駐していて、そこに農家のおばあちゃんがいて1個1個安全ですよと。安心安全を届けたいという想いがあるんです。なかなか直売所に線量計は置けないじゃないですか。
中西:そこまでリアルに向き合うのは難しいですよね。
杉浦:それがあるとお客さんも、安心だねと買いやすい。前を向いていると感じます。

2014年9月10日

9月10日 おいしいふくしまいただきます!フェスティバル2014(3)

引き続き、先週末に開催された「食の祭典 おいしい ふくしま いただきます フェスティバル 2014」の
模様をお届けします。

さて、中西&高橋の2人はただ、食べ歩いていただけ、じゃありません。実はこの日、会場のステージではこの番組の公開収録もあり、2人はステージから福島の美味しいものを色々PRしてきました。つまり2人の食べ歩きは、やたらテンション高くはしゃいでいるように聞こえますが、あくまで予習です。



というわけで福島の美味しいものをいっぱい食べて力をつけた 中西・高橋はクロノス内8時10分からの番組『スマイルミッション』や、TV番組『キッチンが走る』でおなじみのスペシャルゲストによるトークイベントの一部をどうぞ。

****

高橋:杉浦太陽さんです!
杉浦:いや〜きましたね福島。いいですね天気にも恵まれて!すごいイベントでびっくりしたんですけど。
中西:ものすごい。120店舗あるんですけど。
杉浦:食、食、食ですね!本当にね!
中西:僕のイメージでは『キッチンが走る』で美味しいものを食べて食べて食べまくっているイメージがあるんですけど。
杉浦:食べて食べて食べまくって、、、いますね(笑) でもその分生産者の想いとか、なぜこの土地でこれが名物になったのかとか、どんな誇りをもってやってらっしゃるのかとか人の生き様を毎回学べるのでそこが良いところですね。
中西:食に生き様は出ますよね。
杉浦:出てますね、間違いなく。
高橋:やはり!杉浦さんにもぜひ食べて頂きたいということでですよ、さっきからチラチラと目の前に見えていますが、浪江町のご当地グルメのなみえ焼きそばです。
杉浦:あ、グランプリになったやつだこれ!
高橋:そうです。去年のB1グランプリで優勝したグルメですね。なんともう1個ここにありましたので、私もちょっとおじゃまして頂きます!
杉浦:大好きなお肉もいっぱい入ってますよ。
高橋:ありがとうございまーす!
中西:いやいやいや。だいたいいつもこのパターンなんですよね。ラジオやっていても僕は食べさせてもらえないみたいな。
杉浦:そうなんですね・・・。
高橋:あ!美味しいですねえ〜!
杉浦:これアリですね、このソースとの絡み。甘めなのが食べやすい。
高橋:そう、ソースがね。もっちもちですよ。
中西:・・・あと、モヤシの食感と太麺が合いますよね。
高橋:食べてないですよね?
中西:あのね(笑) 以前食べさせて頂きました!!
高橋:そうなんだ。
杉浦:おいしいなこりゃ。

高橋:日本酒に合うものも試食したくないですか?ちょっとご紹介します。目の前にあるのが、いわきうろこじゅうさんの「ウニ貝焼き」です。
杉浦:ウニ貝焼き・・・もう響きがヤバいですね。
高橋:見た目も素晴らしい〜!ちょっと中西さん、ウニ貝焼きを杉浦さんに渡してあげてください。
中西:なんでいつも食べ物が俺の前を通るだけなんだ。
高橋:こちらは明治時代から受け継がれたいわきの伝統料理ということで、みなさんご存知ですかね。
中西:当然ねえ。
高橋:あ、やっぱりみなさんご存知なんですね。ほっき貝の貝殻に生ウニを5〜6個入れているんです。
中西:ちょっとちょっと・・・
杉浦:ほっき貝とウニがたっぷり。
高橋:そう。ウニがみっちり!そして最後に蒸し焼きにしています。現在はロシア産のウニを使っているということなんですが、文化を継承していきたいということなんです。
杉浦:大事ですね。郷土料理だ。頂きます・・・あっ海の香りがしますよ。これね、日本酒やわ。やばいわ。「日本酒やわ」言うてもうた(笑)
中西:アハハ!
杉浦:すごく余韻がね。ウニの塩漬けってありますけどそれとは違くて、蒸したホクホク感と、ホクホクなんだけど食べていくとねっとりしてくる。
中西:あ、下の方は少しずつねっとり感が出てますね・・・。
高橋:これはお家でちょっと日本酒を2〜3滴たらしてチンして。
杉浦:高橋さんもう食べてるやん。
高橋:見てたら我慢できなくなって。これは本当に2個しかないんです。
杉浦:2個しかないですね。
中西:確かに2個しかないですね・・・。
杉浦:パスタに入れてもおいしそう。
中西:あ、そうね。ほぐしてパスタに入れたら美味いでしょ!
杉浦:ウニのパスタね。

中西:杉浦さんは料理もされるんですか。
杉浦:しますね。
中西:じゃあ奥さんに代わって料理を作ったり。
杉浦:もちろんもちろん。空気感で、今日はなんかしんどそうにしているな・・・と思ったら俺がさささっとキッチンに行って作って。
高橋:優しい〜。
中西:ナイスプレーですよ。
高橋:ねえ。お子さんたちも喜びますよね。
杉浦:好きなモノも分かるんでね。野菜が嫌いだとポタージュにしたりとか。液体ものが一番食べやすいので。
中西&高橋:すごい!
杉浦:ミキサーでウィーーンってやったりするの好きなんです。子どもが苦手な野菜を入れて溶けるくらいまでやったら気が付いたら食べているので、自然に好き嫌いが減っていくんです。
中西:尊敬します。
高橋:本当ですね。
杉浦:好きすぎて庭に畑を作っちゃって。
中西:庭に畑作ったんすか!?
杉浦:はい。今年もキュウリとゴーヤとトマトとナスとモロヘイヤとシソと。色々作りましたね。楽しいですよ。毎日ちょっとずつ芽が出て。収穫の喜び。ああ俺も農家さんの気持ちがちょっとだけ分かるという。


****
あしたもこのトークイベントの続きをお届けします!

2014年9月9日

9月9日 おいしいふくしまいただきます!フェスティバル2014(2)

きょうも引き続き、福島のうまいもの、食べ歩きレポートです。

「食の祭典 おいしい ふくしま いただきます フェスティバル 2014」
いわき市アクアマリンパークに、福島県の産品、ご当地グルメがおよそ120店舗も出店!目移りして、どこから攻めればいいか迷っちゃいましたよね〜。

鼻をクンクンさせながら、美味しいものを探し歩く 中西・高橋のレポート、続きです。

***

地元・小名浜の漁師の奥様方による女性部手作りの「サンマの蒲焼き丼」。小名浜はサンマの水揚げで有名な浜ということで、週に2回の試験操業で水揚げされたサンマをご飯とともに、中西がかっこむ!11月9日には、「いわき市の魚祭り」があり、そこでも試験操業で上がった魚が振る舞われるそうです!


さらに中西は郡山の室内栽培で育った「キクラゲ・シイタケのあんかけ焼きそば」「まいたけのおこわ」もがつがつと!

一方、高橋万里恵が食べたのが、伊達郡川俣町の増田屋商店の麹納豆!

大豆に納豆菌を入れて発酵させ、さらに麹菌を入れて二度目の発酵をさせるという「菌の倍返し!」をキャッチコピーとした納豆グルメ。創業100年の老舗が開発、現在は会津地方の豆を使って製造している逸品。県産品コンクールの奨励賞を受賞しています。

さらに高橋万里恵、やまと凛々アグリネットふくしまのブースで、福島の桃「幸茜(さちあかね)」「黄貴妃(おうきひ)」、そして梨の幸水も食しました。


さて、2人は別に美味しいものを食べ歩くだけを目的に、このイベントに来た訳ではありません。あしたはイベントステージで行われた、中西・高橋&杉浦太陽さんのトークイベントの模様をお届けします!

2014年9月9日

9月8日 おいしいふくしまいただきます!フェスティバル2014 (1)

きょうは、クロノス中西哲生と高橋万里恵によるレポートお届けします。

おととい・きのうの2日間行われた、「食の祭典 おいしい ふくしま いただきますフェスティバル! 2014」です!



いわき市アクアマリンパークを会場に行われたこのイベント。福島県産の野菜やお肉やお魚。郷土料理・ご当地グルメがなんと、 およそ120店舗出店!福島の美味しいものが120店舗という圧倒的な数に、高橋万里恵は前日から嬉しすぎて体の震えが止まらなかったと語ります。

ともかく、朝からおなかをすかせて このイベントに臨んだ2人。
☆最初に中西哲生が食べたのは
Sea級グルメ全国大会優勝!地元・小名浜の新名物ジャンボカジキメンチ。迫力のジャンボサイズ!カジキの白身なので淡白かとおもいきや、ソースなしでも十分まいうー!!実は普段の店舗では、マグロメンチも頂けるそうです。




がぶりと食らいつくスポーツジャーナリスト中西哲生。

一方、高橋万里恵が食べたのは、福島焼鳥連合会のブースの「歩きながら食べるステーキこと福島牛串」、そして福島の財産と言われる、甘くておいしい「前田美豚(びとん)の大串」。炭火で香ばしく焼いた牛と豚のツートップを前に、高橋万里恵の興奮は、決勝進出を決めた錦織圭ばりのマックス状態になりました。


これがその福島牛の串と、前田美豚の大串。美豚と書いて「ビトン」と呼びます。なんてシャレオツなネーメイングでしょうか。

明日も、中西・高橋の食べ歩きレポート、お届けします!

2014年9月9日

9月5日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(5)

東北の沿岸、青森〜福島まで700キロの道を歩いてつなぐ旅。「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」参加者のレポートです。大学生8人が4人ずつに分かれて、北は八戸、南は相馬をスタートしたのが、8月20日。9月11日、ゴールの大船渡市、恋し浜を目指しています。

◆八戸をスタートした南下チーム・・・森恭平さんレポート
スタートしてから250キロぐらいの岩手県山田町にいます。目の前には山田湾が広がっています。とても穏やかな海でホタテの養殖イカダが浮かんでいて、今まで見たことない景色が広がっています。
(この1週間、ハプニングは?)
僕たちこけしの杖をついて歩いているんですけど、あるメンバーのこけしの首がとれてこけしの頭が山の斜面を転がっていったのが、ハプニングでした
(何か印象に残ったものは?)
宮古市の展望台があるんですけど目の前にリアス式の半島が見えて、青い空と海のコントラストがキラキラしてきれいでした。
(森さんは今回の旅のテーマに、「これからの東北を見つめて」という言葉を挙げていますが、町や人とふれあってきた中で感じたことはありますか?)
津波で大きな被害を受けたんですけど、そこから再建されて事業を大きくしたという方からは人の強さというものを感じたんですけど、また津波が来るといわれている場所に同じ建物を建てるというところに少し矛盾を感じました。
今日は船越半島を一周します

◆相馬をスタートした北上チーム・・・山本はるひさんレポート
相馬からスタートして140キロにある、南三陸町の志津川湾を見下ろせる高台の民宿 下道荘にいます。今目の前には朝焼けのオレンジ色が山の間から射し込んでいて、海と山がどちらも青色に見えて、オレンジと青の対比が本当に美しいです
(何か印象に残ったものは?)
ずっと人通りの少ないところを歩いていて、そうするとたまに出会う人との出会いがすごく愛おしいものになっていて、みなさんあたりまえのように私たちを受け入れてくださるので、すごく別れがたいものを感じています。
(何を話します?)
まず、「何をされているのですか?」からはじまって、当たり前のように家に招き入れてくださりいろいろな食べ物を出していただいて、申し訳ないなとおもっています。ある島に行ったときおばあちゃんの家で出していただいた五目御飯がすごく美味しかったです!
(山本さんは今回の旅のテーマに、「チカラになれるカタチとは」、を挙げていますが、旅のあと、何が出来るか、見えてきたものはありますか?)
未だに見えてきてなくて、もしかしたら本当はないかもしれないと思っています。ただ今思いつく最大のできることは、真っすぐに真摯に向き合って記憶することにつきるんじゃないかと思っています
(今日はどこまで?)
今日は歌津駅まで歩いていきます そこから地元の山であるたつがね山という山に登ります。すごく山岳信仰を集める霊山だと聞いているのでメンバー一同楽しみにしています!




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2014年9月4日

9月4日 高知県の津波訓練「個別訓練タイムトライアル」

9/1の「防災の日」を迎えるにあたり、全国各地で避難訓練が行われました。
そんな中、京都大学防災研究所、矢守克也教授らの指導のもと、高知県四万十町興津地区では、ちょっとユニークな避難訓練が行われています。
名付けて、「個別訓練タイムトライアル」。避難にかかる時間を計測、さらに、その様子を動画で撮影する、というものです。

◆「個別訓練タイムトライアル」による動画カルテ
いま日本で一番懸念されている災害の一つが、東日本大震災で被災地を襲った津波が、今度は西日本を中心にやってくるんではないかと、非常に心配されている。新聞などで「南海トラフの巨大地震津波」と呼ばれているもの。
そうしたものが心配されている地域の一つの高知県の四万十町興津地区(人口1000人くらいの小さな集落)で、わたしはこの数年、地元の小学校を中心に防災教育をすすめている。この興津地区は津波の危険が非常に高く、最大25メートルの高さの津波がくるかもしれないといわれていて、15~20分くらいで来るかもしれないと言われている非常に厳しい地域。そういう厳しい地域なので、この興津地区はそれなりに避難場所は整備されつつある。例えば高台の避難所や避難タワーも数基できた。それなら問題解決かというと、そんなことはなくて、本当にみんなそこに、しかもそんなに短時間に行けるのか、という話がある。実際非常に厳しい。
想定を厳しくすることは、一方で、あきらめを生んでしまうという危険もある。あまりにも厳しい予想だと、「もうやめた」ということになる。ご飯を食べていようが、寝静まっていよう、お風呂に入っていようが、地震が起きてから15分後に近くの高台にいけと言われて、特に高齢のおじいちゃん、おばあちゃんは、足も弱っているし、動作も機敏に動けないし、もうあきらめた、という方が多く出ている。
そこで、「個別訓練タイムトライアル」という取り組みを始めた。避難訓練というと、集団でやっているイメージだと思うが、これは違う。一人一人行う訓練。「田中さんだけの訓練」「山田さんだけの訓練」。ましてや、自分が逃げている姿をビデオで撮ってもらったことなんて、たぶん多くの方はないと思う。この「個別訓練タイムトライアル」でやっていることは、まさにそれ。一人一人に密着して、その方が逃げる様子をビデオで全部とって、しかもタイムをはかる、というもの。ビデオをとる役目を、地元の小学校の子供たちに割り当てている。その動画に、動く地図がついていて、おじいちゃんおばあちゃんがどんなふうに避難所に向かうかというのがアニメーションで示される。そして、逃げていく後を、まさに津波が追っていくところが、アニメーションで見られる。
これを「個別訓練タイムトライアル」からできあがる「動画カルテ」と呼んでいる。おじいちゃん、おばあちゃんの避難の一つ一つに密着して、おじいちゃんの問題はここね、だって家を出るまで10分もかかっているから、この部分をどうにかしたほうがいいよとか、おばちゃんの問題はこの登り坂で、ここでスピードが落ちちゃってるから、なんとか人に助けてもらうようにしないと、とか。そういうことを、わたしたちから言うと、おじいちゃんおばちゃんも「もういい!」ということになるが、孫みたいな年齢の子どもたちから言われると、意気に感じて、「じゃあもうちょっと頑張ってみようか」ということになるんでしょう。避難タイムもだいぶ縮まった、というケースもある。
こんなふうに、一人一人に寄り添った避難訓練が、これから求められるんじゃないかと思う。


「津波避難にかかる時間を実際にはかってみる」という新しい発想。興津地区では地域の小学生とお年寄りが一緒になって、一人一人の「避難カルテ」をつくることで、さらに効果を上げています。

「個別訓練タイムトライアル」/京都大学防災研究所 巨大災害研究センター 減災社会プロジェクト

2014年9月3日

9月3日 都心でも「津波てんでんこ」

今日も、群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長、片田敏孝さんのお話です。

子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生およそ3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。片田さんは、そんな釜石の防災教育に、長年携わってきました。

大震災の教訓を踏まえ、わたしたちは今後の災害にどう備えればいいのか。「都市の防災」について、片田さんに伺いました。

◆都心でも「津波てんでんこ」
これまで防災は行政がやるもの、という他者依存、行政依存が非常に強かった。これからは個人も学校も企業も行政も他者依存をやめ、それぞれがベストのことをやるという姿勢が重要。311にみられた大混乱をみるときに、企業も社員の安全、社員の家族の安全をどう守るのかというのも企業にとって大事なことになる。企業に勤めるお父さんは企業人でもあるが家庭人でもある。どちらが大切かといえば、必ず家族のほうが大切。家族の安否がわからなければ、必ず帰ろうとする。そのために日頃から企業に勤める人は、それぞれ家族との連絡、万が一連絡がとれなくてもそれぞれがどう行動するかということを、事前に相談しておくこと。落ち合う場所など。必ずしも連絡がとれなくても大丈夫、不安が爆発しないように準備しておくことが重要。東北地方に「津波てんでんこ」という言葉がある。これは企業の防災にも参考になる。てんでんばらばらに逃げるというと、親は子供のことを見捨てて逃げろ、みたいに聞こえるかもしれないが、そうではない。「てんでんこ」とは一人一人が自分の命に責任を持つこと。これがしっかりできていれば、都心のお父さんも、無理無理帰宅する必要がなくなる。企業としては、従業員と家族との間の事前の対応を導いておくことも重要。都心に従業員が残ってくれれば、都心の復旧復興や応急措置、人々を助ける行為にも活躍してもらえる。そう考えると、やはりここでも事前の備えが重要、ということになる。


都心でも「津波てんでんこ」を実践するべき、というお話でした。最後は、ひとりひとりが自分の命に責任を持つ、ということ。その為の準備、やはり事前に家族間で話しておくことが大事です。

2014年9月2日

9月2日 釜石でたくさんの命を救った「津波てんでんこ」

今週は「防災週間」。番組がこれまでにご紹介したインタビューの中から、「防災・減災」について、いま改めて知っておきたいお話を再構成してお届けします。

今日も、群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長の、片田敏孝さんのお話です。子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生およそ3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。片田さんは、そんな釜石の防災教育に、長年携わってきました。

釜石の防災教育の基本は「津波てんでんこ」。古くから東北地方に伝わる、津波防災の基本です。

◆「津波てんでんこ」は、一人一人自分の命に責任をもつこと
「釜石の奇跡」という言葉に、わたし自身は違和感を持っている。子供たちは「僕らはずっと勉強してきてやるべきことをやった。だから釜石の実績なんだ」と言っている。また釜石では99.8%の小中学生が無事だったが、市民は1000人、子供も5人亡くなっている。それを考えると、わたしとしては、防災の取組としては失敗だと思う。確かに3000人の子供たちが懸命の避難をした。下級生やお年寄りを世話しながら避難した子供たちの行動は褒めてやりたい。
防災訓練の授業の最後に、「君たちはちゃんと逃げると思うけど、お母さんたちはどうすると思う?」と問いかけた。すると「お母さんが迎えにきちゃう」と。「お母さんが迎えにきたらどうなるだろう?」と。。子供たちが「お母さんに逃げてねとお願いする」と言うから、僕はもっと効果的な方法があると子供たちに教えた。「君がちゃんと逃げることだ。君がちゃんと逃げるということをお母さんが信じてくれれば、お母さんは迎えにこないだろう」と。だから勉強したことをお母さんにちゃんと伝えなさいと。
今回の震災の後、お母さん方に「逃げましたか?」と聞いたら、お母さん方が「うちの子は逃げるなっていっても逃げる子ですから、わたしは逃げましたよ」とあっさり言った。その言葉を聞いて、子供たちが日ごろ家庭になにをどう伝えていたのか、手に取るようにわかった。僕は心の中で「でかしたぞ!お母さんたちの命を守ったのは君たちだ!」と思っていた。
「津波てんでんこ」という言葉はそのまま聴くと、津波のときは一人一人逃げなさい、親は子どものことを見捨てて逃げろ、絆を立ちきれというように聞こえるがそうではない。「津波てんでんこ」は一人一人が自分の命に責任をもつこと、それを家族間で信頼で結び合うこと。
子供たちは本当に実効性の高い防災行動をとってくれたと思う。



各自がてんでんばらばらに、とにかく逃げる「津波てんでんこ」を実践した釜石。家族間のコミュニケーションと、親子がお互いを信じる強い気持ちが、結果的に多くの命を救うことにつながりました。

2014年9月1日

9月1日 防災の日 釜石の津波教育

今日9月1日は「防災の日」。そこで今週も「防災特集」お送りします。

番組がこれまでにご紹介したインタビューの中から、「防災・減災」について、いま改めて知っておきたいお話を再構成してお届けします。    
今日は、群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長の、片田敏孝さんのインタビューです。

岩手県釜石市は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けましたが、小中学生およそ3000人のほとんどが津波を逃れ、無事でした。子どもたちの自発的な避難行動は、メディアでも大きく取り上げられ、「釜石の奇跡」とも呼ばれました。片田さんは、そんな釜石の防災教育に長年渡って携わってきた人物です。

片田さんら関係者の努力と、子供たちの勇気が実を結んだ、釜石のケース。しかし、取組みを始めた当初、状況は全く違ったといいます。

◆姿勢の防災教育
釜石の防災教育は子供たちに「こうしろああしろ」と具体的な知識を与えるのではなく、判断力のある子供、自分で決断できる子供になるように、という教育に重きをおいてきた。これを「姿勢の防災教育」と言っている。津波に対しては「海から離れるのではなく、海から一刻も早く高いところに行く」という規範を与え、さまざまな状態でその時を迎えたときに、誰かに指示を仰ぐのではなく自分で行動がとれるように、教育に重きをおいてきた。
釜石の防災教育を始めた当初は、子供たちはそういう力をほとんど持っていなかった。
子供たちに津波対策を聴くと「僕逃げないよ。うちはお父さんもおじいちゃんもみんな逃げないよ。
釜石には世界一の大きな堤防ができて昔とは違うんだ。だから僕逃げないよ」と。大人が逃げない、社会全体が逃げる体制になっていない、これはまずいなと思った。だから子供たちには、「君にできることはただ一つ。その日その時できるベストを尽せ」「君が精いっぱいの行動をとっても、君の対応力より津波のほうが大きかったら、君は命を落とすかもしれない。それは仕方がない。だからこそ君はその時できる精いっぱいのことやるだけだ。懸命に逃げろ」と伝えた。
(そういった防災教育を続けたうえで震災となって)子供たちは揺れが収まるやいなや、すぐにかけ始めて、いま一番高いところはどこだろう、一番早くいけるところはどこなんだろうと、ある子は一人で判断し、ある子は友達と相談しながら懸命の行動をとってくれた。


釜石市の「津波防災教育のための手引き」は、HPからダウンロード可能。

2014年9月1日

8月29日 東北沿岸700?を大学生が歩いてつなぐ旅(4)

東北沿岸700キロを、大学生が歩いてつなぐ旅『あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル』のレポートです。

大学生8人が4人ずつに分かれて、北は八戸、南は相馬をスタートしたのが、8月20日。約700キロを歩いて、9月11日、ゴールの大船渡市、恋し浜を目指しています。

◆青森県八戸をスタートした南下チーム・・・高橋麻里子さんのレポート
岩手県の田野畑村にいます。スタートしてから120キロぐらい進みました。この1週間ハードな山道も歩いてきているので、結構疲れも出てきています。
(何か印象に残ったものは?)
人と出会った時に、「さよなら」とか「またね」ではなく、「いってきます!」と言うことが多くなって、それがとてもうれしいです。また戻って来たいな、という気持ちが多くなってきました。
(高橋さんは今回の旅のテーマに、「東北に残る和の心」を挙げていますが)
もともと東北の「縁の心」に興味を惹かれてテーマを掲げたんですけど、歩いている途中でそれにまつわる石碑を見つけたり、出会いも感じます。

◆福島県相馬をスタートした北上チーム・・・大津悠美子さんのレポート
今は石巻市の市街地にきています。スタートしてから昨日で100キロ突入しました。サイボーグ009で有名な 石ノ森章太郎さんの漫画館が見えています。
(この1週間、ハプニングもなく順調に来てますか?)
みんなの歩調もだんだんと合いだしていて、息があってきました。
またうれしいハプニングもありました。車の方からfacebook見たよ、とか、ラジオ聞いたよ、という声をかけていただけるようになり、うれしく思います!
(何か印象に残ったものは?)
人との会話が印象に残っていて、その土地土地でしか聞けないような話をたくさん聞かせていただいているので、うれしいなと。たまに方言で何を話しているのかわからないこともあるけど、それも楽しんでいます。
「つながりから生まれる会話」ということなんですが、出会う人々との会話の中で、地名にまつわる話や、あそこの神社にお参りに行ったほうがいいよ、とかその理由まで聴けるので、歩いててよかったと思います。
今日は、石巻市の島を点点とあるきます。猫がいる田代島や網地島を渡り歩きます!


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パーソナリティ 鈴村健一

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