2015年4月30日

5月3日 女川町・熊野神社例大祭


宮城県女川町から、ゴールデンウィークに行われるお祭についてお伝えします。
東北には様々な伝統芸能がありますが、女川では地域ごとにそれぞれ獅子舞が存在します。漁師町・女川では、こうした伝統芸能、季節や節目ごとの行事が暮らしに根付いていて、今度の週末・日曜日は、町の神社で恒例のお祭が開かれます。全国で女川の獅子舞を披露する団体『女川港まむし』のリーダー 岡裕彦さんに伺いました。

◆神輿の担ぎ手、全国から募集 その背景は・・・
熊野神社のお祭が5月3日にあるんですけど、これは全国からボランティアを募りまして神輿を担いで頂くという方針に震災後変えました。その結果、150名が集まり地元の役員を入れて200名の行列で神輿を2基かつぐことができているので、将来は女川の観光事業につなげたい。青森のねぶた祭りもそうだが一般の人が跳ねれる参加できる祭を、うちらも色んな人に女川を知ってもらって、女川の空気と光と人と美味しいものを感じて、お祭で神輿を担いでよかったなと思ってほしい。総勢200名くらいで女川の美味しいものを食べてみんなで歌ったりしながら交流会をしたい。ご当地のサンマのすり身汁を提供したりマグロの丼だったりいろいろあります。こういう風に方針を変えたが賛否両論、熊野神社のOBの人たちからあったが実際それをやらないと神輿は起動しないんですよ。震災前に神輿を担いでいた高校生中学生もみんな町から離れていっているので集めようとしても無理なんですよ。これから先もそれをやりながら地元の神社の育成もやっていく。今回新しくできた鷲ノ上区の行政区がある。自力再建で家を建てた人たちがたくさんいるんですよ。山を切って家を買った人たちがいる。それは熊野神社のお札を集めているので、その人たちのところもまわる。今の女川町の人たちの暮らしぶりも神輿を担ぎながら見てもらえればいいかなと思います。



岡さんは「高台移転した土地に、お神輿の新しい順路ができた。それはつまり、町が新しく生まれたということ」と前向きに話していました。そんな熊野神社の例大祭、今年のお神輿担ぎのボランティアは、すでに受け付けは終了していますが、もちろんお客として遊びに行くことはできます!祭りや獅子舞が果たす役割について、岡さんはこう話します。

◆祭りの持つ力
お年寄りから子供まで楽しめる演武。みんなで楽しめる祭なんですよね。祭りってみんなそうだと思うんですけどね、キラッと光る光をもっと確実な光にともしてあげた時、女川町が一つになった時にもっと良い光が輝く。それがコミュニティだと思っている。それには絶対に獅子舞や郷土芸能が必要。失われた光を今取り戻しつつあります。一番面白いのが、町づくりがそう。建物などハード面は自然とできるが人間形成、人づくりが大事。子どもがいて子どもをしかる大人がいて、子どもが甘えられるお年寄りという3つがいないと町は絶対に活性化しない。だから私にできるのは祭だったり文化事業や地域芸能。それで町に貢献できたらいいのかなと。やっと各行政区ごとに獅子舞ができるようになってきているので、昔のように、昔は大漁旗をいっぱいつけて海上獅子舞ということで真夏の盛りにやる。船が20艘くらい沖からやってくる。もうちょっとで港ができるからそれをみんなでやりたいですね。


女川町は、金華山や、アユ釣りやカヌー遊びのできる川、アウトドアレジャースポットがたくさんあって、そうした魅力も、震災後に外から来た人に教えられた、とも岡さんは話す。先日もお伝えした通り、JR石巻線が全線開通。女川駅も完成。ぜひ駅舎を抜けると真正面に広がる海の景色、見に行ってみてはいかがでしょうか!

2015年4月29日

4月29日 相馬市 和田観光苺組合でいちご狩り!!

ゴールデンウィーク初日。今朝も引き続き 福島県相馬市から、観光情報お伝えします。ずばり、いちご狩りです!相馬市・松川浦からちょっと内陸へ戻った 和田(わだ)という地域には、大きないちご園があるんです。


震災から四年。いちご園は津波や塩害を乗り越え、賑わいを取り戻しつつあります。和田観光苺組合の岩本孝さんに伺いました。

◆仮設住宅の方も来客してくれる
松川浦がすぐ近くですから津波はこのあたりは3mくらい。6割のハウスが倒壊して私のところも半分やられた。ハウスは倒壊しなかったけど塩が入ってイチゴは枯れてしまいどうにもならなかった。高台にあった4割のハウスが残ったが、市場も休んでいるし、みんなが避難して食べるものが無い時に出荷も出来ない。そこで、学校の体育館の避難所にイチゴを配りました。半月の間、毎日、軽トラックで届けました。避難した方が食べるものが無い時にもらって美味しかったということで、今はいっぱい来客してくれている。一番多いお客さんは南相馬市の仮設住宅あたりから来る人たち。それを期待したわけではないけど、良かったなと思っています。


商売抜きで、困っている人を助けたことが、ちゃんと返ってきたんですね…!!
和田観光苺組合は震災後、行政の支援を受けて 大型のハウスを再建。現在は主に6種類のいちごを栽培しています。その中からおすすめを教えてもらいました!



◆おすすめは章姫・さちのか
やっぱり私は、章姫(あきひめ)が一番。長くて柔いイチゴで酸味が無い。お年寄りや子どもに喜ばれるが欠点が日持ちしないということ。それが困るが章姫が食べたくて皆やってくる。その次がさちのか。酸味があるがイチゴらしいイチゴ。甘味と酸味がほどよくおすすめ。ここで100%売っている。足りない。毎日行列を作って10時開店で8時ごろから並んでいるので整理券を配る。一番配る時で100人くらい。早めにきて大きいのを買う(のがおすすめ) こんなこと言っちゃなんだが、何十年も前からゴールデンウィークは黙っていてもお客さんがくるのね。


ということで、にぎわいを取り戻しつつある和田のいちご園。それでも、本当の復興はまだこれからだと、岩本さんは話します。

◆漁業の復興を願いながら
いままでは魚があったから、魚のおいしい料理を食べてお土産を買って、ここでいちご狩りをして帰るというのがパターンだったがそれが崩れた。でも今は浜の人たちも頑張って「復興丼」なんていうことで美味しいのを食べさせてくれるからね。あれを食べにいっぱい来ますよ。でも昔と違うのは、今までは松川浦でさんざん遊んで食べてここに来るから4時頃まではお客さんがいっぱいだが、いまはそれが無い。一日も早い魚の復興。それまで我々も頑張って行かないと。



和田観光苺組合のいちご狩りは、5月6日までは入園料1200円。
5月7日以降は900円。期間は5月31日までとなっています。
連休明けの7日以降も、予約がかなり殺到しているようです。
またこちらは、バーベキューも楽しめるようになっています。

松川浦で復興丼を食べて、いちご狩りして、さらにバーベキュー・・・最高の週末が過ごせるのでは?
★和田観光苺組合ブログ

あしたもゴールデンウィーク情報!宮城県女川町から、熊野神社例大祭についてお伝えします。

2015年4月28日

4月28日 相馬市 絶対食うべし復興丼!!

いよいよゴールデンウィークがスタートということで、東北・福島から、極上の海鮮丼の情報お届けします!

その名も、復興丼!


福島県相馬市「松川浦」では、放射線の影響で地元産の魚介類の水揚げは、限られる中、「ならば全国からえりすぐった海鮮を使った丼で、観光客を招こう!」と、このゴールデンウィークも、すごい豪華な海鮮丼を用意しています。

というわけで、復興丼とはどんな丼なのか。松川浦の旅館・兼・お食事処の、「齋春(さいはる)」3代目、齋藤智英さんに伺いました。

◆全国の厳選食材を集めた海鮮丼!
これはその日上がったネタの中で丼を作っているんです。この時期はキンメダイ、ヒラメ、北海道のイクラ、千葉県勝浦の初ガツオ、ボタンエビ、宮城県のウニ。これは自分が一番自信のあるウニ。ウニ嫌いでも「初めて食べられた」というお客さんが多いんですね。すごい美味しいですよ。ぜひおススメです。(相馬の魚貝も入っていますか)白魚が水揚げされている。白魚と言うのは小さいお魚で骨も気にしないで食べられるんですが、試験操業は生で使えるのが白魚しかない。(そんな中でも全国から集めて斎春で復興丼をやろうとした想いとは)やっぱりうちのファンもいるので、復興丼を食べにくるお客さんも多いので、それを震災前と変わらない状況で提供したいというのが一番。(復興丼に乗せる内容というのは、手を抜かないためにはすごく苦労するんじゃないですか)それは苦労します。厳しくはないが朝3時に起きて市場に行って一番良いものを選んで。目利きとか色々と。(それでもやっぱり復興丼はこれからも続けていこうと考えてらっしゃいますか)復興丼は6月30日まで。それが亡くなれば企画は終わり。自分としてはやっていこうと思っているんですが、これから先はやっぱりウニが宮城で旬になっていく。ウニとホンマグロに力を入れて復興丼を作りたいと思いますね。(GWですし、斎春の丼を食べたい!という方がいらっしゃると思うので何か一言)お昼に来て頂くと、大体1時間以上待つ。だから11時とか1時かほど時間をずらしてもらえると助かる。(ランチは11時から3時まで)ちょっと時間をずらすと1時以降?)1時以降もいっぱい。ねらい目は11時ごろ。並んでいるので。早く来て頂けないと並んでいますので。

 
今朝は福島県相馬市 松川浦の旅館 兼 お食事処『斎春』のご主人に、復興丼について教えていただきました。

ちなみに復興丼、さらに詳しくご説明すると、だいたい丼に乗る海鮮は10品〜12品。こばち・お新香、お味噌汁もついて2300円。斎春はゴールデンウィーク以外は午後2時までですのでお気を付けください。

2015年4月27日

4月27日 南相馬市 笑顔の花咲く「菜の花迷路」

今週はゴールデンウィークに向けた、観光情報をお伝えします!

福島県南相馬市の海沿いの地区、萱浜(かいはま)にオープンするのは、菜の花の「巨大迷路」!GWのオープンに向け、先週末もたくさんのボランティアの方々が巨大迷路づくりに参加しました。

「東京からお手伝いに来ました。前回は去年11月に菜の花の種植えを何もない状態からやって、久しぶりに来たら背丈ぐらいに伸びているのでびっくり!今日は迷路の道を作るので根から菜の花を引っこ抜いています。完成したらぜひ迷路の中を走ってみたいです!」

取材したこの日は、東京の企業やNPO、個人の方など、およそ30人のボランティアが迷路づくりに参加。Tシャツを菜の花の花粉で真っ黄色にしながらお手伝いしていました。

この企画の中心にいるのは、萱浜在住の上野敬幸さん。「福興浜団」という団体で、津波による行方不明者の捜索を続けながら、この「菜の花迷路」も 数年前から毎年 企画しています。

◆とにかく楽しんでもらいたい!
菜の花迷路、今年は3つ作りました。結構難しいので今年も途中であきらめる人が出てくると思います(笑) 菜の花を押し倒してしまえば出てこられるので。去年も僕の脇からおばあちゃんが急に出てきましたよ。「出れなくてあきらめた」って言ってました(笑)。
迷路は、今日明日で完成するので、27日から楽しめます!ゴールデンウィークには迷路は3つあるので3つとも楽しんでくれた子供たちにはプレゼントがあります!さらに3日にはポケモンさんが来てくれて子どもたちとワークショップをやってくれます。4日は浪江出身の歌手、いわき市出身の歌手が歌を歌ってくれます。6日までは迷路をやっているので、ぜひ楽しんでもらいたいですね!

  
ちなみに5月2日(土)ごろには、菜の花は大人の背丈より成長するため、大人でも本当に迷っちゃう本格的な巨大迷路になる、ということです。

そして、番組で何度も取材していますが、上野さんご自身も、津波で2人のお子さんを失い、幼稚園入園直前だった長男・倖太郎君はいまも行方不明のまま。菜の花迷路には、上野さんの想いが込められています。

◆亡くなった人たちに笑顔を届けたい
津波がきてしまったところの地区は元通りにはならないけど、少しでも笑顔が戻ればいいなと考えて、花を見て一瞬でも笑顔になってもらえればいいなというのもありますし、亡くなった人たちに安心してほしいというのがあります。ニコニコ笑顔のマークを菜の花畑の中には入っているので、僕らからは見えないですけど、上から見て安心してもらえればいいですね。


実はこの菜の花迷路、真上(空の上)から見ると、スマイルマークが描かれいます。亡くなった方にも、笑顔を伝えたいという上野さんの気持ちが込められています。

福島県南相馬市萱浜の「菜の花迷路」。
オープンは5月2日(土)。期間は5月6日(水)まで。入場は無料。
3日はポケモンも遊びに来てくれますよ〜!
お問い合わせは福幸浜団 電話090(5840)2543
または「福興浜団」のFacebookページをご覧ください。

2015年4月25日

4月23日 釜石に続々オープン!さくら祭も

いよいよ行楽シーズン。桜も満開となった岩手県から観光の話題をお伝えします。
場所は釜石市。今週末、震災後、みなが待ち望んだ 伝統行事『釜石桜まつり』が久しぶりに開催されます。
エフエム岩手 釜石やっぺしFM パーソナリティ・リポーター:阿部 志穂さんに伺いました。

◆釜石桜まつり
釜石桜まつりは3年に1回行われていたおまつり。2012年に行われる予定だったが開催できず、やっと6年ぶりにお祭が復活。常龍山鎮座天照御祖神社というのが唐丹町の地域にあって、その神社の式年大祭。おみこしの渡御式、権現舞の奉納。桜の下の大名行列だったが、震災で衣装や道具が流され、1年後だと大名行列で歩く場所さえなかった。コースは縮小されるが6年ぶりに祭が復活するということで今から楽しみです。


町が復興へ向けて変わろうとする中の大名行列。コース縮小はありますが、再生へ向かう町を練り歩く姿は、また印象的でしょうね!
さらに釜石は、連休へ向けて絶対に立ち寄りたいスポットも完成したばかりなんです!

◆道の駅「釜石仙人峠」
釜石にもあったらいいなと思っていた道の駅が4月21日にオープン。道の駅 釜石仙人峠。産直コーナーもあって今の時期だと こごみやばっけなどの山菜、ソフトクリームは釜石オリジナルの藤勇の醤油のソフトクリームが発売されている。しょっぱいというより甘い。藤勇の醤油は釜石に無くてはならないもの。お刺身を食べるには藤勇の醤油じゃないとだめだという人が多い。通常の醤油よりも甘い。これを使っているのでどちらかというとキャラメルのような味。そして釜石ラーメン。製鉄所があったおかげで出来たという極細醤油ラーメン。懐かしいソウルフードと言われています。


道の駅 釜石 仙人峠は、遠野―釜石を繋ぐ仙人峠道路と、国道283号線の交差点沿いにあります。
さらに!釜石は注目施設がまだあるんです!

◆ホテルがオープン!
ホテルが3月29日オープン。ホテルホルクロード三陸釜石。JR釜石線の蒸気機関車をモチーフにしたSL銀河ルームという客車をそのままにした部屋がある。SL銀河で訪れて、ホテルの銀河ルームに宿泊すれば列車好き、蒸気機関車好きには魅力的な場所になると思います。GWが差し迫っているが釜石も温かくなり、海も山も美味しいものがある。列車でクルマでお越し頂ければ二度楽しめる。


そして釜石市は、もう一つ大きな注目を集めています。
今年6月、橋野高炉跡がユネスコ世界文化遺産に登録される。。。かもしれない!これに向けて、町も外国人観光客を受け入れる準備を始めています!

さらに釜石は、2019年ラグビーワールドカップ・日本大会の会場の一つでもあり、これからさらに盛り上がっていきそうです!

2015年4月24日

4月22日 岩手県大槌町 漁師を目指す高校生3

震災で、漁師だったおじいさんを失ったことをきっかけに、漁師になることを決意した岩手県大槌町高校2年生・菅野柚樹くん。海が好きで、釣りが好き好きでしょうがない・・・という柚樹くんはいま、まっすぐに自分の将来を見据えて、叔父さんの作業を手伝っています。


◆後継者として大槌をもっと活気づけていきたい!
(柚樹くんは色んなお手伝いをして、おじいちゃんの背中と叔父さんの背中を見て学んでいると思うんだけど、どんな漁師になりたいですか?)船は持ちたいですね。船舶免許を取ったら叔父みたいに稼ぎつつ、みんなで活気があってワイワイやる中で仕事がしたい。じいちゃんもそういう仕事をしていたから、後継者としてやっぱり大槌町をもっともっと活気づけていきたい。今は漁師が減っているんです。だから後継者が増えればいいと思っています。大槌のメインは海産物なんです。ワカメとかホタテとか鮭とか。それを獲る人がいなくなったら大槌から活気が無くなっていくんです。だから若い奴が増えてほしいですね。若い奴が増えないとダメなんで、増えない限りは良い方向にいかないと思うんですよ。だから自分から発信するしかないんでしょうね。俺は友達にも言っているんです。だれか漁師やっぺって。でもみんな「ええ〜、めんどくせえけん」みたいな。じゃあ俺しかいねえのかなって。誘ってるんですけど。一人でもいいんですけど、若い奴らがもう少しいたほうが活気づくからいいかなと思って。増やすしかないですね、どうにかして。(すごいね。自分がやりたいだけじゃなくて、本当に大槌の将来のことまで含めて漁師というものを考えているんだね)そうですね。とりあえず漁師をやって大槌町が有名になるように一所懸命やってます。
(お魚は美味しい?)旨いっす。食えないものがないので、ああうめえ!って食ってます。(何が好き?)なんだべなー、何が好きかって聞かれると、全部って言っちまうんだよな・・・なんだべ。ホタテかな。牡蠣もいいな。あ、無理だ。選べねえっす。選びきれない。(いっぱい大槌にはあるんだね)マジ大槌はいいっす。最高っす。この時季はワカメですね。あ、俺ワカメが一番好きかも。(ワカメどうやって食べる?)味噌汁かなやっぱり。けどやっぱり大槌の味噌汁と違うところの味噌汁は味が違うから。味が違うとまた違うおいしさも出てくるので。俺は自分ちの味噌汁が一番好きです。お母さんのが美味いです。でもたぶんワカメが美味いんじゃないですかね。



大槌の漁師になりたい!という夢を持つ菅野柚樹くんは、ただ自分の夢を追いかけるだけでなく、後継者不足という問題意識をしっかり持ち、町の未来をきちんと見据えていました。大槌の未来の星であることは間違いないようです☆
柚樹くん、がんばって!!

柚樹くんが手伝っている「丸正 佐々木」のHP

2015年4月21日

4月21日 岩手県大槌町 漁師を目指す高校生2

引き続き、岩手県大槌町から、漁師を目指す、高校2年生に焦点を当ててお届けします。



高校2年生の菅野柚樹くんです。毎朝 早朝から「見習い漁師」として、叔父さんの作業を手伝い、さらに地元の高校に通う、、、という生活を送っています。

でも柚樹くん、いまの毎日は全然つらくないそう。というか「楽しくてしょうがない」というんです。本当に海が大好きで、釣りも大好き。それを象徴するこんなエピソードがあるんです。

◆釣竿を持っているだけで興奮する!
震災があって、今まで海で釣りをしていたのが遠くなり、じゃあ今度は川だ!ってなったんです。そうだ川だと川釣りをはじめた。川もいいなと。ヤマメとかイワナとか。海の方が魚種が多いんで楽しいけど、海と違って川の魚は頭がいいので、その難しい中で釣れるのも面白い。最初はエサ釣りだったが飽きたのでルアーでやろうと。色んな川をめぐって最終的にはすごいでっかいニジマス、57センチのを釣りました。竿が折れそうでしたもん、ぐにゃっと曲がって。やばいもう無理だ!ってなって、釣れた時は本当に嬉しかったです。釣れた時が一番楽しいけど、竿を持っているだけで気持ちが興奮してくる。とことん好きなんですよ。


ちなみに、柚樹くんは中学の修学旅行で東京ディズニーランドへ行ったのですが、その時も東京湾でシーバスを狙おうと考え、「釣り竿持ってっていいですか」と先生に聞いたそう。当然ダメだった。

本当にやんちゃで、ただ好きだから、ずっと釣りをしてきた柚樹くんですが、震災をきっかけに、真剣に、将来のことを考えたと言います。おじいさんのような漁師になる。そう決めた時のことを話してもらいました。

◆海が好きだし、面白いから。
津波が来て(漁業を)誰もやろうと思わなかったんですよ。もういいや、みたいな。でもまさくん(叔父のまさしさん)が、「漁師やってたやつらがなぜ津波が来たからってやめるのか」と立ち上がり、海のがれきの撤去を始めた。みんなも「俺もやるべな」と。辞めた人もいますけどそれで漁師の人が増えていったという感じです。漁師はカッコいいっちゃカッコいいっすね。俺も釣りは好きだけど働くということは頭に無くて、漁師になるなんて当時は思っていなかった。でも「おめえも手伝え」って言われてやっていくうちに、こういうのも面白いと思うようになって、じいちゃんが亡くなって後継者のことを考えたら、これが宿命というか後継者になるしかねえのかなと思って。海自体が好きだし、これはもしかしたら自分に向いていると思った。けどぶっちゃけ言えば俺のかあさんは反対しているんですよ。そういうキツイ仕事をやらせたくない、つらい思いさせるのはイヤだと言っている。でも俺はやりたい。でもキツイぞと言われて、わかったと今はこうやって仕事を熱心にやっています。(面白い?)面白いです。なんかとりあえず面白い。たしかに辛い時、やりたくねえというときもあるけど、行けばなんやかんやで面白くなります。

           
柚樹くんが、漁師になるという話をする時、本当に何の迷いもありません。まっすぐ、よどみなく自分の夢を語る姿が印象的でした。



まだ、船に乗って漁をすることはできませねんが、高校卒業する頃には、船の免許を取って、叔父さんの船で海へ出られることになりそう。その話を叔父さんとする時の目のキラキラといったら・・・!



あしたも、菅野柚樹くんについてお伝えします。

2015年4月20日

4月20日 岩手県大槌町 漁師を目指す高校生1

ここ数週間、番組では東北の若い漁師たちによる、後継者を増やそうという、様々な動きを取り上げてきました。

今朝は、まさにその「後継者」になろうとしている、一人の少年にスポットを当ててお届けします。

◆朝4時から港で作業、そのあと学校へ!
本場のこういうの食ったら、スーパーで売っているのは一切食えないです。(そうだね〜。インタビューしながらもカッカカッカ作業を進めて・・・。もうあっと言う間に終わりそうだね)これでもまだホタテの数は少ない方なんです。多い日だと朝の7時から昼くらいまでかかる。(学校がある日はどうしているの)水揚げがあさ4時からで6時くらいまで作業して、家に帰ってまた学校に行く。(すごい。学校行く前に港に来ているんだ)ですね。だいたい日課なので。(学校は眠くない?)眠くないですね。結構自分ではタフって思っているんで(笑)。 <聞き手:高橋万里恵>




岩手県大槌町の漁港で、私が出会ったのは、菅野柚樹くん。現在 高校2年生です。地元の高校に通いながら、叔父・佐々木まさしさんの元で、「見習い漁師」として頑張っています。私が取材した日は、ちょうどホタテの貝剥き作業の真っ最中でした。

ということで、その場で、手際よくホタテを向いて食べさせてもらっちゃいました!本当に美味しいんですよ!!


明るくて元気で、やんちゃな雰囲気の柚樹くん。今は漁師の仕事と、釣りと、バスケットボールが楽しくてしょうがないという。(勉強はあまり好きではないそうです!)

そんな柚樹くんが、漁師になろうと考えたのは、4年前の震災です。漁師だったおじいさんを失ったことが、大きなきっかけでした。

◆憧れの祖父を失って・・・
小学校6年生で卒業する少し前でした。親もどこに行ったか分からなかったのですげえ心配で。ショックというか頭が真っ白になって。5日後あたりにまさしさんが軽トラックで来て、「ゆず〜!」って呼ばれて、誰かと思ったら叔父だったのでその時は本当に号泣して。いつも海にいたからぶっちゃけ言ってしまえば死んだと思っていて、だから涙が止まらなくて。それでそのまま違う避難所にクルマで行って、そしたっけばお母さんとお父さんとおばあちゃんがいたので、その時はマジで嬉しかったです。その時に向かっている途中に「じいさんが津波にのまれたから、泣くなよ」って言われて、おれのじいちゃんっていっつもパチンコに行ったりして家にあんまりいなかったんですよ。だからどうせすぐ帰ってくんだべな、生きてるだろと思っていて、死んだって言われても死んでねえべと思って。今もそうですけど、死んだという感覚が全然ないんですよ。


漁師だったおじいさんのお家も、柚樹くんの家も、海のすぐそばにあったそう。柚樹くんはそこで、おじいさんの仕事ぶりを見ながら育ってきたと言います。どんな方だったのか、想い出を話してもらいました。

◆優しくて、怖くて、漁師の風格があった
とりあえずパチンコ好きでおこりんぼで、優しい時は優しいんですけど海に出た時はガラリと変わって風格もあってちょっと怖かった。俺がやんちゃだったから怒っていたのもあったんじゃないですか。石をゴルフクラブで打って堤防から家を越そうと思ったら、石が、作業している家のガラスを割っちゃって、「なにしてんだクソガキ!」と言われて逃げた時もありました(笑)悪ガキだったと聞いています。(自分のことでしょ。)おじいちゃんにおこずかいをもらって、おばあちゃん家のとなりの釣具店に行くしかねえなと、2日にいっぺんくらいのペースで行っていたんじゃないですか。釣り道具買ってました。


柚樹くんは現在、仮設住宅を出て高台に建てたお家でご両親と暮らしています。おばあちゃんと叔父さんのお家が隣にあり、家族・親戚ぐるみで、海の仕事をしています。

明日も、菅野柚樹くんのお話です。

2015年4月16日

4月17日締め切り!サポートアワーキッズ海外語学留学、募集

お知らせです。
番組で定期的にご紹介している、東日本大震災で被災した子どもたちの自立支援に取り組む「サポートアワーキッズ」の海外語学留学が、今年度も実施されます。

6月にフランス、7月・8月の夏休み期間は、アイルランド、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド。それぞれ2週間の滞在です。

対象は東日本大震災で被災した中高生。フランスのル・マン24時間耐久レースはじめ、各国の異文化体験、現地学生との交流、震災の体験を語る機会など、貴重な経験することができます。この語学留学をきっかけに、また海外留学する学生も多い。世界の広さを感じるチャンス!

応募締切は今月17日(金)必着。親御さんも含め関心のある方は、下記サイトをご覧ください。
★サポートアワーキッズ

2015年4月16日

4 月16日 フィッシャーマンジャパン4


今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」の中心メンバー、阿部勝太さんのインタビューです。

漁業をカッコよく をコンセプトに集まったフィッシャーマンジャパン。現在13人のメンバーには、それぞれ得意分野を生かした「持ち場」があります。その中には、「世界」に目を向けて活動をするメンバーもいるんです。

◆世界を視野に。漁師が自分の足で
うちも輸出に対してメンバーの一人が力を入れている。津田という魚屋さん。あとは「活魚屋」という生きた魚専門で取り扱う業者もメンバーにいる。魚屋の津田は特に、三陸の中でも魚種が一番多いとされる石巻のものについて誇りを持っていて、金華山という素晴らしい山があるから。世界中にこんな素晴らしいものがあるということを伝えたいという思いがある。ワカメを食べるのはアジアだけ。アジアでもここ10年で浸透したところ。最初は日本と中国と韓国くらいで、震災前にタイとシンガポールが食べるようになった程度。これからはヨーロッパの人にも食べてほしい。食べてこなかった文化に対して新しいものを入れるのは難しい。食べ方から教えなければいけない。でもそれをやりたい。入り込むところがあるということは浸透する可能性もあるということ。今は色んな所に教えを請い、組んでもらいながらやっている。漁師がそこに目を向けて自分の足でやり始めたのが重要。誰かに頼ってただものを下すだけではなく自分の力で1キロでも10キロでもいいから売ってみるというのがすごく重要。それが商売になるかならないか。それを当たり前にやっている商社さんからすると笑い話かも知れないが、まず一歩登ることが重要なんじゃないかなって。


その他、フィッシャーマンジャパンには、漁業体験と観光を組み合わせた企画を考えるメンバーなどもいます。阿部勝太さんはイベント担当。石巻のイオンモールで毎月第1日曜日の午前中に「朝市」を展開しています。さらに! メンバーの中にはDJやラップが出来る漁師さんもいて、ゆくゆくは音楽イベントも企画したいと話していました。

最後に、フィッシャーマンジャパンが目指すものを伺いました。

◆宮城発信で、日本の漁業の成功事例を
震災後の宮城って、この地域を何とかしたいという人がすごく増えた。日本で一番変われる県なんじゃないかなって思ったこともあります。田舎だけどやっと面白くなってきた。今まで新しいことの中心は都心で、そこじゃないと何もできないという想いがずっとあった。でもそうじゃない。地方発信型でも新しいこと、大きいことが出来ることを見せたい。うちらが宮城の漁業から小さい頃でも成功事例を作って日本の漁業自体がちょっとでも変わったらいいなと思う。自分も友達を震災で失っていて、あの時の犠牲があったから日本はこう変わった、みたいな。このままこの地域が人が減り無くなったら、亡くなったやつらに申し訳ないなという想いもあって。


フィッシャーマンジャパンの詳しい情報はこちらから。

2015年4月15日

4 月15日 フィッシャーマンジャパン3

今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」の中心メンバー、阿部勝太さんのインタビューです。



石巻市・十三浜のワカメ、先週お伝えした牡鹿半島・牧浜の牡蠣、東松島市・大曲浜の海苔など、質の高い海の幸を獲る腕利き漁師集団、「フィッシャーマンジャパン」。年齢は20代から40代。現在13人のメンバーは、震災後、共通の想いから、集まったと言います。

◆浜を超えて、次の世代のために
フィッシャーマンジャパンは、浜を超えて何かを生み出したかった。漁師は自分の浜の漁師でさえチームを組むのは苦手。基本的に一匹狼。浜を超えて連携するというのは今まで無かった。結局フィッシャーマンジャパンの共通点は「六次産業化」。既存のやり方ではなく自分で取って自分で売るという形。それは今までやったことが無いからみんな勉強をした。震災後の勉強会の場で出会ったメンバー。今は気仙沼、仙台、亘理や閖上の地域の漁師がいないが、そこさえ入れば宮城県のは時からは時までざっくり言えば全部そろう。自分の損得じゃなくて夢を持っているメンバー。それは後継者を増やしたいということ。自分たちが最年少クラスで、その下が続いていないという話はどこの浜でも共通。各々やってきた活動は違うが、共通する思いは、なんとか次の世代へつなげたいということ。自分の地域がこのまま過疎化していく、自分の故郷が消えていくのは嫌だという。漁業者は過疎化の最後の砦といわれる。海で仕事をしなければいけないから朝も早い七カバに家を建てて出ていけないのが一次産業者。一次産業を守ることが過疎化を食い止めることにもつながってくる。会社の目標は10年で1000人。1000人てさほどじゃないじゃんと思われるかも知れないけど、今の漁業の世界から見たらとんでもない数字。年間1000人減ることはあっても10年で1000人増やすのは事例がない。それが俺らの目標で、来年6人入ることが分かっている。継ぐ気がなくて外に出てったやつが戻ってきたケースもあるし、全く関係ない福島県喜多方から高卒で入る子がいたり、宮城県の塩竈で高卒から郵便局員だったのに30歳から漁師になる子がいたり、様々ですね。(なぜ興味を持ったんでしょう)僕らのスタイルがカッコよく稼げる。稼げるだけでなくてカッコいいというのがポイントになっていて、漁師なのにアクセサリーを作ったり、音楽のイベントを開いたり。あいつら楽しそうにしているのにさらに稼げてるじゃん、という。それは漁師だけでなく、どの仕事だって楽しく稼げれば辞める人はいないし、憧れる。僕らは何種類もきっかけを作りたくて、無駄にPVを作ったり、無駄に手が込んでいる。そういうところでカッコいい職業でありたい。将来的には子どものなりたい職業トップ3に漁師がはいるような。

2015年4月14日

4 月14日 フィッシャーマンジャパン2

今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」の中心メンバー、阿部勝太さんのインタビューです。



石巻市の漁師町・十三浜で、代々続く漁師の家に生まれ育った阿部さん。跡を継いだ当初は、「家族との約束だから跡を継いだけど、熱意は無かった」と言います。そんな阿部さんの意識を変えるきっかけは、あの震災と津波でした。

◆震災後にとことん考えた
(津波で船が流され、3週間は水もなく、3か月後に仮設にようやく入れたという状況の中で漁師でやっていこうという決断は・・・?) 決断は、親父たちが残って漁師やるというので、一人置いていけねえな、みたいな。ある時までは親の動きを見て、というのはちょっとあった。船が最初なかったので会社を作った。地元の漁師5世帯を集めて法人を作り、法人を作った中の2家族が船が生きていたので、その2隻を使って1年目はしのいだ。あとは震災前は言われたことをやっているだけで、自分の頭で何かを考え何かを起こすということはまずなかったが、震災後はとことん考えた。死ぬほど勉強したし、経営は100%自分に持ってきた。「浜人(はまんと)」という会社を作って、今まで漁協や地元市場にしか降ろしていなかったものを、全部自分たちで販売するようにした。俗にいう六次産業化。自分で作って自分で営業して売る。震災前もちょっとはそれを考えていた。やっぱりすごい手間をかけていた。十三浜自体がみんな手間をかけて良いワカメを取れるのだが、その中でも自分はトップクラスに手間をかけている自負があったが、どれだけこだわって手間をかけて最終製品が良くなっても、値段に反映されないということがざらにあった。なぜあっちのワカメとこっちのワカメが同じ値段なんだろうと。投球の幅が少なく、段階わけがもっと多くてもいいのではないかと。3段階の分け方を10にしなよと。1に中でも細かく分けたらいっぱいあるじゃんと。だから手間をかけるのがバカ臭くなった。ちょっと手を抜いても単価はとれるじゃんというところに不満があったが、今は自分で売っているので解消された。違いを分かってもらう値段でしか売らないし、そういう意味では手間暇かけて作ったものが正当な価格で評価されているというか、結構頑張った買いもあって順調で、やりたいことがまた出てきて去年の夏にフィッシャーマンジャパンという会社を作り活動している。(聞き手:高橋万里恵)

                  
宮城県 石巻市 十三浜の漁師・阿部勝太さんのお話でした。こうして、宮城県の若い漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」が発足。メンバーはみな、ある共通の想いをもって、これまでとは違う形の漁業に取り組んでいます。これについては、明日のこの時間にお伝えします。

2015年4月13日

4 月13日 フィッシャーマンジャパン1


今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団
「フィッシャーマンジャパン」についてお伝えします。

お話を伺ったのはフィッシャーマンジャパン 中心メンバーの一人、阿部勝太さん。現在29歳。若い漁師さんです。石巻市の漁師町・十三浜(じゅうさんはま)で生まれ育ち、跡を継ぎ、海を職場に働く阿部さん。まずご自身の漁師としてのいきさつを伺いました。

◆不満は無いが、熱意も無かった
南三陸町と石巻市の境目で、ちょうど岩手から流れる北上川の一番南、河口側が十三浜。その名の通り十三の浜がある地域。昔は十三の浜全部に漁師がいて漁業の盛んな地域だったが今は半分が漁業をしている地域です。(浜ごとに名前がある?)そうです。十三の浜それぞれ名前があり、自分は大指浜というところで、自宅が港から100mなので津波は真っ向からかぶったが、とにかく海とともに、という生活を小さい頃からしていた。(物心ついたときから漁師になりたいと?)自分はメイクがやりたくて、専門学校に進むか漁師を継ぐかどっちにしようか悩んだ末、じいさんが継いでほしいというので、継ぐことに。高3の進路選択の時点で親父と話し合って、ずっと漁師をやっているのは嫌だな、人生漁師しか知らないのも嫌だということで、5年間は自由にさせてもらうことに。色々なところを見たかったので。田舎者なので日本の中心都市は見たいなと、東京、愛知県まで行って、大阪へ行こうと考えたんですが、なぜか最後は仙台に帰ってきて5年経過。約束通り戻って来た。震災の2年前に継いだので漁師歴は長くない。じいさんと約束して継いだんですが、戻ってきた次の年にじいさんが亡くなった。十三浜は元々ワカメが地元では有名で、十五年くらい地元では最高評価を受けている。市場の入札でも三陸で三本の指に入る品質。養殖のワカメでは三陸が一番高い。三陸で一番ということは日本一高いワカメの浜。自慢する海産物、武器があるハマなので不満という不満は無かった。面白いとも思っていなかったし。正直漁師自体熱意を持っていたかというと、震災前まではそうでもなかった。 (聞き手:高橋万里恵)


こうして漁師になった直後、阿部さんもあの震災と津波を経験。ご家族は幸い無事だったのですが、それをきっかけに意識が変わったと言います。
そして「フィッシャーマンジャパン」へとつながるのですが、この続きは明日お届けします。

2015年4月10日

4月10日 映画「ナオトひとりっきり〜Alone in Fukushima」


今朝は、来週18日から公開が始まるドキュメンタリー映画、「ナオトひとりっきり〜Alone in Fukushima」に注目します。
「ナオトひとりっきり〜Alone in Fukushima」は、東京電力福島第一原発の事故後、住民がいなくなった福島県富岡町に、一人で住み続けている松村直登さんの日常を追った長編ドキュメンタリー映画です。

松村さんの住む地域は、夜間の宿泊が出来ない〔避難指示解除準備区域〕。それでも松村さんは、生まれ育った富岡町への強い気持ちから留まることを決意。いまも富岡町で暮らしています。

ドキュメンタリー映画、「ナオトひとりっきり〜Alone in Fukushima」。
公開は4月18日から、東京・新宿の「ケイズシネマ」で始まります。
その後も、福島、愛知、大阪、兵庫、新潟など、各地で上映される予定です。
映画のオフィシャルページ、訪ねてみてください。

帰れないふるさとに暮らす、松村さんの物語。
これも震災後4年が経過した今の現実です。

2015年4月9日

4月9日 牧浜の「完熟牡蠣」阿部貴俊さん4

引き続き、宮城県 牡鹿半島  牧浜の牡蠣漁師・阿部貴俊さんのレポートです。

震災後、東京のIT企業に辞表を出し、故郷・牧浜で、40代の新米漁師として牡蠣養殖に取り組む阿部さん。牡蠣の旬は「冬」という常識に逆らい、阿部さんが育てた春から初夏の牡蠣、その名も『完熟牡蠣』は これからがまさに出荷のシーズン。


この「完熟牡蠣」には、牧浜の海の恵みと、阿部さんの自信が詰まっています。

◆濃厚な浜の味を、ぜひ蒸し牡蠣で!
完熟牡蠣の味の特徴は、より濃厚な味。卵を持つ前の段階で、栄養を牡蠣自身が蓄える段階なので、実に栄養分が入って色んな旨味成分が蓄積されるだろいうというのがひとつ。あとは貝柱から甘みと歯ごたえが出る。これは時化を乗り越えて、その中で貝柱を食いしばって生き抜くために強くなると思う。これが春になると甘みが加わり歯ごたえの良い貝柱ができる。味としては濃厚で貝柱の歯ごたえが際立ってくると思う。私が一番美味しいと思うのは蒸し牡蠣。殻ごと調理する。殻には牧浜の海水が含まれている。鮮度が良ければ牡蠣の殻の海水は外に出ることは泣く牡蠣がびっちり閉じていて閉じ込められている。そのまま鍋に入れて少量の水で蒸すと牡蠣の中の浜の海水で蒸されて、牡蠣だけじゃなく浜の味、海の味が牡蠣に伝わりまさに海の味、牧浜の味がするという感じになる。


阿部さんによれば、生牡蠣は真水で洗うため、それぞれの浜の海水の味は楽しめないとか。地域や浜ごとの味を楽しむためには、蒸し牡蠣がおススメだということです。

そして阿部さんには、完熟牡蠣を通じて目指すものがあります。故郷・牧浜を、海の向こうへ発信するという目標です。

◆MADE IN 牧浜を世界へ!
生まれ育った浜なので自慢かというと逆に言えばここしか知らない。こんなもんかなと思いますが海はキレイですよ。海の色も冬と春と夏でまた違いますから。風向きも季節に寄って違いますし、山の色も。そういう意味では自慢の浜と言えるんじゃ無いですかね。将来的には完熟牡蠣をアメリカのNYのオイスターバーに持って行って美味しいと言わせたい。ジャパンブランドではなく、この小さな浜・牧浜という名前で牡蠣を世界に広めたい、発信して行きたい。成功させるために日々やっているので夢物語にさせないように、実現へ向けてたどり着かせたいですね。



完熟牡蠣を食べてみたい、阿部さんの仕事をもっと知りたいという方は、応援会員になるか、フィッシャーマンジャパンというサイトを通じた購入方法があります。詳しくは下記リンクをご覧ください。

★フィッシャーマンジャパン
★東北食べる通信 阿部さんちのCSA


2015年4月8日

4月8日 牧浜の「完熟牡蠣」阿部貴俊さん3


宮城県 牡鹿半島 牧浜の牡蠣漁師・阿部貴俊さんは、産卵直前で一番栄養価が高いとされる、春から初夏の牡蠣を「完熟牡蠣」と名付け、新しい牡蠣養殖に挑戦を続けています。先日、取材で伺った時も、まさにその作業の真っ最中でした。美味しい牡蠣を育てるために阿部さんはどんなことをしているのでしょうか。

◆生き物としての本能を引き出す
今のメインの作業が、選別した殻つきの牡蠣のカゴの中の数を減らす作業。あとは春にかけて水深を工夫していい状態を保つような育て方をする作業。色々なことをやって、牡蠣に刺激を与える。厳しい状況にすると牡蠣もそれに耐えようとする生き物としての本能がある。その本能を引き出すようなことを人間が手を加えてやる。それが良い牡蠣になると思う。


さらに牧浜では、美味しい牡蠣を育てるための、いい自然条件が整っているといいます。

◆メイドイン牧浜の牡蠣を世界へ
(これは)牡蠣のあかちゃん、種牡蠣をぶら下げている。いまは干潮なので牡蠣がむき出しだが満潮になると水の中に入る。牡蠣の赤ちゃんは夏、8月くらいに成長して自然となにかにくっつく性質がある。そのタイミングで海に沈めるとホタテの殻にくっつく。くっついたやつを秋から翌年の春まで厳しい環境に置く。抑制棚という言い方をしていて、干潮時にはむき出し、満潮時は海の中に入る。牡蠣としては過酷な条件にさらされている。なぜ抑制棚と呼ぶかというと、こういう条件にしておくと牡蠣は育たない。弱いものは死んでしまい、牡蠣が大きくなりたいが条件があまりに厳しくて大きくなれない。春になった時に棚から牡蠣の赤ちゃんを引き上げて海に沈める。そうすると牡蠣は半年間干満の差を利用して厳しい条件に置かれていたのが、24時間いきなり海の中に入りっぱなしに也、一気に成長する。ぐんと牡蠣が大きくなる。そうやって強いものだけを残し、成長を促進させるために厳しい環境に置いて抑制させる。今の養殖牡蠣の大きな作り方の流れだが、こういう条件は他の浜にはない。リアスの海はすぐ深くなっちゃうので遠浅の海が無い。他の産地では種牡蠣を買い上げて育てるところも多いので、この牧浜の私が作る牡蠣は「メイドイン牧浜」と呼んでいる。牡蠣の赤ちゃんから出荷までを目の前の海で育てる。私が作る牡蠣はメイドイン牧浜.将来的にはラベルにもそうネーミングを入れようと思ってる。色んな環境下でも常に目が届くところに牡蠣があり、どういう環境に置かれているのかを観ながら育てているので色んなチャレンジが出来ると思っているので、より良い牡蠣を作って行きたいなと思っている。



美味しい牡蠣作りに試行錯誤を繰り返す阿部さんは、「自分の先生は自然」だと話します。浜ごとに海流も地形も違うから、他の浜のやり方は牧浜では通用しない。失敗したり成功したりしながら、日々自然と向き合い、考えるのが楽しい、と話しています。

2015年4月7日

4月7日 牧浜の「完熟牡蠣」阿部貴俊さん2

宮城県 牡鹿半島 牧浜の牡蠣漁師・阿部貴俊さん。
春から初夏にかけての牡蠣を、「完熟牡蠣」と名付け、これまでの牡蠣養殖の常識を変えようと、チャレンジを続けています。東京の会社に辞表を出し、父親のあとを継ぐため故郷へ戻った理由は、4年前の震災でした。


◆自称「営業漁師」
半導体の会社でトータル20年サラリーマンをやっていた。震災と津波で全てのものが流されたんですけど、この海をなんとかしたい、牡蠣を育てたいという思いがあって会社を辞めて戻ってきました。ただ、当時は牡蠣を作るだけでは売れなかったので、自称「営業漁師」と自分で名乗っていている。今までの漁師は海へ行って水揚げして終わっていたが、私はせっかく自分で獲ったものをどなたが食べるのか分かりたい、自分が獲ったものを評価してほしい、評価が聞きたいという思いがある。自分自身が販売に加わることでエンドユーザーの顔が見えるようにすることで、作るところから食べるところまでを一気通貫してやるのが目標。牡蠣を年間通じて購入する会員を集めて、SNS上で情報交換をしながら、浜の話や私の取り組みを発信する。今年はこんな牡蠣になりました、こんな牡蠣を育てていますという話をしながら実際に送って食べて頂き、感想を伺う。その中でより良い牡蠣をどう育てるのかのアイデアも頂く機会も多い。


阿部さんは現在、60人の年間購入会員がいるそう。
牡蠣を育て、自らお客さんと向き合う営業漁師として、完熟牡蠣の生産や販路の開拓は、すべて自分の力で続けています。

◆誰もやったことないことをやる
完熟牡蠣はわたし一人の取り組み。大変というか、今までやったことがないので、その作業をした結果、売れるかどうかの保証は今は無い。なぜなら市場性が見えて来ないので。かつ買い取ってくれる人がいないから自分で売るしかない。それをやること自体が自分のビジネスに結びつくかは誰にも分からない。だから現時点ではやる人がいない。だからいまこのタイミングでそんなことをしてどうなるんだ、という風に思われていると思うのだが、私は誰もやったことがないことをやらないと、新しい水産業の形は作れないと思っている。既存のことは今まで何十年もやりつづけてきたこと。今まで誰もが挑戦したことが無いことに目を向けて、私なりの独自の養殖方法を見つけ出して、ここにしかない牡蠣の味を創りだしたいなと思っている。不安ではない。新しい水産業をやるためには必要なことだと思っているので。そのためにわざわざ戻ってきましたから。



LOVE&HOPE、あしたも、阿部貴俊さんのインタビューお伝えします。

2015年4月6日

4月6日 牧浜の「完熟牡蠣」阿部貴俊さん1


「将来的にはこの完熟牡蠣をNYのオイスターバーに持っていて美味しいと言わせたい。ネーミングはジャパンブランドではなく、この小さな浜の名前「牧浜(まきのはま)」で牡蠣を世界に広めたい、発信したい。成功させるために日々やっている。夢物語に終わらせないように実現に向けてたどり着かせたい。」

今朝は、宮城県牡鹿半島で、「世界」へ向けた牡蠣作りに取り組む漁師さんのレポートです。
牡鹿半島の小さな集落・牧浜(まきのはま)の牡蠣漁師、阿部貴俊さん。震災後、40代で牡蠣漁師になった「脱サラ漁師」の阿部さんが取り組むのが、牡蠣養殖の常識を変える牡蠣。その名も『完熟牡蠣』です。

◆春に届ける「完熟牡蠣」!
春から初夏にかけて出荷する牡蠣を「完熟牡蠣」と名付けている。冬の一番寒い時期を越した牡蠣は春の暖かくなってきた時に日の光が入る。時化もおさまりが波が穏やかになるので牡蠣が補食する時間が増える。時化だと殻をぴっちり閉じてエサを食べないが穏やかだと半開きにしてエサをとる。雪解け水が山から沢を通り海へ流れ栄養分が海水と混じり合うことで良い環境になってくる。さらに夏に卵を持って抱卵する前の段階、一番栄養を蓄えるのが春から初夏にかけての牡蠣。牡蠣が成熟する一番良いタイミングなので完熟牡蠣と名付けた。昔から漁師たちは春の牡蠣が美味だと知っていて食べていた。初夏にも美味な牡蠣があると知ってほしいし、冬がメインだという日本の常識を変えたいと思っている。


阿部さんの完熟牡蠣、昨年から出荷がスタート。いまもまさに今春の出荷に向け、試行錯誤を続けています。


◆カップの深い牡蠣を育てるために
どんな牡蠣でも冬を越せば同じ条件になると思う。そんな中でも牡蠣の一番良い環境を作ってあげて育てるという部分においては他の方とは違った養殖になっている。それがどう味に結びつくかはまだ実験段階だし食べ比べもしていないのでなんとも言えないが、それが美味しさになればいいなと。色んなノウハウがあるが、一つ言えるのは、いまはカゴの中に50個牡蠣が入っていて、海水の水と押しを良くするために少なくする作業。どの程度の水深に沈めるか、沈める場所、筏をどこに沈めるかも工夫しながら。カップと言われる牡蠣の下の部分もまっすぐじゃなく深くなっていると、牡蠣のみがぷっくり大きくなる。形状も非常に大きなポイント。ただ育てるのではなくカップの深い牡蠣を育てるのも取り組みの一つとしてやって行こうと思っている。


阿部さんは現在45歳。東京での会社員生活から、震災を経て故郷・牧浜へ戻り、牡蠣漁師になったという経歴の持ち主。阿部さんが牡蠣漁師を選んだ理由などは、明日以降、詳しくお伝えして行きます。

2015年4月3日

4月3日 極上!三陸ワカメ収穫体験

三陸のワカメ」を、船に乗って自分で収穫しよう!という体験プログラム。
ワカメには等級があって、最高品質のものは「1等級」。宮城県では、南三陸の歌津、気仙沼の唐桑と、石巻の十三浜が1等級のワカメの産地として有名なんですが、なかでも歌津は宮城県でも最も収穫が多いところ。波の荒い外洋で鍛えられた、肉厚で食感の良い歌津のワカメ。このワカメを自分で収穫してもらおうというのが、「極上!三陸ワカメ収穫体験」です。

プログラムを手掛けているのは、歌津の漁師、「南三陸ブルー・ツーリズム船団〔歌津!海しょくにん〕のメンバーでもある、金比羅丸船長、高橋直哉さんです。


---海産物販売・ブルーツーリズム---
南三陸 金比羅丸
代表 盒仰昇

宮城県本吉郡南三陸町歌津字田の頭16-3
・TEL : 080-8210-6262
・FAX: 0226-36-3281
・MAIL: shopping.konpiramaru@gmail.com
・ HP (販売・釣り・漁業体験) http://konpiramaru.main.jp
・Facebook (金比羅丸『こんぴら丸』)
https://www.facebook.com/konpiramaru

2015年4月2日

4月2日 南相馬 命を守る森の防潮堤作り

福島県南相馬市から、命を守るための「植樹祭」のレポートです。

東日本大震災をきっかけに始まった森づくり運動『瓦礫を活かす 森の長城プロジェクト』。これは震災がれきを埋めた盛り土(つち)に樹木を植え、森を根付かせ津波から命を守る、「森の防潮堤」を作ろうという取り組みです。

すでに宮城県仙台市、岩沼市、そして南相馬市は、自治体ぐるみで取り組んでいます。3月29日(日)には南相馬市で2度目の植樹祭が行われました。

◆参加ボランティアの声
・仙台からです。十数年前にここで仕事をしていた時があって、復興の力添えができればいいのかなという感じですかね。
・相馬農業高校2年です。木を植えて防波堤になるように。藁を扱ったことが無いので置くのが大変でした。ここらへんも家がたくさんあったと聞いて、流されてしまったのでそのぶん木がたくさん増えたらいいなと思います。


今回の植樹祭の場所は福島県・南相馬市 原町区萱浜。全国から集まったボランティア2900人によって、2万本の苗木が植樹されました。

この植樹には、南相馬市・桜井市長も参加。市長の考えを伺いました。

◆一本一本積み重ねていく
松だけでは守れないのではという思いがあって。津波で松は流されちゃったんですよ。だから松だけじゃなく広葉樹も支えてくれるということで、あわせて一緒にやりましょうと。一昨年植えたのは根付いて育っています。松と広葉樹を合わせて植樹していくし、平成30年にはここで天皇陛下を招いての植樹祭も計画している。一歩一歩、準備を含め積み重ねていることが全国に伝わるとありがたい。亡くなった方が多いので、亡くなられた方々の気持ちをいつも忘れないで我々が生活していければいいなと思っています。


震災前にあった松の防風林は、津波ですべて流されてしまったそう。そのためこの植樹では、根っこを深く広げる常緑広葉樹による丈夫な森を目指しています。暮らしていた場所が、森に生まれ変わろうとすることについて、地元 萱浜の方の声です。

◆この場所に家があった
・すぐそば(から来た)もともと近くに家があったんですが全壊して義理の母が犠牲に。次の世代に残したいということで子どもたちと一緒に植樹に参加。たくさん全国の方がきて支援して下さって南相馬を思ってくれている人がたくさんいるんだなと嬉しく思いましたね。
・ここに家がありました。私らのところは65〜6軒があったけど全部無くなりました。津波から着の身着のままで逃げて後で見たら何もなくなっていました。1年くらいはみんなと会ったりするのもいやでした。思い出してしまう。みんなてんでんばらばらで。
・堤防、防風林も元々あったもの。それが必要だというのは当然。地元なので参加しようとは思っていました。同じような津波がまたきても、防ぐことはできないけど遅らせることができると思う。今までまっすぐ海が見えていたのが、防風林や堤防の建設が進んでいっているので、僕としては真っ直ぐ海が見えるのが気に入っていたんですよ。「(堤防が)無くて不安だ)」という人もいますけど、ずーっとこの海を見ていたしそれが普通だと思っていました。

      

この森づくり、同じ東北の森でのどんぐり拾い、苗木の育成まで、多くをボランティアの方の手で行わう活動です。
植樹された森には、震災で被害にあわれた方の「震災のモニュメント」としての意味もあるといいます。そして、これまでの植樹で、およそ13万本が植樹されているということです。

★瓦礫を活かす 森の長城プロジェクト

あしたは宮城県南三陸町から、ワカメ収穫体験の話題です。

2015年4月1日

4月1日 女川トレーラーハウス EL FARO(3)


宮城県女川町のトレーラーハウス型宿泊村『エルファロ』は、東日本大震災で被災した4軒の旅館経営者によって 共同運営されています。開業したのは2012年12月。以来ずっと復旧作業の方やボランティア、観光客の方を受け入れてきました。

そして今年3月。女川は、町のシンボル・女川駅が復活し復興へ大きな一歩を踏み出しました。エルファロ理事長の佐々木里子さんは、女川駅・復活の日を、どんな想いで迎えたのでしょうか。


◆復興の目撃者になって欲しい
つい先ほどいらっしゃったお客様も「女川に来たから寄ったよ」とおっしゃっていたんですけど、「震災1ヶ月前にちょうど女川を訪れて、あそこのホームに降りたんだよね。4年前からずっとこの日を待っていたんだ」って。だから町民だけでなくて全国の方がこの日を待っていたんだなと。涙がでた式典でした。いまはすごくレアな状態。ご覧頂いたとおりまだ何も無いじゃないですか。そこに駅がぽつんとあって、ゼロではなくマイナスからスタートして、ガレキがなくなって1進んで、これから2、3、4とページをめくるように町が作られて行くので、復興して行く町を見届けて頂いて、最終的には復興の目撃者に慣れるので、これからできる支援としては復興を目撃して頂きたいな。そうしたらできあがった時に、本当に心からみなさん喜んで頂けるのかなって。私は毎日ここに通うのに海岸を通るんですが、毎日毎日変化しています。ページをめくるように。当時ボランティアに来られなかった、募金はしたけどなかなか行けないとか、一度ボランティアに来て以来行っていないとか色んな方がいらっしゃる。自分たちは「出遅れ気味」だとおっしゃるんですが、そうではなくてこれからできる支援は、見届けて頂くこと。ともに復興を喜んで頂きたい。



女川駅を左手に、港を背にして、内陸へ1.5キロほど。山の麓に、カラフルなトレーラーハウスが40棟並んでいます。それがエルファロです。
共同経営者の一人佐々木さんは47歳。震災後の女川で「責任世代」と呼ばれる世代です。10年後を見据えて町を作る「責任世代」として、エルファロの、「これから」を伺いました。

◆責任世代が築く「土台」
この40棟の集合体が、復興して行く町の中でどう動くかは私たちにも分からない。5年後にどうなっているか。40棟で集合体のままなのか10棟ずつに分かれているのか、町にちりばめられているのか。でもうちに一度泊まりにきた方が、「あれ、ここにもエルファロあるね」とか「移動してない?」「このトレーラーの色は私が泊まった色だ」とか、そういったものが町にちりばめられているのも面白いかな。復興にあわせて動けるのがトレーラーの魅力なので、それは私たちにもはっきり分からない。不安よりも楽しみの方が多いけどうまく動ければなと思います。町長が「責任世代」とおっしゃって、責任世代がこの復興の町の今の土台作りだったのかなと。土代がしっかりしていないと次に次に行けないですよね。私たちの世代が基盤を作らないと、上に何を乗せてもダメ。人付き合いも町の形も、元々あった女川の魅力をさらにいいものにするという責任の世代なのかなって。今私たち40代・30代が女川では活発に動いていて、そのメンバーの一人として私が入っているのであれば、10年後20年後の子どもたちが、女川は住みよいという気持ちで住み続けられる土台作りをしなければならないなって。そのチームに入れているのなら頑張ります。うん。

         


エルファロは1名1室 6500円から。朝食が女川でとれた魚介! レストランもあり、屋外のウッドデッキでディナーも楽しめます。なにより、佐々木さんはじめ、女川の人たちと触れ合う機会をぜひ体験してください。

★EL FAROサイト

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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