2015年12月31日

12月30日 富岡町の「除夜の鐘」

大みそかの今夜、ふるさと富岡町の「除夜の鐘」が、ラジオから響きます。

福島県富岡町は、震災と原発事故の影響でいまも全町民避難が続いています。そこで、町の臨時災害FM「おだがいさまFM」が取り組んでいるのが、大晦日にラジオで「除夜の鐘」を届けるプロジェクト。

今朝は「おだがいさまFM」の久保田彩乃さんと電話でお話しました。

今年も特別番組で富岡の「除夜の鐘」を放送します。富岡は町民が全国47都道府県にまたがって避難生活を送っている。おだがいさまFMの放送は、タブレット端末で全国の町民に届けている。そんな町民にふるさとの除夜の鐘を届けようと企画。今年で3回目。

今年は町内の地蔵院さんというお寺。震災前は400軒ほどの檀家さんがいた大きなお寺。住職は女性で石黒華心さん。震災後は栃木県に移り住んで、栃木県下野市の慈眼寺の住職も務めながら、富岡にも足を運んで寺の様子を見たり、法事を執り行ったりしている今回は12月中旬に地元の方と一緒にお寺に入り、鐘をついてもらって事前に録音した。その音を今夜放送します。

実は富岡町は平成29年に帰町宣言をすることを目指しているが、同時に放射性廃棄物の処分場の受け入れも決まっていて、町民にとっては複雑な状況が続いています。「地蔵院」の住職、石黒華心さんにお話を伺ってきました。

◆将来の子ども達の健康を考えると・・・
誰もが考えなかったことが起きてしまったが、誰が悪かったからこうなったとはいえない非常に難しい状態だが、皆さんが積み上げてきた素晴らしい人生を根こそぎ破壊したことに変わりはない。放射能というのは恐ろしいということ。そういったすべての思い出から未来の夢からすへてが破戒されてしまった。でも誰かを恨むとか、そういうことでは建設的な生活が送れないと思うので、できるなら一生懸命除染をしたり復興のために命がけで働いてくださるかたの努力が報われて、とはいえあのあたりに汚染物質が積みあがる予定なので、なかなか快適な昔通りとはならないけれど、いまよりは心のよりどころとして、小さいお子さんは無理としても町民が集まれる故郷になればと思う。平成29年の帰還について、わたしは無理だろうと思っている。将来の子どもたちの健康を考えるととても無理。安全ならばあの辺に国会議事堂を建てる土地を提供したい。


◇富岡町の地蔵院の「除夜の鐘」は、「おだがいさまFM」の今夜の年末特別番組で、夜11時台に放送します。
◇放送は、郡山市内では通常のラジオで聞くことができるほか、インターネットのサイマル放送でも聴取可能です。またツイッターでも情報を発信しています。

2015年12月30日

12月30日 浪江・請戸の食文化を残したい

今日も鈴木酒造店、鈴木大介さんのインタビューです。

鈴木さんは、福島県双葉郡浪江町の出身。震災と原発事故の影響で避難を余儀なくされ、現在は山形県長井市で酒造りを続けています。

全町民避難が続く浪江町。
「遠く離れた“ふるさとの味”を次の世代に残したい。」鈴木さんは、酒と関わりの深い「地域の食文化」にも、大きな関心を寄せています。

◆浪江町の食文化をしっかり残したい。
3世代揃うご家庭が多かったが、いまみんなばらばらになっている場合があって、例えばおじいちゃんが畑で採ってきた野菜をおばあちゃんが漬物にして、小さい子どもたちがそれを食べるということをしてきたわけだが、その家庭の味さえ次の世代に伝わらないことが心配される。うちの酒があるが、酒だけを飲む人はいなくてなにかしら料理のメニュー的なものを次の世代に遺せるようにしたい。
浪江町は東から西にすごく広い街。わたしたちは沿岸部の請戸から川が連なって平野部にかけて残っている郷土料理に「がにまき」という料理がある。避難してから食べているひとはほとんどいないと思う。モズクが二という川が二がいるが、海と川を行き来しているカニ。それをすり鉢ですりつぶして、フキンでこしとって、出た汁を火にかける。カニのたんぱく質のかたまりなので、鍋で火にかけて菜箸でころがすと、ころころところがすと玉みたいなものがたまってくる。それを味噌で味を整えて、お汁として楽しむ。この「がにまき」があのあたりの郷土料理としては一番親しまれているものでは。「がにまき」というと地元の人は「食べてなー」「食っちゃなー(食べたいなあ)」と言うと思う。

   
鈴木酒造の代表銘柄は「磐城寿(いわきことぶき)」ですが、他にも「一生幸福」や「親父の小言」などいくつかの銘柄をつくっています。「土耕ん醸(どこんじょう)」もその一つ。鈴木さんにとっては、思い入れの強い銘柄でもあります。

◆「土耕ん醸」とどぶ汁はとっても合う
実は1月に震災前に出していた商品が復活する。それが「土耕ん醸」。「土」「耕す」「醸す」と書いて「どこんじょう」と無理無理読ませていたお酒で、土のフレーバーがする力強いお酒。地元の契約栽培のお米を使ってつくっていたが、それを山形の米でつくるのには自分にはどうしても違和感があるので、どうせなら福島の契約栽培の米でつくりたいと思って。
福島市の契約栽培の農家さんで、震災当時からすごく苦労されていて、少しずつ安全性を証明しながら作付面積を増やしていって、震災からちょうど4年目に、震災前に作っていた「土耕ん醸」の原料米「五百万石」という品種がやっとできるようになった。じゃあそれで「土耕ん醸」を作ろうということになった。
どぶ汁という郷土料理があって、要はあんこう鍋。酒造りをするのが冬の寒い時期で、そんな冬の晴れの料理といえばどぶ汁。あんこう鍋は肝を具にするが、どぶ汁の場合は肝をすりつぶして水を一滴も入れずに野菜とあんこうの汁だけでつくる鍋。なのでとっても濃厚なあんこうの鍋だが、それと「土耕醸」はとっても合う。


震災後初めての出荷となる「土耕ん醸」。現在は熟成の最終段階だそうです。しなやかな熟成感もあって、
味のしっかりした料理にも合いそうな仕上がり、ということ。出荷は1月27日の予定。
お酒を通じてふるさとの食を繋ぐ鈴木さんの挑戦は、これからも続きます。
鈴木酒造店オフィシャルサイト

LOVE&HOPE、明日は福島県富岡町の「除夜の鐘」の話題です。

2015年12月29日

12月29日 浪江・請戸に伝わる1月2日の出初式

福島県双葉郡浪江町で200年近くに渡って日本酒を作り続けてきた歴史ある酒蔵、「鈴木酒造店」。震災と原発事故の影響で、避難を余儀なくされ、現在は山形県長井市で酒造りを続けています。


酒づくりに欠かせないのが「水」と「米」。全町民避難が続くなか、浪江町では2014年度から米の水耕栽培が試験的にスタートしました。

◆浪江の米で酒造りを再開したい
浪江町にはコメ作りの実証栽培が始まって、浪江の環境の中で放射性物質がでるのかでないのかを踏まえた試験的な栽培が2014年始まった。浪江町では放射性物質が検出されないような状況にしようと、一枚の田んぼをつくるのに周りの広大な田んぼも全部除染して、その中の田んぼでコメを栽培した。水も専用の井戸を掘り地下水のきれいな水を田んぼにいれて、結果放射性物質は10ベクレル未満の「不検出」で1年前お米ができて、今年も同じ状況の米ができてている。実は1年目の米ができる前に、安全な米ができるんならその米で酒をつくってみようということになった。今年の3月に常磐道の浪江インターが開設されたので、そのときの振る舞い酒として使わせてもらった。2年目もその米を使って酒をつくる予定で、だいたい2016年2月ぐらいにお酒としては出来上がると思う。
やはりお酒は水と米だから浪江でやろうとするとハードルが高い。それでも自分としてはなんとか段階的にでも浪江で酒造りをやるというのを目標にしているので、実は年明け2016年1月に酒造りをすると酒粕ができるが、その酒粕を浪江町の農地に肥料として使えないかということをいま町の担当者の人と話したりしている。もしそれがうまくいくのなら、これからの浪江の米づくりが楽しみになってくるし、もし自分たちが浪江の米を使って、その酒を販売するとなった場合、やっぱり循環型というか、酒造りも小さな循環だから、それがちょっとでも浪江町の農地再生に貢献できればいいかなと思っている。

 
浪江町は2017年3月以降の避難指示解除を目指していますが、帰還の見通しは立っていないのが現状です。それでも鈴木さんは、将来なんらかの形で、ふるさと浪江で酒造りを再開する日を夢見ています。

◆やっと目の前の塀の上に指先がかかった感じ
実はその酒粕で焼酎をつくろうとしている。浪江町はまだ帰町宣言をしていないが、帰町宣言をして小さな建屋をつくることができれば、いま山形でつくっている酒を浪江の住所で出荷することもできるし、材料をもっていれば、浪江町での再開というのはどういうものであれ、例えばリキュールづくりなり、日本酒づくりなり、どぶろくでもいいので、なにかしらできるんじゃないかと。今までなにもできず目も前に塀があったものが、やっと塀の上に指先がかかったかなという感じ。なんとか3年後には形になっているのではないかと思うし、それまでしっかり自分らも努力していかなければいけないと思う。


あすも鈴木酒蔵、鈴木さんのインタビューお伝えします。

2015年12月29日

12月28日 浪江町・請戸のお正月と祝酒「磐城壽」


12月の『東北復興グルメシリーズ』でもご紹介した「鈴木酒造店」は、福島県双葉郡浪江町で200年近くに渡って日本酒を作り続けてきた歴史ある酒蔵です。震災と原発事故の影響で避難を余儀なくされ、現在は山形県長井市で酒造りを続けています。代表銘柄は「磐城壽(いわきことぶき)」。浪江町の請戸地区では神事や大漁祈願、お祭りやお祝いの席に必ずこの「磐城寿」があったといいます。
鈴木酒造、鈴木大介さんのお話です。

◆「酒になったか?」は魚獲れたか?という漁師言葉
もともと磐城寿は祝い酒。寿という名前も、漁師さんの場合は海に転落してしまったり網に巻き込まれてしまったり、命に係わる仕事をしているので信心深い漁師さんは自分の船と海には酒を流して漁に出るというひとも大分いたので。それは酒を造っているうえではありがたかったというか、そういった文化も大事にしたいと思っていた。
例えば地元の漁師さんがよく使う言葉で、大量祝いで組合から船主さんにお酒がふるまわれるのだが、水揚げ30万上がったというときに、組合さんが熨斗をつけて船主さんに配るわけだが、漁師さんは「魚獲れたか?」とは聞かず「酒になったか?」と聞く。魚が獲れたか獲れなかったか、漁の具合を聴くのにそんなふうな挨拶の言葉があって、それはうちの地区の独特の挨拶なのかなと。


そして、鈴木さんの故郷、浪江町の請戸地区では、 新年にも「磐城寿」が欠かせませんでした。

◆1月2日の出初式
故郷の浪江町請戸地区は港町で小さな漁船が多い街。年末になると漁師さんたちが年明けの出初式の準備をする。毎年1月2日に船をきれいに飾って、沖の昔神社があった場所に向かって船を出す。漁船が行進するような感じ。子どものころからその出初式が見ていても面白いし、船に乗っても面白い。みかんが飛び交う。船のほうから陸地にいる人にみかんを投げる。それをみんな拾って持って帰って食べるというのが、うちの地区のお正月。ちょうどその飾りつけを年末始める。漁師さんたちも年内の漁が終わってちょっとほっとしたところで、じゃあちょっと飾りつけをしようかということに。それを見ると「今年も終わりなのかな」という気持ちになる。全国でも漁船団でそういった出初式をやるところは珍しいみたいで、かなり遠方からいろんな人がやってきた。それがないとお正月じゃないような感じだった。
街中の人も外の人も船に乗りたいから、船主のところに行くときは皆日本酒を持っていく。だから船主はお正月に一年分のお酒が集まるんじゃないかというぐらい。結局そのお酒をみんなで分け合ってという感じになるが。港町だと縁起担ぎをする人が多いので、年明けのお祝いものに関しては年明けの2日にお酒を用意する。うちのお店も新年2日の朝4時から店を開けていないと間に合わないくらいで、その時間から実際お酒を買いに来る人がいる。うちは新年は2日を乗り切れば休める、みたいな感じだった。


鈴木酒造では地域の「成人の集い」でも、毎年祝い酒をふるまっているそう。来年は、1月10日(日)、浪江町の避難の拠点「福島県二本松市」で行われる「成人の集い」にふるまい酒を持っていく予定とのことです。

2015年12月24日

12月24日 新しいスタートをきった女川



昨日、宮城県女川町の駅前に新たな商業施設「シーパルピア女川」がオープンしました。

今年3月に開業した女川駅から海に向けてまっすぐに伸びるプロムナードに26の事業者が店舗を構え、新たな一歩を踏み出しました。
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けて、人口が震災前の7割に減少した女川町。街に人と活気を取り戻そうと、石巻や気仙沼など、近隣地域からの出店を受け入れたのも「シーパルピア女川」の特徴の一つです。

◆KONPO’S FACTORY(今野梱包株式会社)今野英樹です。
これはダンボルギーニ。似ているのはたぶんランボルギーニだと思うが、我々がつくったものを展示しながら興味を持ってもらって、若い人たちの流出が止まらない地域でもあるので、内向きのアプローチというか、町内でも面白いことをやっている会社もあるんだよとか、技術・ノウハウも蓄積している会社もあるんだよということをアピールしていきたい。

◆ダイビングショップ「High Bridge」高橋正祥です。
自分がいつも潜っているダイビングポイントがこの商店街から10分、20分でいけるポイントで、女川は町が壊滅して透明度の高い海も魚がいなくなった場所がたくさんあるが、やっぱり自然の力ってすごくて、どんどん魚も戻ってきているので、人も戻ってくる街づくりをできればと思う。

◆マザーポートコーヒー女川店の小野寺です。
マザーポートコーヒーは気仙沼にあるアンカーコーヒーのグループ。同じように被災した女川に、コバルトーレ女川というサッカーチームがあるが、そのコバルトーレが女川の皆さんが町の「母港」になるようなコーヒーショップを作りたいということで、一緒に経営している。こんなに人がいたの?というくらい町に人がいっぱいいて、通る人の顔がみんな笑顔。よかったね!という感じでみんな歩いていて、今日はとても幸せな一日だった。この笑顔がずっと続いていく商店街になったらなあと思う。

 
「マザーポートコーヒー女川」では、コバルトーレ女川の監督やコーチがお店に入ることも。バリスタも身長195センチ!というアスリート男子の接客にも期待です♪

こんなふうに近隣地域からの出店もあれば、もちろん、地元女川で親しまれてきた店舗もあります。「おんま〜と」は震災前から地域の方たちに愛されてきたスーパー。今回、駅から一番近い場所に店舗を構えました。

◆おんまーと(スーパー)店長の小田島です。
23歳、抜擢されました。震災前にアルバイトをしていて若い力をということでやってみろと。女川町で同じ学年の人が80人ぐらいいたが、高校卒業の年が震災の年だったので大学に行ったり、家族に県外に引っ越したりとで、街に同年代がいない。自分が活躍することで若い人が戻ってきてくれたらいいなと思います。


街の皆さんがそれぞれ口にするのは、「これからが本当の勝負」という言葉です。女川町の須田善明町長も、女川さいがいFMのパーソナリティ中学一年生の石森未夢さんのインタビューに、こうコメントしています。

◆須田町長インタビュー
ー新しい町並みをみてどうですか?
近隣にはない素敵な空間ができたと思う。ただこれからどう色をつけていくかはわたしたち自身次第。今日新しい場がオープンしたが、わたしたちの日常により色どられていく。それがわたしたちにとってのこの場所の意味になる。まずは来てけさいん、来てくださいということでお越しをお待ちしています。
ーはい、ありがとうございました。引き続きお仕事などがんばってください。
がんばります!



今回新たな商業施設が誕生したエリアは、およそ7メートルのかさ上げ工事が行われた場所。女川町ではいまも住宅や生活エリアのかさ上げ工事が続いています。
震災から4年9か月。女川町のチャレンジはこれからも続きます。

2015年12月22日

12月22日 女川駅前プロムナード「シーパルピア女川」2

今年3月、JR女川駅が開業して、復興に向け新たなスタートを切った宮城県女川町。その駅前に明日、テナント型の商業施設「シーパルピア女川」がオープンします。駅から海に続くプロムナードに26の店舗が連なる、女川の新しい「顔」。

施設を運営する「女川みらい創造」の近江弘一さんは女川のサッカーチーム「コバルトーレ女川」の創設や「石巻日日新聞」にも関わる、女川街づくりの中心的な人物の一人です。

◆「わが町女川と言えるようになった」
出身は女川町と石巻の中心にある渡波という猟師町。海水浴場の目の前で育ったので海が好きでずっと暮らしてきました。もともと石巻でウェットスーツの会社をやっていて、48歳でその仕事を全部やめるんですけど、そのあと「コバルトーレ女川」というサッカーチームで地域を活性化しようと、ある意味Iターン事業みたいなことをやりはじめて、女川に来た。
親父の墓を整備しなくちゃいけないなどあって、いろいろルーツ探しをしていたところ、自分のルーツが女川の離島「出島(いづしま)」にあることがわかった。それ以来「わが町女川」と言えるようになり、そんな中震災でいろんなものがなくなって、大変な中、いろんな声掛けがあったので、引くわけにはいかないといまに至っている。


女川町には震災後、「きぼうのかね商店街」という仮設商店街ができて、およそ50のお店がお店を構えました。仮設商店街の運営は再来年の3月まで。それぞれの店舗が、いま「次の選択」を迫られています。

◆震災後5年目でそれぞれの選択
震災で商店だけでなく水産業の加工場などもすべてのものが流されて、商業施設もここに仮設商店街があるが、いろいろな選択肢があって、自立再建で街に降りて新しいお店をやる人もいれば、今回僕らが運営する駅前商店街「シーパルピア女川」に入る人もいる。それから、宅地ができたときに「店舗兼住宅」でやりたいという人たちや、仮設商店街がなくなったら廃業するという人たち。いろんな事業がこの街で起きていて、震災後5年を迎えようとしている。
復興とはいえ、経済とはどこかで競争なので、今後いろんなことが起きてくると思う。女川さいがいFMが2016年3月で終わることも含めて、いろんなことが現実のなかで継続性を問われてくると思し、議論されることになると思う。そういう意味では「シーパルピア女川」はテナント型なので、3年5年といろいろ入れ替わりがあると思う。その時が女川町の勝負だと思う。今年プロムナードがスタートしたが本来の真価を問われるのはこれからなんだろうなと思う。


女川町は、須田善明町長をはじめ、復興街づくりの中心を30代、40代の比較的若い世代が担っています。50代後半の近江さんは、そんな彼らをサポートする頼もしい存在です。

◆「将来を担う人たちから笑われるような決断はしたくない。」
僕らが生きている間に女川へ来てくれてありがとうと、須田町長はよく言うが、僕たちは次の世代のために仕組みをつくる人たちだと思う。コバルトーレにしても、僕らはつくっただけで成功もなにもなく終わるかと思う。そういった意味では僕が50代で女川の街づくりに参加している意味というのもひしひしと感じている。僕らはたぶん創設メンバーなんですよね。それをもっとよくしたりできるための骨を揃えておくのが僕らの仕事だと思っている。次の世代がやるでしょ、次の世代がやりやすいようにしておく。将来街を担う人たちから笑われるような決断はここでしたくない。生きざまとして仕事をしているので。その事業やその活動は、少なくとも僕の次の世代には伝わるわけだから。だから不安だけど、その先にあるものはもっといろんなものができてくると思うので、楽しみだし期待ですよね。



明日開業する「シーパルピア女川」には、スーパーや飲食店、雑貨のお店や音楽スタジオなど26の事業者が入り、営業をスタート。「シーパルピア女川」のオープンを記念して12月23日から5日間に渡り「おながわ復興まちびらき2015冬」も開催されます。ぜひ復興の歩みをその目で確かめてみてはいかがでしょうか。

2015年12月21日

12月21日 女川駅前プロムナード「シーパルピア女川」1

今年3月、JR女川駅が開業して、震災からの復興に向けて新たなスタートを切った宮城県女川町。建築家・板茂さんが設計した女川駅。海がみえる駅舎や温泉施設ゆぽっぽについても、以前この時間にご紹介しました。

その女川に、12月23日(水)新たな商業施設がオープンします。
名前は「シーパルピア女川」。
駅から海に向けて真っ直ぐに伸びるプロムナードを中心に、26の事業者が入居するテナント型の商業施設です。女川のサッカーチーム「コバルトーレ女川」の創設や「石巻日日新聞」にも関わる、女川の街づくりの中心的な人物の一人、施設を運営する「女川みらい創造」の近江弘一さんにお話を伺いました。

◆シーパルちゃんが住む桟橋
女川町は小さい街で、もともと商業がそんなに盛んな街ではない。震災前には一万人あった人口も今は7,000人を切っている状態。そういう意味では、町内の方々とか長期に滞在する人たちをサポートできる「店舗」ゾーンと、女川丼など海のものを集めた「食」のゾーンと、若い人たちが自分たちの雇用をつくれるような、仙台から楽器の工房を誘致したり、震災後にできたセラミカ工房(スペインタイルのデザイン、製造、販売)とか、スキューバダイビングショップなどの「アクティビティ」なゾーンの3つに分けて初めていこうと。
名前をつけるにあたっては、親しみのある名前がいいのではと思い、女川の観光のマスコットキャラクターとして「シーパルちゃん」というのがあるが、なかなか使っていないので、「シーパル(海猫)ちゃん」が住む「桟橋(ピア)」ということで、「シーパルピア女川」と名付けた。


23日、女川駅前にオープンする「シーパルピア女川」。建物は「蔵」を思わせる黒と茶を基調としたシックなデザインで人が行き交うプロムナードにはレンガが敷き詰められています。
   
そしてここには、ショッピングだけでなく、震災や津波の記憶をとどめる工夫や、女川復興の「次のビジョン」が隠されています。

◆消費に頼らず活動ができる街に
やっぱり女川町が持っているものを十分に楽しんでもらうということで、どこからでも海が見え、山並みが見える街ということ。そして消費に頼らず、そこでなにか活動ができる街であるということ。
プロムナードが駅からまっすぐ海に向かっていて、その先には将来的に緑地の公園が整備されていくが、そこには津波で倒壊した旧女川交番が遺される予定。そこまでできてくると、浸水域という意味でもゆっくりできる場所になる。また、ストリート自体にいろいろな仕掛けがあって、例えば電気のコンセントが敷いてあったり、水道が引いてあったりして、路上で若い人たちがライブをできるように仕込んである。いろんな意味でお祭りができる「道」というよりは「広場」という使い方をしていきたいなと。
女川町に来ると何かがあるぞというのも必要だと思うけど、女川は三陸沿岸で唯一仙台などと鉄道でつながっている街なので、女川に来るとどこかにいける、なにかができるという「ハブ機能」を持たせたい。ここから牡鹿半島や南三陸や気仙沼に足を延ばして、女川を起点に動いてもらえるような、そういう機能も盛り込んでいきたい。これからどんどんいろんな機能が追加されていくと思うので、楽しみが増えるんじゃないでしょうか。


オープンに合わせて、女川でレンタカーも借りられるようになります。女川周辺の観光がさらに自由に楽しくなりそうです!

「シーパルピア女川」のオープンを記念して、12月23日から5日間に渡り「おながわ復興まちびらき2015冬」も開催されます。

2015年12月18日

12月18日 東北復興グルメ5 福島県浪江・鈴木酒蔵の日本酒

12月18日(金)の復興グルメプレゼントは、
鈴木酒造の「磐城寿季造りしぼりたて」一升瓶です。
ご当選されたのは、
・キラリンさん
・ミユマ14さん
・ブルーフェザーさん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
寒いこの時期にしみいりますね〜。
福島県、浪江の歴史と山形県、長井の豊かな自然が凝縮した
日本酒をぜひご堪能下さい!!

この一週間、たくさんのご応募を頂きました。
番組をお聴きの皆様、そしてプレゼントにご応募頂いた皆様、
誠にありがとうございました!
これを機に、東北の自然がたくさん詰まったグルメの数々を、
ぜひチェックしてみて下さい。
番組でも、また、「東北復興グルメシリーズ」を
ご紹介していきますので、そちらもお楽しみに!



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食を通じて「復興・地域活性に貢献する人たち」にスポットを当てる『東北復興グルメシリーズ』。今日は日本酒です。

「鈴木酒造店」は福島県双葉郡浪江町で200年近くに渡り日本酒を作り続けてきた歴史ある酒蔵。震災と原発事故の影響で避難を余儀なくされ、現在は山形県長井市で酒造りを続けています。

海に面した浪江と山々に囲まれた長井では、気候も環境も全く違います。「移住からまる4年。手さぐりの日々だった」と、鈴木酒造の鈴木大介さんは言います。

◆新鮮な食材が持っている香りを殺さないお酒
最初のうちは勝手がわからない状態だった。環境も違い、酒造りをするうえでも福島の浜通りはすごく冬場感想しているが、長井はひと冬の総降雪量が7メートルもある。酒造りにおいては、麹づくりが一番大事だが、その乾燥ぐあいでだいぶできるものが変わってきてしまう。本当に右も左もわからない状態だったが、長井の方たちがいろいろと支援してくださる中で、1年2年と時間がたって、自分が思ったような酒造りがようやくできてきたかな、という感じ。
海を離れてみて、新鮮な魚を食べられる福島県浪江の請戸の環境にはかなわないと思う。それを気の毒に思った取引先の方が定置網の新鮮な魚を送ってくれたが、それではっと気が付いたことがある。新鮮なものが持っている香り、というものがある。例えば焼き物にしても、新鮮なものにはかなわない。そのときに、もともと自分たちはこういったものにあわせる酒をつくってきたんだと。素材の持っている香りや味、素材を楽しめるような酒でなければ、例えば避難している浪江の人たちも「いい魚が入ったから、だったら鈴木酒造さんの酒で」となったときに、うちの酒が変わってしまっていたら申し訳ないというのがあって。変わらないお酒をつくらなければといま思っている。


「全国に避難している浪江の人たちに、ふるさとの酒を届けたい」。その熱い気持ちを胸に、鈴木さんはふるさとから遠く離れた長井で酒造りを続けています。
     
そんな鈴木酒造の代表銘柄が「磐城壽(いわき・ことぶき)」。福島県浪江町の請戸地区では、神事や大漁祈願、お祭りやお祝いの席に必ず,この「磐城寿」がありました。

今回「東北復興グルメ」としてプレゼントするのは「磐城寿」の中でも今年の新米を使った、しぼりたてのお酒です。

◆白魚のようなうすにごり
「磐城壽季造りしぼりたて」は、震災前7、8年からつくっている、うすにごりのしぼりたてのお酒。さわやかで上品な甘さがあって、うちの商品の中で一番上品なタイプのお酒。震災があった2011年にいまの山形に移り、震災の年には一時途絶えた商品もあるが、この商品だけは出荷を続けられているお酒。その年の新米でつくるお酒だが、いまの長井に移ったのが2011年10月の下旬で、そこから中の準備などいろいろやって、やっと12月に出せたというのが震災の年だった。自分のなかでもとても思い入れの強い銘柄。いまは山形の長井市の契約栽培でつくったお米をつかっているが、それもいまの自分たちを伝えるうえではとてもいいお酒なのではと思っている。
味わいとしてはしぼりたてで、はつらつとしたお米のうまさが特徴。上品な甘味が整った、するやかにすっと入るなめらかな香り。色が本当にうすにごりできれい。年末に出荷し始める商品だが、田舎に帰って田舎のなにを食べたいなあと連想してくれたらうれしい。
12月にはうちの故郷の浜では白魚があがるが、白魚と同じ濁り加減にしたいと思って。ですから白魚をすごくマッチングするお酒。


この他にも鈴木さんは「山形県長井市に移り住んで、冬の大雪にはすごく苦労しているけれど、その雪が地域に良質の水をもたらしてくれている」とも話していました。浪江の歴史と長井の豊かな自然。この2つがいまの「磐城寿」の味を支えています。

★★★★★


今日は鈴木酒造の「磐城寿季造りしぼりたて」一升瓶を3名様にプレゼントします。

ご応募はメッセージフォームから。このあと9時まで受け付け。当選者はブログで発表します。

購入など詳しくは「鈴木酒蔵」のサイトをご覧ください。

2015年12月17日

12月17日 東北復興グルメ4 気仙沼「燻製牡蠣のオリーブオイル漬け」

12月17日(木)の復興グルメプレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました!

宮城県気仙沼市 の『牡蠣の燻製オリーブオイル漬け』の当選者は、
・レモングラスさん
・ヤンバルクイナさん
・サカナさん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
美味しく召し上がってください!

明日は、福島県双葉郡浪江ブランドの日本酒
「鈴木酒造」の生酒をお届けします!お聞き逃しなく!

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食を通じて「復興・地域活性に貢献する人たち」にスポットを当てる『東北復興グルメシリーズ』。
今朝ご紹介するのは、宮城県気仙沼市の小さな入り江、舞根湾から美味しい牡蠣の加工品のレポートです。

これまで番組で何度か取り上げているNPO法人「森は海の恋人」。牡蠣漁師の畠山重篤さんを中心に、山に木を植えることで豊かな海を育てる活動を続けています。お話しを伺ったのは、森は海の恋人 副理事の畠山信さん。震災で舞根は集落ごと津波で流され、信さんも自宅を失っています。それでも海を嫌うことなく、目の前の海を使った、新たな産業づくりをはじめています。

◆循環型の牡蠣
ここは舞根湾という小さな湾。リアス式海岸の奥まった本当に小さな、静かな入り江。ここで牡蠣とかホタテの養殖が昔から盛んに行われてまして、漁師が山に木を植えるという活動を平成元年からやっています。森の栄養分が川を伝って海にまで来て、海の生き物を育てる、その代表が牡蠣なんですね。牡蠣を食べるということは森の栄養分を食べているという循環型の牡蠣を作っています。東日本大震災があってから船も筏も養殖施設もすべて流されてしまってゼロからのスタートだったんですが、いろんなボランティアの方々に手伝ってもらって筏をつくって、牡蠣の稚貝が被害を免れて残ってたのがあったのですぐに筏にぶら下げて、震災後はプランクトンの発生が非常に多かったので成長がよく、2年かかるところが1年ぐらいで短縮して成長できたので、森からの栄養は震災後もきちんと途切れなくできている、という印象があります。


平成元年から、漁師が森に木を植える活動を続けることで循環型の牡蠣づくりを目指す。この取り組みは震災後、新たな産業づくりへと発展していきます。人と自然が共存し、地域が持続的に発展していくことを目指す「森里海工房」の設立です。

◆生でも美味しいのを燻製に
今まで気仙沼でも生ガキは売ってるけど美味しい牡蠣の加工品はなかった。なのでお酒を飲んでいるときにおつまみがなかったので、自分たちで作っちゃおうかというノリで作っちゃった。「燻製牡蠣のオリーブオイル漬」という商品を販売している。燻製するときの樹はナラと桜のブレンド。落葉樹の方が風味豊かに仕上がる。燻製用に木材を使うので、木を植えている山の木材を使うことで山に手が入る、森に手を入れたいという思いも込めて、ナラの木、どんぐりの木を使っています。
牡蠣は生で美味しさがありますが、燻製にすると風味が増す。牡蠣も美味しいがオイルに価値がある。非常にグレードの高いオイルを使ってますのでパスタに絡めて、あまったオイルはサラダに使用したりしている。マジメに作ったものはやっぱり旨い!素材の味を知ってる人はより納得いく商品。そういうのを作っていきたい。手間がかかった分だけ味はいいと思います。


”豊かな森”からもたらされた栄養分たっぷりの”豊かな海”で育まれた、舞根産の牡蠣。その牡蠣を新鮮なうちに燻製し、厳選されたオリーブオイルに漬け込みました。森・川・海をまるごと味わえる一品。燻製のいい香りが広がります!

★★★

今朝は、舞根産「燻製牡蠣のオリーブオイル漬け」を3名の方にプレゼント!
ご応募はメッセージフォームから。
(本日9時で受付を終了いたしました。当選者はブログで発表します。)

また「森里海工房」のサイトからも購入可能です!
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東北復興グルメシリーズ、明日は、福島県双葉郡浪江ブランドの日本酒、
「鈴木酒造」のしぼりたて生酒をお届けします!

2015年12月16日

12月16日 東北復興グルメ3 南相馬市「香の蔵 とうふの味噌漬」

12月16日(水)の復興グルメプレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました!
みそ漬処「香の蔵」の『豆腐の味噌漬け』と『クリームチーズの味噌漬け』の当選者は、
・こあらすきーさん
・もりりんさん
・紅鳥さん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
香の蔵さんからの産地直送となります。美味しく召し上がってください!

明日は、宮城県気仙沼市・舞根から「牡蠣の燻製オリーブオイル漬」をお届けします!お聞き逃しなく!

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食を通じて「復興・地域活性に貢献する人たち」にスポットを当てる【東北復興グルメシリーズ】。
今朝ご紹介するのは、昭和15年創業の老舗、福島県南相馬市のみそ漬処「香の蔵」の「みそ漬け」です。

震災と津波で大きな被害を受け、福島第一原発の爆発事故の影響で今なお一部が帰還困難区域になっている南相馬市。先の見えない復興への道のりは、いまだ険しいものとなっています。

そんな中、震災直後に事業を再開し、風評被害と戦いながらも南相馬での味を守り続けているのが、みそ漬処「香の蔵」。伝統の「みそ漬け」は地元はもちろん、全国から注文が来るほどの人気となっています。

代表の菅野行雄さんに、震災当時についてお話を伺いました。
◆新たな豆腐で試作を重ね・・・
「ここはそんなに被害はなかったんですが、近くまで津波は来てましたし、工場も稼働が出来ないほど機械がずれてしまったので3月14日、皆で会社の片づけをしていましたら、「爆発して警察官も自衛隊も避難してる」という話があり、それじゃ皆さん解散して避難してください、ということで皆バラバラになってしまいました。そして所蔵品もみんな廃棄して、冷蔵庫の中を掃除しながらまた新しく作り直して、4月4日に再開したという形です。「豆腐の味噌漬け」も20キロ圏内で作っていたので、そこも無理ということで、それで南相馬に一軒だけ再開した豆腐屋さんを見つけ、新しい豆腐で何度も試作を重ねて、試作だけで1万丁を廃棄していまの「豆腐の味噌漬け」を作ることが出来ました。で、「豆腐の味噌漬け」だけではなかなか売れないだろうということで、その年の12月に「クリームチーズの味噌漬け」を作りまして、それから「鮟肝の味噌漬け」「スモークした鴨の味噌漬け」なんかも作りまして、震災後に出した新商品がどんどん当たってきて、大変厳しいながらも、昨年から今年にかけてようやく少しずつ挽回しつつあるかなという状況にあります。」


原発事故の影響で、行き交う人が減った町、南相馬。そこで事業を再開しただけでなく、新しい商品をどんどん作って、事業を、そして南相馬を活気づけようと挑み続けている菅野社長。この地で事業を続けることに、迷いはなかったんでしょうか?

◆この地を離れず頑張っていこう
「迷いはもちろんあります。いまでもありますし。ていうのは、ここ求人倍率が3倍近い状況で人がいないし、それから白菜も全然NDで出てはいないんですが、今年から地元の農家さんと一緒になって作り始めたんですけど、社員の中でも小っちゃいお子さんには食べさせたくないということで購入させない社員もいますし、それはそれとしてしょうがないんですけど、なんとか地元一丸となってですね、この地で代々続けてきたっていう歴史もありますし、この地を離れず頑張っていこうという思いで、震災後がむしゃらにやってきました。やっぱりここにいると普通の商売では難しい状況になってくると思いますし、そういった状況の中では高価値な商売を考えていかないと生き残りが出来ないのでないかと考えております。」

昭和15年創業の老舗、福島県南相馬市のみそ漬処「香の蔵」が生き残りをかけて作り続けているのが、香の蔵の2トップ!
『豆腐の味噌漬け』と『クリームチーズの味噌漬け』です。

◆日本酒やワインに合う。ごはんにも!
「豆腐の味噌漬けも美味しいんですが、クリームチーズの味噌漬けもひじょうに美味しいです。豆腐の味噌漬けは半年近く寝せているために、酵素分解してですね、豆腐というよりもチーズっぽくなっておりまして、クリームチーズはですね、あちこちのクリームチーズでいちばん塩分の低いオーストラリア産のチーズを使ってまして、私はお酒が大好きなんで日本酒とかワインに合うんですけども、うちの妻はゴハンにベタベタやって食べてます。そういうのも結構おいしいということで、ゴハンにもけっこう合うのかなと思ってますけども、パンとかクラッカーに乗せてカナッペにしたり湯葉と一緒に食べても美味しいと思っています。」

★★★★★

今朝は、福島県南相馬市、みそ漬処「香の蔵」の『豆腐の味噌漬け』『クリームチーズの味噌漬け』をセットにして3名の方にプレゼントします!

ご応募はメッセージフォームから。「香の蔵みそ漬セット希望」と書いて送ってください。
このあと9時まで受け付けます!(本日9時をもって締め切りました。)

そして是非、南相馬にある直売所では、「あん肝の味噌漬け」や「ロースト鴨の味噌漬け」、野菜のお漬物などいろんな種類の試食できます。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

また直営店のほか、仙台、福島、東京の販売店、ネット販売もしています。
「香の蔵」本店
香の蔵オンラインショップ
・エスパル福島店
・常磐自動車道 南相馬鹿島SA
・エスパル仙台店 地下1階「岡田の仙台長なす漬」
・東京日本橋ふくしま館「MIDETTE(ミデッテ)」
・東京有楽町交通会館「むらからまちから」

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【東北復興グルメシリーズ】、明日は宮城県気仙沼市の舞根湾から、
「牡蠣の燻製オリーブオイル漬け」をご紹介します!

2015年12月15日

12月15日 東北復興グルメ2 岩手県大槌町「新巻鮭」

12月15日(火)の復興グルメプレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました!
岩手県大槌町の『新巻鮭』の当選者は、
・ぴんりんさん
・新巻鮭食べたいさん
以上、2名さまです。おめでとうございます!
芳賀鮮魚店からの産地直送となります。美味しく召し上がってください!


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食を通じて「復興・地域活性に貢献する人たち」にスポットを当てる『東北復興グルメシリーズ』。
今朝、ご紹介するのは岩手県大槌町の「新巻鮭」です。

大槌は、実は新巻鮭発祥の地とされているんですが、4年前の津波で町のすべての水産加工場が流出。600隻あった漁船のおよそ8割を失い、町の基幹産業である水産業は壊滅的な被害を受けました。

そんな大槌で、復興の足掛かりとなったのが、町の象徴「新巻鮭」。震災後に立ち上がった組合「ど真ん中・おおつち共同組合」代表で芳賀鮮魚店のご主人・芳賀政和さんに伺いました。

◆5000人のサポーターの力で
私の場合は、お店は津波で全壊。水道管が一本残っただけで包丁一本無かったです。家族はお母ちゃんの親は亡くなったし姉妹が7人亡くなりました。目の前に川が通っていて、その川の端々に船が打ちあがっている状態でした。30隻くらいは残ったのかな、小さい船から大きい船まで含めて。あとは何百隻と言う船が壊れてしまってね。その時は何も考えられなかったですよ。なにも無かったですから。それでこのままだと大槌町の水産業が亡くなるなと言う話をして、それから立ち上がりました。ここは三陸の真ん中なので「ど真ん中」が良いんじゃないかなっていうことで、「ど真ん中おおつち」ということに決まったんです。一口1万円で、もし鮭が帰ってきたらそれでお返ししようということで全国の皆さんに支援を募ったんです。だいたい5000名くらいのサポーターができたんですが、秋になって鮭が帰って来たので新巻鮭を始めたんです。それでいくらかサポーターの方に約束通りお返ししようということで、その年に半分くらいは鮭でお返ししました。


現在も、ど真ん中・おおつち協同組合は、大槌の海の幸を使った商品開発、新巻鮭作りの体験ツアーなど、様々な企画に取り組んでいます。そんな大槌を代表する復興グルメ・新巻鮭。どんなものなのか教えて頂きました。

◆新巻鮭の元祖・大槌
私たちの地方の鮭は「南部の鼻曲り」という名称がついていて、400年の歴史があるんです。昔から新巻鮭というのは祖先が家にある荒縄で鮭を吊るして作ったのがはじまり。吉里吉里善兵衛さんという方が、江戸に持って行って殿様に食わせたのが始まり。うちの方の新巻鮭は雄鮭を使う。5キロ以上の鮭で、塩漬けを5日間して洗って、5日間乾燥して完成。作り方はここが発祥と言われている。今作っている人は何軒もない。震災前は各家庭で作っていたんですけど、今はほとんど私たちの作ったのを買って発送するような形。今年は大不漁で数的には3分の1も入っていない。やっぱり震災の年の採卵した稚魚が4年で帰ってくる年で、それが今もろに影響していると思う。



ということで今年の大槌の新巻鮭、すごく希少なものになっています。また、大槌はかつて、冬になれば家々の軒先に新巻鮭をつりさげる光景が見られたのですが、いまでは、その作り手も減っているということなんですね。
新巻鮭の美味しい食べ方を知っておきましょう!

◆白いご飯が何杯でも!
新巻は焼いて食べる。正月には焼いて食べる風習がある。美味しい!ご飯に会う。弁当のおかず、お茶漬け、おにぎりに入れるのが一番おいしいですよね。この時期になると目の色が変わります良いものを作ろうとして。


★★★
ということで岩手県・大槌のシンボル「新巻鮭」!鮭に、塩をすり込み・つけ込んで、寒風にさらすことで、旨みがぎゅううぅぅっと凝縮した大槌の新巻鮭 「まるごと1本」を2名様にプレゼントします!

ご応募はこのブログ、メッセージフォームから。
本日(12月15日)の9時まで受け付けます!(当選者はブログで発表します。)

この大槌の新巻鮭。まもなく今年の生産は終了。今年はなかなか手に入りにくいようですが、今なら「ど真ん中・おおつち共同組合」のサイトで購入できます。もちろん現地でも買えますよ!
★ど真ん中おおつちサイトはこちら
★大槌の新巻鮭はこちら


東北復興グルメシリーズ、明日は、福島県南相馬市から「豆腐の味噌漬け」をお届けします!

2015年12月14日

12月14日 東北復興グルメ 釜石・海まん

12月14日(月)の復興グルメプレゼント!
『釜石・海まん』の当選者は、
・クラゲさん
・ちいちょんさん
・にんにくさん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
現地直送となります。美味しく召し上がってください!

明日は、岩手県大槌町の「新巻鮭」をお届けします!お聞き逃しなく!

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今週は、大好評「東北復興グルメシリーズ」です。
東北の「美味しいもの」を作る人たちや食を通じて「復興・地域活性に貢献する人たち」にスポットを当てる『東北復興グルメシリーズ』。今回も毎日日替わりでご紹介。プレゼントもあります!

初日の復興グルメは、岩手県から届いた「釜石・海まん」です。釜石の「海の幸」をもちもちの生地で包んだ「中華まん」。釜石の事業者が、それぞれの知恵とノウハウを持ち寄って、釜石復興のシンボルとなるようなお土産づくりを目指して生まれた一品です。
プロジェクトの中心人物で、三陸いりや水産の代表、宮崎洋之さんは、震災を機に妻の実家がある釜石に移り住みました。

◆できないかも・・・
震災の時はフランスのパリに住んでいた。釜石はわたしのふるさとでなく妻の実家。年一回ぐらい遊びに行ったりはしていたが、震災があって、4月の終わりに帰国して現地に入ったらもうショックで、映像にはない匂いや雰囲気や空気、自衛隊の方々がたくさんいて「これはお見舞いではなく、こちらでなにかやらないとだめだ」というような状況で、「とにかくこっちに来よう」と決めた。
新鮮でおいしいはずなのにロットが合わないとか作業費がかかるという理由でいろいろな理由で捨てられたり、活用されてない資源が釜石には海にも山にもいっぱいある。饅頭なら「餡(あん)」にすればいいわけだから、新鮮だったらおいしい。そういうコンセプトでできるんじゃないかと思って、フィッシュバーガーに代わる「海まんバージョン」を俺たちが作ろう!とやってみたら、実は肉より難しかった。「できないかも・・」というところまで行ったが、そういう難しいものをやれば他ではなかなかできないだろうと思って続けた。10万個、20万個と試作を重ねた。


試行錯誤の末に出来上がった「釜石海まん」、味は3種類です。
地元の味噌醤油メーカー「藤勇醸造」や造り酒屋「浜千鳥」など、「地域の味」も隠し味に使われて、まさに「釜石オールスター」の中華まんです。

◆鉄の町、海の町
地域にある宝をもう一度見直そう!と。釜石は廃炉になったが「鉄」で潤った「鉄の町」だが、「魚の町」でもある。目の前にある、ちょっと前までは注目されなかった「宝」をもう一度彫り直してやっていこうという。そういう意味では釜石は環境が揃っていると思う。いまこそ作るとき。
「海まん」のバリエーション。一つは「泳ぐホタテのアヒージョ」。新鮮なホタテを魚醤に付け込んで、釜石産のしいたけと三陸アミエビを調味料に使用。東北産のニンニクを使いワインにもビールにもあうまんじゅうを作った。次は「三陸天然鮭のグラタン」。三陸産のレッドという一番身が紅い鮭を炙り焼きに。皮が焦げるほど炙って皮を葉寿司、遠野産のたまねぎとニンジンを入れて、チーズとクリームを入れてグラタン風に。もう一つは「三陸極鮮炙り鯖のカレー」。鯖のカレー風味。しめさば用にしめれば生食ができる鮮度のいい鯖を皮面を炙り焼きにして、当社でつくったブイヤベースを使って味付けしている。


★★★

そして今日はこの「釜石海まん」を3名の方にプレゼント。
「泳ぐホタテのアヒージョ」「三陸天然鮭のグラタン」「三陸極鮮炙り鯖のカレー」3つの味をそれぞれ2つずつ、合計6個、冷凍でお届けします。ご応募はメッセージフォームから。住所・氏名・連絡先を明記の上「海まん希望」と書いてお送りください。(本日9時をもって締め切りました。ご応募ありがとうございます)

また、海まんはオフィシャルサイトから購入可能です。
「道の駅・釜石仙人峠」と「イオンタウン釜石店」でも販売しています。
詳しくは「釜石海まん」のサイトで確認を。
★★★
東北復興グルメシリーズ、明日は、岩手県大槌町から「新巻鮭」をお届けします!

2015年12月14日

12月10日 南三陸 木造りのカフェ「ちょこっと」3

今朝も、宮城県南三陸町波伝谷地区にオープンした小さなカフェ、「ちょこっと」に注目します。

波伝谷地区は、2011年の東日本大震災の津波で81戸中80戸が流され壊滅的な被害を受けた場所。2012年、いまは更地の戸倉駅前に小さなプレハブ造りのお店、「ほったて小屋」が出来ましたが、今年の8月、そのお店を建て替え波伝谷に木造の可愛らしいカフェ「ちょこっと」がオープンしました。

お店を手掛けるのは成澤英子さん。もともと波伝谷で35年間、和裁のプロとしてお仕事をされていた方です。
「ほったて小屋」は、地元の漁師に「獲れた海産物を売る場所がない」と言われたことと、この地を訪れるボランティアや工事関係者に、“美味しい海の幸を食べさせたい”という思いで開店。何もない更地のオアシスとして、多くの人に愛され営業を続けていましたが、去年の9月30日にかさ上げ工事の影響で開店から1年11か月で閉店となってしまいました。民家も人通りもない波伝谷に、それでもなお店を開こうと思ったのはなぜなのか?成澤さんにお話を伺いました。

◆迷いはありました。45号線からはるかに入ってきてしまって、398号線という国道からもちょっと離れてるので、「来るかな〜」という思いはありました。でもほったて小屋の時の客さんや、あとFacebookページを見てくれた人が迷いながら訪ねてくれます。ほったて小屋を閉店するときに「必ずまたお店やってね!」という声もあったし、その時にはいろんな人にお世話になったんですけど、わたしなんのお返しもしてない状況だったので出来るだけ皆さんに、「また集まれるところ作るからね!」って約束したんでその思いだけでここまで来ましたね。

そして今年の8月8日、波伝谷にオープンしたカフェ、「ちょこっと」。民家もない更地に、ポツンと一軒あかりを灯し、美味しいコーヒーと紅茶、スイーツ、そして南三陸の食材を生かした成澤さんの美味しい手料理を提供しています。

◆灯(ともしび)っていうほどでもないけど、この年になると仕事がないから、自分で仕事しなきゃなんない、そしてどうせ仕事するんだったら、いちばん最初「ほったて小屋」始めるときに「ばっばのご飯美味しいよね!」とか言ってくれたボランティアさんたちにもう一回ご飯食べてほしいなとか、そういう思いはありました。だから私は食べてほしいから作る、私のご飯を食べたいから来る、そういう関係であればいいなって思ってます。みんながここにきて集まって欲しいとかじゃな無くて、どっかで繋がっててほしいという思いで始めたんで、商売的どうなんのか分かんないですけどね。ただいつでも夕方でもなんでも、この辺やっぱ独り身になった人たちが多いんで、その人たちが「ばっば、おかずちょうだい」とか、「今日なにあんの?」とか来てくれればそれでいいんでないかなって思ってます。あとお母さん勤めに出てて、「夕方ちょっと忙しいからなんかおかず無い?」って電話貰ったりして、「あ、今日、鳥の煮たのあるよ」とか「揚げ物は鳥カラとコロッケあるよ」とか話して、ちょっといま牡蠣剥きで忙しくなってきたお母さんたちも使ってくれます。これがつながりなんですかね・・・(笑)。

何もない場所に灯ったあかりを求めるように、町の人々が集う拠りどころになっています。娘さんと二人で切り盛りするお店は、とても家庭的で居心地が良いと評判のようです。


「ちょこっと」は11時のランチタイムから営業。旬の食材を使った成澤さんの手料理が味わえます。それから1日1組限定で夜の宴会も受け付けているそう。宮城の酒はもちろん、各地の美味しいお酒が揃っていました。牡蠣鍋で一杯とかいいですね。ちなみに水曜日が定休日。

ぬくもりと愛情があふれる、南三陸、波伝谷のカフェ「ちょこっと」。ぜひ足を運んでみてください。

「ちょこっと」facebookページ

2015年12月9日

12月9日 南三陸 木造りのカフェ「ちょこっと」2

今朝も、宮城県南三陸町波伝谷地区にオープンした小さなカフェ「ちょこっと」に注目します。

波伝谷地区は、2011年の東日本大震災の津波で、81戸中80戸が流され壊滅的な被害を受けた場所。2012年、いまは更地の戸倉駅前に、小さなプレハブ造りのお店「ほったて小屋」が出来ましたが今年の8月、そのお店を建て替え、波伝谷に木造の可愛らしいカフェ「ちょこっと」がオープンしました。

お店を手掛けるのは成澤英子さん。もともと波伝谷で35年間、和裁のプロとしてお仕事をされていました。そんな成澤さんが飲食店を開くようになったいきさつを伺いました。

◆地元の人の声に応えて
避難所生活が終わって仮設住宅の生活になって、コミュニティスペースがあって、いちばん最初に出来たホタテの販路がない、どっか売るとこないかな?って漁師さんたちが言ってたんで、だったらせっかくボランティアさんたちも来てるから、焼いて食べさせればいいのにねっていうことになって、じゃほったて小屋建てようってことになり建物が建って、商売が始まったんです。この地元の海産物、ホタテを焼いて出したり、タコやイカなんかを食べて頂いてたんです。「ほったて小屋」はいつ潰れてもおかしくないような小屋って意味なんですけどね。確かにプレハブ造りでトタン張りで屋根もろくに断熱材も入っていない、ほんとに風が吹いたら飛ぶような小屋だったんです。工事関係者の方とか、お弁当出したりとかお食事出したりとか、あと地元の人たちは地元に魚は有るので食べない、じゃあラーメンが欲しい、何が欲しいっていう希望があったんで、それをメニューに入れたりして、おかげさんでなんとかやってたんですけどね。


お店どころか、家も無い更地にポツンと開店した「ほったて小屋」はこの地を訪れるボランティアや工事関係者、そして近くの仮設住宅に住む人たちに愛され営業を続けていましたが、去年の9月30日、開店から1年11か月で閉店となってしまいました。

◆かさ上げ工事のため撤去が求められ、場所を変えてできた小さなお店
建て替えざるを得なくなって建て替えたんです。45号線沿いにあったんで、川の防潮堤と道路のかさ上げ工事にちょうどぶつかってしまったんです。それで県からよけてほしい欲しいといわれて、去年の9月30日に店を閉めて。でもその時点で行先は決まってなかったんですけど、幸いにして娘の土地があったので、じゃあそこに!ということで。でも大工さんなんかもなかなか見つからなかったんで、「木の家づくり互助会」のほうになんとかなんないかな?大工さん探してほしいな?と探してもらって、やっとここが今年の5月に着工出来たんです。建物自体はほったて小屋よりもちっちゃくなったんですけど、あったかみのある店にはなったと思います。


立ち退きになってしまった「ほったて小屋」の閉店から11か月後開店した「ちょこっと」。工事をサポートした「南三陸木の家づくり互助会」というのは、地域の森林資源を使って、持続的な資源循環の地域づくりを目指している互助会です。地元の木を使って建てられた「ちょこっと」は、木の香りと温もりがあるお店です。

以前に映画の「波伝谷に生きる人々」を紹介した時に、地域で助け合う「結(ゆい)」の精神について紹介しました。こうした「互助精神」が南三陸には息づいているんでしょうね。

2015年12月8日

12月8日 南三陸 木造りのカフェ「ちょこっと」1

今朝は、宮城県南三陸町、波伝谷(はでんや)地区にオープンした、小さなカフェ、「ちょこっと」に注目します。
波伝谷地区は、2011年の東日本大震災の津波で、81戸中80戸が流され、壊滅的な被害を受けた場所。

2012年、いまは更地の戸倉駅前に小さなプレハブ造りのお店、「ほったて小屋」が出来ましたが、今年の8月、そのお店を建て替え、波伝谷に木造りの可愛らしいカフェ「ちょこっと」がオープンしました。

お店を手掛けるのは、成澤英子さん。成澤さんは、もともと飲食業を営んでいたわけではありませんでした。

◆商売というより和裁の仕立師、着物を縫う人だったんですけども、震災で仕事もなくなる家もなくなるだったんです。気仙沼の問屋さんから仕事は貰ってたんですけども、問屋さんも震災に遭われて店をたたむってことになったんで仕事が無くなってしまったんです。約35年はやってました。


そんな和裁のプロである成澤さんの人生を、根こそぎ変えてしまった2011年3月11日。あらためて、あの日のことを伺いました。

◆何か現実なのかどうなのか、津波が来たぞってことで一応避難して。家にいたんです、その日はちょうどいちばん上の孫が小学校6年生の卒業式を迎えるってことで、その日にやっと卒業式に着る着物が出来て、あ〜やれやれってしてた時に地震でした。けっこう揺れは強かったんですけど、家自体は何も壊れるもなく唯一壊れたのは下駄箱の上の硝子の花瓶くらい。で、さあ花瓶をかたずけようかな〜と思ってたんですけど、そのうちに大津波警報になったんで、娘と「どうする?どこに逃げる?」って言って、高台に家があったんで、そこに逃げたんです。津波が来るまで時間があったんで、海のほうを見て、「あ〜あれ津波かね?」って言ってるうちに、津波が堤防を越えてきて、そうしてるうちに、「裏のほうから入ってきた」というひとことで、もう一段高いところに行かなきゃなんないということで、大きな犬を飼ってたんですけど、それを押したり引いたりしながら何とか逃げたんですけどね。高台に上がったときは、もう避難していた家も無い、何も無い、この地区が全部水の中に流されてるって状況でした。でも男の人たちなんかも居たんで、タバコ吸ってる人たちも居たんで、みんなポケットから紙屑出したりしてライターで火をつけて、周りにある枯れ枝なんかを燃やして、とりあえず雪が降ったり風が吹いたり、寒い中野宿したんですよね。見る家もありませんでした。跡形もないんです。これが津波の被害かなっていう思い、悲しいとかつらいというよりも、とりあえずこの場所じゃなくどっかに行かなきゃなんないなという思いはありました。自分ひとりじゃないんで。周りみんなが何も無くなったんで、大変だとは思ったけど、これより高いところに行かなきゃなって思いは有りました。



成澤さんは、津波が町のすべてを飲み込んでしまった翌年にプレハブ造りのお店「ほったて小屋」を開き、そして今年、「ほったて小屋」を建て替えて木造りのカフェ「ちょこっと」を開きました。

明日は、和裁のプロだった成澤さんが、飲食業を手掛けるようになったいきさつをご紹介します。

「ちょこっと」facebookページ


2015年12月7日

12月7日 被災地に年賀状を届けるプロジェクト「元気メール」

今日は、東北の仮設住宅に年賀状を届けるプロジェクト「元気メール」です。
これまでもこのコーナーで毎年ご紹介してきました。

活動の中心となっているのは、神戸のNGO「アセック」の理事長、瓜谷幸孝さん。阪神淡路大震災で、全国から「励ましの便り」を募集して、仮設住宅のお年寄りに届けたのが「元気メール」の始まりです。東日本大震災以降は、東北に向けた「元気メール」を募集。毎年お正月に、瓜谷さんたちアセックのメンバーと仙台のボランティアスタッフが仮設住宅で暮らすお年寄りに、直接年賀状を手渡しています。今年は、宮城県石巻市の小中学生が書いた「元気メール」をネパール大地震の被災地の子供たちに届け、さらに活動の和が広がりました。

東北はいま、大震災から数えて5回目のお正月を迎えようとしています。
   
◆時間が経つほど心の支えが必要になる
なんで5年も続けているかといえば、時間がたつほど苦しくなるから。最初の一年目はしゃにむに頑張る。だんだん一年、二年と時間がたってきたら、周りが忘れてきて自分が置き去りになったような気がする。時間がたてばたつほど、最初に頑張ったことに比例して、不安やマイナスの材料ばかりがでてくる。だから、時間がたつほど心の支えが必要になってくる。
誰か一人が自分を励ましてくれる、自分を心配してくれる人がいたら人は生きていける。元旦の一月一日に一本の電話もかかってこない、一枚の年賀状も届かない、誰ひとり自分を訪れる人がいない、そんな一年の始まりだったら、元気がでてこない。だから新しい年にはなにか希望なり目標を持てるように今年も年賀状を届けたい。
毎年行くところを変えている。全然元気メールを届けたことがないところに届けている。2015年の正月には宮城県名取市の閖上に初めて行った。一人にだいたい5枚ぐらい渡す。1枚だと寂しいから。子どもやらお年寄りやら海外の方のはがきとか、いろいろなのを混ぜて、仮設住宅を一軒一軒回った。何人かのお年寄りは、その年賀状を受け取って繰り返し繰り返し読まれて、涙ぐまれていた。「必ず返事を書きます、ありがとう」と。それで、今年の初めから全国の方たちと閖上の皆さんの文通が続いている。やっぱり文通のやりとりが続くことによって、「一回この人に会ってお礼を言いたい」と思うようになる。目標や目的ができたら人はぶれない。神戸と石巻で元気メールのやりとりをした人も実際に会いに行っている。


アセックでは今年も東北の仮設住宅への「元気メール・年賀状」を募集しています。
内容は季節の言葉や、自分の趣味や日常のことなどなんでも構いません。イラストや俳句を添える方もいるそうです。
集まった年賀状は、来年のお正月、瓜谷さんたちが宮城、福島で暮らす仮設住宅のお年寄りに直接手渡します。
 
◆「被災された方へ」
お年寄りには抽選付き年賀状が喜ばれる。どんな方に渡るかわからないので、宛名は「被災された方へ」と。裏の文面は新しい一年の始まりが元気になるようなものがいい。人が元気になれば自分も元気になれる。自分が一生懸命こころを込めて書いたら、それが相手に伝わる。もらった方はたいがい相手の方に返事を書く。だからできたら、自分の名前と住所を書いてほしい。「ありがとう」という気持ちをもらった人も伝えたいので。


2012年のお正月はおよそ3000通集まった「元気メール・年賀状」も今年2015年は1000通と、だいぶ数が減ってしまいました。
「ぜひ皆さんからたくさんの元気を東北に届けてください!」と瓜谷さん。

★「元気メール年賀状」の送り方
 宛先は「被災された方へ」と書いてください。内容は自由です。
 できればご自分のお名前、住所も書いて、封筒に入れて
 アセックあてに12月26日までに送ってください。
 複数枚書いてくださる方も大歓迎!

送り先:〒655-0046
    神戸市垂水区舞子台8丁目16番地16−604
    アセック「元気メール年賀状」係
    締切12月26日(土)着
担当:瓜谷 携帯090-6735-4253

2015年12月2日

12月2日 福島県相馬市出身 巨人・鈴木尚広選手3

福島県・相馬市出身。読売巨人軍・鈴木尚広選手のインタビューをお届けしています。

今年、19年のプロ野球生活で初めて、オールスターゲームに出場。試合の途中から「代走」として出場する選手が、オールスターに出るのは大変珍しいこと。誰にも負けない特技を見つけて、それを極めれば、大舞台に立てるし、ヒーローになれる。それが相馬市の子どもたちの力になる。そう考えて鈴木選手は休むことなくトレーニングを続けています。

そんな鈴木選手が、故郷・相馬への想いをより強めるきっかけとなったのは、やはり東日本大震災でした。2011年3月11日、プロ野球はオープン戦の最中。当時を鈴木選手が振り返ります。

◆「このまま野球をしていていいのか」
中西:鈴木選手は震災時はどこにいらっしゃったんですか。
鈴木:広島で試合していましたね。震災を知ったのが試合の途中で、ロッカーにテレビがあって緊急放送になって、相馬の名前も出たんです。津波が10mくらいくるという予想が流れてきて、ちょっと・・・どうしたらいいのかということがありました。電話ももちろんつながりませんでしたし、ただ待つのみという感じで試合どころではなかったですね。

中西:ご両親は相馬市にいらっしゃったんですか。
鈴木:はい。弟もいます。

中西:そのあと、、相馬に足を運ぶことができたのはいつですか。
鈴木:球団から許可を得まして2週間後に相馬に戻って。地元の母校、中学校が避難所になっていたので声掛けをしたり、お手伝いをしたり、海の現状を間近で見て。言葉にならないくらいで。自然の強さってこんなにあるのかと。船があり得ないところに来ていましたしちょっと自分の想像では考えられない光景がありましたね。

中西:ぼくもそうでしたが、スポーツって、こうなってしまうと何もできないんだなと感じたんですが。
鈴木:何もできないことのほうが多かったですね。このまま野球していいんだろうか、プレーしていいんだろうかと言うところがあったんですが、弟から、「お兄ちゃんは、野球で頑張ってみんなに夢や希望を与える仕事なんだから、こっちのことは俺に任せて、お兄ちゃんは好きなことをやってくれ」と。ちょっとウルっと来てしまって。今でも覚えているんですけど、そういう弟の後押しもありながら、もう一回頑張る姿を見せるのが被災地の皆さんのためにもなるかなと考えました。

中西:震災後にプロ野球もJリーグも再開して、その時に「覚悟」、今までやってきたプロ野球と変わりましたか。
鈴木:僕は福島県出身なので、やっぱり自分が活躍することでそういうものを風化させないという意識は高まりましたよね。自分のためでもあり福島県の皆さんのために頑張るという想いが自分の中に、より入ってきましたよね。

中西:鈴木選手の人生は、もう鈴木選手だけのものではない。
鈴木:もちろんそうですね。自分のためにやってきた野球が、そうじゃない、そういう人達のためにやるという。野球に背を向けないで見つめて、より自分を成長させるということに繋がってきていると思います。

  
鈴木選手のご両親、弟さんは無事だったわけですが、相馬市は400人以上の方が亡くなっています。そんな状況で、スポーツ選手の多くがスポーツやってる場合か・・・と悩んだと言います。鈴木選手も野球を続ける意味を 改めて真剣に考え、そして最後の後押しをしたのは弟さんでした。

そして去年、鈴木選手は 代走での盗塁・日本記録を更新。規定打席に達していない選手として、初の200盗塁も達成。鈴木選手を知らなかった方も、来シーズンは途中出場する鈴木選手の走り、ぜひ注目してほしい!


明日は、高橋由伸新監督の下で迎える、来シーズンの話です。鈴木選手と高橋新監督、普段はどういう関係なのかも語ってもらっています。

2015年12月1日

12月1日 福島県相馬市出身 巨人・鈴木尚広選手2

今週は、福島県・相馬市出身。読売巨人軍・鈴木尚広選手のインタビューをお届けしています。

球界を代表する、「代走のスペシャリスト」。鈴木選手が出る=盗塁する。相手も完全に警戒している。それでもこの選手は盗塁を決めちゃう。1塁から2塁まで鈴木選手は、3秒もかからない。その数秒のために、この選手、午前11時には球場入りしてナイターの準備をしているという・・・!!

ということで、その鈴木選手の「準備」について、そして、彼のスピードを後押しする存在、故郷・相馬市の人たちについて伺いました。

◆一つでも秀でることができれば。
中西:自分の中でルーティーンのようなものはあるんですか。
鈴木:もちろんあります。きっちり整っています。練習前の準備もそうですし、それも常に全部一定にやっていけば精神も全部整っているのでスムーズに行けるじゃないですか。

中西:じゃあ精神状態がいつも一定の状態で試合に。
鈴木:保つようにしています。代走と言うのはいつ行くか分からないんですよね。その中で一喜一憂しない。

中西:淡々と。
鈴木:淡々と、です。一喜一憂していたら足元をすくわれちゃうので。

中西:要するに喜んでいてもいけないんですよね。
鈴木:そうです。3回くらいまではベンチで相手の動きやゲーム展開を見るんですけど、3回以降はスイッチが入って、僕に選手たちも話しかけてこないですし、そういう雰囲気を自分で作っていくという形ですね。

中西:今年のオールスター出場。福島県相馬市の方々には、選出された時は何と言われましたか。
鈴木:友だちとかも「すごいすごい!」みたいな感じで、雲の上の存在扱いされて(笑)

中西:今までは違ったんですか(笑)
鈴木:いや、まあやっぱり同じ野球部の同級生ですから。でもちょっと尊敬されているような感じは受けましたね。

中西:でも地元の相馬市の方々が喜んでくれたのは嬉しかったんじゃないですか。
鈴木:もちろんそうですね。それで福島・相馬高校と言う名前も出ますし、それは僕にしか、野球選手にしかできないことでもあります。そういう意味では福島県の子どもたちに得意なものを見つけることの大切さを伝えられたのかなと思います。

中西:そうですよね。野球の中の「走る」ということに特化してもオールスターに出られて、しかもそのオールスターでも盗塁を2つ成功させたというのは地元の子どもたちにとっても色んな勇気を与えたんじゃないですか。
鈴木:やっぱりスタメンで出る、売って投げて走るというのが野球ですけど、一つでも秀でることができればそこまで行けることを体現して、実証できたのはよかったと思いますね。

中西:毎年元日、1月1日に相馬に帰って子どもたちと野球をしている。これは震災前から。
鈴木:震災前からずっとやっています。高校の野球部の同級生とやり始めて、子どもたちが成長して大きくなって少年野球に入ってチームができて・・・小学生と試合したり、混合で和気あいあいとして年を始めるというのをやっています。

中西:来年の1月1日はオールスターで活躍した後 初めての元日野球ですが。
鈴木:子どもたちが喜んでくれるのが一番うれしいですし、それを目指す子どもたちが一人でも出てきてほしいので、そういう意味では今年のオールスターは非常に大きかったなと思いますね。


ということで、今年も鈴木選手は 元日に相馬の子どもたち、地元の仲間と一緒に野球をします。地元を大事にしていて、地元の人たちからも愛されているのがすごく分かった。ちなみに鈴木選手のご実家はお肉屋さん兼焼肉屋さん。元日の野球教室の後は、みんなで焼肉パーティー!をやるんだそう。楽しそう!



明日は、鈴木選手が語る、東日本大震災です。プロスポーツ選手として、あの時、鈴木選手は何を考えたのか。お伝えします。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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