2015年2月26日

2月26日 東北食べる通信 編集長・高橋博之さん −浪江町の酒粕

昨日に引き続き、東北食べる通信・高橋編集長のインタビューです。

東北の生産者と消費者を、食べ物でつなぐメディア、『東北食べる通信』。
毎月、各地の生産者を取材した特集記事とその生産物が付録として読者に届けられています。
例えば最近だと、山形の真室川町の里芋、 秋田県男鹿市のハタハタ、青森県佐井村の水ダコ・・・
番組スタッフにも読者がいるのですが、毎号「ほんとに楽しみ!」と言ってます。

そして2015 年。すでに読者の手元に届いている最新号の中身はなんだったのでしょう。 東北食べる通信 編集長の高橋博之さんに伺いました。


◆故郷を奪われた人たちをつなぐもの
1月下旬からお届けしているのが酒粕。福島の浪江で酒蔵をやっていた方。福島第一原発から直線距離で7 キロの町。戻れなくなってしまい避難先で酒造りを始めた鈴木大介さんの特集記事ともに酒粕を送った。とはいえ、ただの「カス」じゃない。失った故郷 浪江町は祭が盛んな地域。土地と祭りは自分たちのアイデンティティを確認する場であり体験だったがそれを奪われた。自分はどこから来たのか、どこの人間なのかを確認する術を失った人たちに唯一残されたのが、故郷の味。大ちゃんと呼ばれる鈴木酒造の磐城壽(いわきことぶき)の味はみんなが覚えていて、みんな祭りのたびに大ちゃんの酒を飲んで裸で神輿を担いで海へ入っていた。節目節目でこの酒は地域とともにあった。たまたま酵母菌という酒の元が福島県試験場に残っていた。それを山形県の長井で復活させ、集まるきっかけになるだろうと、バラバラに避難している人たちに酒粕を送った。それを浪江出身者たちは甘酒にして、みんなで集まって飲むかと集まるきっかけになっている。故郷の食って、アイデンティティを形成するもの。大介さんが懸念していたのは、浪江の人たちがバラバラになることで味の継承が失われる 題。ただそれは震災前から きている。このままだと故郷の味がきえて、「のっぺらぼう」になる。お金ももちろん大事だが 神的な、自分はどこからやってきた人間なのかを確認する、体よく言えば誇り。
それがないと言葉は悪いが生きるしかばねになってしまう。お金だけのために人は生きていけない。失っているものは大きい。かろうじて残っているものはある。それを守り育てることをしないと日本人も壊れるし日本という国も壊れてしまう。




酒粕・・・なかなか使い方が分からないという方もいるかも れません。 どんな風に頂くのがおススメなのでしょうか。

◆酒粕の楽しみ方
酒粕は自分の食生活に馴染みがなかった。粕汁や粕鍋だけでなく何に入れても旨い。例えば ミートソース、ピザ。味わいが深くなりコクがでる。ほんとに美味しくなる。 1kgを送った。
あとは女性はパック。化粧品にもなるのでお肌ツルツル。おすすめですね。



★東北食べる通信

2015年2月25日

2月25日 東北食べる通信 編集長・高橋博之さん −四国、東松島、そして全国へ広がる“食べる通信”

今朝は、東北食べる通信の新たな動き、お伝えします。

東北の生産者を取材した記事とともに、その「生産物」が、付録でついてくる史上初の“食べる情報誌” 東北食べる通信。食べる人と、作る人を繋ぐ新たなメディアとして注目を集め、各地で『ご当地食べる通信」が生まれ始めています。

先日は、宮城県東松島市で創刊した『東松島食べる通信』を紹介しましたが、それに先駆けて、このムーブメントに加わったのが、東北から遠く離れた土地、四国です。東北食べる通信 編集長の高橋博之さんに伺いました。

◆各地で「味をしめた」人たち!
東北食べる通信を立ち上げて3か月くらいで、四国のポン真鍋くんに出会った。四国も生産現場の高齢化、疲弊が続いていおり、しっかり価値を認めた都市の人に食べ物の裏側をちゃんと見せたいという欲求に飢えている人たちがいたんだなと感じた。ぜひやろうということで3か月後に創刊になった。そこで確信したのは、四国にあるということは全国各地に都市と地方の分断があること。食べる人から作る人が全く見えていないこと。東北は震災があったので気づいたが、これはどこも同じ。だから1000人、500人規模の食べる通信が全国に広がっていけば日本の一次産業の社会的地位は上がっていくのではないかと思った。だからコンビニのようなフランチャイズ方式を押し付けるのではなく、Jリーグのようなリーグ制にしてそこに参入してもらいルールを決め、ビジョンを広げていこうとスタートした。今一番手を挙げているのは東北だが、嬉しいのは、僕ら(東北食べる通信)が特集したところが手を挙げてくれていること。会津、山形、下北半島、福島の相馬。なぜこういうことになるかというと、言葉は悪いが「味をしめちゃう」から。食べる人とつながるのはいいもんだな、と。東北食べる通信で取材すると、「他にも良い農家がいるから、来月もう1回来て取り上げてよ」という。僕は10年後しか来られませんよという。そうすると待っていられないから「じぶんたちでやる」と動き出す。観客席にいるのをやめて待ちきれなくてグラウンドに降りてくる。それがすごくうれしい。


実はこの動きの中で、「食べる通信リーグ」という団体も立ち上がり、参加団体が集って、ルールや運営方針をみんなで決める枠組みもできています。そして現在、四国、東松島のほか、神奈川食べる通信、新潟食べる通信が創刊。山形、下北半島、兵庫、加賀能登、十勝が創刊予定なんですが、さらにこんな食べる通信も、まもなく誕生します!

◆高校生が作る福島食べる通信
高校生が手をあげてくれた。しかも最も深刻な被害を受けた福島県の一次産業を憂いて、風評被害を何とかしたいと女子高生が立ち上がった。福島の高校生が考える食べる通信というのを創刊準備に入り、取材も始めている。郡山の女子高生が、自分の周りに農家の同級生もいて、福島の食べ物が全く売れないという現状に心を痛めて、なんとかできることはないかと考え続けて来たみたい。彼女が食べる通信のイベントに参加したいと東京へやってきて、読者と議論する場があり、そこで彼女は気持ちを固めたようだ。高校生4〜5人で編集部を作っている。世の中の欺瞞や理不尽、不公平が溢れていてきれいごとでは行かないが、高校生ってそういう社会との接点ってほぼ無い。僕もなかったし普通は無い。でも福島の高校生たちが他と違うのは、社会に出る前に矛盾にあふれた社会と原発事故で繋がってしまった。自分の周りには発電所で働いていた方もいると思うし、自分の周りの農家の作物が売れなかったり、電力を供給する先はびくともしていないとか、高校生ながら、大人にならないと持てない接点を持ってしまった。だから彼女の場合は、なんとかその社会を変えたいと行動し始めている。3月には創刊するはずです。

 
この「高校生による、福島食べる通信」、高橋さんによれば、「葉書つき」になっているそうです。これはFacebookなどのコメントだけでなく、読者が生産者に、葉書で、食べた感想や感謝のごちそうさまを送るためのアイデア。これまでの ご当地食べる通信では、出てこなかった発想が、福島の高校生が作る食べる通信には、新たに盛り込まれることになりそうです。

★食べる通信リーグ

2015年2月24日

2月24日 東北お遍路プロジェクト2

昨日に引き続き、『東北お遍路プロジェクト』についてお伝えします。

1000年残したい物語性をもち、震災後に鎮魂の拠点となった、など条件を満たす土地を「巡礼地」に選定。東日本大震災の慰霊と鎮魂を目的とした
東北版「お遍路」を繋ごうという企画が、東北お遍路プロジェクトです。

現在ホームページには53の巡礼地が掲載されていますが、中には、あの福島第一原発の文字もあります。その意図について、プロジェクトの共同代表、高橋雄志さんはこう説明します。

◆原発は巡礼地か
福島第一原発については、当初から色々議論はしていた。本当に(巡礼地に)入れていいのかと。今回の発表でも色々な苦情もある。福島県民の感情としては、「福島第一原発は巡礼地ではない」、祈る場所ではない。それは分かります。それを超えて、我々としては原発は今は近づくことはできないが、後世に子の話を残すべき話ではないかなと。最終的に巡礼として行けるようになるのはいつになるか分からないが、巡礼地として残させて頂いて、遠くから見てください、と。そしてみなさんに、福島県の方々、亡くなられた方々への祈りをささげてほしいという意味で入れさせていただいているところ。南三陸町の防災庁舎についても議論はあったが、地元の住民の方々の取り壊したいというお話があるのであれば、その感情がある程度収まるまでは巡礼地としての選定や発表はできないのかなと考え保留になっている。大川小学校も同じような話かも知れない。巡礼地として発表できるタイミングというのは、被災された人たちの気持ちが一つ変わった時点になろうかと思う。それがいつかは分からない。それで最終的に残ったものが本当の巡礼地になるのだろうと思う。


ホームページを通じた、一般の方からの巡礼地の募集、そして調査や選考は、今後も引き続き継続していくと高橋さん。

住民の方の気持ちに配慮しながら、時間をかけて、次の世代へ、プロジェクトを繋いでいきたいと話します。

◆新しい物語へ
私の出身が気仙沼。おばあちゃんに言われたのは明治の津波の話だったが、その話を超える津波があった。おばあちゃんの話はたかだか100年くらいまえの話。記録ではなく記憶として物語を継承していけば、後世に、200年後に起きる大津波、国内で今後起きる津波への警鐘になればよいのかなと思う。学生や若い人なら、色んな物語があることを自分の足で歩いて回ってもらえると良い。全国や世界から来ていただけるのであれば、交通機関を使って色々巡って頂きたい。そして物語のあった場所や巡礼地で泊まって美味しいものを食べてお土産を買って頂きたい。地元が潤うことにもつながるし、それ以上に、地元の人たちが産業再生に向けて頑張っている、ボランティアの話をしてもらい、語り継いでいってほしい。被災を契機にはしているが、未来へ向けて新しい物語が生まれるような流れができたらいいと考えている。


ちなみに、日本サッカーの聖地で、現在は原発事故の対応拠点となっている福島県双葉郡の『Jビレッジ』。こちらもいま巡礼地として選考が始まっています。これはJビレッジ側から打診があったものだそう。

基本的に、東北お遍路プロジェクトはすべてボランティアの方によって運営されているため、高橋さんは「時間はかかるが、少しずつ長く継続してやっていきたい」と話しています。

★東北お遍路プロジェクト

2015年2月23日

2月23日 東北お遍路プロジェクト1

東北に巡礼の道・・・「お遍路」を作ろうという動きをお伝えします。

これは、宮城県仙台市の異業種交流会をはじめとした有志が数年前から準備を進めていたものです。 「お遍路」というと、四国のお遍路さんを意味する言葉ですが、東北の「お遍路」は、東日本大震災の慰霊と鎮魂、そして地域の活性化を目的としています。

このプロジェクトの共同代表、高橋雄志さんに伺いました。

◆1000年先に語り継ぐ巡礼の道を
『東北お遍路プロジェクト』という言い方をしている。311の被災後に青森県から福島県のNPO、異業種交流会のメンバーが集まって話し合った。当初はお遍路という呼び方はしていなかったのだが、物語で繋ぐ心の道を作りたいということを基本に、巡礼地を全て知っているわけではないのに公募をして、物語と巡礼地を提案してもらった。最初に提案してもらったのは105カ所。その提案の実態・内容が分からないので最初は調査した。条件としては1000年残したい物語性を有していること、震災にまつわるもの・震災遺構として残る可能性があるもの、地元の認知度が高いもの、命をつないだ場所であること(一時避難先など心の拠り所となった場所)、鎮魂の拠点となっている場所 ということを原則に、調査・選考を行った。


新聞やインターネットを通じて集まった候補地の中から、大学教授など選考委員が選定した巡礼地は、現在およそ50カ所。募集はいまも続いています。また、選考にあたっては、プロジェクトメンバーによる現地調査も行われています。

◆未来へ繋ぐ物語を持つ土地
私は岩手県の南側、宮城の北側を調査。気仙沼の唐桑という地域の早馬(はやま)神社の梶原宮司の話では、神社の裏側に集落があるが全て被災、家も工場もなくなってしまった。津波は神社の目の前まで来たという。気仙沼湾に面しているため津波から数ヶ月は海が汚れていたが、海が自然浄化されて小さな魚が泳ぎ始めたという。その姿を見た宮司は「これで復興できると、海から逆に勇気をもらった」と話した。この話を聞いた時に、物語を繋いでいけると感じた。大船渡市には津波記憶石というのがある。それは311の津波で「見られるようになった」。波で洗われて姿を現した。昭和の三陸大津波のあとに作られた石なのだが、それが忘れ去られ道路工事で埋まってしまい見えなくなっていた。それが今回の大震災の津波で押し流されて姿を現した。取材に行ったが場所が分からず、地元の人に聞いても分からない。ようやく見つけたのが道路工事の脇に埋もれた状態だった。2度忘れられた石。今回のプロジェクトでその歴史を改めて確認して伝えて行きたい。


このプロジェクトのホームページには、選定済みの巡礼地と、その物語が掲載されています。中にはこの番組でも取材した宮城県石巻市に展示されている 「サンファンバウティスタ号」もあります。
この船は江戸時代の大津波のあと、伊達政宗公が、
復興事業として建造したもの。海外との貿易で産業復興する意味もあったそう。東日本大震災のあとも、復興のシンボルになっているということで、東北お遍路の巡礼地に選ばれています。

2015年2月19日

2月19日 東北復興新聞−人材−

「東北復興新聞」の発行人、本間勇輝さんのインタビューをお届けします。

紙とウェブで情報を提供している「東北復興新聞」。東北で展開しているさまざまな取り組みを取材し、うまくいった事例を共有するために日々発信を続けています。
「街づくり」「産業復興」「教育」「観光」など、復興のテーマは多岐に渡りますが、そのすべてに共通の課題が「人材」だと、本間さんは分析しています。

◆企業からの人材派遣 「WORK FOR東北」
復興においてなにが課題かと聞かれたら「人材」。まず絶対的に数が足りないし、新しいことをやっていくためのノウハウを持っている方、「質と量」ともに課題があるのが「人材」。「量」という意味では、震災前の何十倍という予算が各役場には降りてきているが、それを実際にやっていくマンパワーが足りない。いろんな応援制度を使ってなんとかやっているが、まだまだ足りない。より重要なのは震災前から課題があった地域に戻すのではなく、新しい街、新産業の形をつくっているのが東北復興のチャレンジ。新しいことができる、クリエイティブな仕事ができる人材が、いま東北で最も必要とされている。それは東京やその他地域の民間企業で働いている人達のノウハウを借りる、外の人の力を借りるのが一番早い。例えば企業からの社員派遣として、延べ何十名、もしくは百名を超える方が東北の復興現場のプロジェクトや役場に派遣されている。もしくは個人の方が、東北で社会問題解決にチャレンジするというキャリアを積みたいいと、飛び込んでいる。ここをどうやって加速できるか、しくみができるかが非常に大きなテーマ。
昨年度復興庁が始めた「WORK FOR東北」というプロジェクトがあるが、これは外の人材を復興現場、特に行政を中心とした復興の現場につなぐ橋渡しをするプロジェクト。行った方々のマネージメントやフォローアップまで行っている。非常に盛り上がっている。企業はCSR(企業の社会的責任)の次の形を求めているときに、社員を被災地に贈れば、当然復興の役に立ち、(自分の会社の)人材育成にもなるんだという発見をしている。個人の方も自分のキャリアで悩んでいるときに、どの団体がいいのかわからないようなときに、入り口があると相談ができて、その動きが加速していく。
「WORK FOR東北」に限らず、いかに外の人材やリソースを東北に持ってくるのか。それは支援とかかわいそうな東北を助けなきゃ、という文脈は越えていて、自身のキャリアアップや転職までしなくても、東京の企業で働きながらボランティア的に自身のノウハウを活用して、東北の取り組みを継続的に助けていくというかかわりができる。外部のリソースをどのように使うのか、しくみをつくれるのかも、ポイントとなってくると思う。

  
以前この時間にもご紹介した「WORK FOR東北」。本間さんはこれを「行政版リクルート」と呼んでいます。震災をきっかけに、役場など行政にも「人材のマッチング」という新しい動きが誕生した、というわけです。

「人口減少」や「産業復興」など、いま被災地が直面しているのは、日本の各地域が抱える「共通の課題」でもあります。

◆ニッポンの未来をつくるチャレンジが今の東北で起きている
もう復興ではない、という意識。復興ではなく、地域の未来、もしくはニッポンの未来をつくるチャレンジがすごく集結して起きているのが、いまの東北だと思う。
そういった文脈で、それぞれの方が取り組んで発信をする。僕達も伝えていく。そういったことがこれから重要になっていくと思う。


「東北復興新聞」は年4回発行。購読料は無料です。またウェブで情報を読むこともできます。
詳しくは「東北復興新聞」のオフィシャルサイトをご覧ください。

2015年2月18日

2月18日 東北復興新聞−福島−

今週は、「東北復興新聞」の発行人、本間勇輝さんのインタビューです。

「東北復興新聞」は紙とウェブで情報を発信しています。東北の復興に向けた取り組みの中から、うまくいっている成功事例を紹介。その知恵とプロセスを共有しよう、という新聞です。
   
「東北復興新聞」」が伝えるテーマの一つが、福島。福島県では、原発事故の影響で、いまもおよそ8万人が県外への避難を余儀なくされています。

◆帰還への道のりをサポート
町に戻れるように帰還を進めるという取り組みが各町村の大きなテーマ。福島県浪江町は全町避難が続いているが、帰還に対して住民の方がどんなことを気にされているかというと、除染はもちろん、スーパーができたのかなどの生活情報だったりもする。日々、自分の故郷と触れ合える、どんなふうに変わっていくかを感じられる情報を提供しようということで、タブレット端末を町が避難住民に配っている。「コード・フォー・ジャパン」という非営利のエンジニア集団と一緒にアプリケーションを開発している。ただ開発するだけでなく、町民の方と外部のプログラマーが一緒になって、どんなニーズがあってどんなことができるかを、丁寧に話し合ってきた。いきなりタブレット配りました、どうぞ、ではなく、町民の方と何度もワークショップを重ねながら、やっとできたのがタブレットでアプリケーション。福島のニュース、浪江のニュースを横断的に一つのタブレットで見られるようなアプリケーションが、ちょうどこの1月に始まった。非常に長期戦になっていく帰還への道のりだが、故郷に帰りたいという方をこういったアプリケーションでつなぐという取り組みが進んでいる。

  
また、本間さんが注目するのが、福島の実験的な教育プログラムです。この4月、広野町に新しい学校が開校します。
  
◆ふたば未来学園
福島は本当に未来がわからない。どうしたらいいんだという中で、未来の福島をつくっていくのは子供達や若者だろういうことで、いろんな取り組みが行われている。
双葉には8つの町村があるが、8町村それぞれの教育長が集まって、「双葉郡」として教育方針、教育プログラムをつくっていこうという取り組みが1年ちょっと前から始まった。彼らは双葉郡の教育復興ビジョンを立ち上げた。柱は2つ。
一つは広野町につくられるチャレンジングな取り組み、中高一貫校。この4月に始まる「ふたば未来学園」という学校。もう一つは、双葉ならではのカリキュラムをつくるということ。「ふるさと創造学」と名付けているが、例えば子どもたちが故郷を取材してラジオ番組を作ってみようとか、故郷に関することを調査しカルタにしてカルタ大会をやろうなど、故郷に関係することを子どもたちが主体となって、学校の先生たちがまとめながら、自発的な教育プログラムを、各校で始めている。中高一貫校でもこれを教育の柱としていく方針。こういったような外に開かれた、また地域と繋がっている学校の新しい形を模索していて、全国に先がける教育の形になるかもしれないプロジェクト。


この4月に開校する県立の中高一貫校「ふたば未来学園」。当初は「広野に学校をつくって通いたいという人がいるだろうか?」という不安もあったが、定員オーバーの応募があって、無事に開校を迎えられるそうです。
   
ちなみに制服デザインに人気アイドルグループ「AKB48」の衣装デザイナー、茅野しのぶさんを採用。すでに各方面から注目を集めています。

2015年2月17日

2月17日 東北復興新聞−産業復興−

今週は、「東北復興新聞」の発行人、本間勇輝さんのインタビューです。

「東北復興新聞」は紙とウェブで情報を提供しています。キーワードは「いい事例、共有メディア」。
「街づくり」「住宅」「人材」など、東北の復興に向けたさまざまな取り組みを取材し、成功事例とそのプロセスを情報発信しています。

今日のテーマは「産業復興」です。震災で大きな打撃を受けた東北の産業は、いま新たな局面を迎えていると本間さんは言います。

◆産業構造の改革
被災された企業という意味でいうと、国の「グループ補助金」という支援を受けた団体対象の調査だと、震災前に比べ4割ぐらいしか売上が回復していないと言われている。特に沿岸の主要産業だった水産業、水産加工業に関しては、売上の回復率が2割を切っている。主に産業復興というと、水産加工、漁業が対象になると思う。ここに関しては「産業構造の変化が必要」という認識。いわゆる下請構造というか、東京の大手企業の発注を受けて(水産加工品などを)作ってきたところが多かったが、販路を失った。供給が止まるので、大手企業も発注先をほかに切り替え、生産が戻っても再び取引することができない、というケースも多い。いま東北の水産業が直面しているのは、戻らない販路をどうやってリカバーするかというところ。そのときに、また「下請け構造」で、大きな取引先に依存するような形にまた戻ってしまうと、非常にリスクが大きい。そこで自らが営業力や商品力を持って販売していくような形に変えていく、というのが一番大きなテーマだと思う。

  
また「産業構造の改革」に加えて、異なる業種や大手企業との「連携」が、いま東北の産業復興に欠かせないと言う本間さん。その具体的な事例を紹介してくれました。

◆「フィッシャーマンジャパン」の取り組み
ビジネスにおいては、6次化というと陳腐になってしまうが、最終的な消費者のニーズをくみ取って商品開発や事業の形にフィードバックしていく形が必要。ヤフーやオイシックスが非常に力を入れて漁業者、水産加工業者のブランディングプロジェクトに取り組んでいる。中でも「フィッシャーマンジャパン」は浜を超えて、市町村を超えて漁業者が連携して団体を作って、一緒に販路開拓、情報発信をしていくプロジェクト。ウェブサイトも非常にかっこいいし、漁業者も若手が多くてすごくかっこいい。彼らのファンクラブみたいな取り組みもある。非常に期待しているのは、いままでのネットショッピングや販売の形とは異なる買い物の仕方を提案していること。「牡蠣オーナー制度」。100個分(牡蠣を)この業者から買うという選択ができて、その100個を一年の間、いつ頼んでもいい。「明日パーティあるから20個寄こして」「今日子供と二人で食べたいから3つだけお願い」などのオーダーができる。
そうすると、コミュニケーションが生まれる。ただ買うで終わらないので、「おいしい」とか「ありがとう」など、コミュニケーションの中で生産者と消費者が繋がっていく。新しい「売り方」を通じて「フィッシャーマンジャパン」が模索を続けているのが面白いと思う。生産者と消費者を繋ぐというのが、外部のプレーヤーの大きな役割だし、つながっただけでは発信力にまだまだ課題が多いが、商品を消費者に届ける力を持っているというのがヤフーのような企業。そこのノウハウが「連携」の大きなミソだと思う。


今日お話にあった産業復興の柱。「産業構造の改革」と「連携」のチャレンジは、東北に限らず、全国の各地域にとっても参考になるのではないでしょうか。

東北復興新聞のサイト

2015年2月16日

2月16日 東北復興新聞−街づくり−

今週は、「東北復興新聞」の発行人、本間勇輝さんのインタビューです。

「東北復興新聞」は年4回、紙の新聞を無料で発行しています。またその内容のほとんどを、ウェブで読むことができます。新聞のキーワードは、「いい事例を、共有しよう」ということ。“こんないいことをやってるよ”、と発信することで、同じ課題に向き合っている地域に、そのノウハウを提供しています。

「東北復興新聞」が取り上げる情報は、「産業」「住宅」に関する問題から、温泉、食、文化に関するエッセイまで、多岐に渡ります。なかでも震災から4年を迎え、注目しているのが「東北の街づくり」です。

◆顔が見える街づくり
いまの状況としては、もうすぐ4年というところだが、一年目はハードの復旧、二年目三年目は合意形成の期間だった。国の判断で直せるところはすぐ一年で直ったが、二年目三年目は、更地になってしまった場所にどんな街をつくるのか。公園や住宅地はどこにつくるか、商業施設はどんなものが必要か。ゼロから街づくりのプランを町民と一緒につくる期間だったのが二年目、三年目だったと思う。(四年目は)それを具体的に形にしていった一年だった。
大まかだが、住宅は15%から20%が復興住宅や高台移転という形で被災者の方々の家が作られはじめた。同時に街づくりということでは、商店街が復活したり大きな施設ができたという話がちらほら見えてきた。それが2014年度。
これから2015年度には、50〜70%の家が建つと予想される。まさしく町ができていく。そこで重要なのは、震災前からいろんな課題を抱えていた町だったので、そういう課題も一緒に解決していく街づくりが必要。町民が自発的に行動していくようなしくみをどう町に組み込んでいくのかが重要なポイント。
一番わかりやすいところだと、宮城県女川町に3月21日に新しい駅舎ができる。石巻線が全線開通し、まさに新しい街がここから始まるというところ。女川は震災前の1万人から現在は7000千人ほどに減少し、日本全国でも人口減少が一番著しいところ。ただ、規模が小さい分、「顔が見える街づくり」に取り組んでいると感じる。町長は40歳代、街づくりの中心人物もみなさん40歳代。60歳代は口を出さない、50歳代は口は出すが手を出さないという言葉の通り、若い世代に任せようということで、いま街づくりを進めている。
3月21日に駅舎ができて、その前にプロムナードという大きな通りができる。市民が集える場所など、いろんな企画がある。これは実際に行ってみないとわからないし、これからが勝負だと思う。非常に期待が持てるのは、30歳代、40歳代など若い人が中心になって街づくり計画の中心になってきたので、それがまさにできあがるということで、非常に楽しみなところ。


東北復興新聞のサイト

2015年2月13日

2月13日 震災から4年 子どもたちの今 釜小学校 土井校長 3

引き続き、東北の子どもたちに、根深く残る「心の問題」をお伝えします。

宮城県石巻市・釜小学校は、石巻湾から距離にしておよそ2キロ。4年前の震災では、床上1メートルを超す津波に襲われました。当時のショックはいまも、子どもたちの心に深い爪痕となっています。

釜小では継続的に、子どもたちの心のケアに務めていますが、震災から4年という時間の経過は、学校に新たな問題を突き付けています。


◆見えざる子どもたちの不安
あとはやはり暴力(をふるう子どもが)複数いる。すぐ暴力的になる。その暴力も歯止めが利かない場合がままある。小さい子の方が目につく。いま新たな問題になっているのが、震災時に小学校1年生だった児童が5年生になっていて、現在5年生以上の子(震災時に学校にいた子どもたち)はどういう状態なのか我々は把握できているが、震災後に入学してきた子、物心ついた頃に震災を経験した子どもが小学生になっている。そうした子どもたちがどういう怖い体験をしてきたかは我々には分からない。だから家庭環境調査には「震災時の経験」を記入する項目がある。しかし全員が書いてくるわけではない。特に不安を覚えるのは、震災時に親と何らかの理由があって離れた状態にあり迎えに行けなかった経験を持つ子ども。そうした子どもは不安感を抱えている。そういう子たちは避難訓練に不安を覚えがち。その子たちが学校に入ってから新たな問題が出てくる。なお今後5年くらい、小学校に在籍期間中はそういう問題をひきずっていく。そのケアは今後も学校に求められると思う。


お話を伺った釜小学校 土井正弘校長は2011年当時、同じ石巻市の雄勝小学校の校長を務めていました。震災以降ずっと、教育現場で子どもたちの問題に取り組んできた土井校長は、雄勝小や、地元・石巻の様子について、こう感じていると言います。


◆学校の問題と復興の速度
私のいた雄勝小学校も仮設校舎。復興は道半ばだと思う。あきらかに町の状況が違う。東京五輪開催の決定を機に復興車両やダンプカーが激減した。交通安全上はいいのだが(笑) 復興という視点から見るとどうなんでしょうねと。目に見えた形で地域はまだまだ更地がたくさんある。資材も高騰しているという話も聞く。経済力のある家庭でないと新築は建てられない。そうなると仮設住まいも当初の予定より長期化する懸念があるのでは。そういう経済状況、生活状況では当然教育にも影響する。仮設住宅の暮らしが長引けば学校の問題も続くということになる。精神面と物理的な面はリンクしていると思う。



石巻の雄勝小、釜小で震災後、子どもたちに関わって来た土井校長は来年度で定年退職を迎えるそうです。土井校長は「とにかく定年までは学校の復興に力を注ぐ。それしか考えていない」と語っています。

土井校長のような経験者のノウハウの継承も重要。復興の遅れや、生活再建の遅れは結局子どもたちの、目に見えない心の部分に、しわ寄せのように行ってしまうことになります。心の回復は、時間をかけなければならないものですが、ハード面の復興の速度が下がるのは大きな問題です。そして、去年9月時点で、仮設住宅で暮らしている方の数は8万9千人です。

2015年2月12日

2月12日 震災から4年 子どもたちの今 釜小学校 土井校長 2

きのうに引き続き、震災から4年が経とうとする中、東北の子どもたちに、根深く残る「心の問題」です。

ちょうど1年前、この番組では宮城県石巻市・釜小学校の子どもたちの実態を、お伝えしました。震災と津波で25名の児童を失った釜小では、
そのショックから、精神的に不安定になる児童が数多く見られたと言います。

学校は継続的に、心のケアに務めていますが、あの大災害は、時間が経過しても子どもたちの心に暗い影を落としています。土井校長のお話です。

◆根深い心の傷
いま石巻では、震災後に千葉県の国府台病院の精神科と連携して、定期的に石巻の全児童生徒のトラウマ状態をアンケートしている。今までは落ち着きがない・情緒不安などが見て取れる様子の子どもがトラウマ診断の数値が高い子の傾向だったが、今年は逆に(そうした様子が)目立たない子の方が数値が高かった。今まで見過ごされてきた可能性のある子、表立って不安定な行動・表情を見せない子もトラウマを抱えているという事実が分かった。これは気をつけたいと思っている。カウンセラーには定期的に来てもらい、話す場を設け、強化する方向でいる。カウンセリングにも時間がかかる。一度やって治るというものでもない。


土井校長は、これは釜小学校だけの傾向ではないと思う、と話しています。そして、この調査結果を受けて、保護者へのアドバイスなども検討しているそうです。

一方、地震がくると学校を休んでしまうなど、震災を連想する状況に、敏感に反応する子どもたちについて、土井校長は状況の変化があると話します。

◆全員が参加した避難訓練
端的に出てくるのは、避難訓練の時。訓練と分かっていても、「地震が発生しました」「大津波警報が発令されました」と聞くだけでふるえが来る子どもがまだいる。でも今年度の4月に今年こそ避難訓練には全員参加を果たしましょう、という目標を立てた。それまでは避難訓練になると欠席する子ども、学校に来ても保健室で待機する子どもが必ずいた。全員参加の目標を掲げて子どもたちにも意識させた。そして今年は実現できたことは一つの成果。とはいえ「明日避難訓練がある」と予告しておかないといけない状況。突然やったらパニックになってしまう。邪道ではあるが、前もって担任が丁寧に手を取って、ここを歩く、ここが避難通路だとリハーサル・個別指導をしたうえで実施した。そういうきめ細かいステップがないと、まだ完全にはできない状態にある。そうした子たちは津波の怖い思いをしている。自分が流されたり人が流されたのを見ている。あるいは家族・身内が亡くなっている。まだまだそこから立ち直るには時間がかかると思う。


明日も、釜小学校・土井校長のお話をお伝えします。

2015年2月11日

2月11日 震災から4年 子どもたちの今 釜小学校 土井校長

今朝は震災からまもなく、4年が経過する中、東北の子どもたちに根深く残る問題について、お伝えします。

お話を聞いたのは、宮城県・石巻市 釜小学校の土井正弘校長です。
釜小学校は、現在 児童数 およそ450名。その4分の1は震災の影響で学区外から通学しており、仮設住宅から学校へ通う子どもも、数多くいます。

そして土井校長によれば、長引く仮設暮らしによるストレスで、心に変調をきたす子どもも増えていると言います。震災からまる4年。被災地の小学校の実態です。

◆子どもたちの心の変調
いわゆる発達障害をもつ子供が増えてきているのは確実。ADHDとかLDと呼ばれる障害。なかでもADHD(注意欠陥多動性障害)という、集中力が持続できず落ち着きがない子どもが増えてきている。
小学校入学までは兆候がなかったが、学校に入ってからなぜかちょっと落ち着きがないなと感じた。保護者の方に病院の受診をすすめたところ、ADHDと診断された子がうちの学校だけで4〜5人いる。乳幼児期から診断される子もいるが、むしろ後天的なものが多いのではないかと思う。集中力が続かない。

そして明らかに震災後、生活の激変の影響で、虐待を受けていると疑われる家庭の子どももいる。心理的な不安を絶えず抱えているため突然泣き出したり、情緒が不安定になる。先日の例では、女の子がたんこぶを2つ作って来た。用務教員がそれに気づいて尋ねると、「お母さんに叩かれた」という。色々聴くと、その日の朝だけでなく日常的に体罰がある。ご飯を出してくれないという事例がある。一つのきっかけにカウンセリング的に聞ける時もある。そういう虐待が起こるのは仮設住宅で暮らす子どもに多い。生活環境が変わり4年が経過するわけで、まるきり無縁かというと、なんらかの形で影響があるのではないかと思う。地域コミュニティがあるようでない状態。仮設が点在する中で、仲間がいるわけではない。そこでは孤独感がよけい募る。

地域コミュニティがしっかりしているところだと、少々隣近所で、登校しぶりがあっても、近くの子どもが声をかけられるがそういう状況がない。色んな教育問題が、凝縮された状態に石巻はあるのではないかと思う。

 
土井校長には去年の同じ時期にも、取材をしています。その時は、子どもたちの体力・学力の低下も大きな問題だと話していました。そしてその「学力」。また長引く仮設暮らしは、やはり悪影響となっています。仮設住宅では、落ち着いて勉強するスペースが取れず、また、隣の音が聞こえる環境のため、国語の「音読」を学校側が宿題として出すにも躊躇する状況が続いているということです。

2015年2月10日

2月10日 くりこの手作りバレンタインロールケーキ

宮城県南三陸町、歌津地区の名物、「パティスリーくりこ」のオーナーパティシエ、高橋宮倫子さんが手掛ける「パティスリーくりこ」は、実家でもある歌津の老舗ホテル「ニュー泊崎荘」の中で手作りロールケーキを販売。東日本大震災の時は、「ニュー泊崎荘」に避難してきた方や、町の各避難所にロールケーキを届けて不安な夜を過ごしていた町の皆さんに非常に喜ばれたといいます。

それまで一人でケーキを作っていた宮倫子さんは、震災後町の雇用を生み出すために、「絆カンパニー」を設立。手掛けるロールケーキに、「絆ロール」と名づけ事業を拡大するなど、歌津の復興のために奔走を続けています。

そして、今週末はバレンタインデー!「パティスリーくりこ」でも、「バレンタインロールケーキ」を販売します。いったいどんなケーキなのか、宮倫子さんに伺いました!

◆くりこのバレンタインロールケーキ
宮倫子の手作りバレンタインロールケーキ。通常の半分サイズの2本入り。普通の生地にキャラメルクリーム、ココアの生地に中もチョコクリームの2本入り。表面には❤ハートマークが付いてる。紙をくりぬいてココアパウダーを振る。味は美味しい。キャラメルはワカメの次に好き。生産が追いつかないくらい。生産量を増やせるように頑張る。
バレンタイン・・・うまく行っても行かなくてもOKと思って欲しい。たとえ失敗しても気付きがあって、その先に沙羅に良い出会いが有る!そんな思いがこのロールケーキには込められている。


自分に自信を持って、贈って欲しい!という、「くりこの手作りバレンタインロールケーキ」11.5cm×10cm×5.5cmのハーフサイズで、キャラメルロール1本、プレミアムチョコロール1本がセットになっています。1セット1000円。ピンクのリボンをかけて届けてくれます。

今年のバレンタインプレゼントに、「パティスリーくりこ」の「手作りバレンタインロールケーキ」、選んでみてはいかがですか?

南三陸deお買い物

ワカメロールをはじめ、パティスリーくりこの「絆ロール」は、千代田区平河町の「さとゆめLAB.SHOP」でも買うことができます。※ただし「手作りバレンタインロール」は販売しておりません。

パティスリーくりこFacebookページ

2015年2月9日

2月9日 パティスリーくりこ -南三陸町からの手紙-

宮城県南三陸町、歌津地区の名物、「パティスリーくりこ」のオーナーパティシエ、高橋宮倫子さん。宮倫子さんが手掛ける「パティスリーくりこ」は、実家でもある歌津の老舗ホテル「ニュー泊崎荘」の中で、手作りロールケーキを販売。「くりちゃんのロールケーキ」として親しまれていました。
東日本大震災の時は、高台で難を逃れた「ニュー泊崎荘」に避難してきた方や、町の各避難所にロールケーキを届けて、不安な夜を過ごしていた町の皆さんに、非常に喜ばれたといいます。

それまで一人でケーキを作っていた宮倫子さんは、その後、町の雇用を生み出すために、「絆カンパニー」を設立。手掛けるロールケーキに「絆ロール」と名づけ、事業を拡大するなど歌津の復興のために奔走を続けていらっしゃいます。

そんな「パティスリーくりこ」、そして歌津の今について、宮倫子さんに伺いました。

◆南三陸町からの手紙
歌津に関しては変わってないに等しいが、店が増えてきた。店が有ることで皆が集まり、ワクワクしながら話が出来る。場所は大事。パティスリーくりこは全国から注文が来るように。応援に応えていくことで南三陸の海産物が広めていけるよう精進している。
先月、広島に行った時、気付いたことがたくさん有った。牡蠣が有名で地形も似てる。広島は原爆から70年で復興している。南三陸も70年経てば復興するのかと思うが、先日、土砂災害の有った場所は、もともと人の住んでいるところではなく、自然に逆らった形でかさ上げをしたところ。背筋がぞっとした。未来の南三陸を広島で感じた。今までも自然を大事にしたいと言ってきたが、叶わない。歌津という地名の由来は長い砂地という意味のアイヌ語から来てるが、そこに防潮堤が建てられ、砂浜が消えつつある。自分で出来ること、「南三陸町からの手紙」という本の制作に参加。語り継ぐのが大事と感じている。


お話しの中にあった本、「南三陸町からの手紙」。町の皆さんが語った言葉を編纂した本で、今年で4冊目が刊行されます。オフィシャルFacebookページも有りますので、ぜひ訪ねてみて下さい。

南三陸町からの手紙

パティスリーくりこFacebookページ

南三陸deお買い物

2015年2月6日

2月6日 東松島食べる通信5

5日間にわたり宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、太田将司さんのインタビューお届けしています。

今回のインタビュー、番組で何度も紹介している東松島の海苔漁師、相澤太さんも同席していました。千葉から移住してきた太田さんと、太田さんに東松島の海を教えた相澤さん。2人とも、昔からの親友のような雰囲気でした。



さて。まもなく東松島食べる通信は、冬の2月号が購読者の手元に届きます。どんな特集が組まれるのか、太田さん・相澤さんにいち早く教えていただきました。



◆海苔漁師のサラブレッド
太田:2月号は相澤太くんとおんなじ浜の若手の海苔漁師・津田大(ひろし)君。東松島の生産者で活躍しているのは3代目の世代なのだが、津田くんは代々海苔漁師をやっている4代目。どこよりも早く代替わりをした海苔屋。ある意味、海苔漁師のサラブレッド。皇室献上も何度もしている家の4代目。まだ28歳で粗削りだが骨太でついつい惹かれて特集しちゃいました。大曲浜の海苔漁師は、家も何もかも無くしてしまっているが、大のところも幸い家族が無事で、家族の反対があったが海苔をやりたいと仕事を再開した。まじめと無骨が入り乱れた性格(笑)そして「一番」が好きなやつ。

相澤:負けず嫌いだし根性があるし先を見ているし、言っていいのか分からないが唯一ライバルになるんじゃないかと思っている(笑) 本当に大物になりますよ彼は間違いなく。


先輩海苔漁師の相澤さんから、後輩・津田さんへの最高のほめ言葉!そんな津田さんは大学を卒業後、マグロ漁船を経て、実家に戻り四代目になったということで、海苔漁師歴はまだ5年目。期待の若手です。

一方、編集長の太田さんは、東松島食べる通信を「東松島っぽいね」と言われるようにしたいと話していましたが、お話を伺っていると、相澤さんや津田さんをあだ名で呼んだり、太田さん自身、すっかり“東松島っぽく”なっているみたいです。

◆愛すべきアホなんです。
太田:ふー(相澤太)も、「去年より旨い海苔を作る」と毎年言っているように、海苔漁師には終わりがない。僕も仕事で「一番じゃなくて一流を目指せ」と言われていたことがあったが、ようやく今になって分かって来たような。僕らのような市場で生きている人間とは違い、自然を相手にしているから叶わないですよ。悔しいけど。農家もそうだけど圧倒的。

相澤:太田さんも俺らから見れば、(震災)1年目に太田さんがやってきた行動をみんな観ているんですよ。その頃の彼はアホなんですよね(笑) だって、真冬に住むところ転々としていて、ベニヤでできたプレハブに住んでいて、1年間そこで過ごしてた。この人アホなんじゃないかなって思うくらいのことをやっていたんですよね。それをみんな知っているのでみんな仲良くなれるし心も開けた。彼は「漁師にはなれない」なんて言ってるけど、似たようなもんですよ。


こうして、ゆかいな仲間に支えられ、全国へ発信される東松島食べる通信。創刊号と11月号の2紙だけで、すでにおよそ270人の読者を集めています。そして、その3分の1は、地元・東松島の方です。太田さんは、『食材を直接買うこともできる地元の人が、“あえて”食べる通信を買ってくれている。地元の人に地元を知ってほしいと考えて創刊したので、それが本当にうれしい』と話しています。また、県外の読者が、特集した生産者に会いに来てくれることもあると、嬉しそうに語っていました。

東松島食べる通信 冬の2月号は、まもなく完成。2月20日すぎには、津田さんの海苔とともに初回分が読者に届くということです。
★東松島食べる通信

2015年2月5日

2月5日 東松島食べる通信4

今朝も宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長 太田将司さんのインタビューお届けします。

生産者を特集した紙の新聞に、その生産物、「たべもの」がセットになって届く“食べる通信”。このアイデアは、東北から全国へ広がりを見せています。

その一つ、「東松島食べる通信」が創刊したのは、去年 8 月。 全国はもとより、地元の人に東松島の生産者を知ってほしいという編集長・太田さんが創刊号で特集したのは、「真鰯(まいわし)」でした。



◆地元も知らなかった真鰯
東松島の浜市地区は宮城県内でも少ない定置網を仕掛けて魚を獲る漁師がいる。大友康広・31 歳。創刊号で彼と真鰯を特集した。真鰯って毎年、取れるか取れないかが「ゼロか100」。20 年周期くらいで大漁か不漁になる。去年はほぼ水揚げがなかった。創刊号は 160 軒くらいの発送だったのだが、140 軒が出荷延期だった。希望日を受け付けていたが7 回くらい延期となった人もいる。 最後は「いつでもいいです」とお客さんが根をあげた。でもみんな待ってくれた。それはなぜかというと、毎日ほぼ船に乗ってオンタイムでFacebook に状況を上げていたので。「きょうはダメでした」 「今日は風で出港できないのでごめんなさい」と。大変でしたね。(食べ方は)やはり刺身ですね。手で開いて。獲った次の日には届いているので、透明な目のまま出荷している。ヤス(大友さん)直伝の刺身のつくり方も紹介しながら、読者がみんな「初めて食べた」と、各々好き好きに食べていましたね。 地元の人でも、地元で鰯が獲れることを知っていたのは5 人いるかどうか。漁師は基本的に市場に持って行っちゃうから。海苔も牡蠣も 名だし魚を獲っているのは知っていても、鰯が獲れることは知らなかった。だから、やった!と思って(笑)


「東松島食べる通信」は、年4回発行。毎回の特集では、
生産者のストーリーを写真とともに丁寧に記事にするのが特徴です。
創刊号では、定置網漁師の大友さんの生い立ち、そして3月11日の震災から漁を再開するまでのいきさつも書かれています。


そして、11月に発刊された秋号は、海から陸へ。 特集は東松島のブランド米でした。



◆かぐや姫のように光り輝く稲
11月号は東松島の大塩地区。東松島で発見されたお米の変異種がある。「かぐや姫」というササニシキの突然変異。それを市内で一人だけ創り続けている農家・木村正明さんを特集した。年齢は38 歳。 地元で見つかった貴重なお米だがあまり地元で食べられていない。地元が食べないでどうするんだと思って特集した。平成9年に大冷害があり宮城県でほぼ米が獲れない年があったが、その時、田んぼに3本だけイネが立っていて、そこに光が差していた。 だから「かぐや姫」という名前にしたというロマンチックなお米。その後、3 年かけて種もみを増やして、みんなで作ろうということで「竹取倶楽部」という団体を7 人くらいで発足して米作りを進めたという。当時は東松島の特産米となり、日本酒を作ったりコンビニのおにぎりを大曲浜の海苔と組み合わせて作ったり一時期は盛り上がったが衰退。震災の時には生産者は発見した小野寺さん、もう一人と 木村さんの3 軒だけだった。震災後もやりけたのは本当に木村さんだけ。全国的には3・4人いるらしいが発祥の地で作っているのは木村さんだけ。地元でもう一度知ってもらうきっかけを作らなければなと思っている。今は東京のお寿司さんでも、食べる通信をきっかけに米の取り扱いが始まっている。これからどんどん広がっていくといいなと。味はもちろん美味しいです!


★東松島食べる通信

明日は、東松島食べる通信 次号の内容についてお伝えします。

2015年2月4日

2月4日 東松島食べる通信3

今朝も、宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、 太田将司さんのインタビューお届けします。



食べ物に真摯に向き合う生産者を特集した記事と、 その生産物をセットで届ける、史上初の食べる情報誌「食べる通信」。 「東北」食べる通信から始まったこのアイデアは今、全国へ広がりを見せています。

その一つが、去年 8 月に創刊した「東松島食べる通信」です。 編集長の太田さんは、地元の海苔漁師をはじめとした 東松島の生産者を PRする仕事をする中、「食べる通信」の存在を知ったと話します。

◆プラス1の人間にできること
すでに「東北食べる通信」「四国食べる通信」があって、僕もその東北食べる通信2 月号を見て、海苔漁師の相澤太が特集されたのを手伝ったのがきっかけ。ふーちゃんの号が発刊された時に、自身がパワーアップすると思ったんですよ。生産者が消費者と直接交流できるし、生産者としてもっとスキルがあがる、パワーアップすると思った。ならばそのために力になろうと手伝ってワクワクした。交流イベントを東京でやった時も良かったなと思っていた。ただその時は自分で食べる通信をやるとは思っていなかった。でもしばらくして、うちのアンテナショップで2 月号をスタッフに読ませた。するとスタッフが「感動した」「もっとふーちゃん(相澤さん)の海苔を売りたくなった」と僕に言ってくれた。これはすごいことだと思った。僕らはアンテナショップのスタッフなので生産者とよく酒を飲むこともあって、人となりや人柄も知っているが、生産する時の想いを話してもらう場は無かったなと思った。地元でも知らないことがいっぱいある。「もっと売りたくなった」とスタッフが感じたということは、人に自慢したくなったということ。それはすごく良いことで、僕のように外から来た「プラス1」の人間がいる存在意義を持つには、この町を笑顔にしたり元気にしないと意味がない。おこがましいが、新しい価値観を見せつけてあげないとダメだと思い、その時に食べる通信を「これいいな」と思った。「食発見は、町おこし」というのが東松島食べる通信のコンセプト。町おこしになると思った。相澤太がどういう想いで海苔を作っているか、がどういう想いで牡蠣を作っているのか。 これをみんなが知ったら凄いことになるんじゃないかなと。僕が100 人に売るのではなく、20 人が10 人ずつ紹介するだけで、僕の倍は軽々超えるなと。だから僕は地元の人に読んでほしくてこの食べる通信を作った。


東松島の海苔漁師・相澤太さんは、以前番組でも紹介しています。 人呼んで、「海苔の顔が見える職人漁師」!通称ふーちゃん。 ふーちゃんがきっかけで、「東北食べる通信」に出会った太田さん。 震災後インテリアの仕事を辞め、千葉から東松島に移住、町のために何ができるか模索してきた太田さんは、「東松島 食べる通信」の編集長という肩書を持つことになったんです。

◆東松島っぽいもの
僕はインテリア 界で、ヨーロッパの家具をやっていて、「シュゲ」という言葉がデンマーク に
ある。ほかの言 に置き えにくいが、“その 地その 地のなんとなくいい雰囲気 のこと。
「それってシュゲっぽい 」という。ほんわか、とも う。いつか“東松島っぽい 、ニヤニヤしち
ゃう、あったかみがある、でもしっかりした意思を持っている、、、というのような意味合いで、 “東松島っぽい と言ってもらえる 誌になればいいと思う。地元の人同士が知り合い、地元の人たちがニコニコにやにや しそうにしている様子が、東京や市 から「たのしそう」と思えるなら、 ぜひ一緒に、見て学んで食べて、 感してほしい。全国にいる東松島の出身者、 係者に少しでも地元を届けられたらいいなと思っている。


こうして創刊した東松島食べる通信。8 月の創刊号では、 東松島の定置網漁師を特集。その収穫物である「真鰯」がセットに。 11 月号はブランド米「かぐや 」新米 2 キロが付録でした。

ちなみにこの「食べる通信」は現在、全国で賛同者が名乗りを上げ、 それぞれの“ご当地食べる通信 が誕生しています。 例えば「四国食べる通信」「 奈川食べる通信」など。
さらに今年は6つの地域から、新たな食べる通信が創刊予定となっています。

★東松島食べる通信

明日も東松島食べる通信 太田編集長のインタビューをお届けします。

2015年2月3日

2月3日 東松島食べる通信2

今朝も、宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、太田将司さんのインタビューお届けします。



千葉県出身の太田さんは、震災の年の夏、東松島のお祭を手伝ったことがきっかけで、町のために何かがしたいと、1年間 移り住むことを決意。それまでの仕事も辞めて、2011年・秋には 東松島での生活を始めました。

とはいえ、当時の東松島に仕事といえる仕事はありません。太田さんは、町の人たちと話をする中で、それを模索したそうです。そして、先日番組でも紹介した、東松島の若き海苔漁師・相澤太さんと出会ったと言います。

◆モノではなく、コトを返す仕組み
(東松島に)住み始めたが何も無いし、仕事も誰も募集していなかった。でも、たまたまお祭りで知り合った方が何人かいたので、とにかく暮らし始めて「なにかすることにしました」と地元の方に言っていたら、商工会の元会長でお祭りを仕切っていた人から話があった。この方はちゃんこ屋さんを経営していて、「メニューの海苔うどんをPRするのに意見が欲しい」と。

そもそもなぜ海苔? と思ったら、「実はこの町はものすごい海苔の産地で皇室のも献上している」と言う。えっ、と思ってじゃあ海苔はどうなっているのかと、訪ねたのが海苔漁師の相澤太くん。そこで海苔の話を聞いているうちに気になってしまった。12月で寒かったが船に乗りたくなったのでお願いして、出会って次の日には船に乗せてもらった。毎日 船に乗っても景色が違って飽きなかったんですよ。すごく霧が出て前が見えない日もあれば、天気がよくて朝日がキレイな日もあって。漁師さんも20人近くいるので色んな船で色んな話をしてもらったんですが、その中で色々と相談が出て来た。「大曲浜のHPを作るのに力を貸して」とか、「母ちゃんたちが海苔販売を再開するからちょっと相談のって」とか。

そうやって繋がる中で僕もここの浜の力になりたいと思い作ったのが「大曲浜サポーターズクラブ」。浜に人が集まるような仕組み。船に乗って楽しかった体験を元に考えたアイデアです。サポーター(会員)という無条件の愛ある人たちを集めて、漁師さんたちに船にいっしょに乗せてもらう。漁に出たり海苔作りを見たり交流できる。“モノじゃなくコト”で返してあげる。それを一口1万円という形で永久会員にする。いまお金払っても、実際には10年後にならないと来られない人もいるかも知れない。でも、いつかくる日のために僕らがやり続けるのが大事かなと思って、立ち上げたらありがたいことに、ぽろぽろと人が集まり始めた。これで集まったお金を集めて、なにもない岸壁で昼休憩はクルマの中で飯を食っていたのを、そこにプレハブを造り監視カメラもつけた。監視カメラがあれば、震災で自宅が海からは慣れてしまった漁師も、海がしけた時も確認できるようにした。心配な時も携帯でチェックできる。とはいえ漁師は心配だから海に見に行きますけど(笑)のべ何十人も遊びに来てくれた。そういうのが最初の仕事らしい仕事だった。

大曲浜は震災前、1000人規模の集落がありました。津波でそこから人がいなくなり、もう住むことができないことを知った太田さん。「浜に人がくる仕組みを作りたい」と、考えたんだそうです。  そして生まれたのが、1口1万円でサポーターになると大曲浜の漁師の仕事を体験、見学できる「大曲浜サポーターズクラブ」。元々、まだ生産物をお返しできない状況だった漁師の方々は、この「モノではなく体験を返す」アイデアを、大いに歓迎したと言います。


大曲浜サポーターズクラブの活動は、現在も続いています。
★大曲浜サポーターズクラブ

★東松島食べる通信

2015年2月2日

2月2日 東松島食べる通信1

今週、焦点を当てるのは「東松島 食べる通信」 です。




これまで番組では何度か、『東北 食べる通信』という情報誌を紹介しています。東北食べる通信は、東北の農業・漁業の “生産者”を取材した記事とともにその「生産物」が、付録でついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”。農家・漁師さんと、都会で生活する人を「食べ物で繋ぐ」新たなアイデアとして、去年グッドデザイン賞も受賞。全国から注目を集め、各地域で、新しい『食べる通信」も生まれ始めているんです。

その一つが、宮城県・東松島市の、『東松島食べる通信』。去年8月に創刊したばかりです。編集長は、太田将司さん。東松島のアンテナショップでスタッフをしながら編集長も務めています。そんな太田さん、実は東松島・出身ではないんです。

◆気がついたら住んでいた
いまは東松島市内に家を借りて一人で住んでいる。気づいたら住んでいた。生まれも育ちも千葉で、ずっとインテリア業界にいた。阪神淡路大震災から20年が経過したが当時は20代で、「すごい」で終わってしまった.海外で飛行機がビルに突っ込んだ時も「うわっ」という感覚。各地の災害がその後もあったが自分ごととして捉えられなかった。だから募金もしていなかった。でも東日本大震災では、電車が走らない・電気が使えないという状況を受けて、初めて自分もなにか出来ないかと思った。その後2011年8月に東松島でお祭りをやると知り、知り合いも手伝っていて人を募集しているのを聴いて、手伝いに行った。そこで東松島、矢本という地名を初めて知った。その日は一日お祭りでみんな笑顔で元気がよくて、僕も充実感を感じた。語弊はあるが気持ちよく過ごせた。クルマで東松島から千葉まで帰る道中、海沿いで壊れた家がそのままカーテンがゆれている景色を見た。率直に怖くなった。震災から5ヶ月が経過しているのにその光景はショックで。でも前日の自分の高揚感、テレビでやらないようなひどい光景を見たがっていた自分にも気づいてしまった。イライラして自己嫌悪のまま千葉に帰った。そして東京で仕事をしている中、イライラや悔しさが消えず、これを消すにはどうしたらいいか。ボランティアは一人で出来ないのは分かっていたので、とにかく一年住むことにした。住むっていってもその壊れた家を見た東松島しか知らないので、1ヶ月後には東松島へ向かった。その1年は無駄にならないと思っていた。元々の仕事には戻れないという覚悟があったので辞めた。すべての段取りを終えて11月8日から東松島に住み始めた。とはいえ何も仕事は無いんですよね(笑)


東松島食べる通信は、8月に創刊。これまで、8月に「夏号」、11月の「秋号」が発刊されています。詳しくは、また追ってお伝えしますが、夏号は、東松島の漁師が獲った「真鰯」秋号は、ブランド米「かぐや姫」新米2キロが付録でした。



明日も、東松島食べる通信 太田編集長のお話です。

東松島食べる通信

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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